坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

罪からの逃走

2008年03月16日 | 坊主の家計簿
 3月16日

 雑費  シャツ4        7960円
     タバコ          300円
 食類  芋焼酎&ケチャップ     44円
     焼きそば3         98円
     もやし           29円
     にら            98円
     きゅうり          35円

 合計              8564円
 3月累計           66436円

 仕事後、お買い物。
 『芋焼酎&ケチャップ 44円』っちゅうのは貰ったビール券を使ったので。

 「ああ、落ち着いて勉強出来ひんのぉ。。。」と、愚痴。なんだが、逆に「落ち着いてやる勉強ってなんじゃい?」と疑問に思う。毎日生きてると毎日様々な出来事があり、様々な事に心を揺さぶられる。それを無視してする勉強ってなんじゃい?と。
 社会生活を無視してする勉強ではなく、様々な社会生活の中から揺さぶられた事を通して仏教に学んで行く、のが、勉強ではないのかと。だから勉強がおもしろいのだろうし。おもしろくない勉強は、自分と切り離された学問なんだろうし。
 当然、学問も大事であり、学問を志す動機は日々の生活での動揺や疑問であったはずなんだろうが、それが何時の間にか『切り離された感覚』になる。するとおもしろくなくなる。おもしろくなくなったら、最初の動機を掘り下げてみるなり、あるいは、日常生活に立ち戻り、もう一度出発すればエエのだと思うが。

 しゃて、チベットが大変である。北京オリンピックを前にして絶好のタイミングである。まあ、その辺が政治やな。
 ダライ・ラマ14世が今回の中国側の鎮圧行動を「大虐殺」と批判したらしい。
 http://mainichi.jp/select/today/news/20080317k0000m030064000c.html
 そりゃそうだろう。
 ただ、まあ、なんだ。別に『オリンピック』が平和な行事だとは思わんし、平和でなければオリンピックが開催出来ないのなら、真っ先にアメリカを開催国から除去するべきだ。アメリカが『人権』なんぞを口に出して中国を批判するのもありだが、その『人権』という大義名分を使って大量虐殺をしてるのは何処の国やねん。
 
 ついでに書くが、『日本の前の戦争は侵略戦争ではなかった』という意見もあるが、侵略戦争でなかったから問題ではなかったのか?聖戦だから問題ではなかったのか?解放だから問題ではなかったのか?人殺しは人殺しでっせ。
 埼玉県知事であったと思うが「自衛隊は人殺しの練習をしている」というような発言があったと思うのだが、違うのか?一体何が問題なのだ?自衛隊は軍隊であり、軍隊である以上は人殺しの練習をしているのは当然の事である。軍隊というのは『人を守る=人を殺す』事である。自衛隊はいつから医者になったのだ?赤十字になったのだ?いや、なって貰いたいものだが、現実は医療品でなく武器を持った軍隊であり、軍隊である以上は人殺しの練習をしているのが自衛隊である。
 同じく死刑も人殺しである。
 聖戦だろうが、人権解放の為の行動だろうが、人殺しには違いない。だから人殺しの武器を持って行くのだろうが。言い換えで綺麗事に済ますのは逃げだろうが。
 その上で自衛隊員に対する偏見を問題視すればエエわけであってやな。人を殺した人に対する偏見を問題視すればエエわけであってやな。言い換えで綺麗事に済まそうとする事はおかしい。

 あ、チベット。っちゅうか、ダライ・ラマ。
 たまに話しているとダライ・ラマ14世が全仏教徒にとっての尊い存在であると勘違いしてはる人がいるが、それは違う。チベット仏教は、まあ、色々な宗派があるみたいだが、真宗とは関係ないし。仏教の歴史が違う。
 当然の事ながら、世界にも日本にも仏教の最高指導者などいない。居たとしてもそれはそれぞれの宗派内だけの話。
 だから、私にとってダライ・ラマ14世とは、その辺の門徒のオッさん、オバはんと何ら変わりない。当然、私とも全く変わりない存在にしか過ぎない。
 え?「ダライ・ラマ14世とお前を比べるな?」ってか?じゃあ、差別するな。同じ仏教徒を差別するな。その『眼』をまず疑え。

  無戒名字の比丘なれど
  末法濁世の世となりて
  舎利弗目連にひとしくて
  供養恭敬をすすめしむ
  (親鸞)

 『無戒名字の比丘』まあ、『門徒』でんな、『門徒』だって、釈尊の高弟だった舎利弗や目連に『ひとしい』っちゅうのは、やっぱりすんごいなぁ。。。そりゃ、批難の大嵐でっせ。

 当然、私はダライ・ラマとも、ローマ法王とも、マザーテレサとも、高遠菜穂子氏とも、ブッシュ大統領とも、一自衛隊員とも、中国のお偉いさんとも、死刑囚の人達とも、全く同じ人権を有している。
 まあ、『人権』の本来の語意はよう解らんが、人間の作り出した『価値観』という偏見を無視すれば誰だって同じ人間やろうが。『品格』なんぞ偏見の戯言じゃ。
 
 当然、今回のチベットで殺された人とも同じ人間である。
 中国が何を説明しようが、何を言い訳しようが、どんな大義名分を立てようが、人殺しには変わりない。

 おまけ。
 煩悩が当たり前になると当然の如く、『煩悩』ではなくなる。当たり前になる。
 人殺しが当たり前になると、人殺しは人殺しでなくなる。
 ちょうど、毎日食べている命あるものを『食類』と言い換える事によって罪から逃げる様に。
 生き物に価値等ない。人間が作り出した価値等ない。価値がなくとも存在しているわけであって、故に尊い。価値があるから尊いのではなく、価値がないから尊い。
 価値を見出せなかったから『尊い』と。
 煩悩のマンマで、煩悩を肯定しただけで、エゴを肯定しただけでは自分から逃げてるだけ。罪がなければ、煩悩はない。そんな所に『罪悪深重』等という言葉はない。

『赤だれ焼肉 小倉優子』

2008年03月15日 | 坊主の家計簿
 3月15日

 外食  イカ天蕎麦        295円
 食類  野菜ジュース6      948円
     うどん玉3         98円
     法蓮草           78円
     納豆            68円
     タマゴ          198円
     山芋           113円
     うどんスープ        69円
     豚肉           218円
 
 合計              2085円
 3月累計           57872円

 夕寝して起きたら24時30分だったのよねぇ。。。
 ついでに微妙に禁煙中。ただ単に「夕寝して起きたら買お」と思てたんだが、とっくに自販機時間は過ぎてるし、コンビニまで行くのは面倒やし。
 と云う事で、昨日の深夜より只今24時間ぐらい禁煙中です。
 ですが、タバコを辞めるつもりはないので、きっと明日の仕事が終わったらタバコを買っている事でしょう。

