坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

プカプカ

2008年05月31日 | 坊主の家計簿
 5月31日

 外食  回転寿司         577円
 雑費  タバコ          300円
     ブラックジーンズ2   5980円
     温泉マッサージ     1000円
     ドグラマグラ     13200円
     プカプカ        3100円ぐらいか?
     カプセルホテル     2500円

 合計             26657円
 5月累計          132160円

 お休みだったので御近所温泉へ。
 帰りにブラックジーンズ購入。
 
 夕方からミナミへ。
 ドグラマグラでボトルを20%オフにしてくれるというらしいので、ボトルキープ。スプリングバンク15000円が12000円。ボトルだけ入れて、ビール飲んでさっさとプカプカに行こうという予定だったのだが、結局長居。
 
 プカプカは5月末でマスターが代わるらしい。つまり何じゃかんじゃで20年近い付き合いになる今のマスターとは『マスターと客』という関係では最後の日。
 最終日だし、どうせ客が満杯で座れないだろうし、さっさとビール1杯だけ飲んで帰るつもりだったのだが、店に行くと敬老精神溢れる若者が席を代わってくれた。
 と云う事で、腰を落ち着けて飲む。ちなみに飲み代のうちビール2杯分(1200円)は、マスターと一時期店を手伝っていて、最終日も手伝っていた娘さんにオゴリ。前回、釣り銭の都合で『500円券』を持っていたので、若干ヤヤコシイ。
 久しぶりに会った娘さんも25歳になられたようで、っちゅうか、別にマスターの娘さんではないのだが、まあ、若い娘さんやし、『娘さん』と云う事で。
 どやどや、わいわい飲んでたら終電が。。。しかも、終電がなくなった辺りで無茶苦茶眠くなったので、若者達を残してオッちゃんはカプセルホテルで爆睡。

カルマ?

2008年05月30日 | 坊主の家計簿
 5月30日

 外食  焼き飯ラーメン       750円
 食類  充実野菜6        1068円
     もやし            29円
     ピーマン           58円
     ウインナー         182円
     もずく           114円
     たくわん          100円
 雑費  レンタル3         600円
     タバコ           300円

 合計               3201円
 5月累計           105503円

 レンタル3は『やりすぎコージー』の2と7と10。
 お笑いDVDを借りるのは、ひょっとして初めてかな?
 まあ、脳味噌が明らかに映画を観る事を拒否してて、まったりとお笑いDVD三昧と。

 昨日買った消臭剤が効いたのか、単にペンキの臭いが収まって来たのか知らんが、今日は楽。昨日の昼間、塗り立て状態の中で部屋で仮眠してたら、脳味噌壊れそうやったもんなぁ。。。換気扇とひとつだけの消臭剤では全然アカンかったなぁ。。。
 今日はまったりと。

 何やらシャロン・ストーンという女優さんが
【中国四川省の地震のニュースは聞いたか?との問いに「もちろんよ。中国がチベットの人々にしていることが気に入らないし、私の良き友人であるダライ・ラマに対する扱いもひどいので、オリンピックの開催を疑問視していたんだけれど、そこにこの地震でしょ。これってカルマじゃない?って思ったわ。悪いことをするとその報いがあるものでしょ?」】
 (http://news.nifty.com/cs/entame/moviedetail/cnmtoday-N0013979/1.htmより)
 等と発言したらしい。当然、その発言に対して謝罪したらしいが。

 当然、もし仮にそういう事があったとしても、地震があった場所はチベットの方々が多く住んでいる場所である。シャロン・ストーンの説が正しければ、北京で地震が起こってなくてはいけないはずなのだが、多分、感情的になられていたのか、タマタマ軽口の失言をしてしまっただけだと思う。
 なんだが、この宗教観ってやっぱり強いねんなぁ。。。と改めて思う。

 大阪には『天満の天神さん』と親しまれる天満宮がある。当然、菅原道真の怨霊を沈める為の天満宮。
 菅原道真が亡くなられた後に京都では天変が相次いだらしい。
 当然、関係あるわけがない。

 例えばシャロン・ストーン氏が「今回の中国での地震で他国の救援活動が遅れているのは中国がチベットの人達にした事に対するカルマよね」とかなんとか云ったのなら納得してやらん事もないのだが、まあ、実際は様々な国が中国に対する支援をしているし。
 あるいは、「日本だけが自衛隊機を派遣するが出来ないのは、先の戦争で日本が中国を侵略したカルマよね」とかなんとかなら解らんでもないのだが。。。

 雨男、晴れ男。まあ、雨女、晴れ女でもエエのだろうが、そういうのもタマに聞く。
 誰かひとりの目出度い日に『晴れ』だろうが、『雨』だろうが、そんな事に影響されるわけがないと思うのだが。。。
 「ああ、せっかく明日休みやのに、なんで雨降りよんねん。せっかくの休みやし、ツーリングに行きたかったのに。。。俺って日頃の行い悪いんかな?」
 って、そんなワケがあり得るわけもなく、それは自然すらも自我の延長にしている証明にはなるのだろうが。とことん、あらゆるものを私の思いで縛りたいという証明にはなるだろうが。

 シャロン・ストーン氏は、先の一言の失言によって約60億円もの損失があったらしい。
 何やら『米CNNの記者は「今後2年間で公開される予定の彼女の出演作4作について、10億人超の観衆を失ったかもしれない。これも相応の“報い”だろう」と痛烈に皮肉った。』(http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20080530029/1.htmより)
 らしい。
 では、たった一言の失言でもって、ミスでもって映画や広告から排除する社会に対する『報い』は、どうなるのだろうか?
 ミスを許さない社会を再生産していく事に対する『報い』はどういう事に繋がるのだろうか?

 ミスも犯さずに、メタボでなく、民主主義社会に反する事なく健康的な民主主義社会に望まれた、適する人。
 
 そこから落ちこぼれる人。生きる事が、世渡りが下手な人。
 そんな人を排除する社会。
 緊張、緊張でストレス満腹。
 排除し、叩き、追い出す事によって、
 「私は健全」。「こっちは健全」。
 「悪いのは向こう」で、「こっちは正しい」。
 
 しんどい、っちゅうねん。

ペンキ臭い

2008年05月29日 | 坊主の家計簿
 5月29日

 食類  カニ飯       200円
 雑費  タバコ       300円
     居酒屋      5000円
     グリーンティー   320円
     消臭剤1      248円
     消臭剤2      198円
 
 合計           6266円
 5月累計       102302円

 団地のペンキ塗り替え中で頭が痛い。。。プチ・化学物質過敏症でんねん。。。
 よって消臭剤を買って、1個目買って「無理!」で2個目も買ってんけど、消臭剤って化学物質を吸収して呉れるのかなぁ。。。

吉兆の吉凶

2008年05月28日 | 坊主の家計簿
 5月28日

 食類  海鮮サラダ寿司    200円
 
 合計             200円
 5月累計         96036円

 『吉兆の吉凶』という、どうしようもなく下らん言葉を思いついて検索する。結構な数、ヒットしたけど、やっぱり関西人なのだろうか?いや、最近、こういう下らない事を考える人は全国的になりつつあるので、関西人だとは限らんが。
 と云う事で『船場吉兆』が廃業らしい。
 当然、行った事もないし、どこにあるのかも知らん。船場辺りはウロチョロする事もあるけど、『高級料亭』というか、『料亭』は私の記憶には残らんだろうし。

