坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

親鸞の災害史

2020年03月31日 | 坊主の家計簿
東日本大震災直後に寺報用に調べたもの。親鸞の思想はこんな中で生まれました。

@宗祖親鸞聖人7才 1179年
  5月28日 夜地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
  7月7日 地震。21日にも地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
 11月7日 京で大地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
【治承3年(1179)7月7日に、南風が吹くと天はたちまちに曇って夜道を歩くほどになったと思うと、大地が揺れた。同じ年の11月7日、又大地震があり、大地を打返すほどの揺れで、人々を大いに騒がした。翌8日、陰陽寮の安部泰親は院に行き、「このたびの大地震は、占の指す所、世は亡びの徴候である。もっての外の大凶なり」と言ってはらはらと涙を流した。】(源平盛衰記図会http://www3.starcat.ne.jp/~koten/genpege/genp18.htmlより)


@宗祖親鸞聖人9才 1181年『養和の飢饉』
【また養和のころとか、久しくなりて確かにも覚えず、二年が間、世の中飢渇して、あさましきこと侍りき。或いは春・夏、ひでり、或いは秋・冬、大風・洪水など、よからぬことどもうち続きて、五穀ことごとくならず。むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋刈り、冬収むるぞめきはなし。
 これによりて、国々の民、或いは地を棄てて境を出で、或いは家を忘れて山に住む。さまざまの御祈始まりて、なべてならぬ法ども行はるれど、更にそのしるしなし。京のならひ、何わざにつけても、源は田舎をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操もつくりあへん。念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目見立つる人なし。たまたま換ふるものは、金を軽くし、粟を重くす。乞食、路のほとりに多く、愁へ悲しむ声耳に満てり。
 前の年、かくの如く、辛うじて暮れぬ。明くる年は、立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まさざまに跡形なし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつ、きはまりゆくさま、少水の魚のたとへにかなへり。はてには、笠打ち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに、家ごとに乞ひ歩く。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、臭き香世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはむや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。
 あやしき賤・山がつも力尽きて、薪さへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹付き、箔など所々に見ゆる木、あひ混じはりけるを尋ぬれば、すべき方なきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世にしも生まれあひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし。】(鴨長明『方丈記』より 現代語訳http://www5f.biglobe.ne.jp/~mind/knowledge/japan/houjouki003.html)

【方丈記では、京都市中の死者を4万2300人とし、市中に遺体があふれていたことが記されている。あまりの多さに供養が追いつかず、仁和寺の僧が死者の額に「阿」の字を記して回ったとも伝えられている。】(wikipediaより)


@宗祖親鸞聖人41才 1213年
  1月 1日 鎌倉で大地震。堂舎倒壊。(本朝年代記 2)
  5月21日 午刻大地震。音があり、舎屋破壊、山崩れ地裂く。(吾妻鏡21)(皇帝紀抄 8)(本朝年代記 2)(和漢合運指掌図)
  地震のために改元。(古事類苑)
(http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen02.htmより)


@宗祖親鸞聖人42才 1214年
  2月 7日 鎌倉で大地震。(吾妻鏡22)(皇帝紀抄 8)(百錬抄12)
  4月 3日 亥刻に地震。(吾妻鏡22)(皇帝紀抄 8)(百錬抄12)
  9月22日 大地震。(吾妻鏡22)(皇帝紀抄 8)(百錬抄12)
 10月 6日 亥刻に大地震。(吾妻鏡22)(皇帝紀抄 8)(百錬抄12)
 (http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen02.htmより)

 『親鸞、「さぬき」で三部経千部読誦を発願、やがて中止。常陸へ行く。』(真宗聖典1136頁より)
【もう一つ親鸞が善光寺の勧進聖に加わった理由が考えられる。それは先学諸氏が触れておられないことだが、勧進聖になることによって、親鸞は生活の糧を得たのではないか、ということである。勧進聖は善光寺の復興に努力しようという善意の人々であるが、無償奉仕のボランティアだったとは思われない。募財をして得た寄進金品のうち、なにがしかは報酬として勧進聖の手許に残されたと思われる。】(平松令三『親鸞の生涯』真宗教団連合編『親鸞』93頁より)
【この法事が旧仏教的であることは言うまでもなかろう。たとえ「衆生利益」のためであっても親鸞の思想からすれば許されるものではない。親鸞は法事が始まって四、五日経ってそれに気付いた。そして
   みやうがうのほかには、なにごとのふそくにて、かならずきやうをよまんとするや
  (み仏のみ名を称えるほかに、何の不足があって、一途に経を読もうとするのか)
 と考えた。この言葉は、確かに親鸞らしい反省の弁である。しかし、これをそのままこの千部会の主催者や同僚たちに言っただろうか。もしこのまま言ったら、口論になることは必至だろう。そして今後、このグループの中で行動を共にすることはできなくなるにちがいない。それは、親鸞にとっても困ることである。善光寺聖との縁を維持しつつ教化活動を続けるためにも、ここは別の適当な口実を作って、千部会をぬけ出し常陸国へ向かったのだろう。】(平松令三『親鸞の生涯』真宗教団連合編『親鸞』96頁より)