 藤原正彦『国家の品格』を読み終える。
 この本は検索した所によると260万部を突破しているらしい。ミリオンセラーの話題作でんな。
 けど、まあ、なんで260万部も売れたのかが全く解らない。思想の違い以前に『本』としてどうなのだ?この本は。
 現在、古本屋に売ってますし、2時間あれば余裕で読めます。多少ムカムカ来ますが、それ程大した事もないです。なんせ2時間で読めるような本ですし。
 さらっと読めて、「お!日本って凄いじゃん」って思えて、自信回復出来て、260万部。そんな所かな?
 本の内容がきっと世間に与えるインパクトは、ほぼなし。ネーミングですね、ネーミング。
 多分、本を読まない方が、本からのインパクトは大きいと思います。

生きるのは面倒

2008年03月14日 | 坊主の家計簿
 3月14日

 雑費  タバコ       300円
     蕎麦屋      3200円
     ドグラマグラ   1500円
 食類  豆腐        120円
     白身&のり弁    430円

 合計           5550円
 3月累計        55787円
 
 所用で外出。会合後に蕎麦屋で酒→毎度のドグラマグラへ。
 
 行き帰りの電車内で読んでた本にムカツク。本のちゃんとしか感想は後日。
 本を読んだり、今日感じた諸々。

 飲み屋マスター時代にも私は当然外見で人を判断してた。&『勘』もあるのだが、まあ、経験でんな。
 例えばヒップホップ系のファッションをした黒人兄ちゃんが来る。客商売なので当然、その人が好きそうな音楽を流す。私はヒップホップは苦手なので、まあ、ファンク系、例えばパーラメントとかトラブル・ファンクなんぞを流す。するとだいたい喜んでくれるし、そこから会話が始まったりする。そういうテクニック。しかし、その客が私の憶測と違って、「俺、ファンクとかって好きちゃうねん。演歌が好きやねん。『釜山港へ帰れ』とかないん?」とか云われた時にゃ。。。
 だから人間関係はおもしろい。演歌が好きな黒人がいて、演歌がキライな日本人もいる。それぞれがそれぞれに『勝手に決めつけている』のだが、でも、現実は違う。ここで現実を無視して相手に押し付けてもしゃーない。
 「お前は黒人やねんからファンクを聴け!」
 「お前は日本人やねんから演歌を聴け!」
 って、それぞれじゃん。それぞれが人種だろうが国籍だろうがなんだろうが関係なく、好きな音楽を聴いてりゃエエのやし。
 一人一人が違うから偏見を越えて出会わなければならない。だって、『その人』やし。
 日本文化よりも欧米文化や、インド文化等に関心がある日本人が居たとしても、その人は事実『日本人』である。
 『男らしくない男』でも男であり、女でも同じ。
 きっと、何かしらの偏見でしか物事を見れないのだろうし。その偏見を固定化してもしゃーない話でっせ。

 一人一人の個人。非常にめんどくさい。男なら男、女なら女、日本人なら日本人として偏見からのジャンル分けで判断していた方が楽。
 私なら『日本男児』らしくでんな。そうやって、偏見に自分を合わせる。偏見から自分を裁く。それって、苦しくないっすか?
 「ああ、俺はなんて日本男児らしくないのだろうか。。。」
 が、まあ、別に何でもエエのだが。『坊主らしくない』でも『仏教徒らしくない』でもなんでも。

 生きるのは面倒なのだ。簡単なわけがない。だからおもしろい。

老化の廊下

2008年03月13日 | 坊主の家計簿
 3月13日

 諸々  昼飯         779円
     散髪        2000円
     スーパー銭湯     600円
     回数券       3700円
     居酒屋       4426円

 合計           11505円
 3月累計         50237円

 所用で外出。居酒屋へ。
 春である。春だから、春らしい食べ物の天ぷらを。。。
 ぬらぬら。。。せっかくスーパー銭湯に入ったのに、スチームサウナ三昧したのにぬらぬら。。。顔が油油油。
 ついでに胃がもたれる。。。たかが天ぷらごときで。あ、軟骨から揚げも食べたけどやな。。。
 
 老化やな。
 
 先日、ある先輩と話してたら先輩は『四十肩』らしい。肩が上がらなくて、という以前に慢性的に痛い、辛いらしい。
 個人差はあるかも知れないけど、私も老化の廊下を歩いているのだ。。。と、胃もたれで改めて思う。

爆睡

2008年03月12日 | 坊主の家計簿
 3月12日

 外食  かき揚げ蕎麦       295円
 雑費  送料           120円
     タバコ2(昨日)     600円
 食類  オニオンサラダ      100円
     からし菜         100円
     発泡酒          188円
     ハンバーグ        158円
     マグロ刺身        298円
     白飯           100円
     焼肉           229円
     ゴーヤ土佐煮       100円
     平天            49円

 合計              2337円
 3月累計           38732円

 13日がお休み。なので、夕寝から爆睡でっせ。「1時間半だけ寝よ」が、すっかり朝。アラーム音なんて気がつかないぐらいに。
 現在、13日の昼。
 お休みなのでスーパー銭湯に行って来ます。今日一日の目標。「体調をなんとかせえ。彼岸法要までになんとかせえ」
 と、云う事で。

いいわけ

2008年03月11日 | 坊主の家計簿
 3月11日

 雑費  布テープ        105円
     靴中敷         105円
     タクシー       6050円
 外食  キツネうどん      240円
 飲み代 坊主バー       1600円
     ドグラマグラ     2000円

 合計            10100円
 3月累計          36395円

 所用で坊主バーへ。続いての用事でドグラマグラへ。
 ドグラマグラに到着したのは23時30分近く。しかも、坊主バーから大量の荷物を抱えてやって来た。。。重い。。。よって、終電断念。クソ重い荷物を持って駅まで行く根性が萎えてもうてやなぁ。。。っちゅうか、用件だけ済まして帰るのも義理に欠けてるし。
 って、いいわけなんだが(笑)

思いの外

2008年03月10日 | 坊主の家計簿
 3月10日

 雑費 ミルクティー      120円 
    スーパー銭湯      600円
    発泡酒2        220円
 外食 カキフライ定食     700円
 食類 豆腐(昨日)      120円

 合計            1760円
 3月累計         26295円

 どう考えても体調が悪く、行きたかった講義を欠席。
 なんか、高濃度酸素室とかいうんやったっけ?そんな所で点滴だけで10日間ぐらい効く睡眠薬で眠り続けたいのぉ。。。起きてたらなんじゃかんじゃで「あ、あれしとかな」とか、「あれはどうしよかなぁ。。。」とかストレス、ストレスでっせ。元々考えるのが好きな子やったし、起きてるだけで疲れるわ。
 とは云え、10日間も休めるわけもなく、次の休みが13日やから、もうちょっと頑張ろ。明日はヤボ用で外出やけど、明後日は温泉マッサージやな。

