坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

『僧侶』批判

2011年09月29日 | 坊主の家計簿
 月末。「て、てらの通信が。。。」と毎月の事なんだが。でも、イマイチ、テンションが上がらない。もっと言うと、他の事に対するやる気も起らん。布団の中でゲーム三昧で一週間ぐらい過ごしたい気分なんだが、そういうワケにも行かない。娑婆を生きているのだから、娑婆の事は娑婆でケリをつけれなければならない。まあ、適当にしか出来ないのだが。

 何やら『秋バテ』という言葉があるそうな。夏の疲れを引きずったまま急に冷え込んで来た事によって体調を崩す。え~。。。そういえば、体調を崩している人も結構いるし。きっとこの事も「それは放射能被曝のせいだ!」なんぞと言いたがる人も居ているのだろう。「はあ?」なんだが、でもまあ、今年は大震災があって、放射能汚染の話が続いていて、緊張感なんぞそれ程持たないので、震災&原発事故のストレスが普段の生活に上乗せ状態なので、当然、体調を崩す人も多いだろう。んなもん、しゃーない。

 原発事故で『放射能だけ』を騒いでいる人に対してある人が、「こりゃ、年間3万人も自殺者が出るわ」なんぞと愚痴っておられた。精神面を無視してどないしまんねん。『放射能も』でなく『放射能だけ』ってなぁ。。。まあ、あれも原発事故でのショックからなのかも知らんが。出来れば日頃から人間の弱さ、精神面を無視しているとは思いたくない。『放射能だけ』って、原発事故の矮小化だと思うのだが。ったく。

 ここ数日、戒名について会話する機会があった。え~。。。真宗には『戒名』はありません。ですから基本(地域差や寺の事情もあるかも知れんから『基本』)『戒名料』などは不要。なので『真宗以外』の話なので事情は知らない。知らないが、戒名料に不満だったら戒名をつけて貰わない、その宗派で葬儀をやる必要もないと思うのだが。戒名料に対する不満は、要するに「その宗派を信仰してません」なんだろうし。『宗派』というと広げ過ぎだったら、「その僧侶(寺院)」でもエエかも知れん。
 挙げ句に「戒名を自分でつける」。え~。。。それは『戒名』でなく、『戒名みたいなもの』でしかないのではないのか?戒を授けて下さるから『戒名』なんだろうし、自分で勝手に名告るのであれば、それは戒名ではない。

 宗祖親鸞聖人の本名(?)は愚禿釈親鸞。まあ、『愚禿釈の鸞』『愚禿鸞』だったりもするのだろうが。坊さんの名前(?)を奪われて、自ら名告った。俗名は藤井善信。
 え~。。。どうでもエエのだが、親鸞が歯医者とかに行って「藤井さーん!」と呼ばれた場合はどうしてたのだろうか?あ、すいまへん。全くどうでもエエ話です。「歯石取りたいよぉ。。。」と御近所歯医者を探していたので。

 私は釈学生。

 昨日、法要の為に衣装を着替えていたら、「あれ?これも破れてたんけ!」と。色衣のヒダヒダ部分の上が少し破れていた。目立たなかったので気づかなかった。替えがあるので、次に街に出た時の色衣と同じ色の糸を探して来ないと。
 数日前も袈裟&衣の修理。衣は黒だけだったし、袈裟は裏側なので同じ様な色の糸で良かったんだが、色衣の裾は目立つし。

 同じ真宗門徒の中でも私は『僧侶』であったりする。違いは法衣を着るか着ないかだけの話だったりして(笑)

 法衣を着る僧侶になる、あ、当然、真宗教団限定なんだが、これは勘違いする。勘違いし易い環境に居ているわけだし、ホンマ、勘違いする。
 つい最近の具体例ならば、とある初めて行った葬儀会館で葬儀をした時に、あ、通夜だったのだが、通夜が終わる。通夜が終わって衣装を畳まなければならない。私は通夜の時には黒い衣のヒダヒダがいっぱい付いたのを来ているのだが、これを畳むのに私は少々時間がかかる。「まあ、通夜も終わったし♪」と、帰ってやらないといけない事がいっぱいあったのだが、それ以前に疲れているし、ゆっくりと衣を畳んでいた。で、帰ろうとすると、控え室の外でずっと葬儀会館の職員さんが見送りの為に待ってて呉れた。「え?ごめんなさい、ごめんなさい。どんくさいから衣を畳むのに時間がかかってしまって、ごめんなさいね」だったのだが、俺、客違うし。感覚的には『葬儀スタッフの一員』なんだが。
 
 僧侶になった時、得度した時に嬉しかった。素朴に嬉しかった。釈学生という名前も貰った(自分で考えたのだが)し、ツルツル頭。

 先日、呑んでたらオカンより電話。店の外に出てかけ直したら、何やら先日亡くなった叔父さんの満中陰法要が終わったらしい。「知らせてくれよなぁ。。。」と思ったのだが、バタバタしてたし、「連絡してくれ」と頼むのを忘れていたし。
 葬儀&満中陰に来た住職さんは、私も御世話になっている先輩。何やら2時間ぐらい法事をしていたらしい。「あの先輩らしいなぁ~」と思いつつ。つーか、だったら尚更法話を聞きたかったのだが。まあ、次回という事で。
 通夜では多くの親戚達と久々の再会。「マー坊君?」と呼ばれつつ、坊さんの格好。同じ真宗門徒の中の坊さんの格好。面白いもので自慢したがる私が居た。儀式を執行するわけでもない。でも坊さんルックで出かけて、衣を着ている=僧侶である事を自慢したがる私が居た。
 当然、『馬子にも衣装(差別用語だが)』的な意味もある。親戚に対する「ほらほら見て!」というのもあるが、それ以外にも自慢したがる私が居た。

 私は釈学生で、宗祖親鸞聖人は『釈』の前に『愚禿』が付く。

 『釈』だけの『僧侶』と、『愚禿釈』という『真宗門徒』

【「除霊」で中2娘死なす 傷害致死容疑、父と僧侶逮捕】
 http://www.asahi.com/national/update/0927/SEB201109270003.html

 この事件に『間違い』はない。父親も僧侶も、亡くなられた娘さんの病気を治したいという一心だったと思う。なので傷害致死ではなく、業務上過失致死でないのか?と思ったりもする。


 『僧侶』の問題。


【経典を読誦してもらう側にとってみれば、自分達が経典を読誦するよりは、専門家である方々が経典を読誦した方がより多くの利他を引きだしうるはずだというところにたっているかと思います。そのための布施と供養なのです。そうすると、利他を引き出すということに直接関わる者が専門家であるなら、専門家は回向利益という構造において民衆を支配することが非常に容易だという面がでてまいります。「お布施が安いとうかばれんぞ」、というのは完全に支配です。宗教に専門的に関わっているものがもつところの支配権です。
 そういう点でいえば「余道に事うる」とか「天を拝す」とか「鬼神を祀る」というような問題も、個人だけの目で見れば、そうとやかく問題にならないかと思うんですけど、鬼神を祀るにしろ、天を拝するにしろ、それぞれの専門家の存在があるということです。その専門家への布施によって、その行為は成り立っている。より多くの利他を引き出すために専門家がある。その専門家に布施供養することによって、そこから利益を引きだすという宗教構造だろうと思います。そうすると、専門外の人々は布施をすることで、先ほど言いました収奪の問題、専門家のあり方次第によってはどんな利益がでてくるかという、そういう支配される関係を結ばざるをえません。そして、その宗教が回向利益という構造にある場合は、収奪・支配の関係をまぬがれません。】(平野修『鬼神からの解放』上巻P81~82より)

【法然は回向を必要とし、それによって利益を引きだしていくような宗教構造全体を切られたわけです。それが不回向です。我われの方からの回向というあり方を切られた。それは教理的にも大きな問題がありますし、同時に民衆のあり方、専門家のあり方まで変えるものだったのです。ですから、回向・不回向という対立する、この表現はすさまじいものであったと考えます。民衆のあり方や、専門家のあり方まで変えるのに十分な力をもっている。それが法然のはたされた思想的な一大事業であったかと思います。回向・不回向という違いをたてられたところに法然の事業があったといえます。
 そういうことを親鸞は「化身土」ということで問題にされています。そして、具体的にはあらゆる宗教は利他を表し、それが化身として実体化されることで回向の宗教は成立するとみられます。そして、化身である限り、回向ということが必要とされる。そこにそれを専門にする者と民衆という図式ができあがる。また、それが化身である限りにおいては、民衆と専門家の間には収奪の関係、同時に支配の関係が必然的についてまわる。
 このように化身(利他性)、利益の構造を基礎づける、民衆からの回向を必要としないといった場合において、なお回向ということがありうるなら、それは如来からの回向にほかならないと親鸞は捉えます。】(平野修『鬼神からの解放』上巻P83~84より)

【正直にいって我々の教団は、仏教の力を借りることにより、人間が人間を教育できるもののように錯覚し、それで人を教化しようとしてきたのでありますし、しかもそれによって教団自身のエゴイズムを満たそうとし、あるいは教団の命脈を保とうとしてきたといわなければならぬものがあるのであります。そしてその結果が、今日の教団に見られるような、はなはだしい生命力の枯渇の事実であります。】(信国淳『呼応の教育』 信国淳選集第四巻P7より)

【こうして我々のブラザー・システムは、教える者と教えられる者という、教えにおける人間の二者対立的な関係を絶対にゆるすことのない、仏の人間教育そのものに相応しようとするシステムであります。】(信国淳『呼応の教育』 信国淳選集第四巻P17より)

