坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

未来と力

2010年02月27日 | 坊主の家計簿
 お仕事帰りに八百屋で大根を買って、ママに「今日はおろし蕎麦にして」と。いや、激安で買った乾麺の蕎麦が大量にあってでんなぁ。。。
 お蕎麦を食べつつ、ママが「1時からスケートを見る」と。ついでに見る。
 いや~。。。キムヨナすげ~。圧巻やのぉ。。。なんか、シンクロで『デデュー』やったかな?一人だけ『別もん』がおったけど、なんか、そんな感じやったなぁ。。。演技を見終わって、パパ、思わず泣きそうになった。エエ演技やった。
 真央ちゃんはスポーツ選手で、キムヨナは演技してはった。そんな印象。審査員は当然プロだから厳しく審査するのだろうが、私は素人なので3回転だろうが、3回転半だろうが、違いが解らん。んなもん関係なく、テレビを見ててスケートやってはって、キムヨナの演技を見て、「スゲー!」である。キムヨナのショーは見に行きたい気がするが、真央ちゃんのショーは見に行きたい気が起こらない。マニアックちゃうし。「ほらほら、あれが3回転半ジャンプだよ」と言われても解らん。高度なギターテクニックが素人に解らんのと同じ。3回転半ジャンプを見てても「おお!」とは私の場合、ならん。

 っちゅう事で、早くも4年後のオリンピックなんぞが話されている。「早い、っちゅうねん」と同時に「オリンピック以外にもあるやんけ」っちゅう気がするのだが、まあ、やっぱし『オリンピック』には特別な思い入れがあったりするのかも知れん。
 んで、4年後の金メダルは長洲未来だと思ったりする。あの娘さんはエエのぉ。。。キムヨナの次に素晴らしかった。
 ちなみに『長洲』→『ながす』であり、『長州』→『ちょうしゅう』である。長州力であり、長洲力ではない。長州未来ではなく、長洲未来である。

オモロイ坊主

2010年02月26日 | 坊主の家計簿
 『オモロイ坊主』こと、藤川氏が亡くなられたらしい。

 http://www.omoroibouzu.com/

 オモロイ坊主とは、マイミクでもある。友人がオモロイ坊主と親しく、「マイミクのマイミク」からマイミク申請がやって来て、別に断る理由もなかったし、それこそ『オモロイおっさん』と聞いていたので喜んでマイミクになったのだが、え~。。。今でもマイミクのままであって、しかも誰がログインしたのか知らないが、『最終ログインは8時間以内』になっているのが不思議な感覚である。一度しか直接御会いする機会がなかったが、『異形の人』やったなぁ。。。

 友人とオモロイ坊主とは東京の故・遠藤誠弁護士の事務所で知り合ったらしい。オモロイ坊主の映画化の噂があるかどうか知らないが、やるのならば怪物弁護士・遠藤誠にも深く触れてもらいたいもんだ。

 オモロイ坊主とは同じ仏教徒であっても正反対であるが、『オモロイ坊主』としての活動熱心さには教えられるものが多い。なんせ、全く面識のない私にマイミク申請をして来たのだ。そしてオモロイ坊主のマイミクは876人である。きっと直接オモロイ坊主と触れ合った方々はもっと多いだろう。東京坊主バーで瞑想会なんぞもやってたらしいし。

 しかし、上座部仏教の僧侶であった藤川氏であるが、上座部仏教では人が亡くなった事をどう表現したらエエのだろうか?ホームページやメルマガなんぞでは『永眠』とあるが、なんかしっくり来ない。
 「涅槃に入られた」っちゅう表現が適切かどうかは知らない。なんせ、藤川氏が修行を完成させていたのかどうか知らんし。
 だが、まあ、私にとっては藤川氏は極楽無為涅槃界に成仏された。

 日本に帰って来られ、東京・新大久保で一人暮らしをしていたはずだが、一人暮らしの都市生活では「戒律が守れない」と云っておられた事が印象的であった。戒律を守る為にタイの僧院で生活するのでなく、戒律が守れなくとも日本で布教する事を選ばれた姿勢には学ばさせて頂くしかない。

 南無阿弥陀仏

パンの声援

2010年02月23日 | 坊主の家計簿
【あなた、本当の人になってください。本当の人になってくださるならば、その新しい人になったあなたのいのちのなかで、私たちは私たちの死を無駄にしないで、私たちはそこで成仏していきます。あなたのいのちのなかで、新しく私たちは成仏していきます。だから、あなたたちは、私たちを踏みにじっている限りにおいて、あなた方は何を負担としてもらうこともいらない。そうではなくて、人になってください。真の人間になって下さい。】(廣瀬杲『罪業深重』より)