 で、大変である。なんと蒼井優ちゃん初主演のテレビドラマが四月から放映されるらしい。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080226-00000003-maiall-ent
 何やら毎週火曜日午後10時からの放送らしく、午後10時からは報道ステーションを見る習慣がついているので、今期のドラマもほぼ見てない。。。紹介するだけ紹介して見てない。。。すいません。。。こういうヤツなんです。私。
 だが、ここは蒼井優ちゃんである。「貴様は河野明子よりも蒼井優の方がエエのか!」って当たり前やし。しかも『主演』である。テレビドラマ初主演である。これは録画しなければならない。連続テレビドラマを録画するのは小西真奈美タン初主演ドラマ以来である。

 あ!またまた大変である。
 なんと、真奈美タンが歌手としてデビューするのだ。
 http://www.fujikikazue.com/
 何やら、映画でのキャラついでにCDを出すらしい。歌はどうでもエエのだが、真奈美タンなのでちょっと応援したくなるが、やはり歌はどうでもエエのぉ。。。

 で、またまた大変である。
 宇都宮まきちゃんがNHKにレギュラー番組を持つ事になった!
 http://www.sponichi.co.jp/osaka/ente/200803/07/ente208276.html
 毎週木・金16時50分からはNHKを見なければならない。
 また、まきちゃんはグラビアがまたまた週刊プレイボーイ3月17日発売の分に載るらしい。

 この場合の「大変だ!」とは「ビックリした!」という意味なので、『ビックリ=思いの外』
 『思い』の『外』でっせ、変な人も(笑)
 『思い』の『外』やから『変な人』やねんやろうが。
 『思い』の『外』やから死は大変。
 
 そんな小さな『思い』で生きている。
 
 ああ、体調わり~。。。予定では講義→ドグラマグラやったのに。。。

変の品格

2008年03月09日 | 坊主の家計簿
 3月9日

 雑費  ミルクティー       120円
     100円ショップ16  1680円
     古本2          700円
 食類  ラップ            1円
     焼きそば         138円
     うすあげ           1円
     乾燥めかぶ        198円
     豚肉           344円
     キムチ          248円
     水菜           128円
     うどん玉          18円
 
 合計              3576円
 3月累計           24535円

 古本2冊は
 鈴木邦男『公安警察の手口』
 藤原正彦『国家の品格』

 今日は法事。
 法事っちゅうのは何やら「前にやるのはエエけど、遅れたらアカン」と云われているみたいだ。
 当然、そんな事を学校で習った事はない。仏教の歴史で、まあ、例えば『仏説法事遅れたらアカン経』などはない(はず)。
 ただ、恩師より『歴史文化ライブラリー70 葬式と檀家 圭室文雄著 吉川弘文館』という本を紹介して頂いた。検索したらアマゾン古本でも売っていたので注文したのだが、まだ読んでない。さっき注文したばかりだし。
 江戸期は初期からキリスト教が禁制となった。だから寺請制度(檀家制度)が出来た。寺請制度によって人々はどこかの宗派の寺に属する。
 法事を「遅れたらアカン」と云う事を私はなんとなく『世間の眼』と説明していたのだが、その『世間の眼』に背く事がイコール裁かれる危険性があった。この事についてはまた別の日に。

 世間の眼。
 日本には『特高警察』があった。国家に反対する思想の持ち主は江戸期のキリスト教、日蓮宗不受不施派と同様に裁かれた。
 今でも公安がいる。そういう状況下での『世間の眼』

 『母べえ』という映画がやっているらしい。これもまだ観てない。
 けど、何ならラジオで聞いた映画紹介では『戦争』を『聖戦』と云わなければならない時代の物語だったらしい。『母べえ』の『父べえ』は『聖戦』と認めなかったが故にパクられたらしい。

 御近所さんがそういう事でパクられる。捕まる。
 まあ、あんまり捕まりたくはないわな。

 『世間の眼』と『自分の眼』
 世間で云われる事は多々ある。けど、それと自分が感じた事とは別だと思うのだが。
 自分が感じた事と、世間とが違っていても問題ない。
 
 世間。今なら巨大メディアが最たるものなのだろう。当然、それだけではないのだが。

 昨夜、宗教について諸々話してた。
 「寺は風景であった」とはあるオウム信者の人が語った言葉だと記憶しているが、伝統仏教とオウム等の『カルト宗教』と呼ばれる宗教団体を同じ『眼』で見てくれているのだろうか?
 なんとなく『伝統宗教』と『カルト宗教』は『別物』扱いされている気がしてならないのだが。
 宗教とは元来異教徒からすると変なものである。きっと『なんとなく』だが、多くの世間の眼は『カルト宗教』にだけ『変』な意識をおぼえ、伝統宗教には『変』を感じない事の方が多い気がするのだが。

 「え~。。。宗教?そんなのに興味ないよ」
 と云う人でも、まあ、親族の葬儀が仏式であったら参加する。あれは立派な宗教儀式であるのだが。
 寺請制度(檀家制度)によって、伝統宗教は『変』を無くしてしまったのかな?『変』を無くしてしまって『世間』になったのかな?

 なんか、体調悪いし、いつもに増して何を書いているのかよう解らんようになったのぉ。。。

 品格。ある特定の思想があるから、その中での品格。
 世間での品格は多種多様。のはず。
 世間の眼に背いたからといって、気にしない人は全く気にしない。その幻想を共有する人達の中でしか通用しないのだから。
 
 「天皇」といったら、戦時中は問題になったかも知れないが、今は問題ない。
 ただ、「天皇と呼び捨てにするとは何事ぞ。天皇陛下と呼べ」と云う人もいれば、その逆に「天皇陛下と呼ぶとは何事ぞ、天皇と呼べ」という人も居るだけの話である。

 念仏申したら極楽に往ける教えもあれば、念仏申したら地獄に堕ちる教えもある。
 変なもんでっせ(笑)

 「あれ?俺っておかしいのかな?」って、みんな『変』やねん。本来は。
 個性があり、一人一人が違うわけやし。
 別に『精神障害者』だけが変なわけがなく、『健常者』も変。
 『カルト宗教』だけが変なわけでなく、『伝統宗教』も変。

