坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

筋肉痛

2011年05月26日 | 坊主の家計簿
 疲れたら、寝る。これが鉄則。
 んが、ストレスの問題もあって、寝酒中です。

 昨日、今日と、ひたすら報恩講準備。明日は夕方から会議で動けないのでその分もやらんとアカン。本日の作業終了時刻は25時、午前1時過ぎでした。地味に拭き拭きでっせ。
 んが、まあ、うちは小さい寺なので楽。んが、住職になったので、「あ、あれもやらなアカン、あれも準備しなアカン」等々。新米住職なので、まだ慣れてないので、少し大変。

 っちゅうか、声明の練習しとらんけど、大丈夫か?まあ、これは慣れたから大丈夫か。ソロパートもないし。

 ソロパートの『御文』の練習だけ「読めるかな?」と一回だけ休憩中に読んでみる。なんとかなる。

 っちゅうか、報恩講の時に御文を蓮如前で読むって、まあ、読まない所もあるのだろうけど、え~。。。『蓮如前』でなく厳密には『御代前』なんぞという専門用語でいうのだが、え~。。。「親鸞聖人だけでなく、蓮如上人や、他の方々が仏の教え、如来本願の教えを受け継いで来てまっせ!」っちゅう、え~。。。個人的には恩師の写真でも張付けて置きたい場所、ん?信国先生でも、竹中先生もで、和田先生でも、清沢満之でも、曽我量深でも、安田理深でもエエのんと違うんけ!っちゅう場所、まあ、うちは蓮如の弟子が開いた念仏道場なので蓮如上人でエエだろうが、え~。。。何を言いたいかというと、報恩講って、親鸞聖人だけと違うかってんな、と。それが儀式の中に表現されとるねんな、と。
 まあ、「今頃気付いてどないしまんねん」なんだが、んなもん、今頃気付いてんからしゃーないやんけ。

 ああ、筋肉が痛いっす。普段使ってないから、筋肉が痛いっす。
 まあ、うちの寺の歴代住職もこういう筋肉痛を感じつつ、報恩講の準備をしてはったのだろう。

 ちなみに、うちの寺は小さい寺なので、え~。。。歴代の血統は維持されていません。知ってるだけで3つの違う『名字』があります。調べたら、もっとあるのだろうけど、調べる事に意味を感じないし、っちゅうか、多分、調べられないやろうし。まあ、興味がないのが一番かな?

 でも、まあ、私が名前も知らない(古文書なんぞ残ってないよ♪)人達が、まあ、うん百年間筋肉痛になりつつ、報恩講をやってはったのだろう。蓮如上人もきっと筋肉痛になりつつ報恩講をやってはったのだろう。っちゅうか、昔の人は肉体労働してはったから筋肉バリバリなのかな?っちゅうか、蓮如が本堂拭き拭きしてはったのかどうかは知らんが。んが、まあ、『御代前』を『筋肉痛前』と呼ぼう。これからは。
 ん?『筋肉痛前』は「筋肉痛の前」なので、言葉的に変やな。。。っちゅうか、そういう問題でもなさそうなんだが。。。

 宗祖親鸞聖人の教えは、今現在なら、その書物が本屋に行けば買えたりする。
 けど、むっちゃ、当り前の話なんだが、それも、『伝統教団クソ野郎!葬式仏教ばっかりしやがって!』なんぞと揶揄されるような教団があったから、本屋に行けば本も買えるし、京都市美術館に行けば親鸞展もやっている。

 うちの報恩講や永代経には総代さんが『かやくご飯』(標準語でなんというのか忘れた)等を作って来てくれる。
 昨日切った境内の『植木の大きなもの的もん』なんぞを片付けてたら、最近お付き合いが始まった門徒さんから『志』が届けられた。『志』と書かれた封筒的なものに『志』が入っているのだろう。まだ開封してないが。っちゅうか、報恩講当日まで開封しないが。っちゅうか、開封のするのは私でなく、受け付けの門徒さんなんだろうが。
 という事で、報恩講は色んな人達の筋肉痛、え~。。。筋肉痛してるかどうかは知らんが、なんとなく『筋肉痛』と言いたい気分なので、さっき、上腕にまでサロンパス的なものを貼ったし。あ、で、報恩講は多くの人達の筋肉痛で支えられている。
 その人達の生活も、その他多くの人達の筋肉痛で持って支えられている。
 言葉を足そう。筋肉痛と二日酔いで支えられている。宗祖の教えは750年間、筋肉痛と二日酔いで支えられているのである。
 もっと、言葉を足そう。えーい、面倒だ、多くの苦労があって、宗祖の教えが伝えられて来ている。
 そんなのが『伝統』であって、その伝統の一人一人の存在を『有り難いと思わない事』が宗祖の教えだとは思わない。
 んが、まあ、「私を特別視しろ!」っちゅうのは、『門首』でなく『法の主』的なものなので「やなこったい」なんだが。

 報恩講。宗祖が証らかにされた仏の正意、如来本願の教えに出会う法要。今年は個人的感覚として『御代前』が気になったりしている。
 同時に、「娘よ。。。」である。今日は、娘と殆ど遊べなかった。また、ママのミスで日曜保育の場所が遠くなったので辞めるが、でも、娘にはちょっと我慢して貰わんとアカン。私の筋肉痛は娘にも支えられている。
 なんか、「十方無量の諸仏が皆念仏を勧めて下さる」やったっけ?んな言葉があったような気がするのだが、筋肉痛は寝ます。

自立と連帯

2011年05月24日 | 坊主の家計簿
 団体参拝終了。
 いや~、疲れてたのだろう、さっきまで「寒いよぉ。。。」と、リビングで掛け布団の中に潜り込んでテレビ見てたら、そのまま爆睡。4時間ぐらい寝てもうた(笑)
 なんせ、今回の団体参拝は前任者(ママ・坊守)時代に、まあ、私が住職になる前に、結婚してこの寺に来る前に申し込みをしていて「すっかり忘れてた」という事があってでんなぁ。。。(笑)
 で、「お宅の団体参拝の席、決まりましたぜ」と連絡があって、初めて「何の事ですか。それ?」っと(笑)なので、スタートから終了まで2ヶ月。「2ヶ月でどないせえ言うねん!」だったのだが、なんとかせなアカンわけであって、参加して呉れる人を集めたり、その準備やら、なんじゃかんじゃでバタバタだったのだが、まあ、精神的に一番疲れてたのやろな。なんせ急だったので。んなもん、最初からこの日程、報恩講の直前、なんぞと知ってたら別の日に申し込みしてるわ、んなもん。ったく、何を考えとるねん。。。っちゅうか、何も考えてないのだろうが。

 御参りが終わって、即、京都へ。あ、朝から参加は前任者のママ(坊守)。申し込んだんだから、最初から最後まで「責任を取らんかい」である。
 本山に着いて、着席したのが、法要開始直後。法話には間に合う。

 法話は尾畑先生。「なんや、学長になってから初めて話し聞くけど、学長になってからエラい眠たい話するようになりはって」なんぞと思ってたら、なんのなんの。すぐにいつもの尾畑節(笑)話が「では浄土とは」なんぞと具体的に話が踏み込むと、いつもの尾畑節。思わず門徒さんの反応が気になったのだが、まあ、寺の通信も結構ストレートに飛ばしていたりするので、「ああ、うちの住職、勝手に書いてはったわけではないねんな」なんぞと再評価して頂けるであろうか(笑)

 団体参拝は法要部分のみのスポット参加。門徒さんと組長と大阪教務所の人に挨拶してとっとと去る。本山前の仏具店で用事を済ませて、とっとと帰る。急いで帰る。パパは娘を保育園に迎えに行かないといけない。朝もちゃんと起きて、ママ不在だったにも関わらず愚図る事無く保育園に行ってくれたし、お迎えに。
 迎えに行くと、ニッコリ笑って手を挙げて小走りでやって来る。抱っこするパパ。う~ん。。。素晴らしい親子の対面シーンだ。っちゅうか、8時間半振りの対面なんだが。

 っちゅう事で団体参拝終了。
 え~。。。法話が終わっても、読経が始まる前でも、終わった後でも、『南無阿弥陀仏』という念仏の声が満堂に響かなかったのが、やっぱりアカンの。訴えかけて行こ。

 今週は木曜日と金曜日に会議あり。土曜日に寺で法事があるので、土曜日までに報恩講の準備をせなアカン。え~。。。仏華が(笑)まあ、金曜日に夜からの会議行く前にやろ。
 その他の準備も着々と。明日、境内の雑草を殺すのだが、殺さなアカンのだが、え~。。。雨、なんとかならんか。殺し殺されるのに「雨の日だから」っちゅう理屈は通らんと思うのだが、風邪ひくのはイヤやし。「テメー、こっちは殺されるねんぞ!」なんだが、でも、んなもん、イヤなものはイヤ。事前に通告もしてないし、境内に「え~。。。大変心苦しいのですが、法要前なので、あなた達を殺させて頂きます」と書いても通じないだろうし。でも、まあ、念仏申しつつ

【私たちが、生き物の「殺」の上に生きているとするならば、それに対して、私たちが「ありがとう」という、お礼の言葉ぐらいではすまない自分のいのちをかけての懺悔と報謝があるとするならば、草木国土をことごとく成仏せしむるような人間に、私たちが変革されなくてはならない。】(廣瀬先生『罪業深重』より)

 と、念仏申しつつ。



 全然関係なく。もんじゅの工事は明日(24日)からなのだが、引き抜き作業は6月中旬。

 http://sankei.jp.msn.com/region/news/110524/fki11052401480000-n1.htm

 作業の失敗はナトリウム爆発→メルトダウンの危険性なんだが、え~。。。かなり危険な作業みたいなのだが、素人考えなんだが、工事に関わる人達の安全性は確保されているのか?え~。。。失敗しないとしても。

【ぼくの家庭の平安、ぼくの村の平安、その平安のどれにでも誰かがいつも泣いている。そんな涙を犠牲にしながらようやく成り立つような平安なんて一体何だろう。(中略)
 形ばかりの中身のない自分勝手な平安は本当は決して求めてはならないものであるに違いない。それなのに私たちはいつもそんな形ばかりの平安を求めてしまう。そんな私たちをまさしく問いただしてくるものは、悲しいけれども唯一「幼な児の涙」という被抑圧的な被支配的な被差別的な現実である。】(尾畑文正『親鸞への旅』より)

 もんじゅが、まあ、一部でささやかれる『ナトリウム爆発→核爆発』になったとしても、人類は滅亡しない。反原発人類滅亡派には都合が悪いのだろうが、放射能汚染に『強い人』も居ている。ナガサキで被曝しながら生き残っている人も居ている。
 でも、それは、もんじゅの話でなら、「作業員の犠牲の上での平和」であってはならない。犠牲者の数で判断するのは国家の判断基準である。

 尾畑先生は

【ともかく、生きていることが苦しくてやりきれない現代のただなかで、そういう現実を無視してうちたてられようとする人間的主体(自己)の確立の思想を拒絶するところから、私たちの新しい信仰生活が始まるのではないかと思うことしきりの今日このごろである。】(尾畑文正『親鸞への旅』より)

 と続けられている。
 
 もんじゅが最悪の自体になっても人類は滅亡しない。
 言葉を言い換える。
 仮に人類が滅亡したとして、「人類が何をしたのか?」という事が問われるのではないのか?
 言葉を言い換える。
 私が何を、どういう世界を願おうとしたのか?という事が問われるのではないのか?

 原発で働く『原発ジプシー』の人達や、電力会社の人達であっても「犠牲になっても構わない」というような精神のありようは、『いのち』を生きる、無量寿を生きる存在としてどうなのだ?


【129 すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。已が身をひきくらぺて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。
 130 すべての者は暴力におびえ、すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。已が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺させてはならぬ。
 131 生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害するならば、その人は自分の幸せをもとめていても、死後には幸せが得られない。
 132 生きとし生ける者は幸せをもとめている。もしも暴力によって生きものを害しないならば、その人は自分の幸せをもとめているが、死後には幸せが得られる。】(ダンマパダより)


 

クジラと生きる

2011年05月23日 | 坊主の家計簿
 朝からひたすら走り回る。
 合間に寺に荷物を取りに来たりなんぞで2度帰る。娘、「パパ!」と。「パパは今日は忙しいねん」と。
 仕事終了。「パパ!」と娘。急ぎの買い物があったので速攻出かける。
 帰宅する。娘はパパが仕事の合間に帰って来た事が昼寝の邪魔になったらしく、夕方なのに寝てた。パパも横で寝る。結構寝る。娘と一緒に2時間ぐらい寝てしまう。

 復活!は20時近く(笑)今日の晩御飯はカレーだったので、すぐには食べれない。んが、腹が減ってたので20時半には食べてたのだが。
 娘も22時には寝る。何やら昨日の遠足で大ハシャギだったらしく、そういえば朝出かける時の珍しく寝転んでたし、お疲れモードらしい。

 娘が寝てから録画していたNHKスペシャル『クジラと生きる』を観る。

 http://www.nhk.or.jp/special/onair/110522.html

 番組を観ながら、「偉いなぁ。。。」と、太地のくじら漁の方々に対して思う。ありゃ、なかなか出来んぞ。
 とにかく、徹底して反捕鯨団体の人に嫌がらせをされる。ありゃ、『抗議』というレベルではない。嫌がらせである。その嫌がらせに対して、まあ、最初のうちはキレてたりしてたのだろうが、最近は『専守防衛』である。太地は憲法9条の町かも知れんぞ。

 っちゅうか、札ビラ切って「金が欲しいのなら、ここにある。これでくじら一頭(やったけな?)を助けてやってくれ」みたいな事も、「おい、札ビラ切って何をヌカしとるねん」なんだが、それが英語なのだ。
 え~。。。厳密には英語かどうか知らん。フランス語かロシア語かスペイン語か知らんが、まあ、とにかく『英語っぽい言葉』であった。っちゅうか、まあ、英語なんだろうが。英語を認識する機能は私にはついていないので。
 で、まあ、英語での抗議である。
 え~。。。英語っていつから世界の標準語になったんだろうか?

 まあ、仮に私の寺の前に「この葬式坊主が!釈尊がそんな事をやってたか!恥を知れ、恥を!」「毎日深夜まで飲酒していて、子どもの事をブログに書く僧侶は僧侶ではない!釈尊に謝れ!仏教寺院の看板を下ろせ!」なんぞと、英語や、タイやスリランカの言葉で言われても、まあ、解らんぞ。札ビラ切ったら「お!寄附ですか?有り難くお預かりします」なんぞというだろうが(笑)

 まあ、『無礼』以前の問題だったりすると思ったりするのだが。
 抗議活動が、本当に『相手に対しての言葉』であるのならば、それは相手に通じなければ話にならない。話が出来ない。話が出来ない所に、抗議もクソもない。

 今回はたまたまNHKの番組だったので、字幕スーパーが入っていて、かなり無礼極まりない言葉だという事が解ったが、まあ、太地の漁師さんの中でどれだけ英語が出来る人が居ているのか知らないが、まあ、大半の日本人に、ペラペラと英語を喋られても通じないと思うし、無礼以前の問題である。

 番組の中で反捕鯨の人が日本語で喋ったのは「死ね」と「殺し屋」だけだった。
 「殺し屋」の方だったと思うのだが、太地のくじら漁師さんの中心人物が、さすがに「殺し屋」と言われて、少し動きが止まった。けど、その怒りは同じ仲間に対して「我慢しろ」になった。「堪えろ、耐えろ、我慢しろ」になった。
 ありゃ、出来ん。

 太地は沖合30キロ程度で黒潮がある。だったら、『くじら供養』という夜祭りで、反捕鯨の人の宿舎に深夜に忍び込んで、ガムテープでグルグル巻きにして、くじらの着ぐるみ的なのもに入れて「ほら、黒潮に乗ってお帰り」と流してしまえば、まあ、遺体は上がらないのだが。
 っちゅうか、まあ、そこまでしなくとも、拉致って黒潮に流してしまえばエエだけなんだが。

 んが、そんな事もせずに、ずっと耐えて居られる。
 番組内では、1人の、まあ、私と同じぐらいの年齢ぐらいであろう漁師さんの車の前に立ちはだかる反捕鯨の人が居た。携帯で「こんな状況なんですが、どうしたらエエのですかね?」なんぞと。ホンマに辛そうだった。

 その漁師さんの娘さんが通う中学校では「捕鯨と反捕鯨の問題はどうすればいいのか?」みたいな討論を授業でやってはった。それぞれの班なのかな?6人程度の班に別れての議論。

 『違いを認め合う』というのも、意見の一つでしかない。『違いを認め合う』というのと『この意見が絶対である』というのとは同じ『意見』である。
 え~。。。言い方がややこしいな。『違いを認め合う』というのも意見の一つでしかなく、その意見は『絶対に正しい』わけではない。

 捕鯨と反捕鯨。反捕鯨の人にとってみれば、くじらやイルカが殺され食べられる事は、「死刑囚にだって人権はある」というよりも遥かに大きい問題なのかも知れない。
 っちゅうか、え~。。。元々、私が運動なんぞに足を突っ込んだのもブロイラーの問題だったり、最近フェロモン・シバターがプカプカ(あ、よく行くバーです)で署名活動をしているが、棄てられた犬猫や、野良犬、野良猫を殺される事からだったりするのでよく解る。
 まあ、「知能の高い」というのは気に入らないが、でも、まあ、ウイルスだって生きているにも関わらず、『ブロイラー』と呼ばれる鶏や、『家畜』と呼ばれる動物、犬猫なんぞの『解り易い生き物』に対しての感情移入だったわけなので、それだって「知能の高いくじらやイルカを殺すな!」と、あまり変わりはなかったりする。

 「殺さずには生きておられない」なんだが、同時に「殺すな!」である。その「殺すな!」の中に優劣があってはイケナイはずなんだが、優劣がある。『除菌』『殺菌』で殺す事に痛みを感じる事はあまりない。その優劣の価値判断が、「知能の高いくじらやイルカ」だったりするのだろう。で、反捕鯨の人にとっては、『人権』に匹敵する、っちゅうか、まあ、『人権』という思想自体が、人間中心なんだが、まあ、「死刑囚の○○さんが今日死刑執行されました」よりも遥かに大きな問題だったりするのだろう。泣いてはる人も居てはったし。反捕鯨の人だって本気なのだ。まあ、本気でない人は何処にでも居てるが、本気なんだろう。

 正義と正義がぶつかりあう。
 が、くじら漁師さんにとっては、どうやら『正義』でもなさそう。
 今日のNHKスペシャルを見てての一番の事。
 『正義』とか、うんたらかんたらういう以前の問題なのだ。だから、『正義』を押し付けられた時に、「耐えろ!」と声をかけ合ったりしていた。
 「我慢せえや。俺が耐えてるてるねんぞ」なんぞと。きっと、あの中心的存在らしいオッサンはかなりの暴れん坊だと見た。なんか、表現は悪いが、一番喧嘩早い人間が「我慢せえや」なんぞと言ってる風に見えた。だから、「○○さんが堪えるねんやったら。。。」になるのだろうし、また、互いに声をかけ合っていた。

 ちょっと『文化』という言葉を舐めていた。『文化を守る』という事を舐めていた。

 ふと、親鸞の『人倫の嘲を恥じず』という言葉を思い出す。
 
 【ただ仏恩の深きことを念じて、人倫の嘲を恥じず】

 である。

 先日の学習会である先輩が、まあ、年齢的には下なので「○○君」なんぞと言ってしまっているのだが、その先輩が私が全く考えつかなかった視点からの発言をした。


  僧ぞ法師のその御名は
  とうときこととききしかど
  提婆五邪の法ににて
  いやしきものになづけたり

 
 という親鸞の和讃の『提婆五邪の法ににて』を、私は明恵だと思った。しかし、彼(先輩)は、「これは私である」と言い切った。
 え~。。。とりあえず法話で呼ぶ候補に(笑)

【親鸞聖人自らこの事件について「主上臣下、法に背き義に違し、忿をなし怨みを結ぶ」と厳しく批判されています。しかし、「忿をなし怨みをむす」んだのは、流罪死罪になった方ではなくて、断罪した側であります。たしか『法句経』の一句だったと思いますが、釈尊の教えに、「世のすべての人に憎まるる身にとなるとも、一人を憎む身となることなかれ」というお言葉があります。】(藤元正樹『ただ念仏のみぞ』より)

 なんか、今日のNHKスペシャル『クジラと生きる』を観て、飲みながらダラダラ書きつつ、そんな事を思ったりする。
 そして、改めて『生きる』という事を「考え直さんとイカンなぁ。。。」と思ったりする。
 っちゅうか、まあ、「考え直す」もクソもなく、生きとるんだが、やっぱり、その『生きとる』っちゅう事が『考え』になってしまっている、『思い』の中で考えてしまっている事実を突きつけられたりしている。
 予断もクソもなく、生活の現場。『考え』でなく、生活の現場。

 そんな生活の現場からの『南無阿弥陀仏』の声。お念仏の声。

 ふと「帰ってきなさい。待ってるから」という恩師の声が聞こえる。

 しゃー、寝よう。
 明日は本山へ団体参拝。私は仕事なので、遅れての参加。
 ママ(坊守)は最初からのなので、明日はパパ(私)が娘を起こして、っちゅうか、先に起こされる可能性の方がデカイかも知れんが、まあ、娘を起こして、朝の支度をして、娘を保育園「友達と遊んで待っててね」である。微妙に緊張しています(笑)

神祇不拝

2011年05月22日 | 坊主の家計簿
 ママと娘は遠足。っちゅうても、保育園近くの大きな公園。ママから「締め切り19日やけどどうする?」だったのだが、今日は通夜だったし、それまでにやらないとイケナイ仕事がいっぱいあったので辞め。
 帰宅した娘、「黒いぞ。。。」見事な日焼け。

 
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 大阪市内で福島の放射性物質を観測
2011年5月21日(土)12時20分配信 ゆかしメディア 

 大阪府公衆衛生研究所は、福島第一原子力発電所の事故によるものとみられる放射性物質が、大阪市内でも検出されたと発表した。ただし、ごく微量で健康に影響はないという。

 計測器で雨やちりなどを集め詳しく分析した結果、4月1日からの1カ月間のサンプルから、微量の放射性セシウム134、セシウム137が検出されたという。

 3月の1カ月間の降下物や水道水からは異常な人工の放射性物質は検出されていないことから、福島第一原発の事故によるものだと、同研究所は見ている。

 年間被ばく放射線量に換算しても、通常の年間被ばく放射線量と比較すると極わずかであり、健康に影響のない値だという。

 http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yucasee-20110521-7681/1.htm


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 らしい。
 
 え~、この『健康に影響のない値』というのは、やはり『ただちには健康に影響のない値』だったりするのだろうか(笑)
 パパとしては少し心配なんだが、え~。。。まあ、微量なんだし、しゃーない。こういう世の中になってしまったわけだ。外出を控えたい気もするが、「外出を控える→娘の機嫌が悪くなる」なんぞの悪影響もある。娘のいる空間ではタバコを吸わないパパとしては放射能も「やめてくれ!」なんだが、まあ、6月のもんじゅの時はどういう数値になるのか解らないが、今の所は大丈夫だろう。

 録画していたNHKのETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図』を観る。

 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0515.html

 録画してたのも再放送だったのだが、28日にも再放送をやるらしい。まあ、それだけ反響があったのだろう。力作。「NHK、金、持ってまっせ!」っちゅうドキュメント番組。

 「子どもに20ミリシーベルトはアカンのではないのか!」っちゅう、のもやってはった。何やら、「その基準で大丈夫っすよ」と言ったらしい原子力安全委員会(?)の人が「私たちは言ってません」やったかな?んな事を言ってはった。
 え~。。。責任の所在が解らん、っちゅうのはアカンやろ。まあ、最終的には総理大臣になるのだろうが、「決めた」とされる機関が「知りません」なんぞと。責任を取りたくないのだろうが、え~。。。アカンのぉ。。。
 あの番組を見た人は、増々不信になるしかない。んなもん、私が福島に住んでて、んな情報聞いたらキレまっせ。「この数値で安全でっせ」と言ったとされる所が「知りません」って、何やねん、こら。あれはNHKのカメラ&編集のテクニック(意志)なんだろうが、原子力安全委員会(?)の兄ちゃんが逃げる様に帰ったシーンを収めてはった&編集テクニック。そら、編集したNHKの人も「なんじゃこりゃ?」やろ。んなもん。思わず笑ってもうたもんなぁ。ありゃ、呆れるしかない。

 いや~。。。人間だ。で、こういう場合に「もっとまともな組織のメンバーに」とはナカナカならなかったりする。いや、私の場合ね。まあ、誰がやってもビビる状況下だったりするのだろう。で、んな人間に原子力の管理なんぞ出来ない。出来ていないのが実情なんだろう。恐らく、今でも、日本の専門家のトップの人達が関わっていると思うのだが、その人達でもこんな状況だったりするのだし。もう、「無理です。原子力の事故が起こった時に、私たちだって生身の人間ですからパニックを起こしてしまうんです」なんぞと、弱さを確認するしかないと思うのだが。まあ、今回の事故だけはなんとかして貰わないと行けないのだが。

 さて、6月のもんじゅである。計画通りに6月に蓋を開けるのかどうかは知らないが、まあ、当初の計画だったら6月だった。


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落下装置を6月に回収へ もんじゅ、外部委で確認
2011.5.10 20:03
 日本原子力研究開発機構は10日、高速増殖炉原型炉もんじゅ(福井県敦賀市)の原子炉容器内で昨年8月に落下した燃料交換用装置の回収作業を、6月中に実施すると明らかにした。

 回収法などを検討する外部有識者委員会は同日、装置と容器上ぶたの一部を一体で引き抜く回収方法について原子力機構から説明を受け、作業に必要な手順書や、つり上げ器具が適切に準備されていることを確認した。

 原子力機構は回収後、今秋までにもんじゅを落下前の状態に復旧させ、平成23年度中に第2段階の「40%出力試験」を始める方針。しかし、福島第1原子力発電所事故を受け、菅直人首相は国のエネルギー基本計画の見直しを表明しており、試験開始の見通しは立っていない。

http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110510/biz11051020040052-n1.htm
 
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 これは地震と違って、日程が解るはずである。「え?いつの間に引き抜いたん?」なんぞと、もんじゅの現場のおっさんが勝手に引き抜く事はないだろうし。
 その場合に起こる、まあ、日程と、想定される危険だけは発表して頂きたい。後は自分の判断で「ママと娘は疎開して貰った方がエエかなぁ。。。」なんぞと判断するかも知れないし。

 わたしは『溶融』と『融解』との区別も付かない程度なんだが、まあ、んなレベルであっても、「こりゃ、アカンかも知れん」なら、とっとと避難さすし。私は御参りがあるし、「住職が寺から逃げてどないするねん」っちゅうのもあるし、それに、「テメー、今まで散々身体に悪い事をして来て、これぐらいの事でビビって逃げてどないするねん」っちゅうのもある。まあ、門徒さんが全部避難したら東北にカブで旅行しに行くと思うのだが。「誰かこのカブ要りまへんか?」なんぞと。

 『ネットワークでつくる放射能汚染地図』では、若いのに見事な農家の兄ちゃんが居てた。やはり、農作業をしたいらしい。泣きながら「ここで子どもとヨメはんと生活したかったのに」なんぞと。「幼稚園に行って、小学校に行って」なんぞと。
 でも、今は別居らしい。ヨメはん&子どもは避難させているらしい。

 私も寺が大事。その場に残る人が居れば、そりゃ、「え~。。。住職、お前の仕事はなんや?」っちゅう話になるし。まあ、坊守の寺での仕事はどんどん無くなって来ているので、まあ、居なくても大丈夫。なので娘と一緒に避難が無難。

 で、非常に素朴な疑問なんだが、「首都圏も危ない!」なんぞと言っている人が子どもや孫を避難させないのはなんでやねんやろ。
 交通事故で言うと「向うから車が来る!危ない!」っちゅう状況であると判断したのならば、逃げ出すべきではないのか?単純に。「いや、仕事がありまして」も、本気で「危ない!」のなら逃げて当然やろ。仕事もクソもなく。非常に単純な話なんだが、生活は『生きている』から出来るのであって、でんなぁ。あれがよく解らん。まあ、単純に死を覚悟してはるのかも知れないのだが。
 「私は大丈夫」なのかな?それとも不安を煽っているだけなのかな?
 っちゅうか、まあ、これも『村意識』なのかも知れん。微妙に差別表現だったりするのだが、まあ、閉鎖的な空間の中で「みんなと一緒でないとイヤ!」みたいな感じ。あるいは「長老が判断して決めてくれないと!」なのかな?
 個がない。

 危なければ逃げればイイじゃん。実際に報告されてからでないと解らんが、もんじゅの蓋を開ける時に、私が「こりゃ、危ないな」と判断したら、娘&ヨメはんに旅行に行って貰いまっせ。借金してでもお金を渡して「君達はこれで若狭湾にでも旅行に行って来なさい」と(笑)
 まあ、風向きを考えつつ、娘はコシのない柔らかいうどんが好きなので「博多でうどんでも食べて来たら」とか、「熊本に良い寺があるから坊守として研修して来い」とか、「琉球親鸞塾を視察して来い」とか。別に一家心中するつもりはないし。パパは多少の放射能以上には身体に悪い事をして来たし、まあ、住職が地域から逃げたら話にならん。それこそ、寺から出て行かんとアカン。
 
 んが、まあ、そういう判断の時に、え~。。。これまた微妙に差別発言なんだが「村の長が決めて呉れないと判断出来ない」っちゅうわけでもない。元々、日の丸・君が代&天皇制に反対の、かつ、そういう集会に行ったりする筋金入りの非国民だし(笑)

 これまた『島国根性』とか言ったりすると、「うちの島はそんな事はない!」っちゅう、ステレオタイプ発言になったりするのだが、まあ、なんか、『島国根性』であったり、『村意識』であったりする、まあ、問題のある表現方法なんだが、そういう表現方法で呼ばれて来た、個のなさが露呈している気がする昨今。

 そういえば、「だって○○君もやってたもん」の時に「ほな、○○君が死ぬ言うたら、あんたも死ぬんか?」なんぞと、ありがちな話を思い出したりするのだが。

 で、そういう人達が大キライであろう言葉の自己責任。国家に頼るのでなく、自己責任ではないのか?残るのも、逃げるのも。危険かどうかを判断するのは国家ではない。国家は国家としての判断を下す。それは国家としての判断であって、その判断に個人が従わねばならない筋合いもない。国家が「安全です」「ただちに危険のない数値です」なんぞと言っても、個人の自己責任で「アカン。」と判断すれば逃げればイイ。個人的な判断でもって「大丈夫」と判断すれば残ればイイ。
 それだけの様な気がするのだが。。。まあ、当然、国家が打ち出した安全基準が、安全でなければ国家の責任は問われるわけなんだが。

 『民主主義』の『民』は、個々それぞれの私たちである。決して『国家』ではない。天皇でもない。
 この共同体の『民』は、『国家』や『天皇』の判断がなければ、自分の人生も決める事が出来ないのか?自分や、我が子の生命を国家の判断に任せるのか?
 
 非常にシンプルな話。自己責任の自己判断でもって、「子どもが危ない!」と思えば、子どもや孫を避難させればイイ。別に政府の判断を待たんでもエエやろうが。


 そういや、讃岐の『花畑うどん』は、あんまりコシがなかったな。

 http://www.tk2.nmt.ne.jp/~osaka/udon/hanabatake.html

 讃岐も最近行ってないし、今年の夏休みは讃岐うどんツアー『いざ!花畑へ!』にしようかな?
 ん?田町のスーパーホテルは家族で泊まれるのか?パパは22時には寝れんぞ(笑)隠れたロックバー王国の高松に行ってロックバーに行かない事は、讃岐に行ってうどんを食べない事に匹敵するのだが。パパ的には(笑)深夜に抜け出して、裏の地下にあるロックバーに行って来よ。っちゅうか、まだやってるのかどうか知らんが。

 それまでに「稼げ!働け!」である。
 なので、え~。。。もんじゅ、無事になんとか。。。

光顔魏魏

2011年05月21日 | 坊主の家計簿
 昨日は『パパ、保育園デビュー』
 え~。。。初めて娘を保育園に送り届ける。
 朝、バイトに行くママに「先に行け!」という事で娘と2人きり。娘、当然「ママ!」と泣く。んが、抱っこしていたら泣き止む。「まあ、しゃーないのぉ。。。」と、タバコでもふかしていたのかも知れない。
 「んじゃ、お友達の所に行こう!」と。娘、靴箱の所で催促。ママ自転車に乗っけて、パパ、ハラハラドキドキしながら保育園へ。
 保育園。娘、私が帰り際に「パパ!」って、泣く。っちゅうか、送り届けた段階でむっちゃ寂しそう。
 「うぅぅぅ。。。娘よ」
 最後にはガラスに顔をぺっちょり付けて「パパ!」って泣く。
 パパ、断腸の思いで、帰路につく。

 夕方からは、釋顕明七回忌法要の御講師さんと京橋の立ち飲み屋で打ち合わせ(笑)え~。。。久しぶりに行ってみたかったんっすよ。京橋の立ち飲み屋。まあ、御講師先生の近所やし。
 数年振りだったので、打ち合わせもしつつ、諸々話す。え~。。。昔にやってた『いのちの会』っちゅう会のメンバーでもあった御講師先生。え~。。。私を除いたみんな、え~。。。むっちゃ立派になってもうてでんなぁ。。。
 まあ、元々坊主バーにたむろってた若い坊さんで作った会だったし、店をやってた私以外、何かしらの問題意識と真面目に仏道を歩もうとしていて、かつ、勉強熱心だった人達ばかりだったので、そりゃ、15年も立てば、立派になるか。

 打ち合わせ(?)をしていると寺から電話。門徒さんが亡くなられたらしい。枕経の予定時間にはまだまだだったのでしばらくは飲んでたのだが、枕経&「娘よ!」という事で、「ちょっと寂しいなぁ。。。」と思いつつ帰宅。

 通夜は明日だったので、今日は学習会へ。仕事が終わって、御参り以外の仕事をして、少し仮眠→結構仮眠。「むっちゃ遅れます」とメールして急いで行く。
 誰も飲む人がいなかったし、「娘よ!」だったし、帰宅してから仕事が待ってたので、しばらくダラダラして仕事。

 元所属寺の住職より釋顕明の通夜に来た名簿を預かる。名簿をつらつら見つつ、「この人、むっちゃ前に引越してるで」とか「住所書いてないやん」とか「あ、メール知ってる」なんぞと、以外と発送作業は楽そう。
 なので、案内文を作る。案内文の中にブログのアドレスを書きたかったので、ブログも作る。
 キャッチコピーも急遽作る。
 来週から、むっちゃ忙しくて、っちゅうか、来週過ぎてもやらんとアカン事があって、忙しいので、一気に制作。

 釜ヶ崎に寺をつくろうとした僧侶~釋顕明(杉原弾)
 http://blog.goo.ne.jp/kennmyou

 毎度のgooブログ。作り慣れているので楽。他のブログの作り方を学ぶのは面倒だし。

 「あ、ここになんの言葉を入れようか」と。
 このブログでは

 ♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

 と、木村カエラ『YOU』の歌詞が入っている所、タイトルの下。
 最初は、

【われら 一向に念仏を申して 仏天のもと 青草びととなりて 祖聖に続かん(信国淳)】

 という言葉を入れたのだが、え~。。。ブログのテンプレートを変えると、イマイチしっくり来ない。
 「そうだ、高木顕明だ!」
 という事で、『余が社会主義』(http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/yogasyakaisyugi.htm


【此の闇黒の世界に立ちて救ひの光明と平和と幸福を傳道するは我々の大任務を果すのである。諸君よ願くは我等と共に此の南無阿弥陀仏を唱へ給ひ。(意訳 この闇黒の世界に立つて救いの光明と平和と幸福を伝道するのは我々の大任務を果たすのである。諸君よ、ねがわくは、我らと共にこの南無阿弥陀仏をとなえたまえ。http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/iyaku.html)】

 にしようと、打ち込む。「60字以内にして下さい」と指示。
 むむむむむむ。。。月夜のテンプレートにお似合いの言葉なんだが。

 結局

【諸君よ願くは我等と共二此の南無阿弥陀仏を唱へて貴族的根性を去りて平民を軽蔑する事を止めよ。(意訳 諸君よねがわくは、我らと共にこの南無阿弥陀仏をとなえて貴族根性を去って平民を軽べつすることをやめよ。http://www1.ocn.ne.jp/~jyosenji/iyaku.html)】

 に決定。
 月夜は関係なくなったが、なんかしっくり来る。
 なんせ『釜ヶ崎に寺をつくろうとした僧侶』である。


 で、全然関係なく、ダラダラしてる時にプロ野球ニュース。なんか、オリックスの木佐貫が念仏申しながら投球してたらしい。っちゅうか、「お前、巨人のエース候補やったんと違うんけ」なんだが、いつの間にかオリックスなのね。

 
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 今季初勝利のオリ・木佐貫「今日がラストチャンスだと思った」
スポーツナビ 5月20日(金)22時28分配信

 オリックスは20日、広島に3対2で勝利し、今季初の連勝を飾った。1点ビハインドの7回、満塁のチャンスでT-岡田が走者一掃のタイムリー二塁打を放って逆転に成功した。投げては木佐貫洋が7回6安打1失点で今季初勝利を挙げた。

 以下は木佐貫のコメント。
「だいぶ長かったですね。今日がラストチャンスだと思って臨んでいましたので、試合の中で何回か念仏を唱えて投げてました。(捕手の伊藤)光にうまくリードしてもらったので、ピンチが多かったんですが、一球一球丁寧に投げていこうと思いました。光も喜んでくれました。ロッカーに戻ってお礼を言いたいです」
 
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110520-00000034-spnavi-base

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 らしい。

 この「光にうまくリードしてもらったので、ピンチが多かったんですが、一球一球丁寧に投げていこうと思いました。」という言葉の『光』が、阿弥陀如来の光明にタブって思ってしまったりする。
 上記の『光』の部分を『念仏の教え』『恩師』と言い換えたくなってしまう。だから『丁寧』である、と。

 「『光も喜んでくれました。ロッカーに戻ってお礼を言いたいです」
 という部分は、なんちゅうんですか?え~。。。なんか便利な仏教用語があったはずなんだが、不勉強なので思い出せない。
 んが、まあ、「おお!お前も御念仏に出会ってくれたか」と師も喜ぶ。阿弥陀さんが喜ぶ。で、弟子も「御礼を言いたいです」なんぞと。
 なんか、エエ出会いやおまへんかい。

 え~。。。「エエ加減に寝んかい!」なので、寝よ。

終わりなき歩みを共に

2011年05月19日 | 坊主の家計簿
 昨日は親鸞展に出かける。
 え~。。。海洋堂の親鸞フィギュアが売っているのは百貨店でやっている『親鸞展』であり、今、京都の美術館でやっている『親鸞展」ではないらしい。
 ちなみに大阪では

 8月10日(水) → 8月16日(火)大阪市・阪神百貨店

 で、開催されるみたいである。お盆の時期に何を考えとるねん。まあ、16日にでも行くか。

 京都の美術館でやってた親鸞展。聖人直筆のものも多く展示してあったのだが、中でも『浄肉文』が気になる。っちゅうか、欲しい。印刷でエエから欲しい。高田派所有なのかな?肉食妻帯の聖人の直筆浄肉文。来月の通信はこれで作るか。

 本山に少しだけ御参りして、本山前で買い物して、帰宅。晩御飯までには帰るつもりだったし。

 今日は御疲れモードなので御近所銭湯へ。
 余り行かない銭湯なんだが、先日おでんがある事を発見した。エエ匂い。それからずっとその銭湯で風呂上がりビール&おでんを食べたかったのだが、いつも時間ギリギリで食べれなかった。で、今日は最初から「ビール&おでん♪」気分だったので早めに(個人的早め)行ってビール&おでん。おでんは50円。生ビールは大で400円。まあ、『大』いうても居酒屋の生中より少し多い程度なんだが。でも、大満足。グラスも冷凍室でガンガンに冷えてたし。
 丁度0時頃。テレビではNHKのBSを流してはった。
 放射能のドキュメントが始まった。北欧の放射性廃棄物を保管している所のドキュメントらしい。気になったのだが、最後まで観るのもなんやし、っちゅうか、湯冷めするし、ビールは飲み終わってもうたし、とっとと帰る。

 そのドキュメント。『「地下深く 永遠に~核廃棄物 10万年の危険』っちゅうドキュメントの最初に以前、むっちゃ聴いた音楽が。名前がどうしても出てこなかったのだが、帰宅して検索。


 

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  セラフィールド 2 は毎年7.5トンのプルトニウムを生産する。
  1.5kgのプルトニウムは原子爆弾を作ることができる。
  セラフィールド 2 は4年半毎にチェルノブイリと同等の放射能を環境に放出する。
  これらの放射性物質のひとつ、クリプトン85は死や皮膚がんをもたらす。

  放射能

  チェルノブイリ ハリスバーグ セラフィールド 広島

  チェルノブイリ ハリスバーグ セラフィールド 広島

  放射能を停止せよ
  放射能はあなたと私の間の空気中にも存在する
  放射能を停止せよ
  放射能はキュリー夫人によって発見された

  連鎖反応と突然変異
  汚染された集団

  (クラフトワーク『放射能』http://tachitachi.tumblr.com/post/5155747449/kraftwerk-radioactivity-2より)

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 今日、ツイッターを眺めてて思ったのだが、基本、私の世代(43才です)は反原発の教育を受けている気がするのだが。
 『教育』といっても学校ではなく、テレビだったり、漫画だったり、そういう部分での教育。まあ、周囲の影響といいましょうか。やっぱりチェルノブイリがあったし。原子力の安全利用という夢は見てないし。
 チェルノブイリの時は見事に「放射能は危ない!」だったし。当時大人気だったブルーハーツが『チェルノブイリ』という歌を唱ってたり。パンク系なんぞも放射能マークだったり。
 だいたい、今、っちゅうか、これから日本&アジアが被害を受けるのだろうが、あの時は「イタリア産のスパゲティーも危ない」だったりする。チーズは好きでなかったので憶えていない。スパゲティーはイタリア産でなく、他のヨーロッパ産でなく、オーストラリアとかのが出回ってた気がする。あ、原料の小麦ね。
 大人気漫画『美味しんぼ』でも、その事を問題にしてはったし。
 そこから自然食ブームなんぞもあったり、エコブームがあったり、リサイクルブームがあったり。
 『アトミックカフェ』とか『ホピの予言』とか、そんな映画の上映会がバンバンあったり。
 なので、基本、反原発路線で育って来た記憶がある。
 そこから原発推進派になろうとするには、結構勉強しなければならない。なんせ、刷り込みで「放射能は危ない!」なのだ。意識する、しない関係なく、「放射能は危ない!」だったりする。それが、別にインテリだけでなく、共通のムードだったと思うのだが。なので、原発推進派になろうとするには個人的にかなり勉強をしなければならない。それが40代ぐらいの世代の認識だと思ったりするのだが。

 いや、何が言いたいかというと、反原発は当り前だったのだ。デモに行く、集会に行く、なんぞでなくとも。別に特別な事ではない。
 それは戦後生まれの「なんとなくのムード」でもって「戦争反対」と同じである。
 あるいは、え~。。。これは誰が言ってたのかな?宮崎哲弥だったかな?まあ、『右翼』が差別用語だった。日の丸を振ると「お前は右翼か?」みたいな感じ。まあ、テレビに出る右翼が鈴木邦男でなく、西部ぐらいだったし。で、「西部が右翼か?」みたいな感じ。左翼系文化人、っちゅうか、当時の『文化人』の多くは左翼系だったし。だから「天皇制反対」「日の丸・君が代反対」は自然な事だった。だから、昭和天皇が死んだ時の自粛ムードが問題になり、日の丸・君が代が問題になる。
 ほれ、いまだに靖国神社の参拝が「これは公式参拝ですか?」なんぞと聞きまんがな。マスコミも同じ風潮。
 原発も同じ感じだと思うのだがなぁ。。。だから小規模な事故でさえ問題として報道されているわけなんだし。まあ、詳しくは知らない。調べてないし。
 で、今、私の世代で『右傾化』と呼ばれたり、あるいは原発推進の人は、勉強しはったインテリだと思うのだが。ほれ、南京事件でも、学者はともかく、「南京事件はなかった」の人の方がよう勉強してはりまんがな。んな感じ。

 まあ、上下の世代は解らんが、特にジャーナリストなんぞは、基本、反原発の人が多いと思ったりする。
 今回もNHKが優れたドキュメントを撮っているが、あれだって、まあ、どれぐらいの期間の企画会議があったのか知らないが、まあ、NHKの社員が勝手に福島に行けないだろう。他の仕事もあるねんやろうし。でも、その企画が通って、ニュースも含めて番組を作っている。

 だから、「反原発がタブーだった」とは思えんのよ。全く。

 また、「メルトダウン」。この『メルトダウン』という言葉の定義が解らない。個人的には「燃料棒が全部溶け出してしまった状態」みたいなイメージがあったのだが、当初からテレビでも報道されていた部分的融解も「メルトダウン」というのならば、え~。。。単にその言葉を使ったのか、使ってなかったのか?だけの問題だと思ったりするのだが、今日の昼休憩中に見てたワイドショーでも「海外ではメルトダウンと報じられていた」なんぞと言ってたが、確か、同じ番組で部分融解に関しては報道してはったのだが。
 
 ただ、『メルトダウン』という言葉は個人的な思いでもの凄く破壊力がある。『部分的融解』とは違った意味になる。
 この事に関して「日本は言霊の国」なんぞという意見があったが、まさにそうである。「レベル7」と言われるだけなら「ああ、レベル7ね」なんだろうが「チェルノブイリと同じ」と言われると「ひぇ~。チェルノブイリと同じですか」になってしまう。

 先日も『メルトダウン』について書いたのだが、自分でリンクを引っ張って来ておいてなんなのだが、ヘロヘロだったのでちゃんと記事を読んでなくてですね、「メルトダウン=全部溶け出しました→お釜も溶けてます」みたいな認識だったのだが、どうやや違うのね。あくまでも部分的融解もメルトダウンという言葉で呼出しただけなのね。

 で、管総理の発言。


 
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 首相、東電の対応に「最悪、東日本はつぶれるという危機感が薄い」と強い不満 
 2011.3.16 23:23

 菅直人首相は16日、官邸で元連合会長の笹森清内閣特別顧問と会談し、福島第1原子力発電所をめぐる東京電力に対応について「最悪の事態になったら、東日本がつぶれることも想定しなければならない。そういうことに対する危機感が非常に薄い」と述べ、強い不満を示した。会談後、笹森氏が記者団に明らかにした。

 笹森氏によると、首相は、15日早朝に東電本店に乗り込み、東電の対応を叱責した理由について「私は原子力に強いんだ」との自負を示し、「電力事業者の危機感が薄い。もっと危機感を持ってくれないといけない」とも語ったという。

 (http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110316/plc11031623250039-n1.htm

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 である。
 この『私は原子力に強いんだ』、え~。。。ニュースリンクが切れたが別ソースでは『僕はものすごく原子力に詳しいんだ』なんだが、ここに『僕は(広瀬隆の本を愛読してて)ものすごく原子力に詳しいんだ』なんぞと入れると解り易いかも知れん(笑)なんせ、菅直人でっせ(笑)

 この報道を管総理が否定したのか、忙しくて放ったらかしにしているのかどうか知らんのだが、まあ、総理大臣の発言としては軽いが、「もっと責任の重大性を感じろ!」なんだが、まあ、菅直人らしい発言である。

 え~。。。こういう総理大臣を追い落としてどないするねんやろ?一番喜ぶのは原発推進派だと思うのだが。
 「ああ、これで菅直人という市民運動上がりの反原発総理が居なくなって安心やのぉ」だったりすると思ったりするのだが。
 当然、『総理大臣』として、もろ反原発&脱原発の立場を取れるわけがない。んなもん、天皇制に反対であっても、総理大臣として「私は天皇制に反対です。ですから、皇居に承認を貰いに行きません」なんぞ言えるわけがない。日の丸・君が代に反対であっても、総理大臣としては言えない。
 それはある意味「靖国神社なんてどうでもエエやんけ」であっても、総理大臣になる時に遺族会の支持を得たり、「約束やからしゃーないのぉ」で、「え~。。。お前、参拝はしとるけど、敬愛の意識はないやろ」がバレバレ(に私には見えた)の小泉元総理みたいなもんだ。
 何か責任ある立場になれば、自分がやりたい事の全てが出来るわけもない。「俺って総理♪」でもってやりたい事の全てをやってしまうのならば、それはファシストだ。
 で、そういう現状の中でも、エエ仕事をしてはると思ったりするのだが、今の、菅直人総理大臣は。
 菅直人を引きづり下ろして、次に誰を総理大臣として担ぎだそうとしているのか知らないが、え~。。。原発に反対ならば菅直人がベターだと思うのだが。福島瑞穂や辻元清美に菅直人程の政治力があるとは思えんし(笑)


 明日は釋顕明氏の七回忌法要の法話講師先生と打ち合わせ。え~。。。「打ち合わせを立ち飲み屋でするってどうよ?」と思ったりするのだが、まあ、エエやん。釋顕明の法事の打ち合わせやねんし。あ、『かんむりや』もエエかも知れん。法話講師先生は釋顕明死亡時に『かんむりや』での飲み会(仮通夜)に来てないはずやし。『かんむりや』は座れるし(笑)
 まあ、講師先生の寺の近所の方がエエからやっぱし立ち飲みかな?
 
 釋顕明七回忌法要の法話講師先生は、今、バリバリ活躍中。結構大きな寺の跡継ぎ息子さんで、地道に活動してはった事が実って来ている。え~。。。昔に一緒に釜ヶ崎で夜回りをやってた時も、彼が一番行ってた印象がある。一応、呼びかけたのは私だったのだが、え~。。。「仕事の都合』なんぞの言い訳もしたいのだが、でも、彼が一番地道にその後も関わって居られる。私は飲みに行くぐらいですし。
 地道に色々な活動を続けて居られるが故に、釋顕明の遺産『釜庵(釜ヶ崎に寺を作ろう!』を今後も地道に続けて行って下さるはずである。それが彼だし。また、彼は(あ、失敬。2才だったかな?それぐらい年下なので、つい『彼』と)様々な、まあ、教団だったり、仏教会だったりの活動も地道に続けて居られて評価され、信頼させている。つまり、『仕事』を地道に成し遂げる事が出来る人。だから信頼される人。ある意味『保守的』と呼ばれる方々に対しても彼なら話が通じる。話が出来て、その中できちんとした活動をして来られた実績もある。かなり過激な事も『彼だから』という信頼があるが故に、実現出来たりもする。悲しいかな保守的な人が多い寺社会の中で、彼は(比較的なのかな?)大きな寺の跡継ぎであり、『学歴』という社会的信頼もある。
 
 その正反対が釋顕明だ(笑)
 でも、釋顕明は結局、釜ヶ崎で法事や葬儀をする事は出来なかった。あ、夏祭りで本田神父から言われて読経した事があったか。それぐらい。釋顕明の夢を実現する為には、釋顕明はあまりにも無力過ぎた。
 でも、願いはあった。「釜ヶ崎で見捨てられて死んで行く仲間達の葬儀や法事をしたい。釜ヶ崎に親鸞の教えを広めたい」という願いはあった。で、釋顕明なりの努力はしたが、無力であった。

 「大切な事は、その人が何を出来たのではなく、何をしようとしたのかである」みたいな山本周五郎の言葉を、ある恩師の機関誌に書いてあった。

 『天命に安んじて人事を尽くす』やったかな?そんな言葉を教えて頂いた。
 でも、その『人事』の中には、様々な出来ない事もいっぱいある。

 私にとって僧侶になる事は「批判する側から、批判される側へ」でもあった。住職になったのも同じ。
 「住職になったら、あれもやりたい、これもやりたい」という事は、まあ、私の無力さも含めて出来ていない事が多い。んなもんだ。

 理想はある。言葉を変えると『夢』か?夢もある。でも、現実生活の中では出来ない事も多々ある。
 だから、道。仏教だったら仏道。
 その道を「歩みだそうとする?」のか「しないのか?」だけではないのか?



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 真実に生きようとすれば
 現実から袋だたきにされ
 現実に生きようとすれば
 真実に背を向けねばならぬ。
  それは 真実にも 現実にも
  生きたことのない者の 予断であろう。
 真実に拠って 現実を歩み
 現実に立って 真実を証(あかし)する。
 このたのもしく確かな大道を
 もろともに 往こう。

 (和田稠『終わりなき歩みを共に~親鸞の生涯に学ぶ』より)

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 あ、オマケのクラフトワーク『放射能』
 

喉元過ぎれば熱さ忘れる

2011年05月17日 | 坊主の家計簿
 遠方御参り片道1時間半。あ、もうちょいか?2時間弱。あ、そんなにかかってないか?1時間45分ぐらい。
 帰りにホームセンターのトイレで着替えてお買い物。え~。。。すんげートイレやったぞ。何の為か知らんけど、まあ、介護とかの為やろうねんけど、ベッドみたいなもんもあったぞ。私にとっては「お!これは衣を畳むのに便利」だったのだが。
 別に法衣のまま買い物しても良かったんだが、車の中が暑い。排気ガスに弱いので出来るだけ窓は開けたくない。かつ、真夏は地獄と化する中央環状線も走ったりするので危険なのだ。なので窓を閉め切って外気が入って来ないようにする=暑い=クーラー→苦手。という事で、帰りは法衣からTシャツ姿へ。
 
 ちなみに真夏の坊主ルックは暑い。スーツよりは涼しいけど、かなり暑い。
 何やら、今年は節電らしく、省庁なんぞでもTシャツ姿でOKになるとか。え~。。。「元からそれで良かったんと違うん?」と思ったりするのだが。
 「ここは坊さんもTシャツ姿の上から袈裟という事で」なんぞと言いたくなるのだが、まあ、そうはイカンのだろう。っちゅうか、クーラーない所も平気で行くので、慣れっこだったりするのだが。

 んが、原発作業員はそうはいかん。Tシャツ姿だったら放射能被曝バリバリでんがな。何やらさっき見てたニュースでは「防護服を2枚重ね着してます」なんぞの人も居ったぞ。かつ、密閉状態。え~。。。減量中のボクサーやないねんから、んな無茶な。作業員の1人がお亡くなりになられたそうで、同じ60代の作業員の方が心配しておられた。
 これから増々暑くなる。作業現場は当然クーラーなんぞない。キツいぞ、これは。
 なので、今年の夏は原発作業員に想いを馳せる為に、「Tシャツ姿ではなく正装をしよう!」という運動でもやりたくなる気分なんだが、まあ、非効率やし、そんなに上手い事出来てまへん。
 駅のエスカレーターを停める事で最早クレームが来ているらしい。確かに車椅子を押しているとエスカレーターがあるのとないのとでは違う。まあ、エレベーターが一番楽なのだが。けど、無かった時代もあったわけで、車椅子だって駅員さんの手を借りれば、まあ、2人居れば階段大丈夫。
 んが、まあ、結局、何じゃかんじゃで「あれもこれも」になって来たりするのだろうが。一度した贅沢が『当り前』になると「なんで?」になる。「なんで?当り前やったやん?」になる。

 このパソコンの横には大きな冷蔵庫があったりする。え~。。。まあ、冷蔵庫って、大きい方が電気代は安かったりするのだが、制作時の電気代は無視しての話だったりするのだが。
 まあ、家電もどんどん増えて来た。『白もの家電』というのか?『三種の神器』やったっけ?テレビ・洗濯機・冷蔵庫らしい。今は、ほぼ当り前。バビロンシステムは電力によって支えられているわけでんな。

 「戦争なんて、もうこりごり!」で、その5年後に警察予備隊だったりする。
 まあ、んなもんなんだろう。
 『喉元過ぎれば熱さ忘れる』やったっけ?んなもんなんだろう、きっと。
 憲法9条改憲も、この大震災で意味なく加速中。「自衛隊は人を殺す訓練をしているから、今回の様な救援活動も出来るのだ」なんぞという声もあり。いや、医者だったり、看護士だったし、レスキューだったり、消防でも同じだと思ったりもするのだが。20万の災害防衛隊で充分だと思ったりするのだが。まあ、戦争でなく、宗教テロの不安もあるので、多少の『軍備的なもの』はあってもエエかも知れんが。
 日米安保強化の声もあり。え~。。。『思いやり予算』って知ってます(笑)米軍が『日本を守る為だけ』の意味で日本に居ているのならば、日本の総理大臣が「普天間基地は沖縄から出て行って下さい」を何故聞けん?「はあ?」の話やろ。まあ、奥ゆかしい日本なのかも知れんから、トモダチに対する感謝もあって当然だが、思いやり予算って何?(笑)で、「今回の恩義で米軍からの要請には」って、おい。んなもん関係なく、単に憲法9条を改憲したいだけやろ。その世論作りをしているだけやろ。

 喉元過ぎれば熱さ忘れる。
 だから、何度も何度も同じ過ちを繰り返す。

 ♪わかっちゃいるけどやめられない

 なんだろう。っちゅうか、俺、今年はiPhone、去年は財布。その前は。。。(笑)あ、真宗聖典をカバンごと取られた時もあったのぉ。。。書き込み色々してたのに。道で寝るな、っちゅうねん。
 でも、

 ♪わかっちゃいるけどやめられない

 私は酔っぱらうと道で寝たりする43才だ。あ、先日、誕生日で43になりました。43になってからは道で寝てないけど、まあ、んなもん、解らんぞ。最近、かなりストレスパンパン状態なので、次の20日辺りは惑星直列なみに危ないぞ(笑)
 
 学生時代に西原理恵子の漫画の一部分をコピーして、班日誌のオマケで付けた事がある。確か、何か失敗した人に対して「もう、絶対にこんな事はしません」と言った人に対して、親だったのかなんだったのか忘れたが「絶対はないのよ」と。そんなシーンの漫画。『ぼくんち』やったかな?
 いや、やるのだ。何度も何度も同じ失敗をするのだ。そういう人間なのだ。
 私は酒を飲み過ぎると、まあ、睡眠時間の問題もあるが、道で寝る人間なのだ。最近はすっかりないが、酔うとスケベになって女人に「なあなあ」というようなヤツなのだ。
 「私は大丈夫」では決してない。

 だから、まあ、「飲み過ぎに注意」だったりするのだろうが、これもまた、なかなか上手く行かない。ちなみに私は20才過ぎ、21やったかな?の時に、酔っぱらってバカをして17針縫う大怪我をしている。もう、左上腕部、パックリですわ。自分の傷口見て、思わず意識が遠のいたもんなぁ。。。でも、まあ、変わらんぞ。だから「私は大丈夫」では決してない。
 で、「私は大丈夫でない」という事を徹底して解らない。いや、「私は大丈夫ではない」のならば、危険な所に近づかなければエエ。終電で帰ればエエ。酒もほどほどにすればエエ。でも

 ♪わかっちゃいるけどやめられない

 だったりする。
 だから、「私は大丈夫」ではない。それは身の事実である。私という人間存在の事実である。私は同じ失敗を繰り返して来たし、これからもきっと繰り返して行くだろう。
 無理なのだ。
 「無理だったら酒を辞めたらエエだけの話やないかい」なんだろうが、それも無理なのだ。
 左腕パックリの時も、数センチ単位で左腕が落ちてたかも知れない。っちゅうか、10数センチで首か頭を斬って死んでたかも知れない。でも、

 ♪わかっちゃいるけどやめられない

 なのだ。

 「あなたがもし、自分の家族を惨殺されたらどうしますか?」
 という問いに対して、ある先生は
 「私はきっとやりかえそうとするでしょう。でも、その時に、私には仲間が居ます。その仲間が『気持ちは解るが、それは違う』と言ってくれると思います」みたいな事を語っておられた。

 原発も、憲法9条改憲も同じ事だと思う。あ、私の酒癖もか(笑)

 脱原発という道。
 でも、必ず『喉元過ぎれば熱さ忘れる。』

 うちの夫婦の結婚式の司婚をして頂いた一番大切な恩師。典型的な念仏馬鹿。念仏馬鹿なので他人同士が解り合える事など「絶対に無理」と言い切る人。でも、その「絶対に無理な道を歩み始めるのです」なんぞと。

 絶対に無理だから諦めるのでなく、絶対に無理だから「やろうとする」。何度でも何度でも。くりかえし、くりかえし。
 
 体質は変わらん。「私は大丈夫」なのが体質なのだ。だから、何度でも、何度でも。くりかえし、くりかえし。

 「ヒロシマ、ナガサキを忘れたかのか!」だけでなく、「フクシマを忘れたのか!」と。

 え~。。。日本全国の飲み屋の皆様、いつも御世話になっています。私が「尿漏れが。。。」なんぞと言い出したら、「早よ帰らな娘の寝顔が見られへんで」と言ってやって下さい。
 m(_ _)m



御先祖様

2011年05月16日 | 坊主の家計簿
 お疲れモードの脳味噌トロトロ状態は本日も続く。けど、まあ、今日は昼寝も出来たし、少しマシかな?

 娘がiPhoneで遊んでいる。落とした動画を観てたり、鼓のゲーム(?)で遊んだり。まだ、パパ&ママのガイドが必要だったりするのだが、気が付くと「あれ?動画、終わってるはずなのに」を勝手に観てたりする。
 娘は8月でようやく2才。え~。。。2才前の乳幼児にiPhoneなんぞ与えて良かったのだろうか?と、パパとして少し考えたりするのだが、まあ、エエか、と。

 同じ年ぐらいの子どもが居ている所に御参りに行く(家に上がりこむ)とオモチャが一杯。うち、貧乏なのでそこまでオモチャないです。オモチャはないけど、iPhone(笑)まあ、電話もメールも出来ないのでiPadなのだが、それでも世界最高ブランドのApple社のハイテク機器が。任天堂のDSとか、プレステでなく、iPhoneである。う~ん。。。「ビジネスマンか、お前」っちゅう感じである。きっと娘はDSで遊んでいる同級生に対して「子どもね。私なんて1才の時からiPhoneを使っているのよ」と。

 よう考えると、スンゲー時代だ。
 最初にハイテク系(?)で遊んだのは、小学校の時に買った『電子ブロック』というやつだ。私は爺ちゃん婆ちゃんと同居していて、爺ちゃんからかなり高額な小遣いを貰っていた。小学校の時に毎月の小遣いが5000円だった。今から30数年前である。5000円の小遣いの他に、爺ちゃんのタバコを買いに行くと別にお駄賃を貰えた。え~。。。だからこんなに甘えたガキ(大人)になったのだが、なんでか金銭感覚だけは異常にしっかりしていたりする。ガキに多くの小遣いを与えたからといって金銭にルーズな大人にはならない証明だと思ったりするのだが。
 で、その『電子ブロック』。作れるのはラジオ程度だったりするのだが(笑)ガイガーカウンターぐらい作れれば良かったんだが、スイッチ式の電気がつくラジオなんぞを作って遊んでた。
 トランシーバーは持ってなかった。友達が持ってて「なんじゃこりゃ!」と驚いた。
 初めて『ビデオ』なんぞがやって来た時も「なんじゃこりゃ!」だった。

 娘のオモチャiPhoneは回線を切っているのでトランシーバー的な使い方は出来ないが、あ、そういや、Wi-Fiは使えるとかソフトバンクの人が言ってたな、今度聞きに行こ。まあ、今の段階ではトランシーバー的な使い方は出来ないが、ラジオにもならないが、音楽&動画&楽器&ゲーム機&辞典になってたりする。あ、時計もね。小さい薄い黒いものの中に、バンバン詰まっている。娘、しげしげと眺めている。最近お気に入りのアンパンマン体操を観つつ、踊ったりしている。


 ♪もし自信をなくして
  くじけそうになったら
  いいことだけいいことだけ思い出せ
  そうさ空と海を越えて 風のように走れ
  愛と夢を持って地球をひとっとび

  アンパンマンは君さ 元気を出して
  アンパンマンは君さ 力の限り
  ほらきらめくよ
  君はやさしいヒーローさ
 (作詞:やなせたかし・魚住勉『アンパンマンたいそう』より


 という事で、パパもかなりのペースでアンパンマン体操を聞かされる。いや、iPhoneの音、結構デカイんですわ。

 ちなみにツイッターでは一度やったのだが、アンパンマンは美味しくない。理由は、アンパンマンが危機になってから顔を焼き始めるから。元パン職人の私としては、「んなもん、急いで焼いたパンが美味いわけがない」と断言する。ありゃ、ドライイーストだろうし、発酵もかなりムチャな温度で急速に発酵させていると考えられる。また二次発酵もやっていない可能性もある。そんな風にして作ったパンがおいしいわけがない。
 また、ジャムおじさんは危機管理意識が甘い。まあ、甘いから『ジャムおじさん』なのかも知れんが(笑)アンパンマンは毎週危機に遭遇する。下手すりゃ週に2度も危機に遭遇する。すなわち、アンパンマンの危機「顔が○○で力が出ない」は想定範囲内であるはずである。にも関わらずアンパンマンの顔をストックを作っていない。アンパンマンの顔を二次発酵前に冷凍しとけば済む話である。アンパンマンが危機状態になってからパンを練り始めるというのは、危機管理が甘いとしかいえない。
 
 ただ、まあ、「空腹は最大のスパイスである」という格言があるように、空腹だからアンパンマンの顔を食べて「美味しい」なのかも知れない。作者はその辺を意識しているのかも知れない。
 「みなさん、御存知ですか?アンパンマンの顔は決して美味くありません。ですが、何故みんなアンパンマンの顔を食べて『美味しい』というか解りますか?私は戦争を経験しているので解ります。お腹を空かせていると何だって美味しいのです。イモの蔓だって美味しいのです。私はこの飽食時代に皆さんにその事を知って貰いたくてアンパンマンを書きました」なんぞと。まあ、んな事はないのだろうが(笑)
 ちなみに今晩の晩御飯は『そぼろ丼』だった。そぼろの日本酒が煮切れてなく、数口喰って「無理。これ、エサ」という事で、パパは御近所ラーメン屋へ。家事が仕事なら、仕事はちゃんとせえ。それでメシ喰ってるのなら、ちゃんとせえ。「ママが作って呉れたものなら何でも美味いよ」なんぞという甘やかした感情は一切ない。素人なので料理が下手なのは仕方がないにしても、日本酒の煮切りは料理以前の問題である。んなもん、味見したら済む話やんけ。味見をしない素人料理はエサだ。プロでも味見はするぞ。いや、「プロだから」か。「誰かに食べて貰いたい」があるから味見をするのだろうが。丁寧に作るのだろうが。「喰わしとけ」を食べる筋合いは一切ない。

 あ、アンパンマンたいそうの歌詞。

 ♪アンパンマンは君さ

 の歌詞が頭にこびりつく。
 ついでに

 ♪もし自信をなくして
  くじけそうになったら
  いいことだけいいことだけ思い出せ

 の『いいことだけ』が『南無阿弥陀仏』に聞こえてしまう。
 で、

 ♪アンパンマンは君さ

 である。

 今日も法事だった。え~。。。最近、『jin仁』をテレビ放映中は『jin仁』を使っての法話、え~。。。バタフライ効果(縁起)でやっている。それと先祖供養を合わせて話している。まあ、今の私が存在しているのは、過去の全ての存在が『それ』として存在していたからというのが事実である。過去にタイムスリップして過去を変えてしまえば、今の私はない。つまる所、今の私を「生きていて良かった、産まれて来て良かった」と言えるのかどうかが、本当の先祖供養ではないのか?なんぞと。

 フクシマ以降、原発はより安全になる。それは浜岡原発を見ても解る。「え~。。。浜岡原発が安全になるまで停めまっせ」である。安全が確認されれば、安全工事が完成すれば浜岡原発は再開される。
 でも、その『安全』も『想定内』の事である。よく「1000年に一度の災害」なんぞというが、え~。。。『○○新党』という名前の政党はすぐに消え去る。ずっと続ける気がないから『○○新党』なんだろうし。まあ、『新日本プロレス』は別だが(笑)
 原発は1000年で消え去るのか?そんな気分でやっているのか?まあ、実際の建物の構造上千年も持たないが、それでも「永遠に安心な原発」でないと危ないのではないのか?1000年に一度の災害を考えない原発なんぞ危なくて仕方がない。
 浜岡の防波堤は15メートル。まあ、それが『想定』なんだろうが、想定外なんぞいくらでも起こる。解らんのだ。

 娘の孫にとって私は『御先祖様』。娘に子どもが出来なくとも、他の後の世を生きる人達にとって私は『御先祖様』。
 やはり御先祖様としては、子孫に、後の世を生きる人達に安心な世界に生きて貰いたい。
 怨まれたくない。「なんで御先祖様は、原発を停めなかったの?あのフクシマの時が最大のチャンスだったじゃないの?」と怨まれたくなく。
 事実は事実として引き受けなければならない。それがどんな世界であっても。「こんな世界なんてイヤ!」は架空の話だ。『こんな世界』しかないのだから。でも、だからこそ

 ♪アンパンマンは君さ

 だったりすると思ったりする。

ト~ロ、トロでふ。

2011年05月15日 | 坊主の家計簿
 少々遠方の車での御参りが終わって遅めの昼ご飯。ママ、忙しそう。パソコンを立ち上げて前夜の続きをする。

 え~。。。酔っぱらって落としたiPhoneが見つかったのはエエのだが、新しいのを買った(契約した)ので、前のは『携帯電話』としては使えない。売りに出すには落とした時かなんか知らんが、結構傷だらけなので買い取り価格バカ落ちだろう。なので『娘&ママ』のオモチャとして『iPad』としての新しい人生を送って頂こうと、昨日、データーをパソコンに。写真とか、ボイスメモね。写真は先日行った『子ども御遠忌』での写真。ボイスメモは二回ぐらいの講義。
 ついでに、初期化する。初期化して「これは遊ぶかな?」というアプリなんぞを突っ込む。音楽は娘用のみ。
 今日もその続きの作業をやろうとパソコン立ち上げてゴチャゴチャと。「これってどうやったらエエねん?」なんぞをネットで調べたり、実験したり。
 遅めの昼ご飯は焼きそば。焼きそばを食べていると電話。
 え~。。。今日は、『第二土曜日』だったのね。すっかり忘れてました。第二土曜日指定の御参り先のオバちゃんから電話があって「すぐに行きます!」と、昼飯途中で飛び出す。
 いや~。。。(笑)

 団体参拝の準備完了。
 報恩講準備もなんとかなりそう。
 んな事で気を取られててでんなぁ。。。(笑)

 毎度の深夜ネット立ち上げで衝撃のニュース。

【エスパー伊東 ネタ失敗が海外ニュースに取り上げられる】(http://news.nifty.com/cs/technology/techalldetail/ameba-20110514-4567/1.htm

 いや~。。。日本は幸せやで。

 その裏で

【2、3号機もメルトダウンの可能性…東電認める】(http://news.nifty.com/cs/headline/detail/yomiuri-20110514-00824/1.htm

 らしい。
 プロレスならこれで「ワン!ツー!スリー!」で負けである。ジョー樋口がブッチャに地獄突きでもされない限り負けである。「ツー」から「スリー」までがやたらと長くとも、スリーカウントで負けである。今回はプロレスでは特殊な「ワン」の後に間延びしての「ツースリー」である。レフィリー誰やねんやろ。

 ん?
 まあ、これで3つのメルトダウンである。3つのメルトダウンってスゲーで。人類史に残るのと違うか?蓮舫が「2位じゃダメなんですか?」と言ってたが、こりゃ、1位やろ。3つのメルトダウンは1位やろ。
 
 ここで素人的には「うわ~!!!頭に北半球!」なんぞと取り乱して大騒ぎしたい気もするのだが、祭的には、あるいは、今晩飲みに行ってたりしてたり、あるいは私が独身男子ならば「3つもメルトダウンしてしまった。。。だから、なあ、エエやん」なんぞと、ノストラダムス口説き方式とでも云うのでしょうか?ハルマゲドン口説き方式とでも云うのでしょうか?まあ、よう知らんが、んな事を飲み屋で言っていたに違いないのだろうが、非常に残念な事に私は既婚の娘が居てまして

