坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

さん、に~、いち!

2009年08月31日 | 坊主の家計簿
 


 いや~、鳩山民主党圧勝おめでとうございいます。っちゅうか、比例区では入れへんかったけど。


 しっかし、多くの放送局では確か最初「民主党は321議席」とか云ってなかったっけ?ついでに『当選確実』を出した民主党候補者に変更なかった?なんせ、半分寝ぼけ眼やったし、雑用かましながら見てたからはっきりせえへんねんけど。後藤田の選挙区で出た民主党候補に早々『当選確実』が出てた気がするのだが。。。
 しっかしまあ、『民主単独衆院3分の2』でインタビューされたら当事者の国会議員は困るやろうけど、その場その場のあやふやな情報にも関わらず「行ったれ!!!」っちゅうマスコミの『生』に対する執着ってすんごいなぁ。。。

柴崎コウ『かたちあるもの』

2009年08月30日 | 坊主の家計簿
 「歯磨いて寝よ」って思てたら、明日法事やった。よって非常に珍しく1日2回投稿。


 
  ♪夜空に消えてく星の声
   儚げに光る鈍色の月
   二人で泳いだ海は何故
   束の間に色変えてゆくんだろう

 

 諸行無常。常なるものはない。



  ♪このまま眠ってしまいたくない…
   あなたをまだ感じていたい…



 諸行無常は道理であるが、道理にうなづけないのが煩悩具足の凡夫である。



  ♪もしもあなたが寂しい時に
   ただそばにいることさえ できないけど
   失くす痛みを知ったあなたは
   ほかの愛を掴める そう祈っている…



 人間は『煩悩具足の凡夫』として平等である。

 『罪障功徳の体となる
  こおりとみずのごとくにて
  こおりおおきにみずおおし
  さわりおおきに徳おおし』
 (親鸞聖人)

 キサーゴータミー「死者がいない家庭はない」



  ♪いつかあなたが夜に迷い
   ふとあの日を見つめかえすなら
   眩しすぎる太陽の中で
   微笑む私を思ってね

   重ね合わせてゆく「好き」のつよさ
   泣くことさえ愛に変えた…



 【アーナンダよ。あるいは後にお前たちはこのように思うかもしれない、『教えを説かれた師はましまさぬ、もはやわれらの師はおられないのだ』と。しかしそのように見なしてはならない。お前たちのためにわたしが説いた教えとわたしの制した戒律とが、わたしの死後にお前たちの師となるである 。】(大パリニッバーナ経 岩波『ブッダ最後の旅』P155より)



  ♪強がる愛の弱さ両手に
   抱えてもろい絆を確かめてた
   でもこの今を生きるあなたを
   ずっとずっと見守る my love その心に…

   泣きたいときや苦しいときは
   私を思い出してくれればいい
   寄り添える場所遠い夏の日
   温もり 生きる喜び
   全ての心に…。



 故人と『諸仏』としての新たな出会い。
 仏は「えらばず・きらわず・みすてず」である。
 私たちは故人と『えらばず・きらわず・みすてず』の関係が開けているのだろうか?



 っちゅう事で、レジメも出来たし寝よ。いや、このブログの投稿画面が文章を書くのに一番馴れててでんなぁ。。。

常なるもんはない

2009年08月30日 | 坊主の家計簿
 仕事が終わってゴロゴロと。いや~、26日は「帰って来てくれないと風呂に入られへん」っちゅうママからのメールを深夜1時30分頃に受け取り「うぅぅぅぅ。。。うちは日本で一番不幸なパパや。今日は朝まで飲もうと思てたのに。。。」っちゅう事で、ゲロ吐きながら自転車で帰宅したもんやから27日はヘロヘロで、28日は法事が終わって役所廻りして坊さん会議へ。帰りにバーで飲んでたらこれまた終電になってもうたし。
 っちゅう事でゴロゴロしながら読書三昧。

 臨済宗住職・高橋卓志氏の『寺よ、変われ』も読む。え~、坊さんに成り立てとかの時に読んでたら刺激満載だったのだろうが、なんちゅうんか「別に珍しないやんけ」なのであっさりと読む。んが、なんちゅうんか、まあ、『気骨』っちゅう言葉を使うが、あの気骨は禅坊主っぽくってエエ感じ。ただ、やっぱし『僧侶意識』っちゅうんか、まあ、禅宗だし当たり前なんだが、『僧侶意識』が鼻につく。まあ、出家してはるしなぁ。。。当然の事なんだが。。。

 しゃて、明日は選挙である。各マスコミの予想では「民主党圧勝!」らしい。
 選挙っちゅうもんは名前を憶えられてナンボのもんらしい。まあ、「日本の選挙は」と限定がつくらしいが。確かに名前を連呼されるとイヤでも憶えてしまう。投票する気がない某党の候補者が頑張ってはってすっかり名前を憶えてもうたし。名前を憶えるとやっぱし親近感がある。広告みたいなもんやし。「知らないメーカーよりも知ってるメーカー」っちゅうヤツでんな。
 今回の選挙は『政権交代祭り』である。マスコミも数字を集められるのだろうし、マスコミも「民主党さまさま」だと思われる。恐らく明日の選挙速報はもの凄い数字を出すのだろうし、また新聞、雑誌も、もの凄く売れたりするのだろう。

 ちなみに今晩やってる24時間テレビのテーマは『 START!一歩を踏みだそう』らしい。なんか民主党の選挙コピーみたいやな(笑)

 まあ、何にしても常なるもんはない。
 寺も時代によって変われば、政権も変わる。
 ただ、『二大政党制』っちゅうもんが固定される事は断固反対である。

パパのワガママ

2009年08月26日 | 坊主の家計簿
 晩ご飯を食べに御近所中華屋へ。中華料理の店は何軒もあるので今日行った店はあんまり行かない店。理由は『高いから』(笑)
 今日食べたのは『激辛四川風麻婆豆腐と激辛四川風焼き飯』のセットで880円と高いのだが、なんとなく「辛いもんが喰いてぇ。。。」っちゅう気分だったので。
 
 で、
 
 『激辛四川風麻婆豆腐』。王将で「麻婆豆腐下さい」と頼んだ一人前ぐらいの量。

 『激辛四川風焼き飯』。王将で「焼き飯大盛りで下さい」と頼んで出て来る量よりも多い。「焼き飯2人前下さい。あ、取り分けて食べるので一緒の皿でエエですよ」ぐらいの量。

 これで880円か。。。高いのやら、安いのやら。。。
 後から入って来た人が焼そばを頼んでたんだけど、これまた大盛り。五目焼そば630円なり。出された人が眼をまんまるにするぐらいのボリュームやし、具も多かったので今度頼も。

