草木に全く興味のない私にとってはニラとスイセンどころか「草や、草。全部草や」。でも、草木に詳しい人にとっては、それぞれの名前で見分け出来るのだろう。佛教的には「ニラはニラであってニラでない。故にニラはニラだ」になるのだろう。移り行く中で自然と一体化しつつも今現在「ニラ」として和合しているニラ一つ一つを個別に尊敬し、「ニラ」を構成する様々な細胞も個別に一つ一つ尊敬する。そこには何ら偏見も差別もなく、ただ尊敬する。
「あの人たちは変だ!きっと悪い人たちに騙されている」と、「変」「悪」と決め付ける。そこに尊敬はなく、ただ己の認識を疑う事なく肯定する、のみ。
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