坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『健康は義務である』(byナチス)

2008年03月31日 | 坊主の家計簿
 3月31日

 雑費  全国仏青会費         2000円
     古本             7880円
 食類  マーガリン           178円
     アクティブダイエット8     776円
     水切りネット            1円
     中華三昧3           264円
     茶碗蒸し              1円
     無添加ワイン          478円
     ホタルイカ           100円
     エリンギ             98円
     水菜              100円
     麺スープ            198円
     イカ明太            149円
     しらす              64円
     豚バラ味噌ダレ         266円

 合計                13078円
 3月合計             118385円

 お休み。
 昼過ぎに起きてネットで注文していた古本、『柏原祐儀 三帖和讃講義』が届いていたので郵便局に振込。ついでに全国仏青会費も振り込む。あ、『柏原祐儀 三帖和讃講義』を買おうかどうしようか迷って居られる方、版が新しくても文字は古いままです。「さすがは、大正時代」という活字のままですので、別に最新版を買わなくともエエかも知れません。

 ついでにお買い物。しかし、寒い。。。寒いし風も強かったので御近所温泉に行くのを断念する。まあ、今度やな。

 『Dr.コトー診療所2006』を見終わる。
 蒼井優ちゃんが起した様々な奇跡も良かったが、やはり最終回での「コトー先生、堕落する」のが良かった。まあ、生身の人間やし、しゃーない。

 夕方に視てたニュースや、ワイドショーなんぞで『メタボ健診』について幾つかの番組でやってた。「明日からですよ」と。
 以外だったのだが、私も数日前にタマタマ知っただけなのだが、『メタボ健診』って私みたいに知らない人が多かったのね。

 『健康は義務である』とはナチスのスローガンだったらしい。詳しくは知らん。

 『美しい日本』にはどうやらメタボは居たらダメみたいである。
 大変である。まずは仏像をなんとかしなければならない。仏像の多くはメタボである。どう考えてもメタボである。私たちはメタボの仏像を拝んでいるのだ。メタボの仏像に手を合わず為にわざわざ遠方まで出かける人も居る。
 
 「先生!大仏さんってメタボじゃないんですか?」
 というのはやはり教育的に悪い。よって奈良や鎌倉に修学旅行や遠足で出かける事がなくなるのではないのか?っちゅうか、あれは元々宗教施設だから、え~。。。日教組何をしとる。特定宗教団体を義務教育で使うのは間違っとるぞ。

 大阪では『えべっさん』というのがある。まあ、エビスビールのラベルの神さんでんな。当然、メタボである。
 ♪商売繁盛でササ持って来い
 は、メタボの神さんに商売繁盛を頼んでいるのだが。。。

 大変である。『えべっさん』も仏像もダイエットをしなければならない。アクティブ・ダイエットなんぞを飲みつつ運動して、毎日の食事制限をしなければならない。
 ん?仏像か。だったら作り替えるか、もしくは改造して腹の肉を落とさなければならない。

 今日のワイドショーでも誰かがコメントしてたが、就職時に、まあ、面接時にメタボであると危ない。
 今回の罰則は個人負担ではない。『保険者』つまり、自治体や、会社等に罰則がかかる。
 つまり就職試験の時にメタボであると、つまりメタボ社員を採用すると面倒なのだ。会社の経費が余計にかかる事になりかねない。
 まあ、会社としては同じ能力を見込まれるのならば『メタボの人』と、『メタボでない人』を選択するのなら、『メタボでない人』の方がややこしくなくてイイ。都合がイイ。企業の論理として「何故、採用すると余計に経費がかかってしまうかもしれない社員を採用しなくてはならないのか?同じ採用するのなら非メタボの方が経費負担の心配が少なくてすむではないか?」と。

 どう考えても危ない。

 健康的な人間。
 つまり、まあ、なんや。メタボでなく、心優しくて、ボランティアなんぞの社会貢献もしっかりとして、政治に対する意識、社会問題に対する意識、社会差別に対する意識等関心がに深く、当然、酒はたしなむ程度で、タバコは吸わない。食事管理も野菜を中心に。戦後民主主義の理想の『よゐこ』
 堕落しろ。もっと堕落しろ。

 国家。
 日本は資本主義であり、天皇制である。
 『天皇』とは神主であり、神道の国である。神道の神主を象徴としているのが日本である。
 神道の教義はよく知らんが、基本は『穢れを祓う』みたいなものなんだろう。お祓いしてはるし。

 『清めの塩』といっても消毒なのだ。殺菌効果がありまんがな、塩には。今ならファブリーズとかの方が便利でより効果的だと思うのだが、まあ、神道でも伝統を大切にしはるのだろうし。
 『健康に生きたい』とは、まあ、誰もが願う事だと思う。病気ってしんどいし。ぎっくり腰も大変でっせ。

 娑婆で生きて行くには『健康』であった方が都合がイイ。当たり前である。と、やはりいいたい。
 都合がイイ。『都合』でんな。ワガママでんな。

 健康と経済中心が結びつく。まあ、不健康よりも健康の方が経済効率もエエ。薬代も医療費も要らんし。
 故に、『メタボ健診』。
 単なる御都合主義だけの話。

 自分自身が自分にとって都合悪なったらどうしまんねん。
 自分で自分の首をしめてるだけの話でっせ。

 『メタボ健診』は道路特定財源よりも、物価値上げよりも、一番危ない。思想的に一番危険極まりない。
 単なる国家による優生思想の法制化やんけ。

第六話『帰るべき場所』まで

2008年03月30日 | 坊主の家計簿
 3月30日

 外食  ラーメン        409円
 雑費  ゴミ袋         248円
     レンタル6      1200円
 食類  発泡酒6        583円
     海童         1490円
     紅ショウガ        78円
     からし          98円
     わさび          98円
     こんぶダシ        98円
     オニオンスープ3     60円
     ウインナー       176円
     豚肉          244円
     豆腐          128円
     うどん玉2        50円
 
 合計             4960円
 3月累計         105307円

 明日はお休み♪
 っちゅう事でボンヤリと。今日は結構忙しかったし、バタバタ動き回ったので、「うっ。腰が。。。」っちゅうやつでんな。まだハードに動き回るには少し早い。
 特に腰をひねる行為に弱い。野球とかはもっての他なんだが、まあ、別に野球せえへんし。
 
 野球。。。
 全国1億人の阪神ファンの皆様。今年の優勝は決まりましたな。やっぱし、平野、新井の加入がデカイな。
 投手陣もエエ。久保田とかも先発組にしたらエエのに。別に『JFK』にこだわる必要はないで。
 まあ、今年は貰ったも同然や。

 と、安心して『Dr.コトー診療所2006』を観る。今日は第六話まで。
 この作品は蒼井優ちゃんが出ているので注目していたのだが、なんせ、主人公らしき男優が気に入らんので、つまりテレビ画面に一番多く出てくるであろう男優が気に入らんので借りるのを避けていたのだが、まあ、評判も良さそうやし、一気にレンタル。
 ついでに柴咲コウも出ているらしい。
 え~。。。柴咲コウはやっぱし俳優を辞めた方がエエで。あんたは歌を歌っときなさい。歌はエエ感じで『大根』ではないのに、なんで芝居になると大根になるかな。
 比べて蒼井優ちゃんの演技の素晴らしい事。もう、キラキラしてまんな。テレビでも手を抜けへんねんな。その姿勢も素晴らしい。っちゅうか、蒼井優は天才やから手を抜くもクソもないか。
 しかも、思った以上に登場シーンが多い。これはヒットやな。

 ドラマ内容は第六話まででは、東京からやって来た新米看護士の蒼井優が意地悪な先輩看護士(柴咲コウ)に虐められる所から始まる。しかし、そんな意地悪な先輩看護士も蒼井優の笑顔や健気に懸命に働く姿を観て態度を改める。
 柴咲コウのオッパイを見れなくて腐っているコトー先生も蒼井優ちゃんが健気に働く姿に感動して乳癌だった柴咲コウの治療を大学時代の友人に任せつつも柴咲コウを脇から支える力になろうとする事が出来た。
 有名な漁師だったのに息子の進学資金を稼ぎだす為に出稼ぎに行き、そこで色々なトラブルに巻き込まれて腐っていた時任三郎も蒼井優ちゃんの笑顔に癒されて腐る事を辞める。

 そして、一番大きな変化は漁師役で出てる船木だろう。これは『ドラマ内』ではないので一行開けて書くのだが、ヒクソンに負けて引退した船木は『役者』なんぞという慣れない、というか、本当はあまりしたくなかったであろう仕事に付いた。
 船木はプロレスラーとして天才だった。その事は誰も異論はないだろう。佐山(初代タイガーマスク)以来の天才だと私は思った。
 ただ、船木は格闘技団体としては中途半端に終わってしまった第2次UWFに参加した。そこでも頭角をみせ、幻の『高田10秒KO事件』、つまり、ゴング早々拳底の連打で当時前田と並ぶエースであった高田をKOしたのだが、何故か不思議な事に、っちゅうか、『プロレス』が故に認められる事が出来ずに高田のKOは撤回で、結局その試合では負けた。
 その後船木は藤原組に参加した後に、自分の理想の団体、つまり『パンクラス』を旗揚げする。
 『パンクラス』を旗揚げする際に逸話がある。旗揚げするまでは船木は無職である。当然、メシが喰えない。だから、確か船木はファミレスでバイトしてたはず。20代半ばだし、ファミレスでバイトしてても当然おかしくないのだが、なんせ『船木』である。あの『船木』である。船木はファミレスでバイトをしながら生活費を稼ぎ、練習を積み重ねた。
 そこまでしてやりたかった自分の理想の格闘技である。
 だが、船木は若くして引退する。ヒクソンに負けて引退する。

 『Dr.コトー診療所2006』には、カレーで有名なクラーク博士の言葉が出てくる。
 
【少年よ 大志を抱け!
 お金のためではなく
 私欲のためでもなく
 名声という空虚な志のためでもなく
 人はいかにあるべきか、その道を全うするために、大志を抱け】

 忘れるのだ。そんな事をいっても。
 忘れ、金や私欲や名声にハマるが故に人間なのだ。
 
 船木も忘れ、迷っていた。迷っていた時に蒼井優ちゃんに出会ったのだ。
 「なんだ?この子は?無茶苦茶『芝居』を楽しんでいるではないか?こんなにキラキラと輝く芝居なんぞ見た事がない」と。
 当然、全て『多分』である。私の妄想である。だが、きっと船木はそう感じたのだろうと想像する。

 故に、船木は現役復帰する。彼は、蒼井優ちゃんと出会う事によって自分が「格闘技が好き」という単純な事を思い出したのだ。

 好きな事に理由はない。好きだから始めただけの話である。
 だが、悲しいかな『人間』だから金や私欲や名声等にハマってしまう。
 自分が選んだ道であるにも関わらず。

 人生には色々な道があるが、自分が歩けるのは自分の道だけしかない。
 具体的な事実では自分の道しか歩けていない。他人の道など歩けるはずがない。他人の道を真似て歩いてもそれが自分の道でしかない。何をやろうが、どんなに腐ろうが、それも自分の道でしかない。
 「私は親が決めた道を歩んで来たの!」
 「私は社会の道から外れないように歩いて来たの!」
 でも、自分の道。
 それを選んだ自分の道でしかあり得ない。他人の道などあり得ないし、他人が強制しようともそれを選ぶのも自分でしかあり得ない。

 蒼井優ちゃんは、出演する映画やテレビドラマでは主役級等にこだわらないらしい。『Dr.コトー診療所2006』でも脇役である。単純に芝居、いや、『役者』という仕事が好きなんだと思う。
 だから、自分よりも芝居が下手な吉岡某とか、柴咲某等の脇役を演じても、あんなにキラキラと輝く事が出来るのだ。

 自分の人生は、自分だけの人生でしかあり得ない。
 誰もが皆、スポットライトを浴びる人生であり得るわけがなく、また、自分の思い通りに生きれるわけもない。
 スポットライトも思いも世間。世間の話。
 
 アカン、夕寝してないし、深夜までDVD観てたし、酒も明日休みやからベロンベロンやのぉ。。。
 まあ、それが、事実や。事実に帰らんと、何処に帰りまんねん。

 あ、今日のブログは、何時もに増して嘘が多いです。
 だって、明日休みやも~ん♪
 二日酔いしてエエ日やも~ん♪

 中年よ大志を抱け!
 「何がメタボじゃ、こらボケ。オレ様はオレ様じゃ。勝手にレッテル貼るなボケ!何時から日本はナチスになってんじゃボケ!」とでんな。
 我がは我がや。他人のエゴと交換なんぞ出来るわけないやろうがい。
 エゴで他人の痛みが解るわけないやろうが。そりゃ『気分』や。気分やから『都合』や。都合次第の痛みの共感でんな。そりゃ『想像』の『思い』でしかないわけでんな。
 『よゐこ』はそれを覆い隠す。だから『真面目』で『優しい』わけでんな。エゴを隠すわけでんな。
 そこに『他者』は存在しない。
 「他人等全くどうなっても構わない」だから『他者』がいる。エゴを見出すが故に他者が居る。

 そうやって、優しくなんか全くなく、薄情極まりないもの同士がやな、『お互い様』でっせ。
 お互い様や、お互い様。

如来の家

2008年03月29日 | 坊主の家計簿
 3月29日

 雑費  発泡酒           198円
 
 合計                198円
 3月累計           100347円

 素晴らしい!
 映画『サッド・ヴァケイション』は素晴らしいぞ!
 
 まずオープニングにいきなりヘロヘロ・ジョニーサンダースの名曲『SAD VACATION』が流れる。これだけでやられた。
 続いて宮崎あおいちゃんの変わらぬ眉間にシワを寄せた演技も素晴らしかった。ついでにきっと実生活でも仲がエエのであろう浅野忠信とオダギリジョーもエエ感じやった。
 これだけでも充分に素晴らしい作品であるのだが、作品はもっと素晴らしい!宮崎あおいちゃんよりも、ジョニーサンダースよりも素晴らしい!
 新作なので内容は書かないが、これぞ『如来の家』というヤツやで。『山本周五郎作品のエエ部分を全部集めて現代に焼き直したらこんな作品になりました。』っちゅう感じでっせ。
 ついでに映画のエンディングはアイラーである。 アルバート・アイラーである。オープニングがヘロヘロ・ジョニーサンダースの最ヘロヘロ時代の名曲『SAD VACATION』で、ラストがアイラーである。これだけでも観る価値はおまっせ。

 如来の家。
 ついでに作品中の北九州の家族は多分真宗門徒。まあ、たまたまだったのだろうが、あれぞ真宗門徒の家族像。阿弥陀如来を中心とする家族像でっせ。縁ある他者を決して見放さない家族像でっせ。
 『如来の家』だから当然『家長』は阿弥陀如来でしかない。阿弥陀如来を中心とする家族が真宗門徒である。
 当然、そういう寺というか、家族も多々ある事も体験して知っている。やっぱりあれでっせ、あれ。あれが真宗門徒でっせ。
 出来る出来ないの話ちゃいまっせ。それこそ個人の限界の話であって、出来る出来ないの話ちゃいまっせ。出来る出来ないでなく、何を中心とするのか?の話でっせ。
 
 これは寺の話やけど、「寺を開いたらやっかいな人が来る」と某長老。「でも、楽しいですよ」とこれ又某長老。
 映画の中ではヤヤコシイ事だらけ。でも、引き受け、見放さない。

 「私は見放される事がなくて当たり前だ」とは娑婆の理屈。そんな人なんぞいやしない。人間社会のルールだけでも『たまたま』だし、ルールを越えた世界では無茶苦茶でんがな。誰一人残らずに。
 毎日、毎日、「私が、私が」と、自己中心にしか生きてない。それしかないやんけ。
 選び、キライ、見捨てる生活だけでんがな。ワガママし放題。他人なんぞどうなっても構わない。全くどうでもエエ、しかないやんけ。
 それでも、決して見放さない存在。人。働き。
 エエ感じや。

 今日は、坊主バーのあと片付けだったんだが、明日も仕事だし、マシになって来たとはいえギックリ腰。よってサボったのだが、昨日、つまり、閉店の日にある友人の夢を見た。
 「お前とオレも最初は他人やったよな」と云われた。
 電車の中、つまり多くの他人がいる中での会話。
 坊主バーで知り合った人から今晩メールがあった。「閉店したんですか?」と。返信したら、返事。「あのバーでは色々な事を教えて貰った」と。
 それは別に全てのバー、いや『場』に共通するもの。
 『場』があるから出会う事が出来る。
 『場』があるから憎しみ合ったりする事も出来る。憎しみ合う者を場から排除したら憎しみ合う事も出来ない。

 坊主バーのチラシは『広大会』という、実家に御参りに来ている先輩から貰った本の表紙のイラストを使った。

【安養浄土の荘厳は 唯仏与仏の知見なり 究竟せること虚空にして 広大にして辺際なし】(親鸞)
 っちゅうか、浄土論、論註の歴史。『親鸞』という流罪後の名告りの歴史。

 閉店間際の坊主バーは私にとっては『どうでもエエ場』だったのだが、大切にして居られた方も居てたんだなぁ。。。と、メールで改めて感じた。
 自分が関わったにも関わらず、粗末にしていたなぁ。。。と。

 

起立!礼!着席!

2008年03月28日 | 坊主の家計簿
 3月28日

 雑費  レンタル3        840円
 食類  納豆            68円
     焼き鮭          200円
     小龍包          108円
     しょうが天         88円
     きゅうりヌカ        99円

 合計              1541円
 3月累計          100149円

 仕事が早く終わり、
 さくらさくら♪
 と、久々バイクで海にでも行こうと思ったんやけど、バイクって、まあ、原チャリやけどあんまり腰にはよくなさそうやな。。。もう暫く待と。だいぶ良くなったけど、まだ安静にしといた方がエエやろうし。用心、用心と。

 レンタル3は
 『自虐の詩』
 『ゴッド・イン・ニューヨーク』
 『サッド・ヴァケイション』

 『ゴッド・イン・ニューヨーク』
 テーマにひかれて借りたのだが、まあ、。。。

 『自虐の詩』
 中谷美紀は素晴らしい。けど、監督が堤やしなぁ。。。なんかテレビドラマの『ケイゾク』はハマったけど、『ケイゾク』の映画版にしてもクサかったし、他もなぁ。。。なんか調子に乗り過ぎてる、っちゅう感じやね。
 けど、中谷美紀は変わらず素晴らしかった。作品がよければもっと今年も最優秀主演女優を取れたのに。。。

 昨日、寝る前に発見したニュース。
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080327-00000071-san-soci
 門真3中ってどこか知らんが、守口、門真、寝屋川の中学生は、まあ、教師に強制されへんかったら卒業式に起立して君が代なんぞ歌わんぞ。少なくとも、私が守口で中学生だった頃は。
 何やら校長は「事前に不起立を指導していたのであれば、生徒の内心の自由を侵す行為で明らかに行き過ぎ」とか語って居るらしいが、日教組被れの教師が何をヌカそうと、日教組被れの教師が脅迫でもしない限りは教師の云う事なんぞ聞くはずがない。
 理由?理由はきっと「面倒だから」だろう(笑)
 まあ、アホ丸出しのニュースでんな。
 追加分(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080328-00000924-san-soci)でも、【教員が不起立を促していた可能性があることを踏まえ、「きわめて残念で、送り出す子供たちに影響を与えたのではないかと深刻に受け止めている」と述べた。】等とあるが、これもアホ丸出し、もしくは「そうであってもらいたい」という話だろう。
 教師が強制するから起立するわけであって、多分、私も中学の卒業式では何かの時に起立した記憶がある。まあ、面倒は起したくなかったし。強制されなかったら起立なんぞするわけがない。
 仮に日教組被れの教師が「国家斉唱時には起立して歌うな!」と日教組丸出し意識で熱く語ったとしても、きっと「え?起立せんでもエエの?歌わんでもエエの?」ぐらいなもんであって、決して日教組教師の影響であるわけがない。影響を解いたが故に起立して歌わなかっただけ。起立して歌うって面倒やし。
 
 形だけ。
 形だけでも強制するが故に起立しての国家斉唱であり、その『形』だけ、っちゅうのが危ないのだが。
 形だけ=世間。
 世間であるが故に、「ホンマは自分はしたくないねんけど」と、自分を捨てる。

メタボ健診

2008年03月27日 | 坊主の家計簿
 3月27日

 外食  回転寿司        470円
     焼肉ビールメシ    3000円
 雑費  JR           160円
     公文学費       4200円
 
 合計             3630円
 3月累計          98608円

 皆さん御存知でしょうか?腰痛をかばいながら走ると競歩になるのです。。。
 って、腰いて~。。。

 今日は学習会の準備会議。だったのだが、まあ、見事な学習会になってもうて、先輩達に色々と教えて貰って、刺激満タン。

 ついでに、帰りに行った焼き肉屋で「お前が一番若いねんから」と食べてたら腹も満タン。

 で、『メタボ健診』って何?
 私は現在39で5月で40。詳しくないのだが、40になったら受けんとアカンのかな?ちょっと調べよ。
 とは云え、まあ、私は標準体型。以前にかなり痩せていたので「最近肥ったなぁ。。。」と云われるが、まあ、これで標準ぐらい。なので検査に引っかかる事はないのだが、でも、これって怖くない。
 ちゃんと調べてないのだが、何やら罰則もあるらしい。それも個人負担ではなく、会社だとか自治体に罰則、つまり金銭的負担がかかって来るらしい。

 「(こそこそ)○○さんのせいで罰則がかかって大変なのよね」
 「ホント、よくも平気な顔して肥ってられるものよね。もっとみんなの事を考えて貰いたいわ」

 って、何やねん、そりゃ。日本はナチスか?典型的な優生思想じゃんけ。

 「僕はどうしても痩せる事が出来なくて、みんなに罰則を与えてしまう。。。こんな僕なんて。。。」

 って、アホか、こら!舐めとんのか!
 だから健康ブームは危ない、っちゅうねん。
 間違いなく、新しい差別構築でしかない。

 学習会会議に行く途中の車内で1人の兄ちゃんが甘そうなパンを食べてた。見事に肥った兄ちゃん。何歳か知らんが、40以上なら間違いなくメタボ健診で引っかかるだろう兄ちゃん。
 喰え。もっと喰え。もっと喰って、それでもって正々堂々と生きろ。他の部分はともかく、少なくとも肥満で自分を卑下する必要は全くない。迷惑をかけあって生きるのが『人間』っちゅうもんでっせ。
 迷惑をかけない存在などあり得ない。
 痩せてスリムで、酒もタバコも吸わない。健康で人に迷惑なんかかけない。故に
 「オレって、人に迷惑かけたくないんだよね。人に迷惑かけるヤツなんて最悪」
 って、そういう発想自体が迷惑や、っちゅうねん。
 
 生まれて来た当初も迷惑であって、老い死んで行く間際だけが迷惑ではない。迷惑を掛け合うのが人間でっせ。
 互いに『迷惑な存在』として尊重しあってやな、それが『お互い様』っちゅうやつでっせ。それで助け合うのが『お互い様』っちゅうやつでっせ。

 煩悩まみれだし、欲もある。その欲が『食欲』として出る方も居られるだろう。そして肥るのだろう。ただ、それだけの話じゃんけ。それだけの話でもって、人を見下す事に、人を差別する事に『欲』を使う、つまり差別する。そういう欲。
 欲は誰にでもあり、煩悩は誰にでもあり、煩悩は煩悩だが、互いに問題を抱えている存在である。
 煩悩なき『健康な人』なんぞ、多分居ない。

 なんか、「迷惑をかけてごめんなさい」という理由で死んだガキが居たらしいが、迷惑は掛け合うものだ。
 「ごめんなさい。迷惑をおかけしまして」とは、社交儀礼だ。あくまでも娑婆世間だけの話でしかない。世間の中で生きていく礼儀でしかない。当然、それは絶対的なものではない。あり得ない。ナンセンス極まりない。

 多分、これからますます広がるであろう健康ブーム。
 思想的、いや、『人間的健康』もますます広がっていくだろう。『こころのノート』だし。心優しき人達ブームだし。
 少子化かなんか知らんが、ガキに対する締め付けはますますキツくなる。

 ガキに対する締め付けの強さを見てると、いや、私にガキは居らんから『みてるだけ』なんだが、庭園を思う。
 整備された庭園で親の思う通り、社会の思う通りに育つ。
 雑草は抜かれる。自分で自分の事を『抜かれなければいけない存在』と思う。
 雑草だって、生き物だ。名前を勝手に付けて価値判断しているのは人間でしかない。人間だけが価値判断でもって、庭園から排除する生き物、排除しない生き物を選ぶ。
 人間は何時から、そんな権限を持ったのだ?そんな偉そうな権限を持ち得たのだ?

 価値があるから『尊い』のではない。価値がなくとも尊いのだ。
 価値は人が決めたもの。差別しかり。
 そんなもんに『生身の人間』が従う義務はない。

 人権とは、まあ、この言葉はある意味キライなのだが、まあ、「人間だけが尊い」のなら、『人間らしさ』という事が、人間が作り出した価値判断が入るからキライなのだが、でもまあ、『人権』っちゅうのは、どんな人、どんな生き方をしている人にも、全く平等に、誰も選ぶ事無く、全く平等に与えられている、違う、『存在』しているが故に尊いのだ。
 与えられているのではない。誰も『与える』権限など持ち得ない。持ち得ないにも関わらず、様々な思想・宗教や、文化の中で、つまり人が作り出したワガママ(エゴ)でもって決めつけているだけに過ぎない。

 メタボ健診は娑婆の理屈であり、当然、人間社会のワガママにしか過ぎない。傲慢なワガママにしか過ぎない。
 都合の良い人間。都合の悪い人間の選別にしか過ぎない。
 当然、『都合』を決めるのは、所詮人間でしかない。何かの思想・宗教・文化にしか過ぎない。国家エゴにしか過ぎない。
 そんなもんに本気で従ってもしゃーないで。

ナンセンス!

2008年03月26日 | 坊主の家計簿
 3月26日

 食類  発泡酒6         640円
     豚肉           252円
     キャベツ         100円
     餃子           200円
     もずく           86円
     焼そば麺          20円

 合計              1298円
 3月累計           90778円

 腰痛、少しマシになったが安静、安静と。よってダラダラと。

 『映画 めがね』
 映画のメッセージもよく解るのだが、いかんせん映画としてクサい。クドい。
 「これでもか!」っちゅう感じでブルジョアの道楽自由のメッセージが全編に映し出される。『かもめ食堂』がサラッとして良かったからレンタルしたのだが、『めがね』はクドい。
 市川実日子が変わらず素晴らしいし、出てくる役者さんがみんな芝居上手だし、カメラもエエ。んが、ダメやな。

 『サウスバウンド』
 結構良かったし、笑えます。「ナンセンス!」というオヤジのセリフがギャグみたいだし、エエ感じ。
 これも新作なのでストーリーは書かないが、まあ、主人公は沖縄出身。学生運動の闘士。地元沖縄に帰る。沖縄には沖縄の誇りがある。

 文化なんぞ他所から見たら変なもの。沖縄には沖縄の宗教があり、文化がある。
 最近はマトモになったと思うのだが、以前に読んだ大谷派の沖縄開教の人の文章が酷かった。沖縄には沖縄の文化があるに決まっているのだが、それを認めようとしない風に私には読めた。かなり激怒して掲載されていた某雑誌に少し関わって居る人に批判しまくっていたのだが。
 今は金城実とかが大谷派になったので、まあ、そんな事はないだろうが。あのオッさんがそんな事を許すはずがないし。

 真宗仏教も沖縄からすると当然『ヤマト』から来たもの。『ヤマト』から来た、ある意味近代的な宗教。

 学生運動をやられていた人、まあ、サウスバウンドの主人公みたいな人が女人禁制・大峰山の麓に住んだらどういう事になるのだろうか?
 もっと、限定する。学生運動をやられていて、大谷派僧侶になった人が女人禁制・大峰山の麓に住んだと仮定する。
 女人禁制・大峰山の人達は『近代』から取り残されて、昔ながらの風習、都市部や、今現在からすると差別的な風習を守って生きておられる。
 学生運動上がりの僧侶は当然、その『いなかの人達』と一緒に生活する。そこに人がいてるわけだし。都市部からすると変な風習を大切にしておられる。「時代遅れかも知れませんが。。。」と古老は云う。
 そこに外部から『解放』の名の下に現地の風習を潰しにやって来る人達が大挙やってくる。「話し合いに来ました」と云いながらも何故か登山の格好をしている。あくまでも女人禁制の山に登るつもりであるらしい。
 私なら、「ナンセンス!」と、地元の人達『いなかの人達』と共に断固闘うが、まあ、どうなのだろうか?時代遅れだろうがなんだろうが、そこに生きておられる人を無視する思想は私にはナンセンスとしか思えないし。
 まあ、今の大谷派の多くの人は一緒になって時代遅れを弾圧しにやって来るのだろうが(笑)。弾圧者の代表的な存在の人を講師として呼んでいるわけだし。ナンセンス!

 しゃて、何やら『幸運乃光』とかいう宗教法人に対して一部業務停止命令が出されるらしい。
 http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY200803260216.html
 各宗教法人には各宗教法人のやり方があるので基本は何も言えない。各宗教法人のやり方があるのだろうし、うち等真宗教団だって、他の宗教からすると変な事だらけだろうし。
 ただ、思うのだが、「ああ、何をしてるねんやろ。。。」である。

 日本人の多くは、自覚的に他所の宗教に鞍替えしない限りは仏教徒であるはずだ。江戸時代の檀家制度が基本そのままのはずである。だから、以前に居たお寺では田舎から新興住宅地に移り住んで来た人達も、いざ葬儀になると実家や、本家(?)等に電話して宗派を聞くし。自覚的に「私はクリスチャンになりました」だのと意思決定しない限りは、基本仏教徒であるはずである。
 だが、多くの家は仏壇(お内仏)と一緒に神棚もある。
 『神仏』というが、仏教と、神道は全く別の宗教である。全く別の宗教にも関わらず、同じ家に仏壇(お内仏)と神棚がある。見慣れた光景になっているのだが、非常に不思議な光景でもある。
 まあ、『伝統』といってしまえばそれだけなのだが、じゃあ、仏教徒って何なん?と、でんな。。。

 江戸期の檀家制度と違って、今は宗教が選べる時代である。というか、寺院だってその歴史を探れば宗派を変えている所が多々あるはず。宗教は選んで良いのだ。ごく当たり前の話なのだが。
 選んで、自分で決めて、「この宗教がエエな」と思えば、変えてもエエのだ。当たり前の話だが。
 例えば大峰山の麓の人達が、真宗仏教の話を聞いて、「おお、こっちの方がエエな」と、今までの宗教を捨てて真宗に帰依してもエエのだ。
 沖縄の金城実なんぞその典型だろうし。まあ、親類に何を云われてるのか知らんが。何を云われても、個人の信仰なんぞそんなもんやろ。

 少し前に書いたのか、書いてから消してしまったのか憶えてないし、確かめるのも面倒だが、真宗大谷派も宗教団体なのだ。決して『風景』などではなく、宗教団体なのだ。『幸運乃光』と同じ宗教団体でしかない。
 当然、宗教教団である以上、信仰は個人のものである。決して「実家がそうだから。」ではない。実家がそうでも、個人の信仰が違えば捨てても構わない。それが宗教である。それを宗教と呼ぶ。

 宗教は決して習俗ではない。逆か?習俗だって宗教なのだ。
 地鎮祭だろうが、玉ぐし料公金支出だろうが、靖国参拝だろうが、宗教行為なのだ。
 当然、葬儀だろうが、法事だろうが、月参りだろうが、宗教行為なのだ。
 宗教である限りは、自分で判断して、自分で決めるしかあり得ない。習俗だの伝統だのと宗教である事をぼやかしてしまうのはナンセンスである。
 当然、宗教を変えても何の問題もない。
 『習俗だから』と強制される筋合いは全くない。伝統を守り受け継ぐだけで、個人をおろそかにするのは、ナンセンスである。

 って、この「ナンセンス!」も、伝統芸やのぉ(笑)
 伝統は、受け継ぎたい個人が自分で選んで受け継ぐものです。
 宗教だろうが、天皇制だろうが。
 
 伝統より先に『自分』という存在がいる事を忘れたらあきまへんで。
 世間より先に『自分』という存在がいる事を忘れたらあきまへんで。

 【「まじめでやさしくて、おとなしいあの子がそんなことをするなんて考えられない。なぜそんなことをしたのか見当もつかない」】(http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY200803260005.htmlより)
 真面目で優しく、大人しいから問題やねんやろうが。
 自分の人生は自分で決めてエエねんで。
 「ナンセンス!」って、教師だろうが、親だろうが、世間に云うたれ!

