坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

境界知能とアベノマスク

2020年05月31日 | 坊主の家計簿

《現在、知的障害者の定義は「おおよそIQが70未満で社会性に障害があること」とされている。この定義によれば、それに該当するのはおよそ2%になる。

「実は1950年代の定義はIQ85未満とされていました。それを現代に適用すると、16%もの人が該当することになります。つまり、16%−2%=14%の人がかつては『軽度知的障害者』とされていた人々であるということになります。
世間で普通に生活していくためにはIQが100程度ないとなかなかしんどいと言われていますから、この14%の人々は生きる上でかなりの難しさを感じている可能性が高いのです。》

https://shiruto.jp/life/1921/


元知的障害施設職員として恥ずかしいというか、何というか、単に知らなかったです。当然、過去に境界域、私は「ボーダー」という言葉で知ったけど、そういう人たちが居ており、また、市民運動系でそういう人たちとの出会いもあったけど、人口の14%も居るという事は、結構なショックでした。

多分、これは私の生き方に問題があったのだと思います。先に「市民運動系での出会い」と書きましたが、それ以外では常に優秀さに憧れていて、優秀な人の仲間入りをしようとしていたからだと思います。そして、気付こうともしなかった。

いや、違う。意識から切り離していた、無関心だったかも。「アホやなぁ〜」と思うだけで、その他には気にもしなかった。仲良くなろうとも、しなかった。だから、14%という数字に驚く。


何かと話題のアベノマスク。うちにはまだ届いておらず、私にとっては最早記念品になるだろう。でも、手作りマスクを作ったりする知恵もなく、また、手拭いをマスク代わりにする知恵もなく、自分から感染症知識を得ようと出来ない人にとっては大切な事なんだと思う。

当然、圧倒的大多数な人にとっては必要がないのだろう。でも、それが必要な人も居る。


恩師から「普通とは各駅停車の事を言います」と教えて貰った。世間で言う「普通」は急行だったりするのかも知れない。飛ばす駅があれば普通とは呼べない。



仙人

2020年05月31日 | 坊主の家計簿

ブルーインパルスに賛美両論なのを観て「せやせや、世の中に色んな意見があるのが健全や」と思ってしまった直後に「いかん!何を仙人になっとるねん。アホか!」と気を取り直したけど、頭が疲れまくっていてひたすら眠いので、無茶苦茶寝ています。そら、仙人にもなるわな。


食堂のお婆ちゃん

2020年05月27日 | 坊主の家計簿
緊急事態宣言が出てから閉まっていた御近所食堂が開いていたので、久々に行く。座席の真上にあるテレビの音を聴きながら食べていたら、手が滑って御飯を落とす。少し焦るが、なんせ「焦る」という機能も低下している為に、立ち上がってジーンズについたお米を取っていたら、食堂のお婆ちゃんが濡らしたタオルを持って来て「これの方が取り易いよ」と。小さなゴミ箱も持って来て「これに捨てて」と。「私が拭いてもエエねんけど、ほら、ズボンの真ん中やん」と笑っていた。すいません、すいません、ありがとうございます、と言いながら、ジーンズからお米を取り終えて手を洗っていたら、「御飯足しとくからね」と言って、御飯が元の大盛りになって復活して来た。
なんか、嬉しくなった。会話は変わらずほぼ出来ないけど、物凄く子どもの頃に溢した御飯をお婆ちゃんやオカンが拾って食べていた事を思い出した。
帰り際にもう一度御礼を行って外に出ると少し元気になっていた。私って、かなり単純。でも、嬉しかった。

気力がない時は、DVDも漫画も読めなかったりする。流したり、眺めているだけ。集中なんて出来ない。でも、今日は漫画にハマる程度には元気が出た。多分、食堂のお婆ちゃんのお陰だと思う。

病院

2020年05月27日 | 坊主の家計簿
目が覚めたら雨が降っていた。という事を言い訳に病院に電話しなかった。うつ疑惑というのは厄介なもので、気力が出ない。でも、「ダメだダメだ」と否定するのも良くないし、気長に気力が出て来る事を待っている。

