坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

戦争は罪悪である

2008年08月31日 | 坊主の家計簿
 8月31日

 外食  海老天ぶっかけ大      510円
     五目味噌拉麺餃子ビール  1680円
 食類  おにぎり          105円
     板チョコもなか       126円
     発泡酒           198円
     ゼリー2          196円

 合計               2815円
 8月累計           173232円

 日曜日に休みなんぞは滅多になく、せっかくなので京都・高倉会館に行って法話でも聞いて来ようと密かに決意していたのだが、え~。。。8月は8時30分からなのね。うちから2時間かかるから6時半には出発せんとアカンのね。っちゅう事は6時には起きて、ってなぁ。。。
 一応努力したのだが、断念。
 帰りに青春18キップの最後の1枚で行こうと予定してた岐阜の垂井にだけ向かう事にする。

 大阪駅で電車を待ってたら、湖西線経由の敦賀行きがやって来た。米原行きは15分後。面倒なので、そのまま電車に乗って琵琶湖を大回りして関ヶ原へ。
 古戦場巡りは20歳頃にやったので、今回はそのまま垂井町岩手にある明泉寺へ。竹中彰元の寺でんな。
 http://www1.ocn.ne.jp/~yosisi/newpage2.htm
 数年前の夏休みに福井から岐阜の山奥の抜けて行くツーリング途中に『竹中半兵衛の里』とかいう看板を見つけて、気になって少し探したのだが、情報不足で発見出来なかったのだ。今回は、ちゃんとネットで地図を落としてから行ったので大丈夫。
 関ヶ原からテクテクと歩いて行く。あの辺りは好きな所なので、エエ散歩コース。
 明泉寺、発見。デカイ。かなりデカイ寺。
 そりゃそうか。『竹中半兵衛の里』にある、竹中半兵衛の妹が造った寺なんだから。領主様一族の寺みたいなもんなんだろう。
 2006年に出来たらしい『戦争は罪悪である』という石碑があった。

 垂井は関ヶ原のすぐ近所。そこにあった『戦争は罪悪である』という石碑は二重に輝く。

怨霊の横領

2008年08月30日 | 坊主の家計簿
 8月30日

 外食  かき揚げ蕎麦      326円
 食類  地鶏せせり       273円
     むき海老         98円
     餃子          138円
     しば漬け        128円
     マーガリン       158円
     もやし          29円
     キャベツ4分の1     40円

 合計             1190円
 8月累計         170417円

 明日は休み。部屋でマッタリと。
 テレビでやってた『インデペンデンス・デイ』を見る。
 
 「ウイルス注入完了!よし、攻撃命令だ!」
 「ダメです。攻撃が効きません。作戦は失敗のようです。」
 「何?何故だ、何故ウイルスが効かないのだ?」
 「ひよっとして。。。宇宙人はMacユーザーかも知れません。」

 と、見ながら、ふと思う。

 恩師から勧められた『井沢式「日本史入門」講座」を4巻まで読み終える。感想メールは、今度出そ。
 この本も突っ込み所満載。
 一例では、『天智天皇』の『天智』という言葉が不吉な言葉であると云う事を森鴎外の本から立証してはるのだが、森鴎外説が間違ってたらどうしまんねん。当然、井沢氏は学者でなく作家なので「面白ければ別にエエやんけ」なのかも知らんが。

 とは云え、『怨霊』に関して書かれてあり、その視点から日本史を読むと云うのは、別に井沢氏だけではないが、井沢氏も書かれている様にかなりの影響があったらしい。
 確か、ファミコンソフトで『源平合戦』のもんがあって、やらなかったのだが、確か怨霊がやたらと出てくるゲームだった記憶がある。それくらい、怨霊というもんにビビりまくっていたのだろう。
 というか、今はなんでも『地球温暖化』で、「ゲリラ豪雨も地球温暖化が原因」なんぞという声もあるが、あれが『怨霊』だったみたいな感じなんだろう。
 「この豪雨は菅原道真の怨霊に間違いない」なんぞで、天満宮を造ったりしたのだろう。

 『怨霊』という考え方は仏教にはないと思うのだが、でも、仏性はある。やはり「やっぱ、菅原さんには悪い事をしたよなぁ。。。」と、豪雨でもって気づく事が出来たら、それはそれでエエのではないかとも思う。
 んが、だったら、別に神社なんぞを建てて祀る事ではなく、「やっぱ、こういう事って、アカンで」と。
 例えば、井沢氏も本の中で指摘して居られたが、死刑囚の最終決断は法務大臣である。ん?名前、変わってないやんな。法務大臣がハンコを押す事によって死刑囚が死刑になる。よって、ハンコが押し難い。まあ、機械みたいにバンバン押す人もいるが。「押し難い」というのも怨霊信仰が元にあるのかも知れない。まあ、仏教徒の法務大臣は違うだろうが。
 「菅原さんには悪い事をしたなぁ。。。」なら、「二度とやらない」と誓うべきではないのか?当然、ナマモノの人間がそう簡単には行かないが、例えば

【政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し】(日本国憲法前文より)
 
 であり、
 
【われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。】(日本国憲法前文より)

 である。

 天満宮なんぞを造って「祟らんといてな」ではなく、慚愧し、その為に働きかける。
 天満宮を造るのであれば、「菅原道真氏に対してした事を私たちは決してしない」という誓いの場にすべきではないのか?

 しゃて、靖国神社。
 靖国神社には『遊就館』という施設がある。東京に行かれた際には、絶対に行くべき場所である。
 遊就館には人間魚雷や、戦車なんぞの展示もあり、まあ、私には戦争を賛美している様にしか思えない。
 決して、「二度とあなた達の様な戦死者を作り出しません」には思えない。

 靖国神社は宗教である。習俗ではない。あくまでも宗教でしかない。
 神社神道は自然感情ではなく、宗教である。

 半分、笑い話なんだが、イスラム圏で「イエス=キリスト』と云うと殺されるかも知れない。『キリスト』は『救世主』であり、当然、イスラム教で『イエス』は『キリスト』ではないのだろうし。ユダヤ教でも、そうなんだろう。

 神道と、仏教は、『違う宗教』である。歴史的に同じだった経緯もあるが、違う宗教である。
 宗教には当然、宗教観がある。
 靖国神社では英霊なんだろうが、仏教では英霊ではない。浄土には英霊は居ない。

 当然、様々な信仰を持たれておられる方々が居ても当然だと私は考える。また、その宗教をして居られる方々に対する敬意もはらうべきだとも考える。
 よって、例えば「大峰山の女性差別は時代遅れである」という理由でもって登山靴を履いて話し合いに行く事や、8月15日の靖国神社で南無阿弥陀仏の旗をもって抗議をする事は、その宗教に対して信仰を持たれている方々に無礼だと感じる。それは靖国神社が遺族感情を無視して『英霊』として祀っている事と根は同じではないかと考える。

 宗教は自由に選べる時代である。
 自由に選んでイイのだ。
 なければ、なくても構わない。
 けど、まあ、ある意味、仏教って無宗教なんだが(笑)

【一方的に決定した立場に立ってみずから考え量りつつ、さらにかれは世の中で論争をなすに至る。一切の(哲学的)断定を捨てたならば、人は世の中で確執を起こすことがない。】(釈尊)