 「(こそこそ)あの人って変よね」
 って、云う人も変でっせ。

 「個性ですか!個性があればなんでも出来る。1!2!3!ダー!!!」
 寝よ。

天ぷらの品格

2008年03月08日 | 坊主の家計簿
 3月8日

 外食  ラーメン半チャンセット    850円
 食類  フィッシュバーガー      108円
 雑費  交通費            320円

 合計                1278円
 3月累計             20959円

 御仕事バタバタ。昼の部最終地点は遠方。昨夜、晩飯を喰わなかったので腹が減りまくる。一応『朝食』として『玄米ブラン』という、まあ、お菓子みたいなもんは食べたのだが、腹が減って、腹が減って仕方がない。
 ので、帰り道上にあったラーメン屋へ。
 一応、有名店。京都に本店があり、京都本店でも食べた事があり、「そこまで騒ぐ程でもないのぉ。。。」なんだが、まあ、経済力とか諸々の関係でマスコミに持てはやされている店。
 ちなみに『読者1000人が選ぶラーメンベスト10」とかって、アンケート設定自体が怪しい。その1000人が全てのラーメン屋を食べ歩いているわけがなく、当然有名店に票が集まるわな。。。
 あ、そのラーメン屋で腹が減っていたので『ラーメン焼き飯セット』を注文する。
 出て来たラーメンを食べる。塩辛い。。。無茶苦茶塩辛い。ついでに焼き飯も塩辛い。。。塩辛い焼き飯と塩辛いラーメンで「これって高血圧の人は倒れるのと違うか?」という気分。っちゅうか、高血圧の人がラーメンを喰わんか。

 夕方の部の仕事を終えて所用もあったので所属寺の『仏青みたいなもん』へ。到着したら21時前。23時過ぎまで居て帰る。
 帰り道の終電。吊り革を掴みつつ、車内の広告を見る。
 『処女アイドル「ピンクの先っぽ」ポロリ画像』
 ふむふむ。ナカナカ男のスケベ心を掴むエエ見出しやのぉ。

 『処女アイドル「ピンクの先っぽ」ポロリ画像』
 女性解放運動家が見たら激怒しそうな言葉。
 以前にこの言葉を見た時には私が座った隣に「おっちゃんは君みたいな娘が欲しい。。。」というかわゆい女子中学生が座ってた。だから、『処女アイドル「ピンクの先っぽ」ポロリ画像』というのがやたらと気になって、「貴様!うちの娘になんという破廉恥な言葉を見せつけやがるのだ!公共の場で『処女アイドル「ピンクの先っぽ」ポロリ画像』とは何事ぞ!」と、若干怒る。
 なんだが、私の中の変態スケベ心は隣に居てるのが女子中学生だったので、「へっへっへっへ。。。」でもある。
 女子中学生が、あるいは、他の人達がどういう気持ちでこの『処女アイドル「ピンクの先っぽ」ポロリ画像』を読んでいたのかは解らない。

 とんちで有名な一休さんの話でこういうのがある。当然、作り話なんだろうが。
 みすぼらしい法衣を着て行ったら追い返されて、立派な法衣を着て行ったら丁重に扱われた。とんち一休さんは、自分の席に法衣を置いた。「あなた達が丁重に扱うのはこの法衣でしょ?」と。

 人はそれぞれの価値観でしか判断出来ないと思う。

 20年程の言葉だっただろうか?『天ぷら』という言葉が『中身が空っぽ』という意味で使われていたと記憶している。『中身がない』というのを、まあ、悪口で。
 んじゃ、『中身がある』って何だろうか?それは何と対比しての『中身がある』なんだろうか?

 私は私として生きているので、当然『中身がある』と思っている。
 「いやいや、私にはとても中身なんぞありません」という人もそれが『中身』だと思っているのだろうし。

 今里哲(http://www55.tok2.com/home/tetsu/)という在日のシャンソン歌手がいる。
 同性愛者。故に今里哲は「おばけ」と云われたらしい。
 違いを認めてくれないが故に。

 中身。ある特定の価値観。
 特定の価値観での品格。
 中身のある人と、ない人との差別と偏見。
 中身がある、自信がある、が故に見下してしまっている。

 

品格差是正反対法案

2008年03月07日 | 坊主の家計簿
 3月7日

 食類  唐揚げ弁当(昨日)    525円
     白身フライ(昨日)     60円
     無添加ワイン       438円
 雑費  タバコ(昨日)      300円
     タバコ2         600円

 合計              1923円
 3月累計           19681円

 無添加ワインは『食類』なのだろうか。。。酒は食類なのだろうか。。。娯楽なのだろうか。。。雑費なのだろうか。。。
 まあ、エエわ。別にたいした問題ではない。

 今日は御仕事終わって夕寝するタイミングを逸したので無添加ワイン。いや、普段夕寝してるので、夕寝せえへんと睡眠時間の関係で頭が変に興奮してやなぁ。。。それを押さえるにはダウン系の酒、つまり日本酒とかワインとかが宜しおまんねんで。
 何?「相変わらず変な生活しとるのぉ。。。」やと、やかましいボケ。

 品格の差。
 について書こうと思てたのに。。。昨日、「よっしゃ、これからはブログのタイトルを先に決めてからブログを書くぜ!」と寝る前に誓ったのに。。無添加ワインは脳味噌直撃やのぉ。。。

 決められた人生を決められたマンマで生きて行ける人は品格が高いのだろう。
 「こういう風にしなさい」と誰かから云われた事、例えば幼児期に親からだったり、或いは大人になっても周囲から。世間的な価値観での品格。
 当然、これは複雑である。例えばロック社会では品格が高くても、世間的価値観では品格が低い事も多々ある。というか、そのまんまだと思うのだが。。。日本では山口富士夫、遠藤ミチロウ。。。う~ん。。。どうしようもないのぉ。。。
 そういう複雑な世間的価値観での品格。固定観念。
 当然、差が出る。
 ミチロウは天才だが、誰もが天才であるわけもなく、多くはミチロウに憧れつつも、ミチロウになんかなれるわけがない。なれるわけがないのだが、ではロックを辞めるというのとは話が別だ。ミチロウだって、富士夫だって、商業バリバリのメジャーロックシーンではマイナーだろうし。2人ともソロで小さなライヴハウスにでも行くし。そりゃ、ロックが好きなんだろう。ロッケンロールに出会った人が辞めれるわけがない。「転がる石に苔は付かない」が止まるわけがない。だから辞めない。辞めれない。
 
 んじゃ、人は?世間で生きてる人は?
 格差はある。何かの尺度でもって。でも、本当はそんな尺度なんてありゃしない。尺度がないにも関わらず当たり前の如く比較してしまう。比較して「どうせ俺は。。。」になる。

 品格とは当然人工的なもの。それぞれの価値判断。それぞれの社会での幻想にしか過ぎない。
 格差。経済格差。貧困は問題だし、搾取は地獄への道。
 でもやな、一体誰が経済格差で下の人間が不幸と決めつける事が出来るねん。
 同じく、『人間の品格』でも。誰が一体、何の権利でもって人を決めつける事が出来るねん。
 
 品格。違う言い方では『らしい』。『人間らしい生活』。

 親「○○ちゃん、見てごらん。あの人って不幸でしょ」

 本人が告発するのでなく、周囲から「あなたは不幸だ」とか、「あなたは人間らしくない」とか誰が決めつけるねん。それは一体何の権利があって、誰の許しがあって決めつけてるねん。少なくとも俺は許してないぞ。
 そういう人間を私は「品格のない人間」と云う。と、『思う』のが大きな間違い。それは「やられたらやりかえせ」の論理である。新たな差別の再生産である。