我が平成22年2月21日

2010年02月22日 | 坊主の家計簿
 仕事終わって、ひたすら「ボケー」っとする。ママから「今日はどこかへお出かけ?」と聞かれて、「今日はダラダラする」と。そして、ダラダラする。
 そろそろ月末になって来たので寺の通信も作らんとアカンのだが、テンションが上がらん。

 なんかのコマーシャルで『やる気スイッチ』なんぞがあった。まあ、学習塾かなんかのコマーシャルだったけな?そんなやる気スイッチのボタンなんぞはどこかに行ってしまって、ダラダラとする。
 娘のヨダレもダラダラ落ちる。パパがコタツでダラダラしてるので、娘もコタツ横でダラダラヨダレを垂らす。ハンカチでヨダレを拭きつつ、あ~ダラダラ、ダラダラと。

 リアルタイムでは見れなかったが、便利な便利なハードディスク録画、っちゅうやつで録画してた昨晩やってた『樅ノ木は残った』を見た。大好きな山本周五郎原作で、今回のテレビドラマでは主人公・原田甲斐が田村正和。イメージが。。。
 大好きな

【「人間はかなしく、弱いものだ、恵林寺の僧がもし大悟徹底していたら、火中であんなことは云わず、黙って静かに死んだことだろう、おそらく従容として、黙って死んだのが事実だと思う、火中にあって、心頭を滅却すれば火もまた涼し、などというのは泣き言にすぎない、けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあわられていて、好ましい、私には好ましく思える」】(山本周五郎『樅ノ木は残った』より)

 というセリフも出てこなかった。まあ、2時間ちょいドラマやし。
 んが、2時間ちょいドラマだったので、全体のストーリーが解りやすかった。

 『ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず』は親鸞の言葉だが、『樅ノ木は残った』の原田甲斐は武士道。武士道を全うする為に『人倫の嘲を恥じず』である。周囲の人達から誤解されようが、なんだろうが、武士道を全うする。
 それも限られた条件の中である。原田甲斐が藩の重役とはいえ、藩主でもなければ、藩主の一門でもない。あくまでも家臣の中での重役である。原田甲斐が藩主に連なる一門だったならば、原田甲斐はきっと違う方法をとれたはずである。また、『伊達家』という外様大名でなく、譜代大名の重役だったならば、また違ったありようであったであろう。しかし、それは『絵に描いた餅』にしか過ぎない。縁によって限られた人生の中での武士道を貫いた。

 誰しも、誰にも代わって貰えないたった一度の人生を生きている。
 しかしながら

【けれども、その泣き言を云うところに、いかにも人間らしい迷いや、みれんや、弱さがあわられていて、好ましい、私には好ましく思える」】(山本周五郎『樅ノ木は残った』より)

 である。

リサイクルショップ『無我』

2010年02月21日 | 坊主の家計簿
 仕事が終わって家族サービス(?)
 大阪市がベビー服(子ども服もか?)のリサイクルをやっている。無料で引き取って、無料でくれる。うちらの地域では毎月第三土曜日。少し離れているので親子3人、車で出かける。
 実は昨日も「うちは毎日やってまっせ!」っちゅう、これまた大阪市の所に他の用事のついでに寄って来たんだが、ベビー服が少なかった。なので今日も期待してなかったのだが、今日の所はベビー服も結構あって、ママがバーゲンセールを狙うオバはんの目になって真剣に選んでた。よって私は娘を抱っこしてうろうろと。
 娘にはまだまだ無理なんだが、幼稚園の入学式とかに着て行くのだろう、『よそいき』のキレイなお洋服なんぞもあって、便利、便利。あんなの買ったら結構するで。んが、着る機会は少ないだろうし、子どもはどんどん大きくなる。なので、「うちの子はもう着る事ないわ」という人が提供してくれるのだろう。ちなみにうちも昨日の場所で小さくなって着れなくなったベビー服をリサイクル。
 『お古』っちゅうのだろう。私も子どもの頃に母方の田舎から『お古』が結構送られて来て、私が着てた。段ボールに田舎から送られて来たその他のものと一緒に私の服が入ってあって、その段ボールを開けるのが楽しかった。兄貴とは6歳離れているので、きっと兄貴の『お古』はどこかに行って誰かが着てたのだろう。
 大阪市がやっているのは『でっかい親族』なんだろうな。娘が着た『お古』を誰が着るのか知らない。今日着て行った牛さんの服も着れなくなったら『お古』として出す予定だし、そういう風に回りまわって行くのだろう。ママと帰りの車の中で「これで大きめのサイズの服を買う必要がなくなったね」と。ちょっきしか、ワンサイズ大きめぐらいの服ならば痛みも少なくエエ状態でリサイクルに出せる。で、エエ状態の服がまた貰えたりする。昨日、今日と頂いて来た服はかなりエエ状態。

