坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

休日

2007年10月31日 | 坊主の家計簿
 10月31日

 古本  新撰組の哲学       220円
 雑費  温泉マッサージ      800円
 外食  焼肉ビールメシ     3670円

 合計              4690円
 10月合計         105684円

 休みなので大爆睡。やっぱりお疲れやったみたいやね。まあ、前の休みも飲み歩いてゆっくり寝られへんかったし。
 夕方に起きて『チーム・アメリカ ワールドポリス』っちゅう娯楽映画を観て、御近所温泉&マッサージ機。古本買って、焼肉ビール飯。

 すっかり眠い。。。
 エエ感じの休日や。

『なにか』

2007年10月30日 | 坊主の家計簿
 10月30日

 雑費  缶ミルクティー      120円
     レンタル5        525円
     公文学費        2100円
     タバコ          300円
 食類  手羽元          201円

 合計              3246円
 10月累計         100994円

 レンタルは
 『パッチギ! LOVE&PEACE』
 『さくらん』
 『チームアメリカ・ワールドポリス』
 『西洋鏡』
 『天使のくれた時間』

 ふ~。。。ようやく明日休み。前の休みが6日7日の連休で、それからずっとやから、よう働いた。結構外出もしてたので、今日は部屋でダラダラと。ダラダラ、ホゲ~っと脳味噌休憩。11月半ばにデカイ法要があるし、それに向けて休息しとかな。
 なので、レンタル三昧。

 『さくらん』
 原作漫画を先週読んで気に入ったのでレンタル。
 え~。。。主演を沢尻エリカにした方がよかったと思うのだが。。。原作のイメージに土屋アンナはぴったりかも知らんが、映画やねんし、芝居せんとアカンねんし。。。
 まあ、でも、『自由恋愛』っちゅうのを考えるにはエエ映画やな。
 多くの女性に『恋愛の自由』なんぞなかった時代の記号としての『遊郭』。
 でも、なぁ。。。映画やねんしなぁ。。。主演もアカンし、映画としてもイマイチ。

 『パッチギ! LOVE&PEACE』
 まあ、続編の方が面白かった映画は少ない。っちゅう事で。前作が圧巻やっただけに、今回はなぁ。。。前作は賞レースを総なめやったけど、今回はアカンやろ。
 ただ、『人権映画』として観たら評価は出来る。前作で賞レースを総なめしたし、金も儲かったし、「もうエエやん」で、商業映画で人権作品を作ってみたかったのかもしらん。
 けどなぁ。。。商業映画やねんし、映画として面白くなかったらアカンと思うのだが。。。正直、ラスト辺りの乱闘シーンなんぞ『お約束』みたいな感じでシラケるし。その前のシーンがよかっただけに、残念やなぁ。。。
 けど、前作がヒットしたので、今回の作品も話題にはなる。前作からの期待もあって、今回の映画で取り上げたテーマが話題になったりする事はエエ事や。
 http://news.livedoor.com/article/detail/3179891/
 その部分では、「エエ仕事しはったな」っちゅう感じやな。

 と云う事で、お疲れモード。
 きっと、両作ともお疲れモードじゃなかったら沢山の事を問われていた映画だと思う。
 
 『さくらん』なら、吉原って、塀の中にあったんだし。そこから逃げられない場所にあったんだし。
 
 『パッチギ! LOVE&PEACE』なら、映画中に「売国奴」っちゅうセリフがあったけど、朝鮮人にとっての『売国奴』とは朝鮮民族の魂を日本人に売り渡す事やねんやろうし。

 『さくらん』なら、最後に主人公が好きな男と吉原から逃げるし。

 『パッチギ! LOVE&PEACE』なら、最後に在日の名告りをあげるわけやし。

 両方、自由を求める。解放を求める。

 暮らしの安定なら、『さくらん』の主人公は男と逃げ出す事なく、主人公に惚れた結婚相手の武士と一緒に吉原を出れば良かったんだ。でも、しなかった。好きな男と逃げた。
 『パッチギ! LOVE&PEACE』なら、まあ、「働く意味をなくした」事もあるけど、別に在日の名告りをあげる事なく、スターとして生活しててもよかったんだ。

 当然、両方とも『わがまま』である。多くの人達に迷惑をかけた。
 でも、それでも『せざる得ない、なにか』がある。
 当然、その場で我慢している人達もおられる。でも、『なにか』がある。

 後鳥羽上皇から寵愛を受けた、松虫・鈴虫が出家する事(http://www7a.biglobe.ne.jp/~anrakuji/anrakuji/yuraibox/story2.htm)が直接の引き金になって、法然門下の弾圧→死罪・流罪になった。親鸞も流罪になった。
 親鸞は、後鳥羽上皇達に「あなた達は仏法に背いた」とは批判しているが、別に恨み言なんぞ云ってない。
 で、事件の発端である松虫・鈴虫に対しての愚痴なんぞも聞いた事がない。「お前等が我慢しといたら、俺は流罪になんてならんでも済んだんや」と、『思った』かも知らんが、当然、すぐに慚愧するやろ。親鸞なら。
 松虫・鈴虫が出家せずにおられない『なにか』。

 黒船が来た。その事によって、水戸学がもてはやされ、尊王攘夷でGO!GO!の『なにか』。
 美しい日本への『なにか』。

 抱き合う。抱き合いたい。
 相手を相手として尊重し、私を私として尊重されたいから。
 そういう『なにか』。

人生エロエロ

2007年10月29日 | 坊主の家計簿
 10月29日

 薬局  エスカップ12    628円
     目薬         278円
 
 合計             906円
 10月累計        97748円

 そうか。。。『吉兆』っちゅう料理屋は大阪にもあったのか。。。っちゅうか、大阪が発祥やってんね。
 同じ大阪には賞味期限ギリギリの商品を激安で売ってくれるスーパーもある。小市民の私は『半額』と云う言葉に弱いし、保存食系の『麺つゆ』なんぞでも、「まあ、賞味期限が過ぎてもなんとかなるやろ」と平気で買ったりする。食品添加物は大したもんでっせ。調味料系なんぞ冷蔵庫に放り込んでるから、賞味期限なんぞ殆ど気にした事がない。一年経ってようやく捨てた中華味噌もあるし。タマに使ってたのだが、「そろそろヤバイかな?」と(笑)
 吉兆や、赤福なんぞはブランドイメージを大事にするから『偽装』になったんだろうけど、スーパーのお惣菜コーナーを見習ってやな、賞味期限が明日までなら10%オフから始めて、最終は半額にまでしたらエエのに。閉店3時間前から半額とか。