@宗祖親鸞聖人43才 1215年
  8月19日 地震あり。21日未刻、22日にも地震あり。(吾妻鏡22)
  9月 6日 丑刻に地震、8日寅刻に地震あり。(吾妻鏡22)
  9月11日 寅刻に大地震あり。未刻に小地震あり。17日まで余震。(吾妻鏡22)
  9月21日 祈祷を行い、3万6千神を親職、地震祭を行う。江能範使いとなる。(吾妻鏡22)
 10月 2日 寅刻地震あり。(吾妻鏡22)
 12月15日 亥刻地震。(吾妻鏡22)
 12月16日 「将軍家殊に御謹慎あるべき変なり」と司天勘文を捧げる。(吾妻鏡22)
 12月30日 御前南庭で祈祷。(吾妻鏡22)


@宗祖親鸞聖人59才  1231年
【1230年(寛喜2年)、天候不順による大凶作が全国を襲った。この年の夏は、「連日の豪雨」、「冬のような冷たい気候」だったと伝えられている。これが寛喜の大飢饉の始まりとなる。
 『吾妻鏡』は、6月9日(現在の7月27日)には、武蔵国金子郷で落雷があり、同時に雹(ヒョウ)が降ったとされ、美濃国蒔田荘では白雪が降ったとの報告があったと伝えており、7月16日には諸国に霜が降り、「ほとんど冬天のごとし。」と記している。
 8月6日の晩には、洪水が起き、河辺の民居が流出し、多くの溺死者を出した。さらに8月8日には台風に襲われ、『吾妻鏡』には「草木葉枯れ、偏(ひとえ)に冬気の如し。稼穀みな損亡」と記されている。
 同じ年の冬について『明月記』は、麦が穂を出し、桜の花が咲き、コオロギが鳴いたと暖冬であったことを伝えている。
 1231年(寛喜3年)は、昨年夏の冷夏による影響で飢餓に襲われた。3月には餓死者が多く発生し、三代執権北条泰時は、出挙米(領主からの貸付米)のある者に、施しをするよう通達を出している。この状況は8月頃まで続き、餓死者の死骸がところどころに放置されていたという。
 夏は晴天が続き、飢饉も収束するかに思えたが、炎暑と干ばつが収穫に影響を与え、麦の種も半分しか確保できないとう状況となった。
 飢饉の状態は、1239年頃まで続いたものと考えられ、「天下の人種三分を一失す」といわれた。】(http://www8.plala.or.jp/bosatsu/seisaku/kangi-kikin.htmより)

【親鸞発熱、病床で『大経』を読み、建保2年の「三部経読誦」の反省を恵信尼に告げる。】(真宗聖典1137頁より)
【(五)善信の御房、寛喜三年四月十四日午の時ばかりより、風邪心地すこしおぼえて、その夕さりより臥して、大事におわしますに、腰・膝をも打たせず、天性、看病人をも寄せず、ただ音もせずして臥しておわしませば、御身をさぐれば、あたたかなる事火のごとし。頭のうたせ給う事もなのめならず。さて、臥して四日と申すあか月、苦しさに、「今はさてあらん」と仰せらるれば、「何事ぞ、たわごととかや申す事か」と申せば、「たわごとにてもなし。臥して二日と申す日より、『大経』を読む事、ひまもなし。たまたま目をふさげば、経の文字は一字も残らず、きららかに、つぶさに見ゆる也。さて、これこそ心得ぬ事なれ。念仏の信心より外には、何事か心にかかるべきと思いて、よくよく案じてみれば、この十七八年がそのかみ、げにげにしく『三部経』を千部読みて、衆生利益のためにとて、読みはじめてありしを、これは何事ぞ、自信教人信、難中転更難とて、身ずから信じ、人をおしえて信ぜしむる事、まことの仏恩を報いたてまつるものと信じながら、名号の他には、何事の不足にて、必ず経を読まんとするや、思いかえして、読まざりしことの、さればなおも少し残るところのありけるや。人の執心、自力の心は、よくよく思慮あるべしと思いなして後は、経読むことは止りぬ。さて、臥して四日と申すあか月、今はさてあらんとは申す也」と仰せられて、やがて汗垂りて、よくならせ給いて候いし也。
 『三部経』、げにげにしく、千部読まんと候いし事は、信蓮房の四の年、武蔵の国やらん、上野の国やらん、佐貫と申す所にて、読みはじめて、四五日ばかりありて、思いかえして、読ませ給わで、常陸へおわしまして候いしなり。信蓮房は未の年三月三日の昼、生まれて候いしかば、今年は五十三やらんとぞおぼえ候う。
 弘長三年二月十日     恵信】(真宗聖典619~620頁より 現代語訳http://www.anrakuji.net/tyosaku/eshinni5.html)


@宗祖親鸞聖人85才~89才 1257年~1261年『正嘉の飢饉』
【寛喜の飢饉に続いて、正嘉年間(1257~1259)にも鎌倉は飢饉に襲われた。
 1257年(正嘉元年)には、大地震が起きるなど自然災害が頻発したことが『吾妻鏡』に記されている。また、翌年6月24日の条には「鎌倉の寒気はまるで冬天のようだ」と記している。
 8月には暴風雨によって「諸国の田園ことごとくもって損亡す」とあり、さまざまな天変地異の現象が起きていたことが窺える。
 その他、大流星の発生や北条政村の息女が比企能員の娘に祟られるという怪異現象も発生し、鳥にまつわる怪異も伝えられている(参考:蛇苦止堂と蛇苦止ノ井(妙本寺))。 
路上にあふれる死人と病人
 自然災害だけではなく火災などの人災も多く発生し、1260年(文応元年)に日蓮が五代執権北条時頼に献じた『立正安国論』には、「天変・地夭・飢饉・疫癘遍く天下に満ち・・・・牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。」と記されている。
 鎌倉の道には死人や病人であふれていた。1261年(弘長元年)、幕府は「病者、孤子(みなしご)、死屍を路辺に捨てる」ことを禁じている。
 また、捨てられた病人を無常堂に収容することも定めた(無常堂は、由比ヶ浜にあった無縁の病人を収容する終末医療施設)。】(http://www8.plala.or.jp/bosatsu/seisaku/shoka-kikin.htmより)