 ちなみに私が預かっている寺には前住職の『お古』の法衣がある。逆にいうと『前住職のしかない』のだが。どういう理由か知らんが。。。前住職と私は腹回りを除けば一緒のサイズらしい。足袋も同じ25.5だし。よって白衣以外は着れるのだが、え~。。。私、衣装持ちでして(笑)なんせ数年の坊さん生活の中で、「貯金代わりに法衣を買っとけ!」っちゅうか、ストレスで買い物をしたい時なんぞに法衣を買ってたりしたし、袈裟も『七条袈裟』っちゅう葬儀に使うやつは一つしかないが、まあ、これはむっちゃ高価だし。んが、『五条袈裟』っちゅうのは3枚(?)ある。なので、滅多に『お古』を着る事がなかったりする。っちゅうか、先日、仏前結婚式の手伝いをした時に、私は葬儀に使う袴しか持ってなかったので、重い法要の時に使う袴を使っただけか。普段着る衣も結構持ってるし、法要の時に使う衣も結構持っている。つーか、前住職よりも多くあったりする。「どれだけ買ってるねん!」っちゅう感じなんだが、まあ、しゃーない。

 これで、私が預かっている寺には前住職の『お古』と、私の『お古』がある。
 私の『お古』の中で、今となっては滅多に着ない衣も何枚かあったりする。まあ、寺に置いといて後々の誰かが「おお、何代前の住職のか知らんけど、サイズぴったしやんけ」と着て貰ってもエエのだが、寺の経費でなく、私の給料で買ったので、別に寺に縛られる事もない。得度する時に必要な衣だし、誰かが得度する時に『お古』として着て頂いた方が役に立つだろうし。

 大阪市がやっているリサイクルの服に男性用はなかった。毎日やっている方には多少の女性用服もあったのだが、男性用はない。その代わりに釜ヶ崎の団体の連絡先が書いてあった。「お古はそちらに」という意味なんだろう。

 『無我』っちゅう事をふと思ったりする。縁起でも空でもエエのだが、無我。
 我が子
 我が家族
 我が国
 なんぞなんぞ。
 我がiMacとか、我が○○。
 私の所有物。私中心。
 我が金、我が貯金、我が財産、我が土地。なんぞなんぞ。

 ある男の子と女の子。2人の間には子どもが居てたらしい。でも、2人は別れてしまう。男の子にとっては別れた事が余程辛かったのだろう。そんな話の中から起こった殺人事件が最近あった。詳しく見れなかったのだが、男の子「幸せにしたる」、女の子が「幸せにしてね」と。そんなやりとりがあったらしい。女の子に対する暴力もあったらしい。
 事実は知らない。あくまでも報道されている話しか知らない。その報道されている話の中で無我を思う。
 我が女。

 たまたま、今の私は私の『お古』の法衣や衣を娘に着て貰いたいとか、娘と結婚する相手に着て貰いたいとかの煩悩はまだ出てこない。それは娘がようやく「ずりずり」と前に進める事が出来始めたばかりだから、全く現実味がない話だからだ。きっと現実味を帯びて来た時には、まあ、間違いなく私の『お古』を着る人に対する煩悩が出てくるだろう。そんな時にそれが煩悩である、つまり『我』を中心にした欲望でしかないという事に対して『問われる事』が出来るかどうかだけだと思う。
 ちなみに先日、娘を始めて『一日保育』というのだろうか?そういう所に預けなければならなくなった時に、パパは不安で仕方がなかった。「悪い虫がつかないだろうか?」と。また、先日ママが娘と一緒に近所の『子育てセンター(?)』みたいな所に行って、娘と同世代の『男!!!』と一緒に居た時も、パパは心配で心配で(笑)

 『我が娘』と『如来の子』。

 法然門下が弾圧された直接のきっかけは、後鳥羽上皇が寵愛していた女官が出家してしまったから。きっと『我が女官』だろう。その事をあざ笑う資格は私にはない。けど、違う。それは煩悩であり、『我』であり、無我ではない。

