坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

聖徳太子

2012年03月30日 | 坊主の家計簿
【皇太子というのは司祭者に関わるんです。つまり、皇祖神をやがて司祭する者になるもののことです。そのものが触穢ということであれば、これは神を穢がすことになってしまいますし、神罰が下ることになってしまいます。それをあえて破って善悪浄穢をえらばないことを太子は示されたということを、この和讃の中に親鸞聖人は詠んでおられるわけです。そういう聖徳太子のご真像が初期の道場時代から今日に至るまで門徒の道場にはあるということです。】(竹中智秀先生『正信偈講義録~いのちの願いに聞く七章』240ページより)

減思力

2012年03月28日 | 坊主の家計簿
【今回の原発事故で教訓とすべき点の一つは、 偏重した教育や広報により国民の公正な判断力を低下させるような、いわば“ 減思力
(げんしりょく)”を防ぐことです 。そして、放射線による被ばく、特に低線量放射線による被ばくによる健康への影響ついては、 正確なことは分かっておらず、専門家の間でも見解が一致していません。このような「答え出てい問題」については、どのように考えていけばよいのでしょうか。

私たち、福島大学放射線副読本研究会のメンバーは、 学問に携わる者として、また、原発事故によって被ばくした生活者として、 このような不確実な問題に対する科学的・倫理態度を分かりやすく提示したいと考え、この副読本をまとめした 。今回の副読本では、国の旧副読本・新副読本における記述や、原発推進派の見解を積極的に載せることでバランスに配慮しながら、そこに見られる問題点を指摘することで、判断力や批判力を育むことができるように工夫をしました。もちろん、この副読本も、批判的に読んでいただいて結構です。 】

https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a067/FGF/FukushimaUniv_RadiationText_PDF.pdf

『減思力』という新たな言葉が出て来たが、減思力により判断力や批判力が奪われてしまう事が放射能汚染の実害(いわゆる風評被害を含む)が出て来ているのは事実だろう。
「福島の食べ物は危ない」などは減思力の影響でしかない。危ないのは汚染された(数値はそれぞれの判断)食べ物であり、決して福島の食べ物ではない。「福島の食べ物が危ない」というのは単なる福島差別である。
また、『汚染』は放射能だけではない。極論ならばホンの少しだけ放射能汚染された野菜と、基準値の数千倍の農薬塗れの野菜とではどちらが危ないのか?

副読本には福島第一原発事故での被害を広義に捉えておられる。そして風評被害でなく『実害』であると。これは全く同意する。そして、その実害を防ぐ為の減思力を防がねばならない。

この副読本は、文科省の副読本に対する批判であるから、比較的被曝での被害を煽り気味になっている。しかし、それで丁度バランスが取れた形になっている。この副読本で書かれた放射線の影響を鵜呑みにする事が減思力である。

出来れば、今の御時世に原発推進派(藤沢数希、池田信夫など)の声にも耳を傾けないと、原発安全神話が、脱原発安全神話に代わっただけになる。

減思力という言葉には抵抗があるが、エゴがある以上公正など不可能であり、偏りがあるという事は大事ではないのか?

減思力

2012年03月28日 | 坊主の家計簿
【今回の原発事故で教訓とすべき点の一つは、 偏重した教育や広報により国民の公正な判断力を低下させるような、いわば“ 減思力
(げんしりょく)”を防ぐことです 。そして、放射線による被ばく、特に低線量放射線による被ばくによる健康への影響ついては、 正確なことは分かっておらず、専門家の間でも見解が一致していません。このような「答え出てい問題」については、どのように考えていけばよいのでしょうか。 

私たち、福島大学放射線副読本研究会のメンバーは、 学問に携わる者として、また、原発事故によって被ばくした生活者として、 このような不確実な問題に対する科学的・倫理態度を分かりやすく提示したいと考え、この副読本をまとめした 。今回の副読本では、国の旧副読本・新副読本における記述や、原発推進派の見解を積極的に載せることでバランスに配慮しながら、そこに見られる問題点を指摘することで、判断力や批判力を育むことができるように工夫をしました。もちろん、この副読本も、批判的に読んでいただいて結構です。 】

https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a067/FGF/FukushimaUniv_RadiationText_PDF.pdf