 廃業に至った最大の理由は『女将のキャラが立っていた』からだと思うのだが、どうだろうか?なんせ『ささやき女将』ですか?『ささやき女将』として見事にキャラが立っていた。その女将が社長に就任したからには、やはりマスコミは『ささやき女将』を引っ張りだしたい。ささやき女将は数字を取れるキャラだろうし。たかが、一軒の料亭が廃業しただけの事を全国ネットのニュースのトップにしてた番組もあったし。
 『自衛隊機が中国に行く』という新たな日中関係よりもトップである。どう考えてもこっちのニュースの方がビックニュース、それこそ日本の戦後史に残るビックニュースだと思うのだが、それよりも『ささやき女将』である。まあ、叩きがいのあるキャラだったのだろう。あの女将さんは。
 叩きがいのあるキャラの女将さんがやっているから、新たなネタを探す。「なんかあるやろ、なんかあるやろ」である。幸いな事に客に出して戻って来た料理を別の客に出した、という不祥事があった。幸いな事に、新たなニュースのネタがあった。『ささやき女将』を引っ張りだす事が出来た。「バンザイ!バンザイ!」でんな。
 うっとうしい。
 無茶苦茶、うっとうしい。

 船場吉兆と云う料亭が社会的に『凶』であったのかもしれない。不吉な事、わざわい。
 故に『凶』を追い出す。お祓いする。
 客が文句をいうのなら解る。だが、行った事のない人達までもが大騒ぎする。決して「こんなもの食べさせやがって!」」ではなく。
 社会にあってはならない店として、行った事のない人達までもが大騒ぎする。いや、大騒ぎしているのはマスコミだけなのかも知れないが。
 
 『吉』幸福。都合がイイ。思い通りになる。

 『凶』を排除して『吉』を求める。まあ、そのまんまやな。イヤな事はイヤやし。
 「鬼は外!福は内!」やし。
 そういう迷い。それは迷い。

 社会。
 私にとって『船場吉兆』とは行った事がない店である。別にどうでもイイ店。多分、行った事がある人の方が少ないはず。
 ただ、『社会』にはあってはならない店だったらしい。
 まあ、報道を見ているとちゃんとした仕事はしてなかったみたいである。故に客が離れて行ってしまったが故に廃業に追い込まれた。最終的な判断は客が下したのだろうが、マスコミも煽ってたわな。
 船場吉兆は主に接待で使われていたらしい。接待で使われていたが故に、接待で使えない店になってしまったらしい。

 社会正義。
 ああ、なんて甘美な言葉だ。。。素晴らしい。。。私も社会正義の側に立ちたい。というか、無意識に立っているのだろうが。。。
 社会正義という大義名分でもって、個人の判断を社会正義に売り渡す。
 社会正義から排除された側はどないしまんねん。
 まあ、吉凶禍福から離れた世界を目指せばエエのだろうが。。。

 寝よ。

奉る

2008年05月27日 | 坊主の家計簿
 5月27日

 雑費  タバコ         300円
     公文学費       2100円
 外食  回転寿司        504円
 食類  ペット水12      708円
     八重泉        2080円
     発泡酒6        780円
     ニラ           50円
     てっちゃん       179円
     牛すじ         165円
     ハンバーグ       140円
     たくわん        100円
     もずく          99円

 合計             7205円
 5月累計          95836円

 最近、無茶苦茶しんどくて、特に昨日、今日なんぞは背中パンパン、肩もパンパンで「堪忍してえやぁ。。。」状態。
 これは。。。
 1 御先祖の霊が祟ってる
 2 故に墓参りに行きなさい
 3 ちゅうか、うちは墓がないやんけ
 という祟りである。
 わけがなく、まあ、温泉マッサージに行けばエエだけの話なのだが、今日は『おせん』の放映日なのでテレビの前に正座して観なければならない。ので、温泉マッサージは後日にして珍しく湯船にお湯を張ってお湯に浸かる。
 あ~、エエ感じや。背中と肩も楽になったで。やっぱり湯船は湯船やのぉ。。。洗濯だけに使うのは勿体ないのぉ。。。

 霊感。私は幽霊に首を絞められた事がある。締められている途中で締めている相手が死んでいる事に気づいて「お前死んだんとちゃうんか!」と叫んだ(つもり)ら消えたが。
 なので、まあ、真宗坊主にしては珍しく(?)『幽霊』というもんに理解があるのかも知れん。あれは『共感覚』みたいなもんなんだろう。
 つまり、『存在する』『存在しない』の話ではなく、『見る』『見ない』だけの話である。どっちが正しいとかでなく、単に『見る』人は見るだけの事であって、事実として『存在する』『存在しない』の話ではない。それだけの話であって、別に特別視する事なく、「へ~」みたいなもんだ。
 それを特殊化して精神病扱いするのも変だし、あるいは特別視して「私たちに見えない世界を見ている」というのもおかしい。
 なのだが、「御先祖の霊が祟っている」みたいな話がいまだに通用しているのがよく解らん。まあ、それでエエ人はエエのだろうが。
 タマにおせっかいな人も居て、お水時代の個人的な体験なのだが、あるお客さんが突然「手を出して下さい」と云った。私はとりあえず手を出したら、手の上に真言宗で使う仏具を手の上に置いた。何をやるのか解ったので「いりません」と。何やら「悪い霊に取り憑かれそうになっている」との事だったが、そんなものは大きな御世話であって、仮にそれが本当であっても、それも私の人生である。お祓いされる事は「大きな御世話」以外の何ものでもない。

 この間食べた担々麺の店が煮タマゴの営業を辞めた。発売してしばらくは「御一緒に煮タマゴもどうですか?」と売り込みしてはったのだが、もう辞めたらしい。
 そういや、マクドナルドでも「御一緒にポテトは如何ですか?」と聞かれないのだが、あれも辞めたのかな?

 断る事。
 勧められると、断らなければならない。
 特に宗教関連なら、どうなのだろうか?断る事が出来ずに「あなたには悪霊が。。。」という事を真に受けてしまう人もいるのだろう。

 よく坊さん仲間と喋る時に「俺等、仏壇売ったらエエ金になるやろな」と笑い話でする。当然、そんな事をしている人はいないと思う。生活をする為にお金は必要だが、仏壇屋と手を組んで古い仏壇のある家に「そろそろ仏壇も古くなって来ましたね。そろそろ買い替えては如何ですか?」と云って、仏壇屋からバックマージンを貰って居る坊さんはいないと思う。それは仕事ではないし。

 私は元『占い師』でもあった。占い師を辞めた理由は多々あるが、その中でもある恋愛占いをしている時に相性を占っていた。出た結果は相性自体は悪かった。ここからが本番なのだが、その相手の人は「じゃ、辞めとこかな」と云った。
 私は21ぐらい。向こうも同じぐらい。心の中で「占いで相性が悪いからといって辞めるのなら最初から恋愛なんぞするなよな」とキレた記憶がある。

 僧侶もその中に当然入るのだろうが、何かそういうもの、そういう存在の相手から云われた事に反応してしまう。
 占い師だった経験からいうと、決して騙しているのではない。当たり前である。騙すつもりでいる占い師は皆無である。はずである。少なくとも私は知らない。
 多分、「あなたには悪霊がついてます」の人も同じであると思う。純粋に誠意なのだろう。その誠意を仕事として居る方々も居られるだけの話である。

 誠意だからややこしい。同時に危ない。
 オウム真理教の人達は、純粋に金剛乗という考え方によって「救おう」としたわけだし。あれは「殺そう」ではない。「救おう」としたのだ。
 ただ、『殺された人』には関係のない話である。
 日本によって『目覚めさせられた』朝鮮の人達と同じである。やられた側にとっては『大きな御世話』である。

 『御布施』という考え方の中に『金銭に対する執着心を解き放つ』というのがある。

 檀家「父の葬儀ですが、御布施はいか程包まして頂いたらよろしいでしょうか?」
 僧侶「60万円程が相応しいかと」
 檀家「少し高くないですか?」
 僧侶「あなたは金銭に執着をしていますね。布施は布施行と申しまして、そういう執着心を絶つ行なのです。」

 そういう時はこう言おう。
 「お前が5円で葬儀して金銭に対する執着から離れる行をしろ!」
 と(笑)

 とは云え、僧侶も食べて行かなければならない。当たり前の話である。だから『仕事』としてどれ程が妥当なのかを相談すればイイ。
 また、仮に高額な御布施を払って行をしたといっても、その時だけなら意味がないのではないのか?
 宗教者に対してだけ金銭に対する執着心をなくしても、仮に高額なお布施を払う事によって、他の部分で金銭にやたらと執着する結果になりかねないし。
 