【大谷派教団では、門首制と、「門徒はすべて帰敬式を受けて」という、この二つが新しい宗憲の柱なのです。「門徒はすべて帰敬式を受けよう」、ということは、本当に画期的な意味をもつわけです。(中略)
 私は直接確かめてはいないのですが、大谷派の参議会から声が挙がって、「百万人帰敬式運動」ということが始まっているというのです。百万人の門徒の人が帰敬式を受けられたら、日本は変わるでしょう。門徒の人たちの声が上がって、百万人帰敬式運動が始まるということであれば、すばらしいことです。そうすると、住職さんは段々と仕事がなくなるかもしれません。「逮夜参りはもう結構です、私たちでお内仏のお勤めをします」ということになるのではないでしょうか。本来そういうことだったのが門徒の行儀なのです。
 門徒の行儀として蓮如上人の時からずっと大事に伝統されたのが、在家勤行なのです。お内仏の前で、家族そろって毎日朝夕の勤行をしていたのです。生活にまでなっていくわけです。聞法が一つの生活を作り出すというのが、お内仏のお勤めということです。これは門徒の行儀なのです。しかし、それが江戸時代以来の檀家制度の中で崩れていったのです。
 それが、今度、「門徒はすべて帰敬式を受けて欲しい」として、百万人帰敬式運動ということが始まっていくというのは、これは本当に宗門が再生していくチャンスです。】(竹中智秀『浄土を本国としてこの世を生きる』P143~145より)

【この(大谷派宗憲)9章の問題は、『僧侶』と『門徒』と規定されていますね。僕は『門徒』と云う言葉には、いわゆる広義な意味で(広い意味で)『僧侶』も含んだ内容に置いて全部が『門徒』である、という考えと、それから『在家門徒』だけが『門徒』である、という表現があると思うんです。それは二つあってもいいんですけども、今度の宗憲の中に「門徒とは」「僧侶とは」と云う事を明確に分けてしまっていいのかどうか?やはり今までの『法主』を『門首』と改めている以上、基本的には『門首』『門徒』そういうのを含めて門徒、という形が望ましいのではないのかと?しかるに宗憲の中に「僧侶は僧侶」「門徒は門徒」と、いう別な規定というか制約が書いてあります。そうすると広い意味での『門徒』と云う意味があったのに、いわゆる宗憲の中で定義付けてしまって、それが大変な権威に成ってしまって、将来『僧侶』『門徒』とはこういうものだ、という方向に行ってしまうのではないかと。それが本当に同朋教団としての真宗なのか。だからこういう言葉を使っていいのか知れないけども、宗祖の精神に帰るという事であるならば『門徒』というのは、『僧侶』も『在家門徒』も含めて『門徒』であるという言葉の方がいいのではないかと申しあげて来たのです。】(某学習会で講師の先生がある門徒さんの言葉を紹介した聞き書きより)


 曹洞宗の僧侶には曹洞宗の僧侶の厳しさがあるのだろう。だから「妻帯を認めているのはオカシイ!」という厳しい批判もあったりするのだろう。
 でも、私は真宗大谷派の『僧侶』である。『僧侶』から『愚禿釈』という『真宗門徒』に還らなければならない。


 娘はアンパンマンに出て来る『あかちゃんまん』に夢中である。今日はママに作ってもらった『あかちゃんまん』の首から下げる顔だけの人形で大喜び。YouTubeの『あかちゃんまん』にも夢中。
 パパはふと思う。「ひょっとして『あかちゃんまん』がヒーローなのか?」と。自分と同じ『あかちゃん』でありながら、力持ちで空も飛べる『あかちゃんまん』。多分、色んな事が出来なくてもどかしいであろう娘。爪もまだ自分では切れない。

 最近見つけた禅僧・澤木興道の言葉
【自分で自分を「みくびる」ことが無いようでは、信仰も懺悔もない。】(http://twitter.com/#!/asakatsuzen/status/118639624049541120

 そんな苦悩をしつつ、『みくびる事』を当然とせずに、しっかりと『煩悩』と判断する為に

【屁ひとつだって人と貸し借りできんやないか。みな「自己」を生きねばならぬ。お前とわしとどちらが器量がいいか悪いか、そんなこと比べてみんかてええんじゃ。】(澤木興道http://twitter.com/#!/asakatsuzen/status/118624510160277504

 という様な真実から流れる御教えの言葉に出会って貰いたい。

ナマケモノ

2011年09月26日 | 坊主の家計簿
 ちょいバタバタ。今も内職中(?)です。

 昨日は学習会。しかしながら二日酔いで胃がパンク。酒は抜けているのだが、見事に食欲なく、吐き気も残る。疲れも溜っていて「辞め!」だったのだが、受取りに行かなければならない荷物があって、とりあえず出かける。
 アカン、アカン、っちゅうねん。しんどくてイヤになって、プチ・パニックだったのだが、まあ、用事が済んだのでとっとと帰る。

 昨日、土曜日の野球(阪神)はデイゲームだったらしく、珍しく野球中継がない。AMラジオでは「変な動物」みたいなコーナーもやってた。
 え~。。。ナマケモノって、一日20時間も寝るのね。20時間って、起きてるのが4時間やんけ。どんな人生やねん、って、まあ、大きな御世話だ。ついでに調べると、一日8グラムの植物しか食べないみたいなのね。似た様なコアラが500グラムぐらい食べるらしく、ナマケモノって、おい(笑)最早『動物』というよりも『植物』と呼んだ方が良さそうな気もするのだが、これも大きな御世話だな。ナマケモノはナマケモノなんだし、「テメーのレッテルに縛られて生きる筋合いなんてねえんだよ」と、まあ、ナマケモノなので言わないと思うが(面倒だろうし)、まあ、大きな御世話である事には違いない。
 ナマケモノに憧れるグループ(http://www.sloth.gr.jp/aboutus/aboutus_top.html)もあったりするみたいだが、あれだってナマケモノにしてみれば「なんだかなぁ。。。」と言いつつ、頭をポリポリしているに違いない。あ、しないか。頭をかくと体力使うし、面倒だろうし。
 まあ、何にしても変な生き物だ。大きな御世話だろうが。

 何やら曹洞宗の坊さんが曹洞宗に対して「僧侶が妻帯しているのはオカシイやんけ!」みたいな感じで訴訟を起こしたらしい。が、却下されたらしいが。

【僧侶の結婚、口出し出来ぬ…永平寺訴訟で地裁】
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110923-OYT1T00196.htm

 特定の宗教法人内部の事に対して、その事柄が犯罪行為にあたらない限り国家が口出し出来るわけがない。やったら弾圧だし、とんでもない事。
 んな事は訴えた僧侶も散々解っているだろうが、きっと『僧侶の妻帯』という事を議論(問題提起)したかったのかも知れない。

 真宗教団が妻帯しているのは

【念仏のさまたげにきっとなりそうであるならば、どんなものでも、あらゆるものを嫌い捨てて、これをおやめなさい。いうなれば、聖の生活をしていて、念仏が申されないならば、妻をめとって申しなさい。妻をめとって申されないならば、聖の生活をして申しなさい。一つところに定住して申されないならば、遍歴して申しなさい。遍歴して申されないならば、家に住んで申しなさい。自分の力で衣食を調えて申されないならば、他人に助けられて申しなさい。他人に助けられて申されないならば、自分で衣食を調えて申しなさい。自分だけで申されないならば、仲間と一緒に申しなさい。一緒に行動して申されないならば、一人だけで籠って申しなさい。】(法然上人)

 が、端的か。「本願の念仏だからです」とテストなら書きたい所であるが、テストちゃうし。
 では、曹洞宗で妻帯が問題になるような厳しさが、真宗教団にないのか?

【いかにも私どもの生活は、完全に浄土を見失った生活と言わねばなりません。めいめいが自力各別のこころで自分の思いをかきたてることに精根を費やし、その自分の思いの通ることを求め、自分の思いが通らなければ敗残者、人生の落伍者であるかのような烙印を押すことに憂き身をやつしてきたのが、この半世紀にわたる私どものすがたであったのではないでしょうか。】(狐野秀存『願生150号』より)

 その厳しさは曹洞禅の厳しさとは別の厳しさである。
 曹洞宗で妻帯を問題提起した僧侶の方がどういう思いなのかは知らないが、やはり『世間』に対する問題があるのでは?と、勝手に想像する。妻帯は世間の常識(?)であっても、曹洞禅としてはどうなのだ?戒律としてどうなのだ?と。そういう問題提起ではなかったのでは?と。

 真宗には真宗の厳しさがあり、それが『真宗僧侶』になると、世間からは他宗の僧侶と同じ判断基準で見られる事が多い。私は『職業的メリット』という一番下衆な理由から丸坊主にしているが、まあ、『世間ウケ』である。いつか丸坊主を卒業したいのだが、え~。。。無理か。住職を引退したらもういっぺん髪の毛をツンツンにしよ。残っているかどうか知らないが。
 下衆な理由で丸坊主にしている理由は、純粋に仕事である。寺だけでは無理だし。他からの依頼を引き受ける場合に丸坊主の方がウケが良い。他宗の僧侶とは全く正反対の動機で丸坊主にしている。プライドでメシは喰えん。
 だが、同じ丸坊主にしている理由が「僧侶だから当然」というのならば、それは真宗仏教としてはどうよ。また、『世間が期待する僧侶像』に合わして行くのもどうよ。戦争になったらどうするのだ?時代に応える、その時代の求められる僧侶像に迎合して行くのって、どうよ。

 先に引用した狐野先生の文章は(講義録だが)

【まことに我々は、我々自身の生活を顧みます時、それは完全に浄土を見失った生活であることを認めなければなりません。】(新編・信国淳選集『呼応の教育』三三頁)

 という文章から始まる。
 この『認める』という『強さ(信頼)』が大事ではないかと。
 
 世間虚仮、唯仏是真ならば、世間で生きている私は虚仮である。そら、生活しなければならない。娘を育てなければならない。その為には何だってする。多くの生活者と何ら、全く変わりない。

 ナマケモノは他人からの判断では『ナマケモノ』と名付けられた。大きな御世話である。
 ナマケモノにはナマケモノの生活がある。ただ、それだけの話である。



 【まどみちお『ぼくが ここに』】

  ぼくが ここに いるとき
  ほかの どんなものも
  ぼくに かさなって
  ここに いることは できない

  もしも ゾウが ここに いるならば
  そのゾウだけ

  マメが いるならば
  その一つぶの マメだけ
  しか ここに いることは できない

  ああ このちきゅうの うえでは
  こんなに だいじに
  まもられているのだ
  どんなものが どんなところに
  いるときにも

  その「いること」こそが
  なににも まして
  すばらしいこと として



 地味に娘の為の内職(?)も終了。
 あ、厳密には『娘の為』という私の為。娘の笑顔を見たいのは私だし。

のり弁

2011年09月20日 | 坊主の家計簿
 涼しい。。。夜になって雨が降って、今は雨が上がっているのだが、いきなり涼しいぞ。
 という事で、少しクールになってみたりする。

