あら何と 博多一番の 花咲きぬ
中村 梅士 Baishi
身体が重たいなあと思いながら午後のジョギングに出
かけた。
とと・・・、あら何と、小学校の桜が咲き始めている
ではないか。
川沿いの一番桜も咲いていた。
あんなに寒かったのに、梅の花襷を引き継いだかのよ
うに、一気に開花宣言となった。
う~~~ん、ついに咲いたか・・・。
汗をかきながらも、後半のジョギングは1km6分程度
までスピードが上がってそのまま 7.3kmをゴールした。
まあ、1km 5分を切るスピードでないとランニングに
はならないのだが、ジョギングだから上出来だ。
冷凍讃岐うどんや牛乳・ヨーグルト、食パンに大根葉、
菜の花などなどの買い物をして、よたよたと帰りつつも、
咲いた桜をまじまじと花見して帰ったのだった。
まあ、プーチン大統領再任のお祝いにワインで乾杯す
るとしよう。
今日はピョンパラの閉幕ということで、アダプテッド
スポーツ論を掲げておきたい。
『アダプテッドスポーツとは、人がルールに合わせる
のではなく、運動能力が低い人の状況にルールを合わせ
てスポーツを作る取組である。現在では障害者スポーツ
の意味でも用いられるようになった。障害者スポーツと
いう言葉はマイナーな印象を伴うことからである。
アダプテッドスポーツの意義は、障害者にも夢と希望
を与えると共に、一般人にもスポーツの本質を教えてく
れるところにある。実際に見たり、体験する機会があれ
ば、その魅力を体感することができるだろう。学校教育
にもそうした機会を増やすべきである。
障害者スポーツの歴史は浅く、病院でのリハビリから、
運動を楽しむスポーツに発展した。スポーツとは無縁に
思われた障害者が、生きる希望をもってパラリンピック
で活躍するまでに発展したことは、大きな成果と言える。
さらに、アダプテッドスポーツには発展性がある。一
つは、新しいスポーツを生み出す力であり、もう一つは、
障害を乗り越える道具の開発や運動技能の開発が、次世
代の新しいスポーツを生み出す可能性を秘めていること
である。
しかし、アダプテッドスポーツには課題もある。それ
は、まだ健常者スポーツに比べ、参加の機会がはるかに
限られていることである。パラリンピック選手にとって
さえも練習環境が身近になく、支える人材や、仕事や資
金支援なども貧困だからである。
今後の課題は、運動機能に障害あっても、社会の一員
としてスポーツに参加できるよう、国家事業としてバリ
アフリーに取組むことにある。それがスポーツ立国論の
要請でもあると考える。』
口先だけのスポーツ立国論など無用のことである。
技能だけではなく、教養においても世界に通用するア
スリートを育成するべきである。
障害者アスリートもその例外ではない。
障害者だからこそ、スポーツの素晴らしさが分ってい
るのである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party