 食べ物を捨てる事程「貧乏やのぉ。。。」と思う事はない。タマに居酒屋なんぞに行って、みんなで注文すると食べきれない程の料理が並ぶ。あれを見ると、ホンマに「貧乏やのぉ。。。」と思う。

 沖縄・波照間島の某民宿に泊まった時に一番それを感じた。多分、学生スポーツ選手ぐらいでないと絶対に食べきれないボリュームの料理が並ぶ。だって、昼過ぎに到着した時に、「兄ちゃん、腹減ってないか?」と出て来た料理が他多くの民宿の晩ご飯よりもゴージャスで、ボリュウム満タンだったし。あれは、波照間島がどれだけ貧しかったのかを証明してるのかな?それとも中国文化の影響を受けているからだろうか?私には貧しい時代をくぐり抜けたから、わざわざ来てくれた旅人には精一杯のおもてなしとして、お腹一杯食べて貰いたいという気持ちだったんだと感じたのだが。

 最近、気になる娘さんに『宇都宮まき』がいる。YouTubeでは最近、宇都宮まきの出ているのを何度も観ている。私が大ファンのメッセンジャーあいはらと仲がよく、テレビで初めて観たのもあいはらが出ている番組だったのだが、健気なエエ娘さんなのである。
 で、大食いであるらしい。しかも家が貧乏で、お腹いっぱいに御飯を食べた事がなく、自分が大食いである事に気づかなかったと云う娘さんである。御飯をお腹いっぱい食べれる喜びいっぱいの娘さんである。
 なんせ、子どもの頃にお父さんの仕事が上手い事行かずに(今もらしいが。。。)、給料が段々と減って来て、その事で両親が「どうしよう」と話をした後に、お母さんが「はぁ」とため息をもらして家族全員に「今日はごちそうやから」と云われた娘さんである。しかも、その『最後の晩餐』になりかかった時に出て来た『ごちそう』が「色々な芋がいっぱい出て来た」と云う娘さんである。
 たまに御馳走を食べれると「夢やった」って、「でも頑張って生きてたら、またいつかあの夢が見れるかも知れない。って思ったら頑張って生きれるんですよ、人って。凄くないですか人って」と云う娘さんである。
 
 素晴らしい。。。終戦直後の日本人はこうやって生きて来たのだろう。
 で、いまだに居酒屋なんぞにいくと食べきれない量の料理を注文する文化が続いて来ているのだろう。あれは絶対に戦中戦後の後遺症でんな。欲の。

 そういえば、記録するダイエットが流行っているらしい。名前忘れた。
 毎日の体重を計ったり、毎日自分が何を食べたのかを記録するダイエット方法があるらしい。
 まあ、家計簿をつける事によって出費をチェックしている私にはよく解る方法である。で、家計簿をつける事によって出費も減ったやろうし。だって、それまでは出費なんぞチェックしてなかったから、自分がどれだけ使ってたかも知らんし。貯金が増えたから、多分、出費も減ったんだと思う。

 私のダイエットはエエ加減なものである。だって、ウエストが今のジーンズなんぞを履けたら別にエエわけやし。あんまり痩せ過ぎて、逆にウエストがワンサイズ下がって出費がかさむのもイヤやし。現状維持で充分。

 でも、ダイエットって、『何か問題があるから』やと思う。私なら「うわ!ジーパンがパンパンやんけ!」やったのだが。
 自分に問題があるから始める。
 仏教みたいやな(笑)
 で、毎日、自分の体重を記録したり、自分が何を食べたのかを記録するのがダイエットなら、真宗仏教は我身が罪悪深重煩悩具足である事を知る。知らされる。
 自分の体重が何キロであるのかを『知った』事によって、自分が毎日どれだけのものを食べているのかを『知った』事によって、ダイエット出来る。

 私は毎日家計簿をつける事によって貯金が増えた事は事実である。
 真宗仏教を学ぶ事によって、とりあえず以前から知ってくれている周囲の人達から「こいつはこれでも優しくなってんで」と云われるし。
 何度も書いたが、別に『優しい』事が良い事だとは全く思わない。結果を条件にする事は差別だし。だから、別に優しくなんてなる必要もないと今でも思う。
 でも、自分がどういう存在なのかぐらいは、つまり『私と出会う』事は大切やと思う。
 後の結果なんてどうでもエエやん。放っといたらエエねん。

 家計簿つけてるからよく解るけど、例えば今月は29日の段階で97748円である。今月は書けない裏金(教団や所属寺に対する金等)もあるし、でも、まあ、こんなもんや。
 でも、数字で安心して「今月はまだ買い物出来るやんけ」とか、数字でストレスを感じて逆に出費が増えたり(笑)
 んなもんや。数字と云う尺度やねんし。比較でんな、数字との。点数でっせ、点数。点数ならエエ方がエエ。不良でも、学校の点数は気にならんでも、不良の点数があるやろ(笑)んなもんや。
 放っとかれへんもんでっせ。

 ん?何を書いてるねんや?長期ロード中の最後辺りやし、ワケ解らんぞ。

 「私は粗食で、質素な生活を送っています。」っちゅうのも欲やろ。贅沢な生活をしている人を見下してないか?別に見下しててもエエねんで。それが人間やろうし。
 んなもんやろ。

 自分が世間等の色々な条件から判断した自己点数で評価が高ければ自分は問題にならない。問われない。
 自分が、自分の選んだ道での自己評価を高く評価する事があるから、例えば、仏教の道を歩んでいて、「私は自己評価でも、周囲からの評価でも高得点を上げた」と、慢心できたら、『慢心』やねんから、一から出直しが出来る。『一』の人と一緒に成れる。まあ、慢心を慢心と気づかんとアカンねんやろうけど。
 と、『近年まれにみる好青年』は思う。来年40なんだが。。。一応『好青年』っちゅう事で。
 欲、ばっかり。
 人生、エロエロでっせ。色々のエロエロでっせ。

