坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

五十音

2012年11月26日 | 坊主の家計簿
浄土真宗本願寺派 総合研究所

http://crs.hongwanji.or.jp/kyogaku/mission/index.htm

こんなサイトがあったとは…。

うちの永代経法要講師は本願寺派の人。10歳年下のスゲー人。
どれだけスゲーかというと、例えば、先日の永代経法要後に寺で門徒さん達と呑んで、その後に呑み足りなかったので門徒さん経営の居酒屋へ。諸々話している中で幼児に対する教化話へ。いや、「ナンマンダブツと言ってみぃ」と念佛を勧めていたので。
私の幼児時代の話。まだ、小学校には行って無かったであろう時。私が記憶するウチに御参りに来て居た坊さんから婆ちゃんの膝の上に座りながら聞いた言葉。
「人間は『あー!』って言って産まれて来て、『ん~』と言って死んで行くんだよ。」と。
五十音。習っていたのかどうかは憶えていないが、まあ、そんな時期。
永代経法要講師は「それって生死無常を話していたんでしょ」と。
いや、そんな風に考えた事が無かったはずだが…。まあ、それでも44歳になっても憶えているといつ事は、私の人生に影響を及ぼしていたんだろう。
二人してかなり呑んでいた、泥酔状態だと思うのだが、それでも変わらず「お前、スゲーな」と。

ちなみに、ウチの実家に私が子どもの頃に御参りに来ていた坊さんは藤谷大圓という方。
便利な時代になったので検索すると

http://ci.nii.ac.jp/author?q=藤谷+大円

学者さんだったらしい。そういや、亡くなられた時に先輩達からそういう話を聞いたが。
因みにこの方の娘さんは、パンク坊主でブイブイしてます。多分、

【有漏路より無漏路へ帰る一休み 雨降らば降れ 風吹かば吹け】(一休禅師)

みたいな感じで、五十音を生き切ろうとしているんだと、勝手に思ってます。

私の中の仏性の基本

2012年11月25日 | 坊主の家計簿
【存在と、ただあるのではない、何かをなすものとしてある。それは逆にいえば、何もせんでも生きているかぎり、生きているというあり方は行為的だということです。】(藤元正樹)

この言葉、確か『髑髏をとりてその血を拳に塗らん』とかいう講義録の下巻にあった言葉だったと思うのだが、いかんせん、メモる時に面倒だったので書名とページ数を書いてない。
個人的に勝手にこの言葉が深まって私の中の仏性の基本になっていたりします。

虚空遍歴の名言

2012年11月17日 | 坊主の家計簿
【なまいきなことを云うようですけれど、人間のすることはむだ骨折りだということはなに一つないと思います、紙屑拾いをして一生を終わっても、やっぱり人間の一生にはかわりないでしょう、あなたの端唄はこんな山の中までも弘まり、いまでもよろこんでうたわれています】(山本周五郎『虚空遍歴』より)

http://blog.livedoor.jp/sami5/lite/archives/51096945.html

小西邦彦

2012年11月16日 | 坊主の家計簿
子供たちよ、すくすくと伸びよ
たくましく、はばたけ
私たちが残せるものは
住宅や施設やお金ではない
人間が人間を尊び
そのことから一歩もひかない精神
そのため、父や母は胸を張って闘い続ける
この、わが町、飛鳥で
(解放同盟飛鳥支部)

という事で、『ピストルと荊冠 〈被差別〉と〈暴力〉で大阪を背負った男・小西邦彦』を読んでます。『と銀行』に引き続き、『ピストルと荊冠』のルポも読んだけど、本が出たので。

いわゆる『人権学習』とかでは紹介されない人なんだろうが、一体いつから解放運動の担い手は聖職者だけになったのか。他の運動家を含めて。
ドス黒い部分、生々しい部分も含めての生身の人間であり、どんな人間だって解放運動に参加してイイだろうが。
仏道は尚更の事。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/飛鳥会事件