発狂しそうな退屈さは、今日も何とか乗り越えられた。YouTubeに落ちていた映画を見て、今は何度目かの漫画を読んでいる。起きる時間も遅く、もう一度寝たにも関わらず、また、睡魔がやって来た。脳味噌が毎日、毎日大変な状態。

ふと、強い者について考えていた。人間だって生物だから、強い者に憧れて、なりたいと思う。
私は弱く、病院にすら行けない。でも、否定しないし、否定出来ない。それは、私自身に対して無礼だから。また、弱い者に対して無礼だから。

「世間では」という言葉を竹中智衆先生はよく仰っていた。そう、世間では、私はダメだと言われるだろう。でも、阿弥陀の世界では違う。ダメも何もない。ただ、私が存在しているだけ。

仏教は縁起の教えである。私が私を否定する事、弱い私を否定する機運は、世界に広がる。だから、私は否定しない。弱い者が、弱い者として卑下する事なく、世間に「私は私です」と、生きて行く。「私には南無阿弥陀佛があります」と、生きて行く。

うつ日記

2020年05月25日 | 坊主の家計簿
 ブログを書くのは久々になる。Facebookで遊んでいたが、実名では愚痴り難い事も多々あり、ブログに復帰。誰が読んでいるのは解らない中で書くのはやっぱり楽だわ。

 鬱病になりました。医者が嫌いな為に厳密には「鬱疑惑」ですが。
 なんじゃかんじゃで大阪を離れる事になり、最愛の娘と離れ離れになりました。その事がずっと辛くて仕方がない中で、でも、再婚して、今度は息子が出来ました。
 仕事は知的障害者施設で働いていました。多分、後からFacebookに書いたのもブログにアップすると思いますが、かなりキツイ仕事でした。そんな中でも一生懸命働いていました。でも、心身は悲鳴をあげていたようでした。今から思うと謎の首が痛かったのも鬱病が原因だったのかも知れません。そんな中で私を心配した当時の相方から退職を強く勧められて、相方実家の家業(寺)を手伝う事になりました。田舎の寺だった為に、私の主な仕事は境内整備です。朝勤行後に朝食を食べて、作業着に着替えて、草刈りなり、竹林整備なり、雑木を切ったり。荒れ放題だったので仕事はナンボでもありました。でも、心身の状態は徐々に悪化して行き、障害者施設を辞めた翌年正月以降はほぼ動けなくなっていました。動く気力が出て来ないのです。朝勤行に出れないのは当然の事、トイレ以外では布団からも出る事が出来ません。当然、毎日ではありません。動ける時は動きますし、北国だった為に、冬場は「除雪」という重要な仕事があります。お墓参りの方の為に結構広い墓地の除雪もしなければなりません。でも、殆ど布団の中で過ごし、夜中に家族が寝静まった中、刺激が少ない中で、少し動いて食事などをしてました。
 そんな私を当時の相方は面白くなかったみたいでした。当たり前ですね。まだ新婚間もない私が、ほぼ会話も出来ない、布団から出て来れない状態でしたし。徐々に相方からの視線が冷たくなって、ゴミでも見る様な視線になりました。「悪い」とは思いつつも、そういう感性だけは敏感になっており、症状は益々悪化していきました。
 2月の末頃だったかな?ついに発狂して家を飛び出しました。相方から優しい連絡があって帰りましたが、それも僅かでした。人間なんて、多分、そんなものですし、仕方がありません。そして、2年前の5月だったかな?当時の私にとってはいきなり離婚を突きつけられました。人との会話が出来ない状態だった為に、また家を飛び出してメールでの離婚話です。抵抗する、説得する気力なんてありません。少しは当時の私なりに頑張ってみましたが、無理です。今は当たり前になりましたが、当時の私にとっては生まれて初めて、ストレスで過呼吸になり、出た結論は「もう、いいや」でした。今の部屋をネットで探して、賃貸住宅会社に無理を言って契約を急いで貰い、家に戻って荷物整理です。
 私は本を沢山持っていました。大切な本もありましたが、でも、「もう、いいや」です。寺だったので、息子の為に置いて行きました。引っ越しが多い割に子どもの頃からの宝物的な卒業アルバムなども「もう、いいや」で捨てました。色々と大切にしていたものがバカらしく思えて「もう、いいや」です。

 地元に帰って来ました。福島県南相馬市という選択肢もあって、実際に南相馬市で部屋探しなどをしていたのですが、やっぱり慣れ親しんだ地元を選びました。気軽に飲みに行ける店があったりする地元はやっぱり楽です。「もう、いいや」と思いつつも死にたくありません。
 数年ぶりに戻って来た地元での飲み方は無茶苦茶でした。「ウイスキーロックの水のように飲んでいた」らしいです。当然、倒れたり、道で寝たりする事が散々続いて、ある店から出入り禁止になった事で飲み歩きは自粛しました。よくぞ出入り禁止にして貰ったものです。あのまま飲み歩いていたら、財布もスマホも無くしていたでしょうし、当時も今も、私には手続きをする気力はありません。というか、それ以前に喧嘩したり、そういう心配もありましたね。無茶苦茶でしたから。

 それからは、大人しく引きこもっていますが、「バイクで旅行がしたい!」という衝動で、中型免許を取り、昨年の今頃は四国→九州→金沢という長距離ツーリングしたり、夏には東北に行きました。バイクといっても、クロスカブ110という小型2輪です。でも、少し改造して荷物を沢山積めるようにして、長距離ツーリングも楽しいですし、日帰りツーリングも楽しいです。

 今日、緊急事態宣言が全国的に解除発表されました。でも、他府県への観光は7月10日以降みたいです。地元、大阪は狭いです。もう少し若い頃であれば「他府県ナンバー狩り狩り」という遊びも出来たでしょうが、今はそんな気力はありません。バイクに悪戯される事はイヤです。
 緊急事態宣言などを含めた「コロナ鬱」という言葉がありましたが、それ以前からの鬱疑惑の私にとってもかなり辛い状態でした。でも、多くの人たちも大変な状態であり、「私は特別や!」はイヤです。だから、「緊急事態が早く終わりますように」と祈っていました。でも、私にとっての緊急事態宣言は一気に伸びてしまいました。

 私にとっての鬱病はワガママになります。ストレス耐性が、ほぼありません。そんな中で、今日は堪えました。「もう、どうすりゃエエねん」です。
 真っ先に考えたのはブロンです。一応は合法ですし、ラリれます。ブロンのラリりは「ボー」なので、7月10日までラリってりゃ終わります。でも、高いです。近くに非合法薬で有名な街もありますが、非合法薬も同様に高いです。入院も考えましたが、これは医師次第ですし、入院しても結局は脳みそが動いていれば辛い事には変わりありません。死ぬ事は、母親が生きている限りは嫌です。「嫌」と思える間は死にません。
 結局、酒飲んでブログに書き殴るという結論になりました。

 何かの創作活動を出来る人にとっては、こういう「空いた時間」を幾らでも使えるのでしょうが、私には出来ず、また、本も読めません。

 本が読めないというのは、恐らく人生初だと思います。短い記事は読めます。でも、新書でも200ページ程度ある本は読めません。というか、長文の記事すら読めません。頭が一杯になります。「そんなん言うても買いとるやんけ!」って、書く事は脳味噌をそんなに使いません。思いついた事を書くだけですし。Twitterでデマ批判も散々していますが、あれは性格の悪さがあれば出来ます。52年生きて来て、議論も散々していれば、ツボも解りますし。ただ、本は読めません。
 本が読めないという事は、深い考えが理解出来なくなったという事です。いや、迷いかな?本に書かれた事をインタビューなどで書かれた記事は読めますが、それは本に書かれた迷うや議論を省いた結論部分です。その人の思考を探る、その人をより理解しようと思えば、本を読む事は適切だと思います。でも、今は読む事が出来ません。