『減思力』という新たな言葉が出て来たが、減思力により判断力や批判力が奪われてしまう事が放射能汚染の実害(いわゆる風評被害を含む)が出て来ているのは事実だろう。
「福島の食べ物は危ない」などは減思力の影響でしかない。危ないのは汚染された(数値はそれぞれの判断)食べ物であり、決して福島の食べ物ではない。「福島の食べ物が危ない」というのは単なる福島差別である。
また、『汚染』は放射能だけではない。極論ならばホンの少しだけ放射能汚染された野菜と、基準値の数千倍の農薬塗れの野菜とではどちらが危ないのか?

副読本には福島第一原発事故での被害を広義に捉えておられる。そして風評被害でなく『実害』であると。これは全く同意する。そして、その実害を防ぐ為の減思力を防がねばならない。

この副読本は、文科省の副読本に対する批判であるから、比較的被曝での被害を煽り気味になっている。しかし、それで丁度バランスが取れた形になっている。この副読本で書かれた放射線の影響を鵜呑みにする事が減思力である。

出来れば、今の御時世に原発推進派(藤沢数希、池田信夫など)の声にも耳を傾けないと、原発安全神話が、脱原発安全神話に代わっただけになる。

減思力という言葉には抵抗があるが、エゴがある以上公正など不可能であり、偏りがあるという事は大事ではないのか?

命と生活を支えた物瓦礫じゃないんだ!

2012年03月18日 | 坊主の家計簿
南相馬市長 桜井勝延が「原発事故1年」を全激白(4)命と生活を支えた物瓦礫じゃないんだ!

【それで考えているのが、防潮林の建設なんだよ。彼らが住んでた家とか彼らが暮らしていたものとかを資材にしてさ。環境省にも言ってるんだけど「瓦礫」って言うのは嫌なんだよ。3月11日の3時頃までは、そこに家としてあって、生活を支える家財として存在してて、そこには命があって、命が宿ってて、それがたまたま自然災害でやられたってことなんだから。】

http://www.asagei.com/4226

あべ・やすし『反原発を分断する優生思想』

2012年03月16日 | 坊主の家計簿
【放射線は みえない。その影響も みえない。一度に つよく被曝すれば、目にみえるかたちで影響がでます。しかし、すこしずつなら、「ただちに健康に影響はありません」。みえないこと、わからないこと、それが ひとに恐怖を あたえています。そして、健康への影響は たしかにある。しかし、それは統計学的にしか確認できない。10年くらい あとにならないと確認できない。

そういう みえない放射線とは ちがって、うまれてくる こどもには、具体的なかたちが ある。いきている。いきる権利がある。差別されない権利がある。】
(あべ・やすし『反原発を分断する優生思想』より)


http://d.hatena.ne.jp/hituzinosanpo/touch/20120307/1331062635

フラガール

2012年03月12日 | 坊主の家計簿
 東日本大震災があった日。14時46分には仕事は終わっている予定だったので、どうしようかと諸々思っていたのだが、NHKスペシャルをはじめ色々なドキュメントを観ていて「あ、娘と一緒に遊びに行こ」と。
 仕事が終わったのが13時前。昼飯喰ってると娘が少し眠たそう。「お昼寝する」と聞くと「ひつじさん!」と。何やら私が仕事中にママと少しだけ離れた所にある大きな公園にいる「羊を見に行こう!」という話になっていたらしい。昨晩も寝る時間が遅かったので、先に昼寝の方が楽だったのだが、月金で保育園の娘と一緒に出かける機会は少なく、パパも楽しい。
 公園に着くと車が無茶苦茶多い。しばらく歩いて納得。フリーマーケットをやってた。御参り用の鞄もボロボロになって来たのでパパは鞄を探したかったのだが、子ども服が多く、かつ、安い。100円でもの凄く可愛い服が売ってた。「あ、これ可愛い」とか選ぶと、娘がヒマになり、どこかに行ってしまう。2点だけ選んで、後はママに任せて娘と滑り台。なんか、マイブームらしい。