 腹がパンパンになったし、毎度の自転車ウロウロ。「ああ、旅行に行きたいよぉ。。。」と、さみしい気分を自転車ウロウロでなんとなく満たそうとするのだが、自転車ウロウロをすればする程、「このまま遠くに行きたいよぉ。。。もっと知らない町をウロウロしたいよぉ。。。」と、心が騒ぐ騒ぐ。まあ、今夜は初めて行く銭湯だったので、若干の旅行気分。

 帰宅して深夜テレビをボケーっと見る。『ノブナガ』がやってたので、そのまま見る。
 「そうか、うちの恵里ちゃんって、小泉エリと同じ名前やんけ」とママに呟く。

 娘に対して「こういう風に育って欲しい」とは横暴極まりないのだが、もしくは『愛情』という名でもって自己愛を押し付けたりするのも横暴極まりないのだが、押し付けなくとも必ず押し付けとるわけだし、問題はその事に対してナンマンダブツと慚愧出来るかどうかだけだと思ったりするのであって、え~と、つまり何を言いたいのかというと、せっかく小泉エリちゃんと同じ名前なわけなんだし、パパも旅行が好きである。ここは是非恵里ちゃんには小泉エリちゃんの様に旅行三昧出来る仕事について貰いたい。
 別に『ごはんリレー』の仕事をしなくても、え~と、何があるやろ?
 
 1 長距離トラックの運転手
 2 ヒッピー

 ヒッピーって仕事やったっけ???まあ、エエ。

 恵里ちゃんが「私もパパの跡を継いで住職になりたい」と云うかどうかは解らん。娘の意思は尊重してやりたいが、『寺』は『家』ではない。よって『家業を継ぐ』なんぞは寺を私有化している象徴であって、私は大キライである。しかし、娘が「私が継ぎたい」と意思表明をするのであれば、私も協力する。まあ、他にもっとエエ人材が居ったら話は別だが。『真宗寺院の住職には誰でもなれる。誰でもなれるから寺で生まれ育った子でもなれる』っちゅうのが私の持論だし。
 恵里が住職になると『女性住職』と呼ばれるかも知らん。「んな、珍獣みたいな扱いをうちの子にするな!」とパパは徹底批判してぶっ潰してやるが(笑)

 少し話は変わるが、最近全く別の全く交流のないだろう2人の先輩から似た様な事を云われた。曰く「一度簡素化した仏事は元に戻す事は不可能である」と。多分、それぞれの御苦労から云われた事だと思う。ちなみに私は今年の報恩講を『同朋奉讃式』っちゅう、まあ、『簡素』な形で勤めた。来年は知らん。んなもん、「今年はこういう風にします」と前告知しとけばエエだけのもんだと思ったりするのだが。
 「在家(寺産まれでない)から寺に入ると大変ですよ」なんぞとも云われた事があったのだが、「大変なのは誰でも大変やろ」なんぞと思ってしまう。そりゃ、比較の問題なら大変なんかも知らんが、自分の人生を比較してもしゃーないし。かつ、比較する時はその時々の気分によって『楽そうに見える所』と比較して「なんで俺ばっかり要らん苦労をせなアカンねん」なんぞと思ったり、あるいはその逆に「ああ、寺で産まれたしがらみがないから楽やわ」なんぞと思ったり、まあ、『思い』ですし、ころころ変わるわけですし。
 「うわ、在家から寺に入ると大変やねんて。やっぱ辞めとこ」
 っちゅうのは、幽霊にビビるのと同じだったりすると思ったりする。

 「あんた、あっこに行ったら祟りがあるから、あっこには行ったらアカンよ」には主体がない。『あなたの為』である。
 「あんた、あっこに行ったら私たちに祟りが降り掛かるから行くのは辞めてね」なら主体があるから話し合えばエエ。どっちが正しいか関係なしにサシで話し合えばエエ。
 世間話の『あんたの為』で行動を辞める必要は一切無い。

 娘が「住職になりたい」と云い出して、その寺が私が今住職をしている寺ならば、「寺は家業ではない」とキチンと話し合った中で判断すればエエ。「お前に継ぐ権利はない」というのも、寺を私の私有化している事なんだし。その中で生じる苦労に「なんで他の人は。。。」なんぞと寝ぼけた事をヌカしたら徹底批判するし、「女だから」なんぞと性差別発言をされた時には娘と共同戦線をはればエエだけの話や。
 宿業、っちゅうか、『個人差』はそれぞれである。それぞれの人生の中で個人差を無視する発言や制度があればその苦労を背負って行くしかない。自分の人生の中での苦労なんだから、他に誰も代われない。代わる事は出来ないが、パパは協力するし。

 来週(大阪では)の小泉エリちゃんは網走のサロマ湖でわかさぎ釣をして、その場で天ぷらにして食べるらしい。
 「恵里ちゃんも大きくなったら一緒に行こうね」
 と云ったら、ママに「あんた、パパにとんでもない所に連れて行かれるみたいやで」なんぞと云われてしまった。。。行った事はないけど、多分美味しいと思うのだが、ママは寒い所が苦手みたいである。まあ、『寒い』っちゅうても程があるんやろうけど。。。けど、まあ、余りに寒くて「イヤ!」やったら、現場で辞めたらエエだけの話やと思うのだが。。。まあ、これも『思い』なので、「出産後で大変大変」なママと、「ちょっと大変」なパパとの温度差だと思ったりもする。まあ、気分ですし。

礼状

2009年08月25日 | 坊主の家計簿
 京都へお買い物。せっかくなのでショート・ツーリングも兼ねて原チャリで行く。よって、帰り道は遠回り、遠回り。「この峠のトンネルって危ないからキライ」っちゅう道を通って帰宅する。
 帰り道の気分では「よっしゃ、風呂に入って、ママが風呂に入っている間だけ娘の面倒をみて、深夜に海まで車でGOだぜ!」なんぞと勝手に盛り上がっていたのだが、「産まれて間もない娘と、出産間もないママを残して1人車で海に行くのは鬼畜の所行である」なんぞと勝手に思い、断念。明後日の午後まで仕事関連の予定ないねんけど、家庭の予定は常にあるしのぉ。。。

 京都へは白衣に使う『半襟』っちゅうもんを買いに行くのがメイン。いや、白衣って洗濯してると襟の部分が痛んできまんねん。金がありゃ、買い替えたらエエだけの話なんやろうけど、金もないし、ケチだし、ついでにエコでもある。
 
 そうさ~、私は地球にやさしいエコ人間♪

 ん?まあ、半襟を買ったついでにマジックテープの腹帯(どこがエコやねん)と、専修学院で使ってた輪袈裟を購入。学生時代に使ってたのはかなり痛んでるし。んでもって『安い!』し、やっぱし一番愛着があるし。

 すっかり冷えきった体を銭湯で暖めて、帰宅して出産祝いの礼状用に一文を書く。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 本年八月八日夜、恵里(えり)が産まれました。
 私たち夫婦を縁にして産まれて来た娘は、『私たち夫婦の子』でも、『犬伏家の子』でも、『円覚寺の子』でもなく、あくまでも如来様より御預かりした『如来の子』であります。

 【生後三ヶ月の陽子を抱いて、私たち夫婦の仲人をしてくださった先生のお寺を訪ねたときのことでした。
 「この娘は女の子だから、私は何も期待しないわ。ただ、心やさしく、明るく、素直に、誰からも好かれてスクスク伸びやかに育ってもらいたいの」
 そう言ったとたん、隣に座っていた年長の法友は、「まあ、そんなにたくさん期待して」と、言下に言い放ったのです。】(渡辺尚子『あなたは、あなたに成ればいい』より)

 私たちは『愛情』という言葉を借りて自分のエゴ(わがまま)を相手に押し付けます。あるいは「あなたの為を思って」等という表現でもってエゴを押し付けます。一体、私たちは何時から「相手の為」を判断出来る様な『御偉い人間』になったのでしょうか?『人の為と書いて偽りと読む』との言葉通りです。私たちにはそんな判断は出来ません。凡夫である以上、絶対に不可能であります。
 しかしながら私たちはつい『愛情』とか「あなたの為を思って」等という美名に酔いしれ、己が煩悩を抱えた凡夫であるという身の事実を忘却し、それが故に愛情が通らなかったり、相手が自分の思い通りにならなければ相手を恨んだり、相手を見放したりしてしまいます。そして相手のせいにして、自分の身を守ります。自己愛に固執して、その自己愛を満たす為の道具として相手を利用しているだけにしか過ぎません。それが悲しいかな、生身の人間の『愛情』の正体です。
 また、渡辺尚子さんの文中にもあるように、『女の子だから期待しない』などと平気で性差別をしてしまったりするのです。
 娘・恵里はそういう私たちのエゴを告発して下さる、大切な如来様の子です。

 『里に恵まれ、里を恵む。』恵里はこれから私たち夫婦や皆様を筆頭とする多くの里の人たちに恵み育てられる事でしょう。それと同時に、恵里には里に迎合して『生きる屍』として生きて行くのではなく、一人の人間として私たちや皆様を筆頭とする里の仲間たちに対して「あなたは人間である事を忘れてませんか?人間は対等なものです。決して何かの条件を得たから貴いとかいうものではありません。人間は人間以上でも以下でもなく、それだけで貴い存在なのですよ」と、里を恵む人間に育って頂きたいという『願い』に名を借りた『親のエゴ』で『恵里』という名前を付けさせて頂きました。
 これからも恵里を宜しく御願い致します。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

時代が変われば毛坊主も変わる

2009年08月24日 | 坊主の家計簿
 旅行に行きたい。。。夏休みやし、青春18きっぷが売り出されているのに。。。「ああ、不幸や。うちは日本で一番不幸な住職や」なんぞとチエちゃんばりに思いつつ、ママから「オムツがそろそろ無くなりそうなので買って来て」とのお達し。別に明日でもエエのだが、明日は明日の気分で生きたいのでジャスコに買いに行く。
 イオンよ、葬儀ビジネスに参入する前にトップバリューシリーズの新生児用オムツを作ってくれ。。。

 っちゅう事で、イオングループが葬儀ビジネスに参入する事を正式発表した。

 http://www.nikkei.co.jp/news/sangyo/20090823AT1D2200B22082009.html

 7月頃から噂には聞いていたのだが、噂は所詮噂であり、私が直接イオンから「お宅の寺と取引しませんか?」なんぞと云われたわけではないので「噂話」としては喋っていたのだが、正式発表したらしい。
 イオンカード等のカード会員数は2003万人(2009年2月20現在)らしい。これを『教団』と考えると日本最大の宗教教団になるわけだ。
 「あの~。。。さっきお爺ちゃんが亡くなってお葬式を頼みたいんですが。。。」とイオンに電話する人が2000万人会員のうちにどれくらい居てるかどうか知らんし、会員以外にどれくらい居てるかどうか知らんが、まあ、デカイだろう。3年後に10万件の利用を期待しているらしいが、だいたい一世帯平均では15年に一度の葬儀がある。2000万÷15=133万ぐらいだから、まあ、10万件は十分可能だと思う。
 で、その10万件の多くが寺に連絡するよりも先にイオンに電話する事になるのであろう。で、イオンと提携した葬儀社と提携している寺に葬儀の依頼が行く。
 単純な話である。寺が営業しないから(笑)
 営業しないクセに、葬儀社等に営業している寺、すくなくとも『営業活動している寺』に対して陰口三昧。
 あるいは、イオン等が葬儀業界に参入する事を『高見から嘆く』
 まあ、幕末の旗本八万期や、諸藩の、いや、当初は長州藩内ですら奇兵隊に対する評価が低かったように、「あれでも侍か?」なんぞと嘲りを受けた様に、逆の立場の新撰組も嘲りを受けた様に、嘲る側の呑気な『高見からの嘲り』には本気でわけ解らん。
 例えば『直葬』なんぞという葬儀のスタイルがある。恐らく『僧侶』としては『心ある人』なんだろうが、「直葬は人間をゴミ扱いしている」なんぞと。え~。。。お前等、ホンマに仏教徒か?っちゅうか、それ以前に人間か?まあ、娑婆の苦労を知らんから、あるいは娑婆の『人情』を知らんから、そんな無礼極まりない、人権無視の差別発言以下の鬼畜の発言が出来るのだろうが、単に自分たちにとって都合が悪いだけの話じゃんけ(笑)自分たちにとって都合のイイ『葬儀』というスタイルが取れないだけの話ではないのか?世話になった人たちを『ゴミ扱い』、っちゅうか、『ゴミ』も本当は世話になったから手を合わして念仏申して送り出すべきなんだろうが、世話になった人を誰が『ゴミ扱い』出来る、っちゅうねん。まあ、中にはそういう人も居てるだろうが、『直葬=ゴミ扱い』なんぞであり得るわけがない。多分、名誉毀損で告訴したら勝てると思うぞ。「この坊さんは私の大切な人をゴミ扱いしました」なんぞと。

 話が。。。
 イオングループが葬儀ビジネスに参入したら、ほんの少しだけかも知らんが、日本人の死に対するイメージが変わったりするかも知れん。なんせ『イオングループ』やし。ネットでは紹介されてなかったが、仏壇業界大手の所と組んで「イオンから買うと安くなりまっせ」みたいな事もやり始めるらしいし。そのうちに墓石業界なんぞも加わるかも知れん。イオンモールの中に納骨堂が出来て「お買い物のたびにお参りも出来る」みたいな事になるかも知れん。非常におもしろい。

 『葬儀』は別に『寺』『僧侶』の特権的な職業ではない。特定の宗教者が加わらなくとも葬儀は出来る。
 だからこそ私は寺の住職なので熱心に『営業』をしなければならないだけの話である。

