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+ 立秋の蝉・・・ オリンピックに思う、日本「企業政府」への激励

2012年08月08日 20時02分14秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

   

 

 立秋と  言うなり  蝉の骸かな 

    梅士 Baishi

  

   

 

 

 

   

 

 猛暑とはいえ、立秋とある。

 こころなしか、蝉の数が減ったように思う。

 まだ、明日は長崎の原爆記念日という盆前のことではあるが。

 

 そういえば、お盆と言えば8月15日であるが、関東は7月15日で

ある。

 暦の上のことかと思いきや、本気らしいのだ。

 そういえば、雨の盆踊りというのを不思議に思ったことである。

 博多も長崎も、盆は8月15日以外には想像しにくいものだが・・・。

 

 今年は、幸福の科学精舎で先祖供養などをしたいものだが・・・。

 父方のおじが立て続けに亡くなったのは、島原の乱のカルマなのか。

 光をたむけたいが、他方で「弟子」筋を尊敬できないという不信感

もある。

 ならば、自分で回向するほうがよい。

 これが、本仏下生の時代の難しさなのかもしれない。

 中道とはいえ、弟子筋はもう少し伝道の荒修行をしたほうがよい。

 

 

 

 

 

 

 

 オリンピックに思う、日本企業政府への激励 】  

 

 思うに、もっと冒険者たれ!

 人民軍特殊部隊とはいえ、中国に負けるな!

 所詮、反日民主党、反日自民党連合の日本政府は日本のために

は働かないものだ。

  いわば、オリンピックは、国民の国民による独立運動である。

 ならば、日本選手団は民間政府の気概と志を持って、日本国を防

衛し、日本の勢力を世界に示すべきである。

 

 本来、それが経営者団体の使命であったはずだが、経団連もそう

いう器ではない。

 新しい器を作るべきだ。

 企業政府としての働きをするべきである。

 そのためにも、増税は断固阻止し、思い切った減税に踏み込まな

ければならない。

 

 オリンピックの成果は、政府・官僚の国家としての成果ではない。

 国民アスリートやこれを支えてきた企業の成果なのである。

 企業は、国家のプライドをもってその本領を発揮すべきである。

 見よ、東京電力を。

 政府によって潰されたのだ。

 

 九電までもが深刻な赤字である。

 だれの責任か。

 マスコミと、その御用学者と、民主党政府の責任ではないか。

 なぜ、反撃しない。

 そんな横暴を許してはなるまいよ。

 しっかりせよ!

 

 福岡にオリンピックをという大イベントを打ったとき、九電はマスコミ

の反オリンピックを恐れて、申し訳程度の50万円の協賛をしぶしぶ

という体たらくであった。

 その事なかれ主義が自らを窮地に追い込み、市民に迷惑をかけ

ているのだ。

 

 東京オリンピック支援のイベントには500万円協賛しないか。

 それが心意気と言うものではないか。 

 それもないなら、七社会を解散し、九電も解散するがよい。

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

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+ 女子バレー中国を制する・・・ 文化としてのスポーツ  スポーツによる国防・発展戦略の意義

2012年08月08日 06時35分59秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

  

 

   

 倫敦の  延長戦に  寝そびれて 

    梅士 Baishi

  

   

   

 

 

 

 

 倫敦オリンピックの熱戦が続いている。

 オリンピックは世界中の人々が一斉に注目する夢舞台である。

 国家のプライドをかけて見守っている。

 予選落ちする自国選手を見ると、「世界の厚い壁」というよりは、弱

小国だと感じて落胆する。

 中国に負けたりすると、不愉快でならない。 

 

 オリンピックは母国の意識を素直に共有している夢中の戦いである。

 その中で、女子バレーのトーナメント戦準々決勝で接戦の末とはえ

いえ、ついに中国チームを下したゲームにはほっとした。

 中国戦はいわば人民軍選手との戦いである。

 負けるわけにはゆかないのだ。

 

 女子卓球は決勝で中国にストレート負けしての銀メダル。

 初のメダル獲得とはいえ、中国に負けたということが納得できない

ゲームである。

 中国を最高とするマインドが限界を作っているのではないのか。

 中国には負けても仕方がないという師弟関係とは縁を切って、日

本独自の中国攻略卓球に取り組みなおしてほしい。

 福原愛のマインドでは中国には通用しないということだ。

 

 日本の陸上はからっきしメダル争いには届かない。

 100m9秒5の選手を育てなければならない。

 200m19秒前半の選手を育てるべきである。

 筋肉質の体重で負けているのではないのか。

 

 

 

 

 

 

 

 スポーツによる国防・発展戦略の意義

 

 スポーツは文化である。

 限界に挑戦する精神の表現であり、その感動のドラマの創出である。

 スポーツは感動の文化なのだ。

 弱い選手の戦いでは同情することはあっても感動はない。

 スポーツ選手には表現者、魅せるスポーツ選手としての自覚が必

要である。

 文化が生み出す価値は、精神的豊かさであり、そのあとに経済的

豊かさが肉付けされて行くのである。  

  

 

 スポーツは軍事力である。

 戦争をしなくても、オリンピックで尊敬される勝利を重ねる金メダル

大国の強さとを示せば、それを侮辱するような侵略は抑制される。

 すなわち、戦争の抑止力となるのである。

 だから、日本侵略の野望を抱く中国には負けてはならないのだ。

 

 そのためには、軍事費に8兆円、アスリート育成のために2兆円規

模の予算をくむべきだ。

 アスリート育成は幼児期の体育から始まる。

 必然、国民のスポーツレベルを上げながら、才能を発見し、収斂し

てゆかなければならない。

 つまりは、スポーツ文化のすそ野がひろがり、競争社会の戦い方に

ついても教育が行き届くことになるのである。

 

 

 スポーツは発展と友情の哲学である。

 弱肉強食ではなく、切磋琢磨する発展的思想を教えるための文化

である。

 スポーツマンシップ的な潔い戦い方が、戦友のような強い友情を育

むのである。

 それが競争の美学であり、教育するべきことである。

 だから、スポーツの神聖を教えなければならない。

 神聖でなければ、ルールは規範力を失うものである。

 そのような教育者を育てる必要あるのだ。

 

  

 心の豊かさなくしては経済的豊かさは砂上の楼閣のごとくである。

 だから、信仰が大切なのだ。

 信仰とは、心の豊かさを育てるものである。

 精神世界の豊かさを表現する文化の根源には、信仰があるのだ。

 神に祈る日本人アスリートを見ないが、そこに既に弱さがある。

 まずは、スポーツの神聖をよくよく反省することである。

 

 

         立憲女王国・神聖九州やまとの国

          梅士 Baishi 
       

          

 

 

 

  

  

  

  

  

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