 福島の色んな地域では娘と同じ年頃の子どもが外で遊べないらしい。3歳に満たない娘でも屋内だけでなくお外で遊びたいだろうし、年齢を重ねるともっとだろう。でも、遊べない。

 色々なドキュメントを観ていると、「女房(失敬)子どもだけは避難させています」等も。究極の選択。一緒に残られた方々も含めて、そんな選択をなされた方に対して私が何かいう資格はないと勝手に思う。

 そういう生活のリスクは、うちにだって実は結構あってでんなぁ…。まあ、ブログには書けないので、気になったら直接あって聞いて下さい(笑)

 録画していた『フラガール~笑顔に込めたメッセージ~』を観る。
 http://www.tv-asahi.co.jp/311/03.html

 フラガールといえば蒼井優ちゃんなんだが、え…、当り前なのかも知れないが、蒼井優ちゃんよりも踊りが上手いっす、綺麗っす。

 先日観てた何かのドキュメントで福島原発近くのタクシーの運転手が「このヒマワリはセシウムを吸い上げる為に植えられて可哀想だ」みたいな事を言ってた。同じ番組ないで農家のオバちゃんが植えたけど刈り取らなければならなくなった稲穂を撫ぜながら「可愛そうにね、ゴメンね」みたいな事を言ってた。本当に「可愛そうにね、ゴメンね」みたいに撫ぜてた。
 土に対する感覚が私とは全く違う。

 フラガールの方々の出身地の全ては知らないが、やはり地元の方が多いみたい。福島原発2キロの方も含めて。
 男性の火を使った踊りもあった。その中の1人は子どもの頃から憧れの職業だったらしい。

 映画『フラガール』。廃鉱からの復興。今回も復興の象徴になっている。

 残られる人も、出て行く人も、どっちでもイイ。噂では出て行く人達に対して文句をいう人が居ているらしいとか、あるいは、これはTwitterでよく見かけるのだが「避難させない方がオカシイ」等と。どっちでもイイ。
 被曝に対する情報だって色々。ヒマな私はヒマな時に(一日の大半だったりするのだが…)iPhoneを弄って主にTwitterから「人類滅亡」から「全く害はない」まで色んな情報を手に入れたりするのだが、何を選択するのかは自分でしかない。
 先日も「日本に人が住めなくなるかも知れない」という意見を聞いて「はあ?」だったのだが、そういう人には日本に広島と長崎に原爆が落とされて、長崎はプルトニウム型であり、要するに半減期が二万数千年云々とか言われている猛毒のプルトニウムが撒き散らかされている歴史教育をでんなぁ…。
 まあ、良い。

 自己責任。左派系一部の運動家に非常に評判の悪いこの言葉をバリバリの運動家の前でも平気で使ったりしているのだが、自己責任。

 え~、今日、教団関係の某機関紙にブチキレてTwitterでやってたのだが、その中に賛同する意見もあった。機関紙は教団関係なんだが、著作権が誰にあるのか知らないし、また、この件に関してはブチギレなので慎重にしたいので引用でなく要点でいうと、つか、殆ど引用になるのだが『自分の決定権を他人に委ねる』事に対する批判は賛同する。しかしながら、それまでの展開が気に入らない&待たんかい!である。別に教団関係発行の機関紙を鵜呑みにする程『よいこ』ではない。
 というか、「自分の決定を他人に委ねる」のでなく、言い訳の理由だったりするだけではないかと思ったりもするのだが、色々か。

 フラガール。
 スパリゾートハワイアンズ

 http://www.hawaiians.co.jp/

 は、フラガールだけでなく、プールとかもあるみたい。大きな滑り台(プールの)もあった。娘と一緒にプールに行った事はまだなく、つか、娘は水着をまだ持ってないし。娘と一緒にプールの大きな滑り台で滑りながら、プリキュアの影響(だけでないのだろうが)で踊りが大好きな娘と一緒にフラガールを観たかったりするのだが、ママと3人で行くと諸々で10万コースになるねんなぁ…。行けるとしたら盆過ぎの土日挟みでないとママのパートの都合もあるし、やっぱり10万コースなんだよなぁ…。