 「明日地球が終わるねんやったら、日常生活を送らせろ」
 
 なので、イマイチ、盛り上がりに欠ける。

 そういや、1号機のメルトダウンにしても、まあ、その他一連の原発事故に関しても、専門家はクール。放射能に慣れているからなんだろう。ただ、まあ、その専門家を『御用学者』として信頼しないのだから、まあ、そういう人達には関係ないのだろうけど。
 結局、多くの情報の中で『自分にとって都合の良い情報』を選択するのだし。楽天的な人間は楽天的な情報を、悲観的な人間は悲観的な情報を求める。それだけの話。
 ただ、まあ、楽観的な人も、どんどん悲観的になって行くのかも知れないが。
 んなもんは、解らん。
 さっき『楽観的な人』『悲観的な人』と、レッテルを貼ったが、まあ、厳密には『楽観的な状態』『悲観的な状態』と言葉を改めた方が良いだろう。人間なんぞ、変わるわけやし。

 で、メルトダウン。
 この前の『朝まで生テレビ』で『原発推進派』の論者として出ていた人もメルトダウンの可能性について語っておられたのだが、確か「大丈夫なんですか?」みたいな質問に「やるしかないでしょ」みたいに答えておられたのが印象的。

 素人のプチ・原発かじりの私にとって『メルトダウン』という言葉は強烈である。破壊的である。
 しかしながら、現場に関わる、まあ、その『原発推進派』の人もそうなんだろうが、「大丈夫か?どうか?」ではなく、この現実から何が出来るのか?を考えるしかない立場、プロ。
 「この危機的な状況の中で何が出来るのか」っちゅうのがプロ。まあ、それしかないわけですし。プロが「アカンわ」なら、どうしようもない。「今、何が出来るねん」「今、何をすべきなのか」っちゅうのがプロ。

 え~。。。さっき知ったばかりなので、そんなに調べていないのだが、ツイッターで少々『メルトダウン』で調べたら、パニック少なし(笑)逆に「何時になったらパニック起こすの?」なんぞという心配の意見もあったりする。
 多分、慣れ。「んな事、今更言われてもなぁ。。。」だったり、「それは想定内」だったり。まあ、慣れ。以外とタフ。

 ふと「戦争中もこんな感じだったんだろうなぁ。。。」と思ったりする。防空頭巾を被りつつも、結構笑ったりしてたんだと。どこか頭の中で「大変や!」なんぞと思いつつも、笑ったり、空襲よりも「ヨメはんとの問題の方が俺にとったら一大事やねん」とか。

 私は大阪在住。まあ、「もんじゅの方が危ない」という話もあるが、3つのメルトダウンはかなりやろ。それでも、変わらぬ日常を送っている『生活者』のプロ根性というんですか?タフな事に微妙に感動したりする。

 ちなみに、というか、なんというか、今はテレビでも雑誌でも、ネットでも色んな情報が流れている。情報統制はされていない。東アマ管理人さんは変わらずである。「危険な情報だから」といってシャットダウンされていない。
 「この辺の子ども等、危ないでっせ」の親だってバカではない。その親がバカというのならば、「え~。。。タバコ吸ってたら癌とか肺気腫の確立、むっちゃ増えまっせ」とパッケージに書かれたタバコを吸う人もバカという事になる。まあ、バカかも知れんが(笑)

 なんか、そういう所でも生活していくのが『生活者』なんだ、と。
 危険な仕事は『原発ジプシー』だけではない。と、真夏にクーラーが付いてない車で、窓を全開にしつつ、道路渋滞に巻き込まれて『熱中症』『排気ガス』で死にそうになりながら、まあ、『死にそう』は大袈裟かも知れんが、でも、気を失いそうになりながら働いてたし、他の仕事でも「これって、どう考えても体には絶対に良くないよなぁ。。。」という環境で働いた事も多々あるし。
 解体工事でアスベストをバンバン吸った人も居てる。危険だろうがなんだろうが、生活しなアカン。生きんとアカンわけでんな。
 
 んが、まあ、その原因が『原発事故』とハッキリしているのが今現在なんだから、「不安や。。。逃げよ」で、逃げた先から国&東電を告訴したりするのは、当然、アリ、やろ。なんせ『メルトダウン』でっせ、メルトダウン。『チェルノブイリ級』よりも『3つのメルドダウン』の方が破壊力ありまんがな。パニック起こしても誰も文句言いまへん。っちゅうか、私は文句言いまへん。それぐらいパワフルな言葉やろ。
 
 怖い時には「怖い」と言える勇気は大事でっせ。
 「うわー!こいつ、ウンコしよった!」と、小学生の時に大便個室に入る事の恐怖でウンコを洩らすよりも、ここは正々堂々と「先生!僕はウンコに行って来ます!」とかでんな。。。ん(笑)
 ありゃ、我慢するからパニック起こすねん。さっさと大便個室に入ったらエエねん。無理するからパニック起こすねん。
 恥も外聞も関係ない。怖いのは怖い。無理なもんは無理。
 プライド棄てても生きて行くのがプロでっせ。

 (注)ちなみにというか、当然というか、私は放射能のプロでも原発のプロでもありません。ですが、『なんとなく』で知っている『メルトダウン』という言葉が『メルトダウン×3(うち一個はプルトニウム入り)』っちゅう事で『ビビっている私の状態』が書いただけなので、『メルトダウン』に関する情報は専門家に聞いて下さい。所詮、賞味期限を気にする様な小さいやつです、はい。あ、昨日、半額で買って来たチクワ、明日、ギリギリ喰えるかな。。。っちゅうレベルです。メルトダウンにしても。『好きなものの賞味期限』と『キライなものの賞味期限』とは別の、何ら科学的ではない人間です、はい。

友が朋になる

2011年05月13日 | 坊主の家計簿
 金襴のスリッパをご購入予定の皆さん。是非、大阪は日本橋にある『おくむらスリッパ』でどうぞ。予定価格の半値で購入出来ます。あ、直接店で買ったらね。通販価格はネットに載ってるやつだと思う。店まで取りに行ったので激安購入。いや、ホンマ、他での半額以下で手に入った。1万以上の経費削減。

 iPhone4のケース。日本橋をフラフラと。結局、光学8倍レンズ&ミニ三脚付きのが2980円で売ってたので買う。だって、まあ、最安値では商品不揃いで300円であったけど、色がイマイチだったし、通常商品ならば1000円ぐらいする。一番安いので。諸々選んでて、結局光学レンズ付きのをゲット。iPhone4は3GSよりもカメラ性能がアップしてるし、デジカメを持ち歩くクセがついてないし。旅行とかぐらいしか持ち歩かないし。ケースに「クルクル」っと回して差し込むだけみたいだし、まあ、エエやろ。ケースもしっくりエエ感じ。

 先日無くしたiPhoneを取りに南警察署へ。「まさか、こういう形で来る事になろうとは。。。」なんぞと微妙に感動しつつ、さっさと受けとる。何故かケースがない。ついでに結構、傷。ソフマップで「今日ならば最高価格で23000円で買い取りまっせ」だったのだが、あんだけ傷が付いてりゃアカンな。
 電話とかメールは出来なくとも『iPod』として使えるわけだし、ママと娘用にするか。YouTubeの動画取り込みを勉強しよ。

 のち、院長講義。
 え~。。。講義内容を書く気力も体力も時間もないのでスルー。
 ただ、「え?歎異抄ってこういう読み方をするの?」と、全く気にも留めてなかった部分、漢字の意味なんぞに感動しつつ、院長先生の徹底した厳しさの姿勢の解説(?)、まあ、法話に変わらず感動する。いや、学生時代から、ホンマ、授業時間がアッという間だったんですよ。血圧、上がりまんねん。あ、『血圧』っちゅうか、テンションか。「トランス書き込みマシーン!」に変身。今日も、講義中に胃薬と正露丸を飲む程度には体調不良だったんだが、睡眠時間も短かったし、でも、まあ、来月も楽しみ。聞かなならん、学生に帰らなならん。

 のち、むっちゃ久々、え~。。。多分、15年振りぐらいなのか?まあ、それぐらいに久々のタメ年の先輩と飲みに行く。むっちゃ、久々だったので。むっちゃ久々だったのだが、仲良しこよしなので、んなもんは関係なく、飲む。互いにベタベタするのが苦手なタイプなので連絡しなかったけど、友達だし。
 関係が変わったのは『先輩』になった事と、『同朋』になった事と、互いに年を取った事。
 院長講義は先月から。先月は通夜で行けなかった。んが、通夜でない限りは行くつもりなので「ほな、また、来月」と別れる。
 当時は女の話しかしてなかった気がするのだが、今日は信仰について話したりと「おお!」と。なかなか、これが(笑)

労イカ者

2011年05月12日 | 坊主の家計簿
 22時から25時30分ぐらいまで寝てやんの。パパ、お疲れ。

 本日のパパは、寺でのお参り後に某所。某所での2度の法要。参加者が居なければ法話なしで楽なのだが、2度とも直前に来客。え~。。。法話、考えてないぞ。その前に雑談しつつ、法話のネタ探しをするのに。
 しゃーないので、法話が始まってから「皆さんの御宗旨は?」なんぞと聞いたりしつつ、適当に。

 この『適当』だったり、あるいは雑談には貯金が大事である。もう、見事に、今までの貯金が問われる。貯金額によって現場の労働者としての価値が問われる。
 んが、まあ、適当に。

 非常に残念な事に、このMacちゃんにはゲバ文字変換が付いていない。少しだけ検索すると以前はあったらしいのだが、今はない(のかな?)
 労働者の『働』を、『イ(にんべん)』と『力』という文字が好きだったりするのだが、え~。。。要するに『イカ』やんけ。
 『労イカ者』やんけ。

 イカ。子どもの頃の私は、あ、回転寿司なんぞなく、御近所の寿司屋での注文では、私の寿司は真っ白だった。え~。。。マグロきらいだったし、ハマチもイマイチ。なので、イカなのだ。
 しかしながら、昨日も食べた回転寿司では多くの魚があって、最近、イカを食べていない。っちゅうか、イカの価値、下がってないか?以前はマグロと匹敵する価値ではなかったのか?(個人的に)
 他のリッチな食材に隠れてしまったイカ。大阪ではタコ以下のイカ。

 「労働者はタコ以下なのか!」なんぞと、え~。。。本日、お疲れモードで、深夜から急速に飲みだしたので、んな適当な感じです。明日も適当に忙しいです、へい。

浄土宗の人は愚者になりて往生す

2011年05月11日 | 坊主の家計簿
 地味に働く。地味に働いたので、じみ~に、仕事が進む。団体参拝の準備も、後は坊守(ママ)に説明して「ほな、あとは頼みます~♪」状態まで。私は「報恩講直前でっせ!」やし、他の仕事があって当日は行けないので、準備は完璧に。
 報恩講準備もちゃくちゃくと。結構、揃っていないもんもあって、それの買い出し&用意も着々と。当日来て頂いた方とかへの『お返し』っちゅうたら変か?『粗供養品』の準備も。これも結構楽しい。だいたいの予算があって、その予算内で「何にしようか?」と、諸々物色する。なかなか楽しい。予約しなければならないものを本日注文。後は明日にでも買い出し。少し予算が余るので、本山で何か物色して来よ。

 地味に働くといえば、釜ヶ崎に福島原発の仕事。それだけだったらニュースにならないのだが、「行ったら話、違ってましてん」という事で、テレビニュースにまでなってた。んなもん、まあ、「ようある話やないかい」と思ったりもするのだが、なんせ『福島原発』である。なので大きな話題に。

 http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/accidents/2798949/7194498?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

 しかし、『あいりん地区』か。え~。。。確か、行政用語やったかな?昨日、ニュースソースを探そうと『釜ヶ崎 福島原発』で検索したら見つからず、あ、今日は記事紹介ブログなんぞで見つかったが、まあ、『あいりん 福島原発』で検索すると、ニュースソースが見つかる。新聞報道なんぞでは『あいりん地区』らしい。余り呼ばない名前なので、新鮮な驚き。

【あいりん地区という名称は1966年5月に国や自治体などの行政機関と報道機関の統一名称となった。】(http://ja.wikipedia.org/wiki/あいりん地区より)

 みたいなので、そうなんだろう。平井さんの本とかに詳しく書いてある気もするのだが、なんせ私は今日も地味に働いたので「え~。。。面倒」という事で。

 『あいりん地区』を漢字で書くと『愛隣地区』である。『愛』で『隣』である。何となく「汝の隣人を愛しなさい」という言葉を思い出してしまうのだが、詳しくは

 http://www.amazon.co.jp/無縁声声―日本資本主義残酷史-平井-正治/dp/4894340658

 をどうぞ。

 しっかし、『あいりん地区』は1966年の行政用語やったのか。1966年いうたら、高度成長期バリバリでんがな。「大阪万博は俺らが作ったんんや」の時期でんがな。それで『愛隣』、はあ?でんな。まあ、当時も、今も、日本が目指している事は変わらんかも知れんのぉ。サンカはどうなってんや?フーテンの寅さんはどないなってんや?なんじゃい、われ、労働者は全員『定職』につかなアカンのかい?定職につかなければならなくなればなるほど、落ちこぼれがが出て来る事を考えんのかい、われは。
 学校なんぞ『行きたい人が行く所』でなく、日本では『近代化』っちゅうか、兵役の為の義務教育やったんと違うんけ。そのクセ、「学校に行かれへん人は落ちこぼれ」って、おい。気でも狂ったか。
 『定職につきたいけど、つけない』というのと、『定職につきたくないけど、金がなくなったら仕事はしたい』というのとを分けて考えられんか?なんか、発想が国家になっとらんか?
 ほれ、昔は「この領主は気にいらんのぉ。。。」やったら、その土地から逃げて、別の土地に行ったりしてましたやん。言葉を忘れたが。
 あるいは『サンカ』という生き方もあったやんけ。
 芸能の民、河原乞食なんぞもおったやんけ。そういう生き方の何が悪い。
 
 仕事なんぞ、生きてりゃエエだけの話ではないのか?「みんな仕事をしなければダメ!」だから、余計にストレスがかかる。
 筋金入りで「学校なんぞに意味はない」みたいな確信犯的不登校ではなく、「学校には行きたいけど、行かれへん」みたいな人にはムッチャ、ストレスやろ。あ、確信犯は確信犯として苦労したらエエねん。確信犯やねんから。学校なんぞは行った方が楽だ。その後の人生を考えると楽だ。なんせ、求人の量が違う。学歴はあった方がエエ。もしくは手に職をつけた方がエエ。けど、んなもんなくても生きれるのは確かだ。事実、確信犯で高校を辞めた私だって生きとるぞ。今の所は仕事もあるぞ。真面目に学校行ってた人達とは別の苦労をしなアカンけど、でも、生きとるぞ。

 釜ヶ崎。あ、『愛隣地区』ね。
 『愛されなければならない人達』が住んでいる地区なのか?

