坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

700円!

2008年09月30日 | 坊主の家計簿
 9月30日

 外食  回転寿司         470円
     ホルモンラーメンビール 1500円
     天下一品         700円
 雑費  雪駄          1830円
     するめ          105円
     タンガクラブビール    500円
     ドグラマグラ       900円
     タバコ10(数日前)  3000円
     公文学費        2100円

 合計             11105円
 9月累計          139684円

 雪駄を買いに街へ。んが、時間が遅かったのか、お気に入りの店が閉まってて、しゃーないので別の店で購入。
 メシ喰って、するめを買ってタンガクラブへ。
 帰りに毎度のドグラマグラへ。
 タンガクラブで結構飲んだので、ドグラマグラではビール1杯のみ。株価暴落のニュースについての解説なんぞの話を聴かせて貰ったのだが、え~。。。ベロンベロンだったのでイマイチ憶えていない。
 ベロンベロンの酔っぱらいなので、意味なく天下一品でラーメンを食べてしまう。んが、ラーメンが『700円!』という恐ろしい数字に値上がりしていてかなりの衝撃を受ける。
 「そうか。。。これがさっき聞いた『スタグフレーション』っちゅうやつなのか。。。」と、天下一品の値上がりで経済崩壊を体感する。

 しかし、世界中では『7京』っちゅう、多分、生涯3食700円に値上げした天下一品のラーメンを食べ続けても無くなる事はない数字の金が動いて居るらしい。多分、7京円あれば琵琶湖をドンブリにして『超大盛り』の天下一品ラーメンを頼んでも簡単に出来てしまうかも知れない。それどころか、地球中の全ての海を天下一品ラーメンで埋め尽くしても7京円あれば充分だと思う。ああ、美しい沖縄の海が天下一品の魅惑のスープ満たされるのだ。波打ち際に漂う、こってりスープの香り。。。と、思わずアホになってしまうぐらいのパワーが『7京円』っちゅう数字にはある。

『国民の声』と『私の声』

2008年09月29日 | 坊主の家計簿
 9月29日

 雑費  アミノサプリ       150円
     ココア          147円

 合計               197円
 9月累計          128579円

 おもくそ爆睡してました。

 で、麻生氏の所信表明に関して。っちゅうか、麻生氏の所信表明に関する報道も含めた事に関して。
 「国民の声」なんぞとよく云われる。
 例えば野党が「総理は国民の声に耳を傾けているとは思えない」等々。
 
 小選挙区であるし、有権者以外の国民もいるし、選挙権を持たないが日本に定住して居られる方々もいるので非常に微妙でややこしいのだが、与党から選出された総理大臣は国民の多くの声がバックにあるはずなのだが。
 つまり、「総理は国民の声を無視している」と、仮に野党議員が発言したのならば、総理は「あなたよりも多くの国民の声が私にはついている。国民の声を無視しているのはあなたの方である」と、だなあ(笑)
 「国民の声」という言葉が一番似合うのは与党なのだ。与党選出の総理大臣が「国民の声」というのが一番似合っているのだ。

 当然、野党議員の声も、2ちゃんねる掲示板の声も、私の声も、『国民の声』である事には変わりない。少数であっても、1人であっても『国民の声』である事には変わりはなく、当然の事、総理の声も『国民の声』でしかない。
 だから、『総理は国民の声を無視している』とは、ちょっと変である。
 「総理も国民の声を無視しているではないか!」なら納得出来るのだが、「総理は国民の声を無視している」とはおかしい。
 単に自分の意見が通らない事を、『国民』という大義名分を使っているにしか過ぎないと思うのだが。。。

 「国民は解散総選挙を求めている」だの、「国民は自民党を見放している」だのと云うのは勝手だが、勝手に決めつけられてもなぁ。。。一応、私も国民やし。

 まあ、「少数派の意見を無視するな!」っちゅう事なんだろうが、気になる表現方法である。
 理由は単純に政権与党が「国民が望んだ事だ!」と、「これが国民の声である」と、押し付けられたら、うっとうしい。
 政権与党が、自民党から民主党に変わろうとも同じである。
 例えば民主党が、次の選挙で勝ち、民主党政権が出来た事を「これが国民の声である」と云っても、まあ、国民である私の声でない事だけは確かである。
 2大政党制に反対なのが、国民の声である(笑)
 政権交代祭もオモロイが、少数の確かな野党議員の数が減って行くのはイヤなこった。
 『2大政党』という『大きな国民の声』でもって、『小さな国民の声』が無視されるのはイヤなこった。
 故に、『国民の声』なんぞという大義名分を使わずに、『私』っちゅう主語でエエのではないのか?

議論と喧嘩

2008年09月28日 | 坊主の家計簿
 9月28日

 雑費  グリーンティー     320円
     居酒屋        6320円

 合計             6640円
 9月累計         128382円

 所用で外出。ドグラマグラのマスターの教えて貰った『一風雷蔵』(http://www.ippuraizou.com/)っちゅう居酒屋はエエぞ。安くて、美味くて、ついでのオシャレである。安くて美味いだけでも有り難いのだが、BGMがブルース系だったりして、なかなかエエ感じである。焼酎もこゆいので酒飲みにはエエ感じである。

 居酒屋と関係ないのだが、中山国交相が辞めたらしい。 
 これを書いているのは9月30日の昼過ぎなんだが、何やら

【国土交通相を辞任した自民党の中山成彬衆院議員(宮崎1区)が29日、TBSのテレビ番組に出演し、辞任の一因となった「単一民族」発言について、「言葉には気をつけなければいけないが、言葉狩りばかりしていると政治が活性化しない」と述べた。
 番組終了後、中山氏は「言葉狩り」の意味について、記者団に「単一民族という言葉は使っちゃいけないんだなと思った。『同質民族』と言えばいいのか、なんて言えばいいのかと思って、瞬時に言葉が出なかった」と説明した。】( http://www.asahi.com/politics/update/0929/TKY200809290099.html
 
 らしい。
 まあ、元になった発言は

【外国人を好まないというか、望まないというか、日本はずいぶん内向きな、「単一民族」といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない。】(http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY200809260309.htmlより)

 であり、やっぱしマスコミによる言葉狩りだったのか。
 中山氏の『単一民族』の発言は『内向き』を批判する為の事なんだろうし、別に単一民族を褒めたたえているわけでもない。
「日本は単一民族の国である」と発言しているわけではない。ただ単に日本人が持つ閉鎖性を『単一民族』という言葉で表しただけなんだろうし、そういう意味合いならば『単一民族』が最も相応しい閉鎖的な『内向き』な言葉なのではないのか?

 同じ発言を左翼運動家や、アナーキストが云ったら全く問題にはならなかったはずである。『大臣』以外に、やっぱり『右派的』という偏見があるから『単一民族』という言葉を『否定的』に使っているにしか過ぎなくとも言葉狩りが始まる。
 当然、そんな言葉狩りをする人達と議論なんぞ出来るわけがない。
 議論は相手の話をしっかりと聞かない限り出来ない。相手の話を聞かずにするのは喧嘩であって、言葉狩りは当然、喧嘩でしかない。

 ただ、まあ、成田空港に関する事は暴言でしかないし、その一点だけでも国土交通大臣は辞任した方がエエと思う。
 で、日教組の問題に関しては『持論』なんだろうし、徹底的に議論すればエエ。日教組にも諸々問題があるのだろうし、この際、大臣も辞めた事だし、徹底して議論すればエエ。なんか、かなり覚悟を決めているみたいだし、徹底的にやれば面白い。証拠となる数字があるかどうかは知らんが。。。

単一民族幻想

2008年09月26日 | 坊主の家計簿
 9月26日

 食類  豆腐            120円
     フィレオフィッシュ     100円
     ちゃんぽん         660円
 雑費  電車賃           500円

 合計               1380円
 9月累計           120542円

 学習会。この学習会は『酒なし』という非常に珍しい学習会であって、よって終電近くの電車でもシラフ状態。
 電車に乗る。「うわ!酒臭セ~」
 って、お前、今日は珍しくシラフだったけど、殆どベロンベロン状態で帰りの電車に乗っとるやんけ。身勝手なヤツめ。
 っちゅう事で、帰宅して「これはいかん」と、飲酒して酒臭くしています(笑)