 しゃて、定期巡回して、まだ見飽きてない宇都宮まきちゃんのYouTubeを観て寝よ。
 あ、来週の『マルコポロリ』にも、まきちゃんは出るらしい。って、関西ローカルかな?よく知らん。ビデオ予約やな。YouTubeにアップされるかどうか解らんし。

私の味

2007年10月28日 | 坊主の家計簿
 10月28日

 食類  カレー粉         1080円
     冷凍シーフード2      396円
     お好み焼き粉         78円
     和風キムチ         188円
     ローレル           78円
     唐辛子            78円
     マーガリン         178円
     芋焼酎          1980円
     冷凍うどん2        176円
     麺つゆ2          176円
     冷凍ピラフ色々4      400円
     ポン酢            85円
     だしの素2種        196円
     ゆかり            85円
     インスタント麺4      145円
     餃子            128円
     韓国唐辛子         198円
     茄子            128円
     人参             88円
     玉ねぎ            98円
     ちくわ            39円
     ミンチ           299円

 合計               6297円
 10月累計           96842円

 うわ、かなり横着して書いたけど、打ち込むだけで疲れる程のお買い物。保存食系を中心に。
 最初はカレー粉が切れたので、カレー粉を買いに行っただけなのだが、滅多に行かないスーパーなので珍しく色々と物色しているうちに大量に。。。いや、3件ハシゴしたからやねんけどな。スーパーを。
 部屋に帰って来て、カレー作り。ホールトマトがまだあるのでトマトカレー。大量に作ったので、これも冷凍保存。
 
 しかし、口内炎が。。。2週間程前から出来たのだが、外食が多くなったせいか、全く治らん。野菜系がどうしても足らんようになるし、栄養も偏るし。
 なので、カレー。
 部屋中がカレーの匂いに包まれてエエ感じや。

 先日、『吉兆』やったけな?京都の老舗料理屋の板前さんがニューヨークの和食を体験しに行くと云う番組をやってた。スポンサーがキッコーマン。解りやすいのだが、多分一流料亭ではキッコーマンは使わんと思うのだが。。。まあ、エエ。
 ニューヨークで、『ニューヨーク化』した和食を、それこそ家庭料理から一流レストランまで食べ歩いておられた。フレンチのソースのベースに『昆布出汁』を使った料理とか。
 板前さんは研究熱心な方で、それぞれの料理を食べて感動しておられた。保守的に「こんなものは和食ではない!」と云う事なく、アメリカの家庭料理にまでなった『和食』を、様々な家庭で変化した『和食』を感動して食べておられた。

 ティク・ナット・ハンは、アメリカに行かれた時に「あなたたちのブッダを見せていただきませんか」と云われたらしい。

【仏教が仏教であるためには、仏教が役立とうとしている、当の社会の、心理と社会に適合するものでなければなりません。】(ティク・ナット・ハン『ビーイング・ピース』より)

 空の行者、ティク・ナット・ハンらしい言葉だ。上座部仏教は知らんが、大乗仏教の精神やろ、これが。

 当然、『国家』だけの枠組みではない。まずは『一人ひとり』である。

 醤油は最早『アメリカの調味料』らしい。家庭料理で日常に使われる調味料らしい。まあ、私らもマヨネーズとかケチャップとかを日常に使ってるし。
 カレーと云う、インド→イギリス経由の食べ物、日本で『カレーライス』として『家庭の味』になってるし。きっとそれぞれの家庭のカレーライスの味があるのだろう。

 『感話』と云うのが好きである。その人が出会った仏教。それを伝える。
 「私はこのように聞きました」と。
 で、
 「え?私はこのように聞いたけど」と、互いに尊重し合いつつ、批判しつつ、評論しつつ。

 今日のカレーはトマトカレー。
 作り方。
 1 ホールトマトを鍋に適当な水と共に。冷凍保存してた『寄せ鍋つゆ』と、中華スープの素を適当に。あ、唐辛子も。
 2 ミンチ肉を炒めて、脂が散々出て来たらカレー粉を投入してまた炒める。
 3 それを鍋に放り込んで、ついでにローレル&赤ワイン&砂糖を適当に。
 4 タマネギを適当に切って、多めの油で強火で炒めて焦がす。『茶色』ではなく、焦げ目を付ける。で、鍋へ。
 5 人参を炒めて、鍋へ。
 6 前回残りのカレールー(2かけ)を投入して、塩で味調整。
 7 御飯の上に炒めた茄子とタマゴを置いて完成。

 きっと、他人に喰わせたら様々な批判が出るだろうけど、まあ、私には美味かった。
 焦げ目がついたタマネギはラーメンスープで使う手法。結構、いけまっせ。他人には知らんが。
 明日は、これに大根おろしが入る予定。
 
 レトルト商品になると、スタンダードな『ボンカレー』。
 私は、私しか食べないので私好みのカレー。私が私の為に作るカレーをボンカレーの味に似させる必要はないし。

 今日返却だったので、『虹の女神』を観てた。2回目。まあ、好きな映画やし。
 最後辺りに、死んだ女の子が、男の子に書いた手紙が見つかる。
 それがあなただから、好き。そんな手紙。

老僧

2007年10月27日 | 坊主の家計簿
 10月27日

 外食  鰯天蕎麦        326円
 雑費  タバコ         320円
     スポーツドリンク    100円
 食類  塩ラーメン風おにぎり  138円
     大根半分        120円
     無添加ワイン      438円
     ちくわ          68円
     ゆず白菜        138円
     生姜漬         168円

 合計             1816円
 10月累計         90545円

 圧倒的に睡眠不足なので、「眠い、眠い」と仕事から帰って来て爆睡。
 でかい法要まで20日を切ったので、そろそろ一年に一回しか使わない声明の練習を開始しないといけないのだが。。。まあ、一番の難関はちょっと前に準備OKにして置いたのでなんとかなるか。っちゅうか、「なんとかしろ!」っちゅうヤツでんな。

 昨日の講義に老僧が来ておられた。今はもう前住職。周囲は自分の後輩だらけ。
 でも、変わらずに話を聞きに来られる。自分の後輩達の話を聞きに来て、後輩達を「先生」と呼ぶ。
 それは仏法を聞きに来られているから。法を説かれる『先生』に対しては当然の如く「先生」と呼ばれるのだろう。
 単純に、凄い。

 昨日の講義中、講師の先生が某所で話した皮肉(?)として笑いながら、でも真面目に、「あなた達は、仕事だから話を聞きに来ているのですか?それとも何か『聞かずにはおれない』気持ちがあって聞きに来られているのですか?」と若い僧侶達に話した事を、話されていた。
 一番、「ギク!」とした言葉。
 正直、昨日は雑用もあったし、「ついで」的な部分が多々あったので。

 老僧の寺には行った事がない。でも、行った事のある先輩に聞くと、老僧の寺には沢山の『門徒さん』が来られるらしい。仏法の話を聞きに。
 決してイコールではないのだろうけど、でも、老僧自身が『前住職』となった今日でも、大学時代の同級生達が次々と亡くなられたり、大病している中でも、いや、『だから』なのかもしれないが、変わらずに聞法を続けられている事と、老僧の寺に多くの『門徒さん』が聞法に来られている事は無関係ではないと思う。

狭いのぉ。。。

2007年10月26日 | 坊主の家計簿
 10月26日

 外食  チャンポン定食    880円
     カツ丼        600円
 雑費  ウーロン茶      100円
     タバコ        300円
     タクシー      5150円
 飲み代 ドグラマグラ    1100円

 合計            8130円
 10月累計        88729円
 
 仕事後、講義。
 →メインバーへ。
 確か、「早く帰ろう」と『予定』はしてたのだが、何じゃかんじゃで終電車はなくなる。
 「あれ?ひさしぶりですやん!」と、旧知の兄ちゃんと会って、え~。。。

 しかし、30歳の娘さんと恋愛話ししててやな、で、30歳という、冷静に考えると『バリバリ女人』を『娘さん』として捉えるのはオッちゃんやなぁ。。。かなりベッピンさんやってんけど、『娘さん』やねんなぁ。。。オッちゃんやなぁ。。。エエ娘さんやってんけど、『女人』ではなく『娘さん』やねんなぁ。。。
 オッちゃん、大丈夫かなぁ。。。30歳っちゅうたら、女人バリバリでっせ。
 出家でもしたろかなぁ。。。あ、出家したら酒飲まれへんのか(笑)

 あ、ちなみにオッちゃんは39歳ね。ターゲット狭いのぉ。。。『ターゲット』っちゅうか、人間性か。。。狭苦しい、やっちゃのぉ。。。

生ずるものはすべて滅するものである

2007年10月25日 | 坊主の家計簿
 10月25日

 雑費  ガソリン代      451円
 外食  回転寿司       340円
     味噌カレーラーメン  680円

 合計            1471円
 10月累計        80599円

 仕事後、学習会。珍しく『飲まない会』なので、愛車HONDAスーパー孫一に乗って行く。
 
 学習会。到着したら、まだ誰もいない。「よっしゃ、ラッキー!」と空腹だったので近くの中華料理屋へ。
 初めて行く店だったので色々とメニューを物色する。
 「あ、カレーラーメンがある」
 私の夢の一つに『カレーラーメン専門店』っちゅうのがある。基本、麺類好きやし、ラーメン好き。カレーラーメンはカレーより遥かに好き。でも、専門店がない。京都に一時期あったのだが、すぐに潰れやがったし。『カレー』と『ラーメン』と云う日本人が好きな食べ物を二つ合わせた食べ物が不味いわけがないのだが、でも、やはりその魅力を引き出せないでいる店が多い。
 やはりベースは豚骨であろう。クセのある豚骨スープもカレーと合わせる事によって。。。
 
 ちゃう、ちゃう。カレーラーメンの話と違うねん。
 その中華料理屋に『カレーラーメン』の隣に『味噌カレーラーメン』と云うのがあって、店のオバちゃんに「これ何?」と。で、注文する。味は、味は。。。え~。。。多分、努力すれば美味しくなる可能性は秘めていると思う。。。
 
 の、『味噌カレーラーメン』を喰って学習会へ。

 今日は『転法輪経』を中心に。

 【生ずるものはすべて滅するものである】

 という、仏教では当たり前の言葉が出てくる。
 この言葉を苦を実感出来る状態なら、暖かく新たな光に満ちた言葉だろう。
 幸福の真っ最中なら、イヤな言葉だろう。
 全く同じ言葉でも。

 今日は満月だったのかな?月灯が綺麗だった。綺麗で元気がイイ月灯だったので、帰り道に山の方に行って、もっと月灯を感じたかった。
 でも、まあ、明日も仕事やし、仕事があるし。私がやれる事があるわけやし。

 【生ずるものはすべて滅するものである】

 その仕事も何時まで出来るかどうかなんぞ解らない。だからこの言葉は少し怖い。
 でも、最近辛かった事があったから、いや、その『辛さ』があったからこそ、この言葉が暖かく感じる。希望の光。
 
 『怖い』と感じたのは「何時までもこの状態が続いてもらいたい」という欲望。
 『辛い』のは絶望。
 生身のドロドロした人間なので色々な感情が交差する。

 欲望は絶望に変わる。欲望だから絶望に変わる。

 酒が無くなった。。。わっちゃ~!!!

