坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

法を聞けよ

2013年09月29日 | 坊主の家計簿
【「この鶯籠は、蓮如上人の御病中のつれづれをお慰めする為に、献上した鶯用の籠ですが、上人は鶯の声をお聞きになって『鳥さえも、法を聞けよと教えてくれている』といって大変お喜びになったということである。」
と説明された時、清九郎は心の開ける思いがしました。山でも里でも、私につきまとうようにして「ほう、ほけきょ」とさえずっていたあの鶯は「法を聞けよ」とさいそくしてくれていたのか、と気づいたのです。それからいよいよ大事をかけて法を聞くようになり、おかげさまでやっと本願の尊さを身にしみて味あうようになりましたと清九郎は語っておりました。】
http://www2.synapse.ne.jp/syouhukuji/myou12.htm


今日は学習会。
なんか、話の流れで昔話をしてしまった。

今でもかなり人間性の狭い「こうじゃないといけない」的な部分が多々あるけど、一応、色々と削られ、丸くなって来た。
でも、まだまだ尖りまくっていた時に、あるお寺での法要に参加した。昼の部と夜の部があって、昼の部が終っての休憩。そのままその寺で過ごしても良かったんだろうけど、気を使うのがイヤだったし、気を使われるのもイヤだったので、お寺の近所の小さな銭湯に行ってから、駅前の食堂で食事しながらビールを呑む予定に。

夕方早い時間の小さな銭湯はガラガラで、客は私ともう一人だけ。真夏だった事もあって簡単に汗を流して、と、風呂場に居てたら、その人が話かけて来た。

「兄ちゃん。やっぱり銭湯はイイな。うちにも風呂あるけど、順番があるからゆっくり入られへん」

と。
なんか、その言葉に物凄く感動した。

「そうや、俺はずっと自分の人生を焦ってばかりいて、落ち着く事なく、全くゆっくりしてない」

と。

20才から、まあ、途中、なんじゃかんじゃあったけど、最終的に26まで付き合った女の子が居た。
20で付き合った当時、彼女は16。お互いにお金がなかった(今もだが)ので、デートは主に歩く。

その日のデートは京阪三条で待ち合わせて銀閣寺に行こうとしていた。私は「今日は銀閣寺まで行く」と、目標を目指していた。だから、途中を焦る。「そんなにゆっくりしてたら銀閣寺まで行かれへん」と。怒る彼女。「私は別に銀閣寺に辿りつけなくてもいい。それよりも今、ここでゆっくりと楽しみたい」

うぐいすの鳴き声を「法を聞けよ」と蓮如が本当に言ったのかどうか知らないが、やはり、「法を聞けよ」と聞いた人が居てるから、先に引用した話が伝わっている。それだけの「問い」があったからだと思う。真剣な問いがあったが故に、求めざるを得ない何かがあったか故に、「法を聞けよ」と聞こえる。うぐいすの鳴き声が諸仏善知識の言葉として頂ける。

とはいえ、そんなものは無理して出来るものでもない。今の私はすっかり怠けているというか、落ち着き、「救われてしまっている」という魔境にいるので、街ゆく人たち声から、自分の問いに対する感動を得る事が出来難くなっている。

問いを深める。
いや、深めざるを得ない状態か。悪人正機。

著作権

2013年09月28日 | 坊主の家計簿
http://freemovielib.blog47.fc2.com
映画無料動画資料館…。

え…、バイト先の冷蔵庫に入ったりなんぞの「バカッター」が昼間のワイドショーでも取り上げられていたけど、こういうのってどうよ(笑)

YouTubeに無断アップされていた福島第一原発・水素爆発の映像を著作権者が削除依頼して行ったという当然の行動に対して「福島中央テレビは真実を隠そうとしている!」だとか、「原子力ムラ」だとか意味不明の事を騒いでいた人たちの方が、バイト先の冷蔵庫に入ったりするバカッターよりも遥かに問題だと思うが。罪意識、ゼロで削除される事に逆ギレするって、どれだけ放射脳の正義の味方気分なんだ?(笑)

神をおがまなくてよし、おがみてもよし、おがむ節にはなんまえだと三べんとなえろ。

2013年09月26日 | 坊主の家計簿
【神をおがまなくてよし、おがみてもよし、おがむ節にはなんまえだと三べんとなえろ。】
http://www.city.takizawa.iwate.jp/contents/sonshi/web/honbun27.html


この言葉、結構好き。
また、隠し念仏の人がこの言葉が言えるって、結構大変な事だと思うが。

彼岸と此岸。

2013年09月24日 | 坊主の家計簿
彼岸と此岸。
これを混同してしまうと、この世の差別が問えなくなる。
彼岸の世界からの光に照らされて、この世の、我身の差別(心)が明らかになる。


彼岸と此岸。
これを混同してしまうと、我身の醜さが、いや、醜さを隠そうとしてしまう心に光が入らない。問題に、課題にならない。故に、「あっちにいっちゃった系」になってしまう。心地よい自我という繭に囲まれた世界を肯定してしまう。肯定してしまう事を課題か、問題化出来ない。心地よい言葉ばかりを吐いて、あるいは「見ようとして」醜悪な我身から逃れようとする。


四法印では一切皆苦が入る。これが何故「法の印」なのか?事実だからである。縁起の道理を引き受けられない我身が故に「一切皆苦」なのである。ここを抑えないと、何の為の、誰の為の仏教なのか全く解らなくなってしまう。


「ダメ人間の自己肯定」が何故悪い。その場合に問題があるとするならば、「ダメ人間であるが故に素晴らしい」と、娑婆の論理に戻してしまう事だ。それは「金持ちだから素晴らしい」と何等変わらない。そして、同じく、悲しく、情けなく、寂しい話でしかない。


易往而無人。往き易く人無し。
単純な話である。差別心が許さない。ダメ人間がダメ人間のままで救われる(一切平等)など認められないからだ。それだけの話である。


だから、差別化しようと、あくせくする。真宗仏教を使ってでもあくせくする。そんな、差別心バリバリのダメ人間すら救って下さるのが真宗仏教ではないのか?


ただ念仏。「念仏以外の一切の価値観を拒否する」
もっというなれば、(流転輪廻している)存在している事以外の一切の価値観を拒否する。
それが故に、同悲同苦ではないのか?「煩悩具足のわれら」ではないのか?


「人間は二度産まれる。一度は母から。二度目は如来より。苦悩は如来の陣痛なり」
という言葉があって、当然、誰の言葉なのか憶えていない。ひょっとして自分の中で変革されているかも知れない。しかしながら、大切にしたい言葉。


他人の苦悩は見えない。あくまでも「知っている情報」だけで判断しているだけだ。解らんのだ。解らんにも関わらず、知っている情報だけで他人を切り裁く。その働くは同時に(思っている)自分をも切り裁く。


切り裁くのはエロスだ。快感である。故に酔い痴れる事が出来る。「私ってなんて酷い人間なのかしら」と酔い痴れる。それが快感になる。それが、いや、それもエロスである。


そんな中毒患者である。中毒患者が健康なフリをして、「私、間違ってませんから」とはお笑いであるが、笑えない我身の事実がある。全く同じである。故に、笑えずに、共に泣く、悲しむしかない。


笑える権限を持った人間などこの世に誰一人として居ない。しかしながら、そんな立場であると勘違いしてしまう。それも宗教の危険性ではないのか?だから、信仰が、御本尊が必要ではないのか?


よふたし、寝る


最後。自己批判程、甘っちょろいものはない。単に酔い痴れているだけ。まあ、酔っぱらいが言っても何の説得力もないが、単に我身を立てるだけ。どれだけ血反吐を吐こうとも、我身を立てているだけ。


友達って、本当に有難い。
まあ、親子、結婚相手、恋人、どんな関係であっても構わないのだが。


最後の最後。「自分が出来る(出来た)から」といって、それを他人に当てはめるのは、アホでしかない。そして、私(たち)は、そんなアホでしかない。それが彼岸と此岸。

半沢直樹

2013年09月23日 | 坊主の家計簿
袖振り合うも多生の縁→さるべき業縁のもよおさばいかなる振舞いもすべし→半沢直樹→ダンマパダ→彼岸と此岸

と、10分でまとめた本日最後の法話。

半沢直樹ネタは暫く鉄板なので、このまま10月の法話実習でも使お。あ、彼岸でないので、教えに照らされるバージョンにしよ。

ちなみに午前は

晩年の仏陀→半沢直樹→彼岸と此岸

と、やはり半沢直樹(笑)

 わたしは晩年の仏陀が一番好きだ  
 背中が痛い背中が痛いと言いながら
 あるときはただひとりで あるときはアナンと二人で
 老樹の下や川のほとりで休んでいられる
 八十ちかい釈尊の姿に一番こころひかれる
 小鳥たちも相寄ってきただろう
 野の草たちも相競って咲いたであろう
 その頃の仏陀はもうわれわれと少しも変わりのないお姿で
 静かに全てを抱擁し
 一日でも長く生きて一人でも多くの者に
 あたたかい教えを説いてまわられた
 父のように慕わしい晩年の仏陀よ

(坂村真民 『晩年の仏陀』)

やられたらやり返す。倍返しだ!

2013年09月23日 | 坊主の家計簿
やられたらやり返す。倍返しだ!

3 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われらから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息むことがない。
4 「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われにうち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息む。
5  実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
6 「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。──このことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。(ダンマパダより)

100倍返しだ!

2013年09月23日 | 坊主の家計簿
100倍返しだ!

和辻哲郎『土下座』

【ある男が祖父の葬式に行ったときの話です。
 田舎のことで葬場は墓地のそばの空地を使うことになっています。大きい松が二、三本、その下に石の棺台、――松の樹陰はようやく坊さんや遺族を覆うくらいで、会葬者は皆炎熱の太陽に照りつけられながら、芝生の上や畑の中に立っていました。永いなじみでもあり、また、癇癪持ちではあったが、心から親切な医者として、半世紀以上この田舎で働いていた祖父のために、ずいぶん多くの人が会葬してくれました。
 式が終わりに近づいた時、この男は父親と二人で墓地の入り口へ出ました。会葬者に挨拶するためです。入り口のところには道側の芝の中に小さい石の地蔵様が並んでいました。それと向かい合った道側の雑草の上に、荒蓆が一枚敷いてあります。その上に彼は父親と二人でしゃがみました。そこへ来るまで彼は、道側に立って会葬者にお辞儀するのだろうと考えていましたが、父親がしゃがんだので同じくまねをしてしゃがんだのです。
 やがて式がすんで、会葬者がぞろぞろと帰って行きます。狭い田舎道ですから会葬者の足がすぐ眼の前を通って行くのです。靴をはいた足や長い裾と足袋で隠された足などはきわめて少数で、多くは銅色にやけた農業労働者の足でした。彼はうなだれたままその足に会釈しました。せいぜい見るのは腰から下ですが、それだけ見ていてもその足の持ち主がどんな顔をしてどんなお辞儀をして彼の前を通って行くかがわかるのです。ある人はいかにも恐縮したようなそぶりをしました。ある人は涙ぐむように見えました。彼はこの瞬間にじじいの霊を中に置いてこれらの人々の心と思いがけぬ密接な交通をしているのを感じました。実際彼も涙する心持ちで、じじいを葬ってくれた人々に、――というよりはその人々の足に、心から感謝の意を表わしていました。そうしてこの人々の前に土下座していることが、いかにも当然な、似つかわしいことのように思われました。
 これは彼にとって実に思いがけぬことでした。彼はこれらの人々の前に謙遜になろうなどと考えたことはなかったのです。ただ漫然と風習に従って土下座したに過ぎぬのです。しかるに自分の身をこういう形に置いたということで、自分にも思いがけぬような謙遜な気持ちになれたのです。彼はこの時、銅色の足と自分との関係が、やっと正しい位置に戻されたという気がしました。そうして正当な心の交通が、やっとここで可能になったという気がしました。それとともに現在の社会組織や教育などというものが、知らず知らずの間にどれだけ人と人との間を距てているかということにも気づきました。心情さえ謙遜になっていれば、形は必ずしも問うに及ばぬと考えていた彼は、ここで形の意味をしみじみと感じました。
 彼と父親とがそうして土下座しているところへ、七十余りになる老人が、仏前に供えた造花の花を二枝手に持って、泣きながらやって来ました。「おじいさんの永生きにあやかりとうてな、こ、こ、これを、もろうて来ました。なあ、おじいさんは永生きじゃった――永生きじゃった――」涙で声を詰まらせながら、酒に酔うたもののようにふらふらしながらこの老人は幾度も同じことを繰り返して造花を振り回しました。祖父は九十二歳まで生きたのです。そうしてこの祖父が生きていたことは、この界隈の老人連に対して、生命の保証のように感じられていたに相違ないのです。その祖父が死んだ、それがこの老人連にどんな印象を与えたか、――彼はやっとそこに気づきました。彼が物心がついた時には祖父はもう七十以上で、その後二十年の間、この界隈の老人が死ぬごとに、幾度となく祖父の感慨を聞いたものでした。昔の同じ時代を知っているものが、もうたった三人になった、二人になった、一人になった、自分ひとり取り残された! あるいはまた、自分の次の時代のものさえも、もうほとんど残っていない! 祖父はそれを寂しそうに話しました。しかしこの祖父の心の寂しさを、彼は今まで気づかないでいたのです。彼はただ孫の立場で、この善良な、しかし頑固な祖父のために、いかに孫たちがよけいな苦労をしなければならないかをのみ感じていました。今祖父を葬ったその場で、永い間の祖父の心の寂しさを、この造花を振りまわす老人から教わりました。彼の知らなかった老人の心の世界が、漠然とながら彼にも開けて来ました。彼は土下座したために老人に対して抱くべき人間らしい心を教わることができたのです。
 彼は翌日また父親とともに、自分の村だけは家ごとに礼に回りました。彼は銅色の足に礼をしたと同じ心持ちで、黒くすすけた農家の土間や農事の手伝いで日にやけた善良な農家の主婦たちに礼をしました。彼が親しみを感ずることができなかったのは、こういう村でもすでに見いだすことのできる曖昧宿で、夜の仕事のために昼寝をしている二、三のだらしない女から、都会の文明の片鱗を見せたような無感動な眼を向けられた時だけでした。が、この一、二の例外が、彼には妙にひどくこたえました。彼はその時、昨日から続いた自分の心持ちに、少しひびのはいったことを感じたのです。せっかくのぼった高みから、また引きおろされたような気持ちがしたのです。
 彼がもしこの土下座の経験を彼の生活全体に押しひろめる事ができたら、彼は新しい生活に進出することができるでしょう。彼はその問題を絶えず心で暖めています。あるいはいつか孵る時があるかも知れません。しかしあの時はいったひびはそのままになっています。それは偶然にはいったひびではなく、やはり彼自身の心にある必然のひびでした。このひびの繕える時が来なくては、おそらく彼の卵は孵らないでしょう。】

それは仏教ではない

2013年09月20日 | 坊主の家計簿
【ここではっきりと言っておきたい。仏教はこころの教えではない。またどう生きるかを教えるものでもない。それを聞くことによって人間の質が向上するようなものでもない。人間のありのままの姿を知らせ、それを問うものである。仏教に出会うことによって見えてくるものに対して、どう生きていくかは、一人一人が決めることなのである。こうでなければならないということが一切ないのが仏教である。ただ一つ、あなたは仏になりたいのか、と問いかけてくるのである。仏教が私たちに要求するのは、ただそれだけなのである。】(竹橋太「本願」より)

娑婆世間の論理で娑婆世間の問題を指摘するのはよく解るのだが、娑婆世界の問題を「それは仏教ではない」と指摘するならば、それがいかに「仏教ではない」という根拠・論証を示さない限り、単に『仏教』という言葉を使って他人を踏み躙っているだけ。仏教という言葉を、根拠なく、論証なく、自分を守る為に他人を攻撃する道具に使っているだけ。そんな言葉に耳を貸す閑人は、まあ、余程ボランティア精神に溢れた人達だけなんだろう。

あっちに行っちゃった系

2013年09月20日 | 坊主の家計簿
【ところで、経・論・釈から引かれたこれら「鬼・神・魔」は、もともとインド民族・中国民族の俗信であって、日本人のそれではありません。それにもかかわらず聖人がそれらの俗信にただならぬ関心を寄せられるのは、日本人の現実の上にその姿を見られたからです。では、日本人の「鬼・神・魔」とは何か。それは「良時吉日えらばしめ 天神(あまつかみ)地祇(くにつかみ)をあがめつつ 卜占祭祀(うら・まつり・はらえ)つとめとす」るような、日本古来の「霊の信仰」と外来の俗信とをつきまぜた、当時の習俗宗教にほかなりません。】(和田稠『信の回復』P124~125より)

こういう宗教的感性というのは大切。
例えば『仏』という言葉を限定した中しか感じる事が出来なければ少し勿体無い。

先日、学校帰りに同期生と、ある先生の話をしていた。時期は違うが教師修練で偶々同じ先生が担当だったので。若手の学者であるその先生は私が修練だった頃とは大きく変わっているらしい。

何やら、その同期生の話によると「仏を見た」だったか、「仏に出会った」だったのか泥酔していたので忘れたが、そういう出会いをなさったらしい。それは、若手学者先生の子どもさんが大病をなされ、その子のそばでずっと心配して大変な思いをしている時に、その大病をしている子どもから案じられている「声」を聞いたらしい。

当然、これは、その同期生が感じた事を聞いて、私が感じた事を書いているだけである。

その若手学者先生はその先生の体験だが、例えば被災地に行って「支援しているつもりが支援されていた」という事はよく聞く。
その事を深める、或いは、

「我々に出来る事は仏に出会うまで、眼をこらせ、耳をそば立て、懸命に追い求めるしかないのです」(ある先生)

という様な人ならば、その若手学者先生の様な声を聞けたのかも知れない。

当然、求道心のない、「あっちに行っちゃった系」の人には一切通じない話なんだが、自分の宗教的感性の乏しさ、求道の死を肯定するだけでなく、人をおちょくる人は鬱陶しいので、とっとと自分自身でケジメを付けて貰いたいもんなんだが、まあ、「あっちに行っちゃった系」の人には何を言っても無理か。

次に会った時にしっかりとケジメを付けさせて貰うが(爆笑)

流転輪廻

2013年09月19日 | 坊主の家計簿
今日は難度会主催の臘扇忌法要。

え…。渡海難って、最近何してるねん?まだ2chに居てるのか?つか、絡んだ事ないけどw

【自己とは他なし。絶対無限の妙用に乗托して、任運に法爾に此の境遇に落在せるもの、即ち是なり。只だ夫れ絶対無限に乗托す。故に死生の事、亦た憂ふるに足らず。死生尚ほ且つ憂ふるに足らず。如何に況んや、此より而下なる事件に於いてをや。追放可なり、獄牢甘んずべし。誹謗擯斥、許多の凌辱、竟に意に介すべきものあらんや。否な之を憂ふると雖も、之を意に介すと雖も、吾人は之を如何ともする能はざるなり。我人は寧ろ只管絶対無限の吾人に賦与せるものを楽しまんかな】

え~と、今日の拝読文もこれで良かったっけ?

大谷専修学院でこの言葉に出会って、ひっくり返ったというか、物凄い破壊力の感動。

今もだけど、当時の方が、エゴがセルフを切り裁いていた。ようするに思い通りに生きる事が出来ていない、即ち理想の私を追い求めるが故に、現実の私を引き受ける事が出来なかった。だから、恩師・竹中先生は「あなたは安田先生の『自己に背くもの』を読みなさい」と、ずっと。

流転輪廻する私を許せなかった。そうやって切り裁き、ついでに身体も切り裁き、精神も切り裁き、単なる自殺未遂の生き残り。

娑婆には娑婆の論理があり、娑婆に生きている限り、時衆(その時代の影響を受けて育つ)として、エゴがセルフを切り裁いていた。今も変わらんが、まあ、少し落ち着いた。というか、そういう自分の在り方、鬼神に仕える在り方が問題だと、それが故に苦しむのだ、という事が分かったし。

仏教は縁起・無我・空の教えであると同時に慈悲の教え。抜苦与楽。真宗仏教としての展開では、共苦か。煩悩具足のわれら。

廃悪修善(悪を廃して善を修める)ではなく、転悪成善(悪を転じて善となす)って、

【かぜもないのに  ほろほろと  だいちのうえに  かえりゆく
はなをみつめて  なみだした  しんらんさまは  なつかしい

よはのあらしに  はなはちる  ひともむじょうの かぜにちる
はかないうきよに なみだした  しんらんさまは  なつかしい

とうさまかあさま うしのうて  ひとりるてんの  さびしさに
こころのみおやを さがします  しんらんさまは  なつかしい

じひのなみだに  めがさめて  くおんのみおやを ふしおがみ
ほとけのいのち  たたえます  しんらんさまは  なつかしい

やみにさまよう  われらをば  みむねにしつかと いだきしめ
ひかりにかえれと しめします  しんらんさまは  なつかしい

まずしきものの  てをとりて  われもさびしき  ぼんぶぞと
だいちのうえに  ひれふした  しんらんさまは  なつかしい

あらしいばらじ  ふみこえて  ただしんじつの  びゃくどうを
あゆみつづけし  わがちちの  しんらんさまは  なつかしい】(しんらんさまはなつかしい)

じゃないのかな?

「すべての人のこころに花を」という曲があるけど、香坂みゆきも歌ってて、喜納は壇上から「花を咲かそうよ」と聴こえるのだが、香坂みゆきは、隣の人に対して「いつの日かいつの日か花を咲かそうよ」と。
悟った所からいうのではなく、共に迷える存在として。

それ程の慈悲って、あるのかな?少なくとも、私は知らない。だから、真宗仏教の諸先生達は、「友よ」と。先生は居てるけど、弟子は居ない。あくまでも「友(朋)」として。

まあ、今日の法話をひとことでいうなら「帰ろう、元のいのちへ」か。

帰らなければならない、いや、帰りたくなる理由は単純。苦しいから。

自分のエゴが、いや、そのエゴも流転輪廻するエゴなんだが、自分という存在を、他者を、世界を切り裁いている。許す事が出来ない。そら、しんどいで。

え…。寝る。起きて感想を書きたい気分になったら、書こ。

摂取不捨(えらばす・きらわず・みすてず)という如来の本願。出会い感動したが故に、選び嫌い見捨てるエゴ存在が生み出す、再生産し続ける事を問題視したが故に、その摂取不捨(えらばす・きらわず・みすてず)に生きざるを得ない。

しかしながら、非常に残念で悲しい事が故に、ナマモノの自分だから、限界がある。親鸞だって「同座せざるそうろう」やったっけな?要するに「ゴメン。俺、限界やわ」と。誰が悪い、相手が悪いのでなく、自分自身の限界がやはりある。
そんな悲しみ存在。

としての、私たち。

寝る…。

説法しいしい喰う

2013年09月18日 | 坊主の家計簿
学校。
休憩時間はタバココーナー。同じくタバココーナーに居たひとりから聞いた話。

「お釈迦さまがいつ御飯食べてるか知ってるか?」
という話。答えは
「説法しいしい喰う」という、大阪の真宗門徒にしか通じないであろう事。つか、スペシャル親父ギャグ。

ちなみに「しいしい」とは、標準語でいうと、当然ニュアンスとしては伝わらないが、まあ、「しながら」的な。「お釈迦さまは説教しながらしか食事をしなかった」的な。

何故こういう、どうしようもないオヤジギャグが出たのかというと、まあ、「しいしい喰う」という言葉に似た学習会(研究会)が同じフロアでやったてからなんだが、その「説法しいしい喰う」という言葉に感動を覚えたりもする。その「説法しいしい喰う」という言葉は釈尊の人生を象徴しているだろうし。「釈尊がどういう状況で完全なる涅槃(まあ、死んだ)に入ったのか?」もそうだろうし、釈尊の生涯は「説法しいしい喰う」ではなかったのか?と。