 宗教者。聖なる存在。

 昨日、ヘロヘロだったので何度も同じ事を繰り返し書いてしまったのだが、『民主主義』は『民』よりも偉いらしい。
 『民』よりも偉くなってしまった『民主主義』は最早『民主主義』と呼んでいけないと思うのだが、それがまかり通っている。

 今日の『おせん』ではおせんちゃんが見合いをした。相手は小泉孝太郎である。小泉元総理の息子でもある。
 小泉元総理にとって自分の意見に反対する人は『抵抗勢力』であった。まあ、これは小泉氏自身の感覚なのだろう。
 当時のマスコミがその『抵抗勢力』という言葉をどう扱っていたのかは憶えていない。
 今、大阪府では橋下知事によっての改革が行われようとしている。
 それに対してあるマスコミが橋下氏すら発言していない『抵抗勢力』という言葉を使っている。橋下知事の改革に反対する立場の人は抵抗勢力であるらしい。
 あるマスコミは明らかに煽っている。橋下知事の意見を支持し、それに反対する立場の人を『抵抗勢力』として扱っている。
 明らかに政治的中立でもなんでもなく、橋下氏以上に煽っている。
 立場の違う人を『同じ人』として扱っていない。

 日本の仏教界に対して『従う文化』が出来たのは主に江戸期である。単に天下統一以後でもあるし。
 檀家制度(寺請制度)は江戸期の『制度』であった。どこかの神社仏閣が決めた事ではなく、江戸幕府による『制度』であった。
 その『制度』はなくなったが、今でもある。ある人にはある。明確に残って居る。
 僧侶(聖)と民衆(俗)の違いが残って居る。
 当然、本人自身の選びでもってそれを信じるのなら信仰だし構わない。信仰として当たり前の事だし。だが、「うちの家の宗派」でもある。そういう意識を持たれておられる方々も多く居られる。

 同じ人。
 同じ立場。

 民主主義に対する抵抗勢力は量刑が重くなる理由のひとつになる。
 『民が主』であるが故の民主主義であっても。

 『愚者の誇り』

 「よく知らないし、従っていた方がエエのかな?」
 とは自分を粗末にし過ぎである。
 『世間』で尊いとされる、偉いとされる人の意見に従わなければならない義務は一切ない。
 解らなければ「解らない」という権利があり、納得出来なければ「納得出来ない」という権利がある。
 大多数の意見に従わなければならない義務もない。
 伝統・歴史を支えて来られた方々に対する尊敬があっても、『今』生きている私が従わなければならない義務は一切ない。
 それは伝統・歴史を支えて来られた方々を「古くさい」「保守的である」と馬鹿にする事ではない。同じ人間として、同じ立場として伝統・歴史に参加する事だ。
 伝統・歴史は、私の上を通過するものではない。通過する形で参加するのではない。
 伝統・歴史といっても様々な時代背景でもって変化している。それが伝統・歴史である。その伝統・歴史に参加するのだ。
 受けとらない伝統・歴史だから「古くさい」になる。過去のものになる。それは伝統・歴史を支え、形を変えながらも守って来られた方々に対して失礼である。
 決して『奉りあげる』ものではない。
 奉りあげるが故に、その精神性が忘れられる。
 寺は風景になり、『家の宗教』になる。
 民主主義が『民が主』でなくなる。

民主主義主義

2008年05月26日 | 坊主の家計簿
 5月26日

 食類  アクティブダイエット8   760円
     発泡酒           174円
     ちくわ            78円
     豆腐             98円

 合計               1110円
 5月累計            88631円

 長崎市長選で現職市長を射殺した人に死刑判決が出た。
 http://www.asahi.com/national/update/0526/SEB200805260008.html
 上記の朝日の記事では
【松尾嘉倫(よしみち)裁判長は「民主主義を根底から揺るがす犯行で、極刑はやむを得ない」】
 とあり、
 毎日新聞のサイトにあった死刑判決の要旨(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080527k0000m040064000c.html)では
【暴力によって被選挙人の選挙運動と政治活動の自由を永遠に奪うとともに、選挙民の選挙権の行使を著しく妨害したのであり、民主主義の根幹を揺るがす犯行というべきである。民主主義社会において到底許し難い。】
 とある。

 民主主義というのがどういう考え方で出来た歴史的経緯は知らない。ただ、『民が主』の発想なんだろう。だから『民主主義』と。
 判決報道でしか判決の事は知らないが、なんとなく『民主主義主義』という言葉を思いつく。
 『民主主義』は『民』よりも『主』なのか?
 『民』よりも『民主主義』の方が尊いのか?
 なんか、ひっくり返っている気がしてならないのだが。

 当然、犯行自体は認められるわけがない。人を殺害し、またそれが選挙期間中であった。それこそ、民主主義の根幹を揺るがすテロである。
 だが、その事が死刑判決の中に盛り込まれる、無期でなく死刑判決である事に、どうしても私が思い描いている『民主主義』との間に違和感がある。
 民主主義に背く事が、判決を重くする理由のひとつになる事に違和感を憶える。

 『民主主義は神聖にして犯すべからず』と憲法に明記すればいいのに。それなら、「ああ、あの人は民主主義に反抗したから罪が重くなって当たり前だ」。。。にはならんが。
 
 人が作り出した価値観によって、主義によって、人が主ではなくなる。
 民主主義が絶対正義、犯してはならない聖域であるのなら、それに従わなければならないのは民主主義社会に生きる全ての人である、はずである。なら、その民主主義は利用してはいけないと思うのだが。例え裁判官であっても。
 裁判官であっても民主主義には従わなければならない。従わなければならないのならば、民主主義を量刑を重くする為に使ってはならないと思うのだが、どうなんだろうか?

 民主主義が人を支配する為の道具になる。
 民主主義に背いた者は、同じ殺人であっても、判決が重くなる。死刑判決を出す理由のひとつになる。なった。過去にもあったのかも知れないが、知らないが、今回の判決はそういう判決である。

 ある在日コリアンの人と20年近く前に話してた時にタマタマ福沢諭吉の話が出た。
 「福沢諭吉は『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と云ったが、朝鮮人は人ではないと云った」とかなんとか。
 福沢諭吉は多分、人権とか、民主主義は好きだったと思う。それが正義であると疑わなかったのではないかと勝手に想像する。

 今回の裁判官は
【被害者は約12年間、長崎市長を務め、被爆都市の市長として世界に平和を訴え続けてきたし、暴力団などによる行政への不当要求の排除にも尽力してきたのであり、多くの市民に支持されてきた。】(http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080527k0000m040064000c.htmlより)
 等と書かれていると云う事は、かなり人権や民主主義に対しての関心が深いと思われる。
 それが故に、死刑判決の理由のひとつに『民主主義社会において到底許し難い』と書いたのではと思うのだが、どうだろうか?

 民主主義は大事である。大事であるが故に、その『主義』によって量刑が重くなる事はあってはならない。それは民主主義を堕落させる事ではないのか?民が主でなく、主義が主である。
 それは危ない、無茶苦茶危ない。

 何かの主義を立てる。立てた主義から人を判断する。
 民主主義に適う人。適わない人。
 人道主義に適う人。適わない人。
 そこから、その主義の正義から人を裁く。両主義に適わない人は罪が重くなる。
 民主主義によって人の価値が変わる。
 人道主義によって人の価値が変わる。

 裁判官は人を裁く人。だったら尚更の事、まず真っ先に自分が民主主義に従わなければならない立場であり、人道主義に従わなければならない立場である事を確認しないと危ない。
 民主主義でもって、人道主義でもって、量刑が重くなる事はあってはならない。

 民が主である。
 民には様々な人がいる。
 民主主義に適う人もいれば、適わない人もいる。含めての『民』である。
 民主主義に適う人だけが『民』ではない。それなら民主主義の名を借りた全体主義である。

 「フリーチベット!」を叫ぶ一部の人達にも感じた事だが、民主主義の名を借りた全体主義が流行中なのか?

 民が主の民主主義。
 民には様々な人がいる。様々な思想を持ち、様々な人生を歩まれている。
 その様々な人の中には民主主義に背く人も居る。それらの人を『民』に含めないのが民主主義なのか?背く人も含めての民主主義ではないのか?それが故に『民が主』ではないのか?

 民主主義主義の全体主義。
 都合の民主主義。

 都合を問う民主主義。
 
 『民』、具体的には一人一人の人生。顔。生身の人間。それを『主義』で覆い隠す。
 民主主義でもって、『民』が見えなくなるのなら、そんなものは民主主義の名を借りた全体主義でしかない。

営業

2008年05月25日 | 坊主の家計簿
 5月25日

 雑費  タバコ(昨日)    300円
     タバコ        300円
 食類  カップ麺4      392円
     焼き鮭        150円
     白飯         100円
     バナナ        100円
     寄せ豆腐       150円

 合計            1492円
 5月累計         87521円

 オカンが私名義で入っていた保険の更新時期らしく一昨日に電話あり。で、昨日は保険屋から電話があったのだが、外出していたので資料を読んでないのでなんとも言えず。
 今日、昨日届いていた資料を読む。
 「なめとんか、われ」である。
 
 確か前の更新は10年前。確かオカンから連絡があって、どうせ安い保険やと思っていたし、まあ、オカンが勝手に入りたいのやったらそれもエエやろと思って居たので、多少の反対はしたが私に関係のない話であり「まあ、エエか」と思い更新をしたのだが、今回電話で金額を聞いてビックリ。年間18万!ボケか。ボケとるにも程があるぞ。
 当然、掛け捨てではない。掛け捨てではないのだが、その全額が積み立てられるわけもない。計算したら今までで280万円も『純保険料』として取られている。
 ちなみに日本生命。あの『ニッセイのオバちゃん』でんな。確か歩合給の給料の分だけ保険料は高いし、日本生命はセパ交流戦のスポンサーでもあるらしい。あの交流戦の金がうちの実家からも出ていると考えると「殺すぞ、ボケ!」の話である。
 
 だいたい、保険会社なんぞはパチンコ屋と変わらん。パチンコ屋は儲けている。保険会社も儲けている。
 保険会社は決して互助組織なんぞではない。
 パチンコで儲ける人も居るだろうが、多くは負けている。その証拠にパチンコ屋が儲けているのだから。
 保険会社も同じであって、『万が一の時』、つまり『万が一』パチンコで勝つ様に保険がある事によって支払った保険料以上の保険金が入って来る可能性もあるのかも知れないが、そんな事は『万が一』である。多くはボロ損する。その証明で日本生命はセパ交流戦のスポンサーになっている。儲けている。
 なぜ、こういう簡単な仕組みが解らないのか、我が母親ながらブチ切れてかなり説教して「数字を読め!」と言って説得したのだが。

 とは云え、気持ちはありがたいので「ありがとう」と伝えたが、それを受け入れる事、引き継ぐ事とは別問題である。保険料を知った限り、年金生活のオカンに払わせるわけにもいかず、かといって自分で払うわけがない。私は私なりに掛け捨ての医療保険に入っているわけだし。プラス加入も考えたのだが、余りに馬鹿げた数字だったのでそんなものを引き受けるわけがない。
 親に対する感謝と、それを引き継ぐ事は別問題である。

 『わが家の宗教を知るシリーズ』というのが双葉社から出ている。私は大谷派しか持って居ないが結構お勧めである。CDも付いてるし、御参り先でも宣伝をしている。御経の現代語訳もあるし。
 けど、タイトルが『わが家の宗教を知るシリーズ』。

 非常にシンプルな話なのだが、『わが家の宗教』ってなんや?
 「日本は天皇を中心とする神の国である」みたいな話か?

 亡くなられた親族。爺ちゃん婆ちゃんだったり、父さん母さんだったり。
 その人達が受け継いで来た宗教だからといって受け継がなければならない筋合いは一切ない。
 自分の信仰として『受け継ぎたい』と思った人が受け継げばイイだけの話である。

 お寺のルーツを探ると、結構宗派を変えている所もある。当たり前の話である。『宗教』なんだから。
 宗教とは個人の自覚の元で初めて『必要』なものであり、それがなければ無用の長物である。

 日本には江戸時代という歴史があった。江戸時代には『寺請制度(檀家制度)』というのがあった。
 当時の人達がどこかの寺を菩提寺にしなければならなかった。
 同時にその寺の檀家を離れる事は許されなかった。
 例えば、あるお偉いお武家さんが、個人的に信仰したい寺があり、その寺に檀家を移りたいと云っても許される事はなかった。離れられる側の寺が嫌がったそうな(笑)。まあ、解りやすい(笑)

 今でも『離檀』で検索をうつと色々な問題があるみたいである。
 単純な話である。顧客を逃したくない『だけ』である。

 僧侶側、寺側には当然いい分がある。
 しかし、寺側の言い分に従う義務は一切ない。あり得るわけがない。信仰はあくまでも個人のものである。
 墓地が寺にあって離壇出来ないのなら墓地を引き上げればイイ。その時に『御布施』が必要ならば5円だけ入れればイイ。高額を請求されたら放っとけばイイ。放っといて勝手に御参りに行けばイイ。寺側が何の連絡もなしに墓を撤去したら告訴すればイイ。それこそ高額の慰謝料を請求すればイイ。今は江戸時代ではないのだから。封建時代ではない。
 のだが、見事なまでに封建時代の名残りを見せているのが『寺社会』である。

 真宗門徒は力強いぜ。『真宗僧侶』は他宗派の僧侶に比べて頼りないかも知れんが、真宗門徒は力強い。自覚的な仏教徒である。

【『叡山大師伝』によれば、最澄は死について、弟子たちにこんな言葉を残したという。(中略)
 (私の命はもう長くないだろう。もし私が死んだら、そのあとは、みんな喪服を着てはならない。)】
 (新谷尚紀監修『「お葬式」の日本史』51ページより)

 仏教徒に物忌みはない。
 真宗門徒だけが『門徒物忌み知らず』の伝統がある。
 単純な話である。真宗には『僧侶』『門徒』の区別が本来ないのだから。共に『門徒』であり、今でも大谷派なら『真宗同朋会運動』が展開中である。
 まあ、「お宅の宗派から離壇して大谷派に転派しませんか?」の営業トークでんな(笑)

 伝統はその伝統を守って来られた人達がいる。
 多くの生活苦の中でも伝統を受け継いで来て来られた方々が居られる。
 その人達の『気持ち』がある。感情がある。
 私は、その『気持ち』や『感情』を受け入れ感謝する事と、その伝統をそのまま引き継ぐ事とはイコールではないと感じる。

 『御陰様』
 「御陰様で私も自分の人生を歩める様になりました」
 「ありがとうございます」
 と云える人生。
 それが例えばキリスト者になって本当に「ありがとうございます」と云えるのなら、或いはいわゆる新興宗教に信仰をして「ありがとうございます」と云えるようになったら、それだけで素晴らしいじゃないか。
 
 「なんで、こんなうっとうしい仏壇があって、わけもわからん坊主に金を払ってやなぁ。。。」
 は決して『先祖供養』ではない。
 あくまでも個人の自覚である。宗教は家の宗教ではなく個人の自覚である。個人の自覚でしかない。
 あ、また、大谷派のセールストークに(笑)

福沢諭吉の人権

2008年05月24日 | 坊主の家計簿
 5月24日

 雑費  居酒屋      3600円
     担々麺       680円

 合計           4280円
 5月累計        86029円

 旧友と飲み。
 姫路の旧友より姫路出身の車谷長吉という作家を教えて貰う。映画『赤目四十八瀧心中未遂』の原作者らしい。地味な映画やったのぉ。。。かなり好きな映画でもあるのだが。

 ふと昔読んだ本のタイトル『友がみな我よりえらく見える日は』という言葉を思い出す。何やら石川啄木の『友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ』という歌が元ネタらしい。

 『友がみな我よりえらく見える日は』というのを仏教用語では『卑下慢』という。
 その逆に
 『友がみな我より愚かに見える日は』というのを『高慢』という。
 共にプライドが高い『だけ』である。

 最近、福沢諭吉が気になる。
 福沢諭吉はガキの頃に神社の御神体を持ち出しで悪戯をして、御神体のない神社に手を合わしているのを見て嘲笑ったという話で有名でもある。
 但し、これが現実の話なのかは知らない。ただ、福沢諭吉の伝説のひとつである。
 この福沢諭吉少年が大きくなって『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』という『学問のすゝめ』で有名な言葉を書いた。
 それが故に、福沢諭吉が朝鮮の人達を蔑視していた事につながらないだろうか?まあ、朝鮮の進歩的な人に対しては別だったみたいだが。

 ちなみに私は『学問のすゝめ』を読んだ事はないし、福沢諭吉に関してほぼ知らない。
 んが、なんかこの辺に非常に大事な問題があると感じる。

 人権思想が進歩的であるのなら、それはただ単に優生思想ではないのか?
 ちなみに福沢諭吉は真宗門徒らしい。

 寝よ。

ショート・ツーリング

2008年05月23日 | 坊主の家計簿
 5月23日

 雑費 ガソリン代         439円
 食類 てごろ菜          100円
    ほうれん草         100円
    ショウガ漬け        280円
    梅干し           180円
    グリーンアスパラ      150円
    白飯            100円
    発泡酒           198円
 外食 和歌山ラーメン3     1800円

 合計              3347円
 5月累計           81749円

 久々のショート・ツーリング。
 広域農道を走ってたら産地直売の店があったので野菜等をゲット。ほうれん草が無茶苦茶美味そうだったので帰って速攻ゆがいて食べたらやっぱり美味かった。気が向いたらまた行こ。
 ついでに和歌山ラーメン。何じゃかんじゃで3店。

 バッテリーの充電も兼ねてのショート・ツーリングだったのだが、久々だったので帰って来たらしんどい。
 しかし、「こんな所に、こんな道は要らんやろ。。。」という道を造ってはった。
 峠越えの道が一車線ギリギリの細い道で、峠を越えて和歌山に入ると広い道を建設中。トンネルまで出来とった。あの道の和歌山側だけを広くしても意味がなく、峠にトンネル掘るつもりなのかな?別にあそこにトンネルを掘らんでもちょっと迂回したら山越えの楽な道があるのだが。。。今もそれで充分だと思うのだが。。。
 道の真ん中で蛇発見。幸いにして殆ど誰も通らない道。轢き殺される心配はしばらくはないのだろうが、蛇は車道が出来ると困る。
 道をバンバン造って喜ぶのは、非常に限られた『人間』だけだと思うのだが。
 あの道の麓の人達がどう思っているのか知らんが、前までの道でも車は通れた。そういう部分では不便ではなかったと思うのだが。
 道が広くなったら車の速度が上がる。
 トンネル掘って大阪までの道が整備されたら交通量は増える。
 交通事故も、排気ガスも増える。
 なんだかなぁ。。。

世間と鳥居みゆき

2008年05月22日 | 坊主の家計簿
 5月22日

 雑費  洗濯洗剤        398円
     グリンティー      320円
     回数券        3700円

 合計             4418円
 5月累計          78402円

 所用で外出。当然、飲みで。
 帰宅して、明日休みなので部屋でマッタリと深夜テレビ鑑賞。

 鳥居みゆきってオモロイのぉ。。。
 さっきまで大阪ではスペシャル深夜放送の『アメトーク』を視てたら鳥居みゆきが出ててでんな、鳥居みゆきの芸風、電波系、精神系の芸風は好きやねんけど、いかんせん『芸』として面白くない。よってそれ程注目してなかったのだが、アメトークでのフリートークが抜群に面白かった。鳥居みゆきの芸の100億万倍面白かった。 
 と云う事で、今日から鳥居みゆきの芸以外のファンになろ。っちゅうか、まあああいうキャラの芸やから、それも含めての『芸』やねんやろうけど。まあ、R-1グランプリは一生無理やろ。フリートークで周囲の中での電波芸がピカ一やな。

 鳥居みゆきの芸は電波芸。まあ、精神病患者ネタでんな。思いっきり私のピンポイント。
 鳥居みゆきの『一人芸』は見苦しい。周囲との関係性の中で輝く。
 そりゃそうだ。精神病患者は周囲との関係性の中でしか生じない事なのだから。
 
 20年ぐらい前かな?小田晋という精神科医の本を読んでいて『三角教』の教祖様の話が出て来た。当然、教祖様だからどっかいってるわけだ。ただ、小田晋が「さすがは精神科医」という部分で書いてはった事は、「あれが世間に通じたら決しておかしくないのだ」と。
 そりゃそうだ。精神病なんぞは基本『周囲の理解』である。周囲の理解があれば単に『そういう人』でしかない。
 『そういう人』を認められずに排除する、つまり精神病院に送り込んで隔離するが故に、精神病院以外にいている人達が『正気』である、になる。
 また、精神的に疲れた人はどうしても排他的になる。それは周囲の理解という『受け入れられる安心感』の問題もあるのだろうが、でもやはり排他的になる。
 要するに、二つの排他的がある。
 病院の外と、内。共に排他的である。

 最近、何故かスーパー等で大沢誉志幸の『そして僕は途方に暮れる』をタマに聞く。なんかのドラマか何かで使われたのかな?よく知らん。

 ♪ひとつのこらず君を
  悲しませないものを
  君の世界のすべてに すればいい
  (『そして僕は途方に暮れる』より)

 自分が望む、自分の『思い』でもって、自分『だけ』の世界を作り出す。
 自分『だけ』が、共同体『だけ』になる。その共同体にとって『都合のイイ』環境を作り出す。
 そして排除する。排除される。
 排除されている人達、存在がある限りは決して

 【かの世界の相を観ずるに、三界の道に勝過せり。
  究竟して虚空のごとく、広大にして辺際なし。】
 (天親菩薩『『無量寿経優婆提舎願生偈』より)

 では決してあり得ない。

 日本の伝統文化であろうが。
 ただ、その伝統文化を受け継いで来た『人達』がいる。
 その『人達』を無視し、あるいは『遅れた人達』と決めつける事も同じく排除の論理である。

 そうやって、

 ♪ひとつのこらず君を
  悲しませないものを
  君の世界のすべてに すればいい
  (『そして僕は途方に暮れる』より)

 の、世界を再構築している。
 それを問うて来るのは常に『他者』『異なる人』
 違う思想・宗教をもった人達。
 あるいは鳥居みゆきはキャラだが、実際に居ている精神病患者。
 あるいは、男性中心社会から排除された女性。
 日本社会の中の『在日』の人達。
 日本文化の中のアイヌ、琉球の人達。

 何を中心として、どこまでを『我が世界』とするのか。その世界は限られた、閉ざされた世界なのか、それともそこからの解放を目指す世界観なのか。

 私さえよければイイ。
 私の家族さえよければイイ。
 私の親しい人達さえよければイイ。
 私が属する共同体さえよければイイ。
 私の国だけがよければイイ。
 私の国と友好国さえよければイイ。
 人間さえよければイイ。
 
 常にそういう在り方の中で問われてくる『働き』
 声。叫び。

 鳥居みゆきはエエでぇ。。。

 

お疲れモード

2008年05月21日 | 坊主の家計簿
 5月21日

 食類  のり弁        290円
     海鮮2        200円
     めんたいこ      199円
     ブイヤベースおでん  148円
     オニオンサラダ    100円
     うどん玉        20円