15年振り

2008年08月29日 | 坊主の家計簿
 8月29日

 諸々  ランチバイキング      892円
     月刊『同朋』年間購読料  3000円
     タバコ5         1500円
     青汁2           596円
     糸楊枝           258円
     シークワーサー       598円
     泡盛・白百合       1200円
     鮭トバ           495円
     タンガクラブビール     500円
     プカプカ         1500円

 合計              10539円
 8月累計           169227円

 北浜のギャラリーへ。え~。。。手を抜いたな(笑)

 のちに、毎度のタンガクラブへ。
 15年振りぐらいの恩人に偶然会う。
 「懐かしい」と云うよりも、『タンガクラブ』と云う場で会えた事に感動。多分、これからも会える事があるのだろうし、何かを一緒に出来るかも知れないし。

 タンガクラブを出て、〆にプカプカへ。1杯だけ飲んで帰るつもりが、え~。。。終電コース。
 疲れていたのだろう。帰って速攻、朝まで爆睡。

葬儀は習俗ではない

2008年08月28日 | 坊主の家計簿
 8月28日

 食類  豆腐(昨日)      120円
     寿司          200円
     タコ          100円
     カップ麺2       256円
     海洋深層水10     580円
     無添加ワイン      438円
     カップ麺2       236円
     野菜ミックス      100円
     豆腐          138円

 合計             2168円
 8月累計         158688円

 遊び過ぎや、っちゅうねん。。。
 っちゅう事で、今日は部屋でまったりと。御近所スーパーが久々に思える。

 テレビニュースでアフガニスタンで殺された伊藤さん、っちゅう兄ちゃんの葬儀がアフガニスタンの現地で行われたらしい。
 http://www.data-max.co.jp/2008/08/500.html
 事件そのものには悪いが、それ程興味がない。殺した側の論理に賛同する意志は全くないが、危険地域で活動しておられ、ある意味覚悟の上だったのかもしれないし。

 アフガニスタンでの葬儀はイスラム形式だったのだろうか?500人もの方が参加されたらしい。

 葬儀という儀式。
 イスラム教での『死』についての考え方は知らない。どういう意味合いでの『死』に関する儀式なのかは知らない。また『イスラム教』と一括りにしてしまうが、イスラム教内での様々な考え方があるのかも知れないし。
 
 日本では『黄泉の国』という概念がある。当然、神道系の発想なんだろう。
 当然、仏教では黄泉の国なんぞあり得ない。
 浄土系では『浄土(極楽)』である。黄泉の国は穢れであるが、浄土系においては娑婆世間が穢土である。全く違う。
 他宗は知らない。『死』の儀式、つまり葬儀においての考え方、つまり死後観についてどういう風に考えて居られるのかは知らない。新たな輪廻を繰り返す旅立ちの儀式なのかも知れないし、どういう儀式なのかは知らない。ただ、浄土系のように「本願を信じ、念仏申せば仏になる」ではないだろうから、当然、輪廻を繰り返すのだろう。
 ちなみに『浄土系』といったが、浄土宗と浄土真宗とでも違うであろう。また、浄土真宗といえども、様々な教団があり、本願寺派と大谷派とでも違う。
 本願寺派は『死後往生』であり、大谷派は『往生は心にあり(故に今)、成仏は身にあり(故に死後)』である。故に、同じ葬儀であっても違う儀式であるはずである。

 葬儀はグリーフ・ワーク(喪の作業)という部分では同じなのかもしれないが、それは習俗である。個々の宗教では『死』に関して様々な考え方がある。様々な儀式があるのだろう。

 韓国では現大統領がプロテスタント系教会の幹部信者らしく、昨日「仏教を差別した」と6万人の仏教徒がデモをしたらしい。
 http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/mainichi-2008082800m063/1.htm

 「靖国神社は宗教ではない。」と云う事はあり得ない。宗教法人としての靖国神社であり、また神道である。御霊信仰であろうとも宗教である。
 「日本古来」と云えども、他宗教からすると宗教でしかない。
 自民党の憲法改憲案を読んでみると、最近変更があったのなら知らないが

【国及び公共団体は、社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超える宗教教育その他の宗教的活動であって、宗教的意義を有し、特定の宗教に対する援助、助長若しくは促進又は圧迫若しくは干渉となるようなものを行ってはならない。】

 とある。
 ちなみに現行憲法は

【国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。】

 である。
 つまり
【社会的儀礼又は習俗的行為の範囲を超え】
 なければ、それは宗教行為ではない、という案件である。

 葬儀という儀式を宗教者が執行する。これは習俗ではあり得ない。習俗であるというのなら、別に宗教者は要らない。
 宗教者に対する『御布施』の分、まあ、全国平均がナンボなのか宗派によって、地域によって違うのだが、『数十万』と仮にしておくが、その数十万を違う事に使えばエエだけの話でもある。仮にそれが数万円であっても、数千円であっても同じである。
 何かの宗教的行為、宗教的儀式に参加しておられるのが、現状の多くの『葬儀』である。
 それは決して『習俗』ではない。特定の宗教である。
 靖国神社、それぞれの地域の護国神社が宗教団体であり、また、地鎮祭も宗教儀式である。
 天皇家の儀式が習俗であるわけがない。
 宗教者が執行する儀式が宗教行為でなく習俗である事なんぞはあり得るわけがない。

 「苦悩は如来の陣痛である」と、グリーフ・ケアとは別物である。

無自覚な信仰

2008年08月27日 | 坊主の家計簿
 8月27日

 外食  回転寿司        504円
 雑費  グリーンティー     320円
     居酒屋        6555円

 合計             7379円
 8月累計         156520円

 酒、弱なったのぉ。。。
 昨日も終電まで飲んでたのだが、スタートは20時過ぎ。24時前まで飲んでたのだが、23時頃からはカンパリソーダで酔いを醒しつつ。
 今日も所用で外出。19時頃から飲み出して、22時にはしんどい。
 まあ、40になったし、19時から朝まで飲むのは無理か。っちゅうか、そんなに飲まんでもエエやんけ、っちゅう話でもあるのだが。

 全く関係なく。
 葬儀。今はやる事が当り前であり、また多くの人が仏式での葬儀をされている。当然、『仏教徒』であるから仏式の葬儀をするわけだ。
 だが、誰かが死んで、昔の京都なら化野や、鳥辺野のなんかに死体を置く。あるいは土葬したり、火葬したりする。その時に例えば花なんかを供えたり、あるいは心の中で感謝の意を現したりする。それだけでも葬儀である。
 寺や葬儀会館なんぞで僧侶を呼んでやる『のも』葬儀であるが、葬儀なんぞの概念は幅広い。
 今でなら病院で亡くなられる方が殆どだが、病院から火葬場に直行するのも葬儀である。亡くなられた時に病室で花を供えたり、涙を流したりするのだろうし。
 別によくいわれる『いわゆる葬儀』だけが葬儀ではない。

 当然、日本には『死は穢れである』という概念があり、穢れを祓う為に活躍した宗教者も多いが、親鸞は「賀茂川に捨てて魚の餌にしろ」だし、葬儀なんぞ全く望んでいない。
 法然は遺言で
【孝養のために、精舎建立の営みをなすことなかれ。志あらば、おのおの群集せず、念仏して恩を報ずべし。もし群集あれば闘争の因縁なり。】
 と、これだけを読むと、いわゆる葬儀を望んでいるとは全く思えない。
 だから法然の弟子たちは念仏相続としての仏事をした。

 仏式の葬儀。当然の事ながらやりたい人はやればイイだけの話である。
 やりたくない人は宗教者抜きでやればイイだけの話である。
 当然の事ながら、死は穢れではなく、穢れでないのであれば穢れを祓う必要も全くない。
 仏式で葬儀をやらなくとも、何ら宗教者が居なくとも、間違いなく『怨霊』になる事はあり得ない。怨霊なんぞ居ないのだから。
 何ら、一切問題がない。
 あるのは世間体だけである。
 
 世間体と宗教は全く違うものである。
 最近考えた笑い話なんだが、誰か親族が亡くなる。葬儀社の人がやって来て「宗派はどこですか?」と。田舎なんぞに電話してどうやら真言宗である事が解った。葬儀社の人から紹介された真言宗の御布施が高額であった。
 「残念でしたね。真宗なら最安値の御布施で済むのですが、禅宗や真言宗は御布施の相場が高いんですよ」と、葬儀社の人。
 「クソ!なんでやねん。俺の家系は呪われているのか?」と、遺族。

 当然、笑い話のネタである。
 だが、信仰を持たれていない人の実感であるような気もするのだが。
 
 当然、宗教なんである。基本は宗教なんである。
 御自分が信仰している宗派があり、寺がある。そこの僧侶に来て貰うにあたってのカンパである。
 ちなみに『布施』は『笑顔』でも布施である。金銭で限定しているのなら、んなもんは『支援カンパ』というのが一番解りやすい。

 支援カンパ。当然、その団体に支援したい気持があるから支援するのだろう。
 「私は真宗大谷派の教えを信仰している。故に真宗大谷派に対してカンパするし、また、○○という僧侶、○○という寺に対してカンパしたいから葬儀を御願い致します」
 というのが基本である。

 真言宗等の布施の相場は高いが、信仰があれば当然の事である。それが宗教である。
 「支援したい」という気持がなければ、当然の如く、「なんでこんなに高額な布施を払わんとアカンねん」でしかない。
 そして、主に都市部新興住宅街に住まれて居られる方々なんぞはそうでしか無い場合が多いのではないのか?
 具体的なら葬儀社を通じて紹介してもらった『家の宗派』の僧侶に対する布施。
 不満が出て、当然である。
 単純な話である。
 信仰がないわけなんだから。家族がなくなって田舎に電話して自分の信仰を聞くのは本来、笑い話でしかない。
 まったく、自覚がない信仰なんぞあり得ない。それは単なる習俗である。

「葬式を出す金がなかった」

2008年08月26日 | 坊主の家計簿
 8月26日

 食類  弁当          200円
     イカ&タコ       100円
 雑費  するめ         105円
     タンガクラブビール   500円
     ドグラマグラ     1800円
     回数券(22日)   3700円
     電車          290円
     タクシー       1680円

 合計             8375円
 8月累計         149141円

 昨日の学習会で最後辺りに結構個人的にショックな情報があり、気になったのでタンガクラブへ。
 帰りに、毎度のドグラマグラへ。変わらず盛り上がってしまって電車に乗り遅れる。JRは大丈夫だったので、途中までJRで帰ってタクシーと。まあ、オモローやったからエエか。

 全然関係ないのだが、旅行中に気になったニュースがある。
 なんかワケ解らんぐらいに祭気分に犯されてしまった、っちゅうか、テレビの本性を見せつけたオリンピックのニョースが多い中、たまたまつけたテレビでやってたニュース。

【母遺体 自宅に放置 遺棄容疑長男逮捕 「葬儀費用なく」 2008年8月17日
 麻生署は十六日、死体遺棄の疑いで川崎市麻生区千代ケ丘一、無職安藤聡容疑者(49)を逮捕した。
 調べでは、安藤容疑者は六月十三日ごろ、自宅の寝室に、同月上旬に死亡した母の美子さん(80)の遺体を遺棄した疑い。
 美子さんに目立った外傷はなく、病死とみられる。同容疑者は美子さんの長男で二人暮らし。二十五年間仕事に就いていないが、近年は寝たきりの美子さんの介護をしていたという。美子さんの弟が六月十三日に家を訪問したが誰もいなかったため、不審に思い同容疑者の姉に連絡。姉が同署員と翌日に家を訪れ、パジャマ姿でベッドに横たわった状態の遺体を見つけた。
 同容疑者は都内にいたところを発見された。カプセルホテルなどに泊まっていたといい、「葬儀をしないといけないが、費用がなかった」などと供述しているという】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20080817/CK2008081702000108.html

【2008.8.17 00:00
 同居していた80歳の母親が死亡したのに自宅に置き去りにしたとして、神奈川県警麻生署は16日、死体遺棄容疑で川崎市麻生区千代ケ丘、無職、安藤聡容疑者(49)を逮捕した。「葬式を出す金がなかった」と認めているという。
 調べでは、安藤容疑者は6月上旬、自宅で母親の美子さん(80)が死亡したのを知りながら放置した疑い。同容疑者は行方不明になっていたが、16日、東京・上野公園にいるところを警視庁上野署員が発見した。
 麻生署によると、美子さんは病気のため約1年前から寝たきり状態で、安藤容疑者が介護していた。連絡がとれないのを不審に思った美子さんの弟(77)が6月、安藤容疑者の姉に連絡し死んでいるのが見つかった。】(http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080817/crm0808170004000-n1.htm

 私は『門徒の子』である。故にガキの頃に両親が金に関する事で夫婦喧嘩をしている姿を見ながらも、毎月やってくる坊主が居た。
 ガキの頃の私にとっては『坊主=泥棒』であった。
 そして、その感覚は今でも正しいと思っている。
 ただ、私が泥棒の側に立っただけの話である。
 故に、上記ニュースが旅の途中ながら無茶苦茶こたえた。ちょうど、関東親鸞旧跡巡りの旅行でもあったわけだし。
 
 上記ニュースの人が何宗であったのかは知らない。
 というか、多くの人がそうであるように『何宗』かは知らないが、でも「葬儀には金がかかる」と思われていたのだろう。
 それが故に死んだ母親を放置するしかなかったのであろう。

 私は上記ニュースの人には興味がない。
 ただ、私が『坊主』であり、葬儀の中で結構な割合を占める『御布施』というものを受けとる立場である、という事だけは忘れたくない。
 非常に個人的な事なのだが、上記ニュースの中の「葬式を出す金がなかった」という言葉は、私にとっては「寺は風景でしかなかった」という言葉に匹敵する、いや、それ以上の重みを持つ。

 葬儀、仏事。諸々の議論もあり、諸々の動きもある。
 だが、どうなんだろうか?
 「葬式を出す金がなかった」という理由でもって母親の遺体を放置した人がいる事実に対して、どう応えていくのだろうか?

 寺には寺側、坊主には坊主側の理屈がある。故に、葬儀の『値段』は高い。
 当然、そんなものに従う義務は一切ない。
  
 こういう感覚は非常に大事だと思う。
 『寺側』、つまり、御偉い権威に従わなければならない理屈なんぞ一切無い。
 念仏でなら「天皇も凡夫である」と同時に「坊主も凡夫である」でしかない。
 禅でなら、臨済録の世界であり、一休の世界であり、近代でなら内山愚童の
 【天子金もち、大地主。人の血を吸うダニがおる。】(内山愚童『無政府共産』より)
 の感覚である。

 しかしながら、そういう感覚を持てずに、「葬式を出す金がなかった」と。
 故に、介護をして来た母親の遺体に対してどうする事も出来なく逮捕された人がいる。

 ただ、それだけである。
 ただ、それだけなんだが、それに関わる人達、私なら『坊主側』である。

 「寺は風景でしかなかった」とは、オウム真理教に入った人の言葉である。私は当然オウム真理教も仏教教団であると思うのだが、だが、「寺は風景でしかなかった」とはかなりショックな言葉である。

 今回は「葬式を出す金がなかった」である。

 【みな人は慾をすてよとすすめつつ、後で拾ふは寺の上人】(伝一休禅師)

 その中で「葬式を出す金がなかった」である。

 派遣労働の人達は、最低時給1000円を目指しておられる。

 仏教は絶対平等の教えである。
 で、
 「葬式を出す金がなかった」
 ただ、それだけの話である。 
 
 そういう意識を与え続けている側に私がいるだけの話である。
 1年間寝たきりで介護をし続けられ、で、「葬式を出す金がなかった」と。それが故に1年間介護して来た母親の遺体を放棄するしかなかった人が、部屋に帰る事が出来なかった人が居られただけの話である。
 ただ、それだけの話である。

久々

2008年08月25日 | 坊主の家計簿
 8月25日

 外食  中華ランチ        550円
     ラーメン         600円
 食類  ビックマック       200円
 雑費  交通費          540円

 合計              1890円
 8月累計          140766円

 久々の所属寺での学習会。何ヶ月サボってたのかなぁ。。。まあエエわ。
 終了後にダベってたら、あら大変。私鉄の終電がなくなる。自転車は私鉄駅前なので、最寄りのJR駅から歩いて、自転車を取って、「腹が減った。。。」と深夜ラーメン。
 帰宅したら、結構香ばしい時間やんけ。。。

 所感。
 個人の限界と、関係性の大切さを痛切に思う。

 寝よ。

親鳥を喰らう

2008年08月24日 | 坊主の家計簿
 8月24日

 雑費  コピー        200円
 外食  つけ麺        514円
 食類  発泡酒2       370円
     冷凍ネギ2      196円
     長なす        100円
     アスパラ        98円
     親鳥         395円

 合計            1873円
 8月累計        138876円

 親鳥を喰う。美味い!やっぱり美味いぞ、親鳥!
 今年の夏はうどんツアーに行けなかったので香川名物『親鳥』を食べれなかったのだ。っちゅうか、上越・高田の焼き鳥屋で食べてたのだが。。。
 それでも懐かしい親鳥。若鶏と違って、固く歯ごたえがある親鳥。一度は料理してみたかった親鳥。でも、大阪では手に入り難い親鳥。
 なんだが、近所の鶏屋に思いっきり「親鳥あります」とデカデカと書かれてた(笑)毎日、前は通るのだが、少し高く滅多に行かない店だったので見落としてたわけやね。何年住んでんねん。
 と云う事で親鳥。とりあえずモモ肉を2枚買って来た。
 1枚の半分は素麺の為に皮目をフライパンで焼いてからダシで煮込んで素麺スープに。美味なり。ショウガがなかったのでネギだけだったが、あれにショウガをブチ込めばラーメンスープになる。美味、美味。
 1枚は単純にフライパンでアスパラ&茄子と一緒に焼く。これも美味。ビールに、あ、発泡酒にピッタリ。
 親鳥は100グラム128円。何時も買っているスーパーの若鶏モモ肉よりは少し高いけど、まあ、エエ感じやで。
 
 夕方からの仕事を終えて、車でラジオを聞いていたら板東英二が野球の解説者で出てた。
 聞いてたら珍しく板東英二の意見に納得する。
 板東英二曰く、「日本のプロ野球は温室栽培みたいなものではないのか?」と。場所が東京ドームだったからなんだろうが、「オリンピックには阪神と広島の選手を出せばエエのではないのか?」と。両方、天然芝のグランドだし。等々と、オリンピックの代表に関して、結構厳しい批判をしてた。
 何やら、日本の野球ボールの『お下がり』がキューバに行っているそうな。だから、キューバの選手にとっては野球のボールが多少大きくなろうが、小さくなろうが、関係ないらしい。かなりハードな環境で野球をやっているらしい。
 それに比べると日本代表選手は温室栽培みたいなもんなんだろう。非常に恵まれた環境、『風も吹かないドーム球場』なんぞもあるわけだし。
 老いたが、元はプロ野球選手の板東英二がエラい批判してた。
 まあ、私は別にオリンピックに興味がなく、「オリンピックのせいで33分探偵の放送時間が30分も遅れてもうたやんけ!
」というぐらいのもんであって、あ、あと「ニュースの時間にスポーツニュース、っちゅうか、オリンピックのニュースが多過ぎるんじゃ、ボケ!」ぐらいなもんなんだが。

 親鳥は人気がない。理由は単純に『固い』からだろう。
 でも、固いから美味いのだが。

 昼の休憩で部屋に戻ってテレビを観てた。多分、関西ローカルの『たかじんのそこまで言って委員会』という番組。
 左翼について話してた。まあ、内容は別にエエわ。
 番組を見ながら、ふと思ったのだが、「大人は汚い」っちゅう事。
 『大人は汚い』っちゅうても、じゃあ、ガキは純粋か?純粋なガキがイジメをするのか?「僕達学生だし、未成年だし」なんぞで『イジメ』という恐喝や暴力がまかり通ると思っているガキが純粋なのか?
 私は私のガキ時代を考えても決して『純粋でした』なんぞとはよう言わん。それよっか、「大人は汚い」なんぞという事で自分がさも純粋であるような幻想を持っていた事に対する『汚さ』を感じる。
 「先生!○○君が悪いんです」
 だろ。
 「僕は決して悪くないんですぅ~」
 だろ。
 それが純粋か?

 北京オリンピックは終わったらしい。すんまへん。ホンマに興味ないんです。日本代表の野球よりも阪神戦の方が興味あるんです。
 中国でオリンピックを開催するには相応しくないと云う声があるらしい。
 え~と。。。世界で、どっか相応しい国があるのかなぁ。。。
 あった!憲法9条があり、戦争放棄している日本だ!
 って、お前。日本で路上生活して死んでる人、居るやんけ。
 別に人間が『ちゃんとした部屋で住まなければならない』とも思わんが、路上生活がイヤで、仕事が貰いたくて、仕事がなければ生活保護が受けたくて、でも、生活保護も受けれなくて、っちゅう人も居るやんけ。
 日本にどれだけホームレス状態の人が居るねん。
 日本に定住している外国人、『元日本人』で、そのまま日本で住まれている在日コリアンに税金だけ払わせて参政権を与えないのは何処の国やねん。
 「中国はオリンピックを開催するに相応しくない!」って、何を「ボクたち純粋だもんね」みたいな寝言をヌカしとるねん。
 その話は別に「日本だって、アメリカだって開催するに相応しくない国だけど、そんな人権無視をする国があってはならない。だから中国もオリンピックを開催するに相応しい国になって呉れ!」と、ちゃうやろ。
 「ボクたち、純粋だもんね。何も悪い事なんてしてないもんね。」やろ。
 「先生、先生。○○君がウンコをしたんだよ~」やろ。ウンコぐらい誰だってするだろう(蒼井優ちゃんを除く)。逆にしない方が腹にパンパンにウンコを詰まらせて汚い塊やんけ(蒼井優ちゃんを除く。何故なら蒼井優ちゃんは天使が老廃物を持ち去ってくれるから)。

 
   食わずには生きてゆけない。
   メシを    野菜を
   肉を     空気を
   光を     水を
   親を     きょうだいを
   師を     金もこころも
   食わずには生きてこれなかった。
   ふくれた腹をかかえ
   口をぬぐえば
   台所に散らばっている
   にんじんのしっぽ
   鳥の骨
   父のはらわた
   四十の日暮れ
   私の目にはじめてあふれる獣の涙
   (石垣りん『くらし』)

選択出来る時代

2008年08月23日 | 坊主の家計簿
 8月23日

 雑費  コピー&メール便      150円
 外食  磯辺揚げ蕎麦        326円

 合計                476円
 8月累計           137003円

 御仕事でバタバタと。っちゅうか、そんなに忙しくはなかったのだが、昼過ぎの法事が本堂であって、本堂に入ると「あ、切子(お盆の飾り付け)を外すのを忘れてた」で、バタバタと。急いで脚立を取りに行って、天上からぶら下げている切子を外して解体して仕舞い込む。法事の前に大汗かいてもうたやんけ。。。もっと前に気づいて外しとけよなぁ。。。昨日、飲みに行く前に外しといたら良かったのぉ。。。

 と、変な汗もかいた事だし、今日は法事もあったし、部屋でゴロゴロ。
 なんか、ようやく夏休みが終わった感じ。あ、夏休みの疲れが取れて、気分が『新学期モード』っちゅうやつですかい。なんか、そんな感じでっせ。

 しゃて、宗教。
 ブログのコメント欄に靖国神社の問題に関して少しあり、別の意味で関心を惹かれる。
 靖国神社は『神社』なのだ。神道なのだ。神道の神社に仏教徒が祀られている。しかも英霊として。仏教徒にとってはイヤに決まってまんがな。そら、分祀を求める裁判ぐらいしたなりまっせ。

 日本人の宗教意識。結構あやふや。当然、何かの信仰を持たれて居る方は別だが。
 日本の無宗教=習俗なんだろうし、仏教徒でも習俗に流される場合が多々ある。

 江戸時代には檀家制度があった。あれは江戸時代の制度なんだが、いまだに続いている。ほれ、『家の宗教』ってありまんがな。家に仏壇があって、特に何宗かは関心がなかったりする。その宗派の教えに興味がなかったりする。
 当り前である。押し付けられた宗教なんだから。興味がなくて当然である。
 ある意味、「家が浄土真宗だから私も浄土真宗」というよりも、それに対して反発する方が豊かな宗教的感性を持たれている。浄土真宗の教えを聞いて関心を持たれ、自分で判断するのなら別だが。「うちは浄土真宗」と固定化された宗教というのは、まさに『習俗としての伝統仏教』にしか他ならないし。
 また、不幸な事に、檀家制度の江戸期には檀家を離れる事が、ほぼ出来なかった。
 「あの坊さんに世話になったし、素晴らしい人やから、あそこに移りたい」と云う事がほぼ認められなかった。
 その意識がいまだに続いている。

 戦争中に奪われた寺の鐘に対する『怨(ハン)』が、長野県の片田舎のお婆ちゃんに対していまだに『石の鐘』を吊らせている。でも、婆ちゃん曰く「戦争の心配がなくなったら石の鐘を下ろす」みたいな事をDVDの中で語ってはった。

 江戸時代は終わった。終わったが檀家制度に対する怨みはまだ消えない。檀家制度で奪われた宗教に対する関心が、いまだ完全に自由になったとはいえない。

 信仰は自由なものだ。自由に選べる時代である。

仏弟子のこだわり

2008年08月22日 | 坊主の家計簿
 8月22日

 食類  海鮮ちらし       200円
     鯖甘酢あんかけ     100円
     白魚          100円
 雑費  歯磨き粉        298円
     エスカップ12     628円
     するめ         105円
     タンガクラブビール   500円
 外食  唐揚げ定食       850円

 合計             2781円
 8月累計         136527円

 純粋飲みでタンガクラブへ。
 酔うた。。。しかも、帰りに天下一品で唐揚げ定食(こってりラーメン+唐揚げ+白飯)を食べて、お腹満腹で眠い。
 クソ、昨日の続きで今日は裁判員制度について書こうと思てたのに。。。
 
 少しだけ。
 死刑判決を出す仏教徒は『仏教徒』と呼べるのか?仏弟子として『死刑判決』を出すのか?
 裁判員制度の中で死刑判決を出し、かつ、葬儀や、法事は仏教式でやる『仏教徒』。

 今は戦時中と違って、死刑判決を出さなくとも逮捕されない。全く問題がない。
 にも関わらず、仏弟子として死刑判決を出すのか?
 別に社会主義者ではない。共産主義者でもない。単なる仏教徒である。仏弟子である。
 仏の弟子。仏法を学ぶ人間が仏性の可能性を忘却して(大乗仏教徒に限るのだろうが)、死刑判決を出す事は絶対にあってはならない。
 それが、仏弟子、仏教徒だろうが。別にアカでもなんでもなく、仏教徒としてのこだわりだろうが。

 以上、寝る。

念仏にだけはこだわる

2008年08月21日 | 坊主の家計簿
 8月21日

 雑費  歯医者         2350円
     洗濯洗剤         298円
 食類  海鮮ちらし        200円
     豚バラ          269円
     発泡酒2         370円
     ぶっかけうどん       68円
     もやし           29円
     うどん玉          28円
 
 合計              3612円
 8月累計          133746円

 仕事始め。朝から涼し~い。エエ感じ。最高気温も40数日振りに30℃を下回ったらしい。
 
 予約していた歯医者に行く。歯石&歯の掃除。担当は『元理想の眼鏡っ娘』
 ついでに褒められる。「いや~、兄ちゃんって、近年稀にみる好青年やね」ではなく、歯の手入れが上手になったとの事。8ヶ月振りの歯石取り&掃除なんだが、それ程汚れて居ないらしい。
 「全てあなたに対する愛です。」
 等と言う事もなく、歯石取り&掃除をして貰う。

 帰って来て、爆睡。なんか、やっぱり、夏休み疲れやのぉ。。。

 『大山の草庵跡』っちゅうのがある。この夏休み旅行でも行こうとしていたのだが、なんせ準備不足、情報不足と云う事で、行く予定をしていた前日の夜、つまり水戸で泊まっている時に地図を見て断念。最寄りの駅から8キロぐらいあるやんけ。ヘタしたら10キロ近くあるやんけ。往復歩くだけでも4時間やんけ。と云う事で断念。次回にしよ。
 『大山の草庵』は親鸞が法然の3回忌を勤めたとされている所。今は『草庵跡』で石碑しかないらしいのだが、なんか行きたい。
 どんな法事だったのか知らないが、基本は廿五日の念仏と同じなんだと勝手に思う。

【聖人の廿五日の御念仏も、詮ずるところは、かようの邪見のものをたすけん料にこそもうしあわせたまえと、もうすことにてそうらえば、よくよく、念仏そしらんひとをたすかれとおぼしめして、念仏しあわせたまうべくそうろう。】(親鸞)
 
 念仏相続の法事。念仏に対して弾圧をする人達に念仏を伝えて行く為の決起集会としての法事なんだと勝手に思う。

 ここ暫くの間に複数から「大谷派は高木顕明を隠そうとしているのではないのか?」という意見を聞いた。
 え~。。。毎年本山主催で『遠松忌』(http://www.icho.gr.jp/enshoki/)という仏事をやっているはずなんだが。。。まあ、それだけでは御不満なんでしょう。というか、自分達の『思い』に適わない限りは「大谷派は高木顕明を隠そうとしているのではないのか?」なんだろう(笑)1996年に名誉復権して12年。『12年!』でっせ。それでも仏事をやっている。12年と云うと13回忌でんな。最近、都市部では3回忌までが多い中、まあ、御苦労なこった。
 この法事にも行きたいのだが、まあ、今は無理だな。ただ、どういう法事をやっているのかは気になる。

 高木顕明と云う人は、なんじゃかんじゃ云いながらでもやはり『社会主義者』でもあった。
 那智の瀧の近くに、え~と、阿弥陀寺やったけな?そういう寺があり、その寺に『紀南北部社会主義者の碑』とかいうのがあって、当時の多くの社会主義者達と、つまり、友人の先祖である大石誠之助なんぞと一緒に名前が書かれている。
 高木顕明は真宗僧侶であると同時に社会主義者でもあった。

 念仏申す僧侶が別に社会主義者だろうが、共産主義者であろうが、構わない。念仏者であるのなら。念仏申す生活の中で、それぞれの生き方として選ばれたのだろう。
 だが、当り前の話なんだが、『社会主義者=念仏者』ではない。
 まあ、『社会主義者=念仏者』にしたい人が「大谷派は高木顕明を隠そうとしているのではないのか?」と云っているのかも知れないが(笑)
 
 当然、社会主義者にはなる必要もないし、また、なる人も少ないと思う。全学連、全共闘世代の人達ならまだしも。
 
 高木顕明と比べると地味な人に竹中彰元がいる。この人は残念ながら社会主義者ではなく、単なる寺の僧侶でしかなかった。よって社会主義坊主からは無視され隠されているのかも知れない(笑)
 高木顕明を最初に知って、その後に竹中彰元を知った。この人は頑固だったらしい。資料を引っぱり出すのが面倒なのであやふやな記憶で書くが、なんせ法事を3時間やったらしい。その間、読経中に来ている人が騒ぎ出すと怒る様な頑固ジジイだったらしい。で、僧侶であった竹中彰元は戦争に反対した。
 多分、このジジイ、失敬、竹中彰元は頑固だったのだ。今でも居てまんがな、頑固な坊主って。あれでっせ、あれ。頑固で、仏教に対しては一切の妥協を許さない。故に、戦争なんぞに賛成出来るわけがない。頑固なのだ。頑固ジジイなのだ。

 ネットで落ちてた資料みっけ。山内小夜子さんが書いた資料が一番なのだが、探すのは面倒なのでこれで紹介。
 http://www1.ocn.ne.jp/~yosisi/newpage2.htm

【(1)日中戦争開始2ヶ月後の同年9月15日、出征軍人の見送りに村人500人と垂井駅へ向かう途中、ある村民に「昨日千人、今日三千人と沢山な死傷者が出て悲惨なことだ。一体戦争は罪悪である。国家は莫大な費用を空費し、損である。戦争はもうこの辺で止めた方が、国家として賢明である」と語り、(2)また10月10日にも、同村不退寺で開かれた7人の僧侶の会合の席上で、「今度の事変について、各自の決心を定めねばならないが、自分は戦争は沢山な彼我のの人命を損し悲惨の極みであり、罪悪であると思う。今度の予算も厖大なものである。保定や天津を奪ってどれだけの利益があるか。戦争はもうここらで止めた方がよい。これ以上の戦争は、侵略だ」】(上記リンクより)

 ただ、頑固な念仏者であるだけで充分ではないのか。

夕焼け小焼け

2008年08月20日 | 坊主の家計簿
 8月19日

 外食  回転寿司        577円
 雑費  DVD(13日)    2600円
     温泉マッサージ    1000円
     ジュース        120円
 食類  葡萄ジュース2      99円
     発泡酒2        316円
     讃岐そうめん      199円
     ハラミ         544円
     塩           198円
     焼肉のたれ       198円
     ピーマン         68円

 合計             5919円
 8月累計         130134円

 DVDは『夕焼けこやけで ~石の鐘のこだまは・・・~』( http://www.emori.com/sukoburu/ishinokane.htm)。記入漏れしてたわけでんな。
 
 今日は夏休み最後の日なので御近所温泉でまったりと。温泉帰りの定番、焼き肉屋は今日は辞め。代わりにスーパーでハラミを買って食べる。
 んで、DVD『夕焼けこやけで ~石の鐘のこだまは・・・~』を観る。
 作品としては、ちょっとうっとうしいな。ちょっとクドいし。それでも観る価値は絶対にあるし、価格も安い。一家に一枚とは云わんが、一つの寺に一枚は必要やろ。買うべし、買うべし。絶対に買うべし。

 童謡、っちゅうのかな?

 ♪夕焼け小焼けで 日が暮れて
  山のお寺の 鐘が鳴る
  お手々つないで みな帰ろう
  からすといっしょに かえりましょ

 は、和田先生が法話で話されていたのが印象的だった。
 「普く衆生と共に、安楽国へ往生するだっぺ。」っちゅうやつでんな。
 独りではない。『みな』である。『からす』とも共にである。

 先日、定期巡回ブログ(http://www.magadha.net/horyu/log/eid1004.html)を読んでて初めて知ったのだが、何やら8月15日の靖国神社前では『南無阿弥陀仏』の旗を持った坊主集団が抗議行動をしているらしい。映画『靖国』ではそういうシーンが無かったと思うし、靖国神社は東京だし、私は大阪なので知らなかった。
 8月15日の靖国神社。当然、映画『靖国』の中で菅原氏が語っていたように靖国神社は何一つ変わっていない。というか、『国家』の枠は『宗教法人』というだけなので、遊就館という戦争賛美の場所があるわけだし。
 だが、当然の如く、現在の靖国神社は国家のものではなく、単なるその辺の神社、寺、いわゆる新興宗教団体の教会等と同じ『宗教法人』でしかない。現在、国の財政がピンチであり、宗教法人に対する税制面での優遇がなくなれば、当然、靖国神社の税制面での優遇処置もなくなるはずである。あくまでも、その辺の宗教施設と全く同じ宗教法人でしかない。
 宗教には、当然の如く、その宗教を大切にして居られる方々が居てる。
 これまた、当然の如く、その宗教に対して、様々な意見、批判を持たれている方々も居てる。オウム真理教なんぞが端的だろう。今は名前を変えておられるらしいが、やはり偏見の目が厳しいだろうし。
 で、8月15日の靖国神社である。
 8月15日の靖国神社は、やはり、靖国神社を大切にして居られる方々にとっては特別な日なんだろう。さっき靖国神社のホームページを見たら、特別の祭典には当っていないらしいが、『「日本の声 英霊に感謝する集い」放鳩式』という行事はやられているらしい。
 祭典の日でなくとも、やはり靖国神社を大切にして居られる人達にとっては『8月15日』という日は特別な日なんだろう。その辺は、映画『靖国』によく描かれているし。
 その大切な日、靖国神社に対する信仰を持たれている人達にとって大切な日に、『南無阿弥陀仏』という旗を持って抗議行動をする仏教者とは一体どういう仏教者なんだろうか?
 