 「ふっ、寝るぜ」

 って、どこがクールなんだろうか?自分で書いててもよく解らんぞ。

 昨日、仕事が終わってヘロヘロだったので、帰宅して晩御飯食べて歯磨きして速攻寝る。あ、厳密には嘘である。娘が寝てくれない事にはパパは寝れない。珍しく早く布団の上に上がり込んでいるパパを見て、夏風邪なのか咳き込みながら体調不良の娘が「ゴロンゴロン」と言いながらパパとママの間をゴロンゴロン。挙げ句に団扇を持ち出して来て「これを持て」と。何の意味があるのか知らないが。かなりヘロヘロだったパパは団扇を持つと気分が落着いてそのまま寝てしまう。

 早朝(個人的)に目が覚めて「どうしようかな?起きようかな?もう一度寝れるかな?」と迷いつつ、メールチェックをしてなかったのでパソコンを立ち上げる。ついでに遊んでたら行く予定だった銭湯の朝風呂に行っている時間がなくなってしまった。ヒマだった仕事が終わって午前中は銭湯三昧。

 娘の体調が悪化して娘の隣で昼寝しようと思っていたのだが、なんじゃかんじゃで昼寝出来ず。

 という事で、眠いです。

 あ、さっき『のんちゃんのり弁』というDVDを観ました。小西真奈美主演です。変わらず芝居が下手でしたが、ほんの少しだけイイ映画でした。ほんの少し程度です。『ほんの少し』という言葉がピッタリな映画だと思います。でも、その『ほんの少し』という事が、どれだけ大変で、かつ、どれだけ貴重な事なのか。そんな映画でした。

君が僕を知ってる

2011年09月17日 | 坊主の家計簿
 仕事の連絡待ちの間に昨日借りた『SP革命篇(http://sp-movie.com/index.html))を観る。

 あ、「傲慢かましてよかですか」。つーか、これ、懐かしいなぁ~。。。つーか、まだやっているのか?知らんのだが。
 ふっふっふっふ。。。ブルーレイを買うぜ。ブルーレイでっせ、ブルーレイ。DVDプレイヤーでもエエのだが、ここはブルーレイである。純粋に「パソコンでなく、リビングでDVDを観たいよぉ~!」という事で。アンパンマンの映画だってツタヤには置いてある。つーか、ベネッセから『しまじろう』のDVDも送られて来ている。しかしながら、パソコンはパソコン机に置いてあり、ママのパソコンは画面の端が「もう、勘弁して下さい。。。」状態であり、パパが以前使っていたノートパソコンは画面が小さ過ぎる。
 贅沢は敵である。戦時中に叩き込まれたその概念は戦後の今も私の中に確かに生きているのであり、ああ、あのモンペを履いて学校でやったバケツリレー。隣が好きな女の子だったら胸がときめいたバケツリレー。。。しかし、私はブルーレイレコーダーを買おうとしている。戦時中なら「貴様はこの戦争をなんと心得ているのか!非国民め!!!」と、特高警察以前に隣組より糾弾された事間違いなしの行為である。しかしブルーレイ~♪である。だって、ずっと欲しかったんだし~♪
 狙っているのは、テレビと同じ東芝レクザのブルーレイ。38000円のポイント10%ぐらいだった。

 ♪母さんが夜なべをして手袋編んでくれた~

 「コホ!コホ!コホ!すまないねぇ~。私の身体がもう少し強ければお前にそんな苦労をさせなくて済んだのに。。。」

 ん?何の話やったっけ?

 『SP革命篇』。パソコンでしかDVDを観れないし、かつ、観れる時間も限られているので、久々のDVD。まあ、レンタル代が勿体なかった、という経済的理由もあったりするのだが。
 なので、久々の映画でもある。テレビドラマをほぼ観なかったりもする。なので、まるで産まれて初めて映画を観たような「映画って、スゲー!」「役者ってスゲー!」と。だって、完全な作り物にも関わらず、その世界に引きずり込まれて行くわけですし。岡田准一がSPに見えるわけですし。「うわ、この人、芝居が上手いわ」とかではなく、もう、素朴に騙されるわけでんな。その世界に引きずり込まれて。

 ドキュメント番組を『撮影する側』にはなった事はないが、『撮影される側』にはなった事がある。数本。10代後半の時に。その時に感じたのだが、「なんで?」である。『当然』といえば、当然なのかも知れないが、『ドキュメント』って、番組の監督、ん?ディレクターなのか、プロデューサーなのか知らないが、その主観で撮影しているのね。その主観が、私の主観と違えば、私は「なんで?」になる。テレビ番組としては『テレビ番組』として仕上げなければならない。
 ドキュメント映画には出た事がない。出る機会はあったのだが、え~。。。「仕事、仕事」という事で出れなかった。世界的にも有名らしい小川紳介の映画。ちなみにこれ

 http://www.athenee.net/culturalcenter/database/title/title_k/ki/kyotooni.html
 
 出てたらもっと自慢出来てたのになぁ。。。
 そういえば、自分が出てたテレビドキュメントを録画したビデオも消えてもうたのぉ。。。純粋に『捨てた』のだが。引越が多かったし、「過去は過去。俺様は今からだぜ!」と、若かりし日々。ああ、『おしゃべり回想法』(http://www.facebook.com/event.php?eid=258616597504816
 オッチャンわなぁ、オッチャンわなぁ。。。(涙)まあ、エエわ(笑)

 何が言いたいかというと『主観を離れる事なんぞ出来まへん』である。特に『テレビ』『映画』。あ、ドキュメントのルポであっても。あくまでも主観でしかない。
 主観は主観であって、それは事実ではない。あくまでも『その人から観た事実』でしかない。
 んじゃ?「事実って何よ?」って、『主観でしか物事を観れない』という事が事実だったりするのでは?

 


 

かけがえない存在

2011年09月16日 | 坊主の家計簿
 昼間にツタヤへ行く。『レンタル4本1000円(新作2本までOK)』という事だったので。
 久々のツタヤはナカナカ楽しい。「お!こんな映画もあるねんや」とか、多くのテーマに想いを馳せつつ店内ウロウロ。え~。。。カード忘れてやんの(笑)一度帰宅してからレンタル。
 
 ツタヤでウロウロし過ぎたので「DVDを観る前に事務作業しないと」という事で、事務作業。永代経法要の案内作り。
 案内は簡単に出来るのだが、テーマで迷った。一応、案内には何かの言葉を書くのだが、読むだけで脳味噌が痛くなる難しい言葉はイヤだし。
 で、結構迷って、今年のテーマは


  愛されている人間は
  役に立たなくても
  かけがえない
 ( V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』より)


 という事で。
 この言葉と、先祖供養について来月の寺の通信に書けば通信作りも楽である。

 案内作りが終わって少し仮眠しようと思ったのだが、失敗。昨日もなんだがリビングで晩御飯を食べて爆睡。起きてDVDを観ようかと思ったのだが、見終わった後から飲み始めると二日酔い決定なので、ネットで遊ぶ。書きたい事もあったし。

 昨日に引き続き『奇形児』。

 池田香代子という人が居る。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/池田香代子

 ツイッターでどういう経由で知ったのか憶えていないが、ん?ソウルフラワーからだったかな?『歌う運動家』の渾名を持つ中川率いるソウルフラワー。まあ、イイや。

 池田香代子は、まあ、運動家。なのでツイッターを読んでても一貫として反原発の立場からしっかりとした意見を流していて下さった。
 『運動家』なので、反原発もやるが、反原発だけではない。なので、最近は放射能汚染で「奇形児が産まれるぞ!」と、『奇形児』に対する差別にも明確に反対して居られる。
 どうでもエエのだが、反原発のジャンヌ・ダルクは池田香代子ではないのか?まあ、『世界○○のジャンヌ・ダルク認定委員会』の年齢制限に引っかかる気もするし、それ以前に『○○のジャンヌ・ダルク』というのは、『オンナコドモ』に対する差別意識なんだが。
 まあ、『オンナコドモ』抜きにして、今現在の日本で一番しっかりとした反原発に関する意見をツイッター上で流している人だと思う。
 当然、『反原発だけ』ではない。この辺は池田香代子と意見が違うのかも知れないが、『女性差別だけ』を問題にする事が、その土地に居ている人達に対する差別になっている場合もある。あ、源淳子は洞川温泉の人達に「台風での被害、大丈夫でしたか?」という電話の一本でも入れたのかな?まあ、別に入れてなくてもイイのだが、心配する気持ちぐらいあってもエエと思うぞ。仮に『敵』であっても。
 一応、大した被害はなかったらしい。(http://www.dorogawaonsen.jp/?itemid=83

 あ、で、

【「推進派はやらせメールとかさんざんズルしてるけど、だからって反原発派もズルしていいってことにはならないというのが、僕の『チェルノブイリ・ハート』への感想なんだけどね」(鎌田實さんきのう電話で)】
 (http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/110557675758174209

 という池田香代子の呟き(ツイッター)。

 まあ、鎌田實(http://ja.wikipedia.org/wiki/鎌田實)も池田香代子も、一部の反原発の人からは『御用学者』に似たレッテルを貼られているのかも知れないが(笑)ひょっとすると『原発マフィアの一員』で『原発推進派』のレッテルを貼られているのかも知れない(笑)

 『奇形児』は成長すると『障害者』と呼ばれたりもする。まあ、『障害者』『障碍者』というのは、もっと大きな枠組みなのかも知らんが。
 『障害者』の親の気持ち、本人の気持ち、当然、多々、様々な、一人一人の意見は違うが、まあ、諸々の付き合いもあったりする。
 で、こういう差別の問題は生身で生きている人が居ているので、非常にデリケートな問題だったりする。何の差別に対してもそうなのだが。

 ちなみに『天皇』だって差別されている。『差別』は上下の問題であって、松本治一郎が『貴族あればあり』なんぞと。『健常者』が居ているから『障害者』が居ているわけでんな。なので、昨日引用した