 しゃて、何やら麻生内閣の中山国交相が『誤解を招く表現』をしたらしい。
 http://www.asahi.com/politics/update/0926/TKY200809260309.html
 『成田空港』は誤解もクソもなく、『日教組』も微妙なんだが、『単一民族』を紹介。

【外国人を好まないというか、望まないというか、日本はずいぶん内向きな、「単一民族」といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない。】(上記リンクより)

 まあ、基本は『内向き』から『開国』への表現なんだろうが、前提になっているのが単一民族幻想なのか?まあ、どういう意図で話されたのかは、この文章だけでは解らない。ただ、【「単一民族」といいますか、世界とのあれがないものだから】から推測するに単一民族幻想が前提になっているのかも知れない。ただ、これは歴史観を聞いてみないと解らない。単なる言葉狩りの危険性もあるし。
 んが、少し『単一民族』について。
 何やら小熊英二氏曰く

【日本が弱小の地位にあるときは単一民族論で身を守り、強大になってくると混合民族論で外部のものをとりこむ】(小熊英二『単一民族神話の起源』396ページより)

 らしい。
 小熊英二氏は社会学者(?)なんだろうし、買うだけかって全然読んでいない『単一民族神話の起源』っちゅう本の帯には

【多民族帝国であった大日本帝国から、単一民族神話の戦後日本へ】

 なんぞと書いてある。
 まあ、朴春琴という『日本の国会議員』も居たワケやしなぁ。。。満州国なんぞ『五族協和(日本人・漢人・朝鮮人・満洲人・蒙古人)』でっせ。
 
 んが、小熊氏が指摘する【日本が弱小の地位にあるときは単一民族論で身を守り】っちゅう事で、中山国交相がどういう意図で発言したのかは解らないが、『単一民族幻想』を持たれている人達を当てはめるのなら、それは単に『日本に自信がない』っちゅう事なのか?つまり『日本は弱小である』と。

 フッフッフッフ。。。私は極右でもある。どれだけ極右であるかと云えば、例えばだな、タンガクラブに行くには心斎橋、っちゅう地下鉄の駅で降りるのがエエ。まあ、最近はちょっとだけ贅沢になったので、途中で買い物が無い時は難波から心斎橋まで歩くのが面倒になり、行く時だけは地下鉄で1駅だけ乗っているのだ。帰りは当然歩くが。「そんな事で鬼畜米英に勝てるか!」なのだが、まあ、面倒やし。
 んで、心斎橋の駅で降りてタンガクラブに行く御堂筋との交差点にあるファッションビルにオモクソ白人金髪のネーちゃんの写真がデカデカを貼ってある。
 「ちぇー!」と、薩摩示顕流でブッた斬るのだ。あ、ホンマにやったら多額の賠償金を求められるのでやらないのだが。
 「この西洋被れの売国奴が!白人金髪がカッチョエエとは劣等感の塊ではないか!」と云うぐらいには極右である。
 ついでだが、「西洋に比べると日本は遅れている」も極右の私はムカついてしゃーない。カスが。。。日本は日本だし、他国と比べる必要性は全くないし、なぜ『西洋』と比べる。
 「日本は北朝鮮に比べると遅れている」とか
 「日本はパプアニューギニアに比べると遅れている」とか、なぜ云えん。
  まあ、西洋に対する劣等感で、つまり『劣等感』を『コンプレックス』と表現するような西洋被れは決して認める事が出来ないぐらいには極右である。
 そんな極右の私からすると、『単一民族幻想』の持ち主なんぞは、「根性が足らん」、っちゅうか、「愛国心が足らん」っちゅう事である。

 日本は日本なのだ。当然、歴史的な事柄があるのだが、今時点では『列島』であるのが『日本』である。
 当然、この列島は、どデカイ大陸があり、朝鮮半島があり、で、列島である。
 所詮、その列島に住んでいるだけである。その列島に住んでいる人達を、仮に『日本人』と呼んでいるだけの話である。んなもん、単一民族であるわけがない。
 朝鮮、琉球、アイヌ、中国系の人達を除いても、『日本人』幻想も危ない。
 例えば大阪には『タンメン』はない。殆どない。『タンメン』に似た様なもので『五目ソバ』っちゅうのはある。これは『タンメン』よりも野菜の旨味がスープに溶け出した『はんなり』とした味である。決して関東人が好んで食べる『タンメン』なんぞではない。
 つまり、『五目ソバ=関西人』であり、『タンメン=関東人』である。これはRNAの配置の問題であって。。。え~。。。どんどんと酒臭くなって来たなぁ。。。

 単一民族にこだわる人達は、変わりゆく『日本』という国に自信を持てないが故に『単一民族』という幻想を持つのかも知れない。
 自信を持てないのは、私も同じである。 
 故に、何か『馬糞』みたいな幻想にしがみついたり、あるいは『極右』として排他的になったりして自分勝手なマンマである。
 自分がシラフの時は夜遅くの電車に乗って「酒臭い」と思うのが紛れもなく私である。
 『単一民族』にこだわりを見せるのも『馬糞』だし、何かによって自信を持つのも『馬糞』である。馬糞を握りしめているだけの話であり、日本は馬糞を握りしめた煩悩具足の凡夫のクニである。
 単一の煩悩具足の凡夫のクニである。当然、これも『馬糞』でしかない。当り前だ。仏教徒なんだし。

 自分がシラフだと酒臭いのがイヤになる。
 『シラフ』だから『酒臭い』のがイヤになる。
 『シラフ』だから『人間臭い』のがイヤになる。
 『聖人君主』だから『人間臭い』のがイヤになる。

 と、すっかり酔っぱらった私は思う。

『神道は宗教に非ず』

2008年09月25日 | 坊主の家計簿
 9月25日

 外食  かき揚げ蕎麦       347円
 食類  カップ麺2        196円
     豆腐            98円
     白ネギ          128円
     コンニャク        138円
     かしわ          240円

 合計              1147円
 9月累計          119162円

 小泉氏の政界引退が発表されたらしい。。。
 リアクションが思いつかない。。。まあ、夕寝で爆睡してたし、「寝ぼけている」っちゅう事で。
 麻生内閣が出来たらしく、いよいよ選挙ムードなんだろう。小泉氏が「次の選挙には出ない」っちゅう事が発表されたわけやし。

 しゃて、自民党の憲法20条に関する改憲案では

【国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。】

 とある。
 『天皇』は習俗なんだろうか?天皇が『天皇』として行う宗教儀式は習俗なんだろうか?
 例えばクリスチャンなんぞは『天皇の即位の儀式における政教分離に関する要望書』を日本カトリック司教協議会常任司教委員会委員から出していたりする。(http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/891109.htm
 1989年の事であり、当時の仏教教団の動きは知らない。

 天皇の宗教儀式が全て習俗であるのなら、自民党の憲法20条に関する改憲案では『宗教』でなくなってしまう。宗教でないのなら、政教分離も関係ない。天皇の宗教儀式は『習俗』として『援助、助長若しくは促進』する事は憲法上、何ら問題がない事になる。

 当然、天皇教の信仰を持たれている方は居ても構わないと思う。っちゅうか、『構わない』という言葉自体が失礼、無礼千万な発言である。信教の自由はあるのだ。天皇教の信仰を持たれていても、それは私が仏教徒である事と全く同じであり、対等でしかない。
 当然、神道と仏教では宗教が違うので、相互批判はあるだろうが、それも相手を尊敬する中にしかあってはならない事である。仏教からの視点で神道を見れば『おかしい』のは当り前であり、その逆もしかりである。批判といっても、その前提がなけらばただの強制でしかない。押しつけでしかない。
 大峰山の信仰を、違う視点から見れば『おかしい』のは当り前の事であり、故に、相互批判があっても当然だが、「大峰山は間違っている!」とは偏見にしか過ぎない。
 偏見から離れる事は無理だが、その事を『偏見でしかない』と認識するのと、『これが正しい』とするのとでは全く違う。

 あ、話が。。。

 天皇の宗教儀式が習俗になる。つまり『宗教』でなくなる。国民の象徴が特定の宗教行為を『習俗』として行う。
 異教徒としては、そんな事が認められるわけがない。
 特定の宗教が習俗、つまり『当たり前の事』になってしまう。
 『当り前の事』と、『特異な事』である。
 んが、まあ、今でも宗教をやっている人は『特異な人』として見られている場合も多いのだろう。葬儀や法事を特定の宗教教団の儀式で行いながらも、その事に無自覚であり、故に「私は宗教をやっていない」と。
 宗教=キリスト教や、いわゆる新興宗教になっているのかも知れない。
 仏教でも、オウム真理教や、創価学会は『宗教』であり、伝統教団は『宗教ではない』になる。っちゅうか、そういう事が多いのではないのか?

