坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

それぞれ

2012年05月17日 | 坊主の家計簿
いま行っている学校の私担当の先生がある時に「それぞれ」と言った事がある。なんせ勝手に記憶を改ざんしてしまう私なので信頼しないで貰いたいのだが、信心は他力なんだから現れる、感動の仕方もそれぞれだと今の私は感じる。
前回の発表の時に藤谷純子さんの文章を出した時に班担先生は通夜で休みだったが、「これは藤谷さんの豊かな感受性、優れた文章力だから書けたものです」と。そういう言葉を発する事が出来たのも、その先生の言葉を聞けたから。

「外見で人を判断するな」というが、「私が知っているその人の姿で判断するな」と。

先日、珍しく早朝から法話を聞きに行った伊藤元先生は仏性で人を観られる先生だった。

私は私がキライな人の何を知っているのだろうか?
私の知らない所で、ひょっとして御本人すら気付かない所で念佛申し苦しんでいるという確証に対する信頼。他力に対する信頼。

え…『他力』という言葉が鬱陶しければ、『深層心理の一番深い所で誰しもが必ず願っている事』と言い換えてもエエかも知れない。それが表層に現れると『隣の芝生は青く見える』であり、『なんで俺は蒼井優と結婚出来ひんかってんや!』であり、2ちゃんねるの名無しであったり。現実を受け止める事が出来なく「さみしい」と。

日ごろのこころ

2012年05月16日 | 坊主の家計簿
 バタバタとしております。小休止にすべきか、本日の業務終了にすべきかビールを飲みつつ。というか、ビールを飲んでいる段階で業務終了気分満載なんだが。まあ、土曜日までに完成すれば良しとしよう。
 一段落ついたので、次回の学校の課題をみる。歎異抄第三章の前半らしい。いつでも読めるようiPhoneにコピペしてメール送信。iPhoneから直接コピペしてもいいのだが、小さいのでやはりやり辛い。メールで送ってコピペしてメモに張付けておくといつでも簡単に見れる。一時期は完全に暗記していたはずなんだが、まあ、もう一度身体に叩き込もう。

 小休止なので、チラ見する。で、第一稿。新たな参考書なしでの現状。

【善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるを、世のひとつねにいわく、悪人なお往生す、いかにいわんや善人をや。この条、一旦そのいわれあるににたれども、本願他力の意趣にそむけり。そのゆえは、自力作善のひとは、ひとえに他力をたのむこころかけたるあいだ、弥陀の本願にあらず。しかれども、自力のこころをひるがえして、他力をたのみたてまつれば、真実報土の往生をとぐるなり。】(歎異抄第三章より)

【『往生禮讃』に云く「若し能く上の如く念念相續して、畢命を期と爲る者は、十は即ち十ながら生じ、百は即ち百ながら生ず。何を以ての故に、外の雜縁無し、正念を得るが故に、佛の本願と相應することを得るが故に、咊に違せざるが故に、佛語に隨順するが故なり。若し專を捨てて雜業を修せんと欲する者は、百は時に希に一二を得、千は時に希に五三を得。何を以ての故に、乃し雜縁亂動す正念を失するに由るが故に、佛の本願と相應せざるが故に、咊と相違せるが故に、佛語に順ぜざるが故に、係念相續せざるが故に、憶想間斷するが故に、廻願慇重眞實ならざるが故に、貪瞋諸見の煩惱來り間斷するが故に、慙愧悔過有ること無きが故に。 又相續して彼の佛恩を念報せざるが故に、心に輕慢を生じ業行を作すと雖も常に名利と相應するが故に、人我自ら覆ひて同行善知識に親近せざるが故に、樂みて雜縁に近づきて、往生の正行を自障障他するが故に。何を以ての故に。余比日自ら諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして、專雜異有り。但意を專にして作さ使むれば、十は即ち十ながら生ず。雜を修するは到心ならざれば、千が中に一も無し。此の二行の得失、前に已に辨ぜるが如し。仰ぎ願はくは一切の往生人等、善く自ら己が能を思量せよ。】(選択本願念仏集より)

 だけだと面白くないし、飲み始めたばかりである。今から1枚100円でレンタルして来たDVDを観始めると大変な事になり、また、録画している『リーガルハイ』を観始めると、録画中の『怒り新党』まで観てしまうであろう。それも危険である。明日、忙しいし、通夜もあるし、出来るだけ早く寝たい(私タイムで)。

 竹中先生が、「如来の本願といってもそれは『みんなと一緒に生きたい!』という事ですよ」と仰った事がある。別の日に

  弥陀の報土をねがうひと
  外儀のすがたはことなりと
  本願名号信受して
  寤寐にわするることなかれ

 の和讃の『弥陀の報土をねがうひと』について、「みんなと一緒に生きたい!」と語って居られた記憶があり、聖典にも書いてあるのだが、なんせ私の事であり、記憶がかなり怪しいのだが、まあ、イイや。『某先生』という事で(笑)

