坊主の家計簿

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コロナと共に往生する

2021年05月04日 | 坊主の家計簿
釈尊在世時にも大乗仏典が書かれた時代にも顕微鏡は無かった。故に肉眼で見える一番小さな生命・虫を殺す事も殺生とする事が限界であった。釈尊が顕微鏡を見れば、何処までを殺生としただろうか?

仏教には「人間だけが尊い」という人権思想はない。だが、「あらゆるものが尊い」という縁起がある。縁起から見れば人権思想も無分別智に背いた差別思想にしか過ぎない。当然の如く、人間での差別も認められる訳がない。

「コロナを殺す事も殺生だから辞めろ」なんて言える訳がない。生きる事は殺す事である。ただ、罪である。罪を認識する事は相手を対等だと認めている事である。「あんなヤツら殺されて当たり前やろ」などは仏教では成り立たない。真理に背いている。

「生きて良い生命」「殺して良い生命」と使い分ける事は人間の知恵である。何故なら疲れるから。一々、親しい人を傷つけた殺したような感情で罪意識を感じられる訳がない。だが、それは差別でしかない。

差別。自己を中心として価値判断して行く。それは自分自身ですら価値判断する事になる。どんな状態のどんな生命でも尊いが故に、どんな私も尊い。決して「人間らしく」という無分別智に背いた横暴極まりない思想ではない。ホームレス状態だろうが、酒で脳味噌腐って独り言で暴言していようが、全く同じ生命であり、憐れむ必要も何もない。シャブ中は単なるシャブ中であり、見つかれば逮捕されるだけであり、決して更生させなければならない生命ではない。私(たち)と共に生きている存在でしかない。

存在している。社会人失格、父親失格、夫として失格。何でも良い、ありとあらゆる世間のレッテルとは無関係に存在している。事実はこれだけだ。

当然、コロナも同じく、今の世を私と共に存在している。そして、私が生きる為に殺す。私は罪を背負って、有り難く生かせていただいている。
コロナと共に往生する。「殺して良い生命」と差別する事は決してあってはならない。


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