【死産にならずに奇形児で産まれるというのは奇跡的な出来事なのです。】
http://d.hatena.ne.jp/AMOKN/20110422

 という言葉は、まあ、差別発言なのだ。ただ、『気持ち』の問題、例えば、「女だから素晴らしい」「障害者だから素晴らしい」というのは、癒しにはなる。癒しからの力にはなる。だから、実際に『奇形児』を産んだ親に対しての『仮(方便)』としての言葉ならば『死産にならずに奇形児で産まれるというのは奇跡的な出来事なのです。』という言葉は輝きを持つ言葉だが、同時に危ない。基本は差別意識だし、選民思想である。『誰もが等しく平等である』というのが基本でないと危ない。ただ、現状は平等でない社会(娑婆)なので、平等(浄土)に向けて社会(娑婆)を歩んで行くだけの話である。平等の世界(浄土)には『障害者だから劣っている』だとか『女だから劣っている』という概念はない。
 誰もが平等であるならば、当然、『天皇』と呼ばれる人が特別な存在であるわけもない。

 え~。。。リビング爆睡後なので、非常にダラダラと書いています。ようやく本題(笑)

 今日、面白いホームページを発見した。その中で「おお!」という情報。

【先天異常(奇形とか代謝等の機能異常)を持って生まれてくる新生児は100人中4人とされています。2年前は500人に1人とされていた日本の統計ですが、3年経っただけで増加しました。女性出産率が低下している中、増加って、、? 何故ならば、前のページにURLを貼り付けた約9000の症例中、日本で判断していなかった事例について、改めて追加されたからです。】(http://www.geocities.jp/musume2go/2006kakuritu.html

 書かれた御本人はどうやら専門の医師ではなさそうだが、御自身が『奇形児』と呼ばれていたらしい。

 http://musume2go.at.webry.info/200509/article_1.html
 http://www.geocities.jp/musume2go/kikeiji.html

 この数字のトリックって、凄いなぁ~、と。データーの元になる事を無始すれば、日本は2年間で爆発的に増えた事になる。データー上では。そのデーターだけを使って色んな妄想も出来る。まあ、実際は判断基準が厳しくなっただけらしいのだが。

 『健康』に対する意識が強くなれば病気は増える。メタボって何?(笑)
 『健全』に対する意識が強気なれば『不良』は増える。『引き蘢り』を追い込む。

 放射能汚染と『奇形児』の関係は証明されていない。ただ、不安にならざるを得ない状況下での『奇形児』の%は増えているのかも知れない。戦争や原発事故等も含めて。不安にならざるを得ない状況下なんだろうし、生活も乱れざるを得ない→母体環境が悪い。
 一部の反原発の人達の中で「放射能汚染で奇形児が増える!」と、『奇形児』を問題にするのならば、不確かな情報でもって妊婦を不安に追い込む事は『奇形児』が増える事にならないか?それとも、『奇形児』は『放射能汚染だけ』で産まれると思っているのか?一体、何が心配なのだ?『奇形児』が産まれてくる事が心配なのか?そうとは思えないのだが。
 単に、自分が放射能汚染が不安で不安でたまらなくて、それを『奇形児』に結びつけているだけの話ではないのか?結びつけて『奇形児』に対する差別を助長しているだけの話ではないのか?
 あるいは、運動の中で『奇形児』を利用しているだけの話ではないのか?

 『役に立つ』『役に立たない』とは、『世の中』の話。
 そうではなく

  愛されている人間は
  役に立たなくても
  かけがえない
 ( V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』より)

 という観点は大事なのではないのか?
 『御先祖』も含めた、様々な『御縁』。

思い込み

2011年09月15日 | 坊主の家計簿
 『やりすぎコージー』が打ち切りになった。テレビ欄を見てたら『終』とあったので、「ホンマけ?」と思いつつ録画していたのをさっき見たのだが、え~。。。なんとなく本当に終りっぽい。
 「やはり、禁断のフリーメーソンをやり過ぎた事が当局の目に止まって打ち切りになったか。。。特に原発事故以降『石油→ロックフェラー』『ウラン→ロスチャイルド』の話が一般的になり、それこそミナミのロックバーでも普通の会話内容になって来たわけだし。。。そこまでの影響を与えたのは、やはり『やりすぎコージーの都市伝説』の影響は大きいわけなんだし。。。
 などと勝手に妄想。ちなみに『石油→ロックフェラー。ウラン→ロスチャイルド』というメジャーな陰謀論を話してた相手も陰謀論好きの人なので、まあ、一般会話ではないか(笑) やりすぎ都市伝説でも、せっかくやしそこまでやればエエのに。「日本海のあるメタンハイドレートの調査が遅れているのはロックフェラーの陰謀だ!」とか(笑)

 今日、『やりすぎコージー』の打ち切りを知った時に、「紳助の穴埋めの影響か?」と思った。いや、紳助の穴埋めの有力候補の名前の中に、今田東野の名前もネットの噂になっていたし。まあ、実際の所は解らない。

 放射能汚染での『奇形児』、え~。。。非常にイヤな言葉なんだが、『奇形児』とよく使われる言葉で書かせて頂きます。
 放射能と『奇形児』の関係というのも、まあ、色々な説があるのだろうが、ほぼ、気にしなくても良い話らしい。『しきい値』というややこしい問題もあるのだろうが、まあ、『一応』、今回の原発事故による放射線の影響で『奇形児』が産まれる可能性は『ない』らしい。諸々、調べたのだが、この病院のがエエかな?

 http://www.w-clinic-sapporo.or.jp/contents/s_m_6-42.htm

 当然、『奇形児』は放射線の影響だけでなくとも産まれて来ている。なので、非常に簡単なトリックで「放射能汚染された土地で奇形児が産まれる」というのは当然の話であって、写真なんぞを見せられて「ほら!こんなに大変な状況になるのよ」なんぞとやられたら、まあ、ひっかかる人も居ているのだろう。

 関連して調べていて、「あ!」と思ったのが、日本のお騒がせ学者の武田先生。ちなみに武田先生って、工学博士なので、被曝や放射能に関しての専門家(学者)ではなく、また、下記で紹介するような医学の専門家(学者)でもない。なんか、その辺を勘違いしているから、先日も「東北の野菜を食べたらダメ」との発言で大揉めになったのだが、まあ、某女性歌手が『羊水が腐る』発言で大揉めになったのと同じ。それぞれに専門ジャンルがあるのだし、専門的な事は専門家に聞きましょう。まあ、素人を専門家扱いしてテレビ番組で答えさす、という企画には問題があったのだろうが。
 あ、武田教授、ベトさんドクさんは枯れ葉剤の中のダイオキシンの影響ではなかった説。

 http://takedanet.com/2010/09/post_123b.html

 これは「あ!」だ。武田教授の意見には一理ある。で、私は子どもの頃から「ベトさんドクさんは米軍の枯れ葉剤の影響で、いわゆる『奇形児』になった」と信じ込んでいたし。同じく、チェルノブイリ原発事故で多くの『奇形児』が産まれた、と信じ込んでいたし。

 これも、よく解らない(調べきれない)情報だが、こういうのもある。

 http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51843204.html

 上記リンク内で書かれているように

【NHKが先天性の病気の子どもの数が増加しているとして紹介したこの赤い線は、実は汚染が非常に軽微な地域で、青い線の方が、隣合わせの汚染が重かった地域なのです。つまりこのグラフは、子どもの先天性の病気は、放射能以外と関連があることを示すひとつの証拠だったのです。】

 であるのかも知れない。

 ただ、医学なんぞといっても『想定内』みたいなものだし、先に書いた『しきい値』の問題もあったりして、非常にややこしかったりするのだろうが、どちらかというと『放射能汚染』という恐怖が『奇形児』に対する恐怖に結びついたのではないかと。
 ただ、それだけの話で済ませるわけにはいかず、実際にベラルーシで『奇形児』が増えている→流産が増えるているのならば、「その原因はなんやねん」という事が問題になって来るわけであって、原因不明の事を「放射能のせい」と決めつける事は危険である。放射能も含めた様々な可能性を疑わなければならないのだろうし。流産はイヤやろ。体験した事ないから解らんけど。

 放射能汚染された土地で流産が増えるのはイヤやろ。確立的には『奇形児』よりも『流産の増加』らしいぞ。流産よりも『奇形児』に対する恐怖の方が強いから『奇形児』ばかりがクローズアップされるが。
 放射能汚染で『奇形児』が増える事は、まあ、今の『医学』というのの多くの意見であるらしいが、まあ、実際は解らん。ただ、「放射能汚染で奇形児が増える」と騒ぎ立てる人は、まあ、信頼ならん。「放射能汚染で流産が増える」なら、まだ構わんが。

 『健康な人間の状態』なんぞは『思い込み』にしか過ぎない。なので『奇形児』という言葉もキライだし、放射能の恐怖から脱原発&反原発に結びつける為の道具として『奇形児』を使うのは論外である。「ほら、こんな風になるのよ!」って、黙ってろ。それなら、何故流産の方をクローズアップしないのか?『奇形児』は産まれ難いらしい。なので、保存して置かなかった&調べた方法も忘れたが、「奇形児が生れ出て来る事は奇跡なんだ」みたいな言葉があった。え~。。。引っくり返すと当然差別なんだが。
 あった、これか

 【死産にならずに奇形児で産まれるというのは奇跡的な出来事なのです。】
 (http://d.hatena.ne.jp/AMOKN/20110422

 反面、当然、差別(天皇に対する差別みたいなもん)なんだが、気になる言葉。

 今回の原発事故でも当然、『奇形児』が一部では問題になっているが、そんな障害者差別を助長するのではなく、放射能汚染と『奇形児』の関係を信じるのであれば、その前に流産で悲しまれるより多くの『親』に寄り添う気持ちの方が大切ではないのか?
 まあ、『奇形児』の方がショッキングなので、取り上げたくなるのだろうが、その背後に多くの流産で悲しまれている親が居ている。まあ、親だけではないのだろうが。

 原発事故の影響はどうなるのか解らない。
 先に紹介したブログ記事では

【この時期は、ソビエト連邦の崩壊で非常に社会が不安定な時期でした。市民の間でウォッカなどの飲酒量が増えたといわれています。また、さまざまな医学研究が行われていたので、従来は報告されなかったことまで報告され、見かけ上の頻度が上がった可能性もあります。】
 (http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51843204.htmlより)