 。同胞融和。
 「同じ天皇の赤子にこんな状態の人が居てるなんて。。。」

 で、愛隣け。

 行政用語の『あいりん地区』。え~。。。多分、『釜ヶ崎』だと思うのだが。
 行政用語の『地区』も、「うちの」「うちのムラ」だと思ったりするのだが。あるいは『被差別』とか。

 『健常者』『障害者』という言葉がうっとうしいように、うっとうしい言葉やのぉ。。。

 いきなり、原発の話。

 え~。。。何年前になるねんやろ。名古屋の大谷派拠点でやってた企画展に行った事がある。坊さんになる前やったかな?『知的障害者』関連のやつやったので。
 で、確か、そこで買ったパンフレットの中に『知恵おくれ』に対して『知恵いそぎ』という言葉があった。言葉は概念・思想なので、その思想ビックリした。感動した。
 いや、殆どの人が『知恵いそぎ』になろうとしているわけでんがな。だからカルチャーセンターや、各講義、各講座が大人気。え~。。。ネットをやってない人は『情報過疎』なんぞと言ったりするのか?
 そんな延長が原発だと思ったりするのだが。。。いや、原発って、『知恵いそぎ』にしか出来まへんやん。もんじゅの設計に大前研一が関わったように。『知恵いそぎ』の『知恵チャレンジ』でんな。だから『想定』なんぞの言葉を使ったりするのだろうし。

 「これこれ、こういう理想の人生を送ったら『二度と生まれ変わらんでエエような充実した人生』を送れまっせ」という、己の能力を信じて生きるのか、
 それとも「あんさん、何をいうてまんねん。わてら、誰にも代えられへんたった一度の尊い人生を送ってまんがな。それが事実とちゃいまんのん?何を夢見てまんねん」なのか。

 最近流行の『再生可能な自然エネルギー』
 え~。。。太陽光発電で一番効率がエエのは宇宙から引っ張って来る事なんだが。

 http://www.jaxa.jp/article/interview/vol53/index_j.html

 え~。。。これと原発とどっちが危ないねんやろ(笑)

 関西では最近まで『時効警察』という脱力系のドラマの再放送をやってた。なんとなく録画して観てたのだが、観てる途中で「これって三木聡?」と。検索してみると、三木聡も最初と最後辺りの数本やってるのね。あの大好きな映画『亀は意外と速く泳ぐ』の監督の三木聡。
 脱力系には原発管理は無理やぞ。

 え~。。。最近もあったらしい脱力系の反原発&脱原発のデモ。音楽を演奏したりの脱力系だったらしい。気合いの入った組合系のデモでなく。
 ありゃ、『脱力系』だから素晴らしい。
 脱力系だから、力になる。
 脱力系なので、当然、デモに参加しなくてもエエ。私も参加してないし。

 脱力系の人間に原発管理は絶対に無理。
 
 生身の人間はコンピューターではなく、生身の人間が作ったコンピューターも完璧ではない。完璧なんぞあり得ない。あり得ないにも関わらず、完璧でないと今回の事故の様な大災害を起こした原発って、どうよ。


【私の専修学院での学びは、凡夫という言葉を中心に始まりました。しかし学院は生活学習の場ですから、そこで繰り広げられる私の意識生活は、その凡夫の身を裏切る自尊心との格闘でもありました。それは今日も、今も、続いています。そうした事実と思いのぶつかる日々の生活の中で、それでもここに身を置いていることの支えとしている言葉があります。それは信國先生が大病を患われた晩年のころだったのではないかと思いますが、授業で法然上人の『一枚起請文』(真宗聖典九六二頁)を取り上げられて
 「ここに『一文不知の愚どんの身になして』とあるでしょう。この『なして』という日本語は、意思をあらわす言葉です。意思して、愚鈍の身になるのです。」
 と、強い口調でおっしゃいました。「意思して、なる」。いつのまにか、如来回向とか、本願他力という教学用語を自分勝手にとりこんで、仏法を自動起床装置であるかのように錯覚する腑抜けた信仰理解にまどろんでいる私どもに、「目覚めよ」と命じる一言でした。
 凡夫とは、意思して凡夫にならなければ、自分が凡夫の身を生きていることに気付けないものです。その凡夫への意思を私どもに喚び起こす強い力が、如来の本願です。】(狐野秀存『共に是れ凡夫ならくのみ』より)


 『あいりん地区』とか『地区』って、どっからもの言うとるねん。

釜ヶ崎で生きて浄土に還られた僧侶の話

2011年05月08日 | 坊主の家計簿
 先月、結構忙しかったので鼻血ぶー状態の日々が続く。
 5日に飲みに出かける用事があったので、飲む。飲む。飲む。朝まで下ネタを中心とする話題で大いに飲む。
 朝、iPhoneがない。。。シクシク。。。探したけど、ない。携帯がないと仕事に支障をきたすので残り1920円の11回分が有料になるらしいのだが、しゃーないので新しいiPhoneに切り替える。機種変更、っちゅうやつでんな。新型iPhoneは分割無料なので、以前の残り分だけが毎月加算。うぅぅぅぅ。。。

 鼻血は止まる。まあ、二日酔いで鬼程寝たし。

 元所属寺の住職より、同じ所属寺だった『釋顕明』の七回会法要の話。法要を引き受ける事にした。っちゅうか、5月は報恩講&団体参拝で忙しいので、速攻、なんとか形にしようと、飲みつつ、考える、今。
 とりあえず、さっき釋顕明が最晩年に釜ヶ崎でホームレス状態の人達の支援をしようとしていた時のパートナーにメールする。今回の最重要人物。忙しい人だし、今は大阪に居ないので法要中に読む一文だけでも書いてくれれば、法話の前に緊張感が出る。

 今の所、考えているのは、釋顕明の所属寺住職が導師で表白も書いて貰って、読経内容は、カダ、表白、阿弥陀経、短念仏、三重念仏、十方みじん世界&添え。正信偈同朋奉讃の和讃は「南無阿弥陀仏をとのうれば」。拝読文『高木顕明 世が社会主義』。法話の前に、最重要人物の一文。法話。
 後、一品&酒持ち寄りの宴。松田優作の灰色の街が入っているアルバムと、『オキナワンボーイ』が入っているアルバム。知念良吉っちゅう人なのか?まあ、詳しい人に聞いて見よ。通夜の時に持って来たやつに持って来て貰えばエエか。を流しつつの宴。

 釋顕明は無名の大谷派僧侶。
 もう、かなりのロクデナシで、無茶苦茶迷惑をかけられたのだが、まあ、「お互い様やんけ」だったり、まあ、死んだ事でチャラ。生きてたら「金、変えさんかい」なんだろうが、死んだのでチャラ。
 お互いが僧侶になる前からの親しい関係だったし、坊主バーの3代目のマスターだったりもする。親しい関係だった分だけ、「死んだらみんなエエ人」にはならず、通夜だろうが、その後だろうが、「お前、そんな事いうけど、あのオッサンはこんな事も、こんな事も、こんな事もあってんぞ」なんぞと個人的迷惑をツラツラ並べたりしつつ、「ロクデナシのオッサンやったのぉ~」と。
 まあ、んな感じだったし、釋顕明が作った『詩』で遺稿集を作ったらしいのだが、私は「あのオッサンの詩はおもろないから要らん」と貰ってない。生前に読んだけど、イマイチなぁ。。。

 でも、かれこれ6年になるらしい。6年も経つと懐かしさも込み上げて来る。ロクデナシ話の想い出話も変わらずなんだが、なんか、あのオッサンの『釋顕明』としての評価も面白いのでは?と。同じ大谷派の僧侶としての『釋顕明』としての評価をやってなかったなぁ~と。

 なんせ前科3犯である。前科3犯で裁判中に逃げたので実刑3年やったかな?政治犯なので独房3年。独房に3年間居てた僧侶って、結構珍しいと思うのだが。
 反戦自衛官でもあった。自衛隊だった時に沖縄に転属(?)する事が決まった時に「沖縄は日本ではない」という事で転属拒否で自衛隊を退官。
 その後、中核派なんぞに入りつつ(自衛隊時代からだったからなのかも知れん)、政治運動へ。で、前科3犯実刑3年。
 後に、タマタマやって来た坊主バーに居着いて、そのままマスター。何故か大谷派僧侶になる。
 
 大谷派僧侶になったといっても、いわゆる『僧侶』の仕事をしていたわけではない。坊主バーを辞めてからは、幸いな事に(?)結核になったり、あるいは「宝くじでも当たったんけ!」という事で生活保護。自衛隊時代にやってたボクシングの後遺症なんぞで「脳味噌に空白が出来てます」だったり、杖をついていたり。結構、ボロボロ。
 死に際も、まあ、「事故やった」とか色々いう人もいてるけど、まあ、自死でんな。駐車場の鎖に紐を吊るして死んでた。「俺が死んだら」「俺が死んだら」なんぞと言ってたが、ホンマに死んでもうたわけでんな。
 そういう無名の人。

 悪口を書きまくるとそれだけで終わってしまうので、悪口は辞めて、釋顕明が最後にやりたかった『僧侶』としての仕事は釜ヶ崎でのホームレス支援だった。
 元々、確か8年間ぐらいだったはずだが、ホームレス状態で生活してはった。金がある時はドヤに泊まって、金がない時は路上で寝る。そんなホームレス状態の生活。
 で、僧侶になっても貧乏なのはずっと変わらんが、多分、釋顕明の唯一の自尊心、『仕事』、生活保護だったりしたから尚更だったのだろうが、死んだ今となって最後にやりたかった仕事は『ホームレス支援』。
 『釜庵』という名前で、ホームレス支援の願いを持っていた。これまた愚痴なんだが、法事をする為の法衣等一式(7~8万)を寄附した。「にも関わらず、テメーわ」だったりするのだが、まあ、しゃーない。
 その願いは、今は釋顕明ではなく、当時のパートナーを中心に形になっている。これから増々大きくなるであろう。『頑張れ仏教!』の人なんぞも居るし。
 でも、そういう、え~。。。なんちゅうんですか?しっかりとした大学なんぞも出て、「現代に於ける宗教者の役割とは」なんぞを論文に書いたり、行動したり、しようとしている人達に「釋顕明って知ってる?」となんぞと。

 娑婆を生きている。限りある現実の生活を生きている。でも、その中で、どういう願いをもって生きようとしたのか?と。何が出来たか?どういう功績を残せたか?でなく、釋顕明は最後に何を、どういう願いでもって生きようとしていたのか?という一点を中心に、ちょっと考えている。こうやって書きながら、考え、まとめている。

泥棒の耳四郎

2011年05月05日 | 坊主の家計簿
 私の鼻血と同じ色の赤ワインを飲む。。。って、大嘘や、っちゅうねん。こんな色の鼻血もあるのかも知れんが、きっとかなりヤバイのと違うか?

 今日は、御仕事終わって「本山に行きまっせ!」っちゅう事で、『子ども御遠忌』というのに出かける。きっと娘が50年後の『宗祖親鸞聖人800回御遠忌』の時に「ああ、そういえばパパとママと一緒にブットンくんを見に来た」と思い出して呉れればイイというか、なんというか。単にパパの買い出し&パパの「ブットンくんが見たい!」というワガママでもって、「まあ、せっかくのゴールデンウィークですし」という事でお出かけ。
 
 なんだが、決めたのが今朝(笑)御参りの合間に、報恩講で必要なものを仏具屋さんに電話したら「ありますよ~♪」という事だったので、「ほな、買いに行こ。せっかくやし、今日行こ」という事で、突然決定。
 この時期、連休中の京都で車を停める所が「まあ、ないわな」だし、かつ、御遠忌期間中なので、もっと危ない。なので電車で行く。娘には車内で寝てもらう予定だったのだが、電車に乗ってテンション上がっている娘は結局寝ずに京都入り。なので、基本は「抱っこ」状態だったのだが、それでも楽しそうだったので、パパ嬉しい。

 ブットンくんを最初に発見したのは、娘がママと一緒に授乳室に行っている時。「あ、ブットンくんや!」と初めて動いているブットンくんを見る。動き、ハンパねぇ。。。動きにキレがある。間も上手い。
 間の上手さや、パントマイムとでもいうのだろうか?喋らずに動きだけで感情表現出来るのはスンゲーぞ。娘と一緒に「あ!ブットンくん居った!」と行った時にブットンくんは休憩間近だった。休憩する所にスタッフと一緒に行こうとする所をなんとか捕まえて、娘に「ほら、ブットンくんだよ」というと、娘、微妙に怖がる。ブットンくんは手を広げて歓迎の姿勢だったのだが、その瞬間に固まった(笑)いや~、上手い。ホンマに上手い。
 ちなみにその直後に別の子どもがやって来て、恐らく疲れてヘロヘロ状態のブットンくんはしっかりと歓迎してはった。
 動きも良し、人気商売としての姿勢もエエ。そら人気出るわな。

 帰りに本山でお買い物。え~。。。井上某の親鸞画のポスターとか、中村久子さんの書などを大量にお買い物。
 本堂(御影堂)から何やら声がするので入る。某雑誌に『美人すぎる尼僧』と書かれてた人が喋ってはった。いや、全然気付かなかったのだが、「あの人って確か仙台教区の所に居った人やなぁ。。。」と。で、スタッフTシャツの裏に書かれていた名前で「あ!『美人すぎる尼僧』やんけ!」と解ったのだが、え~。。。『美人すぎる尼僧』ではなく、やっぱし、『しっかりした坊さん』だと思うのだが。彼女よりも『美人』な僧侶は結構知っているし。ただ、まあ、『結構美人で、しっかりした坊さん』である事は確かであり、確か、大谷大学で教学をしっかりやって来られたのだろうし、今回スタッフで来られていたという事は仲間達にも恵まれているのだろうし、かつ、被災地で多くの方々と出会っておられ、これからも出会い続けて行かなければならない事を考えると、え~。。。要するに『バケモン』になる可能性大である。高倉会館なんぞで彼女の法話が聞ける事になるのだろう、きっと。で、彼女が、まだ若く(と思う。。。)ピチピチした感受性(今日も少し泣いておられた気が)で『被災者』と呼ばれる方々と出会われた御念仏の教えを聞いてみたい。

 本堂(っちゅうか、御影堂)を出たらブットンくんは居ない。他のゆるキャラも居ない。本日最大のヒット・ゆるキャラだった『おりんちゃん』(http://usami-shokakudo.co.jp/2010/)も居ない。あ、『おりんちゃん』はエエぞ。ブットンくん危うしやぞ。なんせ、手に持った棒で頭(りん)を叩くと「ちーんー」と音がするねんぞ(笑)あれにはやられた。他のゆるキャラも多く居てたけど、最大のヒット。
 あ、で、ブットンくんも『おりんちゃん』も不在、っちゅうか、出番の時間が終わったらしい。パパは「きっと今頃、近くの居酒屋でタバコ吸いながら『暑かったなぁ』なんぞと言いながら絶対に生ビールを飲んでいる。」なんぞと子どもの夢を破壊する発言。パパは睡眠不足で少し機嫌が悪いのだ。

