坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

小学校児童用

2011年10月16日 | 坊主の家計簿
 新しいMacのOS、LIONを導入したのは良いのだが、え~。。。もの凄いメモリー消費(笑)うちのiMacちゃんは4ギガのメモリーなんだが、「ひょっとして危ない?」状態。検索してみると8ギガのメモリーが6000円以内でエエのがあったので導入予定。LIONが2600円なので、合計8000円チョイの出費。まあ、その分MobileMeがiCloudになって無料になるから年間1万近くの経費削減にはなるのだが。
 宛名ソフトが使えなくなったので、これは買わなければならない。縦書きワープロソフトがダメになったので、「Officeを買わなアカンのか?」と考えていたのだが、これはOpenOfficeという無料のでなんとかなりそう。「ダメだ、使えない」と思っていた原因も検索でなんとかなったので。Mac版はかなり安くなったとはいえ、14000円程度の出費であり、これは痛い。まして、今月はヒマであり、え~。。。給料出るのか?月単位での赤字はイヤよ。

 と、変わらず、じみ~に、生きておりやす。

 昨日、テレビニュースを見て、ひっくり返りそうになった。知ってます?文部科学省が小中高に向けて放射線の副読本を出したのを。

 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/23/10/1309089.htm

 一応貼っておきますが、バタバタしていたので私は全く読んでない。なので、忘れない様にブログに書いてリンクを貼っておくのだが。

 え~。。。今更ながら改めてなんだが、ホンマ、世の中、あ、この場合は当然『私にとっての世の中』っちゅう意味ね。あ、ホンマ、世の中、一変したのぉ。。。学校の副読本でっせ。ほれ、あの

【戦争は戦争の顔をして来ない】(池田香代子)

 の、『こころのノート』と同じ枠組みの副教材でっせ。あ、池田香代子氏が『こころのノート』に関してどう思っているのかは知らないが。
 
 内容の吟味はこれからするが、『小学校児童用』って、何年生からよ。1年生からなのか?なら、娘もあと数年したら、この教材を読むのか?パパは大震災の時に原発も危ない事を知って「今日の味噌汁はワカメだ!ワカメ料理の日だ!」程度の知識しかなかったぞ。その程度の知識で生きて来れたぞ。なのに、おい。小学生のガキが放射線の勉強を学校でしなければいけない世の中になってもうたわけでんな。なんじゃい、これは。

 とはいえ、この教育って、遅かっただけなのかも知れない。私がガキの頃にも原発はあった(らしい)。原発はあったが、原発を認識したのはチェルノブイリ原発事故の時だったし。その後、諸々の仕事関連も含めて勉強はしたが、え~。。。「原発反対!」方面の知識しかなかったので、今回の原発事故で諸々の視点から少し勉強しているが、よく考えると私がガキの時から学校で副教材的に学ぶ機会があってもよかった。つーか、ない方が不思議か。今にして思えば。
 当然、学校教育なので知識は偏るが、その知識を下積みにする事は出来る。後は、各自で学べばエエだけの話である。学校は『学校』という立場からの教育なんだし。そら、限界はある。

 「信号は赤で止まって、青になったら横断歩道を歩きましょう」やったかな?決して「信号が赤でも左右を見て車が走ってなければ行って良し」という事ではなく、「赤で停止」「青で進め」みたいな、え~。。。警察やったか、なんやったか憶えていないが、学校(幼稚園?)で移動式信号機で練習した記憶がある。ありゃ、車社会の危険性。
 だったら、原発の危険性の特別授業があって当然だったのでは?今回副教材を作ったんだし。事故があって初めて作った、のではなく、事故が起る前からやるべきではなかったのではないのか?まあ、今更言っても意味ないが。「原発事故は起りません!」という前提だったのだろうが。

 今日は、珍しくお勉強。あ、本を読む。本を読んで関連して出て来た事柄についても少し調べる。調べている中で、調べている事とは関係なく出て来た言葉。

【歴史に対する私の考え方は、右でも左でもイデオロギーはだめということです。イデオロギーで史料を解釈しても長続きは絶対にしない。これは敗戦を経てきた私は痛感をしています。
 やはりイデオロギーではなく、事実に基づいて真実を追究する。それだけが私は歴史学であると考えております。】(古田武彦氏http://hukohitomi.exblog.jp/11834728/より)

 まあ、これは歴史学だけでなくとも、何に対してでもそうなんだろうが。
 
 『イデオロギー』というとややこしいが、『私の見方』『私の意見』である。『私』を『私(たち)』にしてもエエかも知れん。で、そこから、つまり『私』から離れる事は出来ないのでは?