 「布施は法施に対するものであって、法施がなければ単なる泥棒です」

 と、故・竹中先生は仰られた。
 『営業』と云う言葉は多分キライだっただろうが、元水商売の私には一番しっくりくる。

 昨日も書いたが、恐らく娘が最初に会う衣を着たいわゆる『坊主』は私が最初になるだろう。
 娘がどうやって生きて行きたいのかは娘が勝手に決めればエエ。私は娘に対して真宗仏教の営業活動をするだろうが、それで気に入ってくれればそれで良し。親のワガママだから。特定の宗教に興味を持たなくても構わないし、うちにある『パパの本棚』からキリスト教系の本を好きになってクリスチャンになっても構わん。「パパ、私も本田神父みたいに上智大学に行きたい」なんぞと別に相談して呉れんでもええけど、まあ、金の問題もあるから相談するんやろうけど、上智に行って、っちゅうか、その前に洗礼を受けようが何をしようが構わん。パパの営業がヘタだった、っちゅう話やし。まあ、「本田神父って上智の卒論は親鸞やったらしいぞ」ぐらいは言うが(笑)

 どうでも、エエけど布教って営業やろ。坊さんが偉そうに「お金がなくとも葬儀はします」なんぞと言っても、んなもん、色んな商売人もやってないか?前に住んでた近所にあったし、今住んでる所の近所にもある自転車屋チェーンなんぞ、部品代がかからん修理で金、取られた事ないぞ。そこで買った自転車やなくとも。それでも低姿勢で「またよろしく御願いします」なんぞと言ってくれるぞ。それが商売で営業やろ。

パパの味

2009年08月23日 | 坊主の家計簿
 お仕事終わって「京都にお買い物♪」に行こうと思ったんだが、「今晩、学習会やんけ。。。」っちゅう事で断念。まあ、原チャリでショート・ツーリングも兼ねて行きたかったし、明日か明後日にしよ。

 っちゅう事で学習会へ。なんだが、頭が回らん。見事な『夏休みモード』といってエエのやら「ほげ~」っとした状態。まあ、喋ってたら段々と回復して来たのだが、帰宅すると「ほげ~」状態。
 寝るまでにまだ時間があるので最近にしては珍しくネット散策。気になるニュース発見。

 http://sankei.jp.msn.com/science/science/090822/scn0908221002001-n1.htm
 何やら宇宙飛行士の野口さんが

【「宇宙で握ったすしを(同僚クルーに)食べてもらう」】(上記リンクより)

 との事。
 え~。。。恐らく寿司職人ではないであろう宇宙飛行士の野口さん。ひょっとすると趣味で「うちのホームパーティーでは私が握った寿司が評判でして」なんぞという腕前の持ち主かも知らんが、宇宙で酢飯。。。宇宙で刺身。。。「虐待ですか、虐待ですか、これがニッポンのイジメなのですか。」なんぞと捕虜になった米兵(?)にゴボウを食べさせてあげたら「木の根を喰わされた」と戦犯で死刑(?)にされた日本兵の様な事にならないだろうか?なんぞと若干心配してしまう。

 っちゅうか、野口さんが作るらしい宇宙で握った寿司は絶対に美味くない。はずである。少なくともかなり危険な回転寿司屋でグルグル廻り続けている寿司よりも、「この寿司屋、大丈夫かな?」っちゅう寿司屋よりも美味しくないと思う。

 私は『八宝菜』がずっとキライだった。理由は単純である。最初に食べた八宝菜が学校の給食だったから。片栗粉を入れた後の混ぜ方が変だったんだろう。固まった片栗粉が『タン』みたいでイヤだった。
 野口さんと一緒に宇宙に行き、宇宙で野口さんから寿司を御馳走される人が「初めて食べた寿司が宇宙で野口さんが握ったやつだった」なら、え~と、どうなんだろうか?これからも寿司を食べてくれるだろうか?その寿司がとても不味くても「きっと他に美味しい寿司があるはずである」とかいう感じで寿司に対して偏見を持たないでいて呉れるであろうか?

 仏事。
 私には私が今与えられた状況の中で懸命に握るだけである。
 それでも美味しくなければ、そりゃ、私の問題であって、決して仏教の問題ではない。美味しい店は沢山あるし、「一緒に食べに行きましょか?」ぐらいは言いたい。
 っちゅうか、『店』でもないし、寿司でもないのだが。。。

 野口さんも『宇宙空間』という寿司を握るには非常に困難な環境であると思うが、精一杯のサービスをして頂きたいと勝手に思う。

 しゃて、私が如来様より預かった娘。娘が最初に出会う衣を着た人間は多分私になる。
 なんぞと書き出したら娘が泣き出したのでパパは娘と寝ます。

焼き肉パパ

2009年08月22日 | 坊主の家計簿
 以前住んでたとこの市役所へ所用で出かける→先輩と竹谷郁夫さんの個展へ。
 
 http://garoto.blog.so-net.ne.jp/2009-07-23
 
 竹谷郁夫さん。いわゆる『タケやん』である。ハナタラシとかに居てはった『タケやん』である。
 一緒に行った先輩が竹谷さんと親しいので個展会場の喫茶店にも来られてはった。

 のちに「娘が出来た祝い」っちゅう事で焼肉屋へ。ちょうどホルモンに飢えていたのでホルモンばっかしを喰う。比較的安い店だったんだが、これが無茶苦茶美味かった。しかも炭火の七輪やったし。煙にもまれてエエ感じ。
 のちに阿倍野・ロック食堂へ。いや、腹も満腹やったし、でも、もうちょっと飲みつつ話したかったので。

 んでもって帰宅する。
 ママが風呂に入っている間、娘の面倒を見る。ママが大好きな娘はママが部屋から出て行くとすぐに愚図り出す。パパの出番である。私も娘の相手をするのが慣れて来たし。で、抱っこする。娘、泣く事を辞めない。っちゅうか、激しく泣き出す。うぅぅぅぅ。。。焼き肉とタバコと酒の臭いで薫製されたパパ敗北。まあ、シャワー浴びて着替えてから抱っこしたら大丈夫やったし、別にエエねんけど~。でも、ちょっとさみしい。。。

パパの育児ノイローゼ

2009年08月21日 | 坊主の家計簿
 娘、昨晩夜泣きが酷く大変。
 今日は仕事はない。まあ、厳密にいうと「今日も」である。うちの寺は先代住職の方針で「子どもと一緒に夏休みの旅行に行きたいから、8月のお参りはお盆の一週間にまとめます」だったので、基本、その一週間以外はヒマなのだ。それでも、まあ、ちょこちょこ何じゃかんじゃとあるのだが、大した事はない。また、基本ヒマな寺なので私が忙しくしない限りは夜泣きが酷かろうがなんだろうが大した事はない。んが、まあ、仕事を作って忙しくしないと給料ゼロなのでなんともならんのだが。。。まあ、先月が忙しかったので家計にお金を入れる時に「来月分も一緒になると思うで」っちゅうて入れたし、諸々雑費を支払ったりした分で今月は勘弁して貰う事にして、来月はバリバリ仕事を入れんとアカンのぉ。。。と、パパの決意。8月の収入はパパの食事代&風呂代で消えそうやし。仕事、仕事、と。営業、営業と。