。。。

2010年02月18日 | 坊主の家計簿
 大変。っちゅうか、ずっと大変だったので、「むっちゃ大変」か。。。

 『敵』なら潰せばいいだけの話なんだが、敵を作る事は信仰に反する。得意ジャンルなんだが、信仰に反する。「誓ったじゃないか!」と、「『共同生活の中で真宗精神を体得する為に努力精進します』と誓ったじゃないか!」と、恩師達の声が聞こえる。
 しかしながら、幼子が居てたり、様々な条件に縛られている現実がある。批判や説教は聞かざるを得ないのだが、現場には現場の苦悩がある。

 きっと、どこにでもある、つまり『よくある話』なんだろうが、『話の上』でなく、現実に身を持った現実の血肉として。

 後生の一大事。何を目指して生きているのか?その事が問われる。血肉の娑婆のまっただ中で問われる。問われ続ける。問われ続けられるしかない。

人身受け難し

2010年02月17日 | 坊主の家計簿
 キャバクラ大臣で思い出したのだが、先日、初めてキャバクラに行く。先輩達と一緒に行ったのだが、『コスプレ・キャバクラ』なる所。う~ん。。。初のキャバクラがコスプレ・キャバクラか。。。
 場所は日本橋の電気街のど真ん中。確か同じ場所で昔よく遊んでた人が働いてたマニアックな電気部品の店があったと思うのだが、今もマニアックなキャバクラ。
 コスプレ・キャバクラといっても私は漫画(アニメ?)に詳しくない。引っ越しした時に持って来た漫画は西原理恵子と『家裁の人』だし。『人間交差点』は泣く泣く売ってもうたし。けど、まあ、別に読まないわけではないので少ない漫画知識でコスプレした娘さんと喋る。その前の店で結構酔っぱらってたので何を喋ってたのかイマイチ憶えていないのだが、『中途半端』っちゅう事を『かってに改蔵』とかの流れて話してた気がする。結構ウケたのでそれだけは憶えてたりする。

 帰宅する。早速オタクのママに報告する。そう、ママはオタクなのだ。まあ、『オタク』っちゅうても色々あるんやろうけど、アニメオタクで、コスプレオタクらしい。私が謎の仏教用語を使うように、ママもタマに謎の言葉を発している。そして、その店の存在を『当然』知ってたママは、「あの店のコスプレの趣味は私に合わん」と。う~ん。。。コスプレ業界も幅広いねんのぉ。。。

 あ、ちなみに店のアドレス。
 http://www.e-fairytale.com/index.html

 まあ、ヘビメタとパンクが違うし、パンクだって諸々のジャンルがあったりするわけだし、んなもんか。

 この前の日曜日に晩飯食べながらNHKで大河ドラマを見てた。別に福山雅治のファンだから見てるわけではなく、幕末もんが好きだったから見れる時は見てるのだが、見てたらパパ「うわ、ひしきやんけ」と。そうなのだ。某恩師にそっくりの役者さんが出てた。何やら『リリー・フランキー』っちゅう人らしい。演じてたのは『河田小龍』っちゅう、画家であり、龍馬の先生みたいな感じの人だったのだが、顔が似ているせいか、喋っている内容も某恩師みたいだった。だいたい、ジョンレノンのイマジンだとか、『ただ念仏』の話なんぞは「何をアホな事いうてるねん」みたいな感じなんだろうし。
 それはともかく、この前の日曜日の最後辺りのシーンが美しかった。龍馬の父さんの死期が近づいている。龍馬は家族みんなで海に出かける。何やら家族で海に出かけるのは無茶苦茶久しぶりだったらしい。父さんは「こんなにきれいな海は始めてみた」みたいな事をいう。龍馬は父に自分の夢を語る。家族みんなで黒船を作って、世界旅行をする夢を。
 聞いている父親は、きっと自分はその夢に参加出来ない事は知っている。でも、夢を語る龍馬との時間を共有している事に涙を流す。感動する。
 「おお、ビハーラやんけ」と思ったりする。

 コスプレ・キャバクラは結構エエ感じの店であった。趣味の違う私を、まあ、客商売だから当然なんだろうが、暖かく迎えて、帰った後の印象も気持ちがエエ。
 『オタク』とか『コスプレ』っちゅうのは受け容れられ難いらしい。たまたま、その店がそうだったからだけで判断するのは問題だが、でも、『受け容れられ難い』が故の暖かさがあったりすると思う。

 龍馬の父ちゃんは、龍馬の夢が自分の夢になった。

 「一緒に御浄土に往きましょう」

歌舞伎

2010年02月16日 | 坊主の家計簿
 大河ドラマで坂本龍馬なんぞという『和服に靴』を履いた人間を崇めたて、んでもって、ドレッド&シャツ裾出し選手に苦言か。。。

 http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20100215ATDG1503R15022010.html

 まあ、なんちゅうんでしょうか?「管理教育万歳!」「国民は与えられた範囲で自由を満喫する奴隷だ!」なんぞという事なんでしょうか。

 この川端大臣は、政治活動費でキャバクラに行ったらしい。

 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091001/stt0910011800013-n1.htm

 しかも御丁寧な事に政治資金収支報告書に記載していたらしい。まあ、キャバクラで政治活動するのも勝手だわ。んでもって、スノボー選手の服装に苦言するのも勝手だが、

 ♪同じ勝手なら、踊らなそんそん

 ん?