*1260年 日蓮『立正安国論』
【仍つて伝教・義真・慈覚・智証等或は万里の波涛を渉つて渡せし所の聖教或は一朝の山川を廻りて崇むる所の仏像若しくは高山の巓に華界を建てて以て安置し若しくは深谷の底に蓮宮を起てて以て崇重す、釈迦薬師の光を並ぶるや威を現当に施し虚空地蔵の化を成すや益を生後に被らしむ、故に国王は郡郷を寄せて以て灯燭を明にし地頭は田園を充てて以て供養に備う。
而るを法然の選択に依つて則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び付属を抛つて東方の如来を閣き唯四巻三部の教典を専にして空しく一代五時の妙典を抛つ是を以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め念仏の者に非ざれば早く施僧の懐いを忘る、故に仏閣零落して瓦松の煙老い僧房荒廃して庭草の露深し、然りと雖も各護惜の心を捨てて 並びに建立の思を廃す、是を以て住持の聖僧行いて帰らず守護の善神去つて来ること無し、是れ偏に法然の選択に依るなり、悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには。】(日蓮『立正安国論』より。現代語訳はhttp://www4.ocn.ne.jp/~sen0001/gosyo02b.html)

【(六)なによりも、こぞことし、老少男女おおくのひとびとのしにあいて候うらんことこそ、あわれにそうらえ。ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。まず、善信が身には、臨終の善悪をばもうさず、信心決定のひとは、うたがいなければ、正定聚に住することにて候うなり。さればこそ、愚痴無智のひともおわりもめでたく候え。如来の御はからいにて往生するよし、ひとびともうされ候いける、すこしもたがわず候うなり。としごろ、おのおのにもうし候いしこと、たがわずこそ候え。かまえて、学生沙汰せさせたまい候わで、往生をとげさせたまい候うべし。故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、往生必定すべしとてえませたまいしをみまいらせ候いき。ふみざたして、さかさかしきひとのまいりたるをば、往生はいかがあらんずらんと、たしかにうけたまわりき。いまにいたるまでおもいあわせられ候うなり。ひとびとにすかされさせたまわで、御信心たじろかせたまわずして、おのおの御往生候うべきなり。ただし、ひとにすかされたまい候わずとも、信心のさだまらぬひとは、正定聚に住したまわずして、うかれたまいたるひとなり。乗信房にかようにもうしそうろうようを、ひとびとにももうされ候うべし。あなかしこ、あなかしこ。
 文応元年十一月十三日  善信八十八歳】(真宗聖典603頁より)

【いずれの年にもまして、去年と今年に、老若男女、多くの人々が相次いでなくなられたことは、誠にいたわしいことであります。けれども生死の無常である道理は詳しく如来の説き置かれておられるところでありますから、いまさら驚かれることではありません。まずわたくしとしましては、臨終の善し悪しは申しません。信心の定まった人は疑いの心がありませんから、浄土に生まれる身となっているわけであって、それでこそ愚かな人や無智な人でも終わりもめでたくまっとうすることができるのです。如来のおはからいによって浄土に生まれると、あなたが人々に申されていることは、わたしと少しも違っておりません。年来、わたしがこのように人々に申して来たことは今も変わりありません。けっして学者ぶった議論をなさらないで、浄土に生まれることをなし遂げてください。なくなった法然上人が「浄土の教えを信ずる人は愚か者となって浄土に生まれる」と仰せられたことを、確かに承りましたばかりでなく、なんの弁えもないあさましい人々が訪ねてくるのをご覧になっては、「かならず浄土に生まれるにちがいない」と、微笑まれるのを見たことでした。学問をした、いかにも賢しい人が訪ねてきたときは「浄土に生まれることはどうだろうか」と、仰せられるのを確かに承りました。今になって思いあわせられます。ほかの人々に騙されないようになさり、またご信心を後もどりさせないようになさって、それぞれ浄土に生まれなくてはなりません。もっとも、ひとに騙されなくても、信心の定まらない人は浄土に生まれる身とはなっていない人で、落ち着かない人であります。あなたにこのように申しあげることを、ほかの人人にもお話下さい。謹言。】(中央公論社『日本の名著 親鸞』109~110頁より)

取り乱す

2020年03月28日 | 坊主の家計簿
構造構成主義という名称を聞くだけで頭が痛くなるものを少しググったが頭がより痛くなったので、とっととスルー。ただ、「臨床に立つ」という言葉だけは気に入ったので以下は毎度の酒呑みウダウダ。

安倍昭恵氏が庭に桜のあるレストランで会食していたらしい事が一部で盛り上がっている。東京は夜間外出自粛も出しているので時間帯が気になるが、写真の空が青かった事から考えると、夕方解散での最後に記念撮影だったのかな?
立憲民主・杉尾議員が国会でこの件に関して森友問題を絡めて「人としてどうなんですか?」と発言をした。私は森友問題には興味はないが、安倍昭恵氏の関与が疑惑にしか過ぎない事は知っている。また、いわゆる「花見」と違って清潔なレストランであり、何が問題なのか一切理解出来ないが、そういう風に感じている人が杉尾議員以外にも多くいる事だけは確かみたいである。私にとっては理解出来ない他者である。

母校・大谷専修学院では毎週木曜夜に班別の生活ミーティングが行われる。別科時代の時に「○○さん(私)は勉強ばかりしてないで、もっと会話して下さい」と言われた。私もまだ若かったので「だって、お前らの話って車とかやん。そんなん興味ないもん」と言ったら、それが問題になる。坊さん道場であるが故に私は「勉強してて何がアカンねん」という論調だったのだが、専修学院ではそんな理屈は通じるわけがない。私が何をしようと、それをイヤと思う人がいるだけの話。そこに優劣も差別もなければ、要するに何を言っているか理解不明な猿が喧嘩していたら優劣などつけようがない。言語で感情移入して優劣なりを判断するのは人知の限界。

「取り乱し」という言葉が好きだったりする。英国首相が感染した影響なのか「恐怖指数」という経済の先行き不安の指数がまた上がって来ている。

イヤな事はイヤである。死ぬ事なんて、うつ病疑惑でもイヤ。故に枕元にタマタマあったハンガーも「こらアカン」と撤去した。
愛知県で新型コロナに感染発覚後にフィリピンパブに行った人はそのまま死んだらしい。結局、最後の晩餐は駅前の安い居酒屋とフィリピンパブになってしまった。本人だから理解出来ないけど、やっぱり怖くて取り乱してしまったんだと思う。
私は日本での新型コロナの影響は、直接的な感染よりも経済的な影響の方が多いと思っているが、どっちでも良い。多分、様々に取り乱した方が増えて来ると思う。理由なんてどうでも良い。「お前が弱いからや」という人もいるかも知れない。

「人がそこに居られる」(by中川先生)
善悪もクソもなく、そこに存在している事実があり、以前はどうだったかもクソもなく、そこに存在している。
人間が人間として存在する為の条件を誰かから決められる筋合いもなく、「人としてどうなのか?」なんて誰にも言われる筋合いもない。

他者である。自分の頭では理解出来ないが故に他者である。そんな他者と共に生きて行く為には「どうしょうもないのぉ…」という言葉なのかも知れない。標準語ではなんというのやの?真宗用語では「煩悩具足のわれら」か。

多分、これからますます排除と他者攻撃が激しくなって来ると思う。だって、仕方ないじゃん。怖いんだから。感染するのもイヤだし、失業するのもイヤ。思い通りに生きたいし、思い通りに生きれないのはイヤ。死ぬのもイヤ。取り乱して何が悪い。優秀な人は知らんが、私らって、そんなもんやないの?

相模原殺傷事件を犯した人と同じ論理で死刑に追い込もうとしているのが、私らちゃうの?
まだ生きたかったであろう生物を殺して喰った口で「あなたを生涯大切にしたい」と言ったりするのが、私らちゃうの?
それでも、っちゅうか、そんな形で共に存在しとるんと違うんけ?

出来ない人

2020年03月27日 | 坊主の家計簿
昨日、実家母用タブレット回線解約にauショップに行く。実家母が分かり易くFaceTimeの使い方を書いたにも関わらず使えなくなったのと同じようにauショップには「これ、どうしたらエエんでっしゃろ」という高齢者が多くいて店員さんが対応に追われていた。「大変やな」と思いつつも「私は別だし」と優越感を持っていたら「解約月は4月から6月になっていて今日解約すると違約金が発生しますが、どうなされます?」と言われ、優越感一挙に崩壊。とりあえず、愛想笑い混じりの照れ笑いを全開にして「4月になったらまた来ます」と店員さんに頭を下げて退散。

でも、頭を下げるべきは店員さんだけではなく、その場にいた高齢者だったり、多くの「出来ない人」なんだろうな。
酒呑んでいたら、ここからダラダラと「また愚かな私に気付かされた」「踏みにじっている大地から祈られている」云々と書いて行くのだろうけど、今はシラフなので終了。
ただ、南無阿弥陀佛やね。うん、南無阿弥陀佛や。

格差と個

2020年03月25日 | 坊主の家計簿
朝起きてコタツ上のコップに入った麦茶を飲む。「何やこれ!酒やんけ!」と昨晩呑んでた焼酎の麦茶割りだった事に気付くが色々と遅く、「タマにはエエやろ」とウイスキーのドクターペッパー割を呑み出しています。

今日も日経さんは元気です。リーマンショック時にも「ここが底じゃ!」と買いに出た人がその後に決算発表などで多く退場させられた事などから考えると「博徒」としか言いようがないのですが、これだけは分かりません。

今回の株価下落をリーマンショックに比例して考える人が多くいますが、リーマンショック時には封鎖なんて無かったと思います。カリフォルニア州、イギリスなど世界トップクラスの経済規模地域が封鎖されています。ニューヨークや他地域も封鎖されています。故に「比較するなら世界大戦ではないのか?」と言われる方もいます。

新型コロナでの感染はまだピークを迎えているとは言い難いみたいです。故に小池都知事も東京封鎖の可能性を示しました。
でも、市場に金がバンバン流れ込んでいるので株価はひょっとするとこのまま上昇を続けて行くかも知れません。

「格差社会」という言葉は2006年の流行語大賞だったみたいです。確か当時「え?昔から階級闘争という言葉があったやんけ」と言っていた記憶があります。

「ハゲタカ」という映画が好きです。派遣労働者と株で大儲けした人たちとの対比が良く描かれています。

アメリカでは失業者が激増しています。現状です。トランプ大統領は今年が選挙の為に荒技を使ってでも株価と失業率を抑え込もうとするでしょうが、感染がまだピークを迎えていない現状でも失業者が激増しています。日本でも、失業者以前の私が言うのも変ですが、失業者が増える事は予想されています。

数日前に、うちのマンションに住んでいるのかどうかは不明ですが、部屋を借りていた人が引越ししました。荷物を運ぶ先は車には「○○人形劇団」と書かれていました。引越し理由は分かりませんが、この御時世なので少し心配しました。

小さな店ですが、私は通算5年半ほど飲み屋をやっていました。故に経営者だった時期もあります。住職時代も経営者だったりするのですが、寺と違って固定客は居ません。常連さんは居ても毎月来るとは限りません。ですから毎月不安です。
水商売用語で「ボウズの日」というのがあります。「今日の坊主BARはボウズやったでw」と呑みに行った先では笑っていましたが、一日中客が来ないと精神的にかなり来ます。

私は少なくとも日本での新型コロナ感染死は年間でのインフルエンザ死者数の中に収まるのだろうと思っています。ですが、当然、インフルエンザで死ぬものイヤだし、新型コロナでも同じです。それが当事者です。

失業する危機を感じている人も、また当事者です。失業率と自殺率はほぼ比例していたりします。

日経なりダウが実態経済を無視してこのまま回復を続けると、失業率が高い中で株高というケッタイな状況になります。そして、「格差社会」がまた流行語大賞を取るかも知れません。

「格差社会」という事については2つ考えます。ひとつは純粋に階級闘争。ふたつは「貧乏の何が悪いねん」という事。「みんな金持ちにならなアカンのかい!」という事。「金持ちがエエ暮らししとるのに、私は…」という事。

寺社会の経済危機がずっと騒がれています。
ある所謂「葬式寺」に同じ宗派の住職から「お前、うちの檀家を奪ったやろ!」というクレームの電話があったらしい。その時に「葬式寺」の住職は「お前がそれだけの人間関係を作って来なかったからやろ」と言い返したらしい。所謂「葬式寺」の住職には私が知り得る範囲だけでも2人経済的理由から一家心中を考えた事があるような人たちである。そら、ビジネスとしての気合いの入り方が違って当然。当然、ビジネスだから檀家さんは大切にするし、最大の売物である「教え」も拡める。まあ、そうではない寺院も多くあるみたいだが、そんなに伸びていない。葬儀社からも信頼されるのは、教えもしっかり拡める「葬式寺」。

酔っているので、少し話がズレた。
「新型コロナでの感染死より経済死の方が多くなる」と、ますます囁かれている。感染死は真宗の教えでは何ともならない。どちらかというと神道の課題であり、これからますます「穢れと清め」が強くなって行くのかも知れない。
でも、自殺はこれからの話である。

昨日、コンビニに行くと、お父さんが小さな息子と歩いていた。お父さんが息子を見ながら歩幅を大きくとって歩いていると、息子もそれを真似て歩いていた。2人とも物凄く楽しそうで「私も離婚しなければ…」と心をえぐられる。愚痴を含めて何度も書くが、私は鬱疑惑で寝込んでいる所を突然離婚を突きつけられ、家族も仕事も住所も一気に奪われてしまった。でも、生きている。鬱は悪化したかも知れないけど、でも、生きている。

それは当然、タマタマだ。死ぬ人も多いだろうし、本当にタマタマの話でしかない。でも、私の中ではタマタマ真宗仏教に出会ったという事も含まれてのタマタマである。クリスチャンになったタマタマの人もいれば、他のタマタマもあったかも知れないが、私は真宗門徒なので、真宗門徒として話す。

タマタマ真宗仏教に出会った若かりし私は、それまでもプチインテリ気取りで色々な本を読んでいたので南無阿弥陀佛という念佛申す事が物凄くイヤだった。親鸞の教えに出会った人たちは魅力的だったし、親鸞の教えにも惹かれた。でも、念佛申す事は物凄くイヤだった。
そんな中、私は元々左派的な思考だったので僧侶になる前からの知人であった菱木政晴という右派が作る「日本の売国奴リスト」の上位にも名指しされている人から「南無阿弥陀佛は『ありとあらゆる権威を否定する』という教えに対してだけは仮に従う」という言葉を大谷専修学院時代に聞いて、ようやく抵抗なく「南無阿弥陀佛」と言えるようになった。当然、菱木の教えに服従する必要もなく、最近は会ってないけど、会うと議論ばっかりしている。でも、その言葉は好きだ。

「個」という事。
仏教では「無有代者」という言葉があるが、私流に訳すると「誰の人生、生きとるねん!」と思う。存在という事実があり、その存在は誰にも変わる事が出来なく、思いの外にただ存在している。

「俺の人生、失敗や」と、私はよく思う。それの考えを奪われる権利など誰にもない。失敗した人生がアカンのか?思い通りに生きれなかった人生がアカンのか?当然、その「思い」が問題になるが、そんな戯論よりも「アカンのか?」というシンプルな生存欲から来るメッセージの方が遥かに大切だと思う。

のら犬にさえなれない

2020年03月22日 | 坊主の家計簿
カラオケの十八番の一つに「のら犬にさえなれない」という曲があるのだが、野良猫は見るけど、野良犬は全く見なくなった。それはそれで「社会的」という観念からすると「良い事」なのかも知れないけど、反面、物凄く怖く感じる。野良犬でさえ生きる事が出来なくなった街というのは、物凄く怖い。

確かに野良犬には狂犬病なり、襲われる危険性がある。ガキの頃に近くの旧村でもそういう騒動があった。でも、今は全く見かけなくなった。

「のら犬にさえなれない」は、1983年の曲。それから40年近く経った今の大阪のガキには「野良犬って何?」なのかも知れない。

そんな綺麗で安全な街になった事を私は素直に喜ぶ事は出来ない。

「鬼」と呼ばれていた人たちが居ている。東北もそうだし、近畿でも福知山とか。でも、当然「鬼」と呼ばれる筋合いもなく、ただ、都にとって都合が悪かっただけの話し。排除される民=鬼だっただけの話。

犬は家で変われる以外の生存を認められていない。管理された中でしか生きる事を認められていない。
人間は?

トリックスター

2020年03月22日 | 坊主の家計簿
本日、さいたまスーパーアリーナで開催予定のK1で感染が拡がれば、「要請でなく強制しろ!」と、また全体主義の流れが加速するんやろね。

世の中には一定数のバカがいる。バカはバカなのでルールに従わない。「それは社会全体にとって良くない事なんだよ」と言っても聞かない。そういう人たちに色々な病名を付けたり事も容易なのかも知れない。

バカは他人からするとバカにしか見えないが、違う理屈で生きているだけなのかも知れない。
ドイツでは若者たちが自粛要請を無視して「コロナパーティー」をやっているらしい。若者が感染死する可能性は低いが感染は拡げる。でも、やる。それは単に「イェ〜イ!俺たち最高!」の人たちも居れば、「ナチスドイツの歴史を再び行わせない為」の人たちも居るかも知れない。

そういう「バカ」という他者と、どうやって共に生きて行くのか?という事も問われている。

身体拘束なり隔離するなら、現状、刑務所含む様々な施設で行われているように、すれば良い。
または、バカの行動を制限すれば良い。ただ、そこに「正義」は不要である。バカであろうとも行動を制限するのだから悪である。罪である。「ごめんなさいね。あなたの意思に反するかも知れないけど、私に迷惑がかかるから排除させてね」と言えば良い。「話合えば分かる」「いつか分かって貰えるはず」と主観を押し付けるのではなく、「他者を排除した犠牲の上に生きている」という認識を、罪意識から逃れたい為に正義で肯定化するのではなく、罪意識を持てば良い。

今日開催のK1出場メンバーを見ると、誰一人として知らないが、きっと楽しみにしている人が多くいるのだろう。当然、その人たちは楽しみによって免疫力アップに繋がるが、感染リスクは別であり、感染を拡げる事になるのかも知れない。ただ、私はバカの行動も含めてのゼロリスクはあり得ないと思っている。

鬱病は年々増加傾向らしい。理由は様々あるのだろうが、やっぱり社会が生き辛くなっていると思う。余裕が無くなっている。
「コーディネートは、こうでねぇと」という下らんギャグを考える程度には私はコーディネートを気にする人である。故に座右の銘も「中途半端」にしたが、それでも鬱疑惑の引き篭りになった。
鬱病は、自殺リスクだけでなく、栄養面での偏りなどからの死亡リスクも高い。酒量が増える人もいれば、喫煙量が増える人もいる。

新型コロナ感染治療の現場医師が「私たちは新型コロナ患者だけを相手にするわけにはいかない」と、医療崩壊云々の流れで話しておられた。

K1なりのイベント開催は、確かに新型コロナ感染の面から見るとバカの行動であり、感染を拡げるかも知れない。その事によって感染死も増えるかも知れない。
だが、「自粛!自粛!自粛!」という気運の中での社会ストレスは生き辛さにも繋がっている。その結果として鬱病患者の増加傾向が益々加速するのかも知れない。

「この御時世にK1開催やって。バカちゃうかw」と、ヒステリックにならずに、笑って認める社会の方が、私は好きだ。

大阪からの「兵庫に行くな」「兵庫から来るな」という自粛要請最終日。兵庫名物「もっこすラーメン」は値上げしたので行く気にならず、代わりの急用は食べログで見つからず、というかそれ以前に鬱が酷くて外出不能だったりするのだが、「大阪からもっこすラーメンを食べに来ました!」とインスタなどにアップして叩かれる姿を想像すると楽しい。ロックなんて元々不謹慎なトリックスターなんだよ!

穢れ

2020年03月15日 | 坊主の家計簿
イタリア政府の要請を受けローマ市内の教会を閉鎖する考えを示した枢機卿に対して「舐めとんのか!」(意訳)とローマ教皇が発言し「信心深い神の民を置き去りにすることがないように」と祈ったらしい。その事により政府の要請を無視して再び門戸を開く教会も出て来たらしい。

ローマ教皇は数日前にも新型コロナに感染して病気になった人たちに「会いに行く勇気を持つ」よう聖職者に対して呼びかけたらしい。
信仰は違うといえ尊敬出来る発言である。当然、遠藤周作「沈黙」に出て来るキチジローのような「弱かもの」に私は共感を覚えるが故に「新型コロナ、怖いっす…。教皇の意向に背くかも知れませんが、私は教会を閉めますし、感染者に会いに行く事も無理っす…」という形でイエスに出会うのもアリだと真宗門徒の私は勝手に思う。

山本太郎が「東日本大震災から9年を迎えるにあたって」として、れいわ新撰組の公式発表の中に「自ら農地で被曝しながら生産活動を続ける生産者」と書いてあったが、世界中の何処かに被曝せずに生活出来る場所があるのだろうか?にも関わらず、何故、東日本大震災での党の公式発表として東北差別、福島差別を増長するような発言をするのか?まあ、それが山本太郎であり、山本太郎を支持する人たちなんだろうけど。

ローマ教皇が新型コロナで病気になられた方々に「会いに行く勇気を持つ」という発言を聞いて、親鸞絵伝の親鸞荼毘の所にハンセン病患者とされた説もある犬神人の姿が描かれている事を思い出した。親鸞と犬神人との関係にも諸説あるらしいが「え〜!アイツらの所に行ったら病気移るやん」という親鸞の姿は想像出来ない。同様に経典の中にも釈尊と疫病患者との関係なども多くあるだろう。

被曝は日本では穢れ思想で考えるべきだ。被曝量が多い=穢れが多いになった。避難した人たちが「放射能が移る」とイジメられたり、福島県というだけで結婚を断られたりする話もあるらしい。被差別差別にプラスして、新たに福島差別が出来ただけの話である。

我が大谷派でも被差別問題を含む社会問題に関心のある方の中に、被曝という新しい穢れ思想を受け入れる事が出来ない人たちが多く居て、逆に穢れ思想を煽っている人たちが居るのは非常に悲しい話である。

ただ、それが人間という存在なんだと思う。どんな状況だろうが、どんな状態だろうが、生きている人。という現実。

自己を中心に生きている限りは、排除する人(穢れ)を作り出す事から逃げ出す事は不可能だと私は勝手に思います。鬱病疑惑で引き篭りの私も、当然「健康万歳!」の中で排除されて行く1人だと思います。
また、社会的弱者に気を配るという健康思想もあります。差別者は悪であるという健康思想もあります。
「煩悩具足のわれら」という言葉があります。辞書的な解釈は別として、「みんな自己に引き篭もって気い狂っとるやろ!」と勝手に思います。

森元総理VSトランプ大統領

2020年03月13日 | 坊主の家計簿
トランプ発言で一気に延期の流れになって来た東京オリンピックだが、数日前に「1、2年の延期が現実的」と発言した東京五輪組織委理事に「アホ!ボケ!カス!われ、舐めとんのけ!」(意訳)と電話した森喜朗組織委会長はトランプ大統領にも「こら、ヅラ野郎!ワシが今年やるっちゅうたら今年なんじゃ!舐めとったらシバキ倒すぞ!」と電話してプロレス好きのトランプ大統領から「ほな、リングの上で決めたろうやんけ」と言われ、急遽マジソンスクエアガーデンで現役大統領vs元総理大臣という夢の対決が行われるかも知れない…。

つか、森喜朗氏が今年に拘るのは医師から余命を告げられており、それをCIAからの情報で知ったトランプ大統領が「おぉ…。尊敬するヨシロー・モリが…。こら、オリンピックを延期して来年を楽しみに少しでも長生きして貰うで!2人でオリンピック前夜祭で東京ドーム決戦や!」なのかも知れない。

まあ、何にしても世界経済ボロボロに向かって行く中でオリンピックに投資したゼニを無駄にする事はもったいなく、東日本大震災からの復興オリンピックとしてだけではなく、新型コロナからの復興オリンピックとしての意味も持たせて、武漢などからも聖火リレーを走らせたらエエやん。パーっと行こうや、パーっと。当然、その為にも前夜祭でトランプ大統領(前大統領になってるかも知れんが…)との対決をする森喜朗氏にも長生きして貰わなあきまへんなぁ〜。

清潔大国

2020年03月12日 | 坊主の家計簿
2007年 1 108 334人‬
‪2008年 1 142 407人‬
‪2009年 1 141 865人(新型インフル)‬
‪2010年 1 197 012人‬
‪2011年 1 253 066人‬

‪前回パンデミックの2009年を中心にした日本人年間死者数(厚労省発表)。‬
オマケ画像。

病的な清潔大国日本は新型インフルにも強かった。

ヤンバイにしてけさい東北

2020年03月11日 | 坊主の家計簿
3月11日。「え?もう3月11日なん?春やんけ!どおりで寝汗凄いはずやわ」と、布団を1枚減らしました。

そんな感じで頭はまだボケています。不義理を散々しながらも、今は休む事が最優先事項です。私も復興中です。

「がんばろう」は本人がいうならともかく、それが抑圧になり、より「がんばれなく」なる場合もあります。ですから「がんばろう東北」ではなく、「ええ加減に東北」の方が良いと思ったのですが、「ええ加減」という大阪弁のニュアンスが東北では別の意味になるかも知れないので、「ヤンバイにしてけさい東北」「ヤンバイでいいべ東北」の方が良いのかも知れない。まあ、東北はクソデカいので「うちはそんな言葉使わん」なのかも知れないが…。