 しゃて、さっきネットを立ち上げたらパパにとって衝撃的なニュースが。

【「夜泣き腹立つ」生後28日娘殴った父逮捕】(http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20090820-00866/1.htmより)

 宇野っちゅうたら、宇高連絡船があった所でんな。30歳。元々なんの仕事をしてたか知らんけど、宇野で仕事探しか。。。辛いかも知れんのぉ。。。初めての子どもかどうか知らんが、仕事がなくてイライラしてる時に赤ちゃんの夜泣き。「この子の為に一生懸命働かないと」と焦っている時に、その子の夜泣きでイライラしてしまう。解るのぉ。。。
 多分、放っておいても精神的にイライラするだろうし、不安だろうし、一番大切にしなければならない赤ちゃんの夜泣きが、大切にしなければならないから、その赤ちゃんの夜泣きがイライラと不安を加速させるのだろうし。
 なんか、辛いニュース。

名前

2009年08月20日 | 坊主の家計簿
 昨日、区役所へ『出生届』っちゅうもんを出しに行く。なんせ『出生届』っちゅうもんを出すと38万円を市から貰えるのだ。っちゅうか、「税金やろ、これも!偉そうにすんなよな!!!」なんだが、特に偉そうにされる事もなく、あ、「口座振替はイヤやから現金で呉れ」っちゅう時に少々ややこしかったのだが、役人は役人なのでカチこんだら済むので一言呟いて、後は黙ってたら上司(?)と諸々相談して「大丈夫です」との事。大丈夫やねんやったら最初から文句ヌカすなよな。パパは怖いぞ。

 そうなのである。パパは怖いのである。なんせ元々「何故人間と他のいのちとの間に差別があるのか?」なんぞと云う事を思春期に思い悩み、動物管理センターなんぞの前に抗議の自作のポスターを貼ったりしてた兄ちゃんが、今や「お前。。。この部屋に誰に無断で入って来とるねん。この部屋にはうちの娘が寝とるねんぞ」と、蜘蛛だろうが、なんか判らん昆虫だろうが、とりあえず『殺す!』状態である」。パパは『触るな危険』状態である。
 こういう気分が『家内安全』だったり、『国体安穏』だったりに繋がったりするんだろうなぁ~。。。「北朝鮮のミサイル実験、断固反対!」なんぞになるんやろなぁ~。。。なんぞと、思う。しかし、まあ、うちの家庭だけが安全安泰であっても、他所がダメなら不安増すばかりであり、うちの家の周りに『混ぜるな危険・地雷』を仕込んだりして防御するにも限界があるわけやし、まあ、『家内安全』なんぞは成り立たんのが論理なんだが。とは云え、『家内安全』なんぞと願う人たちの気持ちが解ってエエ感じである。

 しゃて、今日は昨日申請した38万円の出産一時金(?)を受け取りに区役所へ行く。ついでに図書館にも初突入。うちの区の図書館、小さい。アホ丸出しの建てもん作るねんやったら、中身を充実させんかい。建築業者と癒着せんと、本屋と癒着せえ。
 とりあえず一通り廻る。え~。。。全く興味がなかったねんけど、赤ちゃんの名前を考える為の本とかあるねんな。なんちゅうんですか?画数とか、姓名判断とか。
 「我が子に幸福になって貰いたい!」とは、多分、多くの親が共通する願いなんだろうけど、その『幸福』って、『我が思い』でんがな。結局、「思い通りに育って欲しい」っちゅう、ワガママやと思うのだが。
 
 しっかりと世間の中で苦悩して、でも、その世間に還る力を得て、世間に対して「御陰様です」と云えるような人になって、同時に世間に対して「それはおかしい」とハッキリ云えるような人になって貰いたいと、『里に恵まれ、里を恵む』っちゅう『恵里』っちゅう名前にさせて頂いた。法名を名告るのならば恵里が自分で考えたらエエ。相談には乗るが、決定権は恵里にある。

寝ます

2009年08月17日 | 坊主の家計簿
 「そういや『初参式』ってあったよなぁ。。。」と、載ってたはずの本を探す。見つからん。。。最近、娘が出来てから「あんたはしばらく部屋に出入り禁止!」と冷たくしている飼い猫が仕返しに食べたんか?隠したんか?なんぞと思いつつ探す。ようやく見つけた本を娘の横で寝転びながら読む。これはなかなかエエ感じである。しばらくハマろ。

 っちゅう事で、パパは娘の所に(笑)

仏事としての誕生日

2009年08月16日 | 坊主の家計簿
 仕事の最後はムッチャ遠方。お盆で空いている道でも車で1時間30分近くかかる。遠方やし、最後なので喋る、喋る。法事以上に喋る(笑)帰り道でメール。読んだら「17時から本堂でお参りあるけど帰って来れる?」っちゅうメール。2時間前なら対応出来るが、45分前に遠方で初めて知った情報に対応出来るわけが無い。どう考えても30分は遅れる。30分待ってて貰おうかと考えたのだが、んなもんはこちら側のミスであり、こちら側のミスで待たせるわけにもいかん。前代務住職のママに任せる。帰宅すると今朝までは「ふ~。。。私、もう疲れましたわ」っちゅう感じの仏華が新しいのになってて「解っててんやったらさっさと住職に情報を伝えろよなぁ。。。」と、ホンマ、疲れる。うちの寺、無茶苦茶。なんだが、最終的に全て私が責任を取らんとアカンわけなんだが、私に情報が来ない状況までも私の責任、っちゅうたら責任なんだが、ホンマ、疲れる。よう、腐らんとやってるもんやで、我ながら。

 帰宅してヘロヘロだったので、釜ヶ崎の夏祭りは断念。とりあえず仮眠する。疲れてるし、睡眠不足でもあるし、前記の事でイライラしてるので「とりあえず寝て、脳味噌落ち着けよ」状態。

 娘の泣き声で目覚める。ママが部屋に居てないのであやして落ち着かせる。ママが部屋に帰って来たのでママにタッチして銭湯&メシに。銭湯帰りに、え~と、以前に集会とかで何度か会って「顔だけは知っている」おっちゃんがどうやら御近所さんらしく、今日も道ですれ違う。「やっぱし、夏祭り行けば良かったのぉ。。。」と残念無念。まあ、来てはれへんかっても運動家情報で「ああ、あの人の事か?」ぐらいは解るやろうし。せっかくの御近所さんですし。