 習俗。当り前の事。
 そんなものはない。
 葬儀や、法事等の仏事も宗教行為であり、神社での祭も宗教行為である。
 当然、皇室の儀式も宗教行為でしかない。
 宗教行為である限りは、その信仰を持たれている人達の中では意味のある事なんだろうが、異教徒にとっては意味はない。
 当然、意味がないから『どうでもエエ』っちゅう事で、例えば大峰山に女性が無理矢理登ったりする事は、その信仰を持たれている人達に対する冒涜であり、また、『宗教全般』に対する冒涜でもある。

 日本の国が

【国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。】(自民党の憲法20条改憲案より)
 
 として、特定の宗教に対して『援助、助長若しくは促進』する事は認められるわけがない。
 当然、そんな憲法改憲案を持つ政党になんぞ投票出来るわけがない。
 
 宗教は、宗教なのだ。
 戦前の『神道は宗教に非ず』に戻るのもイヤだし、当然の如く、伝統仏教も宗教でしかない。

そろそろ、秋

2008年09月24日 | 坊主の家計簿
 9月24日

 食類  発泡酒         198円
     カップ麺3       294円
     ちょっとエエ牛肉    368円
     キムチ          89円
     焼そば麺         38円

 合計              987円
 9月累計         118015円

 眠い。。。
 んが、涼しい♪
 彼岸法要が終わって、夜のお買い物。まあ、御近所スーパーまでなのだが、Tシャツ1枚では、少し寒いくらい。エエ感じや。

偏見を問う道

2008年09月23日 | 坊主の家計簿
 9月23日

 外食  昼飯         589円
 食類  ちょっとエエ牛肉   347円
     麺つゆ2       176円
     そうめんつゆ      98円
     焼そばソース     178円
     発泡酒        198円

 合計            1586円
 9月累計        117028円

 私は今日も嘆かねばならない。
 王監督が今季限りでの勇退を決めたらしい。
 で、報道ステーションで見た街の声なんだが「えっ?」はおかしいやろ。「おお!」と何故云えん。
 残念である。非常に残念である。私は悲しくて仕方がない。王監督が勇退する記者会見を開いたのだ。で、それに対する街頭インタビューである。「おお!」が云えないのなら、そいつはお笑い芸人としては失格である。基本がなっとらん。根本的に失格である。まずは「おお!」だろう。そして、その後にどれだけ面白い事が云えるかが、芸人としての腕だろう。あるいは、「おお!」よりも面白いリアクションがないとダメである。「おお!」自体もレベルが低いが、しかし、「えっ?」は『お笑い』にすらなっていない。「おお!」はまだ『お笑い』の範疇であるが、「えっ?」はお笑いの範疇ではない。単なる『街頭インタビュー』でしかない。
 ん?単なる街頭インタビューだったのかも知れないが。。。

 しかし、安心してはならない。我が日本が何時『お笑いファシズム』になっても対応出来るようにならないと、つまり『日本人=お笑い芸人』である、という価値観が出来た時に対応出来るようになっておかないと、我々は『日本人』ではなくなるのだ。
 つまり、王監督が勇退記者会見を開いた後の街頭インタビューで、最低でも「おお!」と云っておかないと「貴様は非国民だ!」とレッテルを貼られるかも知れないのだ。

 と、まあ、彼岸の中日で忙しかったので、変わらず下らん事を書く。

 んが、先日、っちゅうか、この前の日曜日に関西ローカルのテレビを見てたら、何やら過去の名場面の特集みたいな感じの番組だったのだが、そこで櫻井よしこ氏が「日本の歴史を知らない人は日本人ではない」みたいな発言をして居られた。
 これは「お笑いが出来なければ日本人ではない」と同じである。。。っちゅうか、たいして変わらんと思う。
 私は戦国オタクであったりもする。それ程詳しくはないが、それでもガキの頃に爺ちゃんの本棚にあった歴史関係の本を爺ちゃん婆ちゃんっ子だったので読んでたし、『信長の野望』というゲームは最初のヤツからハマっている。司馬遼太郎の本は殆ど読んだし、まあ、日本の歴史には少し詳しい。
 故に、私は櫻井よしこ氏から「あなたは日本人です」と認められるのかも知れないが、別に認められたくないわ。誰に認められんでも、とりあえずは日本国籍は持っとるぞ。別に「私は日本人である」として生きていくつもりはないが、それでも日本人である事には変わりはない。
 異教徒の神である天皇の天皇制には反対であるが、それでも日本人には変わりはないはずである。
 「そんな事では海外に行った時に恥をかく。自国の歴史や文化を知らない事は、海外に行くと恥をかく。」やったけな?なんかそんな事を書いている本があった記憶があるのだが、そんなもん「どうでもええわい」である。そういう人には「やかましい、ボケ!口から手を突っ込んで脳味噌ガタガタいわしたろかい!」という大阪の伝統的脅し言葉を吐き捨て、「これが大阪の歴史じゃい!」とやなぁ。。。なんか、迎合している気もするのだが、まあ、エエわ。
 日本人である事の条件は、別に日本の文化や歴史に造詣が深い、なんぞと云う事とは関係ないやろうがい。
 先に『国籍』と書いたが、これも微妙な問題であるが、まあ、国籍があれば『日本人』である事には間違いはない。当然、『日本人』である事によって強制される事は真っ平御免だが、『日本人』である事の条件として『日本の歴史を知らない』は全く関係がない。
 まあ、別に『日本人』にこだわる必要性もないのだが、『日本人』と云う事に対して条件を出されると腹が立つ。私の中の愛国心がメラメラと燃え上がり、「そんな事を云うヤツは日本人ではない!」と云いたくなるのだが、これも条件なので当然、おかしな話である。
 まあ、何かの条件を付けられる筋合いはない。
 別にこの島、列島から出て生活しようとも思わん。この島、列島には多くの人達が居るのだろうし、当然、日本人以外の人達も沢山おられる。んが、共に同じ『島』『列島』に住む人達には変わりはない。
 その中で『日本人』という、まあ、日本国籍を持つ人達がいる。その中で「日本の歴史を知らない人は日本人ではない」という発言は全くもって可笑しい。
 アイヌ民族の歴史を持つ『日本人』も居るし、琉球民族の歴史を持つ『日本人』も居るし、朝鮮民族の歴史を持つ『日本人』も居る。
 何をワケの解らん条件をつけてやがるねん。

 少し展開する。
 『男らしくない男も男でしかない』
 『女らしくない女も女でしかない』
 『どっちでもない人も人間でしかない』

 信じられない話だが、大阪にだって巨人ファンは居るのだ。巨人ファンの大阪人に対しては「貴様はそれでも大阪人か!」と叫びたくなったりもするのだが、まあ、大阪に住んでいる限りは『大阪人』である事には間違いない。

 当然、それ等にこだわる必要性は一切ない。ないのだが、何かの条件を付けられ事は、うっとうしくて仕方がない。
 誰かに、何かにレッテルを貼られる筋合いはない。そんなもんは自分で選ぶもんであって、誰にそんな権限があるのか?そんな特権階級なんぞ認められるわけがない。

 大昔に『いし』『かわら』『つぶて』とレッテルを貼られた人達が居た。今ならなんだろうか?『人間のクズ』みたいなもんか。
 当然、誰かが、何かが決めた価値観でしかない。つまり『絶対的』なものではない。人が作り出した価値観、つまり偏見でしかない。
 しかし、その偏見の持ち主が、その事を『偏見』であると思わずに、しかも何かしらの権力を持っていたりするとややこしい。差別構造の出来上がりである。
 けど、そんな事は偏見なのだ。誰かが、何かの思想に基づいて勝手に作り出した価値観でしかない。

 今もインドではカースト制度がある。『カースト制度』はヒンドゥ教の価値観である。
 仏教徒には関係がない。仏教はカースト、つまり『四姓』に象徴されるカーストが『四姓平等』である。

