鯉のぼり 島原城に たどり着き
馬糞 Bafun
旅の楽しみに、鯉のぼりを見る楽しみがあったが、今
年はあまり見かけなかった。
子供が減ったのか、鯉のぼりが減ったのか、空の彩が
少なかった。
今年の鯉のぼりは不漁だと思いながら、気まぐれに立
ち寄った島原城に大漁旗が上がっていた。
大物だ。
登城の鯉のぼりとは、天晴れなことである。
【司法改革の要諦】
日本の裁判制度には問題が多い。
もちろん、アメリカの司法制度にも訴訟社会といわれ
るほど、本末転倒の裁判が横行する問題があるようであ
る。
日本もアメリカも、イギリスに育った司法制度を承継
発展させるだけの文化が熟していないというべきなのか
もしれない。
司法制度改革も大きな課題である。
しかし、民間人の裁判参与を強制する裁判員制度が妥
当だとは思わない。
そんな教育もしていないのに、裁判に参加させるとい
うのでは、ますます裁判の遅延状況を悪化させるばかり
ではないのか。
遠回りでも、まずは、国民教育として、倫理道徳教育
を含めた司法教育を適正に実施するべきである。
今の教育制度では、司法教育どころか、倫理道徳教育
もまともにできる教員は希少であろう。
科目構成や教員採用制度にも、メスを入れなければな
らない。
さらには、裁判官の任官制度(司法試験制度や再任制
度)を全面的に改めるべきである。
一つは、大学の法学部教授などを試験委員にしてはな
らない。
そもそも社会経験、社会感覚の乏しい人たちであり、
しかも、愛国心に乏しい人たちによる社会主義的序列支
配体制で試験判定されたのでは、法解釈そのものが社会
的妥当性を見失ってしまうからである。
もう一つは、受験資格に社会経験や段階性を持ち込む
べきだということである。
司法試験が、科挙のようになっては、法解釈が権威主
義で硬直化してしまうからである。
十分な社会経験のない受検秀才に社会的妥当性の判断
ができるわけがない。
エリート意識や硬直な専門家意識で裁かれても、迷惑
なことである。
そこで、社会経験5年以上を受験資格に、司法職員採
用試験を経て、裁判官採用試験を行ってはいかがか。
同時に、防衛大学のような有給の司法大学制度を併用
してもよい。
さらには、簡易裁判制度の量的拡大や、法文の作り方
として、目的手段を明示してわかりやすく、かつ簡素化
する必要がある。
専門用語を駆使して「正確」を追求したところで、解
釈しだいで骨抜きにすることもできるのだ。
それよりも、目的、手段の合理性が素人にも判断でき
る程度にわかりやすく、簡素化したほうが、解釈の合理
性や妥当性を判断しやすいし、行動規範としても機能し
やすくなり、法の民主化にも沿うことにもなろう。
こうした、抜本的改革をしなければ、司法の信頼性を
得ることは難しいことである。
裁判自体が事件であっては困るのである。
以上、提言する。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi