坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

愛別離苦

2011年11月23日 | 坊主の家計簿
 1ヶ月以上振り、約40日振りだから夏休みか?皆様はどのような夏休みをお過ぎしで(笑)
 iPhoneでTwitter遊びはしているのだが、キーボードでは打たないので、え~。。。リハビリです。月末に寺の通信を書かなければいけないし。
 
 今日は大阪空港辺りに。少し前のお葬式の中陰参り。うちからは高速使って45分程度かな?まあ、少し遠いし、大阪空港には殆ど行かない。行くとしても空港バス。枕経で最初に行った時に、車で大阪空港に行った時の事を思い出す。
 20代後半だったかな?坊さん学校に行く前だったと思う。あ、丁度、阪神大震災の年だ。大阪→神戸→京都の手前のコースで配達の仕事をしていた。神戸方面は震災で一階部分がないマンションとかが放置された状態の中、配達の仕事。大阪空港辺りも通る。
 抜け道で使ったのか、面白そうだったから通ったのか、イマイチ憶えていないのだが、大阪空港の西側(伊丹市側)を北から南に向かって走った記憶がある。途中にエエ感じの食堂があったりした記憶もある。非常に漠然とした記憶なんだが、何故だか印象的に憶えていたのは、「あ、あの辺りに在日コリアンのがあったんや」と。
 葬儀の時に行ってみようと思っていたのだが、結局、間の時間(火葬場)には他の用事で行けず、今日は中陰の日だったので行って来た。
 と、まあ、こんな事を書くと「仕事をさっさと終わらせて、何を遊んどるねん」と思われるかも知らんが、1時間以上の中陰参り。まあ、二七日なので、こんなもんか。しっかり働いてまっせ(笑)

 伊丹市・中村地区。
 『神戸新聞 伊丹・中村地区は今』
 『2007年9月9日(日) フィールドワーク』
 『大阪空港の生い立ちから中村地区の整備に思う』

 『3月5日・・・伊丹空港ターミナルビルから見える「旧中村地区」を訪ねて』

 中村地区のドキュメント映画
 『中村のイヤギ』 / 張領太

 監督の文章
 在日朝鮮人生存記  張 領太

 どこでも出て来る藤井幸之助
 ドキュメント『中村のイヤギ(お話)』上映と現地学習会「伊丹空港・桜ノ宮龍王宮・大阪人権博物館」

 え~。。。先日、Twitterでリンクしていたのを張付ける作業だけで疲れてしまった。。。
 よし、久々に、ビールでも飲んでみよう。
 お腹の都合でお湯割に変更。

 伊丹市の再開発
 中村地区整備事業

 大阪空港の滑走路の北端、飛行機が離陸した所にある公園に車を停めて、しばし散策。

 http://twitter.com/?photo_id=1#!/erovows/status/138845074325897216/photo/1
 
 失敗。もう少し南だった。
 河川敷の中村地区の人達が移住した団地横に車を停めて、しばし散策。昼寝スポットみたいだぞ(笑)良さげな焼肉屋があったりして、今度は電車で行こうと決意する。

 http://twitter.com/?photo_id=1#!/erovows/status/138891716433428480/photo/1

 在日コリアンのいわゆる『強制連行』と、福島原発20キロ圏内。
 自分の意志で日本にやって来た人達と、福島原発事故での自主避難。
 『自主避難』といっても、原発事故があったから。放射能の怖れからの人も居れば、「仕事がなくなった」人も。



  ♪兎追ひし かの山
   小鮒釣りし かの川
   夢は今も めぐりて
   忘れがたき 故郷

   如何にいます 父母
   恙なしや 友がき
   雨に風に つけても
   思ひ出づる 故郷

   志を はたして
   いつの日にか 帰らん
   山は﨧き 故郷
   水は悅き 故郷

  (高野辰之『故郷』)

 



 
 死。「いや、浄土に還るのだ!」と言ってみても、慣れ親しんだ娑婆世界。離れたくはない。

 中村地区は不法占拠になる。不法占拠だろうが、なんだろうが、そこで生まれ育った人にとっては故郷。今は、ない。すぐ隣だが、新しい団地。

 中上健次の路地を思い出す。路地が無くなろうとする時に路地の少年が『死のう団』みたいな歌を唱っていたシーンが何かの小説であった。
 気になって調べたら、路地はフィルムになっているのね。

 http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=45344
 http://www.amazon.co.jp/路地へ中上健次の残したフィルム-DVD-青山真治/dp/B0000635SU

