飛梅も 飛び立ちかねて 今咲きぬ
中村 梅士 Baishi
昨日今日と暖かくなったが、年末から厳しい冷え込み
だった。
その影響で、遍路の梅も大宰府の梅も開花が遅れ、先
週にやっと満開になっているそうである。
ならば、見に行ってみようか・・・。
今日は一日小雨模様だった。
結局、ジョギングにも出なかった。
居眠りのクレバスに落ちながらも、『リエント・アール
クラウドの本心』と題する霊言を拝読した。
クラウド様といえば、紀元前7千年頃の古代インカ文明
の大王として知られる。
今は、孔子様と並んで、宇宙外交に関わる役割を担っ
ているという。
その内容は現文明が滅亡する可能性が高いという悲観
的なものだった。
現在知られているマヤ文明やインカ帝国の遺跡は、紀
元前後あたりからスペインに滅ぼされるまでの比較的後
発の文明である。
古代インカ文明は、高度の科学文明を持つに至ってい
たアトランティス文明が海に沈んだ時に逃れてきた人々
によるものだという。
現代には全く伝わっていない埋もれた古代文明である。
そうした文明への歴史的興味もあるが、霊言は現文明
の救いがたい滅亡の危機について語られていた。
IT技術がもたらした利便性や人口知能がこれまでの宗
教にとって代わる「神」として現文明を滅亡に導くであ
ろうと予言している。
Googl教、amazon教、Appl教、マイクロソフト教など
がそれだという。
確かに、科学的利便性は人を宗教から遠ざけ、精神性
を見失わせている。
アトランティスの滅亡も、唯物論科学がもたらした文
明の破綻だと言われる。
スマホ中毒の人々をみていると、不愉快であるし、確
かに人工知能の奴隷と見える。
そういいつつ、自分も知識や情報をグーグルやamazon
に依存しているのである。
便利さは人を堕落させるのは確かなのだ。
人口知能の将棋も、勝利至上主義であり、勝負の美し
さを感じさせることはない。
確率計算にすぎず、精神性がないからである。
産業を生み出す必要はあるが、IT産業ではなく、不便
さが生み出す価値を考えるべきなのだろう。
車で四国遍路ではなく、やはり歩くことに意味がある。
健康のためには、車ではなく、やはり歩くことだ。
効率ではなく、修行と言う価値が大事なのかもしれな
い。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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