煩悩ルームへようこそ

2008年03月25日 | 坊主の家計簿
 3月25日

 食類  うなぎ弁当        200円
     白飯            78円
     焼き豆腐          69円
     発泡酒          198円
     水菜            88円
 雑費  レンタル3        840円

 合計              1473円
 3月累計           89480円
 
 皆様、御存知でしょうか?腰痛で歩いていると『アホの坂田』になるのです。
 多少前屈みになり、その分どうしても手を少し前の方に突き出して歩くいていると、不思議な事に「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」と坂田師匠になって歩いてしまうのです。

 と、まあ、1日で腰痛が治るわけもなく、今日も「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」と御仕事、御仕事。一度だけ御参りが終わって雪駄を履いて帰ろうとする時にバランスを崩した以外は「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」でなんとか乗り切る。
 んが、「あ、よいとせのこらせのよいとせのこらせ」で学習会に行く根性、というか、気力がなかったし、っちゅうか、しんどいので行く予定だった学習会をサボる。

 レンタル3は
 『クワイエットルームへようこそ』
 『サウスバウンド』
 『めがね』

 と云う事で、学習会をサボってDVD。今日は『クワイエットルームへようこそ』
 蒼井優ちゃん見たさに借りたのだが、りょうも出てるし、『平岩紙』とかいう女優さんの演技も結構よかった。
 っちゅうか、映画がかなり良かった。2時間、全く飽きさせません。「なんじゃい、蒼井優をもっと出さんかい!」というのはあるが、作品が素晴らしいのでそれ程気にならない。
 新作なのでネタバレはしたくないが、まあ、私的には『事実を事実として引き受ける』として観れた。主人公が事実を事実として引き受けれた後の蒼井優ちゃんとのやりとり(友情)には涙が出そうになった。

 この前の日曜日やったけな?仕事で墓場へ。相手方との待ち合わせ時間少し前に墓場に着く。軽く墓場を歩く。先に来ていないかを偵察&、こっちは目立つ格好(坊さんルック)をしてるので、向こうが気づいてくれる場合もあるし。
 まだ来られていないみたいだった。次の時間が決められた予定の事を気にしつつも天気が良かったしエエ感じで待つ。相手方は御参り先の人。結構時間等にルーズな人なので、「まあ、しゃーないな」と気長に待つ。当然、彼岸中の墓場なので知ってる人達が多くいて、挨拶したり、「あれ?待ちぼうけですか?」と気安く声をかけて貰ったりしながら時間を過ごす。
 にしては遅過ぎる。こっちは次の予定もあるし。。。エエ加減に来て呉よな。もう、20分も約束の時間から過ぎとるやんけ。。。
 って、思ってたら、相手先の人登場。しかも、入り口とは別の所、つまり墓場内から登場。
 う~ん。。。私の偏見だったなぁ。。。先に来てはったとは。。。まあ、向こうは向こうの墓の場所を知っていると思っていたみたいだし、私は「あの人はルーズやからな」と、数分前に来たからちゃんと墓場の隅々まで探す事なく入り口付近で待ってたし。。。
 見事なまでの思い込みでもって、相手のせいにしてたわけやね。「私は悪くない、悪いのは相手だ」と。

 それが私の事実なんだろう。私は私の偏見でもってでしか相手を見てない、見れてない事を、またまた思い知らされたわけであったのだ。「恐るべき、我が煩悩」っちゅうやつでっせ。
 これだって、当然差別である。私の偏見でもって相手を見てなかったわけだし。相手先は事実、先に来られていたわけだし。私に『相手先が先に来られているに違いない』という発想があれば、きっと隅々まで墓場を探しただろうし。そういう時が多々あるし。ただ、私の中に「あの人はルーズやからなぁ」という差別意識があったから、ちゃんと探さなかっただけの話。
 「煩悩ルームへようこそ」っちゅうやつでっせ。

 主人公と蒼井優ちゃんは、そこで出会える。2人なら「クワイエットルームへようこそ」なんだろうが。

 正義って誰が決めるのだろうか?
 所詮、一つの宗教だったり、一つの思想でしかないのではないのか?その宗教内、思想内での『正義』が、他所の宗教や思想での正義と交わる事は、まあ、ない。違う宗教・思想だから。正義感が違うから。
 にも関わらず、正義で人を裁く。正義で人を殺す。
 逆だな。「正義だから人を裁ける」「正義だから人を殺せる」。
 
 悪意のある裁きや、悪意のある殺人は、まだ救いがある。何故ならそれは『悪意』であると自覚しているのだろうし。「所詮、わがままでしかない」と自覚しているが故の『悪意』なんだろうし。

 先の日本の戦争は『悪意』だったのだろうか?
 過激な解放運動は『悪意』なのだろうか?
 きっと、中にいる人には『正義』ではないのか?
 だから、『他者』の発見というのは、自分の発見でもある。
 違う宗教・思想の持ち主との出会いは、自分の偏見との出会いである。
 当たり前である。自分の正義と相手の正義が違うのだから。

 正義なんぞは人が作ったもの。
 宗教も思想も人が作ったもの。人が考えだしたものでしかない。

 「そんな事いうけど、お前は仏教徒ではないのか?」
 って、仏教って、そんな宗教でっせ。「多分。。。」と限定を付けるが。『仏教』という宗教も様々に歴史的流れで枝分かれしている歴史があるわけだし。

 『差別する人がいるから、差別される人がいる。』のは、まあ、当然だと思うのだが、どうだろうか。
 固定化された差別、何か一つの宗教観なり、思想によって固定化されている、だけの話。
 当然、偏見でしかない。
 偏見でしかないのだが、だからといって偏見を告発する人が『正義』であり得るわけがない。ただ、「それは事実とは違いますよ」の話だけである。
 
 ここからが非常に偏見の塊、つまり『人間らしい』話なのだが、その辺を勘違いしてしまう。『解放』という名目でもって、『解放』に賛成しない人達を、『敵』だの、『バックラッシュ』だの、『保守』だのと決めつけてしまう。
 『遅れている』という言葉が一番解りやすいかな?
 「あの人は遅れている」という事で優生思想の出来上がり。どんな運動の現場にも、こういう事ってないですか?
 『優れている』でも、『人格者』でもなんでもエエのだが、そういう事ってないですか?
 「何もしない人」とかよく聞きますが。。。
 で、それは誰が一体どういう権限で決めつけているのですか?
 誰が一体そういう権限を与えたのですか?
 
 と云う事で、煩悩ルームへようこそ。
 「おーい」

正義の火の粉

2008年03月24日 | 坊主の家計簿
 3月24日

 雑費  缶ミルクティー      120円
     洗濯洗剤         398円
 外食  つけ麺大         514円
 食類  わけぎ          138円
     豚バラ          214円
     お好み焼き粉       100円
     片栗粉           98円
     アミノ酸飲料4      388円
     焼き豆腐          69円
     牛肉           320円
     タマゴ          198円
     白菜半分          98円

 合計              2655円
 3月累計           88007円

 腰が。。。なんかよう解らんけど、仕事中に気づくと腰が痛い。。。これは
 1 昨夜の爆睡の半分はコタツで寝たので腰を痛めた
 2 ギックリ腰?
 なのか、よう解らんけど、腰が痛い。辛いっす。。。
 これは、
 1 体調が悪い
 2 お疲れモードである
 にプラスして
 3 腰が痛い
 と云う事であって、大変な状態なのだが、昨夜爆睡して、プラス今晩御通夜に行く前にも少しだけ仮眠したので微妙に元気なのだが。。。でも、腰が痛いっす。辛いっす。。。ついでに左指先をヤケドしてもうた。。。
 「キョー!キョッキョッキョッキョ!!!」
 と、一昔前ならヤケクソになっていたのだろうが、ヤケクソになっても損するのは自分やしなぁ。。。地味にしとこ。

 地味にテレビを見てた。何やらオリンピックの聖火式(?)か何かで中国に対する抗議があったらしい。
 『オリンピック』そのものに興味がなく、大阪が立候補した時も「やるのなら関空内だけでやれ。」の立場だったし、別にオリンピックなんぞはどうでもエエのだが、チベットに関して少し。
 チベットの僧侶はギックリ腰なったらサロンパスを貼るのかな?
 あ、ちゃうわ。もっとエエもんがありそうやし。でも、あれだけの低音で読経するわけやから、腰痛めたら大変やろな。

 何やら、チベット僧に対して中国政府は定期的に「宗教は間違いだ」みたいな事を講義しているらしい。テレビでチラッとしか見てないので、当然、よく知らん。知らんが「大きな御世話じゃ、ボケ!」と思う。
 ついでに思い出したのだが、ダライラマを選ぶパンチェンラマを中国政府が選んだらしい。これは「大きな御世話じゃ、ボケ!」で済む話ではない。
 
 多分、チベット僧から見たら私ら真宗仏教なんぞ『変』だろう。肉喰って、酒飲んで、結婚して、腰にサロンパスを貼ったりしてるわけだし。多分、「お前等ホンマに仏教僧なのか?」なんだろう。
 逆に私から見るとやはりチベット仏教は謎である。変である。だいたい、パンチェンラマもダライラマも生まれ変わりで選ばれるらしい。「生まれ変わりって、おい」の話なんだが、チベット仏教はそういう体系なんだろう。当然、どちらが優れているという話ではない。宗教に優れているもクソもない。あるのはその宗教を信仰している人がいるだけの話である。
 