 福島原発事故での被害。
 え~。。。10月からバンバン産まれているはずだった『奇形児』はどうなっているのだろうか?
 東京に数日間出張に行っただけで鼻血と体調の変化を起こしておられた人はどうしているのだろうか?
 まあ、イイのだが。。。それが、原発事故の被害だ。鼻血が出た事ぐらいな事を「放射能のせい」と関連つけて考えてしまうヒステリー状態が原発事故の被害なのだ。そういう調査があるのかどうか知らないが、「放射能で奇形児が産まれる『ぐらいなら』」と中絶した事例があるとするならば、それが原発事故に被害なのだ。
 何も被曝は『外部被曝』『内部被曝』だけでなく、精神の被曝『脳内被曝』も被曝。内部被曝、外部被曝は『御用学者』が被害を拡大したのかも知れないが、脳内被曝や中絶、過剰なストレスは反原発運動家の中でも過激なカルト的な連中が被害を拡大&生産している。それらを引っ括めて『福島原発事故』という被害の実体。

 故郷を失った人達。あの辺りには江戸期に移住した北陸の真宗門徒の人達も多い。
 「真宗門徒は堕胎しません」という文化。教えというよりも文化だな。それが教えになると人の弱さを認められない教義になってしまう。んなもんは真宗ではない。
 そういう人達の末裔が『奇形児』の問題を熱く語って下さる事に期待をしたいが、まあ、先祖がそうだからといって、押し付けられる筋合いもないのだが。

 今の故郷を失った人を仮に『福島1世』と。『避難先』で生まれ育った人は『福島2世』。
 避難生活を余儀なくされた人が東京に出て来て、上野辺りのコリアンタウンに行ったりすると、どういう事を思ったりするのだろうか?

 中村地区。故郷から日本へ。不法占拠地が第二の故郷。あるいは故郷。その故郷も失った。

 「向かいの家は○○さん。その隣は○○さん。○○さん所のお母さんは○○電機で働いていて、カラオケが大好きで週末になると自宅で近所のオバちゃん達と一緒にカラオケをやってる。裏の○○君の所は共産党員で遊びに行くとお母さんが機関紙を折り込んでいて、それを手伝うとオヤツを貰える。」そんな故郷。
 一軒一軒。路地。風呂屋、たこ焼き屋。商店街の子ども玩具。
 公園。公園の前の同級生のお母さんがやってたスナック。

 
【第一の問答
 「君は、菩薩十地のわけがらを説きたいというが、どのような因縁でそういうことをするのか?」
 「地獄、餓鬼、畜生、人、天、阿修羅の六界は、険悪であり恐怖に満ちている。生きとし生けるものすべてが生死の大海の中を押し流され、浮き沈みしている。宿業がこの大海の波であり、憂い悲しみ苦しみ悩みが水であり、すすり泣く声、むせび泣く声、号泣する声、身をもだえて泣き叫ぶ声が波浪の音である。この大海は愚痴無明の闇に包まれ、煩悩の業風が吹きすさんで、海は荒れに荒れている。涙や汗や膿や血が溢れていて、悪臭が満ち、岸壁がそばだっている。この海に漂う衆生は恩愛に引きずられながら、しかもこの中に変わらぬ愛があり、楽しみがあり、自己の所有があり、真実があると思いこんでそれを求めてやまない。しかしいまだかつて一人もそれを得た者がいない。誰一人としてこの生死の大海を渡って彼岸に達した者もいない。もし自分でこの大海を渡りきる者が生まれ出たらば、彼は無量の衆生を渡すことができよう。このような人が誕生することを願って、十地のわけがらを解説するのである」
 遥かに見わたす生死の苦海の悲しい相、それが龍樹の眼に映じた人生の実相であった。この巻頭の凄絶な描写こそ、親鸞に「生死の苦海ほとりなし 久しくしずめるわれら」とうたわせたもとである。宗教は哲学でもなく理論でもない。この痛ましい現実の苦痛こそ仏教の出発点であり、この苦悩の解決こそ仏教の目的ではないか。この苦悩の衆生が問題とされず、生死の大海の現実相が無視されるところに仏教の形骸化があり観念化があろう。】(細川巌『龍樹の仏教』ちくま学芸文庫版35~36より)


 何が「不法占拠の連中が出て行くのは当り前」じゃ!
 何が「除染は被害を拡大させるだけであって無理。福島廃県」じゃ!
 おんどれどもは、どんな人生を生きとるねん。どんな気持ちで葬儀に参列しとるねん。
 と、葬式坊主は思ったりする。