 【生ずるものはすべて滅するものである】

 酒が無くなったら、明日買いに行けばエエ。今の時間でも欲しけりゃ外出したら売ってりゃ。
 欲望は充足される。充足される事によって、延々と苦しむ。
 『苦しみ』と感じる事が出来れば。

 『生』の苦しみ。「生まれて来てしまった」
 『苦』=『思う通りにならない』
 そうやって、様々に傷つく。
 
 「クソ、ボケ!あの女が!」
 思い通りにならない他人を責める。
 或いは自分を責める。「あの時に何故。。。」等と。

【「われらは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。ーーーこのことわりを他の人々は知っていない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる。】(ダンマパダより)

 ありがとう→有り難い。奇跡。

壊れもの

2007年10月24日 | 坊主の家計簿
 10月24日

 外食  ラーメン       304円
 雑費  シップ        733円
     歯磨き粉       278円
 食類  無添加ワイン     438円
     味噌コンニャク     98円

 合計            1851円
 10月累計        79128円

 ジョゼ!!!!!
 と、思わず叫ぶ。
 まあ、毎度ながらワケ解らん話やろうけど、『ジョゼと虎と魚たち』を観れば解る。
 これを借りたのは非常に単純な理由で、近所のレンタル屋の『上野樹理コーナー』にあったから。別に上野樹理が主演でもないし、それ程ファンでもないので放ったらかしにしておいたのだが、そろそろ観るのも少なくなって来てやな。。。「まあ、エエか」で借りたのだが、無茶苦茶ヒットやな。池脇千鶴とか云う娘さんが素晴らしい。セリフも芝居もイマイチやけど、それを越える迫力がある。よって、別にファンにはならんけど、この映画での池脇千鶴は圧巻やな。

 ジョゼはお婆ちゃんに「壊れもの」と呼ばれる。
 ジョゼは壊れものだから『関係を欲する』。
 人が居てる、その事を『奇跡』みたいに感じる事が出来る。
 でも、ジョゼはワガママだ。
 だから、また、独りになる。

 心を許す事が出来る。だから『わがまま』になれる。
 その人の前では。

 専修学院出戻り別科時代に最初に竹中先生から云われた事。
 「まずはゆっくりと休みなさい」

 丁度、ジョゼみたいな女の人に振り回されてボロボロになってた。
 一方的に、好きで好きで、好きで好きで、どうしようもなかった。でも、片思いは破れる。
 仕事なんかやる気になれなかったし、辞めて、専修学院に逃げ込む。

 専修学院と云う坊さん養成道場と云うか、まあ、専修念仏道場の別科生の主な役目は下級生(?)の本科生の食事作り。勉強は2の次。っちゅうか、それが勉強なんだが。。。『場』作りやし。
 春に入学。当初は評判がエエ。「お前の料理は暖かいのぉ。。。」と、某アル中(?)先生にも褒められたし。
 で、段々と調子に乗る。
 料理はキライじゃないし、好きな方。アイデア満載なので、調子に乗って段々と変な料理を作り始める。標準語かどうか知らないが、かなり『あざとい』料理を作り始める。記号に囚われた料理を作り始める。
 「食べて貰いたい」が、趣味の料理作りになる。
 当然、『あざとい』し、『記号に囚われている』ので、「目指せ厚生省推薦1日30品目!」とか、「京野菜を使うぜ!」とか、そういう方向には向かうのだが、「食べて貰いたい」と云う気持ちが慢心しまくる。傲慢なあざとい料理。

 それは『おにぎり』に出る。
 同じ別科生で、調理が苦手なヤツが居た。でも、そいつの『おにぎり』は絶品だった。
 残った御飯に同じフリカケを混ぜこんで、同じ所から一緒に握るのだが、でも、自分が作った『おにぎり』よりも、どう考えてもそいつの作った『おにぎり』の方が美味しいのだ。
 当然、腹が立つのだが、毎週作るわけやし、エエ加減に「こら、アカンな」と。だって、私もそいつの作った『おにぎり』を食べたかったし。
 あれが、料理の基本なんだろうな。
 一流の料理人でも「料理は愛情!」とか云うのがよく解った。

 ジョゼは料理が上手い。いや、『美味い』かな?
 ジョゼはきっと最後まで彼氏と一緒に居れた事が嬉しかったに決まってる。と、思う。
 ジョゼの料理は『美味い』に決まってる。喰った事ないが。
 「あんた、眼を瞑って。真っ暗やろ。それがうちが居た所や」
 みたいなセリフがある。
 絶望。でも、そこでちゃんと生きている。でも、光を見て、絶望だったと知る。
 でも、それは奇跡。『有り難い』事。
 だから、ジョゼは生きて行く。

 誰だってジョゼではないのか?
 んなもん、どっか『壊れもの』に違いない。
 それが『個性』だろうに。
 ただ、器用に『合わせられる』のか、『合わせられない』のか、の違いだけ。
 世間に。

 しかし、無添加ワインは脳味噌直撃やのぉ。。。

『私』が決めつける

2007年10月23日 | 坊主の家計簿
 10月23日

 食類  かずのこ        100円
 雑費  さくらん        105円
     戦国の軍師たち     105円
     銭湯          390円
 外食  穴子蕎麦        378円
     とんこつ        600円
 飲み代 焼鳥         3210円

 合計             4888円
 10月累計         77277円

 惜しい。。。何故『77277円」なのだ。。。これが『77777円』なら何となく目出度いではないか。。。別にパチンコはせえへんけど。

 今日は公文の提出日。1週間分のテキストは昨日までにやってしまったので今日は提出のみ。
 「娯楽!」っちゅう事で銭湯へ。後に先日教えて貰った焼き鳥屋へ。噂に違わず美味しかった。特にスナズリの周囲を集めた『ズリスジ』は逸品やな。
 帰りに、とんこつラーメン。いや、スープ茶漬けを食べようと思ったら閉店やったし。銭湯で体重を量ったら65キロやし。2キロ減。どうりで寒いわけや。ウエストは毎日のチャリでなんとかなってるし、ウエストさえなんとかなったら別にエエし。冬場は脂肪がないと寒い、寒い。

 出かける前に『間宮兄弟』を観る。
 関西で云う所の『大阪ほんわかテレビ』とか『ちちんぷいぷい』とかのジャンルの映画やな。ずっとレンタル中の人気作なのも解る。

 焼き鳥屋のお伴には漫画『さくらん』。映画の方が気になってて、焼き鳥屋近くのブックオフでお伴を探してたら売ってたのでゲット。

 夏休み旅行の新潟ツアー。三条別院っちゅうのも行って来た。早朝の法話が聞きたかったので、宿も近くに。
 毎度の飲屋街を探してたら、結局三条別院っちゅう寺の近くが一番の飲屋街。
 私は行かなかったけど、スナックとかラウンジとかも一杯あった。客引きの兄ちゃんも居ったし。
 昔は遊郭みたいなのもあったらしい。

 ふと、想像する。昔の真宗坊主と、昔の遊女との出会い。
 
 『遊女』『女郎』『売春婦』。余り良いイメージではない。おおらかだった性風俗の時代でも、今程キツくはないにしても。
 でも、そういう生き方をしている人達が居る。今も居る。
 仕事に貴賤もなければ、生き方に貴賤もない。ただ、そういう仕事であり、そういう生き方なだけの話。
 でも、誰かが決めつける。誰か『人間』が作り出したもので、生きている生身の人間を縛る、支配する、差別する。
 人間が作り出した宗教、思想、道徳等で。

 「おおきな御世話じゃ!ボケ!」

【 もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であって、低級な者であって、智慧の劣った者であるならば、これらの人々はすべて(各自の)偏見を固執しているのであるから、かれらはすべて愚者であり、ごく智慧の劣った者であるということになる。】(スッパニパータ 並ぶ小編より)

 当然、私も決め付けの激しい愚者である。智慧の劣った者である。
 賢者は人を裁く事を問題視しない、出来ない。だから賢者である。
 賢者を裁ける資格は愚者にはない。何故なら愚者とは賢者の中にしか存在しえないから。賢者が慚愧した『時』だけが愚者であるから。
 愚者が賢者を裁くのなら、それは愚者でなく賢者である。
 同じ人間である。
 賢者は愚者を『同じ人間』として見出せない。
 だから、差別も偏見も『当たり前』になる。
 
 でも、賢者も同じ人間である。苦しまないわけがない。
 苦しむ事がないのは逆に反差別運動の中で『正義』を振りかざす事に精一杯の状態の人達ぐらいだろう。『精一杯」だし、そんな余裕はない。

 漫画『さくらん』。当然、漫画である。誰かが書いたもの。作者の精神世界。
 一人の遊郭で生きる女性を描いた漫画。

 どんな生き方をしても、人間は人間。
 「あいつは人間ではない」と、どんな立場であっても云ってしまったら、云った本人は人間を忘れて居る事を正直に告白しただけ。
 そんな哀しい生き方をするのも人間。
 辛い時は人を踏みつけるし、暴力だってふるう。
 でも、大丈夫。
 人間だし。

 人間だから痛みを感じる。絶対に。

 私が誰かを同じ人間として見出せない状態、『敵』を作る。
 だからこそ、私は
 【私はあなたを決して軽蔑しない。何故ならあなたはいずれ仏に成られる御方だから】
 と。
 それは、私がその人を『間化』していたから。尊敬出来ないから。
 でも、共に『同じ人間』として尊敬されているから。
 それが嬉しいから。
 だから、軽蔑する事は間違いだし、尊敬するしかない。
 そういう道。

 こうやって毎日、酔っぱらってウダウダと書き込んで居る。
 でも

【あたかも牢獄を逃れるごとく 人はみな自己の前を逃れんとすれども
 世に一つの大いなる奇跡あり 我は感ず「いのちみな生きらるべし」】(リルケ)

 だからエエねん。

『人のセックスを笑うな』

2007年10月22日 | 坊主の家計簿
 10月22日

 食類  海鮮ちらし       200円

 合計              200円
 10月累計         72389円

 昨日借りて来た『蟲師』を観る。
 ちなみにうちのMacの壁紙が蟲師の蒼井優ちゃんである。
 なので、バンバン登場して来るのかと思いきや。。。残念やなぁ。。。まあ、綺麗な和服姿の蒼井優ちゃんの姿を観れて満足なんだが、作品としては私には興味なかった。というか、映画としてどう?っちゅう話やな。
 好みはあるにしても原作を知らない私にはストーリ展開が分かりにくかった。まあ、原作はヒット作らしいので、その人達向けの映画かな?

 そういや、昨日観た『好きだ、』も、どう考えても主演は永作博美やと思うのだが、宮崎あおいになっている。『好きだ、』ので永作博美の演技は素晴らしかったし、ある映画祭でも助演女優賞を受賞しているのだが、どう考えても主演やと思うねんけどなぁ。。。

 次回、永作博美『初主演』になる映画は『人のセックスを笑うな』と云う。
 すっかり永作ファンになったし、蒼井優ちゃんも出るのでチェック。

 22時からのNHKスペシャルで天才数学者の話をやってた。ちょうど21時から『ガリレオ』とか云うオモロイTVドラマを観てたので、勢いで観る。
 何やら、100年間誰も解けなかった数学の難問を解いた人が、数学の名誉ある賞の受賞を拒否して失踪したらしい。番組はその難問の話もやってたんだが、数学は『ゼニ金の計算』以外は苦手な私には全く理解出来ない。
 『ガリレオ』の終わり辺りで福山が云ってたセリフで
 「文系の人間は伝統を受け継ぐ。理系の人間は伝統をぶっ壊す」みたいな事を云ってたが、私は『それ以前』やし。
 文系でも理系でもなく、『面倒系』っちゅうか、まあ、めんどくさい。だからゼニ金の計算ばっかりしてるし。

 だからまあ、『人のセックスを笑うな』やないけど、『他人を馬鹿にするな』、っちゅうのはあるな。
 
 だいたいやな、『人のセックスを笑うな』以前の問題でやな、オッちゃんなんかな、オッちゃんなんかな、オッちゃんなんかな。。。とりあえず焼酎のお湯割をもう一杯作って来よ。

 『私』と云う、とても大切な私の視点から観たら、当然おかしな生き方をしている人も多々居る。
 きっと多く居てるのであろうけど、地毛が茶色い私には茶髪が解らん。何故染めたくなるのかが解らん。
 だから云う「ナチュラルが一番でっせ」と。え~。。。街に出る時にジェルで髪の毛立たしているのだが。。。「何処がナチュラルやねん!」の話でんな。

 難しい公式を解いて居られる数学者は研究室に何年も籠るらしい。ひたすら籠って、難問を解き明かしているらしい。

 仏教の歴史でもある。いわゆる『小乗』と云う。当然、今の『小乗仏教』ではない。研究室に籠っていた時代。
 でも、大乗の歴史の中で、誰が云い始めたのか知らないが、『小乗と呼ぶ事は差別だ』と云い出した人が居る。だから今は使わない。『部派仏教』と云う。
 そういう感覚って、好きだな。非常に大乗っぽい。
 というか、それが仏教だと私は思うのだが。。。
 