 とあるが、当然、『チェルノブイリ原発事故』という非常に大きな不安な事があった。
 今現在でも東日本大震災被災者の方々のアルコール依存の問題もある。
 不安な気持ち、それは、今後の生活だけでなく、当然放射能汚染の心配もある。なので、それらの影響から流産が増える事もあるだろう。

 放射線と流産の関係も不明だのだろうが、原発事故って、単に放射能の事柄だけなのか?もっと様々な複合的な問題ではないのか?『放射線の影響だけ』を思い込んで、心配するのって、どうよ。まあ、それも含めた原発事故での『放射能汚染』なんだが。

精神被曝

2011年09月09日 | 坊主の家計簿
 「今年って、どう?」と思わず聞きたくなる、つーか、御参り先での話題だったりするのだが。
 『災害の当たり年』なんというのは「イヤに決まっている」なんだが、お祓いしてもしゃーないし。つーか、そういう神通力は真宗坊主にはないし。ある宗派とか宗教とかはやってはるのかな?だいたい、東日本大震災だけでも無茶苦茶で、その上に原発事故が起って、で、台風被害。台風シーズンって始まったばかりなんだが。。。

 今日は御参りが終わった後に事務作業。夕方から『法話の会』があって、聞きに行こうと思っていたのだが、え~。。。爆睡してやんの。起きたら19時やったもんなぁ。。。行ったら、終わっとる時間。。。以前働いて居た寺の住職さんが法話するし、「なんでそんなに喋れるの?」としっかりした法話をしはる方なので、最近、法話がスランプ気味なので刺激&勉強しに行こうと思っていたのだが、え~。。。え~。。。え~。。。


 吉田所長「大きな失敗」…復水器停止知らず
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110908-OYT1T00268.htm?from=tw


 『失敗はやり直す事が出来ないけど、見直す事は出来る』やったけな?そんな言葉を聞いた記憶がある。
 故に、「出来るだけ失敗しないようにしよう」という事になるのだろうが、それでも失敗する。単純に生身の人間だし。
 とはいえ、私はこの原発の運転員や所長を責めようとは思わない。いや、失敗するやろ。この記事

 http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E3E4E2E6918DE3E4E2E7E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

 を見ると、福島原発に津波が到達したのは午後3時30分頃。
 大地震が来て、大津波が来て、え~。。。パニックになって当然だと思うのだが。かつ、御近所に住んでたら家族の事だって心配だろう。原発というある意味隔離された空間で、どんな不安な気持ちだったのだろうか?それが人間ではないのか?
 
 原発が稼働出来る条件は、絶対に天変地異が起きない場所で、絶対に壊れないロボットが運営するしかない。で、そんな事は絶対に不可能。
 人間でっせ、人間。なんか、勘違いしてないか?

 原発の人災は『原発事故以後』も続く。放射線量や内部被曝なんぞの難しい事は私には解らない。色んな説もあるし。
 という事で、本日の原発の人災。


【この1ヶ月、音がダメだったんです、声も。ひさしぶりに音楽聴いてます。ソウル・フラワー・ユニオンをずっと……いま、「そら(この空はあの空につながっている)」です。】(柳美里柳美里

 違う。。。つーか、柳美里がソウルフラワーのファンだったとは。。。関西人でもないのに珍しい。。。って、あ、スンマセン。ソウルフラワー(ニューエスト&メスカリン)も全国メジャーデビューもしてはったし、別に珍しくもないか。同世代だし。


【心配を装った無神経なリプ、無視しようと思っていたが、数が増えてきたから、言う。何故、病状を見てもない癖に、福島に行って放射能を浴びたせい、福島のものを食べたせいで病気になった、と決めつける? 私は、そんなこと一言もいってない。福島在住のひとに失礼じゃないか!いい加減にしろよ!】(柳美里


【「差別」に繋がる非常に厭な風潮ですね。インフルエンザなどが流行する季節が到来しますが、「彼ら」はぜんぶ放射能のせいにしかねない。】(柳美里


【食事会は、鎌倉七里ヶ浜のロンディーノだよ。あんたがたの決め付けって、筋金入りだね。何がなんでも、福島に行き、福島のものを食べたから、体調を崩したってことにしたいんだね。】(柳美里


 この流れの背後には


 【福島産農産物を食べていた柳美里(芥川賞作家)氏が「原爆ぶらぶら病」に似た病状】
 http://ameblo.jp/dukeearl/entry-11009519863.html

 
 という記事があり、これに関連する呟きがツイッターで流れまくっていた。
 そら、柳美里、イヤになるやろ、怒るやろ。元々、あまりタフではなく、神経が細そうな印象の人やし。

 被曝を利権で煽っている人は別にして、あ、実際に居てるぞ、ブログでは紹介しないが、利権で煽っている人は別にして、多くの人は『不安』なのだ。純粋に不安で怖くて怖くて仕方がなくて、だから柳美里に対しても「福島の食べ物を食べたら崩すのだ」になってしまうのだ。それも含めた『原発の人災』。
 人災は人災を呼ぶ。恐怖は恐怖を増幅させる。その中に利権で煽っている人も参加したりするから、よりややこしくなる。そういう人災を起こしたのは原発事故である事は間違いない。
 多分、誰だって、死にたくないし。

 まあ、必ず死ぬのだが。。。放射能汚染以外でも必ず死ぬのだが。。。

弱者救済

2011年09月08日 | 坊主の家計簿
 急に入ったお手伝い。ヒマ~な寺の住職なので「ありがたや、ありがたや」と朝から夕方まで。

 帰宅する。え~。。。微妙にややこしいので書けないが、急に某書類をやらなければならず少しキレる。え~。。。去年はどうしてんや?知らんぞ。今年もどうしてんや?知らんぞ。俺の所にまで届いてなかったぞ、こら。2年分の督促状が来て、かつ、それを隠してた、って、何の話や(笑)ケツ拭かんとアカンのはこっちなんだがなぁ。。。

 と、パパ、不貞腐れる。思わず不良になって「飲みに行ってくる」宣言でもしようかと思ったのだが、飲みに行くのなら明日の方が都合がイイのだが、先日も深酒しまくったので、しばらくは辞めとこ。身体が持たん。
 代わりに寝る。つーか、ママと娘が寝た後、22時ぐらいからそのままリビングで寝てしまう。起きたら24時過ぎで、深夜テレビをボケーと眺めつつ「そろそろ寝ないと」と寝酒中です。

 身体の心配というと何やらお騒がせ武田教授が、またお騒がせ発言をしたらしい。

【武田教授発言、岩手・一関市長「放置できない」 市には抗議疑問視のメール殺到】 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110907-00000610-san-soci


 ちなみにご本人も

 ・・・・・・・・・

【「東北」といっても広いので、安全な野菜もありますが、「東北」を「福島」と言い換えても、福島でも汚染されていない野菜はあります。汚染されているかどうかは、野菜のベクレルを測ってそれが表示されていないとわからないもので、地域、しかも行政区でいうこと自体が間違いですが、それも大人の責任です。子供なら「東北」ぐらいしかわからないでしょうし、外人ならそれが「日本」になるでしょう。

 すくすく育つべき子供が被曝を心配しなければならないのも大人の責任、食材にベクレルを表示しないのも大人の判断、「東北産」、「福島産」などと行政区で区別しているのも大人です。
 
 そこで私は、「大人の不始末は大人で解消したい」と思い、子供からの質問には正面から答えずに、大人に向かって(子供が心配しているから)「東北の野菜は出荷してはいけない」と言いました。もし食材にすべてベクレルが表示されていたら、「10ベクレル以下なら大丈夫ですよ」と答えることができたのですが。】
 (http://takedanet.com/2011/09/post_5075.html

 ・・・・・・・・・

 と、苦しいながらも弁明をしてはる。え~。。。少し無理がある気もするのだが。。。
 
 問題になっている『たかじんのそこまで言って委員会』というのは、関西ローカルの気分だったら、結構多くの地域に放送されているらしいのだが、基本は『大阪ノリ』のバラエティー番組である。バラエティー番組なのだが、朝生ばりに問題をやったりもする。ただ、ノリはバラエティーのお笑い番組である。真面目な話の中で必ず笑いを放り込んで行く番組である。問題になった放送分は忙しかったので見てないが、まあ、武田教授は番組とは古くからの付き合い。武田教授がテレビに出だした地球温暖化ぐらいからの付き合いなのかな?地球温暖化の時に「あんなもんは嘘です」とか、「ゴミの分別に意味はない」とか、過激な発言を連発していたのを思い出すのだが。なので、武田教授も慣れ親しんだ気軽さでの発言だったと思うのだが。

 という事で、番組チェック




 え~。。。武田教授、自分のギャグを否定されたのかムキになっている(笑)

 問題だったのは、元暴走族元教師が指摘している『言い方』が一番問題だったのだろう。実際に抗議が来たわけなんだし。
 でも、「おお!元暴走族元教師真面目やんけ。。。」なんだが、え~。。。あれがあの番組での武田教授の芸風なんだが(笑)え?それで済ませたらアカンか(笑)
 まあ、『場』のムードもあって、多くの人達の不安を煽って風評被害を拡大させてしまった事に対する謝罪で済む話だと思ったりもする。つーか、「お!武田教授がまた(笑)」だったりもするのだが。

 でも、それは一関市長には当然納得出来る話ではない。「大阪のノリ?知らんがな」だったりするのだろう。まあ、大阪弁ではないと思うが。

 このコーナーでは『感情』の話も出ていた。
 誰かが「言い方が悪くても内容が正しければ」なんぞと言っていたが、言い方が悪ければそれは別の面で『害』である。だから、一関市長が抗議した。
 逆の立場からならば、「説明方法が不味かった」という事で政府に対する不信に繋がっているわけなんだし。そら、集団ヒステリー状態にもなりまっせ。

 犠牲。非常にイヤな言葉だが、犠牲。犠牲がなければ生きて行けない。生き物の死骸を食べてしか生きて行けない。犠牲なくしては生きて行けない。そんな生活実体がある。
 でも、そういう中で、大義名分の中で犠牲を正当化する。例えば「国家全体のエネルギー問題を考えると、原発立地の方々には犠牲(不安)になって貰わなければならない」でも。「シロクマには犠牲になって貰わなければならない」でも。「国家全体の放射能汚染を考えると福島県には犠牲になって貰って廃棄物を県外に持ち出さないようにして貰わないと」でも。