 合計             957円
 5月累計         73984円

 何やら、アメリカ大統領選挙の民主党での予備選挙でオマリー、ちゃうわ、オバマ氏が勝利宣言をしたそうな。
 http://mainichi.jp/select/world/news/20080521ddm007030068000c.html

 「これは女性差別だわ。アメリカにまだまだ女性差別が残って居る証拠だわ」
 にはならない。それは両氏に対して失礼である。
 
 そういや、大相撲の土俵に上がり込もうとした女性が居たらしい。
 当然、上がれない。止められる。当たり前だ、土俵の上は『女人禁制』以前に、『観客』が上がれるわけがない。
 太田大阪府前知事が大阪場所で土俵上に上がれないのは明確な女性差別だが、『観客』が大相撲の土俵上に上がれるわけがない。

 最近、改めて気になる言葉がある。
 数年前だったのだが、辺見庸がラジオでいわゆる戦争協力をした文学者達に対して語っていた事。明確な言葉は覚えて居ない。ただ、「彼らが強制されていたとは思えない」みたいな事。
 流れなのだろう。時代の流れ。流れの中で熱狂してしまう。他者が見えなくなる。

 これは最近だからよく憶えているのだが、森達也氏が講演会の中で『善意』と『悪意』について語られていた。
 ブッシュ大統領がイラクを攻めた事をブッシュ大統領自身は『悪意』であると思って居ないはずである、と。

 『善意』であり、例えば『人権』と云う名の大義名分でもって侵攻する。『善意』であるが故に多くの人達を犠牲にしても『仕方がない』になる。
 『欧米列強からのアジア民衆の解放』であっても。
 中国政府のチベット侵攻であっても。
 恐らく『善意』なんだろう。
 何かしら目覚めた意識でもって、その『目覚めた』と云う事を疑う事なく、疑う事が出来ないが故に直接行動に出る。

 以前にある恩師から『空に沈む』という言葉を教えて頂いた。
 誰かが誰かの足を踏む。
 当然、踏みつけられた人は「やめてくれ」と云う。
 だが、踏みつけた側が「それはあなたが『踏みつけられた』と思っているだけだ」と。
 まあ、厳密にはそうなのだ。確かに『思っている』だけの話でもある。だが、その事をいいわけにして踏みつけられた人の声を聞かない。「やめてくれ」という言葉を聞けない。
 禅宗では『野狐禅』とでも云うのかな?
 道を求めているが故に陥りやすい危険性。

 誰も悟ってないんかいやしない。
 目覚めてなんかいやしない。
 私にとっての目覚めた人とは

【893 自分の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何びとを愚者であると見ることができようぞ。他(の説)を、「愚者である」、「不浄の教えである」、と説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。
 894 一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。】(スッタニパータより)

 女性解放の人達は、自らが土俵上に『上がろうとする行動』によってそれをイヤがる人達の声を聞くべきであり、日本の伝統に固執して女人禁制を守る人達は、女性解放運動家が何故「そういう行動をとろうとしたのか?」という声を聞くべきである。
 「これは日本の伝統だから」という正義と
 「これは人間解放だから」という正義。
 共に『正義』である。
 正義だから強制しあう。押し付け合う。
 当然、「先に押し付けているのは向こうである」になる。
 日本の伝統でもっての『女人禁制』である。そういう文化が先にあり、それに対する行動である。

 今日は、疲れてたのでテレビ三昧。
 コマーシャルの間は違うチャンネルを探して私にとって『都合のイイ』番組、『面白い』番組を探しまわる。
 パッパ、パッパ、と、探す。じっくりと同じチャンネルで固定する事がなく。
 私の『思い』に適うものを探す。

 『敵』と『味方』
 『都合の悪い人』と『都合のイイ人』

 癒し。ストレス。思いが適わなければ疲れる。疲れるのはイヤである。
 思いが適う世界を作り出したい。他者不在の世界を。

 『ややこしい』
 ややこしい事はイヤなのだ。決して『癒し』にはならないから。

 寝よ。

〆の焼き飯

2008年05月20日 | 坊主の家計簿
 5月20日

 雑費  発泡酒6      950円
     タンガクラブ   2500円
 外食  焼き飯大      550円

 合計           4000円
 5月累計        73027円

 学習会の準備会議。殆ど決まっているので最終確認みたいなもんだけ。
 終了後に先輩達と御近所のタンガクラブへ。 
 まあ、さらっとビールを飲んで帰ろうという感じだったのだが、妙に盛り上がって店の酒に手を出す。やっぱし酔っぱらってくるとビールだけやと寂しくなるし。
 それはエエのだが、帰りに何故かタマに行くラーメン屋で焼き飯の大盛りを食べているのは何でや。まあ、晩飯喰ってないとはいえ、焼き飯の大盛りでっせ。まあ、美味かったからエエけど。あの店はラーメンよりも焼き飯の方が美味いのぉ。

異宗教の御神体

2008年05月19日 | 坊主の家計簿
 5月19日

 雑費  古本2         600円
     タバコ         300円
 外食  チキンカツ蕎麦     347円
 食類  発泡酒2        214円
     タコ造り        240円
     バイ貝煮付け       90円
     タイ煮付け        50円

 合計             1841円
 5月累計          69027円

 古本は
 新谷尚記監修『「お葬式」の日本史』
 新谷尚記『日本人の縁起かつぎと厄払い』

 ついでにネットのブックオフで新谷尚記氏等の本を購入。いや、民俗学が好きでんねん。

 映画『靖国 YASUKUNI』のホームページ(http://www.yasukuni-movie.com/)に気になる事。
 ちょうどトップページに書いてあった事なのだが、何やらホームページに書かれてあった靖国神社の御神体について事実と違う記載があったらしい。それに触れながらも靖国神社の御神体についてホームページに書かれていた事は映画『靖国 YASUKUNI』の制作側の見解であるとした『御詫びみたいなもの』。

 真宗門徒である私は当然靖国神社の信者ではない。信者ではないし、靖国神社の国家護持に対しては断固反対する意見の持ち主である。まあ、靖国神社を支援する人にとっては『敵』になるのかもしれない。
 靖国神社は昨日も書いたが、今は単なるその辺の神社仏閣や、いわゆる『新興宗教』団体の教会と同じ『一宗教法人』である。当然の事、私が信仰している教団や、今居る寺等を大切にしたいのと同じ気持ちを抱えた方々が靖国神社にも多く居られるであろう。それはいわゆる『新興宗教』でも同じである。
 
 映画『靖国 YASUKUNI』はまだ観ていないが、その辺の事を映画を製作した側は解っているのかな?と疑問に感じる。

 聖地や信仰対象はそれぞれ。
 極端な例でいえば『なにもない』所もある。場所だけがあって『なにもない』。その『なにもない』所に、例えばアイヌ民族の聖地に日本は二風谷ダムを建設した。
 
 また、『近代』からすると不思議な『生まれ変わり』の宗教観を持つチベットに対して中国政府は明確に宗教・文化弾圧をした。いや、している。
 例えばパンチェン・ラマ。詳しくはこちらを。
 (http://www.tibethouse.jp/panchen_lama/index.html
 チベット側が認定したパンチェン・ラマは、中国政府によって『行方不明』である。そして中国政府が認めたパンチェン・ラマが居る。ちょっと宗教を馬鹿にし過ぎである。
 当然、私にも『生まれ変わり』等解らない。解らないが、チベット仏教という、私にとっては違う信仰をして居られる方々がそういう信仰を持っておられるのだから、それを尊重せずして人権思想は成り立たない。
 人権思想と書くと誤解が生じるから危険なのかも知れないが、ただ単に、そういう信仰を持たれて居られる方々が居てるだけの話である。後は、その人達を自分と対等に『見ようと』するかどうかだけの話である。