【一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。】(釈尊)

【犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福される時が來たのだ。
 吾々がエタである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒涜してはならなぬ。そうして人の世の冷たさが、何んなに冷たいか、人間を勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
 は、かくして生れた。
 人の世に熱あれ、人間に光りあれ。】(宣言より)

彼岸の『お約束』

2008年09月22日 | 坊主の家計簿
 9月22日

 外食  ラーメン       409円
 食類  イカゲソ       100円
     天ぷら        100円
     発泡酒        198円

 合計             807円
 9月累計        115442円

 自民党総裁は結局麻生氏に決まったらしい。
 今日は彼岸法要初日だったのでちゃんとテレビニュースを見てないからかも知れないが、何故街頭インタビューで質問された人達は「あ、そう」と答えないのだ。これは『お約束』ではないのか?確かにベタベタである。ベタベタの親父ギャグなのだが、それでも『お約束』ではないのか?
 きっと、インタビューをする人も期待していたはずである。
 なんせ、麻生氏の他には、与謝野氏、小池氏、石原氏、石破氏である。この中で『お約束』に使える名前の持ち主は麻生氏しか居ないではないか?なぜ、『お約束』を云わない。
 ああ、日本はなんて酷い国になってしまったのだ。。。きっと『センスある笑い』に日本は向かっているのかも知れない。あるいは『お笑いは間である』なのかも知れない。しかし、『お約束』を忘れてしまって、何の為の『お笑い』なのか?
 っちゅうか、編集でカットされたのかも知れないのだが、それはそれで問題である。何の為の『麻生氏』なのだ?一世一代の『お約束』の場面ではないのか?
 私は非常に残念である。残念で残念で仕方がない。

 と、まあ、彼岸法要で疲れた頭で何を書いているのだか。
 そうなのだ、彼岸なのだ。彼岸。

 日本の伝統文化の彼岸。
 彼岸は煩悩のない世界。此岸(娑婆)は煩悩塗れの世界。
 煩悩塗れの世界。つまり戦争・搾取・差別の世界。当然、んな事を他人事にしてたら『彼岸』も他人事。「私はしていない」とは関係性の排除でしかない。
 
 アイ・アム・フルチン!

【凡夫というは、無明煩悩われらが身にみちみちて欲も多く、 いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころ多くひまなくして、臨終の一念にいたるまで とどまらず、きえずたえずと水火二河のたとへにあらはれたり】(親鸞)

 ♪栄光に向って走る あの列車に乗っていこう
  裸足のままで飛び出して あの列車に乗っていこう
  土砂降りの雨の痛みを 傘もささず走っていく
  やらしさも汚らしさも むき出しにして走ってく
  聖者になんてなれないよ だけど生きてる方が良い
  だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で
  見えない自由が欲しくて
  見えない銃で撃ちまくる
  本当の声を聞かせておくれよ
 (ブルーハーツ『Train-Train』より)

【そのとき、比丘達よ、彼ら衆生には次のような念が生じたのである。
『我々は不善法を行じたことにより、長いこと近親を滅ぼすことをしてきたのだ。それならば、我々は善法を行じようではないか。では、どのような善を行じたらよいのだろうか。そう、我々は殺生を禁じよう。我々はこの善法を受持することにしよう。』 】(『転輪聖王獅子吼経』より)

アイ・アム・フルチン!

2008年09月21日 | 坊主の家計簿
 9月21日

 外食  焼肉ビール       1950円
 雑費  黒霧島         1580円
     レンタル         280円

 合計              3810円
 9月累計          114635円

 レンタルは『うた魂』
 素晴らしいぞ。素晴らしいぞ。阪神が巨人に3連敗して単独首位でなくなっても素晴らしいぞ。

 しゃて、歎異抄という書物がある。真宗仏教ではスタンダードに読まれている書物だと思うし、特に大谷派では非常に親しみのある書物である。門徒も、僧侶も、みなが『歎異抄』を通じて真宗仏教を学ぶ。そういう書物である。ある意味、っちゅうか、間違いなく、親鸞が書かれた書物よりも多く読まれている。何やらテレビで『男たちの大和』やったけな?そんなのがやってたが、学徒動員された人達にも愛読されていた書物でもある。
 歎異抄を書かれた人物、とされているのは唯円という人になっている。実際の所はよく解らん。一応、「まあ、唯円だろう」と云う事になっている。
 この『唯円』なんだが、『唯円』という、如何にも僧侶チックな名前なので『僧侶』と思われている人も多く居るのだろうが、僧侶ではない、はずである。唯円が出家得度した話なんぞは聞いた事がない。
 親鸞の他の直弟子には『元々僧侶』だった人も居てたはずであるが、唯円はそうではない。単なる親鸞の直弟子であり、つまり『真宗門徒』でしかない。
 当り前の話である。関東での親鸞は、流罪は許されたとは云え、出家・得度をさす権利なんぞを持ち得ていなかったし、また、『無戒名字の比丘』を標榜する親鸞が、『ただ念仏』の親鸞が、「他宗派で得度して来い」等と勧めるわけがないし、また、原始親鸞教団において、そんな事が問題になっていたとは思えない。つまり、『僧侶』である『在家』である、等が問題になり得る余地が『ただ念仏』の中に入り込む隙間がない。行として念仏しか選ばなかったが故に、『僧侶』でも『在家』でも一緒に出来る行しか選ばなかったのだから。
 真宗仏教は『在家仏教』ではない。『僧侶』『在家』との区別がない教団なのだ。多分、世界的に非常に珍しい、オリジナルの教団なのだ。そして、これが真宗教団の特徴でもある。

【ある紙面に、「一兆一千億円市場の全貌」として、宗教を巨大ビジネスとする記事があった。そこには、信者の区分、墓石、墓地の現状等を出版社独自の集計をもとに宗教ビジネスというものを営利の対象のみとして表現されていた。
 このことは、宗教界全体の宗教的精神の希薄化と宗教の単なる儀礼化を指摘しているのかも知れない。】

 上記の文は『真宗』という、恐らく真宗大谷派の全寺院に発送されている機関紙の2008年5月号に書いてあった言葉である。目次の次のページ、つまり、記事としては冒頭にあたる、毎月『樹心佛地』として書かれてある記事の中にあった冒頭の言葉である。

 『僧侶』も『在家』も、クソもないのが真宗教団の特徴である。
 『在家』、つまり『檀家』である。
 『門徒』と『檀家』は違う。『門徒』は僧侶も檀家もない世界である。檀家は僧侶と檀家が別れているが故に『檀家』なのである。
 故に、『僧侶』と『門徒』が区別されている事は、本来、あってはならない事である。共に、単なる『門徒』なのである。

 唯円は恐らくインテリであったと考えられる。まあ、単純に文字が読み書き出来たからだけなんだが。ひょっとしたら、そこから唯円を中心とする門徒集団があったのかも知れない。まあ、小さなサークルだろうが、インテリ唯円から真宗仏教の教えを聞いた方々が居られた事だろうと思う。まあ、唯円はともかくとして、そういう門徒集団が多くあったみたいだし。
 だが、それでも『共に門徒』であったと思われる。

 今の大谷派のトップ(?)は、門首という。『門徒の首座』である。
 つまり、現状では大谷家の血筋の方だが、それでも『門徒』でしかない。

 そんな『門徒集団』である真宗教団には合唱がある。まあ、『合唱』っちゅうたら多少の違和感があるのだが、まあ、『声明』なんだが、門徒集団での声明であり、合唱みたいなもんである。
 何やら2011年の親鸞聖人七百五十回御遠忌では、難しい声明を捨てて、門徒集団で共に合唱出来る形式に変えるらしい。ん?漢字が変か。『変える』でなく『還る』の方が適切なんだろう。

 映画『うた魂』では、主人公の夏帆ちゃんは自意識過剰な女の子。でも、ある時に自意識過剰であるが故に、心傷つく事があった。その事で、大好きな歌を、合唱を辞めてしまう。
 そんな時に、ある人達に出会う。合唱する事が好きで好きでたまらない人達に。
 「アイ・アム・フルチン!」と。
 夏帆ちゃんはフルチンを恥ずかしがっていた。でも、その人達に出会う事によって、夏帆ちゃんも「アイ・アム・フルチン!」と叫ぶ。周囲からカッコ悪いと見られようがなんだろうが、『歌う』事の楽しさ、合唱する事の素晴らしさに立ち返る事が出来た。