 まあ、なんちゅうんでしょうか?「学生は学生らしく丸坊主にしろ!」だとか、「服装の乱れは心の乱れ」なんぞと言い出すのは辞めた方がエエぞ。エエ大人としてとても恥ずかしい発言だし。
 服装の乱れや言葉使いを批判する時は単純明快に、まあ、川端大臣ならば、「政治活動費でキャバクラに行ったぐらいでゴチャゴチャ言いやがる様な口うるさい大人が多いぞ。」なんぞとでんな。

 しかし、国家戦略室の『派遣村・湯浅氏』は、いつになったらスーツ着るねんやろ。まあ、別にスーツ着んでも議員→大臣候補なんやろうけど、スーツ着たら総理候補ちゃうんけ。残念ながら服装で人を判断する人が多いから、今の服装では選挙に強い総理候補にはなれんやろなぁ。。。惜しいのぉ。。。
 まあ、世の中、変わっていけ!あの格好で総理になったれ!したたかで計算高いし、エエ感じやんけ。

首が飛ぶ真宗門徒の品格

2010年02月06日 | 坊主の家計簿
 バッタバッタしてます。

 んでもって、何やら貴乃花が当選して、「この裏切り者め!」っちゅう騒動があって、朝青龍が引退したらしい。勝手な予想では
 『貴乃花落選』→『朝青龍と新団体設立へ』
 かと思ってたんだが、違ってんな。日本の伝統文化コテコテの相撲協会から出て、「ワシ等、オリンピック目指すもんね」の相撲団体を目指すのかと思ってたんだが。人気もんの親方と、人気もんの力士が組んで出ていきゃ、まあ、裏でどっかのテレビ局なんぞが手を引いてでんな。そんな話ではなかってんなぁ。。。

 しっかし、「この裏切り者め!」って、話し合いで決めるのならば選挙なんぞしなきゃ良かったのに。最初から「理事は各一門に割り振られた理事数を、各一門内で話し合って選出する事」なんぞとしときゃ、「この裏切り者め!」になんぞならんやろ。選挙っちゅう、制度があるのならば、誰に投票しても構わんはずである。『一門』よりも『個』を大切にするが故の選挙だったんだろうし。

 朝青龍の『個』がある。まあ、よう知らんが『横綱の品格にかける』らしい。
 んが、まあ、なんちゅうんですか?30前の営業成績バリバリのやり手が、仕事をサボってサッカーしてたり、大事な仕事を抱えながらも「明日の仕事は夕方から♪」と朝方まで知人と飲んでて、べろんべろんになってついつい殴ってしまった。やり手は格闘技の使い手でもあったのだろうが、んなもん、「ああ、あいつらしいのぉ~」で済まんのか?刑事事件になるのかならんのか知らんが、犯罪者は会社から追放されなければならないのか?
 「いや、昨日、朝方まで知人と飲んでて、べろんべろんに酔っぱらってて、ついつい殴ってもうたんですわ。会社に迷惑かけるから辞表を提出させて貰いますわ」
 なら、
 「ハッハッハッハ。まだまだ若いの、君も。社会が君を裁いても、我が社は君を切り捨てたりしないよ」
 っちゅう、美しき日本社会の美徳なんぞもあったのではないのか?
 何か不祥事があれば、すぐに「お前なんか要らん!出て行け!」とか、「いや~。。。我が社は君を必要としているのだが、こうも世間の風がきつかったらねぇ。。。お得意先にも顔向け出来ないし。。。」と、でんな。冷たいのぉ。。。きっと『大岡裁き』ならば、「その罪、死罪に値す」としながらでも、「んやから、ここでその罪を償っていけ」とでんな。。。
 「いや、社長。それでは社長に迷惑が。。。」
 「何を言っとる。社長っちゅう存在はこういう時の為にあるもんなんだよ。ハッハッハッハ!!!」と、でんな。

 勝手な想像だが、力士の人達って、未成年でも酒を飲んでいるイメージがある。まあ、多くの未成年は『未成年』でも酒を飲んでいるのと同じく。っちゅうか、それ以上。先輩力士に連れられてタニマチなんぞと食事に行った時に「おお、君が最近評判の○○君かね。まあ、一杯飲みなさい」なんぞと、大杯になみなみと注がれた酒を飲まされそうな気がするのだが。ああいうのが発覚したら、やっぱし大問題になったりするのだろうか?んでもって、やっぱし未成年から酒を飲みだした人が「未成年から酒を飲むとは何事ぞ!」なんぞと目くじらを立てて「排除、排除せよ!」なんぞと言ったりするのだろうか?