 中国政府がチベットに対する弾圧の理由は、まあ、ざまざまな理由があるのだろうが、ふと「宗教はアヘンである」という有名な言葉を思い出す。ただ、私はこの言葉が本来どういう意味合いで書かれているのか知らない。が、まあ、「宗教はアヘンである」と云いたい気持ちもなんとなく解る。
 弾圧する様々な理由の中に、中国政府は大真面目にチベットの人達を宗教から救おうをしているのかも知れない。

 チベットに対して中国政府が1949年か1950年か知らんが、大真面目に『解放』しようとしたらしいのだが、その『解放』は当然、チベットには大迷惑以外の何ものでもなかったらしい。
 『チベット 中国 解放』と検索すると「中国はチベットを解放せよ!」という言葉が出て来たが、どうやら『解放』したらしいぞ(笑)
 ここに二つの『解放』がある。
 中国側が中国側の意志でもっての解放と、中国側の意志を外したチベットを尊重する解放。
 中国側の意志での解放なんぞ、所詮、中国側のワガママなんだろうし。ワガママを押し付けて「お前等の為や」等と、どの口がヌカしとるねん。
 その『口』は、きっと『正義の口』でないかと考える。
 
 日本のアジア諸国に対する『解放』だって、当然、大真面目だったのだろう。今日、幸いな事に色々な資料が漫画でも読める時代になって、私も読んだし。先の戦争は間違いなく正義の戦争であり、解放であった。が、故に問題である。正義の為の解放であったが故に問題である。

 先日の某集会であるオジさんがこんな事を云っていた。
 「差別はなくならないと云う人がいますが、私は私に降り掛かって来た差別の火の粉だけは自分ではらうのが責任だと感じています」やったけな?
 当然、少し異議はあるのだが、でも、『自分に降り掛かって来た火の粉』という表現は無茶苦茶大事ではないのか?と思う。それだけに停めておけばイイのだ。あるいは、同じく実際に火の粉がかかって来た人に連帯するぐらいに。
 
 中国政府なら、チベットの何が気に入らんかったのかはよく知らんが、「解放」ってなぁ。。。
 中国政府の人達がどういう正義での『解放』なのか知らんが、実際に火の粉が降り掛かっているのはチベットの人達。
 先の戦争では日本がどんなに正義の為だったとしても、戦場はアジア諸国。火の粉を振りかけたのはアジア諸国。
 火の粉を振り払うのに、正義もクソもない。焼き殺されない為に払わざるを得ない。

 ただ、「あいつは大量破壊兵器を持っている」等と、火の粉が降り掛からない内に、相手に火の粉を振りかけるから、人間社会は複雑で面白い。
 「このままでは日本も欧米の植民地になってしまう」と、解放の為に火の粉を振りかけるから面白い。
 人間って、複雑やのぉ。。。
 そういう複雑であり、ミスを散々犯すのが『人間』ではないのか?
 正義の為に、解放の為に相手の人権を蹂躙してしまうのが人間であり、そういう存在である、本来、そういう存在なんだ、という事を見出す行為は大切だと思うのだが。

 彼岸が終わっても、ここは変わらず彼岸ではなく、煩悩塗れの娑婆世間である。
 変わらず正義の大流行。
 正義の為の解放という言葉でもって、他者に火の粉を降り注ぐ。
 正義という理屈がなければ火の粉を振り払う事が出来ないはずがないはずなのだが、死刑囚が自分に降るかかる火の粉を振り払おうとする事に対する批判を聞くと、どうやらそうでもないらしい。どうやら、正義という言葉は、現実の火の粉よりも大きいらしい。
 だから、正義という言葉は危険極まりない。

 腰が痛いよぉ。。。

2日分

2008年03月23日 | 坊主の家計簿
 3月23日

 食類  唐揚げ弁当       525円
     湯葉(昨日)      200円
 
 合計              725円
 3月累計          85352円

 仕事終わって。。。
 え~。。。2日分寝てました。

積水ハウス在日社員本名裁判

2008年03月22日 | 坊主の家計簿
 3月22日

 外食  イカ天蕎麦       326円
     かけうどん       220円
     ラーメン        590円
     近鉄          290円
     近鉄          250円
     JR           290円
     タクシー       1620円
     交流会費       3000円
     エビオス       1480円
     ファイバーブラン2   516円

 合計             8582円
 3月累計          84627円

 皆さん御存知でしょうか?花粉は『ほこり』なのです。ですから別に花粉症でなくとも、線香の煙やら、タバコの煙やら、大気汚染やらを吸い込んでいる私には辛くて辛くて。。。まあ、毎年の事なのだが、今年は他でも体調を崩しているし、クソしんどい。
 なんだが、これがガソリン(酒)をブチ込むと楽になる、つまり『酔っぱらってしまう』からなのだが、酔っぱらってしまうと感覚が麻痺してしまって「よっしゃ!」になるから大変なのだ。。。

 と、云う事で今日は『積水ハウス在日社員本名裁判』の打ち上げ(?)
 集会中はクソしんどかったのだが、後の飲み会でガソリンをブチ込むと元気が出て来て、結局JRの終電。途中からタクシーで帰宅。

 私自身は差別心の塊であり、偏見の塊でしかないと思い知らされた事があった。
 つまり私は決して『彼岸(煩悩なき世界)』に生きているのではなく、煩悩を抱えた世界に生きている。
 煩悩を抱えているのは他人事ではなく、差別心・偏見を抱えたのも他人事ではない。
 ただ、私は人権に関する教育を受けているが故に器用に差別心を表面に出さずに済んでいるだけの話である。つまり、上記裁判の話では、私はたまたま差別発言をしなかっただけの話である。

 差別発言や、差別に関する行動なんどは、『その差別』に対する知識と教育だけの話だと思う。
 ある特定の差別問題に関しては教育を受けているが故に問題発言・行動をしなくとも、他の問題に関しては差別発言・行動をとられる方々は多くいる。
 当たり前だ。完全無欠なわけがないし。
 だから、問題になってくるのは、それが差別(煩悩)であると云う事を指摘された時にどういう反応をとるか?だけだと思う。
 
 差別心は誰にでもあり、偏見だって誰もが皆持っていると思う。決して特別な事ではない。ただ、教育等によって『器用』であるかどうかだけの問題だろう。
 だから、「それは差別であり、偏見である」と指摘された時に、差別心の塊であり、偏見の塊である自分自身に還るかどうかだけの話だと思う。
 決して特別な事じゃないのだ。特別な人が差別・偏見をするのではなく、誰もがする行為なのだ。
 だから、自分に、ありのままの自分に還ればイイ。差別心の塊であり、偏見の塊である自分自身に還ればエエだけの話である。

 『積水ハウス在日社員本名裁判』の被告は私と同じ日本人である。具体的にいうのなら、きっと私と同じ仏教徒ではないかと考えられる。檀家制度があったわけだし。ひょっとすると同じ真宗門徒かもしれない。
 だが、被告は差別心・偏見を抱えた『煩悩具足の凡夫』に還る事が出来なかった。出来たのならば、今回の裁判はなかった。差別発言はしたかも知れないし、私だって他の事では差別発言や偏見等を多くしているに違いないのだが、ただ問題になっていないだけの話なのだが、裁判の被告は問題にしてくれる人が居て、つまり「あなたは煩悩具足の凡夫ではないのか?」と指摘して呉れる『他者』の存在が居た。被告は、それを受け入れる事が出来なかった。
 檀家制度が過去にあり、現在も生きていて、きっと被告もこの御彼岸に墓参りに行かれたのかも知れない。

 私は僧侶であり、仏教徒である。故に、改めて「ここは彼岸ではない」と言いたい。
 この世は決して彼岸ではなく、差別心と偏見の塊の娑婆世間でしかない。だから、他者から「それは差別であり、偏見である」とは、あくまでも自分自身に還るだけの話でしかなく、決して特別な事ではなく、ある意味非常に『自分自身に還る事が出来た恵まれた機会であった』ぐらいなものなのである、と言いたい。
 そして、そういうムードや、環境を作り出すのは私(達)の日常生活そのものであり、かつ、僧侶であり、仏教者が行動し、表現するのは、決して『差別する事=特別な存在』ということではなく、『差別する事=それが人間だ』みたいなムードである。
 当然、それは問題である。差別(煩悩)は、あくまでも差別(煩悩)でしかなく、故に『彼岸』がある。煩悩なき世界がある。
 誰しもが問題を抱えて生きているのであって、決して差別発言・行動をした人だけが特別な存在ではない。

 時代社会や、それぞれの生活文化の中で『当たり前』になっている差別心や偏見を問うのは他者であり、だからといって当然、問うた他者が差別心や偏見がないわけでもない。誰しもが抱えているが故に問題なのだ。
 時代社会や、それぞれの生活文化の清純や、正義、常識等がそれを一番誤摩化す。自分自身に還る事を一番誤摩化す。

 行動する仏教徒。一番大切な事は日々の生活での表現ではないのか?
 なにか特別な問題に関わる事だけでもなく、日々の生活での表現ではないのか?
 今日、御参りしてて、頭が下がった言葉があった。
 ある御参り先のオバちゃんが、私が昨日の彼岸法要で喋った事に対して、「迷いが多い私ですから、御話を聞かせて頂いてありがとうございます」みたいな事を云われてビックリして頭が下がった。もの凄い念仏者だな、と、頭が下がった。勝負でいうのなら完全に私の負けである。まあ、別に勝負の話ではないのだが、私の煩悩がどうしても勝ち負けにこだわってしまうから、書いてしまうのだが、「あっちゃ!」である。
 こういうオバちゃんが居てるのを『土徳』というのだろうし。そういう『土徳』、つまり「私は迷っている人間です」という、そういうムード、世間のムード、世間の中で、世間を生きているが故に「私は迷っている」という事を表現でき、そういう事を感じ、思っている人がいるのは、もの凄い事だと思う。
 ここは彼岸でなく、娑婆世間である。
 煩悩まみれの世間である。煩悩まみれの世間の中で「私は迷っています」という自覚は彼岸から出て来た言葉である。
 
 だから、改めて言いたい。差別心や偏見等は誰にでもある。
 問題多き、差別・偏見の塊が私(達)である。
 それを認める事が出来るかどうかが、『人間』を解放する運動、自分自身に還る運動が解放運動である。
 と、運動家ではなく、仏教徒の名告りをあげた私は思う。