 真宗教団は多分、他の宗派からしたら変であるだろう。上座部仏教の人達からすると、「真宗は仏教ではない」
と云われているのかも知れないし、インテリ仏教学者もそういうだろう。
 なんせ、『出家(僧侶)』と『在家(檀家)』の区別がない教団なんだから。
 でも、それが故に、共に合唱出来る。
 つまり、僧侶が読経するだけでなく、門徒集団での合唱が出来る。
 2011年に本山、つまり『真宗本廟』で行われる御遠忌というビックなイベント、っちゅうか法要は、同朋唱和で行われる。
 恐らく、他の宗派での大きな法要は、僧侶が読経する形なんだろうが、真宗教団、っちゅうか、他の教団は知らないが、大谷派では同朋唱和で行われる。つまり、堂内に居ている人達が『僧侶の読経を聞くだけ』でなく、共に合唱するのだ。門徒集団として合唱するのだ。
 変もクソもない。それが真宗教団なのだから。
 他宗のマネをする。つまり『仏教教団らしく』であったり、『僧侶らしく』を目指すのはチャンチャラおかしい。そんなものは
 
 【宗教的精神の希薄化と宗教の単なる儀礼化】(『真宗』2008年5月号4ページより)
 
 にしか過ぎない。

『ぼくが ここに』

2008年09月20日 | 坊主の家計簿
 9月20日

 雑費  レンタル1       280円
 食類  無添加ワイン      398円
     レバニラ        149円
     うどん玉         28円

 合計              855円
 9月累計         110825円

 レンタルは『死神の精度』。

 間違いない。阪神には死神が憑いている。ここは死神に『見送り』を選択して貰わないと。逆に巨人に『決定』だ。もう、ここまで盛り上げてんから満足しただろう。もお、エエやん。なんとか勘弁したってくれや。。。

 っちゅう事で、気分が悪いので『死神の精度』の悪口。
 え~。。。小西真奈美の出場シーンが少ない!ボケか、こら!何の為にわざわざ280円も出して借りたと思てるねん。ひとえに『小西真奈美見たさ』しか理由はないねんぞ。確かに真奈美タンは芝居はヘタや。富司純子の圧倒的な演技と美しさには敵わん事は解っとる。年老いてもあの美しさは異常やぞ。まあ、きっと蒼井優ちゃんが老いたらああいう感じになるのかも知らんが、素晴らしい演技と、素晴らしい美しさ。よって富司純子の出演シーンがメインになるのはしゃーないのかも知らんが、しかーし!それでも真奈美タンやんけ。一応、売り出し中の役者さんやおまへんかい。もっと出したらんかい。
 
 あ、映画の内容。まあ、『映画』っちゅうか、レンタルDVDなんだが。
 『死神の精度』は、超名作『ベルリン天使の詩』を100万倍ぐらいに薄めた感じやな。まあ、ちょっと安っぽい。阪神が勝ってたら「素晴らしい!」と褒めてやってもエエかも知らんが、阪神が負けたので駄作やな。富司純子以外は、ストーリーも、映像も安っぽい。
 テーマは『死』であるのだろうが、それも、ちと安っぽい。
 っちゅうか、『安っぽい死』なんぞはあり得ないのだが、『死』を考える映画にしてはかなり安っぽい。
 
 富司純子以外に良かったのは、富司純子が死神に対して批判する場面。
 「あなたは死神だからそんな事が云えるのよ」と。
 死神は死を知らない。っちゅうか、生きている誰しもが死を知らない。当り前の話である。死んだ事がないから。死んだ事のない人間に『死』なんぞは解るわけがない。あくまでも生きている人間が考える『死』でしかない。
 当然、原作者も、映画監督も、脚本家も、死を知らない。死を知らない中で語るのなら、それは死神と同じでしかあり得ない。
 自殺未遂しようが、大病をしようが、親しい人達が次から次へと死んで行こうが、んなもんはあくまでも生きている側から考える事でしかない。

 まあ、そういうのもあるのかも知れんが、死神は迷う。「この人を殺してイイのだろうか?」と。映画のラストシーンはそういう事を伝えたかったのかも知れない。
 んが、映画としてはやはり駄作である。阪神が負けたからである。巨人が1ゲーム差に迫って来たからである。

 と、まあ、見事に今日も気分で生きているのだが、まあ、気分だ。気分次第なもんだ。恐らく、昨日も今日も巨人に勝ち、ゲーム差が5ゲームに開いていたら、多分、『死神の精度』に対する見方も変わっていただろう。
 「ハッハッハッハ!これで優勝間違いなしや!今日は勝利の美酒でっせ!」と御機嫌、御機嫌である。多分、私が結婚していて、ガキなんぞが居たら、そういう時に「お父さん、DSの新しいゲームソフトが出たの。」と云うだけで「よっしゃ、よっしゃ。今からネットで買ったろ」である。
 しかし、1ゲーム差になった今なら間違いなく「貴様はそれでも帝国臣民か!恥を知れ、恥を。贅沢は敵だ!鬼畜米英はもっと敵だ!」と云う事間違いなしであろう。

 と、まあ、こんなもんである。


    ぼくが ここに いるとき
    ほかの どんなものも
    ぼくに かさなって
    ここに いることは できない
 
    もしも ゾウが ここに いるならば
    そのゾウだけ
    マメが いるならば
    その一つぶの マメだけ
    しか ここに いることは できない
    
    ああ このちきゅうの うえでは
    こんなに だいじに
    まもられているのだ
    どんなものが どんなところに
    いるときにも
   
    その「いること」こそが
    なににも まして
    すばらしいこと として
   (まどみちお『ぼくが ここに』)

 
 当然、『誰でも』である。
 死神になんぞ判断される筋合いはない。
 まあ、だから『死神の精度』っちゅうタイトルなんだろうが。。。

時代はバーチャル!

2008年09月19日 | 坊主の家計簿
 9月19日

 食類  かにメシ          200円
     キャベツ          158円
     トマト缶           98円
     レモンティー6       570円
     発泡酒           185円
     ピーマン2         100円

 合計               1311円
 9月累計           109970円

 台風。昨晩のニュースでは今夜辺りが台風最接近で、しかも雨が強くなるとかなんとかの予報。「夜の御参りビショビショやのぉ。。。」と思てたら、何の事はない、夜には雨が上がってた。っちゅうか、朝方に降ったぐらいで、後は気にならん程度。
 ラッキー♪である。

 しゃて、天王山決戦の阪神・巨人戦。巨人の勢いで阪神が優勝せえへんかったら、「如何にも阪神やのぉ。。。」なんだが、やっぱし勝って貰いたいもんなんだが、今夜は負け。巨人は強いわ。当り前やけど。
 多分、今ごろ巨人ファンは大喜びしているのだろう。

 思いが適うと喜び、思い通りに行かないと悲しい。
 阪神ファンにとって、今夜の巨人は優しくなかった。まあ、当り前だ。阪神でなく、巨人なんだから。別に阪神の為に巨人が存在しているわけではない。巨人は巨人という独立したチームであり、決して阪神を盛り上げる為に存在しているわけではない。阪神ファンが喜ぼうが、悲しもうが、「死ぬ前にもう一度阪神の優勝が見たい」と云おうが、巨人は巨人なのである。
 そして、それが現実なのである。

 筋書きのある妄想なら話は別である。水島新司の漫画『あぶさん』では主人公が還暦で4割の打率を残している。水島新司の誇大妄想でしかない。っちゅうか、漫画やし。
 んが、現実の野球は筋書きがなく、ん?とりあえず『ないはず』なんだが、ホンマの所はよく知らんが、とりあえずは無いはずである。よって、筋書きのないドラマは、何が起こるか解らん。まあ、現実やし。決してバーチャルではない。

 「時代はバーチャル」という、恐らく35歳以上の人でないと解らなそうな言葉を使って見る。まあ、別に今の時代だけではなく、ずっとなんだろうが。

 「時代はパーシャル」という冷蔵庫のコピーが出来たのは1985年らしい。今の冷蔵庫はもっと発達して便利になっているのだろう。冷蔵庫だけでなく、家電全般もそうだし、当時は面倒だったパソコンも簡単に、安価になった。世の中は便利に便利に、いや、都合良く、思いに適う生活を求め続けている。
 しかし、それでも阪神は負け、蒼井優ちゃんは岡田某とかいうアイドルと恋愛し始める。
 「うぅぅぅぅ。。。こんな世の中なんて、ボクの望んだ現実ではない。。。」
 といっても、これしか現実はなかったりする。現実は、蒼井優ちゃんが岡田某というアイドルと恋愛する世の中なのだ。

 『バーチャル』と云う言葉は、最早『死語』に近いのかな?