 っちゅうか、朝青龍に『横綱の品格』が何かよう知らんが、まあ、「辞めて当然」っちゅう人は、朝方まで酒を飲んだ事がないのだろうか?人を殴った事がないのだろうか?仕事をサボった事がないのだろうか?
 まあ、きっと「いや、私は一般人だが、彼は横綱である」なんぞと、便利に『一般人』なんぞと使ったりするのだろう。
 んが、『一般人』ってなんや?例えば私は寺の住職なんだが、寺の住職は一般人なんだろうか?その前は『寺で働く僧侶』だったが、これは一般人なんだろうか?その前は飲み屋のマスターだったが、これは一般人なんだろうか?その前は共同作業所で働く兄ちゃんだったが、これは一般人なんだろうか?工場で働いて居た時は一般人だったんだろうか?配達の仕事をしてた時は一般人だったんだろうか?
 単に『仕事の違い』だけではないのか?横綱は『相撲取りの中で横綱』っちゅう役職なんだろうし、んなもん、私には関係ない。私にとって『横綱の品格』なんぞ関係ない。単なる『朝青龍(本名知らん)』っちゅう兄ちゃんである。その兄ちゃんがヤンチャだっただけの話である。これが公務員ならば「人権侵害だ!」ではないのか。そんな事で解雇通告を受ける「辞めろ!」なんぞと言われた時には。

 まあ、日本人には少ないかも知れんが、クリスチャンならば

【イエスはオリーブ山に行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入れられると、民衆が皆、御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れてきて、真ん中に立たせ、イエスに言った。「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」】(ヨハネ8:1~11)

 があるじゃないか。
 真宗門徒ならば

【当時は後世者ぶりしてよからんものばかり念仏もうすべきように、あるいは道場にはりぶみをして、なむなむのことしたらんものをば、道場へいるべからず、なんどということ、ひとえに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。願にほこりてつくらんつみも、宿業のもよおすゆえなり。】(歎異抄13章より)

 があるじゃないか。
 え~。。。他は知らんが、真宗門徒って、日本に多く居らんかったっけ?
 