 『さるべき業縁』が来れば、当然、私だって差別発言はする。
 当たり前である。私は差別心と偏見の塊でしかない。ただ、器用なだけ、世渡り上手なだけの話で、問題にならなかっただけの話でしかあり得ない。

 差別を、偏見を『当たり前』にするが故に、差別・偏見で苦しむ人が居る。
 煩悩は、煩悩なのだ。
 煩悩が煩悩である事を見出す、差別・偏見が、差別・偏見でしかない事を見出す、差別心(煩悩)は無くならなくとも、それが『差別・偏見』である事、問題に、課題にする事は出来る。つまり、罪悪深重・煩悩具足の凡夫である事を見出す事、自分自身に還る事、還れる事。それって無茶苦茶大切。それが差別問題。自分自信に還る事。
 『優れた』『純粋』『真面目』『正義』という人間が作り出した幻想とは逆の道。
 事実に還る道。

 在日コリアンには在日コリアンとしての事実があり、本名もある。
 被差別の人達は被差別出身者という事実がある。
 女性は、女性という事実。
 等々。
 
 煩悩具足の凡夫というのは事実の名告り。
 ただ、煩悩がそれを妨げる。妨げている事に気づけば、事実に還る事が出来る。

 と、深夜に酔っぱらって帰宅して何を書いているのやら。。。まあ、明日は明日に感じた事があるし、明日は明日に書きたい事も出てくるやろうし、よって書きなぐっているのだが、あら大変。もう、無茶苦茶深夜(笑)
 こんな生活してるから、体調が優れへんで当たり前やな(笑)
 まあ、死ぬまでは生きてますんでよろしくお願いします。

清純派

2008年03月21日 | 坊主の家計簿
 3月21日

 雑費  タバコ10       3000円
 外食  ちゃんぽん        630円
 食類  おにぎり         100円
     ゲソ&貝柱        100円

 合計              3830円
 3月累計           76045円

 彼岸法要終了。やったー!!!
 なんだが、当然、明日も仕事であり、明日も所用で外出なり。
 一時期『忙しい』っちゅう事に憧れていた時代もあったのだが、私ってワガママなもんでして、忙しくなると「ヒマがエエのぉ。。。」と。
 まあ、んなもんやな。

 今日の法要は夜の部のみ。日常の仕事が終わって仮眠してから出かけるのだが、出かける支度をしてたらテレビに真奈美たん(当然、小西真奈美たん)が出てた。何やら、明日から上映予定の映画宣伝らしい。
 映画等の中の真奈美タンもエエけど、こういうバラエティー(?)等に出てる真奈美タンもエエのぉ。
 
 真奈美タンはウンコをするのか?
 あるいは蒼井優ちゃんはウンコをするのか?
 うぅぅぅぅぅぅ。。。
 認めたくないが、きっとブリブリ!なんだろう。下痢してピーピー状態の時もあるのかも知らん。前夜に激辛系を食べて、翌朝もう一度激辛ウンコをして大変な時もあるのかも知れん。。。
 うぅぅぅぅぅぅ。。。現実なんてキライだ。

 とは云え、それが多分現実なんだろうし、出来れば薔薇の香りをして貰いたい両者のウンコもきっと両者が出したウンコだと知らなければ「うわ!クセー」なんだろう。まあ、知ってても臭いのかも知らんが。

 彼岸。煩悩のない世界。その反対は煩悩のある世界。彼岸を求めるが故に煩悩が煩悩として見出される。彼岸がなければ煩悩は『当たり前』。そしてきっと誰も煩悩のある世界に生きている。
 だから、「真奈美タンや、蒼井優ちゃんはウンコなんてしないし、仮にしたとしても決して臭くない」と云いたい。
 ただ、恐らく現実はそうはいかないのだろう。悲しいが。。。ああ。。。

 【天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス】(大日本帝国憲法第1章第3条)

 まあ、多分、いつの時代でも、こういう発想はなくならないのやろな。

 ピュアだの純粋だの、それが障害者だろうが、ガキだろうが、発展途上国のガキだろうが、まあ、解りやすい『夢』の幻想やな。その夢幻を現実にして「彼(彼女)は純粋だ」とか、「あの人は純粋だ」とかって、何を眠たい話しとるねん。そういう風に「思いたくなる」のはしゃーないけど、実際はそんなもんやおまへんで。
 けど、まあ、真奈美タンとか蒼井優ちゃんには「純粋であって貰いたい」のだが、そんなわけがなく、当然、煩悩に塗れた私と同じ人間なんだろう。

 純粋に憧れるが故に『穢れ』を作り出す。
 私の想像では真奈美タンや蒼井優ちゃんよりも、絶対に小池栄子のウンコの方が臭いはずなのだが、実際には解らん。きっと同じ『ウンコ』であって、余程のウンコ鑑定士でない限りは区別がつかないであろう。
 にも関わらず、純粋=聖なる存在を求め、聖なる中心を作り出し、その中心から周辺に行けば行く程『穢れ』。
 全く、煩悩のなせる技。
 
 正義だの、純粋だのなんだのと、憧れたりするのは解るが、それは所詮煩悩でしかない。夢幻でっせ。
 で、そこから人を斬り裁く。差別する。
 差別は煩悩のなせる業なんだろうが、真面目であればある程、『純粋』と思い込んでいるが居る程、気づけない。思い込んでいるから。

 彼岸。煩悩のない世界。死者と違って、煩悩を持っている事を確認出来る風習。
 地下鉄サリン事件があり、イラク戦争が始まった春のお彼岸。
 正義と純粋のおせっかい。清純派が起した殺戮。
 煩悩は煩悩でっせ。
 『煩悩具足のわれら』というのは、かなり凄い平和論でっせ。

 しゃて、彼岸法要も終わったし、当然、お疲れモードなので、明日は温泉にでも。。。って、所用やんけ。集会やんけ。まあ、楽しみなんだが、体はしんどいのぉ。。。

熱中時代

2008年03月20日 | 坊主の家計簿
 3月20日

 雑費  タバコ         300円
 食類  湯葉          200円
     豆腐          100円

 合計              600円
 3月累計          72215円

 中日。
 福留が去り、阪神には新井が加入した。今年はイケルで。中日なんてクソ喰らえ!

 ん?彼岸の中日終了。中日は朝からの仕事の流れで昼の部の法要が始まり、夜の部もあるので忙しいのだ。よって彼岸の峠終了。明日もあるが、明日は朝からの仕事がそれ程忙しくないし、夜の部だけだし。昨日と明日は10~15分程度喋らして頂くのだが、まあ、それくらいの時間ならなんとななるし。喋りたい事も決めたし。
 よって、峠を越えて「お疲れさま!」っちゅう気分で、夜の部が終わって帰って来て22時前そこから晩飯喰いつつ酒飲んでます。ちなみに只今23時33分。だいたいの日はシラフ状態なんだが、今日は夕寝もしてないし、早寝したいし、「御彼岸、お疲れさま!」なのだ。

 今日はオウム真理教がいわゆる『地下鉄サリン事件』を起した日らしい。
 何度か書いたが、私はオウム真理教の大阪の幹部数人に会って数時間話した事がある。
 無茶苦茶真面目な人達。無茶苦茶こころ優しい人達。当然、仏教にも熱心であって、詳しい。
 修行も熱心にやっておられたらしい。私はオウムの道場には行ってないが、行った友人の話によると。
 ようするに私を筆頭に、日本の大半の仏教者、僧侶よりも大真面目に仏道を歩んで居られた方々。オウム真理教を『邪教』と云う人がいるが私はそうは思えない。あの人達は大真面目な仏教者だった。まあ、宗派は違うが。

 昼間に仕事の移動中にラジオを聞いてたら若松孝二がゲスト出演していた。何やら新作の映画『実録・連合赤軍』の映画上映会が京大・西部講堂であったらしく、それで関西に来られたらしい。
 連合赤軍って今もある。これも直接会って喋った事があるし。当然、非常に真面目な方。優しい方。
 まあ、映画をどういう風に撮影しておられるのか解らないが、移動中に聞いた話では『熱きよき時代』なのかな?若松孝二だし。当然、ああいう事件を起こしたわけだからその反省もあるのかも解らないが、これは観てからやな。

 最近、戦争中の大真面目な優しい人達に思いを馳せる事が多くある。欧米諸国からのアジアの解放を大真面目に考えていたのだと思える様になった。当然、今でもそう思われている方々も多くいるわけだし、今まで失礼であったなぁ。と。

 真面目に日本の事、社会の事、人類の事、地球環境の事を考える素晴らしい人達。
 真面目であるが故に、時代社会の正義、あるいはその集団内の正義であるが故に、疑えない。自分(達)がやっている事を疑えない。その事が差別(煩悩)であると疑えない。

 思想、宗教。それらは、あえて『所詮』という言葉を使うが、所詮『自分が好きでやっている』のではないのか?当然、私だって私なりに日本や、社会や、人類や、地球環境の事を考えて居る。でも、やはり私は、それは『所詮』、『私が選んだ真実』と『思おう』をしている。
 だって、選んだのは所詮、私なんだし。決めたのも私でしかない。だから、当然、違う思想や宗教の方々も多く居る。っちゅうか、そっちの方が大多数だし。所詮、私が選んだ事。

 真面目であればある程、他者が見えなくなる。当然、私だって、私の偏見でしか物事、他者を判断出来ていないのだろうし。

 『世間』。「世間という場合には必ず自分が含まれていない」とは恩師から教えて頂いた言葉。当然、その言葉を聞いて「おお!」と感じたのは私。
 世間で正しい、まあ、『世間』といっても重層的なんだが、それぞれの共同体での世間。そういう『世間』が先にあり、その世間に自分を合わそうとするのか、それとも自分が選んだ、つまり自分が先にあり、所詮自分が選んだ共同体内発想(思想・宗教)なのかとは、違うと思う。
 
 『世間』。その『世間』が、その共同体内発想(思想・宗教)が優れていれば居る程、その中で自分が救われたが故に、自分を忘却してしまいがちにならないだろうか?自分が選んだ、決定したのは自分でしかない、他の誰でもなく、つまり、他人は選ばず、自分が選んだ事を忘却しがちになる事が多くない?