 京都から大阪駅までJR。乗り換えて地下鉄。
 なにやら今日から大阪駅が新しくなったそうな。
 数年前まで大阪駅構内には一カ所だけ駅ソバがあった。生麺で茹でたてを出してくれるので、結構お気に入りだったのだが、今はない。今回、駅が新しくなったらしいが、改札内には変わらずなさそうだ。少なくとも駅のホームにはない。新しく駅が出来たのと同じく『駅そば』も作ってくれればエエのだが、何やらハイカラな喫茶店は改札内にあったが、やはり無理なのか。大阪は何を目指そうとしているのか。痰壷の町・大阪の玄関口の駅は何を目指そうとしているのか。

 名古屋駅構内には有名なきしめんの店がある。16才やったかな?初めて名古屋に友人達と青春18切符を利用して行った時に、まあ、貧乏旅行だし、主食はパンと駅そばである。で、美味かった。。。
 姫路駅には中華そばを使った『天ぷらそば』とかがある。『きつねそば(関西ではたぬき)』だとか『たまごそば』を頼んでも和そばでなく中華そばで出て来る。これも結構美味い。お気に入り。
 その他、結構、駅そばは喰っている。乗り換えの合間に食事するには便利である。特に観光客にとっては。また、貧乏旅行客や、忙しい人なんぞにも。
 だったら、大阪駅も駅構内に『きつねうどん』を280円ぐらいで食べれる店を作ったらどうだい。駅が新しくなって確認はしていないが、この数年はなかったぞ。新大阪駅にはあるから、大阪駅から新大阪まで行って、で、新大阪で駅の立ち食いそばを喰ってるって、どうなのよ。

 帰宅してテレビ。録画していた『ありえへん∞世界』を見る。
 ありえへん食べ物で『竹岡式ラーメン』と呼ばれるラーメン屋の紹介をしてはった。プチ・ラーメンマニアなので早速iPhone検索。お店発見。え~。。。結構、評判悪いのね、一部には。きっと、よくある『美味しいラーメン』と混同してはるのだろう。っちゅうか、多分、グルメ的な『ラーメン』としての意味合いなら美味しくなさそうである。麺は乾麺(ようするにインスタントラーメン)だし、スープは白湯(笑)チャーシューの煮汁をお湯で割っただけ。衛生的にもよくないらしく、また、乾麺にした理由が「近所のパートのオバちゃんでも茹で加減にムラがないように」との事らしい。え~。。。都市部では100%淘汰されるであろう。けど、まあ、『食べ物』って、んなものではないのかな?っと。
 何やら漁師町らしい。漁師町で作って出していたラーメンが、まあ、ネット時代っちゅうか、雑誌なんぞも含めてなのだろうが、都市部の人達にも評判を呼び、わざわざ食べに来る人が出来た。いわゆる『ラーメンマニア』の人達が食べに来たりする様になった。それ以前は地元の漁師さんとか、近くに海水浴場があるらしく、海水浴帰りの人とか、あるいは国道を走る人を相手にして来た商売なんだろう。で、地元で愛される店としてやって来られたのだろう。ネット情報によると。

 実家の近所には後に大阪で有名なグルメ雑誌より『日本一美味しい』やったけな?まあ、最大級の評価をされた焼きそばの店がある。子どもの頃から美味しかったのだが、やはり、その店の焼きそばは子ども時代の小遣いではキツかった。なので、主に『ゴリラ屋』と呼ばれてた、店のオバはんがゴリラに似てるからやったけな?今、思い出してみるとゴリラ顔では無かったのだが、まあ、代々御近所ガキ連中には『ゴリラ屋』と呼ばれてた店があった。ここの『肉スープ』が絶品だった。鶏のモツが入っていて、確か、カラカラに乾いたたこ焼きが2~3個入って20円ぐらいだった。今食べると「なんじゃ、この化学調味料の塊の味わ!」になるのかも知れないが、子どもの時にはムッチャ美味かった。
 今は食べれない。そこの次男が、あ、長男は知的障害児で店の奥、オバはんの居住スペースでニコニコしてて、「たまに暴れる」という噂があったのだが、暴れた記憶はない。ただ、私より何才か年上の次男が成長すると共に、厳密には中学生になって、校内暴力激しかった時代に、うちの市内で最強&最狂の中学に行きだして、同級生なのかなんなのか知らないが、当時の私にとっては『怖いお兄ちゃん達』が一杯で出入りするようになってから足が遠のいた。っちゅうか、まあ、以前から怖いお兄ちゃん達も出入りしていたのだが、次男もその仲間に入ったのか、単に絡まれていたのかは確かではないが、元々治安の悪かった店が「え~。。。健全な小学生にはちょっとキツいです」の店になったので。で、噂によると、そこの次男が店で大暴れして閉店したらしい。まあ、次男が店で暴れている姿は何度も目撃していたのだが、閉店騒ぎになるという事は、結構な大事だったのだろう。

 新しくなった大阪駅。とっても近代的な大阪駅。「立って食事をするのはハンバーガーにして貰えませんかね?」なんぞと標準語で言われそうな大阪駅。何やら『コンシェルジュ』というのか?そういうのが居てるらしい。アホか、ボケ。ヒョウ柄模様のオバはんに案内させ。「兄ちゃん、ワレ、どっから来てん?」なんぞというオバはんでも立たせておけ。「グズグズしっとたら、殺すぞ、ボケ!」というオバはんでも立たせておけ。それが大阪の玄関口としての歓迎ではないのか?

 ひょっとして、大阪は『ホームレスが住めない街』を目指しているのか?『日雇い労働者が住めない街』を目指しているのか?大阪からそういう人達を排除しようとしているのか?
 最近、釜ヶ崎に行っても、釜ヶ崎名物だった、地元の人間はみんな知っている「あそこに立っている人達はシャブの売人でっせ」も見かけなくなった。韓国経由の安いタバコの店も見かけなくなった。裏DVDの店も。まあ、あまり行かなくなっただけなのかも知れないが。
 人間臭くない、人工的な街を作ろうとしているのか?
 衛生的な、健全な、健康な、同時に不健康さを排除した街を作ろうとしているのか?

 原発ジプシー。
 原発内の被曝使い捨て労働者を『使う側』は問題である。被爆量を考えて『労働者』として使うべきである。
 だが、原発ジプシーとしての生き方だって、アリだろう。
 ホームレスとしての生き方もアリだろう。
 誰しもが定職を持って生きなければならない筋合いはない。
 フラフラしながら、生きる人生の何が悪い。
 
 あるいは、昼間から酒を飲む。朝から酒を飲む。酒を飲んで喧嘩して血だるまになって道で倒れる。そういう人生の何が悪い。
 
 「しっかりと勉強せんと(しなかったら)、あんたも大きくなったら『ああいう人』になんねんで」の、『ああいう人』の何が悪い。
 『ああいう人』に対してボロカスに言いながらでも、それでも一緒に行きて来た『人間の街』が大阪だったのではないのか?

 橋下知事は一時期被差別に住んでいた事がある。でも、その『被差別に住んでいた』が故に、そういう猥雑な『人間の街』から逃げ出そうとしているのではないのか?

 あ、そろそろ寝な。

 原発ジプシーの映画。大好きな『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』では、原発ジプシーを取り上げると同時に、場末のホステスさんが出て来る。ん?ストリッパーか。
 で、そのストリッパー達が海岸で人の名前を呼びながら『正』の字で数を数えて行く。今までやった(SEX)人の数なのか、それとも出会った人の数なのかは憶えていない。でも、とっても美しいシーン。そんな孤独の映画。

 『パルチザン前史』を撮った小川紳介は、東北の村に入って、村に住む込み、村の人達の『日常』の『退屈』な映画を撮った。最大の盛り上がりは村祭。どこにでもありそうな村祭。
 そんな生活者の映画。

 生活者の生活臭。

 『人権』の『人』。その人って、どんな人やねん? 

 浄土には、『ああいう人』、「仕事もせんと昼間から酒飲んで寝ている汚いオッサン」「アル中」「シャブ中」「売春婦」なんぞが、更生してからでないと往けないのか?そんなものを『浄土』と呼ぶのか?呼んでいいのか?

 誰か特定の『損』な人にだけ更生させて、世の中の仲間入りが更生ならば、

 

元気?

2011年05月04日 | 坊主の家計簿
 う~。。。またまたコタツで寝てもうた。。。と、面倒なので昨日のブログからコピペ。というか、コタツで3時間寝るってどうよ。鼻血も出たし、お疲れモード。

 今日は寺での仕事が終わった後に某秘密のアジト。別に秘密アジトではないのだが、まあ。
 休日だったので来られる方々も多く、ずっと喋りっぱなし。会話しっぱなし。なので眠気もなく、楽しい時間を過ごせたのだが、睡眠時間の都合で、そりゃ、コタツで寝てしまうわな。
 
 秘密アジトでは法話もする。今日の法話、っちゅうか、最近は人気テレビドラマ『jin仁』のバタフライ効果で喋る事が多い。その前に医師でもあり僧侶でもある田畑先生から先日聞いた法話の内容なんぞも紹介しつつ、蓮如聖人の「最近、疫病で死ぬ人が多いけど、疫病で死ぬのんと違いまっせ。生まれたから死ぬんでっせ」を紹介しつつ。で、『jin仁』。

 お爺ちゃん医師も来ておられ、医師が主人公のテレビドラマ『jin仁』や、医師の田畑先生の事を紹介した事もあって、その後にお爺ちゃん医師と話す。お爺ちゃん医師、元気。昨年お婆ちゃん(連れ合い)を亡くされたらしいのだが、料理まで自分でやって居られるとの事。「いや、全部やないですよ」と言いつつ、単純に「スンゲーですね」と。
 今まで料理なんぞやった事がなかったらしい。でも、連れ合いに先立たれ、最初は総菜屋等で買って来たものばかりだったらしいのだが、自分で料理する事を始めたらしい。
 元気だ。。。何やら104才まで生きるらしく、「なんで104才なんですか?」と聞きそびれたが、まあ、今度御会いする機会があって、そういう話題になったら聞いてみよう。

 お爺ちゃん医師は、お婆ちゃん(連れ合い)の一周忌法要を自分でプロデュースしたらしい。つい先日の一周忌法要のプログラムを見せて頂く。何やら学校の先生だったお婆ちゃんの教え子と相談して作ったらしい。
 元気だ。
 そして、私は疲れている。鼻血ブー!である。

 4月は結構忙しく、5月は報恩講があり、本山への団体参拝があるので、その準備がある。免許更新は「後は受講するだけだよ」なんだが、免許更新も「面倒だなぁ。。。」だった。その他、経済的に常に危機状態なので、まあ、なんとかやっているのだが、今後の展開の為の事もある。つまり、多くの人達と同じ生活の苦しみ悩みがある。

 でも、帰って来たら家がある。

 地震や津波、あるいは原発事故で家を失い、あるいは、自分が住んでいる所に対する恐れがある人達は、日常の生活の苦しみにプラスして家を失い、環境から脅かされる日々がある。
 当然、元気な状態の人は元気なんだろう。きっと「今の私に出来る事」を懸命にやっておられるのだろう。

 ちょっと言葉が変だな。というか、失礼だな。
 周囲から見て「何も出来ない」、あるいは自分自身で「何も出来ない」であっても、きっと「今の私に出来る事」をやっておられるのだろう。

 お爺ちゃん医師から「休む事は大事」という事を教えて頂いた。え~。。。交感神経と副交感神経やったかな?そんなお医者さんの世界の話。

 リラックス。
 当然、娑婆世間で生きているので、涅槃ではないので、完全なリラックスは私には出来ない。

 先日、録画していた『朝まで生テレビ』を観てた。
 精神科医の香山リカが、チェルノブイリ事故での自殺者の問題を取り上げていた。この辺、「私は精神科医だ」という立場が明確で非常に解り易い。で、香山リカの所にも原発事故の怖れから診断を受けに来られる方が多いらしい。香山リカは「『原発うつ』と呼んでいい症状が出て来ている」なんぞと。

 この『原発うつ』が現状、どこまで広がっているのかは解らない。ただ、これから増えて来る事だけは確かなのだろう。日頃の生活での苦悩だけでなく、それにプラスしての原発の怖れ。放射能汚染の怖れ。

 このゴールデンウィークには多くの場所で反原発&脱原発のデモがあるらしい。ツイッターを眺めてたら「お祭り気分でデモなんかしやがって」なんぞの意見もあるが、デモはパレードや、っちゅうねん。あ、厳密な英語の『パレード』は意味は知らないが、まあ、祭でっせ、祭。デモの政治的効果はそんなにない。意思決定の場でもあり、基本は祭だ。
 解り易い言葉で言うならば「やってられっかよ」ではないのか?その場に参加する事で、まあ、ハレの場だ、デモなんぞ。
 「やってられっかよ」の場に参加する、あるいは「あ、『やってられっかよ』は私だけではなかったんだ」だけでもデモの効果は十分だと思ったりする。

 当然、それも『元気な状態の人』。
 というか、この『元気』っていう言葉も変だな。『元の気』なんぞはそれぞれの個々の問題。誰にも判断出来ない。
 「落ちこんでばかりいないで、元気を出して」なんぞというのは変だ。生命力は『元気』でない時でも常に働いて居る。



 ♪人並みの中をかきわけ 壁づたいに歩けば
  しがらみのこの街だから 強く生きなきゃ思うんだ
  ちっぽけな俺の心に 空っ風が吹いてくる
  歩道橋の上 振り返り 焼けつく様な夕陽が
  今 心の地図の上で 起こる全ての出来事を照らすよ
  Seventeen's map
  (尾崎豊『 十七歳の地図』より)


 この『夕陽』って、西方浄土から照らし出された光なのかな?
 だから、『全ての出来事を照らす』のかな?

 なんぞと思う、そろそろ43才。あ、最近ホルモン喰ってないなぁ。。。なので『焼肉中年』と呼ぶ事がはばかられる42才一児のパパ。

 『十七歳の地図』のYouTubeを張付けようとして、久しぶりに『十七歳の地図』を聞く。
 初めて聞いた15才の時とは違った感じの『自由』。
 「自らを由とする」という、『あなたはあなたに成ればいい。あなたはあなたであればいい』という独立宣言としての自由。外に求めるのでなく、元々あった存在への気付き。家出をする必要がなく、家に帰る事が出来る自由。ああ、オッサンだ。ホルモン喰いに行かんとアカンなぁ。銭湯→ホルモン→バーの黄金ツアーでんな。あ、家族居てるねんやった(笑)