 例えば私は世間的でいう上品な人達、例えばPTAの人達が苦手である。夜回り先生とか、高遠菜穂子が好きな人達が非常に苦手で下品で下品で仕方がないと思ってしまうわけだが、それは所詮『私の思い』でしか過ぎない。私は私の思いでもって人を裁いているわけであって、それは私が苦手な人達と同じである。
 同じなのだ。全く変わらずに同じである。私に世間的権力がないから目立っての排除が出来ないだけの話であって、私は排除しているわけだし。私には私の品格があり、それでもって人を排除して、同時に私の中の品格の差をつけている。同じなのだ。
 
 だから、私はおかしい。
 品格は『品定め』である。価格である。品格の高い者は高価であり、品格の低い者は安価である。
 私は私の価値観の中でより高価な者になろうとしている。より高価な『品』になろうとしている。そうしてその場その場で一喜一憂している。
 それは愚かである。
 品格と関係なく、いや、『品格』という言葉が示している通りに、それぞれが関係して存在している。故にそれぞれの価値判断でもっての『品格』である。『品格』の前提に『存在』があるのだ。
 ただ、『存在』だけでは差別化が出来ない。『個』が証らかにならない、と思い込んでいる。だから、『個』を品格に求める。
 『存在』に求めるのではなく。

 『存在』といっても固定化された存在などない。変化する存在。生まれて死ぬ存在。

 品格のある死は英霊。

謝罪の品格

2008年03月06日 | 坊主の家計簿
 3月6日

 雑費  エスカップ12      628円
     歯磨き粉         298円
 食類  ふりかけ2        216円

 合計              1142円
 3月累計           17758円

 仕事以外のスケジュールを携帯電話に登録しているのだが、登録すると待ち受け画面にもなっているカレンダーに赤丸が付く。
 今月、多いのぉ。。。

 『忙しい』の『忙』とは『心を亡くす』という漢字である。当然、あくまでも漢字での表現方法。けど、結構、この漢字の意味が好きだったりする。

 只今真宗大谷派教団では『御遠忌テーマソング並びにイメージソングの歌詞』を募集しているみたい。
 http://www.higashihonganji.jp/event/index_W05.html
 最優秀賞で30万。
 フラワーカンパニーって金の無さそうなバンドやな(笑)
 名曲『東京タワー』(http://listen.jp/store/artword_1000753_31841.htm)で応募せえへんかな。。。誰かバンドのメンバー知ってたら知らせといて。あ、ただ、東本願寺(真宗本廟)は京都なので曲のタイトルは『京都タワー』の方がエエかな(笑)
 
 「今、いのちがあなたを生きている」というのが宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌のテーマ。

 
  あたかも牢獄を逃れるごとく
  人はみな自己の前を逃れんとすれども
  世に一つの大いなる奇跡あり
  我は感ず 『いのちみな生きらるべし』
  (リルケ)


 なんかこの言葉を連想してしまう。
 『いのち』=『我』→アートマンではなく、無量寿の方。アートマン否定の阿弥陀の方。
 『普共諸衆生 往生安楽国』の方。
 あ、明日葬儀やった。早よ寝な。

 この前に飲み屋で
 「あなたは仕事と私とどっちが大事なの?」
 と云う事について話してた。
 当然、比べる尺度が違う。『仕事』と『恋愛』の問題は違う。金がなくては生活出来んし、余程何の仕事でも出来る恵まれた環境の人ならとにかく、私も含めた多くの人は今の仕事が大切。「じゃあ、仕事の量を減らしてお前とゆっくり過ごすか。」と云える環境の人は少ないと思う。ありついた仕事を大切にして精一杯頑張る。生活する為に。
 だから、その時の話でも「そりゃ、仕事」なんだし、私も聞かれたら当然「仕事」と答えるだろう。っちゅうか、それ以前に「このバカ女が!」とキレる事必須だろうが。
 とはいえ、どっか引っかかる。それはその『恋愛関係』という一つの人間関係を問う言葉だからだろうし。きっと『忙しい』という事を問う言葉なんだろうし。

 遠藤周作の『海と毒薬』が久しぶりに読みたくなった。
 本の内容とは少し違ってくるのだろうが、本気で謝れる事が出来るのだろうか?その人自身を生涯突き動かすような謝罪。人間ってそんな風に出来ているのだろうか?
 『本気で謝れない事を悲しく思う。』

 遠藤周作の『海と毒薬』の主人公の医者を遠藤周作は他の作品でも使っている。確か、新宿とかで刺されたヤクザを治療したり、闇で堕胎するとか。そんな役回りだった。
 遠藤周作は犬もよく使う。そういう風景を眺めている犬の目。

【「この世にはなぁ、弱か者と強か者のござります。強か者はどげん責苦にもめげず、ハライソに参れましょうが、俺のように生まれつき弱か者は踏絵ば踏めよと役人の責苦を受ければ・・・・・」
  <中略>
 (踏むがいい。お前の足は今、痛いだろう。今日まで私の顔を踏んだ人間たちと同じように痛むだろう。だがその足の痛みだけでもう充分だ。私はお前たちのその痛さと苦しみをわかちあう。そのために私はいるのだから)】(遠藤周作『沈黙』より)

 踏絵を踏んだ事に対して抵抗感がある人は弱くないと思う。強い人だと思う。踏んだ事が問題に出来るのだから。
 でも、それすらも問題に出来ない私を簡単に見つける事が出来る。
 余裕がない。忙しい。「だって仕方がない」「あれはあいつが悪い」等々。
 自己正当化のまんま。自己肯定『だけ』。エゴ肯定『だけ』。

 「ごめんなさい」と口だけ。本気で謝れる事なく、口先だけ。
 
 口先だけでも言える。
 「口先だけやな」と否定するのでなく、「口先だけ」では言える。
 本気にならなくとも口先だけでは謝罪出来る。
 口先だけでも謝罪した事は周囲から問われる。

 
 第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
   2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 (日本国憲法より)

人間を返せ

2008年03月05日 | 坊主の家計簿
 3月5日

 諸々  豆腐料理       6580円
     プカプカ       3300円

 合計             9880円
 3月累計          16616円

 所用で外出。

 日清が大阪から出て行くらしい。。。本社が東京に移転しやがるらしい。。。
 東京の一極集中。ああ、大阪が。。。
 なんだが、大阪はラテンなのだ。イタリーでっせ、イタリー。なんかよう解らんけど。
 昔は『上方』と呼ばれて経済の中心地。でも、今や。。。って、別に経済の中心地でなくても『お笑いの中心地』である事は変わらんと思うのだが。
 東京に抜かれ、名古屋に抜かれ、その他諸々の県に抜かれても、お笑いだけはダントツでっせ。
 まあ、お笑いすら他所の都道府県に抜かれると腹が立つが。。。それは不可能であろう、基本の育ちが違うし。お笑いエリート教育の大阪を舐めたらあきまへんで。学校教育のエリートはボロカスかも知らんが『お笑い』だけは負けまへんで。