 年齢のせいもあるのかも知れませんが、鬱疑惑の状態になってから出来ない事が物凄く増えました。当たり前だった事が出来なくなる事で、今まで「当たり前」として来た自分の傲慢さがイヤになります。当然、それは今もあります。ただ、気付かないだけの話です。ただ、「会話が出来ない」という事でも気付かなかった事です。そんな多くの気付かない事がきっとまだまだあるのでしょう。
 そして「今まで気付けなかった事に気付いた私は凄い」という煩悩に出会います。鬱疑惑の状態でさえ優生思想に転化する、差別思想に転化する、私の煩悩のしたたかさに出会います。本当に、しぶといです。

 仏教は縁起の思想です。関係存在としての自己です。唯識ならば平等性智の中の自己です。大阪表現ならば「おんなじやろ」の中の自己です。そんな中で、「私は特別だ」と差別する事は、物凄く鬱陶しい事ですが、無事に差別者の仲間入りです。罪人の仲間入りです。これまた大阪表現で言うならば「なんや、あんたもアホけ?わしもアホやねん」である。

 数年ぶりに帰って来た大阪は、変わらず下衆な街でした。維新の会も世代が入れ替わり、よりツルツルの吉村知事が大人気みたいですが、それでも、まだ「大阪らしさ」というか、下衆などうしようもない連中が多くいる街でした。でも、やっぱり減って来ました。
 と、感じるのが、恐らく今の私の限界なのだと思います。オッさんになって来た、老いて頭が硬くなって来た証明だと思います。生身の人間の苦を自分の尺度でしか見れなくなって来た証明だと思います。
 今まで散々、自分の苦しみを酔いに任せて書いて来たにも関わらず、愚痴をこぼして来たにも関わらず、いや、愚痴をこぼして来たから気付けた事だったのかも知れない。ただ、この世を共にする人の苦しみを自分の尺度で測っている、他人を「ツルツル」などと言ってしまう傲慢極まりない私がいる。

 でも、生きている。存在している。腹も減るし、ストレス抱えて酒もタバコも吸う「生きろ!」という存在がある。「辛い」」と思える存在がある。仏教的には「辛い」も「ストレス」の迷いだ、煩悩だ、でも煩悩がある。煩悩という生存意欲がある。

 大地に還る、などという安っぽい表現を使ってみる。
「凡夫というふは、無明、煩悩われらが身にみちみちて、欲もおほく、瞋り腹だちそねみねたむ心多く間(ひま)なくして、臨終の一念に至るまで、とどまらずきえず」(親鸞『一念多念文意』より)

イジメ

2020年05月25日 | 坊主の家計簿
内閣支持率急落の一因が検察庁法改正案や黒川氏の賭け麻雀にあったと仮定する。そして、総理が証言している通りに、黒川氏に対する定年延長、検察庁法改正案が検察庁からの要請だとすると、検察庁は安倍内閣に物凄い借りを作ってしまった事になる。
また、レートの低い賭け麻雀レベルの犯罪で検察官を飛ばせるカードを切ってしまった。賭けゴルフや、立ちションでも飛ばせる。恣意的人事もクソもない、狙った気に入らない検察官の細かな罪を探して飛ばせるカードを切ってしまった。今回はマスコミが使ったが、このカードは内閣も使う事が出来る。

「黒川氏は官邸の番犬」という妄想を捨てると見えて来るものがある。
とはいえ、立憲民主党・逢坂政調会長が
《森まさこ法務大臣は、1月の時点で「黒川検事長は余人をもって代えがたいから他の人を探せない」と勤務延長をした。
「黒川さんが辞めたから他の人が探せる」って、だったら何で1月に探さなかったんですか。何で法の解釈を曲げてまで勤務延長したんですか。》
という事を国会質問し、同様の意見を多くの人たちがしている事から考えると、ハマってしまった妄想から抜け出す事はかなり難しいのかも知れない。賭け麻雀で辞職したなら、他の人を探さざるを得ないだろ。ヤクザでも失笑するレベルの言い掛かり。

木村花さんという方がネット上での誹謗中傷が原因と噂される事で自殺なされたらしい。当然、人が死を選ぶ事は様々な要因があっての事。また、言論の自由はあり、誹謗中傷も言論の自由。故に、言論の自由の犠牲者と言えるかも知れない。
黒川氏に対する妄想も言論の自由だし、アベノマスク調達会社「ユースビオ」に対する妄想も言論の自由。でも、犠牲者が見えた時ぐらいは、一度立ち止まって考え直してみる事も必要だと思う。「私の言葉で誰かを傷付けていないだろうか?」「私の発する言葉の機運で私が見えない所で誰かが傷付いていないだろうか?」と。

どうせ、すぐに忘れる。でも、一度立ち止まって考える事も大切だと思う。
黒川氏は「官邸の番犬」などと言われ、つけ狙われ、職を追われた。家族がいるのか不明だが、小さな子がいるならば、お父さんお爺さん同様にイジメの対象になるだろう。そして、イジメの理由は妄想。
検察官の賭け麻雀が問題であるならば、黒川氏以外も疑い調査すべきなのに、そういう声は殆どない。賭け麻雀が問題だったのではなく、黒川氏が問題だったという事。狙ったターゲットにのみ焦点を当てる、典型的なイジメ。

非科学な話

2020年05月22日 | 坊主の家計簿
大谷専修学院別科生が主にする事は料理作りであり、今ほどでは無いにしても精神的にかなりヤバい状態で別科入学した直後の私の料理に対してある先生が「お前の料理って、なんか優しいよなぁ〜」と褒めてくれた。その後、元気になると同時にガサツになって行ったが…。同級生に物凄く料理が下手な人がいた。でも、彼が作るオニギリは絶品で、美味しく、食べると優しい気持ちになれた。

佐藤初女さんというオニギリの達人が青森にいた。私みたいな人が食べると生きる気力を取り戻したそうな。

今日、業務スーパーに買物に行く途中、交差点で小さい娘さんを連れたお母さんがいた。2人して手作りマスクをしていた。
100%ピュアな非科学な話だが、あの娘さんは新型コロナに感染しないと思う。厳密に言うと、感染しても発病しないと思う。だって、お母さん(お父さんかも?)が作ってくれたマスクだもん。

アビガン?だったっけ?薬の治験でも偽薬効果が問題になる。でも、偽薬効果もある。
それは、信頼する医師という権威との関係であり、いやらしい性格の私はすぐに「反権力!」と言ってしまうが、効果がある人もいる事は確か。
同じように、読経などの宗教音楽が悲嘆に効果がある事も研究されていたりする。

でも、それは物凄く単純な事で、「ただいま!」「おかえり!」だったりする。今の私は一人暮らしだが、御近所コンビニ店員にカスカスの声と指で「2番」というと、タバコを出してくれる事だったりする。

変わらず会話が不可能な私には無関係だが、オンライン呑みというのも流行っているらしい。人は、人に会いたい。どんな形であっても、人に会いたい。会うと、なんか休まったり、なんか嬉しくなったりする。そして、離れると寂しい。

今年の流行語大賞にノミネートされそうな「密です!」という言葉。確かに感染症予防としては必要だっただろう。でも、人間って、科学だけでは生きて行けない。手作りマスクは医療用マスクに比較して科学的にはダメダメかも知れないけど、でも、「大好きな人が作ってくれたマスクだもん」という力もある。

日本には挨拶代わりにキスをする習慣はないけど、でも、キスって互いの菌を交換しあう意味もあったはず。「あなたと一緒に生きる」と。
伝説の石田三成は、癩病患者であった大谷吉継が垂らした膿が入ったお茶を飲み干したらしい。当時の科学的知識では感染の恐れが多々あった為に他の人が忌み嫌い飲まなかったお茶を飲み干したらしい。それが故に大谷吉継は負けると解っていながらも関ヶ原の合戦に参加したという伝説。信憑性はない。でも、語り継がれるエピソードは今も残っている。

科学的知識はとても大切な事。また、偽薬効果も含めた宗教の支配・被支配の関係も物凄く鬱陶しい事。
でも、それだけに凝り固まらずに、「だってお母さんが作ってくれたマスクだもん」的な感覚も大切だと思う。