 河田光夫『親鸞と被差別民衆』の中で『悪人=被差別民』としているが、「それだけやないやろう」と。
 悪人正機は、私が知る範囲では平先生の本で「んなもん、当時の仏教にとっては珍しい考え方やおまへんで」と、史学(?)の学者らしく文献から論証しているが、んなもんかも知れん。
 そういや、合計5枚借りて来たレンタルDVDの中の一枚が『禅』という道元の映画なんだが、パッケージ写真では貧しい人達と共に居ている道元だったし、日蓮だって『旃陀羅の子』と言っている。
 被差別の側に立ち、「この善人どもめ!」と

 ♪起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し

 という道『だけ』なら、そんな事を言っている人達こそが『善人』になる。『差別する事=穢れ』という新たな差別。社会運動ならばそれでも良いのだろうが、自己を証らかにする、自己を課題にする仏道において、んなもん正義に酔っぱらって自己を忘却しているだけの話。あくまでも娑婆の話であり、出会いがあればやればイイだけの話。また「親鸞は三部経読誦を辞めた」と言って、別に辞める必要もない。ありゃ、親鸞の問題意識ではなかったのか?親鸞の人生ではなかったのか?自分の人生の中で出会いがあり、「私はこの人達との出会いを大切にしてボランティアをする中で御念仏申して生きます」でも何ら問題ない。自分の人生『だけ』が確かとする=有頂天から下界を眺めていやがるから鬱陶しい。被差別者とも連帯し、差別者の立場に立つ、ツーのがエエ感じ。
 
 あ、


『自力のこころをひるがえして』が気になる。

  わたしの まちがひだつた
  わたしのまちがひだつた
  こうして 草にすわれば それがわかる
 (八木重吉『草にすわる』)

 これは、うちの班で是非紹介したい言葉なので使いたい。

 「みんなと一緒に生きたい!」と、言ってみた所で、変わりもしない私生活がある。日常の「クソッタレ!アホか!」「なんじゃアイツらわ!」がある。「みんなと一緒に生きたい!」と言ってみた所で、いや、言ってみたからこそ、誓ったからこそ、その事が問題になる。自己の罪深さがアリアリと見えて来る。それを隠してしまうのが『善』であり、まあ、「私はこれだけやってるやんか!」である。その事を誇りにする事により、いいわけをする。「あの人達はちゃんと勉強せえへんかったからああいう風に道で寝ざるおえないようになったのよ。」なんぞと。「だから、○○ちゃんは一生懸命勉強しましょうね」と、親子の会話のネタにされ、反面教師のネタにされる『だけ』。今なら、なんだ?原発立地自治体を見捨てる事か?『そこに居られる人』、私と全く変わらず、様々な苦悩を抱えて生活して居られる方々に対しての尊敬の念なく、見捨てる事、「原発立地自治体の自業自得だ!」なんぞと言うのか?それこそ、福島第一原発事故以前からの反原発運動家が嫌いそうな言葉に『自己責任』という言葉があるが、「原発立地自治体の自己責任』とでもいうのか?つーか、んなもん、んな悲しい、偏った見方しか出来ないのが生身の人間なんだが。

 酔っぱらって来た。


【最後にA君へ
 今、あなたに会いたいような、絶対に顔も見たくないような複雑な思いでいます。私たちの宝物だった、たった一人の愛娘を、あんなかたちで奪い取ったあなたの行為を、決して許すことはできません。
 母であるがゆえに、娘がされたことと同じことをしてやりたいという、どうしようもない怒りと悔しさと憎しみがあります。
 その一方で、これもまた母であるがゆえに、どんなに時間がかかってもあなたを更生させてやりたいと願う気持ちがあることも嘘ではありません。
 一見、相反する感情が、私の心の中に同居していて、その割合の比率は日々同じではないまま、不思議なバランスを保っています。
 もし、私があなたの母であるなら……、
 真っ先に、思い切り抱きしめて、共に泣きたい。言葉はなくとも、一緒に苦しみたい。今まで、あなたの眼は母である私を超えて、いったいどこを見ていたのでしょう。私の声があなたの乾いた心に届き、揺さぶることはなかったのでしょうか。思い切り抱きしめて、温かい血の流れを伝えてきたでしょうか。
 そして、あんな恐ろしいことをしてしまうまで自分を追いつめていくことに、どうしてもっと早く気づいてやれなかったのでしょうか。たった一人の母なのに、どうしてわかってやれなかったのか。
 氷のように冷たく固まってしまったあなたの心。そのうえ、それを深い海の底に沈めてしまった。
 でも、深く暗い海底からそれを捜し出し、ていねいにゆっくりと氷を溶かし、ゆったりとほぐすことができるのは親の愛しかない。とりわけ、母の愛が太陽の温かさで包み込む以外に、道はないと思うのです。
 罪を罪と自覚し、心の底からわき出る悔恨と謝罪の思いがいっぱいにつまった、微塵のよどみもない澄みきった涙を、亡くなった二人の霊前で、苦しんだ被害者の方々の前で流すことこそ、本当の更生と信じます。
 それまで、共に苦しみ、共に闘おう。あなたは私の大切な息子なのだから。 】(山下京子『彩花へ -「生きる力」をありがとう』より)