『大谷派なる宗教精神』

2012年11月16日 | 坊主の家計簿
先日、水島ゼミ出身の兄ちゃんと夜中まで飲んでしまった記念。つか、ブログが消えたら危ないので保存。

【高光先生に次のようなエピソードがあります。三十八歳になるガンを患っている人がいました。その方の奥さんが高光先生に、「ぜひ夫に話してやってくれ」と頼みにきたのです。「枕元に来て、夫が安楽に死ねるように話してやってくれんか」というのです。すると、高光先生が、「ご覧の通りの私の生活だ。こんな貧乏寺の、それも子だくさんのような、普通の人の生活からすると失敗の生活をしている私である。そういう私でよかったら行く」と言いますと、「もうとにかく来てくれ」と頼まれるのです。こういうことで、高光先生は、ガンでもう明日、明後日の命という容態の人のところに行きました。行くと、その方はもう話ができない状態でした。ですから、促されるままに、「あなたの今の断末魔の苦しみというのは、世々生々の苦しみであって、それは人間的希望の絶望であろう」と話したのです。生きるということを前提にしているから、死が目の前に来たら希望が途絶えるのである。明日もあると言っている場合ではない。明日もある、努力すれば願いがかなうというような人間的希望が、今ガンによって絶望のどん底に落とされているではないか。そういう事実について、高光先生は「その希望は、実は過去から約束された絶望であろう」と説くのです。「その絶望は、如来から賜わったという意味があるであろう」と言うわけです。その絶望の意味を見出せ、ということであります。
 すると奥さんが、「ご住職、そんな難しいことを言わないで、夫は死ぬのだから、ナンマンダブツ一つで極楽に生まれるということさえ言ってくれたらそれでいい」というのです。すると高光先生は男性に向かって、「あなたの最愛の妻ですら、ナンマンダブツというような、どこかで小耳に挟んだ念仏をもって、あなたの今まさに永遠のいのちへの更生の絶好の機会をごまかそうということしか言えないのだ。どうせ奥さんは、あなたが死んだ後の生活が成り立つかどうかということを気にしているのだ」と。すなわち、奥さんは人間的希望の中にいるのであり、ガンの夫は、その人間的希望の絶望にいる。人間的希望が絶望するということは、もう手も足も出ない状況になる。手も足も出ない絶望。ところが、この絶望においてはじめて如来招喚の声を聞くことができる。絶望こそ福音なのだ、ということです。「絶望の福音」(「生活日抄」『直道』一九二六<昭和一一>年八月・『道ここに在り』東本願寺出版部)というタイトルの文章が高光先生にありますけれども、そこにこのような出来事が綴られています。人間的希望が絶望する時こそ、永遠の生命に生きる時だというわけです。
 われわれは、人間的希望のなかでしか生きていけないのでしょう。私たちはどこを輪切りにしてもそうです。静かに自分の生活を振り返ってみるとわかります。希望でしか私たちは生きていないのです。しかし、これは常に絶望が約束されている希望です。絶望が底に流れる希望です。ですから、われわれは絶望するより他ない人生を生きているのです。ところがこの絶望が、実はガンに病んでいる人のみに与えられた福音であって、これこそ本当の永遠のいのちの始まりである。そのように高光先生はガンに病んでいる人に説いたのです。
 すると、その方が「わかった、わかった」と言って、涙を流して喜んだのです。私のガンには実は大きな意味があったのだ、ということでしょう。絶望こそ福音である。ですから、人生には絶望はない。おそらくそのように言い切って余りある生涯を、高光先生は生きられたに違いありません。
 私たちは、自分が死ぬということにぶつかったとしても、死ぬまで生きがいを持って生きていこうという話しかできません。死ぬまで人間らしく生きていこうというのが精一杯の生き方です。そのために努力するのです。死ぬまで工夫をして努力して充実していこうというのは、それは「心の延命策」ということになると私は思います。
 そうではないのです。真宗は決して心の持ち方の次第を教えるのではありません。心を持ち替えるのではなく、私に死というものが与えられてある、その死の意味を知るところに真宗の真義があります。如来より賜わりたる『死』。このような強い確信こそ、真宗によって付与されるのではないでしょうか。】(水島見一『大谷派なる宗教精神』43~45ページより)

海東会

2012年11月14日 | 坊主の家計簿
海東会
【一九九四年、朝仏協の統国寺の住職・崔無碍氏と韓仏連の弥陀寺住職・成慧光氏とが発起人となって結成された組織が海東会である。「宗教は本来、和ということに重きを置いているが、異なるものが協力しあうことが和であり、同じものが協力しあうことは同である。」と崔氏はいう。】(『生駒の神々』179ページ)

やさしいやさしいやくざさん(山元加津子さんのお話し)

2012年11月14日 | 坊主の家計簿
やさしいやさしいやくざさん(山元加津子さんのお話し)