 
   食わずには生きてゆけない。
   メシを    野菜を
   肉を     空気を
   光を     水を
   親を     きょうだいを
   師を     金もこころも
   食わずには生きてこれなかった。
   ふくれた腹をかかえ
   口をぬぐえば
   台所に散らばっている
   にんじんのしっぽ
   鳥の骨
   父のはらわた
   四十の日暮れ
   私の目にはじめてあふれる獣の涙
   (石垣りん『くらし』)


 と、まあ、非常に散漫な(いつもか)ブログを書いているのだが、やっぱり

 『人間はナマモノだ』(byハッピー幸子)

 という言葉を思い出す。
 今日の私は「忙しいのに」「疲れているのに」と大義名分を出すが、まあ、御機嫌ナナメの精神的余裕がなかったので、キレたわけでんな。非常に解り易い。そんなもんだったりする。

 この国、え~。。。『この列島』とした方がエエかな?まあ、なんじゃかんじゃで、『この列島』あるいは『この国』に住んでいる多くの人は、日頃のストレスにプラスして放射能汚染のストレスが加わった。

 今週のテレビ録画をしようとしてて初めて気が付いたのだが、今度の9月11日は『9.11』の10周年になるらしい。陰謀説は信じないが、それでもアメリカが集団ヒステリー状態になった9.11。
 じゃ、3.11ってどうなのよ。
 足すと「おお!マヤ暦での滅亡の日に!」というのはナシね(笑)別にエエけど。

 『弱者救済』なんぞというタイトルにしてみたりする。え~。。。勘違いで思わずクイックするかも知らんが、それはごめんなさい。

 私の弱さを通じて、色んな弱さに思いを馳せるしかない。『弱い自分』を自己肯定をしようとするならば、同じ弱さをも肯定しなければならない。色々な人が、色々な生活の現場で、弱く、生きざるを得ない。

お前に食わせるサンマはねぇ!

2011年09月05日 | 坊主の家計簿
 今日はバタバタ&無茶苦茶緊張する法要もあったのでヘロヘロ。
 ヘロヘロなので『帰宅→トンコツラーメン』の気分だったのだが、非常に残念な事に今日の晩御飯は蒸し鶏。「パパはこってりしたトンコツラーメンが食べたいねんや!」とチャブ台を引っくり返そうと思ったのだが、

 1 うちのチャブ台はもの凄く大きなコタツ(夏場なので布団なし)なので重い。
 2 それ以前に、ママ、ラーメン食べれない
 3 それ以前に、晩御飯のリクエストしてないし。

 つー事で、諦めて蒸し鶏にオリーブオイルをタップリかけて食べる。ヘルシーだ(ヘルシーか?)。
 まあ、明日は外出予定(学校♪)なので、帰りにトンコツラーメンでも食べて帰ろ。

 昨日の晩御飯はサンマ。
 何やら今日は『目黒のさんま祭』

 http://www.asahi.com/food/news/TKY201109040167.html

 というのが開催されていたらしい。どうせ仕事で行けなかった、つーか、東京までサンマを食べに行く金銭的余裕もないし。
 何やら、宮古産のサンマだったらしい。毎年恒例だったらしく

【会場に訪れた山本正徳・宮古市長は「皆さんとの絆を断たぬよう、サンマを届けることを目標に頑張ってきました」。】(上記リンクより)

 らしい。『レッツ!美談』である。
 でも、まあ、ネットには「東北のサンマなんて放射能に汚染されているやん」なんぞの声もあるのだろう。
 え~。。。次長課長の河本準一は「お前に食わせるタンメンはねぇ!」ではなく、「お前に食わせるサンマはねぇ!」とか、「お前に食わせる桃はねぇ!」とか、新たなギャグをどんどん展開をして貰いたいものだ。

 食べたくなければ食べなければ良いのだ。『無農薬野菜』『低農薬野菜』みたいな感じで、これからは『無放射能汚染野菜』「低放射能汚染野菜』等がブランドになるだろう。それ等を選んで食べればイイだけの話。

 「福島の野菜は廃棄物だ!」とかの発言には、『食べられる生き物の死骸』に対する感謝がない。
 当然、『食べられる生き物』に放射能をぶっかけた原発事故は論外である。

 

普通の子ども

2011年09月04日 | 坊主の家計簿
 気になる情報

【セシウム汚染:野生キノコから高濃度を検出 福島・棚倉町】
 福島県は3日、野生キノコの検査で、棚倉町のチチタケから1キロ当たり2万8000ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。国の暫定規制値(同500ベクレル)を上回り、キノコのセシウム濃度としては過去最大。県はチチタケのほか、同町内の野生のマツタケやホウキタケなどについて、採取と販売自粛を関係団体に要請した。
 3日に同町北山本の山林で採取した。周辺の環境放射線量は毎時0.3マイクロシーベルトと比較的低く、隣接する塙町で採取したチチタケも109ベクレルにとどまっている。県農林水産部は「どうしてこれほど高い値が出たのか分からない。これから野生キノコのシーズンだが、県の検査結果が出るまでむやみに採取しないでほしい」と呼びかけている。【関雄輔】
http://mainichi.jp/select/science/news/20110904k0000m040060000c.html

 危ねーな、これ。

 何やら

『県農林水産部は「どうしてこれほど高い値が出たのか分からない。これから野生キノコのシーズンだが、県の検査結果が出るまでむやみに採取しないでほしい」と呼びかけている。』(上記リンクより)

 らしいが、ガキがいう事を聞くのか?
 まあ、「三食キノコばっかり食べているのか?」という冷静な意見もあるのだが。

 ふと、子どもの頃を思い出す。
 実家は大阪の下町の工業地帯。松下の本社が近くにあって、その下請け工場、大人になって初めて知った言葉『孫請け工場』なんぞもある。純粋な『工場地帯』と言うよりは、大きな松下の工場と、関連企業の工場が点在している中に住宅地がある。そんな所。
 それでも、「あの花の蜜は甘い」とか、「あ、イチゴや!」とか。え~。。。天然ものではなく、他所様の庭先のものなのですが。。。
 自転車で2時間ぐらい走ると山があった。山に行くと都会っ子だってハシャグ。「うわ、キレイな水や!」なんぞと飲んだりもする。
 ある時、同級生が山の岩肌から流れて来る水を飲んだら、え~。。。なんやったけな?お腹を下したり高熱を出したりしたのだったっけな?まあ、体調を崩した。山の上にゴルフ場があったらしい(笑)当然、それを知っている人は誰もそんな農薬入り水は飲まないだろうが、私たちはガキだった。私は飲んでないけど。「セーフ!」「一緒に行かなくて良かった!」である。ただ、私は近くを流れる大きな河川敷にある『水を使った遊び場』の水を飲んでしばらく喉が死ぬ程痛かったが。。。大きな川の水は間違っても飲もうとは思わなかったが、遊び場の水なら「大丈夫やろ」「水道の水やろ」なんぞと飲んでしまって、大変な事になってしまった。
 というように、え~。。。一概に決めつけてしまうのもなんだが、ガキはアホだ。あ。大人もアホなので、え~『幼い』か。幼いから、え~。。。これも大人も一緒か。でも、まあ、同じ人間で比較するならば、幼い時の方が知らない事は多い。

 福島周辺ガキは野山に行った時に、これからは農薬だけでなく、放射能も気にしなければならない。まあ、さすがにキノコをそのまま食べるガキは居てないと思うが、でも、ガキ同士の中で野山で遊んでいる時に、ガキはすぐに腹を空かすし、年上のガキから「これは生でも食べれんねんで」なんぞというのもあるかも知れない。これから秋になれば栗とか色んなオヤツがあると思う。当然、んなものは測定されていないだろうし、測定されていたとしても、まあ、知らないだろうし、知っていても言う事を聞くとも思えない。それこそ大阪では『やんちゃなガキ』というのだが、『やんちゃなガキ』は『大人に反抗してナンボ』の世界であったりもする。

 子どもの頃にゴミの山を中心とする建設中の公園があった。池にはメタンガスがポコポコ湧き出てたりしてた。当然、学校の先生などから「行ってはいけません」だったけど、そんな忠告を聞くわけもなく、よく遊びに行ってた。え~。。。なんとか生きてます。
 その時に受けた健康被害は知らない。私の何がその時に受けた健康被害なのかは知らない。まあ、ガキは『弱い』だけでなく、大人よりも強かったりする部分もあるし。放射能でも同じ事をいう人も居ているし。まあ、解らん。

 福島周辺のガキの遊び場は、ゲームセンターや公園だけではないのだろう。当り前ながら。自転車なんぞで野山や、海に行ったりする事もあるだろう。
 公園は、多分、放射線量が測定されているだろうし、危険な公園は封鎖されているのかも知れない。詳しく知らん。まあ、危なかったら除染して、表土を別の所に持っていけばいいのだろうし。その場を『立ち入り禁止』にすればいいのだろう。でも、まあ、土嚢が一杯ある所で、かつ『立ち入り禁止』の所って、監視の目が薄いからガキにとっては最高の遊び場だったりするのだが。小石で戦争ゴッコするには最適な所なんだが。

 今まで色々な公害があった中で、今回の原発事故での公害が加わった。
 ますます、イヤな世の中になった。

 この台風が過ぎたら少しは涼しくなるかな?今年の大阪の夏はここ数年に比べると楽だったけど、それでも暑いし。
 電力も大丈夫だった。幾つかの原発が停止したままでも乗り越えられた。その為にかなりな御苦労があったらしいが。ということは、まあ、「来年もこういう事が出来るかどうか解りません」と言っている人も居たが、来年まで時間があるのならば、その間に体制を整える努力を、それこそ『国家の威信』をかけて努力するしかない。別に再稼働する必要もない。

 『イヤな世の中』でも生きて行かざるを得ない。その中で生活をして行かざるを得ない。

 「じゃあ、何の為に生活しなければならないの?生きて行かなければならないの?」

 昨日の昼飯でチャンポンを食べた中華料理屋にタブロイド紙が置いてあって、その中の記事に福島の中学校やったけな?まあ、福島の学校の先生が、生徒を含めた結婚の話になった時に「君達は結婚してはいけません」とか言ったらしい。
 『海外』からの刺激的なニュースや、映画では「普通の子どもは20%ぐらいしか産まれません」とかなんとか。国内の週刊誌でも。原発事故と『普通の子ども以外』との因果関係は証明されていない。多くの異論の説もある。