 当然、私は私の意見を云う。それが私の意見だし。
 で、私には私なりのセックスのやり方があって。。。あった。。。昔はあった。。。
 もう一杯、お湯割作って来よ。

 やっぱり電気ポット買おかなぁ。。。贅沢かなぁ。。。っちゅうか、電気ポット買ったらキリがないな。イチイチお湯を沸かさんとアカンから歯止めになってエエねん。

 あ、『人のセックスを笑うな』。人の生き方を馬鹿にするな。
 笑ってしまう、馬鹿にしてしまう。見下してしまう。=自慢と卑下の世界。そういう世界に生きている。そういう世界にしか生きていない。
 でも、それを『当たり前』にしたくない。一応、仏教徒やし。『義なきを義とす』の真宗門徒やし。肉食妻帯の。。。え~。。。焼酎お湯割はまだある。

 寒くなって来た。朝晩特に冷え込んで来た。
 人って暖かい。そんな事を感じた10月半ばの今日この頃。
 他人を無視するのでなく、他人に関心を持たないのでなく、他人との触れ合い『暖かさ』の中で、学ぶ。
 「ああ、あなたはそういう意見なのね」では冷たい。互いに互いの『自分』があるからこそ、エゴがあるからこそ、教えが大事になる。教えが必要になる。信仰が必要になる。
 「助けて下さい!」って。
 「私は教えなくしては、大切にしたい人とすら一緒に生きて行く事が出来ません。愛すれば愛する人ほど、一緒に生きて行く事が出来ません」って。

『好きだ、』

2007年10月21日 | 坊主の家計簿
 10月21日

 雑費  レンタル1        105円
     レンタル4        720円
 食類  きゅうりヌカ        99円
     法蓮草バター       100円
     焼き鮭          150円

 合計              1174円
 10月累計          72189円

 レンタル1は『蟲師』。
 レンタル4は
 『好きだ、』
 『間宮兄弟』
 『虹の女神』
 『ジョゼと虎と魚たち』
 観た作品もあるのだが、まあ、そんな気分。

 『好きだ、』を観る。多分、映画で観に行った以来。
 
 「あの頃は楽しかったね」
 と、
 「あの頃も楽しかったね」
 とでは全然違う。

 「好きだ、」と言えなかった10数年前。
 「好きだ、」と言えた10数年後。
 永作博美の「好きだ、」と云う言葉が聴きたかっただけで借りた。相手が眼が覚めた瞬間に云う「好きだ、」と云う言葉が聴きたかった。

 恋愛というやっかいなものを肯定する仏教は真宗だけなんだろうか?
 まあ、『やっかい』だから肯定するのだろう、真宗では。『在家主義』やし。
 「念仏申す事の出来る生活を選びなさい」と法然上人。
 それは罪悪深重煩悩具足の凡夫である事を確認出来る生活。やっかいな生活。
 「あなたの為」と自分のエゴを押し付ける。
 「あなたが好き」と自分を好きになって貰いたい。自分の想いをかなえたい。
 些細な事で一喜一憂する。
 自分が一番解って貰いたい人ですら、『道具化』している事をイヤがおうでも思い知らされる。だから一喜一憂する。
 一喜一憂出来る。自分が満足すれば喜ぶ事が出来、自分が満足出来なければ怒る事が出来る。その人が居るから。
 一人でない。その人が居るから。
 身も心も悩ます。一日中その人の事を考えて居たりする。落ち着かない。

 学習会は独りでは出来ない。真宗仏教の勉強は独りでは出来ない。僧(サンガ)。
 仏があり、法があるだけなら独覚。故に僧(サンガ)が必要。

 恋愛は身も心も悩ます。迷わせる。愛と云う欲望で迷わせる。
 好きだから、好きだから、好きだから、好きだから、好きだから、好きだから、好きだから、好きだから、好きだから、こそ、相手を観ようとしない、出来ない。『その人』を観ようとしない、出来ない。自分の『想い』が募る。
 煩悩具足の凡夫である。
 だからこそ、。それだけの欲が煩悩があるからこそ、相手を、自分の想いの他に『居られる人』だと、尊重。
 『想い』で縛るだけなら暴力。
 「俺がこんなに好きやのに、何故おまえは解って呉れない」と暴力。
 その人を、『その人』として見出せずに、『私が好きな人』と『私のもの』にしてしまう。

 「あなたは傲慢な人ですね」と竹中先生に云われた言葉を思い出す。
 
 私は傲慢である。

【無明煩悩われらがみにみちみて、欲もおおく、いかり、はらだち、 そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず】(親鸞)

 独りでは傲慢である事すら解らない。

灯の輪

2007年10月20日 | 坊主の家計簿
 10月20日

 食類  たまご        198円
     豪州牛肉       394円

 合計             592円
 10月累計        71015円

 夜。お買い物に出かけたらシンシンと。月の周りにボンヤリと灯の輪が出来てた。街灯にも輪が出来てた。
 「眼鏡のせいかな?」と思って、眼鏡をずらして見ても輪が出来てた。

 寒いのでコタツ布団をかける。

仏青

2007年10月19日 | 坊主の家計簿
 10月19日

 外食  生姜焼き蕎麦      347円
 飲み代 ドグラマグラ     2200円
     ピカソ        2200円

 合計             4747円
 10月累計         70423円

 仕事後、仏青へ。
 
 最近よく思うのだが、学習会は2人から出来る。一人では『会』にならないし。

戸締まり用心

2007年10月18日 | 坊主の家計簿
 10月18日

 雑費  爪楊枝        105円
     志         3000円
 外食  晩飯         768円

 合計            3873円
 10月累計        65676円

 仕事後に某寺の報恩講へ。『志』を家計簿に書くのもどうかと思うのだが、まあ、家計簿やし。
 行く前から結構バテてたんだが、先輩が久しぶりに絵解き説法をすると云う事で勉強しに行く。あ、『絵解き』の勉強じゃなく、『仏法』のね。
 体調は一向に回復しない。っちゅうか、当たり前なんだが。。。段々としんどくなって来て、講師の先生の法話終了後に早々に退散。ようするに飲み会には参加せずに退散。非常に珍しい。んが、しんどい、っちゅうねん。。。

