シンプルに 卒業式を 見て帰り
中村 梅士 Baishi
形はシンプルなのが良いのかもしれない。
これまで工夫してきたサプライズ企画もなく、平凡な
式典だけの卒業式が終わり、交流ということもなく、シ
ンプルに早々に式場を後にした。
こういう時は、秘書にせかされながら、次の仕事に急
ぐという多忙で式場を後にしたいものだと思う。
途中、枝垂れ梅が美しかった。
カメラを持ってこなかったのは残念だった。
ともかく、卒業式が終わった。
かつて、一晩中卒業生たちと飲み明かし、歌い明かし
たものだった。
若かったんだなあ・・・。
諸行は無常なのである。
帰り道、いつもの八百屋に立ち寄って、野菜をたくさ
ん買った。
ずいぶん安くなっていたので感動的に買ったのだった。
白ネギ、ホウレンソウ、レタス、新玉ねぎ、小松菜、
ニラ、ピーマン、菜の花、草餅・・・。
ああ、大根を忘れていたなあ・・・。
さて、今日の日没は18時20分、明日の日の出は6
時40分にまで日を伸ばしている。
鳥たちもねぐらに帰って行った。
あしたはちょっと、お散歩しましょうかねえ。
ここ10年来、マスコミのまな板に乗るスポーツ界の不
祥事や内部告発が続いている。
スポーツの根本精神と言えば、英国ではノブレス・オ
ブリージュというべき騎士道精神であり、日本では武士
道精神である。
これがスポーツマンシップだと言ってよい。
競争社会の美学を啓蒙し、健康運動を楽しむのがスポ
ーツ文化である。
ところが、どうも、スポーツマンシップを見失いつつ
あると言うことのようである。
女子レスリング強化部長が内部告発されたが、パワハ
ラというべき差別や嫌がらせがあったと言う。
体罰感覚かもしれないが、あったのだろうと思われる。
武士道精神は暴力ではないし、師弟関係といっても、
武士の尊厳を見失ってはならない。
アスリートは使い捨てにされ、職業として確立されて
いないスポーツ軽視の日本ではあるが、浪々の身とは言
っても武士の誇りがある。
監督、コーチと言っても、選手を駒にしてはならない。
アスリートの尊厳を認めるべきである。
武道の礼儀とは、相手のへの敬意であり、尊厳性の尊
重なのである。
そして、スポーツの神聖を忘れてはならない。
スポーツの尊厳、スポーツの神聖を取り戻してほしい
と思う。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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