 宗教意識。
 当然、真宗僧侶だろうが、真宗門徒にも品格がある。「ただ念仏」である。

【右にかかげた八カ条(第十一―十八条)の異義は、真実の信心に異なることから起こってきたものであろうか。
 いまは亡き親鸞聖人は、かつてこのようなことを話されていた。法然上人がご在世のとき、弟子はたくさんおられたが、その一方で真実の信心に生きるひとは少なかったので、私(親鸞)は、同門の人たちの間で、信心についての論争をしたことがあった、と。
 というのは、親鸞聖人が「私(善信)の信心も、法然上人のご信心もひとつである」とおおせられたところ、勢観房や念仏房などという同門人たちが、意外なほどに語気を強めて反論し、「どうして法然上人のご信心と善信房の信心がひとつであろうか」と言われたので、「法然上人の知恵や学識が広くすぐれておられるのに、もしそれと私がひとつだというのであれば、それこそまったくの心得違いであろう。しかし往生の信心にあっては、まったく異なることはない。ただひとつである」とお答えになったけれども、それでもなお、「どうしてそのようなことが言えるのだろうか」という疑いや非難があったので、結局、それでは法然上人の前で、自分と相手のどちらの主張が正しいかを決めることになり、詳しい事情を申し上げたところ、法然上人は「源空(法然)の信心も、如来からいただいた信心である。また善信房(親鸞)の信心も、如来からいただかれた信心である。だから、まったくひとつなのだ。もしこの信心と異なる信心の方は、源空が参ろうとしている浄土へは、よもや往いくことはないだろう」とおおせになられたのである。
 だから昨今の、ひたすら念仏のみに生きるひとのなかでも、親鸞聖人の信心とひとつではないということもあるだろうと思われる。どれもみな同じことの繰り返しではあるけれども、書きつけたものである。
 露のようにはかないいのちが、枯れ草のように老いさらばえたこの身に、わずかに残っているあいだに、ともに連れだって念仏の教えを歩まれた方々の疑問をもお聞きし、親鸞聖人の教えられた教えを、お話してお聞かせすることもあろうが、この私の目が閉じた後は、さぞかしさまざまな考えが入り乱れ、混乱することになるであろうと、歎(なげ)かわしく思われてならない。
 また、このような議論などを言い合っている人びとのなかにおいて、もしそのようなことで迷わされるときには、いまは亡き親鸞聖人がお心に適(かな)って用いられたお聖教(しょうぎょう)などを、よくよくご覧になるがよい。およそ聖教には、真実がそのまま説かれた部分(真実)と、真実に導き入れるために説かれた部分(権仮)とがまじり合っているのである。そのなかから権仮の部分を差し置いて、真実の部分を用いることこそが、親鸞聖人のご本意なのである。どうかくれぐれも、聖教を読み誤らないように注意していただきたい。そこで証拠となる大切な証文などを少々抜き出して、わかりやすいかたちで、この書に添えさせていただくことである。
 親鸞聖人がつねづねおおせになっていたお言葉に「阿弥陀如来が五劫という長い時間をかけて、すべての存在を救おうという深い思いから建てられた誓願を、よくよくこの身に引き当ててみると、それはひとえにこの親鸞一人を救うためであったのだ。思えば、はかり知れない罪業をもったこの身であるのに、たすけようと思い立ってくださった本願の、なんともったいないことか」と、しみじみとご述懐されたことを、あらためて考えてみると、善導大師の「わが身は、現にこれ、罪深く迷いの多い凡夫であり、永遠の昔から、つねに苦悩の海に沈み、つねに生死の迷いに流転(るてん)して、ついにこの闇から抜け出る手がかりのない身である、と知れ」という、あの尊い不滅の言葉と少しも異なったところがない。
 このように受け止めてみると、もったいないことだが、親鸞聖人がご自身をとおして、私たち自身の罪悪の深いことを知らず、また如来のご恩の尊いことをも知らずに迷っていることを、思い知らせようとするためだったのである。まことに私たちは如来のご恩ということを少しも問題にすることもなく、だれもかれもお互いに、善いとか悪いとかということばかり言い合っている。
 親鸞聖人のおおせには「何が善であり、何が悪であるのか、私はまったく知らない。その理由は、如来が知っているほどに善を知っているのであれば、私は善を知っているともいえよう。また、如来が知っているほどに悪を知っているのであれば、私は悪を知っているということもできよう。しかし、あらゆる煩悩が具(そな)わっている私たち、そして、まるで燃えさかる家のように激しく移ろいやすいこの世界は、すべてが嘘(うそ)偽(いつわ)りや絵空事であって何ひとつ真実はない。ただ南無阿弥陀仏だけが真実なのである」と。
 私もひとも、つくづく虚言ばかりを言い合っているなかで、ひとつ殊ことに痛ましいことがある。というのは、念仏するについて、信心のありようを互いに議論したり、ひとに説き聞かせるとき、ひとの口をふさいで論争に勝とうとするために、まったく親鸞聖人の語られなかったことを、これぞ聖人のお言葉であると主張する者がある。これは、なんとも浅ましく歎かわしいことである。このことをよくよく了解し、心得ていただかねばならない。
 以上、述べてきたことは、決して私の勝手な言説ではないが、経典や注釈書に書かれた筋道も知らず、教説の浅深をも心得ていない私なので、きっと理解のあやしいところがあるかもしれない。しかしながら、いまは亡き親鸞聖人の語られた教えのほんの一端を、思い出して書きつけたものである。
 まことに悲しいことではないか、幸いにも念仏しながら、直ちに真実の浄土へ生まれずに、方便の辺地にとどまることは。同じ念仏の教えに集う求道者のなかに、信心が異なることのないように、泣く泣く筆をとってこれを記した。名づけて『歎異抄』という。むやみにひとに見せるものではない。
 後鳥羽上皇のご治世のころ、法然上人が他力本願念仏を宗(むね)とする教えを世にひろめられた。そのとき、興福寺(奈良)の僧侶たちが敵視して朝廷に上訴した。法然上人の弟子たちのなかに、無法な振る舞いをしたという、事実無根の噂により処罰された人びとの数は、次のとおりである。
 一、法然上人とその弟子たち七人は流罪(るざい)。また四人の弟子たちは死罪に処せられた。法然上人は、土佐の国(高知県)の番田というところへ流罪。罪人としての名前は藤井元彦、男などとあり、年齢は七十六歳であった。
 親鸞は越後の国(新潟県)へ流罪。罪人としての名前は藤井善信、などとあり、年齢は三十五歳であった。
 浄円房は備後の国(広島県)、澄西禅光房は伯耆の国(鳥取県)、好覚房は伊豆の国(静岡県)、行空法本房は佐渡の国(新潟県)。幸西成覚房と善恵房の二人は、同じく流罪に決定されたが、無動寺の前の大僧正(慈円)が申し出て、二人を預かることになったという。
 流罪に処せられたひとは八人であり、
 死罪にされた人びとは、
 一、西意善綽房
 二、性願房
 三、住蓮房
 四、安楽房であった。
 これは二位の法印尊長の裁定で行われた。
 親鸞は僧の身分を捨てさせられ罪人としての名前を与えられた。これによって「僧に非ず俗に非ず」と宣言されたのである。このようなことで、「禿」の字を姓として朝廷に申し出て認められた。そのときの上申書は外記庁に納められている。
 流罪以後、愚禿親鸞と名のられたのである。】(歎異抄後序より。現代語はhttp://shinran-bc.tomo-net.or.jp/report/report03.htmlより)