【1 「えらばず、きらわず、みすてず」の如来の本願に触れ、
 2 「はじめに尊敬あり」と生活を切り開き、
 3 困難にぶつかり、それをまっとうできない時の「だからこそ」といういのちのさけびを聞く。】
 (狐野秀存『竹中智秀先生とは誰であったのか 生活をひらく三つの言葉』37ページより)

 
 次回の私の発表は6月4日らしく、それまでに仕上げれば良いのだが、報恩講を控えている忙しい時期であり、切れた焼酎&ビールも買いに行かなければならず、娘と一緒に遊びたいし、飲みにも行って二日酔いにもなりたい。なので、酔いつつ、遊びつつ、寝る準備つつ、うだうだと。

歎異抄・第二章2~『出遇い』

2012年05月15日 | 坊主の家計簿
※ 本文

 親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏をもうして、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。




※ 語意・語注(一から六までは藤元正樹先生『ただ念仏のみぞ』より)

(一) 親鸞におきては
【「親鸞におきては」というように自称をもって語らるるのは注意しておかなければなりません。「仏教においては」でもありませんし、師の「法然におきては」でもありません。文字通り親鸞聖人の全生涯の歩みをかけた表明であります。】 

(二) よきひと
【ここでは「よき人」(善性人)という名が用いられて「法然」の名ではあらわされていません。それは法然上人という個人の名前ではないということです。】
 
(三) ただ念仏
【信ずることも、念仏することも、親鸞個人、法然個人のものではありません。「よき人」と親鸞との間に始めて成り立った「ただ」であります。それは、大いなるいのちの共鳴なのでありましょう。】
 
(四) 信ずるほかに別の子細なきなり
【信じようとして信ずるのではありません。信ぜずにはおれぬことであります。信ずべき理由があるわけではありません。それは、自己の今ここに存在している歴史的現実なのであります。正しく、そのよき人の言葉にただ念仏してたすけられていることそのことであります。】
 
(五) 総じてもって存知せざるなり
【念仏が浄土の因か、地獄の業因であるか、そんなことは、いずれも知らぬことだといわるるのであります。大事なことは、そうした念仏論議よりも、念仏を信じているかどうかということなのでしょう。己の身の事実を忘れた念仏論議の無意味なることの指摘であります。】

(六) 浄土にうまるるたね
【往生を果遂するたすけとしての念仏は、手段としての念仏ではありませぬ。浄土に生まるるたねとしての念仏ではないということであります。明日のために今日、念仏のたねを播いてなどということではありません。それならば即得往生などということは無用であります。】

(七) いずれの行もおよびがたき身
【「まことにわれわれは、われわれ自身の生活を顧みますとき、それは完全に浄土を見失った生活であることを認めなければなりません。」(信國淳『呼応の教育』)】





※ 関連語句

【第三十二回青草会法話 藤谷純子『出遇い』より(願生・第149号)
 
 昭和四十六年、専修学院に入学しました。その時の私は、まるで生きる屍。行くところがないからここに来たのであって、何の期待もない。虚無的な心に覆われて、この身だけが生きている感じでした。そんな私が、入学式の信國先生の言葉に感動し、涙さえ流れてきたのです。「ああこんな私でも、人の話に感動出来るんだな」と、久しぶりに生きている自分を体験したのです。
 しかし、勤行、合掌念仏に終始する学院の生活は、真宗念仏の伝統に触れたことのない私には、身の置き所のないものでした。長い間そういう鬱積が、身体全体に溜っていたのですが、とうとうそれを全部吐き出すような出来事が始まったのです。それは、レポート面接から始まりました。信國先生と初めて会話を交わしたのも、この時でした。硬くなって座っている私に先生は、

「あなたの場合は、もう本を読んだり、考えたりしてみても、解決はつかんでしょう。人に遇うほかありませんね。アリョーシャがゾシマ長老に遇ったように、あなたの問題を一気に解決してくれるような人に。ただ、その人に遇えるまで、じっと耐えてゆかねばならないが、あなたは、何に対してなら自分の心を開いていけますか?文学ですか?芸術ですか?自然に対してはどうですか?」

と尋ねられましたが、そのどれにも拒否反応を示したので、「あんたは全く自閉的なんだなあ」と感心したようにつぶやかれました。
 面接はこんな風にして終わったのですが、外に出た私の目には、学院の庭木が本当に生き生きとひと回り大きく、くっきりと沁み込んできたのです。そして、先生が会話の中で仰しゃった言葉の一つ一つが私の身に深く入り込んで、その底から揺さぶりをかけてきているような感じでした。
 翌日のことですが、何か重くのしかかってくるものに耐えられないようになって、私はふらふらと、初めて先生の家を訪ねました。先生の家は、今の高倉会館の側にありました。当時女子の寮がまだ出来ていなくて、私達は先生と一つ小路を挟んだところに下宿しておりました。夜も十時近かったのではないかと思うのですが、ふらふらと先生の家を訪ねていました。迎え入れられて、先生の前に座ったのですが、何から切り出してよいかわからず、項垂れているだけでした。先生も、何も問うてはくれません。むしろ、何か無関心そうに見えました。そのうち、「どうかしましたか」と問われて、私は反射的に、「私、生きたいんです」と答えました。「その『たい』が生きさせない!」と、即座にぴしゃりと机を叩かれて、先生の言葉が跳ね返ってきました。その強い語気に私は我に返って、姿勢を正し、先生の方に全身を傾注していきました。

「あなたは、自分が病人だということがわかりますか。その病人であるあなたをまな板にのせて、癒そうとするんでなくて、もう見込みがない見込みがないと殺しかかっているのが、またあなただ。そんな自分の姿が見えますか。本当に冷淡な人だなあ」

私はこの時、自分のいのちを、私よりももっと深く、温かく包んで生かそうとしているものがある、そして、自分以上に自分を知っている人がいる、自分以上に自分を本当に愛して生かそうとしているものがあると感じたのです。先生は続けて、

「あなたは、いつも自分に対して人生の意味だとか、価値だとかを振りかざして関わっているんだ。そうして、その期待に応えられない自分を受け入れようとせず、殺してしまおうとする。それはいくら美しく咲いていたとしても、自然の花ではない。造花ですよ。それは高嶺に造花を咲かせようとする生き方だ」

そう仰しゃって、傍らの聖典を開いて示して下さった箇所には、こう書かれていました。

『淤泥華というは『経』(維摩経)に説いて言わく、「高原の陸地に蓮を生ぜず、卑湿淤泥に蓮華を生ず。」』(聖典四六五頁)

蓮は、じめじめした泥を大地として花を咲かせるという意味ですね。

『これは凡夫、煩悩の泥の中にありて、仏の正覚の華を生ずるに喩うるなり。』(同)

 それから先生は、机の上に一輪挿してあった紫陽花(註・アジサイ)を、本当に満足そうに眺めながら、その花の生き方の、無私、無心、あるがままの自然な生き方を、あたかも花に向かってその花を讃えるようかのようにお話されました。私はその時、花と話せる人がそこに居て、その人の方に向かっては、花も嬉しそうに自らを精一杯開示しているというような、そんな光景を見た思いがしました。そんな花のような生が、お念仏をいただく心から始まるのだと、

南無仏の御名なかりせばうつそみのただ生き生くることあるべしや

先生がお念仏に出遇われた時に、こういう歌を詠まれたんだそうですが、その歌を教えてくださいました。
 そのまた翌日のことなんですが、一連の自分の興奮状態から頭痛がして、私は友達よりもひと電車遅れて学院に向かったのですが、その電車の中に乗っている人たちがみんな暗い顔をして、私を瞋り責めたてているような錯覚を覚えました。そして私の心にも、瞋りの炎が燃えていくのに気付き、怖くなって夢中で電車をおりて、学院まで走って行きました。その時の感じというのは、暗い暗い業のトンネルを歩いているといった感じでした。いのちあるものを見ると、せめぎあって、殺気立ってくる私のいのちだったのです。通りすがりの人も、犬も、みんな私を脅かす恐ろしい存在でした。そういう自分を抱えて、院長室へ泣きながらふらふらの体でなだれ込んでしまいました。「私は人を殺しました」と言って泣き伏したそうです。許してください、許してくださいと、心の中で叫びますが、許してくれというのも自己主張じゃないかと気付いた途端、どうしてよいかわからぬまま、そうしているうちに私は自分が合掌しているのに気付きました。その合掌は、本当にいのちの底から、いのち自身の力が私をそうさせたとしかいえないものでした。