それは眠りこけっている私の歩みにも、やはり刺激を与える。釈尊は「説法しいしい喰う」という様に、仏教を伝える事が第一義の生涯であった。肉体的にしんどくても立ち上がって、法を説いた。

翻って、真宗仏教。仏陀釈尊でなく、仏弟子の教団。

次回の学校での私の発表は歎異抄13章前半。
これにテーマをつけなければならないのだが、今の所は『求道酔い』という言葉が思いつく。

「釈尊に恥ずかしくない人生を過したいるのか?」というと、まあ、分かりやすく「お恥ずかしい話でごさいます」と。
以前はキライだったこの言葉が結構好きだったりもする。

求道に酔う。
まあ、分かりやすくいうと、「あんな坊主(門徒・仏弟子)と一緒にすんな!」と、求道に酔う。凡夫が故に、必ず酔う。特に、娑婆世間の論理である『勉強熱心』だったりすると、酔いの自覚がない、というか、感じられないのかも知れない。というか、まあ、そんなもんだろう。教学でも、運動でも、なんだって使ってしまう。まあ、そんなもんだ。その逆に「それらが出来ない」という事すら発生してしまうのが求道の酔い。誇り難いだけの話。でも、酔いは同じ。

救いは求めるのものであって、学問上の問題ではない。
そして、その課題はそれぞれに違う。違って当然である。その「他者」という存在は努力精進出来る人達には不要である。

誰が、どんな権利で自他を「念仏者ではない」と言える権限を持つ事が出来るのであろうか?まあ、単に「こころおさなき」と言う事なんだろうけど。
生きてても面白くないやろうし、まあ、御用心、御用心。

まあ、冴えない私が言っても意味ない、求道酔いの人は他者の声が聞こえない、自分が鬼神化する人の声しか聞こうとしない。今はそれでも(狭義として)生きてけるから、どうでもイイのだろうけど。

ものすごく、眠い…。

シングルマザー

2013年09月16日 | 坊主の家計簿
 日曜日。「半沢直樹だぜ!」なんだが、ドラマが始まった辺りはハイテンションの娘が踊りまくり、私は夕寝に失敗(寝て5分で仕事電話)でボケーっと。かつ、脳味噌疲れてるから呑み出した酒で酔う、酔う。なので、まだ観てません。

 昨日は娘と二人で晩御飯。「かっぱ寿司!」という意見の娘を何とか説得して、同じ回転寿司チェーンだが、かっぱ寿司みたいに新幹線は走らないけど、お蕎麦が美味しい「はま寿司」に行く。
 一番近くのはま寿司でも車で30分弱。娘もそれを知っていて、ドライブ出来るし、娘、4歳にして親の顔色を見るというか、気を使う所もあったりして、はま寿司。娘の大好きな、というか、いつものコースなんだが、いくら、エビ天、最近ハマったトビッコを先に頼んで、「食べない」と言っていたはずのカキフライ(寿司でなく単品)も食べたり、うどんも少し食べたり、ポテトフライも食べたり、お腹ポンポンのはずなのに「パイナップルも食べる!」と。大きくなりやがった(笑)
 そのせいか、というか、夜も遅かった事もあって、帰りの車で寝てた娘。家に到着して、寝てる娘を抱っこして、そのまま寝かす。

 今シーズンというか、この秋までのテレビドラマで最高の視聴率は当然半沢直樹だろう。私もハマってるし。でも、『Woman』が一番良かった。

 Womanを見始めた理由は単純。満島ひかりが結構好きだし。以上。
 
 シングルマザーのドラマだった。いや、「最初は」と限定した方がいいのかな?離婚とかではなく、死別。
 死別でシングルマザーになった友人は居ないけど、離婚でのシングルマザーの友人は結構いて、そのうちの一人は幼なじみの親友だったし、その親友が死んだ後でも、親友の命日には『親友の10代半ばの時の恋人』というややこしい、それこそ20年ではきかない、今からなら30年近く前の親友の恋人だった私にとっても友人から「あいつの息子を囲んで会おうぜ」というメールが来て、でも、時間が合わない(日曜日に枚方までは結構キツいっす)ので、あまり行けてない。まあ、呼ばれる仲間に元同棲相手が居たりする、という心理的事情もあったりするのだが…。
 その親友は生活保護を受けていて、別のこれまた親しい友人のシングルマザーは呑み屋をやりながらの子育て。行政から多少の援助は受けているらしい。今は大きくなったけど、うちの娘に似た元気な女の子が居て、彼女が呑み屋をやる前の、もの凄く幼い頃から知っているし、え…。その子の事を一時期好きだった事もあるし、彼女の娘を挟んで3人で手を繋いで歩いた事もあった。周囲から「吉田、似合うぞ」なんて冷やかされながら、照れながら、でも、結局何もなかったけど。え…。女の子の口説き方教室に行こうかしら(笑)