【やくざさんて言うか・・・黒いお洋服を着た人の話をします。 東京に行った時は山の手線に乗ったんですね。 黒いお洋服で黒いお靴で黒いシャツを着てるちょっと怖そうな人が 学生さんを殴ってたんです。 その時に、その男のかたの所へ行ってギュッと抱きしめたんですね。 そして、「怖くないから大丈夫。」 って言ったらその男のかたが私、ビックリしたんですけど、 目から涙をポロポロだされたんです。私、 「きっと、このかたはとても辛いことがいっぱいあるんだろうな。」
と思って・・・それから 「あなたに言いたいことがある。」って言うんですね。 「これからこういう場面に出くわしたら、絶対、今日みたいなこと しちゃダメだぞ。したら危ないぞ。」って言われるんです。 「いつも、ボクみたいにやさしいヤクザさんばかりとは限らない からね・・・」って、それから、このことがご縁で文通しているんですね。
「人を殴るの嫌い?」とその人から聞かれ「私は好きじゃないです。」 って言ったら、もう、殴らないよって言ってらしたのです。 けれど、お手紙で今日、 「約束を破ってしまった。」って書いてあったんです。 細い道を車で運転していた時におばあさんが「車椅子を脱輪」して 止まっていたんだそうです。で、若い者に 「どうにかしなさい。」って言ったら 「どけ!」っていうふうにね、降りて言ったんですって。それで その乱ぼうな若い者の態度に思わず殴ってしまったんだ。 っておっしゃていました。
それから、そのかたが 「人って変われるんだよ。」っておっしゃるんですね。 「僕は、虫にも気持ちがあることを知ったよ。」って言って 下さったり・・・】

http://www.kando-heart.com/letter/img/let0901.pdf


ちなみに裏取はしていない。あくまでも山元加津子さん本人の証言のみ。
けど、似たような経験はした。
坊主BARマスター時代に深夜、以前やってた飲み屋(聖カミソリ)時代からの知人と、坊主BARになってからのお客さんとのトラブル。
知人は当時大阪(?)ではソコソコ名の知れたバンドのギタリストで、まあ、何処からどう観てもヤンキー。お客さんも、坊主バーがあった場所が元々ブルースバーだった頃からのお客さんで、半ばアル中。まあ、他人の事は言えんが。
その日、そのお客さんは荒れていた。元々かなり「生きてるだけで辛い」人だったんだが、その日は特に荒れていた。深夜なので、店はその2人だけ。
私はトイレが近い。何とか店(会話)を回しつつ「どっちか先に帰らんかなぁ…」やり過ごしていたんだが、トイレに。
「カッシャン!」という音。トイレの中で「わっちゃ!こら喧嘩やな」と思ってトイレから出たら、ビールの缶を投げつけられたヤンキー顔した知人が落ち着いてお客さんに話してた。確か「どうしてん?」と。
お客さんは寂しい人だったので、そのまま喧嘩をしたかったのかも知らなかったけど、知人は喧嘩を買わなかった。知人は某『新興宗教』と呼ばれる団体の人でもあった。
その後、数ヶ月、そのお客さんは店に来なかった。で、久々に来た時に物凄く顔がスッキリしてはった。「どうしたんですか?えらいスッキリした顔をして」と聞いたら、数ヶ月間のたうち回っていたらしい。で、「ええか。」と。「何でもエエねん」と。決して投げやりでなく、確かに生きて行く力を得たが故のスッキリした顔だった。

その後、そのお客さんとは個人的に仲良くなって二人で飲みに行ったり。当然、しんどい時は本当にしんどそうだったけど。

まだ売れて居なかった時代の松尾藤代

http://www.fujiyomatsuo.com/

が店で個展みたいなものをしてた。芸大出て間もなかった時代。タメ年だし。
私も松尾の絵が大好きだったけど、お客さんも松尾の絵が大好きだった。気に入った作品を買って、でも、持ち帰らずに「この店に置いといて」と。
松尾の作品は闇と光。つか、光だな。確か「夕方に歩いていたら路地が見えた光を見た。あの光を書きたい」云々だったはず。

ソコソコ売れてるバンドの知人は店には殆ど来なかった。まあ、たまに来た時に幸か不幸か、少なくとも私と、そのお客さんにとっては幸運な巡り合わせがあった。知人にその話をしても「はぁ~?」みたいな感じだった。まあ、忙しい人だし。

知人が信仰していた神道系の、その所謂『新興宗教』団体に『仏性』という概念があるのかどうかは知らない。ただ、「仏教の勉強もしている」とは言っていたが。

私にとっての宗教での奇跡って、そんなもん。
だから某先輩、この人も歌唄いだが、その先輩が言っていた「生きていける」という言葉が大好き。