私自身は『私(エゴ)』の所有物ではない

2010年02月01日 | 坊主の家計簿
 え~。。。バタバタと。んが、経験上、こういう時は「終わった。。。」で寝ようとしても結局寝れないのでクールダウン中。

 昨日は御近所大学(大阪市立大学)の西成にある秘密のアジト。まあ、某会主催で『戦後在日五十年史』っちゅうのが見れるみたいだったので出向く。

 『戦後在日五十年史』(http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31188/index.html)は、『戦後』の在日コリアン達の闘いの歴史。2時間少しの映画(歴史編だけ)であり、かつ、数日前に間の1時間ぐらいだけ見たのだが、全く飽きさす事がない映画。差別と偏見からの解放の歴史。胸を熱くする。

 秘密アジトは、「ここがホンマに大阪市立大学が金だしとるんけ?」っちゅう所。いや、入り口が全く解らんかった。少し前に着いて、下の100円ショップで買い物して、表の灰皿でタバコ吸ってると、何度か御会いした事のある、要するにメールで案内を呉れた人が居たのでようやく入る事が出来たが、あんなもん、まず絶対に解らんぞ(笑)

 今日は資料整理。え~。。。まだまだかかる。。。紙、多い。。。
 「アカン、こんな時間やんけ!」と、明日から配らんとアカン、寺の通信の最後のページを書き上げ、プリントアウト。

 『戦後在日五十年史』は闘いの歴史。差別と偏見からの人間解放の歴史。
 それに『直接』共闘するかどうかは、縁次第である。『直接』共闘しなくとも、自分自身を解放して行く道は、在日の人達が差別と偏見から解放されようとしている事と同じ道だと思う。
 しかしながら、煩悩がある。差別するのも煩悩であれば、自分自身を苦しめるのも煩悩である。そして、その煩悩から逃げれるわけがない。何を使っても、それこそ、仏教を使ってでも差別してしまうのが凡夫(普通の人)である。普く通じる原理である。

 映画『戦後在日五十年史』は1998年制作であるらしい。それから12年後の今、映画の中で最後に取り上げられられていた在日の人達に対する地方参政権が問題になっている。民主党政権で。
 何やら、鳩山総理は以前に「日本列島は日本人だけの所有物ではない」等と『当たり前』の事を語ったらしいが、それが問題になるような閉鎖的な日本社会はいったいなんなんだ?

 煩悩は煩悩である。そして必ずもってしまう。仏教でも差別の為に使ってしまう。つまり、「自分を高める為」なんぞと、『高み』に行こうとする。自分を高め、上から下を見下ろそうとしてしまう。差別してしまう。必ずしてしまう。
 
 「私は大丈夫」と、また自分を高め、他人を差別してしまう。
 苦労を差別する為に使い、闘いを差別する為に使ってしまう。
 そして、それを問われる事を煩悩が拒否する。
 「何もしないヤツら」になってしまう。
 「なんであんなヤツらに云われなアカンねん」になってしまう。

 「日本列島は日本人だけの所有物ではない」は、当たり前の事である。問題にするのは煩悩のなせる業であり、それは私が私を誇らなければ、つまり、差別しなければ生きて行けない煩悩を抱えた存在であるのと全く同じである。
 それが故に、おかしい。煩悩は煩悩である。煩悩が故に偉そうに差別してしまうのだが、それは苦の連鎖にしか過ぎない。