 最近、身辺であった事でいうと、坊主バーに置いてあった仏像に落書きをした方が居てるという問題である。数日前にも書いたが、どう考えてもあれはスタッフの関与がなければ無理である。
 『バー』というのは様々な方が来られる。
 ちなみに『バーテンダー』の『テンダー』とは『司祭』の意味らしい。また、『自殺を思い立った人が最後に会いに行く人』であるとも。そういう誇りが『バーテンダー』にはある。飲み屋にはある。それは一人の『お客さん』を対等な水平な『同じ人間』として尊重する所から始まる。客は敏感である。また、金を払って飲みに行くのである。イヤな店など二度と『いやがらせ』以外の目的で行くわけもない。
 ちなみに坊主バー(厳密には『VOWSBAR』)には設立宣言がある。
 ネットに落ちてたのでリンク。
 (http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Orion/5766/sengen.html
 ちなみに宣言の元ネタは『三帰依文』。

 【我々は今 大阪ミナミの地に
  あらゆる人々が 水平に出遇う
  VOWS BAR(誓いの場)を設立する】
 (VOWSBAR設立宣言より)

 ちなみに坊主バーは『坊主のバー』という名の通り、基本は真宗である。真宗仏教以外は戒律で酒は禁じられているはずだし。
 真宗の本尊は『南無阿弥陀仏』本尊論はややこしいが、まあ、阿弥陀如来。
 大谷派の宗憲(宗派の憲法)では
 【第九条(本尊)本派は、阿弥陀如来一佛を本尊とする】
 とある。
 落書きされた仏像は『釈迦牟尼仏』。真宗の本尊ではない。
 真宗の本尊ではないが、違う方々の信仰対象の大切なものである。ある真言宗の僧侶は見た瞬間に合掌礼拝する対象である。

 自分にとってはどうでもイイものであっても、他者にとっては大切なもの。
 もの凄く当たり前の事なんだが、これも出来ていない事が多い。

 例えば死者ビジネスというビジネスがある。別名『ハイエナ』と呼ぶらしい。
 亡くなられた本人にとっても、亡くなられた方の近親者にとっても、亡くなられた方は大切な存在。だから、合掌礼拝する。神道でも、キリスト教でも何かしらの祈りは捧げるであろう。
 が、死者ビジネスにとっては大切な遺体も『金儲けの道具』。当然、現場には様々な方々がおられる。が、はっきりとそういう話を聞いた事もある。

 では、自分自身。
 自分自身を『どうでもイイ』という人はいない。
 よく「俺なんてどうでもイイんだよ」等と聞くし、私もいうが、あれは愛の裏返し。自分自身が自分の『思い』の期待に添えなかったが故に「俺なんてどうでもイイ」と。どうでも良くないが故に「私なんてどうでもイイ」になる。まあ、自分自身に対する期待が高過ぎるから、慢心が故なのだろうが。
 そういう意味も含めて、自分自身を『どうでもイイ』という人はいない。
 だが、自分自身ですら自分の『思い』の道具にしてしまう事と同じく、他者なら尚更の事。自分の思い通りに生きる為の道具にする。だから都合が悪くなると捨てる。

 尊敬されたら嬉しい。
 違う云い方なら「愛されたら」でも同じ。
 それが御都合主義でなく、「どんなあなたであっても」なら尚更の事。都合の良い時だけ愛される尊敬されるのでなく、「どんな時でも」なら。だから安心出来る。

 御都合主義。
 自分の『思い』にとって大切なものと、大切でないもの。
 大切なものはその名の通り大切に扱い、大切でないものはその名の通り粗末にする。

 粗末に扱われて、具体的ならイジメであったり、差別であったり、そんな事をされて嬉しい人はいないと思う。

 宗教。非常に敏感な、繊細な問題。
 例え、自分が信仰していない宗教であっても、その宗教を大切にしておられる方々がいる。自分の『思い』の外に居られる。
 自分の『思い』だけでもって、それを馬鹿にしたり、粗末にする事は決してあってはならない事。
 それは一直線に自分自身を自分の『思い』の道具に、『モノ化』してしまっている事。

 靖国神社の問題も同じ。
 元々の靖国神社は国家の為に尽くした人『だけ』を英霊として祀る宗教であった。
 真宗門徒である私は、そういう靖国神社の宗教観に同意する事は一切出来ない。
 が、しかし、同様にその宗教に対して信仰を持たれている方々も知っている。実際に行って確かめる事も出来た。
 真宗門徒である私は、人権思想を大切にしている私は、そういう人達を決して軽蔑出来ない。それは無礼である。私の信仰、思想に反する。
 後は、どちらの宗教がいいのかを選ぶ人の問題である。そこまでは関与出来ない。出来るはずもない。

 『ややこしい』という言葉に少し凝りたいのだが、正義を立てればややこしくない。相手が間違って居るだけの話である。

 昔、それこそ仏教を学び始めた当初にある長老がこんな事を仰ってた。
 ちなみに『和田先生』という。当時は信仰がなかった、つまり『先生』を『先生』として見出していなかったので『和田さん』と呼んでいたのだが、和田先生が
 「解った瞬間に、眼がトロンとして来よる。」と。
 特に、『僧侶』が居た側に向かって「あなた達の事ですよ」と。それは先生自身に対する自己批判でもあった言葉だろうが。先生自身『僧侶』であったし。
 だから、
【だいたい、この身のこの世にあるかぎり、そして一人の苦悩する者のあるかぎり、私に真の安息が保障されるはずがないのだ。そんな中で「私は救われた」と言うのなら、その「救い」は人々の苦悩の声に固く耳を閉じた、おめでたい自己満足にしかすぎぬ。それは信心という名の差別意識である。】(和田稠『終わりなき歩みを共に』218~219ページより)

 靖国神社は元々国家の為に死んで行く人を再生産する宗教であった。つまり、『御国の為』で死んでいく人達を再生産していく宗教であった。その人達を英霊と。
 私は真宗門徒である。摂取不捨、「えらばず・きらわず・みすてず」の『側』に『立とうとする』信仰を持つ。立てないが、その働きによって、具体的には直接の人との出会いによって、先輩の念仏者との出会いによって、私の都合ではなく「そっちが真実である」と。
 だから、「えらび・きらい・みすてる」事をきらう。そういう働きをするエゴとの格闘技である。

 私はこの世に生きている。様々な信仰を持たれて居られる方々と共に生きている。生きている限り、私は私の信仰で発言し続けて行く。
 それだけの話である。
 だから、映画『靖国 YASUKUNI』のホームページに書かれてある事に違和感を感じる。
 靖国神社が現在も抱えている問題の中に違う宗教の方を合祀する問題がある。それは違う宗教を認めない事に通じる。宗教という、敏感な部分を無視し、あくまでも靖国神社側だけの理屈でもって合祀している。
 それは宗教、信仰に対する侮辱である。
 同じ事を映画『靖国 YASUKUNI』のホームページに書かれてある事を通じて感じる。
 御神体はその宗教にとっての肝腎要である。だから違う宗教、考え方を持っていても、尊重しないと。

 ややこしい。
 ややこしいからこそ、水平である。

ややこしい

2008年05月18日 | 坊主の家計簿
 5月18日

 雑費  タバコ         300円
     レンタル2       400円
 食類  豚バラ         318円
     わさび漬け       218円
     アクティブダイエット3 285円
     充実野菜3       534円
     発泡酒2        214円
     もやし          29円
     冷凍さといも       98円
     ピーマン         78円
     キュウリ3        88円
     エスカップ12     628円

 合計             3187円
 5月累計          67186円

 レンタル2は
 『叫』
 『LOFT』

 え~。。。小西真奈美タンが出てる『叫』だけを観る。まさかあんな展開になるとは。。。

 明日は月曜日である。月曜日というと十三にある第七藝術劇場で映画が1000円で観れる。はずである。確か前はそうやったし。あ、『男性1000円』ね。女性は別のサービス日があるのだろう。
 映画『靖国』。毎回満杯らしい。行って入れないのもイヤだし、それ以前に立ち見もイヤ。もう暫く様子を見るか。。。ヒマになったら行こ。
 ホームページを見てたら、本願寺派の某住職さんの写真が。なんや、映画に出てはるみたいでんな。そういや確か裁判やってるとか云ってはったし。