 『私』に固まってしまう。「これは、絶対にこうなんだ!」って、まあ、ホンマの所、よう解らん。「原発は絶対に事故なんて起りません!」が、事実でなくなったのと同じく。

 小学生が学校で放射線について学ばなければならない状況下、世の中になった。その事は事実である。
 ついでにいうと、ついさっき、焼酎のお湯割が口にある時に咳き込んでしまって、パソコンテーブル&iMacを掃除していた事も事実である。え~。。。キーボード頑張ってくれ。

深夜食堂

2011年10月14日 | 坊主の家計簿
 昨夜、何を思い立ったのか、急にMacの最新OSのLIONを導入してしまう。あ、寝る前ね。
 で、今日はその実験。馴れないけど、結構楽しい。&『馴れる』とか打ち込んで変換作業をしようとすると、おまけに辞書機能がそのままセット。以前の様に簡単な辞書機能ではなく、大辞林やったけな?結構しっかりした辞書機能。複数のディスクトップも作れるし、これはナカナカええ感じではないのか?とりあえず楽しいし♪
 と、遊ぶ。つーか、最新OSに変更したら、AppleWorksという前のMacのWordみたいなもんが使えない。使えないどころか、ファイルもそのまま開けない。え~。。。確かに数年間無理矢理使って来たけどやなぁ。。。その間もファイルを変更しなかった私が悪いのかも知れんけどやなぁ。。。まあ、ママのディスプレーが壊れかけのiMacと、以前に使ってた古いiBookではAppleWorksが使えるし、何やら「PDFで保存しとけ」らしいので、今度やっとこ。
 しかしながら、うち、中陰逮夜表をAppleWorksで作ってて、これは困る。つーか、他のMacでやればエエのだが、一応、メインのMacでも作れる様に「よっしゃ!新しく作るで!」と、PagesというMacの新しいWordみたいなもんを使って作る。縦書きは出来ないのだが、裏技で「横幅1行にしたら縦書きになる」というので、制作。手間がかかって面倒なんだが、一度作ってしまえば、後はデーター変更だけで済むし。今回は某葬儀社の中陰表を参考にしつつ、前作よりもエエ感じに仕上がった。
 仕上がったのはエエのだが、作業途中で新しくなったカレンダー機能をチェックしてたら、え~。。。今日、学習会の日だったのね。え~。。。確か2~3回連続で休んでいる。え~。。。
 殆どの場合自転車で行くのだが、自転車で約1時間の体力はない。酒も飲みたくない。「車で行こ」で、車で行って、とっとと帰宅。

 今日から放送『深夜食堂2』を観る。録画しているのだが、やはり初回ぐらいは生でみたい。ん?『生』は変か。生番組ではないし。え~。。。放送時間の深夜に観たい。

 『深夜食堂2』の初回は『赤いウインナー』。安田成美が出てた。
 新宿の顔役らしいヤクザと安田成美は高校時代にデートをした。安田成美が作った赤いウインナー(当然タコさん)が2人の想い出の食べ物。だからヤクザは深夜食堂で赤いウインナーをいつも注文する。2人は高校時代から会っていない。でも、2人の心は通じ合っている。
 安田成美は末期のガン患者。ヤクザと高校時代に同じ野球部だった刑事、安田成美の事が大好きだった刑事が、ヤクザと安田成美を無理矢理に会わそうとする。見舞いに行かせようとする。そして無理矢理にヤクザを見舞いに連れて行き、自分は病室から出る。安田成美の子どもが病室に入ろうとするのを遮って2人だけの時間を作ろうとする。

 死を迎える間際の大切な想い出。「思い残す事はないですか?」って聞かれたら、まあ、私なら「散々あるわい!」だったりする(笑)まあ、間違いなく「うらめしや~」やな(笑)娑婆に未練タラタラで生き切ってやる。未練が残らないぐらい未練タラタラで死んで行ってやる。
 きっと私には『大往生』なんぞの言葉は似つかわしくなく、未練タラタラのまま「有り難い人生だった」と。だから「有り難う」なんだが、「もう、思い残す事はない?」なら「散々あるわ!」やな。凡夫(ただの人)なので、凡夫として当然死んで行く。