 『優しくなりたい症候群』と勝手に名前をつけているのだが、優しくなりたい人達。『都合』や『思いに適う』事を重んじる人達。
 そうか、バーチャルは『癒し』に展開したのか?
 癒し、癒される、バーチャル空間。

 台風は、大阪は通り過ぎたはずだが、まだどっかに居ているのだろう。
 麻生氏が「岡崎だったからいい」なんぞと発言したらしい。
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080914-OYT1T00487.htm
 何やら、
 【「公共工事は、都市部でもきちんと行うべきだ」という趣旨の演説の中での発言】(上記リンクより)
 らしいのだが、失言は失言である。よって、麻生氏は謝罪したらしい。

 この言葉を聞いて、別の意味で考える。
 確かに、名古屋等の大都市でなく、「岡崎だったからいい」という心は私にもある。
 水害でなく、地震の方が例えやすいので地震で例えるが、新潟での地震と、大都市とでの地震では被害状況が全然違って来る。新潟での地震、あるいは東北での地震と同じ規模の地震が大都市で起っていたら被害はもっとデカイ。
 当然、犠牲者は犠牲者でしかない。亡くなられた人の人生は誰にも変える事が出来ない。だが、そういう心が私の中に、残念ながらある事は確かである。
 もっと云うのなら、「地元でなくて良かった。。。」と。
 つまり、「私が被害者でなくてよかった」と云う事である。

 「私さえよければイイ」
 これが私の現実である。
 少し逃げさせて頂くが
 
【戦艦の沈みゆくとき己が身を 助けんと戦友をつき落とすときく】(福田春子)

 である。この詩は太田久紀の『「唯識」の読み方』に載ってある詩である。ちなみに114ページ。

 「私さえよければイイ」という心があるのも事実である。
 当然、そんな心は認めたくない。んが、事実であり、事実を認めたくないが故に、バーチャル空間にはないのだろう。

 『都合が良い』『思いに適う』とは差別原理でもある。
 都合が悪ければ排除し、思いに適わなければ排除する。

 バーチャル空間。例えば、天皇が通る道から被差別が見えたらバーチャルでなくなるので、その被差別を排除する。
 あるいは、ハンセン病患者を排除する。

 今なら

 ♪生きている事が辛いなら
  いっそ小さく死ねばいい

 という歌を排除しようとする。
 都合の悪い、思いに適わない事柄、人達を排除する。
 そんな現実を「悲しいが、これが私なのだ。。。」と。

 癒し、癒される関係で、自分がハッキリするのだろうか?
 言い換える。自分と他人の違い、異なる事がハッキリするのだろうか?

 巨人と阪神は違うチームである。阪神ファンにとっては巨人が勝って貰っては困るのであり、巨人ファンにとっては阪神が勝って貰っては困るのである。
 あくまでも自分中心の発想にしか過ぎない。

 『好きの反対はキライじゃないよ無関心』という西原理恵子の名言があるらしいが、マザーテレサも似た様な事を云っているらしい。
 巨人が勝っても、阪神が勝っても、「どっちでもエエやん」という人は無関心なだけである。
 
 『怨親平等』という言葉がある。まあ、敵も味方も平等である、という様な意味合いなんだが、んなもん、誰かを怨んだ中で出てくる言葉。
 『怨親平等』という言葉にすがるざるを得ないから、『怨親平等』と云う言葉が『教え』の言葉になる。

ジェリービーンズ

2008年09月18日 | 坊主の家計簿
 9月18日

 食類  イカゲソ        100円
     鮭ほぐし        100円

 合計              200円
 9月累計         108659円

 3ヶ月間放ったらかしだった月末の家計簿を付ける。え~。。。この3ヶ月間、如何に「ボケ~」っとし、サボりまくって居たかがよく解る。
 ついでなんだが、原チャリの強制保険も放ったらかしになってて、慌てて保険登録の証書を探し出す。近々に行って来な。
 ついでなんだが、府民・市民税も9月1日期限だったのね。これも近々に行って来な。

 とは云え、今日もボケ~、っと過ごす。仕事が終わってから緊張感がないのだ。頭が重く、「なんかしんどい」状態である。まあ、んな時期なんだろう。攻めてもしゃーないけど、やらなあかん事ぐらいはやっとかな。

 っちゅうても、『やらなあかん事』が以外となかったりもするのだが。この場合『緊急に』と前提がつくのだが。
 とりあえず、仕事はせんとアカン。メシ喰われへんし。
 メシも喰わんとアカン。んが、サボリ気味で自炊の量が減って来たり、最近野菜不足なんだが、これは青汁とサプリメントでカバー。んが、今日は食物繊維が足らんか。
 あとは洗濯ぐらいなもん。

 人生の中でやらなアカン事。

 なんか、ちょっくら雑用をかましながらだったのだが、人類滅亡番組を少し見てた。
 『緊急検証!世紀の大予言スペシャル~人類滅亡7の警告~』とか云うらしい。
 こういう番組を見てたら毎度思うのだが、100年経ったら殆どの人は死んでる、っちゅうねん。
 あと、『人類滅亡』っちゅうよりも、殆どのケースは『今までの生活が出来ひん』ぐらいなもんやろ。なんちゅうんですか?『現代文明』とでも云うのか?
 「資源がなくなるぞ!」って、あーた。資源がなくなったら、なくなったなりに生活せんとしゃーないやんけ。当然、資源をある特定の国々の人達しか使う事が出来なければ、それはそれで問題だが、今もそうやんけ。未来永劫に『現代文明』のマンマで、豊かな生活が満喫出来る事だけが『明るい未来』とは、ちょっと寂しい話や。
 まあ、予言はともかくとして、地球だって『星』なんだから、いつかは滅ぶのだろう。変化しないもんなんてないわけやし。
 んが、まあ、出来れば「ここままであって欲しい」っちゅう欲もある。んが、そんなもんは『欲』以外の何ものでもない。

 何やら、米騒動らしい。しかも大阪の企業が発端らしい。あの『汚染米』っちゅうのか?一連の報道を見ていると、なんかジェリービーンズを思い出す。あの着色料いっぱいのアメリカからやって来たお菓子。
 どうでもエエのだが、日本はよくジェリービーンズを食べるような国と戦争したな。当時でも日本からアメリカに行ったヤツは居てるだろう。で、ジェリービーンズを食べた日本人も居ただろう。で、日本に土産で持ち帰って「アメリカとだけは絶対に戦争をしたらダメです。あいつらこんなもん食べてやがるんでっせ」と。
 「おお!なんちゅうもんを食べてるヤツ等や。あいつ等は危険や。何をしだすか解らんぞ。」
 とはならなかったのか?