 って、まあ、負けてもエエのだが。

 最近、非常に気になるキーワードで『品格』というのがある。
 女性の品格しかり、横綱の品格しかり。
 『品格』ってなんでんねん。誰が何の幻想でもって、夢見てる事を現実に照らし出してまんねん。夢を現実に勝手にするなよな。
 って、そんなもんに惑わされるのもアカンのだが。。。
 
 テレビの向こうの豊かな生活。マイホームがあり~の、マイカーがあり~の。
 「わはははは!これは父さん、一本取られたな」のリビングでのアットホーム。

 ♪起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し

 餓えたるもの。
 餓えたるものが幻想を見ててもしゃーない。起て、餓えから立ち上がれ。
 けど、餓えと貧乏はちゃいまっせ。
 マイカーがなく、マイホームもなく、好きなモノも買えないのが何が悪い。『悪い』と云うのが資本主義、経済中心。の夢。

 現実。生きなければならない。生きる為にはメシを喰わねばならない。メシを喰えない人に『夢』を見させるのは罪である。
 だが、そこそこの生活をしている人に、「あなたは平均年収以下ですよ」っちゅう圧力の夢もアカンやろ。

 搾取。
 労働者から搾取する。搾取して何をしたいのだろうか?何の為に搾取したいのだろうか?搾取して『思い通り』に生きる、経済的に豊かになる事が、『豊か』なのだろうか?何時までも『夢』を追いかけ、周囲を踏みにじり生きて行く事が『豊か』なのだろうか?
 「あなたは明日から解雇します。」
 解雇する人と解雇された人。
 解雇する側の会社の株主、御偉いさん。銀座や新地で飲むのだろう。座って5万で飲むのだろう。
 「ははははは。君も仕事に慣れて来たみたいだね」とシャンパンパンパン。
 帰り道のリムジン。街の風景。路上生活者。

 死だけは誰にでも平等にやって来る。天皇だって死ぬ。医療格差はあれども死ぬ。ビルゲイツも死ぬ。路上生活者も死ぬ。
 『思い』を尽くして死ぬ人と、思い通りに生きれなくて死ぬ人。
 いや、満足して死ぬ人などきっといやしない。

 死ぬ間際に人はどんな夢を観るのだろうか?
 踏みにじった人の事を思い出して死んでいけるのだろうか?
 罪を感じて死んで行けるのだろうか?
 自分の人生を、周囲の環境と共に生きていた現実を見つめる事が出来て死んで行けるのだろうか?
 「オレはアイツよりもマシな人生を送れた」と変わらず比較して自分を引き受ける事無く死んでいくのだろうか?
 「私の人生は成功した人生であった」と、変わらず周囲を踏みにじりの対象として死んで行くのだろうか?

 地獄はない。裁く人もいない。
 裁かれる事もない。
 誰もいない。
 人がいない。
 孤独な死。
 人工的な環境の自然の死。
 バーチャルな夢。

 『品格』。
 人工的な品格。人工的だから品格。
 迷いの素。

 

坊主BAR閉店

2008年03月04日 | 坊主の家計簿
 3月5日

 食類  揚げボール       88円
     豆腐          69円
     焼き飯        138円
     キムチ2        98円

 合計             393円
 3月累計          6736円

 仕事が終わって公文筆ペンテキストの残りをやって公文へ。
 今日は休みだったのね。。。明日だったのね。。。残り1枚だけだったんやけど、最近の課題は大変なのだ。。。

 しゃて、坊主BAR(VOWS BAR)閉店である。一応3月28日までらしい。但し、その間も毎日開いてるのかどうか知らん。
 一昨年の年末にも閉店するか移転するのかの話があり、また、昨年末にも閉店の話があり、で、今回は本決まりらしい。まあ、責任感&人情クソ暑い代表が無理してしばらく頑張ったのだろう。
 やり始めたのが24歳だったはずだから、15年か。よう続いたもんや。ダイスケ、サンクス!
 
 ハ!実名出してもうたやんけ(笑)
 坊主BARは当初ダイスケと2人で始めた。お水は2年のブランクがあったので1人でやる自信がなかったのだ。ダイスケが当時バイトしている店に行って直接引き抜いたわけやね。
 ダイスケは器用やし、某劇団の裏方(役者もやってたが)やし、人脈も凄いし。だから、坊主BARが開店出来たのは、ほぼダイスケの御陰なのだ。
 店は開店当初から軌道に乗った。私が以前にやっていた店(聖カミソリ)のお客さんも来て呉れたし、ダイスケ目当てのお客さんも沢山来て呉れたし。笑い話みたいな事なのだが、当然、最初は『坊主BAR』といっても「なんやそれ?」だったので、坊主が居てる時間は坊主(業界用語で客ゼロ)でも、深夜のダイスケタイムになると客が満杯とか。それでも、坊主には『御布施』を払う契約だったので毎月結構な金額が売り上げから消えて行く。まあ、正直『坊主BAR』でなかった方が儲かっていたのだが(笑)2人で『余里径倶楽部』という名前でやってた方が、坊主経費がかからんだけ純利益があったから絶対に儲けれたで(笑)

 坊主BARは最初に『Lマガジン』に紹介して貰った。これもダイスケのコネ。ダイスケの友人のライターにお店紹介をして貰って、『Lマガジン』に掲載。
 それを読んだらしい朝日新聞の記者が朝日新聞に紹介。こっちは『お店紹介』ではない。朝日新聞が飲み屋の紹介なんぞ多分せえへんと思うし。夕刊でなく朝刊やったし。
 当時私は店の2階に寝泊まりしてたのだが、朝から電話が煩い。取っても取っても次から次へと取材申し込みの電話があって、最終的には電話のコードを外したくらいに。こっちは朝まで飲んで夜から働いてるねんぞ。朝って、こっちにとったら深夜や、っちゅうねん。
 坊主BARの代表は私の現所属寺の住職(当時は副住職)。寺の方にも電話がジャンジャン鳴って大変だったらしい。

 ダイスケは諸々の理由で途中で抜けるが、御陰で前からのお客さんと、坊主BARになってからのお客さんとで店は順調にまわる。私は2年で辞めたが。まあ、出戻りで後2年間だけやったが。私にとっての青春の一場面であった坊主BARは終了。

 今でもよく憶えているのだが、これは所属寺、つまり坊主BARの代表の寺にお菓子と一緒に手紙が送られて来た。古くからの門徒さん、何処かの門徒さんらしい。
 「よくぞ作って呉れました」
 と。その言葉って大切。