 優れている、優れていないは別にして『常識』というのがある。『普通』というのもある。
 「常識で考えてみいや」
 「普通わやな」
 「あの人って常識外れ」
 「あの人って普通じゃない」
 という、差別(煩悩)。

 他者の発見は、「他者を見出す事が出来ない」という所にしかないと私は思う。

 恩師の1人がある機関誌にこんな事を書いていた。
 大谷派が揉めた時に、恩師達は抗議行動をした。でも、恩師の先生は動かなかった。そこで恩師は「先生はなぜ行動しないのですか?」みたいな事を聞いたらしい。そしたら先生は、「あなたは傲慢な人ですね」みたいな事を云われたらしい。ただ、今現在、非常に酔っぱらっているので、全然違う話かも知れんが。
 その恩師から私が指摘された事。「『許せない』、と、あなたが書いた事に対して深く考えて下さい」と。

 『許せない』のは、所詮『私』が許せなかっただけの話。相手は、相手の人生を生きて居られる。共に生きて居られるにも関わらず、私はその相手の事を『許せない』と斬り裁いていた。
 ネット上で私と揉めた人はよく知っているだろうし、リアル私をよく知っている人は解るだろうが、私は人を追い込むのが得意なのだ。もう、多分、一番の才能はそれだと思う。人を追い込む才能に満ちあふれている。人を斬り裁く才能に満ちあふれている。
 
 私が最初にやった店の名前は『聖カミソリ』。『聖(セイント)』で、『カミソリ』である。
 この名前をつけた時に、周囲の大人達が「お前にピッタリやの」と笑われた。完全無欠の美を求める兄ちゃんだったし。当然、「30以上の大人は信じるな!」だったし。まあ、よう裁いて来た。よう追いつめて来た。他人も自分も。他人を傷つけ、自分も傷つけ、甘美な世界に酔いしれる。
 まあ、今もなんだろうが。今は、それが差別(煩悩)である、という事だけは私にとって確かであると『思おうと』するようになった。
 私の人生だし。私の人生は私が決める。仏教を、恩師を選んだのも私である。他の誰でもなく、所詮私が選んだ事に過ぎない。
 当然、例えばオウム真理教の人達であるとか、連合赤軍の人達であるとか、前の戦争で聖戦を押し進めていた方々も同じだと思う。それぞれが、それぞれの人生の中で選ばれた事。だから、私には私が選んだ事があり、相互批判は大歓迎であるし、私も他人を決めつけているし、故に決めつけられる事もありだが、それはその人個人が選んで私という『他人』に伝えているという事実だけは確認して頂きたい。
 ポアだろうが、粛正だろうが、されるのはイヤだし。
 私だって生きているんですよ。他人と違う人生で。
 当然、私は、私の人生の中での価値判断である。

 
 私は私の人生の中で仏教徒に選んでなったので、ついでのオマケ。
 というか、結構長いのだが。
 下記の私なりのポイントは『一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。』
 当然、私には捨てれないので、『捨てれない』という所に立とうとしたい。偏見でしか見出せない、と云う所に立とうとしたい。

 


878 (世の学者たちは)めいめいの見解に固執して、互いに異なった執見をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者であると称して、さまざまに論ずる。──「このように知る人は真理を知っている。これを非難する人はまだ不完全な人である」と。
879 かれらはこのように異なった執見をいだいて論争し、「論敵は愚者であって、真理に達した人でない」と言う。これらの人々はみな「自分こそ真理に達した人である」と語っているが、これらのうちで、どの説が真理なのであろうか?
880 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々はすべて(各自の)偏見を固執しているのであるから、かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。
881 またもし自分の見解によって清らかとなり、自分の見解によって、真理に達した人、聡明な人となるのであるのならば、かれらのうちには知性のない者はだれもいないことになる。かれらの見解は(その点で)等しく完全であるから。
882 諸々の愚者が相互に他人に対していうことばを聞いて、わたくしは「これは真実である」とは説かない。かれらは各自の見解を真実であるとみなしたのだ。それ故にかれらは他人を「愚者」であると決めつけるのである。
883 或る人々が「真理である、真実である」と言うところのその(見解)をば、他の人々が「虚偽である、虚妄である」と言う。このようにかれらは異なった執見をいだいて論争する。何故に諸々の<道の人>は同一の事をを語らないのであろうか?
884 真実は一つであって、第二のものは存在しない。その(真理)を知った人は、争うことがない。かれらはめいめい異なった真理をほめたたえあっている。それ故にもろもろの<道の人>は同一の事を語らないのである。
885 みずから真理に達した人であると自称して語る論者たちは、何故に種々異なった真理を説くのであろうか? かれは多くの種々異なった真理を(他人から)聞いたのであるか? あるいはまたかれらは自分の思索に従っているのであろうか?
886 世の中には、多くの異なった真理が永久に存在しているのではない。ただ永久のものだと想像しているだけである。かれらは、諸々の偏見にもとづいて思索考研を行って、「(わが説は)真理である」「(他人の説は)虚妄である」と二つのことを説いているのである。
887 偏見や伝承の学問や戒律や誓いや思想や、これらに依存して(他の説を)蔑視し、(自己の学説の)断定的結論に立って喜びながら、「反対者は愚人である、無能な奴だ」という。
888 反対者を(愚者)であると見なすとともに、自己を<真理に達した人>であるという。かれはみずから自分を<真理に達した人>であると称しながら、他人を蔑視し、そのように語る。
889 かれは過った妄見を以てみたされ、驕慢によって狂い、自分は完全なものであると思いなし、みずからの心のうちでは自分を賢者だと自認している。かれのその見解は、(かれによれば)そのように完全なものだからである。
890 もしも、他人が自分を(「愚劣だ」と)呼ぶが故に、愚劣となるのであれば、その(呼ぶ人)自身は(相手と)ともに愚劣な者となる。また、もしも自分でヴェーダの達人・賢者と称しているのであれば、諸々の、<道の人>のうちには愚者は一人も存在しないことになる。
891 「この(わが説)以外の他の教えを宣説する人々は、清浄に背き、<不完全な人>である」と、一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説く。かれは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっているからである。
892 ここ(わが説)にのみ清浄があると説き、他の諸々の教えには清浄がないと言う。このように一般の諸々の異説の徒はさまざまに執著し、かの自分の道を堅くまもって論ずる。
893 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。
894 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。
 (岩波『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳より)

 
 

 私は真宗門徒なので、またまたオマケ。

  浄土真宗に帰すれども
  真実の心はありがたし
  虚仮不実のわが身にて
  清浄の心もさらになし
  (親鸞)

優しい人。優れた人。

2008年03月19日 | 坊主の家計簿
 3月19日

 外食  イカ天蕎麦         295円
 食類  らうめん5         278円
     チキンラーメン5      278円
     おにぎり           30円
     野菜ミックス        100円
     かまぼこ           98円
     湯葉            200円
 
 合計               1477円
 3月累計            71615円

 彼岸法要スタート。今日は夜だけなのだが。
 彼岸法要前に夕方からの御参り。雨の中をチャリチャリと。うわ!風キツぅ、傘バオ!でっせ。少し前に買ったばかりの少し大きめの傘があえなく壊れる。骨まで折れやがった。しゃーないので、傘を交換して御参り先へGO。今度はユニクロ・グラスファイバー傘。2本で1000円なり。丈夫、丈夫。っちゅうか、まあ、大きめの傘やったし風を受ける量がちゃうわな。

 昼の部の御参りが終わってテレビを見てたら、畠山被告に無期懲役の判決が出たとの事。
 http://www.asahi.com/national/update/0319/TKY200803190063.html
 見てたテレビが悪いのか何なのか解らんが、コメンテーターなり、『テレビ局が選んだ街の声』なりではどうやら無期判決では不満のようだ。
 ようするに「殺せ!」と云う事なんだろう。みんなそろって、その番組では「殺せ!」と。無期で不満というのはそういう事なんだろう。殺せ!殺せ!死ね!殺せ!って、劣悪なネット掲示板か。無期判決で不満なら「殺せ!」と言葉で云え。解りやすいから。

 理由があれば人を殺しても構わない精神風土。
 理由=大義名分。聖戦だろうが、なんだろうが。解放でもなんでも。「殺せ!」「殺せ!」の大連呼。
 なんじゃい、これは。

 当然、テレビコメンテーターや、『テレビ局が選んだ街の声』以外の声もあるだろう。私みたいに「無期でよかったね」という声もあるだろう。っちゅうか、ある。テレビが何を伝えようが私は「殺せ!」とは言わない。別に個人的恨みがあるわけでもないし。
 「被害者感情を考えた事があるのか?」
 って、私は被害者でもないし、悪いが、優しくない。非常にクールな人間であって、別に「お前には人間の血が通っていない」のならそれでも構わないが、っちゅうか、「殺せ!」と連呼するような人間の血は要らん。
 テレビの人達も別に個人的恨みがある人など、ほぼ居ないはずである。被害者の人は、ほぼ居ないはずである。
 にも関わらず、「殺せ!」と。
 
 優しさを感じる。「お前は被害者の気持ちを考えた事があるのか?」って、悪いが他人でしょうが。私が被害者でもなければ、恐らくそう云う人達も被害者遺族ではない人が殆どのはず。にも関わらず優しい人になろうとする。人の気持ちを感じる事が出来る優しい人になろうとする。被害者の気持ちに寄り添い、共に泣き、共に怒る優しい人になろうとする。そういう事が出来る優しい人なんだと思う。
 きっと、学校時代から「イジメを許せない人」達だったのだろう。弱者の味方だったのだろう。だから、一緒になって「殺せ!」と。
 そんな時に、「じゃあ、虐めた側にも事情があったのでは?」とかいう声、虐めた側にも立とうとする事は優しくない事なんだろう。

 差別(煩悩)は無くならない。無くなる方法はたった一つで、差別(煩悩)を見なければいい。隠せばイイ。当たり前の事にすればイイ。
 差別(煩悩)は当たり前の事であり、当たり前の事だから見なければイイ。
 「やられたらやりかえせ!」が当然なら、それは差別(煩悩)ではない。当たり前の事である。差別(煩悩)でもなんでもない。なんでもないから問題にならない。なり得る事があり得ない。当たり前だ。差別(煩悩)でなく、当たり前の事なんだから。

 よゐこ。
 よゐこは差別(煩悩)がキライな優しい人。きっと差別(煩悩)は無くなると。
 私は差別(煩悩)はなくならないと思う。少なくとも私から差別(煩悩)がなくなる事は死ぬまであり得ない。はず。まだ死んでないから確かめようがないが。でも、まあ、ないだろう。

 よゐこ。優しい人。弱者の側に立つ正義の味方。
 「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
 の真面目な社会人。ちゃんと学校の先生のいいつけを聞いて「弱い人達の味方になりなさい」の
 「殺せ!」「殺せ!」の大連呼。

 問題にならない差別(煩悩)は存在しない。何故なら問題にならないから。問題になって始めて、「ああ、差別(煩悩)だったんだなぁ。。。」と気づく事が出来るのだろうが、問題にならない、あるいは時代社会の中で主流なら問題になっても言い逃れが出来る。