 テレビドラマWomanを見ながら、そんなシングルマザーの友人達の事を思い出してた。
 連続ドラマの最初の方は「これでもか!」というぐらいのシングルマザーの不幸な生活苦の話。でも、このドラマはそれだけでは終わらない。

 満島ひかりのお母さん役は田中裕子。
 満島ひかりは田中裕子に捨てられたと思っている。いや、としか思っていない。でも、生活上(病気)の問題で実母に頼らざるを得なくなり、イヤイヤながら会いに行く。
 田中裕子は逆に娘に捨てられたと思っている。
 田中裕子は夫(満島ひかりの父親)から暴力を受けていて、それから逃れる為に離婚した。満島ひかりはその事を知らずに、父親にベッタリだった。田中裕子はその事を許せなかった。
 でも、再び一緒に住み始め、なんじゃかんじゃ(酔うてまふ)の経過があって、なんじゃかんじゃの事件があって(結構酔うてまふ)、なんじゃかんじゃで(結構、ダメです)の経緯で、二人で一緒にエア・あやとりをする。このシーンは、日本テレビドラマ史上に残る名場面だと思う(ちなみに第9話)。
「子どもの頃に一緒にしたね」と、エア・あやとり。そこで感情が破裂する。抑えていた感情が破裂する。

 先に書いた親友のシングルマザーの夫とも仲が良かった。だから、親友が離婚した後に、夫の悪口を聞くには聞くが、常に「でも、なぁ…」と。親友がいう程、その夫が悪い人だとは思えなかったし、直接の離婚がなんだったのか知らないけど、親友が浮気をしていた事も知ってたし。
 でも、その「でも、なぁ…」というのは、親友にとっての心的現象だったのかも知れないけど、やっぱり親友だったので、同じく「でも、なぁ…」と考えてしまう。
 親友の息子は親友から父親に対して悪い事しか聞いてなくて、そこでも私は「でも、なぁ…」と言ってしまう。

 私は、この自分の優柔不断な「でも、なぁ…」と言えた事、言えるようになった事を大切にしたい。決め付ける事を出来ないが故の「でも、なぁ…」という事を大切にしたい。
 半沢直樹のように「やられたら倍返しだ!」というのは非常に解りやすい。しかしながら、それも「でも、なぁ…」だったりもする。なんで半沢直樹は「倍返しだ!」と言わざるを得なくなったのか?当然、鶴瓶(ドラマ内の父親役)の事があったからなんだろうけど、じゃあ、鶴瓶を自殺まで追い込んでしまった香川照之にどういう過去があったのだろうか?と。そんな時に出て来る言葉はやっぱし「でも、なぁ…」だったりする。

 誰かが善であり、誰かが悪である、と言う様な関係って、確かに心的現象としてはあるのだろうけど、でも、どうなんだろうか?そういう風に心的現象で、まあ、思い込みで人を判断し、切り裁き続ける事に意味があるのだろうか?
 いや、切り裁き続けなければ保てない、というような存在があるだけ。それは特定の『誰か』ではなく『みんな』だと思う。
 
 『みんな』とは逃げである。「私が切り裁いている」という問題である。
 娑婆世間の論理や、仏教を切り裁く道具に使っている。ただそれだけの話。論理で現実を切り裁いているだけの話。穢れを作り出しているだけの話。そして、切り裁き、穢れを作り出す自分を切り裁く。

 「でも、なぁ…」という解放の声。

 よふた。寝る。

 変わらず、転がり続けていまふ。