 何やら世田谷で高い放射線がウンタラカンタラ。原因が床下のビンとかウンタラカンタラ。あれって、撤去して終りでなく、ちゃんと刑事事件として調べた方がエエと思ったりするのだが。まあ、調べているとは思うが。
 当然の如く沸き起こる陰謀論。「発見された高い放射線量を政府や東電が床下のビンのせいにした」とかウンタラカンタラ。ちなみに世田谷区長って保坂展人やぞ。かなり筋金入りやぞ、保坂展人は。反原発も当然クリアしているぞ。かつ、保坂は自分の売りをよく知っているし、自分の売りを売り渡す事はないと思うぞ。その辺が菅直人に成れない原因なんだろうが。あ、その保坂展人が政府&東電の陰謀に組みするとは思えんのだが。
 まあ、エエ。
 陰謀論の一番イヤな所は、それが「そうかも知れない」でなく「絶対にそうだ」になってしまう事。「そうかも知れない」なら、そら構わん。何を妄想しようが構わん。っちゅうか、妄想しか出来んやろ、知らん事が一杯あるねんし。解らん事だらけ。『無知の知』っちゅうヤツでんな。ソフトに言うと「私は『私が知らない事がある』という事を知っている」っちゅう感じ。
 ほれ、昔の左翼がよく言ってた「全ては幻想」っちゅうヤツでんな。天皇の権力も幻想だし、原発の安全神話も幻想。
 なので、陰謀論も当然、幻想。
 個人的には『妄想』と呼びたいのだが。。。あ、個人的な言葉の意味合い、受取りとして。

 まあ、なんちゅうんでっしゃろ。陰謀論にハマって「これこそが事実だ!みんな騙されているのだ!」って、おい。偉そうにするな。偉そうにされる筋合いはないぞ。
 悟ってないで凡夫(ただの人)に帰って来んかい。

福島を生きよ!福島を生きろ!

2011年10月10日 | 坊主の家計簿
 むっちゃ久しぶりのブログ。え~。。。この間何をしていたかというと、主に寝てました。「寝転んでゲームをしていた」と言った方が適確かな?酒も飲まずに、え~。。。多分、酒を飲み始めて以来これだけ飲んでない期間は初めてではなかろうか?言うても10日間もないのだが。
 仕事はしてました。ツイッターも何日間かサボっただけで、なんとかリハビリしつつ徐々に書き始めました。え~。。。大真面目にヘバってました(笑)
 ヘバっているわけにも行かないのが貧乏人。仕事は毎日少しだがあるし、しっかりと勤めさせて頂かなければならない。学校もあって、それにも行かなければならない。まあ、週に一度、夜だけなんだが。え~。。。余りヘバってなかったのかな?あれ?
 まあ、体調は最悪であっても、なんじゃかんじゃとあるわけで。
 北海道からやって来た恩師と、故・竹中先生の寺(むっちゃ近所)に御参りに伺ったり、昨日は通夜だったし、その後には元所属寺の報恩講に顔出ししたり。
 今日は娘と遊ぶ。何やら近所で『子どもまつり』やったかな?近所の公園で区内の学童保育なんぞの団体が集まったりしてのイベントをやってた。バザーで諸々ゲットしたりしつつ。ついでに、これまた近所の別の公園でやってたイベントも覗く。小さかったし、大人向け(当り前か)のイベントだったので、とっとと退散。AEONでお買い物して、くたびれ果てた娘と一緒に昼寝(夕方だったが)。

 夕方6時30分頃に起きた娘。2時間ぐらい寝たのかな?え~。。。起きたのが遅かったので寝付くのが遅かった。12時頃まで起きてやんの。
 
 録画していたETV特集『希望をフクシマの地から~プロジェクトfukushima!の挑戦』

 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/1009.html

 を観る。
 このイベントは無茶苦茶行きたかったのだが、福島は遠い。かつ、8月15日って、おい(笑)

 10日振りにビールを飲んでみよう。
 すいません。。。2つの嘘です。発泡酒ですし、少しサバ読んでます(笑)