 作った当初から云ってるのだが、坊主BARは寺に戻るべき。寺の敷居が高くなければ坊主BARなんぞ出来なかった。敷居が高いからこそ、坊主BARが出来た。これはこれからの私の課題。

 今の専修学院院長はやたらと竹中先生の『無三宝処への往生』を読め!と云う。
 真宗同朋会運動は旧来の門徒組織の固定だけではなかったと思う。それだけなら釈尊の梵天勧請などあり得ない。初転法輪などあり得ない。法輪は廻り続けるが故に『法輪』である。
 そういう意味合いでは『坊主BAR』は同朋会運動、仏教の一側面でもあった。

エリート人道主義の雛壇

2008年03月03日 | 坊主の家計簿
 3月3日

 先に2月〆

 一般会計         121015円
 奨学金カンパ        10000円
 電気代(1月分)       4400円
 ガス代(2月分)       3542円
 水道代(2ヶ月分)      5531円
 国民健康保険        26800円
 医療保険           4740円
 家賃            32430円
 タクシー           5950円
 ネット代           5279円
 携帯電話           2789円
 ユニクロ          32910円
 足袋             1821円
 ネットオークション      2948円
 アマゾン           1340円

 合計           261495円
 これに一括払いの年金の月割り13804円を仮にプラスするなら
              275299円

 
 3月3日

 外食  中華そば         304円
 食類  もやし           29円
     チーズ          178円
     鶏肉           124円
     充実野菜6       1068円
     豆腐           138円
     菜の花           98円
     アクティブダイエット8  760円

 合計              2699円
 3月累計            6343円

 純粋家計簿。
 カード払いが一気にやって来た。。。トホホ。。。貯金が、貯金が、僕の貯金が。。。
 こういう苦しい生活の中からでも毎月1万円の奨学金カンパをしている私は偉い。素晴らしい。ほら、皆さんもエロ坊主君を褒めた讃えよう。
  ♪エロ坊主様は素晴らしい~
   エロ坊主様は素晴らしい~   
 ああ、なんて私は素晴らしい近年まれに見る好青年、いや、好中年なのだろうか?ん?『好青年』とは爽やかなイメージだが、『好中年』と書くとスケベ丸出しの焼肉中年やのぉ。。。しかし、
 ♪わたしは素晴らしい~
 よって、皆様は私を特別扱いしなければならないのです。特に某校の奨学生!私に足を向けて寝るとはどういう事だ。お前等は毎日「エロ坊主様ありがとうございます」と感謝の言葉を云ってから寝ないとバチが当たるぞ。

 と、慢心する。
 もの凄く単純な事なのだが、何かをしなければその事についての慢心も出来ない。
 私は家計簿を毎日つけているが、「ほらほら見て。私って偉いでしょ」である。
 独身の割にちゃんと自炊してるし、これも偉い。
 そうだ!私は偉いのだ!!!

 って、もうエエってか(笑)

 様々な人生を生きておられる方々。
 当然、人道貢献している方々も居られる。
 人道貢献する事によって慢心する事は当然だと感じる。だが、そこから「人道貢献ですら私は他人を見下す道具にしてしまった。。。自分を高め、他人を差別する道具にしてしまった」と思う事が出来れば、エリート人道主義の雛壇はひっくり返るのでは?
 エリートではなく最低のヤツは私だった、と。
 だから、最低の人と付き合える。
 誰とでも付き合える。対等な人間として。
 対等な人間同士が助け合ってもエエやん。
 みんな兄弟でっせ。

 と、今年のひな祭りも終わった。
 あ、雛壇は早く片付けないと婚期が遅れるらしいですよ。ですから、私のひな祭りも今日でおしまい。
 というか、もう充分婚期が遅れている気がするのだが。。。別にエエねんけど。。。グチグチ。。。

人道と平等

2008年03月02日 | 坊主の家計簿
 3月2日

 外食  酢豚定食        750円
 食類  薩摩七夕       1690円
     しそにんにく       93円
     地大根          60円
     きくらげ天        78円
     やきとり        100円
     バナナ         110円
     かにかま         78円
     サラダ法蓮草       78円
     かいわれ         30円
     うどん玉         18円
     じゃこ         168円
     トマトジュース2     96円
 
 合計             3349円
 3月累計           3644円

 仕事が早めに終わったし、天気もよかったので久々に大盛り酢豚定食を食べに行く。
 大盛り酢豚定食を頂いて、腹パンパン。部屋に戻って日曜昼間の定番『ミナミの帝王』を見てから仮眠する。
 晩御飯は野菜を中心に軽めに。
 遅めの晩御飯を食べつつ、ニュースワイドショーを見る。

 何やら、朝青龍が関西空港で「死ね!このヤロー!」と云ったらしい。
 http://www.nikkansports.com/sports/sumo/p-sp-tp3-20080226-327537.html
 これは想像するに大相撲業界に元新日本プロレスの新間寿氏が入ったのではないのかと考えられる。故にそのうちに朝青龍が両国辺りで白鵬に対して暴力事件を起すのではないだろうか?ちゃんと新聞記者がいる前で。恐るべし新間寿。プロレス界で話を聞かなくなったと思てたら相撲業界に居たとは。。。これで大相撲人気も復活するであろう。。。
 なんだが、私もプロレスファンである。よって、ここはこういうのに乗っかろう。
 「朝青龍は横綱としての品格が足らん。『死ね!このヤロー!』とは何たる暴言か」
 と思ったのだが、場所が関西空港なのね。なら、しゃーない。関西空港は大阪である。大阪で「死ね!」とは日常会話であり、例え「死ね!このヤロー!」と云われた人が大阪府警に電話して現場にやって来たとしても警官から「こっちは忙しいねんぞ。死ね!このヤロー!」と云われるだろう。弁護士、裁判官も同じである。皆が寄って集って「死ね!このヤロー!」と云う事必須であろう。

 と、まあ、大阪という街にはそういう側面もある。
 大阪の日曜昼下がりには『ミナミの帝王』であるが、もっと早い時間には吉本新喜劇もやっている。ちなみに土曜日にもやっている。何故なら大阪はお笑い王国であるからだ。

 先日ある番組で若い女性に「恋人を選ぶ条件は?」との質問に「面白くて笑かしてくれる人」と云うのがあった。
 そうなのである。「優しい人」や「真面目な人」、「お金持ち」とかそういうのも価値であるのだろうが、「面白い人」っちゅうのも価値なのだ。
 しかもこれがかなり重大な価値基準である。大阪では「優しい」「真面目」「金持ち」だけでなく、「面白くて笑かしてくれる」という事がないと人間として評価されないのである。
 資本主義では金持ちが力を持つらしいが、ここ大阪では『お笑い』が力を持つ『お笑い主義』なのだ。。。