「久遠劫来はじめて合掌する人となられた」と先生は仰しゃり、そして、先生の「ナンマンダブツ」というお念仏の声に促されて、私も初めて、「ナンマンダブツ」と申しました。私をして、そうさせた力が何だったのか。ともかく、その日から私は素直に、「ナンマンダブツ」と掌を合わせることになりました。
 これまで長い間、自己意識によって抑圧されていた私のいのちが、その解放の道を求めて、もがき苦しみながら、やっと光を見たという感じでした。あるいはこれは、妄想とかヒステリー症状とかいうものでしょうか。しかし私にとっては、信國先生という存在と言葉によって、私の心を縛り、私のいのちを閉じこめていた厚い自我の殻を突き破って、やっとやっと生き生きとものに触れ、人に交わっていく自分自身を取り戻したという出来事だったのです。エゴイストという殺人鬼から、やっと自身を取り戻したという出来事だったのです。先生の内なる如来様が、私のいのちを呼び出してくださったのかもしれません。

「縁の下のじめじめしたところに芽を出した草も、光の方へ、光の方へと伸びてゆくでしょう。そんなふうに、光を求めて行かねばならない」

と、先生が仰しゃる「向日性(註・こうじつせい)」という、光に向かって生きるということを聞いて、私は今までずっと俯いて歩いていたのですが、その私の頭が、身が、梢の上の方を見上げて歩くようになったのでした。不思議なことでした。
 こういう出来事、出遇いを経て、初めて私はこれまでの心の座、自分一身に囚われた心、自我心を中心としていた座から起ち上がって、先生の真似をして、上に阿弥陀如来を礼拝し、口に、声に念仏申すという聞法の生活が始まることになったのでした。】




【もし、法然などの邪法に対する執着の心がひるがえず、また謗法にまたがった意志がなお存するならば、早くこの世を去り、後生は必ず無間地獄に堕ちるでしょう。】(日蓮『立正安国論』創価学会教学部編 http://www46.atwiki.jp/gendaigoyaku/pages/17.htmlより)





※現代語訳
(親鸞仏教センター http://shinran-bc.higashihonganji.or.jp/report/report03_bn01.htmlより)

 この私《親鸞》においては、ただ念仏によって実在を回復できるという如来の本願の道を法然上人からいただいて、それを信ずるのみである。
 念仏は、本当に浄土という世界へいくための原因なのか、また地獄という世界へ落ちる行為なのか、私は一切知らない。
 もしかりに、法然上人にだまされて念仏して地獄に堕(お)ちたとしても、決して後悔はしない。
 というのは、念仏以外のさまざまな努力を積みかさねることによって、仏になることのできる身が、念仏という行為で地獄へ堕ちたのならば、「だまされた」という後悔もあるであろう。
 本来、どのような努力によっても、仏になることのできない身であるから、どうもがいても地獄は私の必然的な居場所なのである。





※所感

『我今無所帰 孤独無同伴(我、今帰する所なく孤独にして同伴なし)』と、阿鼻(無間)地獄の罪人が歎じているが、一切衆生平等往生の専修念仏行者にとっては、順彼仏願故の『ただ念仏』を捨てる事=認めたくない自他を捨てる→阿鼻(無間)地獄ではないのか?

同一の信心

2012年05月06日 | 坊主の家計簿
【親鸞が法然の仰せによって同一の信心をいただかれたということは、実は、どんなものとも一つになって出会ってゆける如来の心をいただかれたということを意味します。そしてそういう如来の心でもって、どんなものとの関わり合いもそれを喜んで迎えるということ──どんな自他の関係をも受け止め、耐えていくということ、そのことだけが浄土の行になるのです。】(信国淳)

「我が子に『非行・不登校・引きこもり』の自由を!」

2012年05月03日 | 坊主の家計簿
 ゴールデンウィークなのでパパ業が忙しいなか、幸いにして依頼仕事も入って住職&パパ業で忙しい。あ、サロンパス貼ろ。今日は介の字に貼ってみました。娘よ…早く大きくなってパパの背中にサロンパスを貼ってくれ…。&肩叩き、「あ、パパ、今までご苦労様ね。んじゃ♪」違う!!!「パパ、御仕事お疲れ様。後ろを向いて」と、背後からひと刺し。違う!!!!!肩叩き券を貰ったり、「父さんお肩を叩きましょ♪」と、そういう肩叩きをだなぁ。先日、娘に「パパ疲れたから肩をトントンして」と言ったら、背中をトントンと。そう、私が娘をあやしたりする時だったり、娘がむせ込んだ時にする『背中トントン』をしてくれて、それはそれで「なんて優しい子なんだ!」なんだが、肩こりは治らんわけであってやなぁ…。

 昨日、Twitterをチラホラ眺めていると、維新の会が云々、発達障害が云々と。「なんのこっちゃ?」と、軽くチェックしていて、今日、軽く読む。


【大阪維新の会 大阪市議会議員団 平成24年5月
 家庭教育支援条例(案)】
 http://osakanet.web.fc2.com/kateikyoiku.html

 
 関連?(まだ読んでませんが、資料として)
【高橋史朗『脳科学から見た日本の伝統的子育て―発達障害は予防、改善できる』】
 http://www.amazon.co.jp/dp/4896391942/

【教師諸君!必要なのは貴方たちの覚悟だ】
 http://www.sankei.co.jp/seiron/koukoku/2005/0506/ronbun1-1.html


 大阪維新の会の大阪市議会議員団の条例なんだが、橋下市長(ちなみに大阪維新の会代表)は異論があるらしい。また、「これからの話」であるらしい。
 http://togetter.com/li/297584

 それを踏まえた上で、少し。

【乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因であると指摘され、また、それが虐待、非行、不登校、引きこもり等に深く関与していることに鑑み、その予防・防止をはかる】(第15条)

 愛着形成不足云々と、発達障害に関しては触れない。恐らく消えるであろうし。虐待に関しては『受ける側』『自傷』『連鎖』『イジメ』『動物』等が思いつくのだが、言葉が不明瞭なので、これも置いておく。
 で、『非行・不登校・引きこもり』って、アカン事なのか?なら、それを『アカン(標準語ではダメ)』という風に決めたのは誰なのだ?
 非行が犯罪に繋がるのならば、犯罪行為をした時に捕まえればイイ。捕まえて痛い目に合わせればイイだけの話だ。

 「若い時は完全自殺マニュアルをたしなめ」と、「わかきとき、仏法はたしなめと候。」という言葉をもじった先輩が居られたが、青春というもんはそんなもんではないのか?血が熱く、知識も色々とついて来る。「人生ってなに?」「生きるってなに?」と、哲学・文学にハマったり、ロックと出会ったりして夜の校舎窓ガラス壊してまわったり、盗んだバイクで走り出したり(笑)身近な権力である親&教師に反抗したり、毎日学校に行く事に疑問を感じたり。「どうして?」と聞くのは幼児の間だけではない。親離れ&自立して行く中で必要な社会儀礼が『非行・不登校・引きこもり』ではないのか?
 それが何年続こうか、生涯続こうか、その人次第だし、その人の人生だろう。一生引きこもって生きて行けるのならば、何の問題があるのか。あったとしても家庭の問題ではないのか?その家庭や本人が救いを求めて来たのならともかく、そこに国家や自治体が関与する事は

【日本国憲法・第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。】

 に反しないのか?引きこもりが『勤労の義務』に反しているという解釈をするのならば、『国民』としてしか定義していない以上、赤子から老人まで全てである。定年を迎えた方や、子どもに対して「あなたは勤労の義務に反している」とは聞いた事がない。で、引きこもりの何がダメなのだ?

 ちなみに私は大阪市民である。保育園児の父親である。なので、1日保育士は潰れるだろうが、折衷案で年に一度の『「親の学び」カリキュラム』が可決されたとしたら、それはそれで楽しみである。
 「○○ちゃんのお父さん、しっかりと聞いて置かないと将来○○ちゃんが『非行・不登校・引きこもり』になるかも知れませんよ」ならしめたものである。「ああ、全く構いませんよ」と言った後に、『非行・不登校・引きこもり』の具体的な友人達を引き合いにしながら還付無きまでに論破してやる(笑)

 というか、保育園、幼稚園には仏教系もあればキリスト教系もある。それらの学校はどうするのだろうか?
 娘を入園させたい所に『四恩学園』という所がある。先日、資料整理をしていたら、誰に貰ったのか忘れたが、四恩学園の林文雄氏の資料が出て来た。妹尾義郎の新興仏教青年同盟のメンバーも関わっていたらしい。え…。どなたかコネを(笑)

 四恩学園はどうか知らないが、真宗保育の現場。大阪市内の真宗寺院で保育園&幼稚園をしている所があるのかどうかは知らないが、市の条例として『非行・不登校・引きこもり』が悪い例とされる条例が可決された場合、現場ではどういう対処をするのだろうか?

 こういう一文がある。

【生後三ヶ月の陽子を抱いて、私たち夫婦の仲人をしてくださった先生のお寺を訪ねたときのことでした。
 「この娘は女の子だから、私は何も期待しないわ。ただ、心やさしく、明るく、素直に、誰からも好かれてスクスク伸びやかに育ってもらいたいの」
 そう言ったとたん、隣に座っていた年長の法友は、「まあ、そんなにたくさん期待して」と、言下に言い放ったのです。】(渡辺尚子『あなたは、あなたに成ればいい』より)

 これは真宗保育の必読だと思われる。
 摂取不捨である。「えらばず、きらわず、みすてず」である。また、私たちは罪悪深重煩悩具足の凡夫である。
 「『非行』はぁ?」
 「『不登校』はぁ?」
 「『引きこもり』はぁ?」
 である。「あなた、そんな事よりも念仏申していますか?」である。

【さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし】

 であり

【あるいは道場にはりぶみをして、なむなむのことしたらんものをば、道場へいるべからず、なんどということ、ひとえに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。】

 である。
 釈尊は、家族を捨てた人間である。にも関わらず、『非行・不登校・引きこもり』を悪とする事、『よゐこ・真面目・元気』を善とする事には無理がないか?
 「あなたは、あなたに成ればいい。あなたはあなたで在ればいい」と言っておきながら、「非行・不登校・引きこもりは問題行動」とする事には無理がないか?
 
