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+ 道草の藤紫・・・ 失業時代を逆転せよ  50歳からの産業

2009年05月13日 07時39分01秒 | 立憲女王国・神聖・九州やまとの国

 

 紫の  草藤の野に  道草し   

       馬糞 Bafun

 

  

 庭園にも植えられることの多いクサフジが、雲仙小浜

の道草の一角にあでやかな紫を野生していた。

 つい、車を止めて、カメラで花を摘んだ。

 ああ、なんという幸運!

 

 その先で、マツバウンランの淡い紫の群生に出会った。

 春の道草というのは、爛漫多彩で、まさに人生の贅沢

である。

 

 

 

 

50歳からの産業・・・ 失業時代を逆転せよ


 就職難だという。

 今すぐお金を稼ぐ方法は、物を売ることだろう。

 店舗がなければ、行商であろう。

 パートの仕事がなくなったら、生活業の原点に戻れば

よい。

 

 時代が変わって、行商でもあるまいというが、軽トラ

もある。

 楽天のネットショップもある。

 

 50歳から人を雇うところはないという。

 では、フリーペーパーのような働き方はないか。

 ただで働くという提案である。

 すなわち、実績主義をかってでるのだ。

 

 産業とは何か。

 継続的なサービスを提供し続けることであろう。

 アイデアを出し、商品化し、消費者に知らせ、販売す

る。

 

 そう考えると、高齢者には、その強みを生かした仕事

を産み出すことができそうである。

 産業を起こすのであるから、給料ではなく、実績に応

じた対価になる。

 それを、産業というのではないか。

 

 エリートでもなければ、老後は不安である。

 だから、勇気がいる。

 勇気とは、決死の覚悟である。

 

 

 


 先日、靴屋さんを訪ねた。

 草履感覚で手軽に脱いだり履いたりできるオフィス用

の靴がほしかったからだ。

 昔からある、靴職人の店だ。

 オーダー品は3万円以上から注文できる。

 

 しかし、靴職人は、後継者がなくて、博多でも10人く

らいしか残っていないという。

 職人では食えないのかとたずねると、そうではないら

しい。

 若い人が、最低三年の修業に耐えられないのだという。

 その間、給料がないからだそうである。

 

 であれば、50の手習いで、職人になるというのも産業

ではないか。

 いたずらに老後の不安を言うよりも、手に職をつける

という備えをするほうがよい。

 

 老後というと、福祉要求ばかりをするのがマスコミで

ある。

 マスコミの人間ほど、高給取りはない。

 「テレビ局を辞めて国会議員になったら、貧乏になっ

た」という話があった。

 

 福祉というのは、最後の最後の手段としたいものだ。

 権利だなどとは考えないことだ。

 公務員や大企業の定年退職を基準に考えないことだ。

 また、それを、「格差社会」などと批判しないことだ。

 自己責任、それが、自由主義経済の対価だからである。


 

 人生は、なかなか、格好良くは生きられないものだ。

 しかし、磨かれた不恰好であるならば、芸術にもなろ

う。

 勇気を持って、自分らしい生き方を探求するほかはな

い。

 

 一生懸命こそは地の利であり、そこに、人の和と、天

の時が注がれるのではないか。 

 

                  

立憲女王国・神聖九州やまとの国

梅士 Baishi

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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