 だいたい『普通の子ども』ってなんやねん。。。


 ♪何の為に生まれて 何をして生きるのか
  答えられないなんて そんなのは嫌だ!
 (アンパンマンのオープニングソングより)



浄き食

2011年09月03日 | 坊主の家計簿
 9月である。つーか、昨日から9月なんだが。寺のfacebookページのトップ(入り口)に『今月の言葉』なんぞというのを書いて居るのだが、え~。。。「更新しなければ。。。」と、ついさっき思いついたのだが、せっかくなので『過去の今月の言葉』というコンテンツを追加しようと思ったのだが、それをやるには専用のブログを用意するのが手っ取り早いのだが、その作業を深夜にやる根性はない。今度や、今度。寺通信のネットアップも今度や、今度。

 今日は台風なので外出出来ずにヒマそうにしている娘を連れて家族3人で近所のAEONまで車でお買い物。え~。。。AEON、むっちゃヒマ。ガラガラ。「夕方やぞ、夕方!」なんだが、夕方にも関わらずレジ待ちゼロ。まあ、昨日のうちに買い物は済ませていたのかな?
 散髪屋のオバちゃんは「余りにヒマ過ぎて、もう閉めようかと思ってた」なんぞと言ってたし。台風だ。

 台風というと、子どもの頃『恐怖』よりも『イベント』だった。ロウソクを用意したり、オカンがお握りなんぞを作ってた。まあ、大した被害がなかったからなんだろう。最悪が『床下浸水』だったし。家の前の道が排水不能状態で大きな水たまりになってて、ガキだった私はサンダル履いて「よいしょ、よいしょ」と歩いて遊んでオカンに怒られる、という事ぐらいの印象。
 なので、台風に対する恐怖心が原体験としてない。
 これは阪神大震災が起るまで地震に対する恐怖感がなかったのと同じ。
 福島原発事故が起るまで原発事故に対する恐怖心がなかったのと同じ。情報で知ってても、実体験とは違うし。
 
 原発事故の『現状』での最大の被害は、やはり避難せざるを得ない状況の人たちが多くいている事。それには自主避難も含んで。また、立ち入り禁止区域が出来た事で、行方不明者の捜索が遅れた。ツイッターでは「またかい」なんだが、有名なデマ発信者によってデマが流れているのだが、ネットばっかりやってんとテレビも観ろ、っちゅうねん。

 http://togetter.com/li/182145

 あ、放射能が危険なので「助かったかも解らない人命が見捨てられた」。

 AEONは只今『イタリアフェア』をやってます。2日~5日までらしい。便乗して、本日の晩御飯は、アサリとベーコンのトマトソース・スパゲティー。ただ、期待していた程の「イタリア♪」ではなかったが。
 チェルノブイリ原発事故の時に「イタリアのパスタやトマトは放射能で危ない」「ヨーロッパのチーズは危ない」なんぞとやっていた事を、ふと思い出す。

 円高らしい。AEONでも円高還元セールをやってたし。円高なので海外からの輸入食べ物を買い占める事も出来るのだろう。日本はまだまだ『豊かな国』なんだし。でも、食料不足で餓死している人たちも居ている。それは「支援のやり方がオカシイからだ!」なのかも知れないが、餓死して居られる方々も居ている。
 その反面、「福島の食べ物は産業廃棄物だ!」、福島だけでなく、東北、北関東、ある人たちは「日本の食べ物全て」が「危ないから食べてはイケナイ」と。
 正直な話、私も放射能汚染された食べ物は食べたくない。農薬だってイヤだし。インスタント食品だって食べたくない。「出来れば」である。特に子どもには食べさせたくない。娘は無農薬の安全な食品で育てたい。え~。。。ママにそういう発想がないので困っているのだが。。。当然、高いし。なので、これも「出来れば」である。
 安全基準をクリアした食品。農薬であれ、放射能であれ。

 「日本の食品は放射能汚染されているから食べたら死ぬ!」=「海外での餓死者が増える」そんな構造ではないのか?
 残飯等の問題を抜きにして考えると。

 食に対する不安も、福島原発事故での『現状』ではっきりしている被害。
 もう一度『食』という事を考えたいのだが、今日は寝る。

私の慈悲に始終なし

2011年09月02日 | 坊主の家計簿
 強風域が近づいて来ているのか、入ったのか知らないが、結構な風。一応軽くだけ台風対策をしたのだが、明日、もう少ししっかりとやっとこ。関西、直撃っぽいし。

 ここ数日、夜のうたた寝の日々が続いている。今日もテレビ観ててそのまま寝て、目覚めたら0時過ぎ。深夜テレビを観たり、録画していたのを観たりしつつ、ボンヤリと、ヌボ~っとしてます。

 台風の影響でイルカ漁が取り止めになったらしい。

 【太地のイルカ漁解禁 台風で見合わせ 県警は活動家警戒】
 http://www.asahi.com/national/update/0901/OSK201109010064.html

 夕方のテレビニュースでもやっていたのだが、何やら「供養に来た」らしい。
 イルカ漁の為にイルカを殺す人と、それに反対する人も、『供養』という一点では連帯出来る気がするのだが。でも、まあ、双方感情的になっていると思われるので、実質的には不可能かも知れないが、あくまでも『他所者』の意見としては素朴の思ったりする。
 いっその事、太地町主催の『イルカ&鯨供養』をして、近くの神主なり、坊主に来て貰って供養する。そして、「それは政教分離に反している!」と、デモが起ったりして、より一層ややこしくなったりする。。。あ、(笑)
 まあ、漁協の人たちと、反対派の人たちが連絡を取り合って「今年の供養、どうしまっか?」と、南紀の言葉使いは知らんから適当に書いて居るが、そういう風に連絡を取り合う、っちゅうのもエエ話だと思ったりもするのだが。

 何やら、今日、9月1日は防災の日だったらしい。大阪の学校でも避難訓練をしているシーンがテレビニュースでやっていたのだが、そういえば、夏休み終了早々に避難訓練的なものをやった記憶もあったりする。確か、手をつないの避難訓練で異性を意識しだすお年頃だし、手をつなぐ事が照れくさかった記憶がある。

 あ、『おしゃべり回想法』(http://vows.jp/memories.html
 関心があられる方向けに御紹介。
 私はよく行くバーで「オッチャンは昔なぁ~」と、見事なまでの『鬱陶しい中年オヤジ』になりつつ、昔話をよくしているので、今の所は必要ないのだが、それこそ『昔話を喋りたいけど場がない』とか、『他の人の昔話も聞きたい』なんぞの、え~。。。非常に誤解を生む表現方法なんだが、『交霊』を求めるならば必要な場だし、まあ、飲み屋で隣に座った中年オヤジが「オッチャンはなぁ~」と話かけて来るというのは、そういうのを求めているわけでんな。
 「ちょっと○○かけてえや」なんぞと曲をリクエストしたりするのも。音楽は『その時』を思い出すし。
 仏事で久々に会った時とかでもそうだし、旧友との再会でもそうだし。「1人ではなかった」というのは大事な事。釜ヶ崎とか、独居老人でも同じなんだろうけど。

 あ、ヌボ~っとしているので話が。。。つーか、いつもの事か。

 9月1日は防災の日。3月11日は何の日になるのだろうか?
 『大津波の日』『原発事故の日』。

 まあ、別に政府が定めた日でなくとも、それぞれにとって意味合い深い日。きっと、来年の3月11日には、つーか、来年からの3月11日には、政府がやるのか、『○○の日』と定めるのかは別にして、きっと多くの集会があるのだろう。
 大津波の大災害に関しては、意見が別れる事はないのだろうが、まあ、『津波推進派』『津波反対派』なんぞと別れる事はないのだろうが、原発事故に関しては意見が別れる。

 今日、ツイッターをチラホラ眺めていたら、何やらイギリスの『インディペンデント』という雑誌(新聞?)か何かで『福島原発事故による死者は今後100万人超になる』とかいう情報が流れて来た。リンク先は英文なので読めない。でも、まあ、政府や福島近辺の自治体が何もしなければ最悪、それぐらいになってもおかしくはないのかも知れないが、別に何もしていないわけでもない。また、民間でも。私は何もしていないが。自分が読めない不確かな情報を流すのはイヤなので、そのまま放置。
 夜のなって日本語訳の情報が入る。

 http://sorakuma.com/2011/09/01/3131

 もう一度書いておくが、私は英語が一切出来ない。これは中学1年生の時、最初の英語のテストで四本線だったかな?まあ、そこに「アルファベットをA~Zまで順番に書け」という問題があって、その時に『書く線の所を間違えた』というだけで0点にしやがったので、それから「英語はやらん」と決めたのだ(笑)
 なので、英語は素晴らしく解らない。いまだに『レフト』と『ライト』の違いも解らない。「金本って、どっちや?」レベルである。なので、上記引用のリンクの日本語訳が『正しい』のかどうかは知らない。知らないが、日本語訳の情報を流してくれたのは、『反原発過激派』の人であって、かなり怪しい、デマも含めた情報を流してくれる人なので、まあ、多少は信頼する。
 また、別の『反原発過激派』の人(すいません、レッテル貼り、大好きです)からの情報では『英アルスター大教授が指摘 』とある。
 すると、日本語訳で該当するのは

【お騒がせで有名な英アルスター大学のクリス・バズビー教授は、先月日本を訪れていた折、この災害により、100万人以上もの人々が死ぬことになると発言して物議を醸しています。】(上記リンクより)

 になる。
 『お騒がせで有名』って何や(笑)

 今現在、福島原発事故で『被曝』による死者は出ていない。
 急性白血病での死者

 急性白血病で福島原発作業員死亡 東電「因果関係なし」
 http://www.asahi.com/national/update/0830/TKY201108300454.html

 に関しては、

【今回報道された急性白血病と福島原発作業の因果関係は?】
 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/touch/20110830#p1