サーキット・ブレーカー

2020年03月10日 | 坊主の家計簿
「サーキット・ブレーカー」という言葉を生まれて初めて知る。

基本的に私は「世間の事なんか知らねえよ」で生きて来た。故に、銭勘定は得意でも経済が苦手というか株をやり始めるまで気にした事が無かった。

ブラックマンデーが起こった時のニュースは何故か良く覚えている。京都・西陣の反物工場でクソ重いトロッコを押すバイトを時給500円でしていて、昼食時に工場のテレビで流れていたが、時給500円で「NY証券取引所では大暴落」云々言われてもピンと来なかった。

いわゆるバブル期の最後辺りにミナミで保証金20万家賃3万のパンクBARをやっていた。20だか21才のガキで経済に興味無かったし、タクシーが止まらないのも当たり前だと思っていた。店は色々と書けない理由でヤバくなって辞めた。

バブル崩壊後に人材派遣という以前は使った事が無かった制度で大幅に上がった時給で京都山科に住み、大津市、草津市辺りで工場バイトしていた。バブル崩壊したのか何なのか個人的には分からず気にせずに高くなった時給に大喜びしていた。

リーマンショック時は大阪のお寺で働いていた。門徒さんとそんな会話もしたかも知れないが記憶に一切ない。お寺の待遇も良かったし、リーマンショックだからと言って給与が下がるわけもなく、理解ある優しい兄貴みたいな住職の元で様々な学習会や会議などにも参加させて貰っていた。

その後すぐに最初の結婚をし、住職になった。物凄い不景気で派遣村などがテレビで話題になり、釜ヶ崎辺りだけではなく心斎橋筋商店街にもホームレスが多くいたりした。でも、個人的には葬儀社から便利な存在として認識されたのか、京都で最初に働いた寺で叩き込まれた葬儀社との付き合い方が役に立ったのか不明だが、3流(3軍)の葬儀坊主にはなる事が出来たので「不景気」と言われてもピンと来なかった。当たり前ながら布施に不満を言った事もないし「部屋でゴロゴロしても1円にもならん」というポリシーで価格破壊上等のクソ安い葬儀や法事などもバンバン受けた。今から考えると不景気で今まで付き合いがある寺に頼めなかったから私に依頼があったのかも知れない。

株を始めたのは、東北時代の相方から「ポイント」という概念を教えて貰ったから。クレジットカードは持っていたけど面倒なので殆ど使っていなかった。でも、1%のポイントでも積もれば大きくなる。東北は当然大阪よりも給与は安いし、また、車が生活必需品である。故に同じ仕事をしていても収入は少ないが毎月出て行く金は大きい。自分で商売やったり住職やったりしていたから小銭にも煩いが「毎月こんなに損をしていたとは!」と、ポイントについて学び、知的障がい者施設を辞めて数ヶ月後に株を始めた。
そして、経済についても必然的に学び出した。ドル円や日経平均など、今まで気にした事がないものに注目して、小銭を稼いでは主に息子の服を買っていた。

今回の金融危機は「コロナショック」とでも名付けられるのだろうか?ちなみに最初に書いた「サーキット・ブレーカー」が発動されたのは2013年に今の制度が出来てから初らしい。

不安を煽るのは好きではない。株で空売りしてたら「ゼニの為に不安を煽るで」になっていたのかも知れないけど、空売り出来る程の博徒ではない。また、今日もテレ朝・モーニングショーで「日本での新刊コロナでの死者数が少ないのは隠しているからだ」と福島第一原発事故での被曝と同じような陰謀論を立てて過去最高視聴率を稼ぐようなメリットもない。

でも、多分、ヤバい。
失業者率と自殺率の関係は密接らしい。

先に書いた通り、私は経済も気にした事がないような、ある意味恵まれた人だったのかも知れない。でも、これは当然人間関係だから私にも問題があるのだが、前の相方から私的には突然離婚を突きつけられて家族も住所も仕事も一気に失った時に真っ先に考えたのは当たり前ながら死ぬ事である。「ああ、もうエエわ。俺の人生終わった」という事である。生まれて初めて過呼吸になるし、手は意味なく震える。

それでも死ななかった最大の理由は、死ぬ気力すら無かったからだと思う。当時から通院してないだけの鬱病疑惑だったし。
でも、念佛もあったと思う。若かりし日、大谷専修学院本科時代に書道の課題に書いた言葉

一切皆苦だから
不安に立つだから
逃げるな
誰から
何から
逃げるな

だったっけな?そんな若かりし日に学んだ念佛があったから。「どんな私でも私は私である」という当たり前の事。思い通りに生きれなくて世間や自分に唾を吐いて「け!」っと。そんな自分や他人に唾を吐く生活に「悲しいねって言えるかどうか。南無阿弥陀佛って言えるかどうか」(by鍵主先生)だったりした。私には。他人には当然知らないし、勝手に決めれば良い。

決める自由は誰にでもある。「個」なんだ。思い通りに生きれなかった事は物凄くショックである。だから、「個」なんだ。思い通りに行きたくて転がり続けているが故に、悩み、あげき、死ぬ事を考えてしまうような「個」なんだ。誰にも否定される必要なんて全くなく、存在自体が関係存在として意味ある、社会的にも意味ある、貴重な、掛け替えのない「個」なんだ。

だから、確か51才無職で鬱疑惑の引き篭もりの私でも、理想とは全く違い「なんやねん、こら、アホ、ボケ、しばくぞ」という私でも何とか生きてられる。今後は知らん。明日死んだら笑えば良い。「こいつ、よう51才まで生きよったなぁ」と笑えば良い。つか、笑ってくれ。それが、私の「個」である。