坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

変の品格

2008年03月09日 | 坊主の家計簿
 3月9日

 雑費  ミルクティー       120円
     100円ショップ16  1680円
     古本2          700円
 食類  ラップ            1円
     焼きそば         138円
     うすあげ           1円
     乾燥めかぶ        198円
     豚肉           344円
     キムチ          248円
     水菜           128円
     うどん玉          18円
 
 合計              3576円
 3月累計           24535円

 古本2冊は
 鈴木邦男『公安警察の手口』
 藤原正彦『国家の品格』

 今日は法事。
 法事っちゅうのは何やら「前にやるのはエエけど、遅れたらアカン」と云われているみたいだ。
 当然、そんな事を学校で習った事はない。仏教の歴史で、まあ、例えば『仏説法事遅れたらアカン経』などはない(はず)。
 ただ、恩師より『歴史文化ライブラリー70 葬式と檀家 圭室文雄著 吉川弘文館』という本を紹介して頂いた。検索したらアマゾン古本でも売っていたので注文したのだが、まだ読んでない。さっき注文したばかりだし。
 江戸期は初期からキリスト教が禁制となった。だから寺請制度(檀家制度)が出来た。寺請制度によって人々はどこかの宗派の寺に属する。
 法事を「遅れたらアカン」と云う事を私はなんとなく『世間の眼』と説明していたのだが、その『世間の眼』に背く事がイコール裁かれる危険性があった。この事についてはまた別の日に。

 世間の眼。
 日本には『特高警察』があった。国家に反対する思想の持ち主は江戸期のキリスト教、日蓮宗不受不施派と同様に裁かれた。
 今でも公安がいる。そういう状況下での『世間の眼』

 『母べえ』という映画がやっているらしい。これもまだ観てない。
 けど、何ならラジオで聞いた映画紹介では『戦争』を『聖戦』と云わなければならない時代の物語だったらしい。『母べえ』の『父べえ』は『聖戦』と認めなかったが故にパクられたらしい。

 御近所さんがそういう事でパクられる。捕まる。
 まあ、あんまり捕まりたくはないわな。

 『世間の眼』と『自分の眼』
 世間で云われる事は多々ある。けど、それと自分が感じた事とは別だと思うのだが。
 自分が感じた事と、世間とが違っていても問題ない。
 
 世間。今なら巨大メディアが最たるものなのだろう。当然、それだけではないのだが。

 昨夜、宗教について諸々話してた。
 「寺は風景であった」とはあるオウム信者の人が語った言葉だと記憶しているが、伝統仏教とオウム等の『カルト宗教』と呼ばれる宗教団体を同じ『眼』で見てくれているのだろうか?
 なんとなく『伝統宗教』と『カルト宗教』は『別物』扱いされている気がしてならないのだが。
 宗教とは元来異教徒からすると変なものである。きっと『なんとなく』だが、多くの世間の眼は『カルト宗教』にだけ『変』な意識をおぼえ、伝統宗教には『変』を感じない事の方が多い気がするのだが。

 「え~。。。宗教?そんなのに興味ないよ」
 と云う人でも、まあ、親族の葬儀が仏式であったら参加する。あれは立派な宗教儀式であるのだが。
 寺請制度(檀家制度)によって、伝統宗教は『変』を無くしてしまったのかな?『変』を無くしてしまって『世間』になったのかな?

 なんか、体調悪いし、いつもに増して何を書いているのかよう解らんようになったのぉ。。。

 品格。ある特定の思想があるから、その中での品格。
 世間での品格は多種多様。のはず。
 世間の眼に背いたからといって、気にしない人は全く気にしない。その幻想を共有する人達の中でしか通用しないのだから。
 
 「天皇」といったら、戦時中は問題になったかも知れないが、今は問題ない。
 ただ、「天皇と呼び捨てにするとは何事ぞ。天皇陛下と呼べ」と云う人もいれば、その逆に「天皇陛下と呼ぶとは何事ぞ、天皇と呼べ」という人も居るだけの話である。

 念仏申したら極楽に往ける教えもあれば、念仏申したら地獄に堕ちる教えもある。
 変なもんでっせ(笑)

 「あれ?俺っておかしいのかな?」って、みんな『変』やねん。本来は。
 個性があり、一人一人が違うわけやし。
 別に『精神障害者』だけが変なわけがなく、『健常者』も変。
 『カルト宗教』だけが変なわけでなく、『伝統宗教』も変。

 「(こそこそ)あの人って変よね」
 って、云う人も変でっせ。

 「個性ですか!個性があればなんでも出来る。1!2!3!ダー!!!」
 寝よ。