 という意見がある。
 東電や政府が本当に事実隠蔽したければ死因や情報自体をを隠すはずである。死因を誤摩化す方法もある。けど、それはしていないみたいだ。
 この件で労災申請するならば、『被曝』ではなく、『真夏の防護服や被曝の怖れのある過酷な労働条件』でやった方がイイと思う。クソ暑い時期に、被曝の怖れのある労働は過酷そのものであり、白血病だけでなく他の病気に対する危険性もある。
 上記リンクにも書かれているように

【数年後から十数年後には、今回とは違って、本当の「因果関係は不明」という事例が発生します。それまで、今の気持ちを忘れないようにしましょう。たとえば、3年後に、原発作業員からの白血病の発症が報道されたとして、現在ほどの関心を呼ぶでしょうか。東電批判が流行に終わらないことを願っています。】

 という事が私も大事だと思う。

 私は『反原発穏健派』である。え~。。。『反原発』と『脱原発』と区別がついているわけでもないのですが、まあ、適当に。
 
 ツイッターというのは、『ネット検索』と違って、より『生の声』を調べる&情報収集には非常に適している。しかも「ヌボ~」と、しながら、布団で横になったり、リビングで横になったりしながらiPhoneでも見れるし。まあ、私の場合なんだが。
 私の主な情報源(フォロー)の中には原発事故、それにともなう放射能汚染に関して過激な反対意見を言う人もいれば、原発を推進して行こうという人の意見もある。しかしながら、その両方共、『原発事故は問題であった』という点では変わらない。その中には私のように『反原発穏健派』も居ているのだろうし、まあ、色々。私のツイッターでの主な情報源(フォロー)の中の『過激な放射能安全派』(神戸大学理学博士 放射線従事者10年程経験)であっても、原発事故早々に

【メルトダウンで、水蒸気爆発、放射性物質拡散の恐れがあるので、最悪の事態を考えて、水を貯めてください。もし爆発が起こったら、外に出ないでください。雨などを被った恐れがある場合は、水をかぶってください。外出時は肌露出せず、体内に放射性物質が入らないようにマスクなどを。】(http://twitter.com/#!/iina_kobe/status/46538796535263232

 と言っていたりする。
 え~。。。一部では非常に評判が悪い人なのだが(笑)

 え~。。。ヌボ~♪変わらず長文のダラダラした文章。
 
 イルカ&クジラ漁に『向き合っている人』の中での意見の相違。でも、『供養』という一点では同じではないのか?
 また、原発事故に関しても、『原発事故は問題』という一点では同じなのではないのか?
 故に『議論出来る場』自体が、共同作業になっていたりもする。
 全くの対立状況の中でも構わないが、それは『対立出来る』という関係性があるからこその話。その『関係性』『場』を忘却すると排除にしかならない。『敵』にしかならない。そして、身内を固め、敵に対する妄想を深める事にしかならない。
 そうではなく、『共に同じ問題を別の角度から見ている』でもエエし、『同じ場』での議論をしている『仲間』である、『敵』ではなる『仲間』である、という原点を見つめるという事は大事なのではないのか?『仲間』という言葉がイヤなら、『喧嘩友達』でもなんでもエエ。

 当然、太地町の漁師さんや、『捕鯨反対派』にとっては「顔を見るのもイヤ」なんだろう、そら。でも、その『対立』も「対立出来ている」という関係性の『場』があっての事。
 対立は当然、数年で終わるわけもない。ただ、それが数十年になった時に、例えば太地町の漁師さんが「おい、あの毎年来てたオッサン今年はどうしてん?え?死んだのか?え~。。。線香でも立てに行きたいけど無理やから、ちょっとウチの仏壇に手を合わすわ」とか、捕鯨反対派が「あの漁師さんはどうしたのですか?え?亡くなられたのですか?なら、少しここでお祈りさせて下さい」とか。
 なんか、そういうのがエエな。


【「ゆるすということはむずかしいが、もしゆるすとなったら限度はない、-ここまではゆるすが、ここから先はゆるせないということがあれば、それは初めからゆるしてはいないのだ」】(山本周五郎)

 という言葉に『縁起(相互関係存在)』という言葉を含める。
 「あいつは許すけど、あいつは許さん」。
 それは感情。娑婆の世界。私の限界。
 私の限界は相手のせいではない。あくまでも私の限界。それを肯定してしまう「あいつは○○だから」という大義名分。

他者不在

2011年09月01日 | 坊主の家計簿
 素晴らしくブログのアクセス数が下がっている。gooブログは1万位まではランキング表示されるのだが、8月30日はランキング表示されなくなった。
 おお!これは名利心満載の私のプライドを激しく傷つける。つーか、書け(笑)
 と、まあ、世間の中での評価を気にして生きております、変わらず。

 【どじょうが金魚のまねをしてもしょうがねえじゃん】(byジャンボ野田)
 
 である。え~。。。相田みつをが元らしいのだが、んなもん、知らんし。なので、ジャンボ野田総理の言葉としてインプット。
 『ジャンボ野田』とは、プロレスファンであり、『ジャンボ鶴田最強説』の野田総理に親しみを憶えた同じプロレスファンの私が勝手につけた渾名である。出来れば国会で「オー!」をやって貰いたいのだが、無理か。。。
 
 議長「内閣総理大臣、野田佳彦氏」
 野田「オー!」

 ならば、野田総理はプロレスファンから絶大な支持を集め、プロレスファンは『男子全員』なので次回の総選挙では民主党の圧勝が決まったようなものなのだが、さすがに国会では無理か。。。街頭演説ではやって貰いたいのだが。。。

 さて、私が何をしているかというと、さっきまで作っていた寺の通信が、MacのワープロソフトであるPagesの不具合で「原稿が吹っ飛んだよぉ~♪」という状態であって、要するに『腐っている』。「け!」である。でも、まあ、んなもんはしゃーないので、原稿は明日書くとして、ブログで遊んでいるわけでんな。そのまま寝ようと思ったのだが、夜に寝てしまった(起きたら0時過ぎ)なので、眠気の迎えがまだ来ないし、非常に気になる文章を発見したので。


【私が山下さんに抵抗感があるのは、福島医大副学長に就任するなどして、低線量被曝の健康への影響の研究になみなみならぬ野心をもっていることをあからさまにするからです。正直と言えばそれまでですが】(池田香代子http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/108879353856786432


【確かに年間100mSv以下の発癌リスクは他の要因に紛れて今までは確定されず、従って安心していいのかも知れません。でもそう説得して回る人が、一方で世界初の大規模な低線量と癌の研究ができると張り切っている】(池田香代子http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/108880457923436545


【すると、研究データのために「安心して」生活させられるのか、と感情的にかちんとくるのも無理はないと思います。未知の不安のどん底にある人々とコミュニケーションしようとするなら、医学研究者の野心は措いてお医者さんとして登場すべきでした】(池田香代子http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/108882150081839104


 中略


【誰しも未熟で弱いから、専門性で社会の役に立ちたいと思う一方、時にその道の権威でありたいという野望を抑えきれなかったりするのでしょう。だけど、不安に頽れそうな私たちは、そういう人が目の前に現れて、殺生与奪の権を握っているかのようにふるまわれると、限りなく傷つき、そして憤慨するのです】(池田香代子 http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/108892379334983680


【それは科学的な是々非々とは関係のない感情の問題だ、という批判もありえます。落ち着け、理性的に耳を傾けろ、という助言ももっともです。けれど未曾有の事態に襲われている今、心の問題、不安の受け止めの問題は、軽視してはならないと思います。なにしろ私たちは専門知識のない素人なのですから】(池田香代子http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/108893898356690944


【助言者としては例えば菅谷松本市長や鎌田實医師(両方ともなぜか長野)のようなコミュニケーション能力が求められた。それを欠いた山下さんに、不安な人々は医学者としての野心を敏感かつ正確に感じ取り、反感を覚えたのではないでしょうか】(池田香代子http://twitter.com/#!/ikeda_kayoko/status/108896719378456576


 文中に出て来る『山下さん』とは福島県立医科大学副学長の山下俊一氏。一部では有名な『御用学者』として蔑視される人であり、かつ、作家の広瀬隆氏達より業務上過失致傷で刑事告訴されている人物である。まあ、その事は置いといて、今回の池田香代子氏の言葉(呟き)で驚いたのは、池田香代子氏が、山下氏を年間100mSvで批判するのでなく、『医師』として『患者と向き合う姿勢』を問題にしているからだ。
 この視点はなかったなぁ。。。つーか、殆ど知らないのだが。でも、まあ、山下氏が一部で非常に評判の悪い事は知っている。ただ、これは私のツイッターでの情報源に問題があるのだが、山下氏に対して騒いでいる人たちの多くはデマを拡散している人たちでもあるので「またかよ。。。」ぐらいの関心しかなかったので、山下氏が「放射能の影響は笑って生活している人の所には来ません」だったかな?そんな発言を聞いた時に「おお!医者やんけ。医者として当然の事を言っとるのぉ。。。」だったのだが、そうか、患者と向き合う姿勢か。。。

 確かに、これは多くの『患者』相手に失敗しているのだろう。だから、騒がれているのだし。そういう部分では決して名医ではないのだろう。そういう視点が全くなかったので、池田香代子氏の言葉に驚いたわけなんだが。

 『患者に向き合うコミュニケーション能力』を『遺族の向き合うコミュニケーション能力』と、多くの遺族と向き合う仕事をしている私は言い換えたい。
 どうしても「仏教では。。。」なんぞと知識(浅いが)をひけらかしてしまう時がある。でも、『最初』と限定を打つが、最初に聞きたいのはそんな言葉ではないと思う。
 とは云え、『コミュニケーション能力』は『能力』である。能力には差がある。しかしながらその個人的限界は『遺族』にとっては関係ない話である。それが『プロ』という責任感である。そこでは責任を取らなければならない。それが現実である。

 消えてしまった寺の通信では、山本周五郎が色んな場面で書いて居られる事を私流に訳した

【大切な事は、「何が出来たか」ではなく、「何をしようとしたか」である。】

 という事を彼岸にかけて書いていた。え~。。。消えてしまったのだが。。。


【「なまいきなことを云うようですけれど、人間のすることはむだ骨折りだということはなに一つないと思います、紙屑拾いをして一生を終わっても、やっぱり人間の一生にはかわりないでしょう、あなたの端唄はこんな山の中までも弘まり、いまでもよろこんでうたわれています」】(山本周五郎『虚空遍歴』より)