 帰りに晩飯喰ったら元気が少し回復。単に栄養が足らんかっただけかい。
 とは云え、季節の変わり目で体調が崩れやすい時期やし、最近腹の調子もイマイチやったし、用心、用心と。

 『戸締まり用心』は他人を信じてないから。私が所有している『私のもの』があるから。
 「私のものは私のものであって、決して他人のものではない」から。
 「いつ何時、誰とも知らない悪い人が私の部屋に勝手に入り込んで、私のものを奪って行くかも知れない」から。

 私の部屋は4階にある。なので外出時に階段を下りている時に「あれ?鍵しめたかな?」と戻って確認する事多々。
 他人も信じてないし、変わりゆく私の人生も信じていない。それ以前に『私のもの』という意識が強いのぉ。。。
 『今の私さえよければイイ』それ以上でもそれ以下でもなく、それが私。
 寵愛している女官が法然門下に『奪われて』、法然門下を死罪・流罪に処した後鳥羽上皇と変わらない私の煩悩。当然、私に後鳥羽上皇を裁く資格なんぞない。
 ただ、『戸締まり』をしている事は本当はおかしい、と云う事を確認しあいたいが。。。
 
 あ、当然、うちの部屋に泥棒に入ったヤツはブチ殺す。

 ♪俺はお前を正確に殺る(町蔵)

 モードに突入でっせ。
 その事を「気持ちは解るが、おかしい」と、殺気だっている私に命がけで声をかけてくれる人が出て来てくれるまでは。
 だって、間違ってるし。

不都合な真実

2007年10月17日 | 坊主の家計簿
 10月17日

 食類  絹あげ            69円
     結びコンニャク       100円
     糸コンニャク2       100円
     おにぎり2         200円
     焼きイカ          100円

 合計                569円
 10月累計           61803円

 親分「おう、お前、内藤組の頭のタマ取って来い」
 子分「解りました。でも、金玉なんかどうするんですか?」

 から始まるネタでも書こうと思って、YouTubeで確認したら「金玉」って云うとるのぉ。。。目え瞑って何度も確認したんやけど。。。それにあの言い方で「打ってもええからな」やし。
 いや、別に亀田家を援護するつもりはないねんけど、大阪で「タマ」云うたら「命」の事やし。
 ついでに大阪で「アホか、お前!しばくぞ、ボケ!」は、「お前はオモロイやっちゃのぉ。。。」っちゅうぐらいの意味であって、決して言葉通りではない。そういうニュアンスの違いを書こうとしててんけど、確認したら、やっぱしちゃうなぁ。。。

 と云う事で、アル・ゴア氏ノーベル平和賞受賞記念『不都合な真実』。
 あ、映画『不都合な真実』に関する、不都合な真実もあるらしい。映画は観てないのだが、関連する報道を観た上での判断なんだが、まあ、『大げさ』なのだ。まあ、啓発映画やし、『大げさ』の方がショックがあって面白いし話題にもなるし、終末論は大切やし。全面核戦争なんぞが『ほぼ、おこらない』と解り始めた今日、違う終末論は大切やし。

 しゃて、紀元会と云う宗教法人でリンチ殺人があったらしい。(http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20071016-270215.html
 容疑者は女性らしい。
 「男は暴力的である」と云う事を言いふらす人達にとっては不都合な真実である。
 『男は暴力的である』と云う事に異議はない。ただ、「男だけか?」と言いたくなる。
 また、釈尊もガンジーも『男』なんだが。。。これも不都合な真実なんだろう。

 「こうあって貰いたい」なんぞの妄想は誰だってきっとすると思う。
 「男は暴力的だ」とか云う人達は『男だけが暴力的である』と云いたいのだろうが、事実はそうではない。全くの嘘である。妄想である。
 これは、「日本軍は酷かった」も同じ。確かに日本軍は酷かった。けど、『日本軍だけ』ではない。軍隊なんだし。だからその反動でもって『日本軍は酷くなかった』になる。どっちも妄想でしかない。

 そういう不都合な真実が出て来た時に、事実に対して『見つめようとしない』のか、それとも『しっかりと見つめて自分の事実に気づこうとする』のとでは道が違う。前者は『独りだけ』の世界であり、後者は共に生きようとする道である。ワガママはワガママであり、妄想は妄想である。
 誤りを『誤り』として、『間違って居た』と頭を下げられるのが強さだと思う。信仰の力だと思う。

 ただ、『信仰』と云っても色々な信仰がある。
 当然、それも認める。認めざるを得ない。色々な宗教があるのだから。
 色々な人達が、それぞれの宗教や、文化等の『違い』を生きて居られる。
 それを認めないのが差別である。自分(達)の色眼鏡で観た価値観でもって上下を付けるのが差別である。
 例えそれが、私にとって「ワケ解らん」であったとしても、それは単に私が理解出来ない、理解しようとしないだけの話でしかない。
 仏教は多くある宗教の一つでしかなく、大谷派教団は多くある宗教団体の一つでしかない。
 仏教が絶対正義であり、そこから他を裁き、大谷派教団が絶対正義であり、そこから他を裁くのであれば、釈尊も親鸞も不在ではないのか。

 不都合な真実。他者は他者として、そこに生きて居られる。
 きっと私と同じ『間違いだらけの存在』として。

 亀田家の大毅君は試合の最後辺りには泣いてた。顔が泣いてる顔をしてた。対戦相手の内藤大助君は試合をしてて一番よく解ったのではないのかな?と勝手に思う。
 だから、判決が下りたら許した。虐められっ子だった過去もあるみたいやし、『弱い人間』に共感出来たのかも知れん。亀田家イジメに『元虐められっ子』としてイヤな想いを受けたのかも知れん。「声をかけたい」と云ってはったし。

 『毅』。『毅然』の『毅』と『大助』。
 単なる語呂遊びなので、当然意味はない。