 被害者側に立つ、優しいよゐこ。決して問題児ではない。社会が求めた『よゐこ』。
 優しい人。優れた人。だから、「殺せ!」と云える。

人の夢

2008年03月18日 | 坊主の家計簿
 3月18日

 食類  砂肝         147円
     もずく         81円
     水菜         100円
     ホタルイカ       99円
     ハンバーグ      140円
     湯葉         200円

 合計             767円
 3月累計         70174円

 ハンバーグってヘルシーやったっけ?まあ、焼いたら脂が沢山出て来たので、残りはヘルシーという事で。脂も取らんとあきまへんで、やっぱし。

 とは云え、さすがに昼食はヘルシーに湯葉うどん。あんかけにして食う。美味、美味。
 湯葉うどんを喰いつつテレビ。なんと、途中からだし、途中までしか見てないが上野千鶴子が徹子の部屋に出てた。本でしか知らなかったのだが、あんな顔して、あんな喋り方する人だったんだ。当たり前なんだが、無茶苦茶頭の良さそうな人やのぉ。。。それに誠実な人やのぉ。。。
 何やら新しく出した『おひとりさまの老後』という本を黒柳徹子が読んだらしく、それでの番組出演だったのかな?観ていた間ではその話題だったし。
 『誠実』だと感じたのは、「男も女も壊れるもの」であるとか云う発言があって、「私は壊して来た」というような事を発言してはったから。女性解放運動の老兵が語る言葉だけに「おお!」と。単純に「誠実な人やのぉ。。。」と感じた。まあ、昔は知らんが。きっと、多くの人を壊して来たのだろうし。

 そうなんっすよ。『壊れるもの』なんっすよ。それ程強くない。『強い』のはタマタマ上手く行ってるだけの話であり、『上手く行く』=『思い通り』なんだろうし。
 まあ、誰だって基本は『思い通り』に生きたいと思っているのだろう。『思う』なんぞそんなもんやし。破滅的に生きたい人にとってはそれが『思い』なんだろうし。『思い』に支配されて、思い通りに生きたい。

 テレビドラマ『あしたの、喜多善男』を雑用しながら見てた。
 雑用しながらなので、ちゃんとは見てないが、まあ、最終回だし。真奈美タンが出てるわけだし。
 ドラマの中で、「自分と他人を許す事」についてのセリフがあった。セリフしか聴いてないのだが。
 主人公の善男は相手を許す事が出来ても自分を許す事が出来なかった。というか、実際は相手も許してないのだろうけど。だから自殺しようと考えていたわけだし。

 『箱もの』の経費削減橋下破産管財人知事に対して、関西お笑い界の重鎮が批判の声を上げた。
 http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20080317p102.htm
 大阪の人間は阪神とお笑いに関しては思考停止に陥る事が多い。だから『お笑い系弁護士』だった橋下氏が当選したりするのだろうし。
 だから批判するのだが、もの凄く当たり前の話だが、『ワッハ上方』が出来る前からも大阪はお笑いのメッカであった。
 また、違うニュースソースであったが、ワッハ上方は若手芸人の勉強の場であると。まあ、今日なら宇都宮まきちゃんが出演してるわけやね。だったら、吉本や、松竹等が共同で出資して運営すればエエだけの話ではないのか?例えばあのビルは吉本のものであり、吉本が大阪府に家賃無料で貸せばエエだけの話ではないのか?関西芸人の多くは吉本だろう。なぜ、吉本芸人育成の為に大阪府が税金を支払わなければならないのだ?冷静に考えたらエエだけの話ではないのか?

 箱もので同じく揉めているのがドーンセンター。
 こちらも反対署名の輪が広がっている。http://www.sukiyanen-dc.com/
 橋下氏の女性解放に対する思想は知らないが、女性解放に反対ならドーンセンターを聖域として残せばいい。センター内に他の施設を放り込む事なく、今まで通りに全く変わらずに聖域をして置いておけばいい。それで大阪の女性解放運動は終わりだし。
 例えば女性専用車両がある。大阪では時間制だったりするし、また1車両だけなのだが、あれが8両編成の電車なら半分の4両が女性専用車両だったりすると仮定する。当然、他の4両が満員のギューギュー詰めでも、女性専用車両には余裕がある。男女の社会進出は平等ではないから。ラッシュ時の乗客は男性の方が多いだろう。
 これを「女性の社会進出の為に必要な事」として規定してしまえば納得する男性はどれだけ居てるのだろうか?女性専用車両が『貴族専用車両』になってしまう。あれは1両、ないし、2両程度が妥当であって、多くとも8両編成なら3両ぐらいが限界だろう。半分が女性専用車両なら、女性の社会進出に関して賛成派の人達からも反感を買うだろう。
 男も女もナマモノの壊れものだし。
 ドーンセンターの存続も同じであって、他の施設の経費が大幅カットされ、ワッハ上方等の施設が売却・廃止・縮小している中でドーンセンターだけが現状維持なら、まあ、大批判の嵐だろう。それで大阪の女性解放運動は単なる貴族趣味になる。貴族趣味の殿堂としてドーンセンターは相応しい『箱もの』だし。

 これは別に皮肉でもなんでもなく、今の解放運動がそうなってない?どこやったか忘れたが解放会館から出た解同の支部もあったが、多くは大阪市の建物の中に支部があるのだろうし。
 また、これは飲み屋でよく聞く話なんだが、被差別の近くにいるが故に『逆差別』が目立つと。私は知らないのだが、何やら「俺等の学校にはクーラーなんかついてないのに、あそこの学校にはクーラーがついている」とか。他にも色々と聞いたが、まあ、「優遇されている」と。
 住宅なんぞ最たるものかな?被差別外の人は一般家賃の狭い部屋で、被差別の人達は安い家賃で住んでいる。いわゆる『解放住宅』という団地で。まあ、反感を買うわな。しかも被差別内の在日コリアン差別もあるみたいやし。これも反感を買う。
 私は、解同の人達に世話になったし、色々と教えて貰ったが故にしゃーないのかも知れんが、差別されていたが故の優遇はあって当然だと思っている。ただ、極端な、例えば「1000年間差別されて来てんから、1000年間優遇せえ」とかには納得しないが、多少の優遇はあって当然だと考える。当然、裏話も聞く。だから運動なんぞそれ程キレイなものでもないと思うが、それも人がやることだし。完全無欠の聖人がやる運動等ありえないし。
 ただ、行き過ぎれば行き過ぎる程、反感が強くなる。当然である。見た目は『優遇』なんだし。

 昼間に上野千鶴子が語っていた「男も女も壊れるもの」っていう視点は大事だと思う。
 誰だって壊れるものだし、決して聖人等ではない。
 何か意見を云う。それが多くの人にとって受け入れられる事がない意見であればある程、当然反感を喰らう。
 
 宗教でも、思想でも、国家でも、解放運動でも、『身内』だけを尊び、他者を批判する。
 日の丸賛成派は日の丸反対派を敵とする。その逆も同じ。そうやって『敵』にして、身内だけ、女性解放でいうのなら『女達だけ』を尊ぶ運動にする。『女達』という一つの『国家』にする、『身内』にする、『家族』にする。
 解放運動って、そういう意識から解放されなくて、何の解放なんだろうか?自分達『だけ』が特権階級として凝り固まるのなら、解放でもなんでもない。

 もう死んだが、某解同幹部のオッさんが死ぬ前に人を斬り裁く事が得意だった(まあ、今でもか。。。)私に、「人間なんてたいして変われへんで」と云った事がある。
 それは私に対して「人を斬り裁くな」という事なんだろうが、同時にその言葉だけを捉えると「人間なんてたいして変われへんで」という平等観の中で、某解同幹部は対等にされていなかった。対等にされていなかったが故に『解放同盟』だったのだろうし。
 
 上野千鶴子なら「男も女も壊れるもの」という平等観。
 共にプライドが高く、思いを傷つけられる事をイヤがり、思いを傷つけられると壊れる存在。弱く儚い存在。

 あ、『儚い』って、『人の夢』って書くのやな。憶えとこ。

 解放は人の夢でなく、事実に立ち返る道。夢なんぞ『思い』でしかない。

じんましん

2008年03月17日 | 坊主の家計簿
 3月17日

 食類  鮭ちらし        200円
     海老          100円
     豆腐(昨日)      120円
     発泡酒         188円
 雑費  缶ミルクティー     120円
     ベランダ用品諸々    735円
     エスカップ12     628円
     蕁麻疹薬        880円

 合計             2971円
 3月累計          69407円

 ♪ジン、ジン、ジンマシン~

 と云う事で、じんましんです。
 「俺がなんか悪い事したんか!!!」
 って、油もん食べて胃もたれしてたり、体調がすっきりせえへんかったりやな、それでも出かけては酒を飲み、部屋でも酒を飲み、タバコもバコバコ吸ってたし、まあ、しゃーない。恐らく晩飯に食べた焼そばの海老が原因やろうが、これも日頃の不節制のツケやな。あ~ぁ。
 と、云う事で、ここは生活習慣の見直しをしてみるというのはどうだろうか?
  1 タバコは出来るだけ控える。元の2日で1箱ぐらいに戻す。最近吸い過ぎやし。
  2 油ものはなるべく避ける
  3 週に1度は酒を飲まない。
 と、まあ、じんましんが出てカユいからこんな事を書いているのだろうが、どうせすぐに忘れるのやろうけど(笑)そんなに簡単に出来てまへんで。私は。
 だいたいやな、二日酔いの酷い時、休みの前日に飲み過ぎて休日をほぼトイレで吐いて過ごす事は数知れず、で、その度に「ああ、もう酒辞めよ」とかって思うのだが、『思う』だけで辞めれるわけがない。もって数日でっせ。で、元通り。ああ、あの時は本気で思ったはずなのに。。。ああ。。。
 今回も『喉元過ぎれば』というやつなんだろう。きっと。
 だって、本気でやろうと思てないもんな。
 「俺ってこんなにエエ子やん。だから早くかゆみを止めてくれ!」
 って、誰に頼んでいるのやら(笑)
 頼んで治るのなら人間は死なんぞ。
 頼んで治るのなら竹槍でB29は落ちたはずや。
 頼んで治るならダライラマ14世がチベットから追われるわけがない。
 頼んで治らないのが『現実』っちゅう『他者』が居てる世界でんな。思いを越えてやって来まんねんで。現実は。

 お!薬のせいか、かゆみもハレも楽になって来た。さて、酒でも飲むか。
 って、今日ぐらいは辞めとこ。