 
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   福島
   
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。



 ステージ上で詩人の和合亮一氏が織り上げた詩を同じ福島の人達と和合亮一氏が読み上げる。その最後が上記の言葉だった。ただし、テレビからの聞き取りなので確かではないかも知れないが。
 ステージ上の全ての人達がそれぞれに「福島」を連呼する。決して揃っていない。それぞれがそれぞれに「福島」と連呼する。故郷の名を連呼する。そして、

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。


 と、続く。

 え~。。。無茶苦茶感動した。どれだけ感動したかというと、録画を見終わったのが深夜2時30分過ぎだったにも関わらず、久々にブログを書いて居るぐらいである。
 「福島」の連呼が、「南無阿弥陀仏」の連呼みたいだった。それぞれがそれそれに「南無阿弥陀仏」と連呼しているみたいだった。そして

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!
   未来は私たちの手で。


 である。

 昨日の元所属寺報恩講の講師先生は昨年と同じ方。昨年、確か、「親鸞の苦悩と私たちの苦悩」みたいな事も話しておられ、「なんでこんな俺やねん!」みたいな事も。え~。。。厳密な言葉ではどうだったのか知らない。私にはそう聞こえただけである。
 現実は理想通りには行かず、私が私である事すら否定してしまう。「なんでやねん!」なんぞと。「くそったれ!」なんぞと。

 ETV特集『希望をフクシマの地から~プロジェクトfukushima!の挑戦』は、今までに観た震災関連、原発事故関連のテレビの中で一番良かったと思う。まあ、単純に行きたかった音楽イベントの映像という部分が一番大きかったし、映像的にも「ホンマにETV特集なのか?」みたいだったし。
 イベントに出店していた果物農家の兄ちゃんが一個100円で売っていた桃は途中まで全く売れなかったらしい。範囲内だが放射性汚染されていた。その兄ちゃんも「なんで、こんなんなんですかねぇ。。。」と。「なんで、オヤジや俺がこんな事を考えなければならないようになってしまったんですかねぇ。。。」なんぞと。丁度突然の雨が降って来て「こんな感じっすよ」と。

 
   あたかも牢獄を逃れるごとく
   人はみな自己の前を逃れんとすれども
   世に一つの大いなる奇跡あり
   我は感ず 『いのちみな生きらるべし』と
   (リルケ)


   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!

   
 の言葉を聞いて、恩師達から教えて頂いたリルケの言葉を思い出す。

 『過激な放射能危険派』から「福島は終わった」だのという言葉がネット上で流れてくる。何が「終わった」のだろうか?「終わった」という人達は、実は、人生にとってとても大切な何かが始まっていないのではないのか?
 イヤな環境から逃げ出すも逃げ出さないもそれぞれの勝手である。しかし、その場に踏みとどまり、その場で生きようとしている人達が居ているにも関わらず「福島は終わった」なんぞと。「福島は死んだ」なんぞと。どんな権利で言えるのか。

 プロジェクトfukushima!の共同代表である大友良英氏が「福島をチェルノブイリにしてはいけない、って英文で書いて気が付いたけど、それってチェルノブイリの人達に失礼だよね」と言ってはった。こんな感受性って好きだ。
 
 「福島は終わった」「福島は死んだ」なんぞと言う人は、(私にとっては)残念ながら、そういう感受性は持ち合わせていないのだろう。短気な私はかなり怒っているのであえてこういう言葉を使ってみたりするが、「そういう優しい感性は持ってないのだろ?テメーら!」
 だから、尚更

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!

 
 という言葉に触れるしかないのではないのか?
 『福島差別主義者』『人間性が欠落している』なんぞと呼ばれ、まあ、御本人たちは正義の味方なので気にしていないかも知れないが、まあ、そんな事もないはずだが、だから身内の仲良しこよしで『正義』を確かめあっているのだろうが。
 それだって同じである。誰にも代わって貰える人生ではないのだ。だから

 
   生きている福島
   生きて行く福島
   福島を生きよ!
   福島を生きろ!


 なのだ。

 アカン。発泡酒2本目を飲み始めた段階でベロンベロン。やっぱり、まだ無理だったかな?
 それでも飲んでしまう、飲みたくなる感動があった。長生きだけが人生ではない。

 
   生きている『私』
   生きて行く『私』
   『私』を生きよ!
   私を生きろ!