 逆で考える。例えば、そんな無礼な事をする人は居ないと思うが、葬儀の日に、『南無妙法蓮華経』という旗を持った人達が「念仏申せば無間地獄に堕ちるぞ!」と抗議行動をとられたらどうするのだろうか?

 当然、「批判するな」という話ではない。「後で話し合いましょう」と云う事である。

 信仰とは微妙な事である。当り前である。それが『宗教』という事なんだから。
 当然、『宗教』であるが故に、他宗教から見ればおかしな事が沢山ある。
 当然、靖国神社にだってある。だが、恐らく『8月15日』という日を大切にして居られ、「靖国で会おう」と云う事を戦友と約束した方々も居られ、宗教として『靖国神社』を大切にして居られる方々も沢山居られる。その人達にとって特別な日であるが故に、わざわざ何処から来て居られるのか知らないが、わざわざ8月15日に靖国神社に参拝しに来られるのだろう。
 
 他人を無視する。その人が大切にして居られる大切な大切な日を無視して、いや、その日を狙って『南無阿弥陀仏』の旗を持ち、抗議行動をするような『南無阿弥陀仏』とは一体どういう『南無阿弥陀仏』なんだろうか?
 他人を無視して、そこに住んで生活して居られる方々を無視して、あるいは『救わなければならない』『近代化せねばならない』等の『正義』でもって、国家協力があったにしろ、『南無阿弥陀仏』の旗を持ち、先の戦争での戦争協力と何処が変わるというのか?

 先日行って来た『稲田の草庵』。親鸞が関東で一番長い事住んでいた場所であるのだが、ここはほぼ『稲田神社』の敷地内であったのではないかとされている。
 行った時は小雨が降っていたし、「トイレ、トイレ」と小便をしたかったので稲田神社には行かなかったが、稲田の草庵跡にある西念寺に行く山道(?)から神社の鳥居が見える。写真だけは山道(?)から撮って来たのだが、まあ、そんな所にある。
 昔の稲田神社はデカかったらしい。伝承によると8キロ四方の広さがあったらしい。当然、稲田の草庵は『その中』に入る範囲である。
 親鸞はそういう中に居た。そういう所に住んで、念仏の教えを広めて居た。
 当然、当時は神仏習合の時代である。そういう時代の中で、そういう環境の中で、親鸞は念仏の教えを説かれていた。
 稲田神社に親鸞は『信仰』としては用事がなかったはずである。『ただ念仏』の人だから。
 だが、その『ただ念仏』は排他的なものだったのだろうか?『南無阿弥陀仏』の旗を持ち、8月15日の靖国神社、靖国神社を大切にして居られる人達にとっては、とても大切な日に、その場所で抗議行動をするような『ただ念仏』だったのだろうか?

 稲田の草庵の近くに元山伏だった親鸞の弟子の寺がある。稲田駅の隣の駅だったのだが、駅から4キロ程あり、歩きだったので時間的に断念して次回に行くつもりなんだが。
 その山伏(ちなみに弁円、親鸞の弟子になってからは明法坊)は、親鸞を殺そうとした。親鸞を殺そうとして稲田の草庵に親鸞を殺しに行った時に、出て来た親鸞が『ごく自然』に面会したので、心打たれて山伏を辞め、親鸞と同じ念仏者になったらしい。
 多分、親鸞にとっては山伏だろうがなんだろうが、同じ『煩悩具足の凡夫』にしか過ぎず、でも間違いなく同じ仏性を持つ、つまり『仏になる可能性を持つ人』でしかなかったのだろうし。
 
 当然、親鸞にとって、山伏弁円は『敵』ではない。『敵』があれば『ただ念仏』なんぞ崩れ落ちてしまう。

 ♪夕焼け小焼けで 日が暮れて
  山のお寺の 鐘が鳴る
  お手々つないで みな帰ろう
  からすといっしょに かえりましょ

2008年08月19日 | 坊主の家計簿
 8月19日

 諸々  そば         310円
     水          110円
     バス往復       720円
     清水でメシ      810円
     ジュース       120円
     そば         410円
     するめ        137円
     発泡酒        218円
     レモンティー     120円
     チャーシューメン   850円
 食類  雲海         880円
     発泡酒        198円
     じゃこ        219円
     キュウリぬか      99円

 合計            5201円
 8月累計        124215円
 
 東京に用はないので、さっさと退散。
 車窓から海を見てたら、海に行きたくなったので静岡・清水へ。
 駅前の海は全然感じよくないのだが、何やら『三保の松原』っちゅう所があるらしい。エエ加減歩くのもしんどいし、やたらと暑かったのでバスで行く。
 バス停を降りたら『生桜海老天ぷら』やったかな?そんな蕎麦屋の看板が出てた。腹も減ったので蕎麦屋に入る。桜海老かき揚げ冷やしおろし蕎麦&桜海老のおにぎり&黒はんぺんのオデンを食べる。蕎麦自体も結構美味かったし、かき揚げも逸品で美味かった。けど、初めて食べた『桜海老のおにぎり』が特に美味かった。っちゅうか、旅行中は麺類ばっかりで、飯系を殆ど食べてなかった事もあるのかも知れないが、でも、美味かった。
 
 三保の松原。別に名所に興味はなく、目的は海なので、海でぼんやりと。っちゅうか、しばらく寝る。風が強かったけど、晴れてて気持良かった。帰りのバスに乗ったら激しい夕立が降って来たけど。
 
 そのまま大阪に帰る。せっかくの青春18キップなので、そのままJRで帰宅する。駅に着いたら日付変更ギリギリの0時前。
 帰りに近所のラーメン屋でラーメン食べて、酒が切れかかっていたので近所のスーパーで明日の朝ご飯用の食材と一緒に買う。
 
 帰宅する。ヘロヘロでふ。んが、荷物の後片付けをして、シャワーを浴びて、家計簿、家計簿と。明日になったら面倒になるかも知れんし。

 今日、海を見に行く途中でセミが死にかけてた。っちゅうか、セミの死骸だと思たら、「ウギギ」と。まだ生きてたのね。
 セミは声を出すまでに数年もかかるらしい。土から出て来て、羽が生えて声を出す。で、死ぬまで声を出すのだろう。
 法然が書いた私の好きな言葉。大切にしたい言葉。

【現世の世を暮らすべき方法は、念仏がとなえられるように暮らしなさい。念仏のさまたげにきっとなりそうであるならば、どんなものでも、あらゆるものを嫌い捨てて、これをおやめなさい。いうなれば、聖の生活をしていて、念仏が申されないならば、妻をめとって申しなさい。妻をめとって申されないならば、聖の生活をして申しなさい。一つところに定住して申されないならば、遍歴して申しなさい。遍歴して申されないならば、家に住んで申しなさい。自分の力で衣食を調えて申されないならば、他人に助けられて申しなさい。他人に助けられて申されないならば、自分で衣食を調えて申しなさい。自分だけで申されないならば、仲間と一緒に申しなさい。一緒に行動して申されないならば、一人だけで籠って申しなさい。】(法然)

親鸞と、お国言葉

2008年08月18日 | 坊主の家計簿
 8月18日
 
 諸々  水                  76円
     タンメン              600円
     切符(関東鉄道・下館→下妻)    600円
     ジュース              120円
     切符(関東鉄道・下妻→水海道)   720円
     発泡酒               161円
     切符(関東鉄道・水海道→取手)   660円
     モツ煮込み&ビール&ラーメン   1590円
     カプセルホテル          4300円
     アイス                62円
     のど飴               100円
     中野坊主バー           4500円
     東京ちゃんぽん           420円