 親である私には信仰がある。その信仰では決して『非行・不登校・引きこもり』だけを特別問題行動とはしていない。人間存在自体が罪悪深重であるとしている。そういう地平に立つ。その地平にしか立たないし、立てない。

【日本国憲法・第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。】

 は、新しく出た自民党の改憲案(http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf)では

【すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重されなければならない。】

 となっている。
 『公共の福祉に反しない限り』が『公益及び公の秩序に反しない限り』と変更されている。

【第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。】

 は、自民党改憲案では

【思想及び良心の自由は、保障する。】

 となっている。『侵してはならない』が『保障する』と語意が弱まっている感じがするのだが。
 まあ、自民党の改憲案がどうなるのかは不明だが。

 ただ、現在政権与党である民主党(憲法調査会)の「憲法提言」(2005年10月31日)
 http://www.dpj.or.jp/news/files/SG0065.pdf

【(4)子どもの権利と子どもの発達を保障する。
子どもを独立した人格の担い手として認め、「人間の尊厳」の尊重の観点から、その権利を明記する。また、「人間の尊厳」の尊重の基盤としての「教育への権利」を明確にし、良好な家庭的環境で成長するための施策も含め「国及び地方公共団体並びに保護者、地域等の教育に関する責務ないし責任」を明確にする。】

 と、『大阪維新の会 大阪市議会議員団 平成24年5月 家庭教育支援条例(案)』と折衷案を結べそうな提言もある。
 けど、まあ、現状では条例が可決されれば憲法違反だろう。念仏者であり、大阪市民の『親』として訴訟でんな。「我が子に『非行・不登校・引きこもり』の自由を!」でっせ。

迷いに帰る

2012年05月01日 | 坊主の家計簿
 地味に事務(寺務)作業。今頃になって決算してやんの。まあ、『決算』というか、帳簿(?)に書いてある事柄を門徒さん(役員さん)提出用にまとめる作業なんだが。
 初めて表計算を使う。知ってます?表計算って、表を作るだけでなく計算までしてくれる便利なものなんですよ(笑)いや~、便利、便利。
 とはいえ、電卓(iPhoneだが)を叩きながらの作業。表計算を使うのは初めてだったので説明書をみつつ、脳味噌ドド疲れ。
 小休止で、Twitter&Facebookのチェック。え~。。。今日、元所属寺の永代経法要だったのね(笑)土曜日も毎月の学習会で行っていたのだが、というか、4月初旬に『仏青みたいなもの』にも参加していて、多分聞いていたはずなんだが、始める前に親しい人達と元所属寺前の公園で花見をしていてベロンベロンになってしまったので、全く覚えていないのだ。なので、facebookで法友からの情報がなければ寺務仕事をした後に娘と一緒に「AEONでタイフェアーやってるで。行こ」と、なっていたであろう。

 今年の講師は、『よく』とまでは言えないが、最初に知り合ったのが20代後半だったので、かれこれ15年来のお付き合い。まあ、タマにしか顔を会わせない方だったのだが。『ボランティア委員会』というのがあって、そこで知り合った方。その後、諸々話を聞いたりしていると、その辺、ブイブイのバリバリの人。今もビハーラ運動を熱心にやって居られる方。あ、他の活動は知りません。そこまで親しくないので。

 読経が終わって、講師の法話が終わって、座談会。今日は車で行ったので酒は飲まず、まあ、さっさと帰るつもりだったのだが、座談会の内容が面白かったので結局24時過ぎまで居てやんの。

【そういう意味からすれば、『歎異抄』の「第四条」というのは「寛喜の大飢饉」のなかで絞り出すようにして生み出された言葉なのです。この「第四条」に即して言うならば、私はたぶん結論はどちらでもいいのだと思います。結論はどちらでもよい。『歎異抄』の「第四条」では、「聖道門の慈悲」より「浄土門の慈悲」が有効だと親鸞さんは結論していますが、しかし、その結論はどちらでもいいと思います。なぜなら、親鸞という人物の生涯をひもといてみれば、彼の生涯はたえずこの二つの慈悲の間で揺れ動いていたからです。人々と共に苦しみ喘ぎ、その二つの慈悲の間で悩み苦しんだ方、それが親鸞なのです。
 「浄土門の慈悲」と「聖道門の慈悲」。この世界のあるべき慈悲のかたちは何かと問われれば、それは「浄土門の慈悲」でもなければ、「聖道門の慈悲」でもないと思います。この二つの慈悲の間で悩み苦しむこと、これこそが、ありうるべき本当の慈悲の姿ではないかと私は思うわけです。そういう意味では親鸞という方の生涯は、この二つの慈悲の間で悩み揺れた。親鸞はありうるべき慈悲の姿を、その生涯をもって指し示しているのだと私は思います。】(平雅行『親鸞のあゆみと恵信尼』真宗大谷派高田教区教化委員会・越後流罪八百年法要講演録より)