 とは云え、今は、っちゅうか、当時から人口着色料があったのかも知らんが、日本だってジェリービーンズもあるし、ジェリービーンズに負けず劣らずの危険な食べ物がいっぱいある。今でも多分、アマゾンの奥地に居てるヤツにジェリービーンズを差し出し、自分も食べたりすると、とりあえず無条件降伏ぐらいしてくれると思うぞ。
 「こいつ等は食べ物に無茶苦茶しやがる。こんな連中と戦争したらアカン。何をしだすか解らん」
 と、現地の長老会議で話される事、間違いなしやで。

 『食べ物』と書いたりする。つまり『モノ』だ。
 人間のモノ化は奴隷制度だったりするのだろうが、同じやな。
 『モノ』を『奴隷』として、つまり、『利用するべきモノ』として扱っているから『食べ物』であり、『モノ』なんだろう。

 昼休憩の時にテレビを見てたら、まあ、毎度のプチグルメ番組なんだろうが、「このピーマン、甘いですね」と。そのうちに苦瓜も甘くなるのかも知れんのぉ。。。苦瓜は苦くてナンボのもんだと思うのだが。甘いものが欲しけりゃ、何にでも砂糖をぶっかけて食べとけ。

 食べ物は商品になった。まあ、『食べ物』として『モノ』になっているわけだから、そのマンマなんだろうが、商品になり、金儲けの道具になった。

 テレビドラマ『おせん』。
 ああ、ついに蒼井優ちゃんの話題に触れなければならない時が。。。岡田某かなんか知らんが、テメーは単なる『アイドル』であり、蒼井優ちゃんは『名女優』である。つまり、価値が違うのだ、価値が。100年後に名前の残る蒼井優ちゃんと比べて、岡田某は10年後に名前が残って居るのか?人間としての価値が違う。そんな岡田某が蒼井優ちゃんと付き合える事は本来身分の差で国家が許してはならない事なんだが、今の自民党政府はボンクラなので付き合いを黙認しているみたいだが、本来はあってはならないのだ。
 っちゅう事は全くなく、単に人間同士だし、別にエエのだろう。

 テレビドラマ『おせん』では、蒼井優ちゃん演じる『おせん』は、食べ物を『○○さん』と呼んでいた。まあ、「お米さん」とか。そして、その『食べ物』が粗末にされると「可哀相」と。
 料理を作る時も「おいしくなあれ、おいしくなあれ」である。
 こういう感覚は、まあ、食べ物は『食べ物』なのかも知らんが、でも、『モノ』でなく、『商品』でなく、『○○さん』である。

 自分中心に生きている。自分中心にしか生きれない。
 言い換えると、人間中心でしかない。この一点に置いては私はヒューマニズムはキライである。
 んが、当然、差別は問題であり、人間の『モノ化』、つまり、奴隷化にも反対である。
 同じく、食べ物を、つまり『同じ価値を持ついのちの死骸』を『食べ物』と『モノ』とする事にも反対である。ブロイラーなんぞが典型なんだろうが、商品であり、商品であるが故に、効率でしかない。
 商品であり、金儲けの問題であるが故に、汚染米でも流通させる。

 とはいえ、そういう状況にしか生きていない。食べ物を『食べ物』『モノ』としてしか扱っていない現実の生活がある。
 美味しいものを食べたいし、カロリーの低い食べ物が流行る様に、お腹一杯食べたい。毎日食べたい。ダイエットしてでも食べたい。
 贅沢したい。欲望は満たしたい。出来ればこの文明が永劫に続いて貰いたい。
 だから、人類が滅亡するのはイヤ。

 『死ぬのはイヤ』
 なんだが、『思いが適わない』と死にたくなる。当り前である。『思い』を中心に、『思い』を『私』として生きているのだから、思いが適わない事があると死にたくなるのは当然である。死にたくないのは単に、今の生活が思い通りに行っているからに過ぎないのではないのか?タマタマ、思いに適う生活があるが故に、死にたいと思わないだけではないのか?
 当然、『死にたい』と思った後に、「あ、変わらずに自我中心で生きとるのぉ。。。」と、仏教者なら信仰に立ち返る事が出来るのだろうが、悟りでも開かん限りは『思いが適わん』と死にたくなるのではないのか?
 ちなみに『自殺』は『殺』である。つまり、自分の周囲の環境を整える為に、相手を殺すのか、それとも自分を殺すのかの違いだろう。
 欲望を満たす為に生きている、つまり『煩悩具足の凡夫』である事には変わりはない。

 汚染米を売りさばくのも、多分、経済的な問題からだったのだろう。金儲けをして、生活をせんとアカンわけやし。それが彼らの仕事なわけなんだし。
 けど、欲望は欲望でしかない。
 その欲望の為に、周囲の人達を『モノ化』しているのは、恐らく、全ての人達と変わりない。

 だから、問題である。
 蒼井優ちゃんを見習おう。格下の岡田某ですら『対等な人間である』として見る眼を持つ蒼井優ちゃんを見習おう。
 ん?なんか個人的な怨みがかなり混じっているなぁ。。。

 テレビドラマ『おせん』では、「お米さん」である。
 確かに、食べ物ではあるし、食べ物なんだが、それだけではない。やっぱし、『お米さん』である。

 汚染米は、ジェリービーンズを作る際の原材料としては相応しいのかも知れない。あのワケの解らん食べ物、多分、甘いもの好きのグルメリポーター、単純な舌を持つ、なんでも「これって、甘いですね」とピーマンですら美味しいという褒め言葉に「甘い」を使うような、甘ったれた、多分、『優しくなりたい症候群』の環境で育てられた甘いもの好きの人達にはピッタリなのかも知らん。
 ジェリービーンズを食べて、「ほらほら、見てよ。私って、こんなに色きらびやかなのよ」と。「私って、ジェリービーンズみたいに甘い人間なのよ。とても優しいわよ」と。

 優しくなくとも、苦くても、辛くても、なんの味がしようが、それはその人の味でしかない。
 地球上に60億人居れば、60億の味がある。
 みんな『優しく』なれば、一つの味でしかない。そんな社会は味気ないに決まっとる。まあ、なんでも「甘い」という、『甘い=美味しい』にはピッタリなんだろうし、『優しい=優れている』と同じなんだろう。
 『優しい=優れている』が故に、『優しくなりたい症候群』が流行中なんだろうが、銃後の母か?
 当然、『強い=優れている』も下らん。価値観の統一程、下らん、いや、『下らん』だけでは済まされない問題なのだが、危ない事はない。

 欲望、自我中心。
 私が価値観の中で高得点を出すが故に『私を私として認めれる』のが娑婆世間の価値観にどっぷりハマっている私なんだろう。
 そして、それは『どんなあなたでも』という声とは違う。正反対。
 死にたくなる様な、全く世間的価値観の中で『思い通り』に行かない私でさえも、『どんなあなたでも』である。
 必然的にそれは、私の『思い』中心の発想での他者に対しても同じである。
 後は、『味』が違うだけ。優劣はない。あるのは好きキライだけの話。個人の限界、だけの話。

優しくなりたい症候群

2008年09月17日 | 坊主の家計簿
 9月17日

 食類  ウナギ弁当       200円
     イカさし        100円
     海鮮盛り        100円

 合計              400円
 9月累計         108459円

 今日は、連ちゃん出掛けだったので部屋でゴロゴロと。
 テレビニュースを見ていると、何やらAIGという保険会社が潰れかかったそうな。え~。。。うちの保険会社やんけ。まあ、掛け捨ての医療保険やし、保障もしてくれるみたいなのだが、潰れると手続きとかが面倒そうなので多少は気になる。
 っちゅうか、『アメリカ最大手』の保険会社が潰れかかる、っちゅうのは、どないなっとるねん。AIG系の保険会社を選んだのも「ここなら絶対に潰れへんやろう」と思っていたからなのだが、え~。。。どないなっとるねん。
 リーマンブラザースという証券会社は潰れたらしい。負債総額が日本の国家予算よりも少しだけ少ない額であり、っちゅう事は、世界中の大半の国の国家予算よりもデカイ数字。
 んで、経済の事はよく解らんが、アメリカ政府がAIGに最大9兆円の金をブチ込む、っちゅう事は、アメリカ政府は大丈夫なのか?よく知らんが。
 諸々のテレビを見たりしていると、日本の中小企業は危ないらしい。え~。。。大阪って中小企業の街なんだが。。。

 リーマンブラザースの社員の人達は、次の仕事を探すのは簡単らしい。まあ、アメリカ大手の証券会社だし、そこの社員いうたら、スーパーエリートなんだろう。まあ、次の仕事を探すのもそれ程難しくないのだろう。今までの給料も高かったらしいし、貯金もあるのだろうし。
 
 んが、大阪の中小企業で働いて居る人達や、あるいは人材派遣で働いて居る人達は大丈夫なのか?
 で、その人たちからの志で生活している私も不安になる。

 当然、基本は「死ぬまではメシが喰える」っちゅう事でもある。メシが喰えなくなれば死ぬのだし、よって死ぬまでは喰える。けど、イヤなもんはイヤやぞ。

 イヤなもんはイヤ。でも、現実の状況は引き受けざるを得ない。
 なんか、話を聞いていたらムカついたのだが、年金の金を投資に廻しているらしく、まあ、今回の事も引っ括めると10兆ぐらいの損をするらしい。
 え~。。。役人。何を考えとるねん。江戸時代なら切腹もんやぞ。
 その影響でもって年金受給開始が2~3年程遅くなるらしい。
 やっぱし、政府をとりあえず代えるしかないやろ。代えたからといって、日本の景気がよくなる事も、投資で損した金が戻ってくるわけもない。そういう状況である事には変わりない。日本の借金が減るわけもない。現実は現実であり、現実から始めるしかない。