 人道主義が気になる。当然、詳しく知らん。
 人道主義と基本的人権とが直接関係あるのかどうかも知らん。
 基本的人権っちゅうのは、天皇でも誰でも同じ権利しか有していない、っちゅう事だろう。同じ人間なんだし。これも日本国憲法上は知らん。知らんが、そういうものでないと『基本的人権』として呼べないのではないかと考える。だから、『基本的人権』がある世の中では人は同じ価値しか持つ事が出来ず、偉い人等いない。好きキライの判断は許されるが、偉い、偉くないの価値判断は許されないのではないのか?それが故に『基本的人権』ではないのかと。
 
 人道主義。
 資本主義では金持ちが偉いのと同じく、やはり人道主義では人道貢献をした人が偉いのだろうか?人道貢献をより多くした人、例えばマザーテレサなんぞという人は、死にかけの老人よりも偉いのが人道主義なのだろうか?
 何度も批判するが、例のイラク人質事件ではそうであった。高遠氏等3人が自費で帰って来た事に関しての批判も凄かった。「何故彼らが自費で帰って来なければならないのか?」と。確かフランスの方だったと記憶しているのだが、ある方が「日本政府は酷い。だから私が彼らが負担した金銭を負担する」とか云っていた記憶があるのだが。
 自費で帰って来るのが当たり前の事であり、他の旅行客もトラブルに巻き込まれた場合には日本政府が立て替えた金銭を自己負担するらしい。但し、日本政府は買い物が下手なので金額が高い。故に名前は忘れたが元一水会の兄ちゃんとカメラマンの兄ちゃんは日本政府に頼らずに帰って来た。まあ、そっちの方が航空機のチケット代は安いし。旅慣れてまんな。
 故に、私にとって、あの事件で「左翼は死んだ」。っちゅうか、人道主義は差別思想であると明らかになった。
 人道貢献を沢山した人が一般人よりも『尊い』のは人間平等の観点からしてどうなのだ?私にはどう考えても『間違って居る』としか思えない。

 あらゆる人間が全て平等である。とは素晴らしい思想である。
 ただ、それを扱うのが欲深い人間である。だから、人道貢献でもって人に優劣を付けたがる。というか、付けている。人道主義という新たな優生思想の出来上がり。単なる悪魔の思想の出来上がり。
 そしてそれは当然人気がある。差別化が大好きであるから。差別して人を見下す事に快感を憶えてしまうのが、きっと人間っちゅう存在なんだろうし。
 故に対等になんか見れない。平等なんかに見れない。
 人道貢献をする人は偉く、特別な存在。

 例えば、マザーテレサと死刑囚が居たとする。
 死刑囚は連続強姦殺人を犯してしまった人。片や人道貢献のビックネームのマザーテレサ。

 本来の人道主義には詳しくないが、昨今流行の『人道主義』ではこの二人の価値は同じではない。
 仮に二人同時に治療しなければならない状態になった時に、両者にその事を伝えないという条件でならきっとマザーテレサに優先権があるだろう。
 先に死刑囚が病院に付いたとしても。治療する時間を考えて、マザーテレサの到着を待つだろう。それが昨今流行の人道主義ではないのか。
 これのどこが平等なんだろうか?私には新しい差別思想にしか思えないのだが。
 マザーテレサの事はよく知らないが、きっとマザーテレサなら「先に死刑囚を治療して下さい」と云うだろう。先に到着してても。まあ、医師が『平等主義』なら、先に病院に到着した方を治療するのだろうが。同じ状態なら。

 仏教説話の中にシビ王の物語がある。詳しくはこっちを参照(http://red.ap.teacup.com/tetsujo/1.html
 まあ、鷹に追われた鳩がシビ王の所に助けを求めてやって来た。鷹を追い払う事は簡単だが、そうすると鷹は飢え死にしてしまう。困ったシビ王は自分の肉を鷹に与える事にした。まあ、鳩と同じくらいならエエと思たんだろう。そこでシビ王は鳩を天秤に乗せて鳩と同じくらいの量の自分の肉を天秤に乗せた。だが、天秤は釣り合わない。肉の量をどんどん増やしても天秤は釣り合わない。シビ王は気づいた。命の重さに。命の平等性に。そして自分自身が天秤に乗って始めて天秤が釣り合った。
 そして鷹は「そんなに喰われへんわ。」と吐き捨てた。。。

 いかん、酒が。。。まあ、厳密な話はリンク先を読んでもらうとしてやな。
 この物語は人道主義が立ち返るべき問題を提起していると思うのだが。

 人は様々な人生を生きている。マザーテレサになる様な人も居れば、連続強姦殺人を犯す人もいる。昨今流行の『人道主義』に慢心して新たな差別思想にしている人も居る。それぞれの関係存在として生きてこられた中の人生なんだろう。その中で「たまたま」色々な行動をとられただけの話ではないのだろうか。
 人道主義は好きであるが、扱うのは欲深い差別者であるただの人である。悟りをひらいた完璧な人がするのではない。欲深い差別者が、煩悩具足の凡夫がするのである。人道主義をしたからといって煩悩がなくなるわけではない。煩悩が少なくなるわけでもない。聖者になるわけでもない。凡夫がする人道貢献である。

 人道貢献、まあ、そろそろ面倒だしボランティアと言い換えるが、ボランティアする事が聖者であるわけがない。聖者等いないのだ。それが絶対の平等であり、それしかない。
 関係存在としてのそれぞれの生き方の中でボランティアを出来る人はすればイイだけであり、やらない人はやらなくてもエエだけの話。
 だが、昨今、なんかこの辺がおかしくなっていると思うのだが。
 「ボランティアをするのが尊い」や
 「ボランティアをするのは偽善である」とか。
 『尊い』のも幻想だ。
 『偽善』なんぞ存在自体が偽善やろうが。偽善がメシ喰ってるだけの話やろうが。偽善せんと生きれるわけがない。生きれるというのなら、それは心の醜い部分を見たくないだけではないのか?
 どっちでもエエねん。んなもん。相互批判をするのは大事だが、相互批判して互いに「同じ人間である」と立ち返ればそれでエエやん、と思う。

 ちなみに真宗仏教では念仏する事が念仏者です。
 ボランティアする人は単に『ボランティアする人』です。
 偽善者がキライな人は単に『偽善者がキライな人』です。
 他にも諸々あって、例えば戦争に反対する人は単に『戦争に反対する人』です。
 日の丸振る人は単に『日の丸振る人』です。
 ですから、その人達が念仏申してたら私は当然の事、念仏者として認めます。当たり前です。念仏申しているのですから。

 右翼は右に傾き、左翼は左に傾く。何かに傾いている、最低でも自分に傾いているわけだし、なんかそういうのが大事ではないのかな?と思う昨今。
 傾いているにも関わらず、「これこそが正しい」と信じ込んでしまうのが『差別』を生み出しているのではないのか。