坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

認識

2022年07月22日 | 坊主の家計簿
草木に全く興味のない私にとってはニラとスイセンどころか「草や、草。全部草や」。でも、草木に詳しい人にとっては、それぞれの名前で見分け出来るのだろう。佛教的には「ニラはニラであってニラでない。故にニラはニラだ」になるのだろう。移り行く中で自然と一体化しつつも今現在「ニラ」として和合しているニラ一つ一つを個別に尊敬し、「ニラ」を構成する様々な細胞も個別に一つ一つ尊敬する。そこには何ら偏見も差別もなく、ただ尊敬する。
「あの人たちは変だ!きっと悪い人たちに騙されている」と、「変」「悪」と決め付ける。そこに尊敬はなく、ただ己の認識を疑う事なく肯定する、のみ。

人倫の嘲りを恥じる真宗門徒

2022年07月20日 | 坊主の家計簿
眼前で死にゆく人たちを見捨てた親鸞。今日、そんな僧侶が居たらネットで晒されマスコミから袋叩きにあい、世間での居場所を無くすかも知れない。でも、無量寿に生きようとする親鸞は見捨てた。世間に迎合しない首が飛ぶ念佛。

多種多様な価値観を認める、と言っても我々のそれは自我に基本を据えた御都合主義であり、決して法ではない。故に我見を全く疑う事がない世間が「こんな悲劇にあっている統一教会の信者たち」と煽られると、自己愛から湧き出る善人根性で一緒に煽り迫害する。教えも法も何処にもない、唯世間。

娑婆世間と浄土。決して混じり合う事なく、娑婆世間に基軸を据えざる得ない私たちに対する批判原理としての念佛。

コロナ禍だけでも、黒川元検事長、森喜朗、小山田圭吾、電通・佐々木宏など。そして統一教会と魔女狩りは続き、自我先進国は発展し、多種多様な価値観を持った人が殺され続ける。昔の共産主義者に政府が転向を迫ったように、転向出来た者だけが世間での居場所を得る事が出来る。

「イスラム法で人権侵害されている女性たちを救う為に我々は立ち上がるべきではないのか!」と、人権の皮を被った我見で侵略し続ける自我先進国。
世間での居場所を護る為に、法を無視した唯世間の真宗門徒も、人権の皮を被った我見を仏法と欺き、浄土を侵略し続ける。「ヒューマニズム万歳!自己愛万歳!」と念佛代わりに叫ぶが良い。

人倫の嘲を恥じず

2022年07月08日 | 坊主の家計簿
人知を離れた弥陀の浄土に倫理道徳などあるワケがなく、善人にならなくとも「生きていてイイよ」。でも、娑婆世間では倫理道徳が幅を利かし、善人には居場所を与えられ悪人は奪われる。だから「人が死んだら悲しみましょう」と善人の演技を極々自然にしてしまい、嫌いだった人が死んで喜ぶ人を悪人と呼んでしまう。「追悼」や「故人の願い」などに応える事が善人であり「知らねーよ」と言うと悪人と呼ばれる。悲しい人は当然悲しめば良く、本当は悲しくないのなら善人の演技など辞めれば良い。人知に縛られる必要などあるワケがない。「人倫の嘲を恥じず」という言葉がますます問われる時代が来ると思う。