 帰宅する。ママがシャワー浴びてる間に娘の相手をする。抱っこしてたら寝てたので布団に寝かしつける。娘の顔を見てたら生後1週間なんだが、なんと、どんな夢を見てるのか知らんが、っちゅうか赤ん坊が夢を見てるのかどうか知らんが寝顔で「ニヤリ」と笑いやがった。
 さすがは我が娘である。きっと今日の昼間に実家のオカンが孫の顔を見に来て、ついでに自分の分と親戚の分の出産祝いを置いて行ったらしいのだが、きっとその事を思い出して「フッフッフッフ。。。大人はチョロいのぉ。。。」なんぞと思い出してニヤリとしたに違いない。もしくは、泣いたりグズったりしてるとすぐに抱っこしたりかまって貰える事に対して「フッフッフッフ。。。大人はチョロいのぉ。。。」なんぞと思って「ニヤリ」としたに違いない。いかん。このまま育ってしまったならうちの娘は「男なんて泣いたらチョロいもんよね」なんぞと云い足れるバカ女にしか育たないじゃないか。逆にいうと「泣いたらかまってくれるようなバカ男」としか付き合う事が出来ないバカ女になってしまうじゃないか。んな事を考えてたら、またまた手足をモジモジさせながら泣きそうになる娘を「よしよし」とあやしてしまう。。。ああ、女だろうが男だろうが「泣いたら喧嘩が終わると思ってるとは、よっぽど苦労しとらんねんな」なんぞと言いたれてしまう私が、まさかこんな事になろうとは。。。

 ネットでも色んな人たちから「おめでとう」との言葉。
 ここでも「パパ」なんぞと書いているが、「パパ」として1週間が過ぎました。有難く御言葉を頂戴しつつ、パパは娘と共に育てて頂きたい、なんぞと思っとります。

 仏事としての誕生日。
 「今日は娘の1歳の誕生日法要に来て下さりありがとうございます」
 っちゅうのもエエなぁ。。。式次第と表白を考えよ。

 数日前に娘&ママを迎えに病院に行く時に、私は忙しい最中にわざわざ私服に着替えて行った。ラーメン屋だろうが、スーパーだろうが平気で法衣のままで入れたりするのだが、なんか産婦人科の病院には入る事をためらってしまった。葬式仏教だからである。『仏事=死にまつわるもの』っちゅうイメージがある方が多く、私もその世間の意識に負けてしまったわけでんな。
 書いてなかったと思うが、ヨメが陣痛で苦しんで、医者も助産婦も皆が頑張っている時に私は「おお。。。カダをやりたい」なんぞと思ってたりしてたわけだ。あ、『カダ』っちゅうのは主に法要の最初に大声&高音から始まる声明なんだが。続いて『歎仏偈』っちゅう声明を心の中で読経してたりしてたんだが、私がもっと筋金入りのパンクス、ん?念仏者ならば声に出して読経してたと思うのだが、気が弱く心の中で読経してて、「あ、次は阿弥陀経にしよ」と読み始めたのだが、「すんません。。。阿弥陀経は暗記してないです。。。」っちゅう事で途中で諦めたり何じゃかんじゃとしてたわけなんだが、そのリベンジを誕生日で(笑)
 幸いな事にお寺なのでロウソクもいっぱいある。当然『お古』なんだが、

【それ、一切衆生、三悪道をのがれて、人間に生まるる事、大なるよろこびなり。身はいやしくとも畜生におとらんや、家まずしくとも餓鬼にはまさるべし。心におもうことかなわずとも、地獄の苦しみにはくらぶべからず。世のすみうきはいとうたよりなり。人かずならぬ身のいやしきは、菩提をねがうしるべなり。このゆえに、人間に生まるる事をよろこぶべし。信心あさくとも、本願ふかきがゆえに、頼まばかならず往生す。念仏もの憂けれども、唱うればさだめて来迎にあずかる。功徳莫大なり。此のゆえに、本願にあうことをよろこぶべし。また妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。臨終の時までは、一向に妄念の凡夫にてあるべきとこころえて念仏すれば、来迎にあずかりて蓮台にのるときこそ、妄念をひるがえしてさとりの心とはなれ。妄念のうちより申しいだしたる念仏は、濁にしまぬ蓮のごとくにして、決定往生うたがい有るべからず。妄念をいとわずして、信心のあさきをなげきて、こころざしを深くして常に名号を唱うべし。】(念仏法語)

 なんぞを読んだ後に「お誕生日おめでとう!」と、ケーキに刺したロウソクを吹き消す。素晴らしい。。。和蝋燭が子どもの吹く息で消えるかどうか知らんし、寺で使っている赤い和蝋燭を刺した後のケーキがどんな事になっているか知らんし、それ以前に口うるさい人が「ロウソクを息で消すとは何事ぞ!」なんぞと行って来るかも知れん(笑)

悲戦神社

2009年08月15日 | 坊主の家計簿
 娘と同居、初の夜。いや~、ママも大変やけど、パパも大変やな。喰いだめ(?)が出来ない娘は腹が減ると泣く。時間関係なしに泣く。その度にママはオッパイをあげる。パパ「明日も仕事や、っちゅうねん。。。」なんだが、文句言えないので泣き止んで静かになるのを待つ、を繰り返す。
 幸い、っちゅうか、うちは小さな寺なのでこの時期を過ぎると楽になるのだが、それでも今日はキツかったぞ。まあ、明日はもっとキツいんだろうが。
 でも、多くのパパはもっと大変やろな。特に車に乗る仕事とか「大丈夫か?」なんぞと本気で思う。っちゅうか、私も法事とかは要注意やな。
 兼業ママはもっと大変やろな。専業ママでもムッチャ大変やのに、兼業ママは「母は強し」としか言われへんのぉ。。。
 まあ、赤ちゃんも、ママも、パパも生きんとアカンし。

 っちゅう事で、娘が同じ部屋に居てるのでテレビもなんとなく見難い。遠慮してしまう。まあ、それでも見てるのだが。。。んが、仕事がバタバタしてたりしてて、さっきネットを立ち上げるまで全然知らなかったニュース。

 http://news.nifty.com/cs/headline/detail/sankei-m20090814045/1.htm

 何やら民主党が

【民主党は13日、次期衆院選後に政権を獲得した場合、靖国神社に代わる新たな国立戦没者追悼施設の建設を目指す方針を固めた。政権発足後、政府に有識者懇談会を設置し、答申を受けて建設に向けた動きを本格化させる。】(上記リンクより)

 っちゅう事らしい。
 そういや、そういう話が前からあったボヤけた記憶があるのだが、なんせ、ほぼどんな週刊誌をみても「民主党圧勝!」っちゅう、なんちゅうんですが?「祭りに弱い、流行に弱い人たち」っちゅうたらエエのかな?小泉バブルの次は民主党バブルなんだろうが、そういう御時世なので「おお!」である。

【民主党の岡田克也幹事長は同日、党本部で記者会見し、追悼施設建設について「国家・国民のために命を落とした方々をまつる場が不可欠だ」と述べ、建設推進の考えを強調した。】(上記リンクより)

