人知を離れた弥陀の浄土に倫理道徳などあるワケがなく、善人にならなくとも「生きていてイイよ」。でも、娑婆世間では倫理道徳が幅を利かし、善人には居場所を与えられ悪人は奪われる。だから「人が死んだら悲しみましょう」と善人の演技を極々自然にしてしまい、嫌いだった人が死んで喜ぶ人を悪人と呼んでしまう。「追悼」や「故人の願い」などに応える事が善人であり「知らねーよ」と言うと悪人と呼ばれる。悲しい人は当然悲しめば良く、本当は悲しくないのなら善人の演技など辞めれば良い。人知に縛られる必要などあるワケがない。「人倫の嘲を恥じず」という言葉がますます問われる時代が来ると思う。
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