 うちの橋下大阪市長の新釜ヶ崎クリーン計画。つか、前の市長もかなりなもんだったのだが。
 町をキレイにする。イヤなものは排除してノーリスク。
 んなもんは、やなこったい。

 スパリゾートハワイアンズは『きずなリゾート』ともいうらしい。阪神大震災後に、え~と、喜納昌吉とかだったけな?神戸を『愛のまち』みたいな感じで盛り上げようとした事があったが、鬱陶しい。幸か不幸か、今回の大災害では福島原発事故があったので、『その辺の連中』が放射能汚染でギャーギャー言うてるので、まだマシか。
 『きずな』という全体主義の別名だとか、『愛のまち』とかいう「見捨てていた人達に出会う」の美名でなく、「自分がどうしたいのか?」だろ、単純に。
 当然、言い訳もしたくなる。言い訳で「だって、原発は安全だと言ってたし」だの諸々。次は「だって、脱原発の方が安全だと言ってたし」云々になるのか?当然、煩悩は必ず出る。でも、自分の人生。

 やばい6時前や。ママが起きる(笑)うち、狭いし、コタツでパソコンしてるからママの朝支度の邪魔になりまんねん。ほな。

疫癘の御文

2012年03月11日 | 坊主の家計簿
【蓮如さまはこの親鸞さまのお手紙をご覧になったに違いないです。それで蓮如さまのお手紙の中に全く同じようなことが書かれています。「疫癘の御文」というのがそうです。
「当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す」
 はやり病いがおきてたくさんの人がバタバタ死んでいく。
「これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり」
 死ぬべき者として生まれてきたんだ。病気にあって死んだ、戦争にあって死んだ、交通事故で死んだ。そんなことは何も死の原因ではない。原因は生まれたということである。
 我々はこんな簡単なことを忘れてしまっとるんですね。そして新聞を見ても、誰々八十何才、心筋梗塞。みんな原因として書いてあります。死因。そんなものは死の原因ではない。本当の原因は生まれたということが原因だとはっきりしとるですねえ。
 こういうことを聞くとびっくりしませんか。僕らはいかにけったいな常識の上で毎日生きとるかちゅうことです。だから、
「生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり」
 その驚くべきことでもないことを、このごろあの人死んだ、この人死んだ、何で死んだ、と言ってはみな取りざたしている。驚いておる。
 なぜ驚くべきでないことを驚き、本当に驚かねばならんことを全然驚かないのか。こういうことなんですね。本当に驚かねばならないことを驚かないんです。そして驚くべきでないことばっかり驚いておる。
 そんなら本当に驚くべきことちゅうのはなんや。それは「私はどこから来て、どこへ行くのか」。「何で人間に生まれてきたのか」。「今ここにこうしておるということは、一体どういう意味があるのか」。そういうことが何にもはっきりしないまんまで生涯を終わらねばならん。これこそ驚かねばならんことですね。】
 (和田稠先生『くにのいのり』より)

3.11 あの日から1年 南相馬 原発最前線の街で生きる

2012年03月10日 | 坊主の家計簿
20120309 #NHK スペシャル「3.11 あの日から1年 南相馬 原発最前線の街で生きる」

新成人たちが一時、成人式に帰ってきた。事故の後も南相馬から離れなかった新成人たちがいた。「いつ死ぬか怖い。子供埋めなくなるしね」「なんでそういう心配にかられて落ち込まなきゃいけないの?先輩が子供おろしにいくけど、なんで悲しまなきゃ…」

「うちらはもう子供産む気ないし、どうでもいいけど。なんでみんなそうやって苦しまなきゃいけないの?」「最悪楽しんで死のうと思って」「ただのマウスだよね。じゃあいてやるよ。子供産んでやるよ!」

http://togetter.com/li/270256

魔女狩り

2012年03月10日 | 坊主の家計簿
【まるで魔女狩りである.このダイオキシン事件の犠牲者は、奇形児が生まれると脅されて中絶した60名のお母さんと殺された胎児だろう】(武田邦彦)

http://j.mp/Agbw03

今は放射能汚染で脅され中絶したお母さんと殺された胎児。