 昨日の日記を書いた後に、ふと『優しくなりたい症候群』という言葉を思いつく。
 なんちゅうんですが、『釜ヶ崎クリーン計画』、ちゃうわ。え~。。。「天王寺公園から野宿者を追い出せ!」、ちゃうわ。え~。。。まあ、優しい街でんな。夜回り先生が大活躍で大人気の社会でんな。
 優しい街作りだから、当然の事、

 ♪生きている事が辛いなら
  いっそ小さく死ねばいい
 
 という歌が問題になる。『完全自殺マニュアル』も問題になり、優しい人達の優しい社会。
 河内のオッさんも、泉州のオッさんも生きていけない、丁寧な言葉の優しい社会。
 「われ、ナメとったら、どつき回すぞ!」
 なんぞとは決して云ってはイケナイ優しい社会。
 上品な「ホッホッホッホ」という社会。
 優しくなりたい症候群の人達が作り出す、人に優しい社会。ただし、この場合の『人』とは『奴隷』なんだろうが。

 優しくなりたい症候群。
 「ああ、あの人はなんて気の毒な生活を。。。」
 「ああ、あの人はなんて哀れな。。。」
 等々。勝手に人を『気の毒』や『哀れ』にする。で、優しくなりたい症候群の人達の活躍の場が与えられる。
 「朝鮮を文明開化しなければならない!」
 「欧米列強からアジア諸国を解放しなければならない!」
 大きな御世話だと思うのだが。。。

 『苦』を排除する心優しい社会。非常に人工的な社会。
 多分、『優しくなりたい症候群』の人達の本部は指宿温泉にあるのではないのか?
 『慰撫好き(指宿)』
 う~ん。。。イマイチやのぉ。。。

 疲れた時は温泉にでも入ってゆったりするのがエエ。けど、ずっと入ってられるわけもない。

 私は親になった事がない。けど、『親』っちゅうもんは、子どもが独り立ち出来るように育てるもんなんだろう。
 何時までも、子どもの『苦』を排除していく『子離れ』が出来ない『優しくなりたい症候群』。

 日本経済の見通しは暗いらしい。生活はより一層大変になるらしい。選挙等を通じて政治家を批判する事も大事だが、その前に現実の生活が待って居る。
 親離れ出来ない、『苦』を奪われ、甘やかされ続けた子どもが精神的に生き延びて行けるのだろうか?

 どんな人生であっても「こんな人生はイヤ!あんな人生がイイ!」ではなく、「これが私の人生である」と。誰も変わって貰える事のない人生を親を通じてこの世に生まれ、そして、生きていく。どんな人生であっても。
 そんな独立者が、優しくなりたい症候群によって、『苦』を奪われ続けられるような環境から育つとは思えん。

シニタイヤツハシネ

2008年09月16日 | 坊主の家計簿
 9月16日

 諸々  白ネギ           138円
     カップ麺2         236円
     味噌            398円
     豚バラ           246円
     天ぷら2           98円
     うどん玉           20円
     するめ           105円
     サロンパス         745円
     亜鉛            279円
     カルシウム         485円
     マルチビタミン       980円
     目薬            198円
     ビオフェルミン      1580円
     タンガクラブビール     500円
     ドグラマグラ       1600円?

 合計               7608円
 9月累計           108059円

 早朝、漫画喫茶から退出。なんせ値上げしやがったので、「だれが延長するか、ボケ!」っちゅう事でさっさと帰る。
 部屋に帰って、休みなので寝る。
 寝たら、当然、起きる。買い物や雑用もあったので、またまたミナミへ外出と。
 タンガクラブに行って、二連ちゃんのドグラマグラへ。
 
 ドグラマグラで、「お前は典型的な大阪の兄ちゃん」みたいな事を云われる。
 まあ、「テポドンを『撃つぞ、撃つぞ』でビビるのは日本男児ではない。文句あるねんやったら何時でも撃ってこんかい!」みたいな話をしていたからなのだが。。。あんなもんでビビるのは『侍』とは呼べんぞ。まあ、別に侍ではないのだろうが。

 しゃて、先輩達のブログを読んでいたら、何やら、森山直太郎という人の『生きてることが辛いなら』という歌が問題になっているらしい。
 http://blue.ap.teacup.com/sariysr/227.html
 http://www.magadha.net/horyu/log/eid1026.html

 ♪生きている事が辛いなら
  いっそ小さく死ねばいい
  
 という歌詞らしい。
 っちゅうか、リンク(http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND68684/index.html)と。

 歌詞の最後辺りには

 ♪生きているのが辛いなら
  嫌になるまで生きればいい

 とあるし、故に、何が問題になるのかがよく解らんのだが、世の中には高遠菜穂子が好きだったり、夜回り先生の事を尊敬する人達もいるので、多分、そういう人達の中では問題なのかも知れん。
 
 ああ、無痛文明、ここに極まれり、っちゅう話でんな。

 ついでなんだが、

 ♪生きている事が辛いなら
  いっそ小さく死ねばいい
 
 は、私もCMでは聞いた事がある。
 別に関心はないのだが、
 「お前が死ね」っちゅう話でもある。
 「お前に云われる筋合いはない」っちゅう話でもある。
 まあ、CMにも使われる歌でもあるが、面と向かって言われたら、「お前が死ね」っちゅう話でしかない。

 それがCMソングにもなり、社会的影響が大きいのかも知らんが、所詮は歌手が勝手に歌っている事である。そんな歌詞を聞いて死にたくなるようなヤツはカスである。森山直太郎とかいう若造が『死ねばいい』という事に影響されて死にたくなるようなヤツはカスでしかない。
 そんな人は、ザ・ピーズの『シニタイヤツハシネ』でも聞いたらエエと思うのだが。

 まあ、多分、非常に心優しい人達、高遠菜穂子や夜回り先生の事を尊敬する人達が「こんな害悪溢れる歌詞を世の中に垂れ流すなんて。。。」なんぞと騒いでいるのだろうが、そうやって、人の生きる力を削ぎ落として行って何が楽しいのだろうか?

 街は『他者』で溢れている。
 管理され、統制された『国民』と云う名の奴隷ばかりではない。
 心優しい無痛文明の共感者、ファシズムに迎合する人達だけではない。

 おまけ

 
 
 ♪変態 凡人 年をとれ
  シニタイヤツハシネ

  満足するくらいの夢でもみてれば
  いちいちにつまる程のヒマはないのさ
  何べんも思いどおりにいかないばかりで
  とうとういい夢もみれなくなったのさ

  シニタイヤツハシネ
  シニタイトキニシネ
  シニタイヤツトシネ
  シニタイヤツハシネ

  調子んのって弱音吐いて弱気になれてる
  ヒマなオイラは後悔する タラレバと
  する事何もないならケツでも出せば
  オラもうする事何もないしケツは出たまんま

  シニタイヤツハシネ
  シニタイトキニシネ
  シニタイヤツトシネ
  シニタイヤツハシネ

  わざと焦ってるんだ ひとりで焦ってるんだ
  バカがひとりでわざと終わる
  Happy Birthday To You 年をとれ

  正面からマトモに
  自分をみれねーよ ボロだもん
  暮らしを変えるより
  暮らしを変えるより夢を変えたいわ

  やりたい事が多すぎて
  何もやりたくなくなっちまった
  やりたくない事が多すぎて
  何もやりたくなくなくなっちまった
  会いたい人が多すぎて
  誰にも会えなくなっちまった
  考えることが多すぎて
  どうでもよくなっちまった

  シニタイヤツハシネ
  シニタイトキニシネ
  シニタイヤツトシネ
  シニタイヤツハシネ
  シニタイヤツハシネ

  誰も止めたりしないよ しねえ
  すぐに忘れるよ しねえ
  五体満足のままで しねえ
  何でも出来るくせに しねえ

  シニタイヤツハシネ・・・・・・
 (ザ・ピーズ『シニタイヤツハシネ』)