 靖国神社。今はその辺にある寺とか神社とかと同じ一宗教法人。
 なのだが、歴史の問題もあってややこしい。

 別に靖国神社を使わなくともパレスチナの自爆テロの人達みたいに英雄として写真を市役所等に『地元の英雄』として貼ったり、市役所から出している広報誌に『地元の英雄』として紹介するだけでも靖国神社の機能は果たせると思うのだが。それを広げて国が『平和の為に戦死された英雄』として写真付きのホームページも簡単に作れるのだろうし。
 『平和の為に戦死した英雄』の再生産機能としての靖国神社は。
 仮に「フリーチベット!」の大義名分でチベットを解放しに行くとしても、北朝鮮に拉致されている人達を救出しに行くにしても。

 別に『国家の為』だけだとは限らない。『日米安保』という隠れ蓑もあるし。アメリカには『世界の警察』という意識があるのだろうし。
 日本が仮に戦争するのなら、自国だけの利権の為ではない。世界平和の為である。『世界平和』という大義名分が出る。
 今なら人権。間違いなく人権。
 人権が絶対的真理になり、人権侵害をした中国に対しての「フリーチベット!」の熱がだから危ない。
 
 人権侵害に対しての人権侵害は死刑が一番解りやすい。別にどこの国でもなく、我が日本でも今もやっている。
 死刑の時に出て来まへんか?「当たり前だ」と。「あんな殺人犯を殺すのは当たり前だ」と。
 秋田児童連続殺害事件での畠山鈴香氏に対して死刑判決が出なかった事に対して多くのマスコミは「殺せ!殺せ!」だったし。死刑判決に対してがっかりしていたムードの報道。
 死刑という人権侵害判決が出なかったから喜べばイイのに。

 同じマスコミが人権侵害を訴える。フリーチベットを煽る。中国の人権侵害を煽る。

 こういうのを御都合主義の人権という。
 で、危ない。無茶苦茶危ない。

 現実の人生はムチャ、ややこしい。他人なんてワケ解らん存在でっせ。自分自身でもワケ解らんのに(笑)
 『ややこしい』のだ。
 この『ややこしい』が標準語かどうかは知らん。よって、通じない人から質問があれば当然『ややこしい』(笑)
 そういう場合に「なんでこんな簡単な言葉すら知らんねん」といっても始まらん。単なる頑固オヤジである。まあ、実際に40過ぎたし『頑固オヤジ』を名乗ってもエエと思うのだが。

 人権。人間を軽蔑しない。尊敬する。
 それがどんな立場の人であっても。
 そこで正義を立て、それに従わない人を裁く。私の得意ジャンルである。多分、職業を間違えたぐらいに私には『裁く』『追い込む』の才能に満ちあふれている。
 でも、それはおかしい。間違って居る。
 だから、ややこしい。

 何度も書くが、女性解放団体が大峰山に登山を目的として『話し合い』に行く。
 大峰山は女性差別という人権侵害である。
 女性解放団体はそこで生活して居られる方々に対する人権侵害である。
 だから、ややこしい。

 ややこしい。何かの道を求めるが故に、いや、『道』だけでなく、『関係』を求めるが故にややこしい。
 関係があるからこそ、大峰山の人権侵害が問題になり、その逆も同じ。まあ、女性解放団体による大峰山に対する人権侵害を人権侵害として認めているかどうかは知らんが。

 人間関係はややこしい。ややこしいのが人間関係だと思う。但し、『対等』という限定を付けるが。
 対等な人間関係はややこしい。
 ややこしくないのは誰かが泣いているから。弱者が泣いているから。
 弱者が叫びを上げずに、影で泣いているから。

 『弱者』といっても関係性での中。相互関係の中。例えば『男』よりも強者の『女』もいる。
 だからややこしい。

 こういう『ややこしい』のが大事だと思う。
 自分を問うて来る『ややこしい』事。
 外部、異物。他者。虐げている存在。

 『ややこしい』事がない事。
 都合のイイ世界。
 除菌、消臭。
 清潔、健康。

 『ややこしい』の語源は『ややこ』に関係するらしい。
 『ややこ』とはガキ。赤ちゃん等のガキ。
 「ややこのように扱い難い人」みたいな事らしい。
 だから教育して、都合が良ければ優等生。都合が悪ければ不良品。

 『ややこしい』面倒な事。うっとうしい、煩わしい。
 簡単な人生ってなんやねん。
 煩わしくない人生ってなんやねん。
 聖人君子でもあるまいに。

弾圧

2008年05月17日 | 坊主の家計簿
 5月17日

 外食  回転寿司       682円
 食類  弁当         200円
     焼き鯖         99円
     ひじき         69円
     もずく        119円

 合計            1169円
 5月累計         63999円

 DVD『世界最速のインディアン』を観る。結構エエでっせ。

 
 気になるニュース(?)を発見。
 http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080514/trd0805140037000-n1.htm
 

 【「同じ仏教者への弾圧」を理由に、聖火リレーの出発地を返上した善光寺の決断は、傑出かつ例外的。日頃、中国とのパイプを強調している宗派や教団ほど中国政府との関係を気遣い、無関係を装っています。いつも声高に叫んでいる不殺生、非暴力、対話といった精神は、チベットには関係ないのでしょうか。】(上記リンクより)

 どうやらネットでの『産経ニュース』らしい。
 記事内にもあるが、決して無関係ではない。よって『無関係を装っている』とは事実無根である。まあ、これは表現の問題であって、表現したい事はきっと『煽りたい』のだろう。

 下にYouTubeの動画を貼っておくが、善光寺が聖火リレーの出発地を返上した時のコメントに「約一日100件を越える電話があった」らしい。その内容は「支持するというか『どうぞ公にやるべき』という意見は全くなかった」らしい。
 
 言葉は悪いが、こういうのを『圧力』と云う。
 ただ、圧力があっても前にも書いたが善光寺が聖火リレーの出発地を辞めた事は評価出来るし、聖火リレー当日に今回のチベットでの『事件』でもって亡くなられたチベット側、中国側、両者の法要を務めた事は評価する。それは当然変わらん。
 が、圧力があった事も事実である。

 この『2008.5.14 00:35』のMSNを通じての『産経ニュース』は苦言である。善光寺に対しては評価しいているから、まあ、『善光寺以外の日本の仏教界』に対する批判である。
 私も善光寺以外の日本の仏教界に身を置く人間である。
 よって、こういう批判に耳は貸すが、受け入れる事等出来るわけがない。

 ちなみに私は下っ端なので中国との関係等一切ない。まあ、ラーメンが好きなくらいだな(笑)ユニクロもか(笑)
 左派に関してはかなり批判的である。同様に右派に対してもだが。つまり特定の左派セクトに入っている事もない。
 上記で引っ張った言葉に『不殺生、非暴力、対話といった精神』とあるが、私はこのニュース(?)に対して感じるのは、いや、「フリーチベット!」に関わる一部の人達に関して感じるのは『殺生』『暴力』『対話の欠如』である。正義を振り回す危険性である。正義が、正義こそが殺し、差別する根本であると私は感じるからだ。

 まあ、こういう報道に煽られる仏教教団はないと思うが、煽られて屈服したら終わりやな。単に世間に迎合するだけの話。

 もの凄く当たり前の事なのだが、地味に抗議をしておられる方々もいる。圧力等ではなく、それぞれの問題意識の中で。
 また、多くの教団が参加している全日本仏教会も声明文や要請文を出している。またハガキを送ろうというアピールもしている。
 当然、上記リンクの記事を書いた人もそれくらい知っていると思われる。
 だが、不満なのかよく知らないが、『沈黙』であるらしい。
 多分、言いなりにならない限り『沈黙』なんだろう。そんな事を受け入れる筋合いなど一切ない。

 世間の流れに『信仰』を売り渡す、迎合する事をする必要等一切ない。
 そんな事が出来るはずもない。