【三三 たとい我、仏を得んに、十方無量不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が光明を蒙りてその身に触れん者、身心柔軟にして、人天に超過せん。もし爾らずんば、正覚を取らじ。】(仏説無量寿経巻上より)

 『亡国のイージス』という映画がある。この映画の中で真田広之演じる自衛隊が、いきなり発砲する若い隊員に対して「何故いきなり撃つ!人を撃つ前に迷うのが人間だろうが!」と言うセリフがある。結局、その若い隊員は真田広之演じる先輩の言葉を『聞いた』が故に射殺されてしまうのだが、死ぬ前に「何故撃たなかった!」と真田広之演じる先輩から言われた時に「迷ってしまった」と。

 撃つ前でも、撃った後でも、この『迷う』という事が大切ではないかと。その迷いだけが自我を正義の座から引きずり降ろしてくれて他者と出会う事が出来るのではないのか。

 元所属寺の永代経法要は、今年は4月30日だったが、例年は4月29日。昭和天皇の誕生日。私が行った時の最初の講師は和田稠先生。
 今日も話題に出ていたが(出したのだが)、和田先生は「浄土真宗はいわゆる『浄土宗』『日蓮宗』などの宗派の名前ではないんですよ」と。それこそ、和田先生の所にはキリスト教の信仰に迷った方が相談に来られ、和田先生のお話を聞いて、いきいきとキリスト教の信仰に立ち還られた人も居られる。
 ある日は、「『解ってしまった人』は、みんな眼がトロンとして来よるんですよ。あなた達の事ですよ」と、私たち僧侶が固まって座っていた所に視線を移し、独特の笑顔を差し向けられて居られた。

 私は『真宗大谷派』という宗祖親鸞聖人の教えを受け継ぐ『教団』の教えの中で育てて頂いている。当然、この教えこそが正しいと思っているわけなんだが、「私も正しい」「私も正しい」「私も正しい」と、正しい者同士が争い殺し合う。正しさの中で迷えない。いや、迷う心、生命感覚を『宗教』『正義』で押さえ込んでしまう。

 「念仏者は空の行者である」と、現在母校の院長である狐野先生に教えて頂いた。
 「弥陀の本願と言っても、それは、『みんなと一緒に生きたい!』という事ですよ」と、母校の前院長であった竹中先生から教えて頂いた。

 『迷う』。「こういう風に生きたい、こういう風に死にたい」という自我に迷わなければ自己に救いはない。

 汚泥の蓮華。
 生まれ変わり。
 「今度生まれ変わったら、もっとマシな人生を送りたい」という根本的な迷い。しかし、その迷いがあるが故に、その迷いを共有出来る。それが『煩悩具足の凡夫』と名告る親鸞を、宗祖と呼ぶ由縁ではないのか?

【私たちの子どもが小学校二年生の時である。ある日の日記に次のように書かれてあった。「今日、お昼を食べたあと、よっちゃんと遊ぶ約束をしました。いつまで待ってもこないので、よびにいったら、どこかへ遊びに行っていませんでした。少したってもう一度行ってみましたが、まだ帰っていませんでした。僕もときどき約束を忘れることがあります」。私は約束を破った相手を責めず「僕も」と受けとめたことがなぜかうれしく、わが子ながら頭が下がった。さらに一文に傍点を打って(註・原文では傍点あり)「私もときどき約束を忘れることがあります」と、しるしてくださった先生のこころにも深い感動を覚えた。ここに、教育の原点があるのではないだろうか。教える先生も教えられる子どもと同じように約束を破り、嘘もつくという痛みにたってこそ、共に学んでいくという世界が開けていくのであろう。学校にも、家庭にも、この『も』の一字が見つかっていないのではなかろうか。
 そりゃ、人間の目から見りゃ『が』という世界しか見えんけど、仏さまの眼いただくと『も』という世界いただけるがや。『親鸞もこの不審ありつるに……』と、いいまっしゃるわね。『が』と『も』と、一字ちがいやけど、その意味あいというもんな、ものすごく違うもんや。『も』といただいたときゃ、信心の世界やね。人間が生きる死ぬというこた、これひとつやと思うね」。念仏者・Yさんのつぶやきである。】(松本梶丸『歎異抄に学ぶ』東本願寺 39頁~40頁より)