 合計                  13909円
 8月累計               119014円
 
 歎異抄を書いたとされる『河和田の唯円』の寺へ。これも当然、立派になり、また場所も変わったらしい。んが、御参りする。
 
 で、私は歴史的発見をする。唯円って、茨城の人だったら『だっぺ』だろう。なんか歎異抄の中には、まあ、当時の文章を書く時のルールなんだろうが『標準語』(とは云わんが)で書いてある。言葉のやりとり、親鸞と唯円との言葉のやり取りでも茨城弁が出て来ない。まあ、原典はしゃーないのだろうが、現代口語訳にする時には『だっぺ』でないとおかしいのではないのか?
 という、非常に下らん事を思いつく。ちゅうか、当時の茨城の人がどういう言葉を使ってたのか知らんし。当時は『夷』ではなかったのだろうが、それでも『関東』である。平将門が国を作った関東である。まあ、都言葉ではなかった事だけは確かだろう。
 親鸞の高弟には地元の名士が多かったのだろうし、ひょっとするとその人達は都言葉に近いものを親鸞と会話する時には喋っていたのかも知らんが、唯円はどうやら違うみたいだし、やっぱり『だっぺ』か。

 と、まあ、下らん事を考えながら歩く。
 でも、親鸞って、言葉をどうしてたのだろうか?越後でもそうだったのだろうが。
 今でも田舎の年寄りなんぞで『訛り』というか、その土地の言葉で喋る人が多いと思うのだが、昔は尚更である。なんせテレビがない時代なんだから。ラジオもない。だから、お国言葉バリバリだったと思うのだが。
 親鸞は都に居たから、都言葉か。越後でもエリートは都言葉を理解出来ても、庶民はどうだったのだろうか?
 関東でも。「『だっぺ』って、何の意味でおじゃるか?」とかと聞いて居たのだろうか?

 言葉って、凄く大事だと思う。
 例えば大阪人の私は東京弁のイントネーションで喋られるとそれだけでムカつく。これは決して私だけではなく、結構多くの大阪人が感じる事だと思う。多分、東京から引っ越して来た学生は『東京弁を使っている』というだけの理由で充分イジメの対象になると思うし。
 ましてや、鎌倉時代である。親鸞の言葉に抵抗を感じる人は多く居たと思う。その人達の中に親鸞はどうやって溶け込んで行ったのだろうか?
 やはり、自分の言葉を大切にしたのだろうか?それとも積極的に関東の言葉を吸収し、使いこなそうとしたのだろうか?なんとなく、後者である気がするのだが。

 後に、『小島の草庵跡』に御参り。ついでに親鸞ゆかりの寺である『光明寺』にも御参り。
 で、またまた電車に乗って横曽根門徒の『報恩寺』へ。疲れたので発泡酒注入。
 
 関東親鸞ツアーの〆は石岡にある『親鸞聖人お経塚』へ。
 ここは、今井雅晴『茨城と親鸞』によると、親鸞が何かの祈願の為に『阿弥陀経』『観無量寿経』『無量寿経』の全文字26600字余りを小石に一文字ずつ書いて埋めたという伝承が残って居る所である。鹿島神宮の方が有名で、時間があればそっちに行きたかったのだが、時間の都合で石岡の方に。
 夜もとっぷり暮れて、腹も減ったので駅前にある食堂でモツ煮込み&ビール。写真で美味そうだったのでラーメンも食べる。ラーメンが駅前の食堂のわりにはかなり美味かった。特にスープは絶品やったな。
 
 電車に乗って東京へ。翌日の事を考えると東京泊まりが便利だし、せっかく関東方面に来たのだから引っ越しリニューアルの中野坊主バーへ。
 のち、カプセルホテルで寝る前に、狙ってた『日高屋のタンメン』が閉店時間の都合で食べれなかったので、関西にもある『リンガーハット』っちゅう長崎チャンポンのチェーン店で、東京限定らしい『東京チャンポン』を食べる。ああ、どこで飲んでても〆にも麺類を食べたがる私やのぉ。。。

関東へ

2008年08月17日 | 坊主の家計簿
 8月17日

 諸々  そば          280円
     伊香保定食       700円
     コーヒー        160円
     まっぷる茨城      840円
     ビジネスホテル    3900円
     ラーメン        700円
     餃子ビール       890円
     発泡酒3        492円
     水            78円
     コロッケパン       70円

 合計             8110円
 8月累計         105105円

 信越本線で長岡へ。長岡から上越線→両毛線→水戸線で稲田へ。
 茨城の稲田には親鸞が関東で一番長く住んでいた『稲田の草庵』っちゅうのがある。今は『西念寺』という立派な寺になっているが。また『玉日廟』という恵信尼の墓もある。
 そこに御参り。
 ついでに笠間まで歩く。笠間には『光照寺』というこれまた親鸞ゆかりの寺があり、そこを目指して歩く。
 え~。。。途中で『まっぷる茨城』を買ったのだが、道に迷う。ちゃんと調べてなかったし。
 んが、迷いつつも色々な所を歩けた。多分、親鸞が歩いた道。親鸞が見た風景。。。なんだが、コンビニまであるのね。当り前、っちゅうたら当り前なんだが。勝手に昔観た『親鸞・白い道』という映画のシーンを思っていたので、コンビニがあった事に少々戸惑う(笑)
 
 道に迷ってたら、笠間でお祭りをしてた。夕暮れ近いし、エエ感じ。なんだが、警官やら、近所の人やらに場所を聞いて光照寺に到着。山門があるのかないのか憶えていないのだが、なんとか寺の中に入れて御参りする。っちゅうても念仏するだけなんだが。
 
 昔に親鸞が関東にやって来て、色々な門弟達に伝えた念仏。多くの地に念仏者が育ち、門徒集団が教団となり、今日がある。
 西念寺が草庵時代には考えれないような立派な寺になっても、変わらずに念仏はある。当時と全く同じ『南無阿弥陀仏』という念仏。同じ念仏がある。

 後、水戸へ。安いビジネスホテルがあったし、次の日の予定を考えると水戸で泊まるのが適切だったので。ホテルにチェックインしてから夜の街へ。。。が、ない。夜の街がない。「そんなわけないやろ!」と思いつつも「ホテルで聞いて来れば良かった。。。」と反省。しゃーないのでコンビニで発泡酒を買ったついでに飲屋街を聞く。で、目指して歩く。
 日曜日、恐るべき日曜日。。。っちゅうか、水戸って県庁所在地だったのね。そのせいかなんか知らんが、閉まっている店が多い。別に贅沢をしたいわけでもなく、単に飲屋街を歩いた後に、適当なラーメン屋で『餃子ビール&ラーメン』という夜の黄金セットで〆にしたかったのだが。。。
 ようやく見つけたラーメン屋へ。なんか違う。こじゃれた店。でも、腹がぺこぺこだったのでラーメンだけ食べる。後に、フラフラしてたら駅の近所でラーメン屋を発見したのだが、何やら閉店時間が近いと云う事で、餃子とビールを1杯だけ飲んで、後はホテルで〆の発泡酒を。っちゅうか、街を歩きながら発泡酒を2本飲んだのだが。