 とあるが、

【「犠牲心のすぐれた発露者」とあるが、犠牲とはもといけにえのことで、牛や羊を神にささげて人の利益を祈願したものである。それがやがて人間をいけにえにする野蛮な行為になったのである。何百万という人々がこんどの大戦でむだないけにえにされたのである。これを「普通人のできそうもない犠牲心の発露者」と讃美するとは、なんという残酷な心であろう。人間の生命よりも国家を至上とする思想にほかならないのであって、むだに死んだと思いたくない、国のために死んだというてほしい遺族の心は同情に値するが、そのために政治上の神をつくるのは大きなあやまりである。過去の政治家のあやまちを二度とくりかえしてはいけないのである。】(蓬茨祖運『政治で神をつくるな』真宗1974年11月号P34より)

 と、当時の自民党が出した靖国神社国家護持の法案に対する『反対論』を書いた蓬茨祖運先生が見たらどう思われるんだろうか?なんぞと、ふと、思う。

 そういや、民主党には大看板で小沢氏がいる。鳩山氏は知らんが、小沢氏は国連主義だったと勝手に記憶しているのだが、どうせなら、その追悼施設の運営を国連に任せたらどうだ?
 つまり『靖国神社に代わる新たな国立戦没者追悼施設』ではなく、『日本が関与した全ての戦争犠牲者の追悼施設』を日本政府が国連に土地と運営資金を寄付する形ではあるが、あくまでも運営主体は国連にして、国連であるが故に『日本』という国家に対して敵味方関係なく、日本が関わった全ての戦争犠牲者の追悼施設を作ればエエのに、なんぞと思ってしまう。
 つまり日本ならば、戦争での犠牲者全て、つまり、『日本人』だけでなく、殺した兵士、民間人すべてを追悼する場。アジア諸国や、アメリカ等の人たちも含めての全て。
 平和外交ではなく、戦争という愚かな外交としてではあるが、関わりがあった諸国の人たちとの間での、戦争という行為での全ての犠牲者に対する追悼施設を国連に作って貰う。

 『民が主』の政党やったら、それぐらいやったらエエのに、なんぞと睡眠不足の酔っぱらい頭で思ったりする。国連でそういう事を世界的に広げて行ってくれたら、なんとなく民主党の株も世界的に上がりそうでんがな。

 しゃて、さっき娘が泣いて、ママがオッパイあげてたので、しばらくは静かだろう。このスキに寝よ。

パパの『お盆』

2009年08月14日 | 坊主の家計簿
 ママと一緒に娘も退院。午前中の仕事を終えて迎えに行く。え~。。。迎えに行く時間が解っとるねんやったら準備ぐらいしとけ。。。と、若干キレる。不機嫌モードで病室の片付けを済ませて家に戻る。パパ、速攻着替えて午後からの仕事へ。「お腹空いたよ。ピー。。。」なんだが、まあ、忙しい仕事は慣れっこだし、朝から何も喰わんでも夕方近くまでは働けるので大丈夫ったら大丈夫なんだが、今日も蒸し暑い。。。
 
「まあ、冷たいお茶でもどうぞ」
 なんだが、お坊様が一番欲しがっているのは、きっと『水』か『スポーツドリンク』やと思うぞ。
 この「私がそうだから、きっとみんなもそうだ」っちゅうのは危ないのだが、やっぱしガブ飲み出来るのは水とかスポーツドリンクやし。塩分補給も必要やから、スポーツドリンクとかやな。
 そういや、坊さんに麦茶を出そうとしたら間違って『そうめんつゆ』を出してしまったという話を聞いた事があるけど、真夏の私なら「そうめんつゆ下さい」でっせ。「出来たらショウガも入れてね」でっせ。
 っちゅう事で、明日はスポーツドリンクを自転車の前カゴに放り込んどこ。っちゅうか、そうめんつゆでもエエなぁ~。。。空腹もまぎれるし。冷えたみそ汁でもエエかもしれん。麺つゆをそば湯で割ったのもエエかもしれん。。。

 しゃて、退院時の荷物に病院に営業に来た様々な業者からのプレゼントが入ってた。なんや、『出産産業』もちゃんと営業しとるわけやね。素晴らしい。。。まあ、『当たり前』っちゅうたら、当たり前なんだろうが。。。

 しゃて、お盆である。お盆なのでお盆を売り歩く。
 「奥さん、このお盆、もう長い事使ってるんと違います?そろそろ新しいお盆に変えはったらどうですか?今なら安くしときますよ」
 違う、っちゅうねん。っちゅうか、オモロない、っちゅうねん。

 真宗門徒の御先祖の霊はお盆に帰って来ない。っちゅうか、お盆に帰って来る『霊』は成仏しとらんから帰って来るのか?つまり、まだ輪廻しとるから帰って来るのか?偽経であっても仏教と習俗との融合が『日本のお盆』なんだろうが、喋っている間にワケ解らんようになって来たやんけ。
 まあ、云えるのは成仏したら『霊』としては帰って来れない、っちゅう事。
 釈尊当時、っちゅうか、今もなんだろうが、カースト制度での輪廻転生なんぞを持ち出して話をしているわけなんだが。まあ、カースト制度なんかでの輪廻転生は「今度生まれ変わったら」だろ。「今度生まれ変わったら、もう少しエエ所に生まれ変わりたい」なんぞと。つまり、我が身が『そのままの救い』にはなり得ない。

 しゃて、かわゆいかわゆい我が娘。最早『かわゆい』と言っててなんだが、もっと比較しだすのは一体どれくらいからなんだろうか?
 「世間では何ヶ月になるとこういう成長をすると云ってますが、うちの子は。。。」
 等々。
 「もう、あんたは、クラスの他の子と同じ事がなんで出来ひんねん」
 等々。
 そういう、親がどうしようもなく世間に魂を売り渡した奴隷の場合、当然、『奴隷の子』として育てようとする。つまり、『我が子』の価値観を世間に魂を売り渡した自我意識のままで育てようとすると、

【世間に抱く関心は 必ず自己中心の善悪による関心である】(by信国先生)
 
 である。それが故に如来の子たる我が子を、自己中心的な善悪分別の『我が子』として、『我』の都合のエエ『子』に、つまり『子供』という差別された名称になる。『供える』対象は『我』や『国家』や『世間』でなく、如来なのだ。阿弥陀如来という、常に『我』『私』を問うて下さる働き、「お前は如来の子を『我が子』にしようとしてるやろ」なんぞと。それは「お前は、お前の人生をお前の思う通りに生きようとしているやろ」と。
 智慧がなく、アホ丸出しで「私は賢い」なんぞと。「この賢い私の判断に間違いはないのだ!!!」なんぞと。

 如来の子。『そのままのいのち』として産まれて来た、如来の子。
 分別するのは、自我意識で分別するのは親。

 「おや~、それはへんだぞ~。。。」

 イマイチやなぁ。。。
 けど、まあ、自我がそれほど出来ていない我が娘にとっては「イマイチ」もクソもないのだろう。。。まあ、そのうちに「パパの冗談って、ゼンゼン面白くない~」なんぞと云われるのだろうが。。。

 『そのままの救い』
 私が死んだら成仏するので、『お盆』だからといって特別に帰って来ません。
 「南無阿弥陀仏」と念仏申す時に、成仏して極楽浄土の諸仏として「パパはパパの人生を生ききったんだ。私も私の人生を生ききろう」と思い出してくれたら、それでエエ。それがエエ。

人身受け難し

2009年08月13日 | 坊主の家計簿
 退院予定日が明日なんだが、娘はもう一日入院せんとアカンのかも知れんらしい。何やら黄疸がちょっと多い(?)らしく、何かの光を当てるらしい。黄疸の話を最初に聞いた時にママに「何や?酒でも飲み過ぎたんか?」って聞いたらスルーされたので、今日も「その光っちゅうのは手かざしの光とかいうやつか?」と言いたかったんだが、またまたスルーされそうなので心の中に納める。

 しゃて、昨晩、最近気になっている公共広告機構のCMを探してたら、もっと気になったCMを発見。
 
 あ、ちなみに最近気になっているのは
 (http://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/02/index.html

 【うまくいかないことやつらいことがやってきたとき、
  “これでいいのだ”
  赤塚不二夫さんの言葉をつぶやいてごらん。
  そうすれば、世界は案外、笑いかけてくれるから。
  あなたの人生は、一度きりのもの。
  あなたの人生は、あなただけのもの。
  どうか、あなたの人生を大事に生きてほしい。】
 (上記リンクより)

 この『“これでいいのだ”赤塚不二夫さんの言葉をつぶやいてごらん。』という部分を『”南無阿弥陀仏”阿弥陀さんの名前を呼んでごらん』にして、続く言葉の最後に『今、いのちがあなたを生きている 東本願寺』なんぞとすればムッチャええ御遠忌テーマのフラッシュになると思うのだが。。。

 と、大谷派の御遠忌テーマーフラッシュを見てたら川村先輩の言葉が出てた。ママは川村先輩と藤川球児を足して割ったような顔をしているので川村先輩と藤川球児には何か特別な思い入れがあったりする。「そういや最近テーマフラッシュを見てないな」っちゅう事でチラッと見たら赤ん坊発見。うちの娘、勝つ。圧勝。
 と、まあ、親バカばりばりだったりするのだが、まあ、エエ。

 んで、これ。

 


 絵の授業中に子どもがクレヨンで画用紙を真っ黒に塗りたくったら、精神鑑定らしい。ちなみに友人の友人が高校生の時に絵の授業中に首吊りの絵を描いたらやはり親まで呼び出されて大問題だったらしい。まあ、学校なんちゅうもんはそんな所が多いのだろうが。
 ちなみに我が娘が学校で画用紙をひたすら黒に塗りたくってたら「そうか。。。君もようやくストーンズの良さが解る年頃になったんだね。でも、父さんは君が産まれる頃によく『ストーンズとブルースで飲んで屋』という気の狂った飲み屋に行ってたが、父さんはストーンズもブルースもそれほど好きじゃないんだ。父さんはパンクが好きなんだ。さあ、一緒にカラオケに行ってアナーキーを熱唱しよう」というか、「父さんはアカじゃないんだ。よく父さんの事を『あいつはアカだ』等と云う人が居てるが、父さんは黒なのだ。アナーキストなのだ。さあ、一緒にカラオケボックスに行ってアナーキーを熱唱しよう」等と言って「ああ、父さんみたいに好き勝手に生きているとああいう風に脳みそが腐ってくるんだ。。。」等と思われるか、「うん。父さん。私も高野兄弟みたいに学校に行かずに離島に父さんと一緒に行くよ」と云われて「でも、父さんは高野兄弟の父ちゃんみたいに金がないから離島で生活が出来ないんだ。。。」と言ったら、「なんだ、父さんって役立たずなんだ。ダメ人間なんだね」と娘に云われて、「そうなんだ。。。父さんはダメ人間だから真宗坊主をしているんだよ。」等と言ったら娘が「それでも父さん、大好き!」と云って、「ちょっと待ってね絵を完成させるから」と云って、完成された絵は画用紙を何枚も組み合わせて初めて解る程大きい黒衣を着た私の姿だったんだが、しかし教師は「最初に顔を書かないのがやはり心配です」等と文部省に洗脳された事を抜かすので、「この国家と世間に魂を売り渡した奴隷めが!きさま如きの奴隷に如来の子たる人間たる我が娘を教育出来るわけがない。貴様は塾の先生と一緒で読み書き算盤だけ教えといたらエエんじゃ。」等と言うと「何を云ってるんですか!私はこれでも日教組ですよ!」等とヌカしたら、「はあ?日教組?日教組が怖くて念仏者の看板貼れるか。人殺す根性ない人間がデカイ顔して道を歩くな。ヤクザでもお前等でも根性なしはすぐに組織の名前出してきよる。」「そんな気で言ったわけではありません。私はただ『私も国家と戦っています』と云う事をお父さんに言いたかっただけです」「はあ?お前に『お父さん』と呼ばれる筋合いはないぞ。はっは~。。。お前、ロリコンでうちの娘に惚れとるやろ。だから『お父さん』等といいよんねんな。お前、ロリコンやから小学校の先生になってんやろ。」「お父さん!もう、いい加減にして下さい。私だって怒りますよ」「ほぉ~。怒ったら何でも物事が解決するなんぞと思っているようなガキにうちの娘はやれんし、教育も任せられん。」「テメー!」

 ♪けんかをやめて 二人をとめて
  私のために争わないで もうこれ以上
 (竹内まりや『けんかをやめて』より)
 
 え~と。。。子どもだって人間である。人間である以上は

【凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと】(親鸞)

 である事には変わりはない。それが『自我』っちゅうやつなんだろうし。
 今日、娘の顔を見ながらママに「子育てって、結婚式とか葬式とかと同じちゃうん?」と言ってたんだが、「子育てはこうするべきである」っちゅうのも時代によって違うし、調べてないけど民族や文化によっても違うやろ。ただ、「私は子育てをしました」っちゅう煩い人たちが「子育てはこうやってするんですよ」なんぞと云うのだし、雑誌なんぞで「子育てはこういう風にしましょう」っちゅうのも同じやな。
 クラシックよりも、パンクやろ。赤ちゃんには。

 ♪決して負けない強い力を僕はひとつだけもつ(byヒロト)

【あなたの人生は、一度きりのもの。
 あなたの人生は、あなただけのもの。
 どうか、あなたの人生を大事に生きてほしい。】
(公共広告機構のCMより)