それは当然、あらゆる人に通じる話ではない。ただ、「それはデマ」などと切り捨ててしまう私にとっては大切な事。

掛け麻雀

2020年05月21日 | 坊主の家計簿
何かと話題の賭け麻雀。役?を覚える頭が無かった私には縁遠い話なんだが、麻雀をやる人たちの間では賭ける事は当たり前なんだろうか?西原理恵子の漫画では当たり前みたいだったが…。
現時点では朝日新聞社社員の証言で麻雀をやった事は事実みたいだが、蓋を開けてみると黒川氏だけではなく検察庁内部では賭け麻雀が当たり前に行われていたという、とんでも無い大問題に発展する可能性もあって、性格の悪さ全開でワクワクしています。
でも、検察官、警察官僚、裁判官、政治家以外の賭け麻雀は大目に見ないと、殺伐とした世界になるからイヤ。ほれ、元阪急の福本選手も「国民栄誉賞貰ったら立ちション出来ひんようになる」とか言って辞退しましたやん。法に関わる御立派な方々は別として、賭け麻雀も立ちションも庶民に許された特権でっせ。

布マスクの歴史

2020年05月18日 | 坊主の家計簿
信州戦争資料センターが、「歴史を検討する手法で不織布マスク値崩れの背景を検討してみた」という非常に優れた記事を書かれていた。
http://sensousouko.naganoblog.jp/e2486866.html

不燃布マスクの値崩れ、要するに調子に乗った安倍総理が「アベノマスクでマスクが値下げした」という趣旨発言の検証なんだが、世の中そんな単純なワケもなく、ただ単に安倍総理らしいヒステリックな発言であり、その検証にも興味はないが、信濃毎日新聞を中心に丁寧に検証している事は物凄く尊敬する。
少し影響を受け、資料も少し引用させて貰い主観バリバリで「布マスクの歴史」を少しまとめてみた。(私)マークは私が追加分。

コロナ禍に咲いた一輪の花は、手作りマスクだと思う。信州戦争資料センターが調べて中では2月6日に布マスクの型紙がツイッターで話題になっていたらしい。記憶ではツイッターなどでも手作りマスクが多く見られるようになったが、今のようなブームではない。大きなきっかけとしては、4月7日に小池百合子が手作りマスクで記者会見に出た事か。
当然、その背景としてアベノマスクがある。

4月2日に朝日新聞が《布マスクは有効? WHOは「どんな状況でも勧めない」》という見出しの記事を書いた。
https://www.asahi.com/amp/articles/ASN424D52N42ULBJ003.html

この記事は非常に面白くて、見出しと中身が違う。記事のまとめは「他人にうつさないという目的を考えれば、『つけない』という選択肢はない」である。ただ、見出しが一人歩きしてしまう程度には布マスクへの偏見がまだまだ凄かった。それは、布マスクが政権批判の道具になってしまった事もあるかも知れない。
その後、海外でも布マスクの有効性が認識され、4月17日には朝日新聞も《布マスクでも「つけない選択肢ない」 安心しすぎは注意》という見出しの記事を書いている。
https://www.asahi.com/amp/articles/ASN4K658BN4KULBJ00N.html

物事の結果は様々な要因が積み重なって出来た事である。第一次の緊急事態宣言は大阪でも来週には終わりそうであるが、その中の一因としてアベノマスクもある。全世帯配布分だけで466億円もの予算を組んで、「マスクは感染予防の為ではなく感染拡大させない為」というキャンペーン費用。布マスクのキャンペーン費用。

ちなみに、アベノマスクはうちにはまだ届いていない。届いたとしても、ガーゼマスクはカッコ悪いから使わずに、記念保存するつもり。でも、無駄だとは思わない。それは先程の理由と共に、恐らく毎年インフルの季節になるとマスクが感染予防の為ではなく感染拡大の為だと報道されているにも関わらず知らなかった人が多いのと同じく、三密情報も知らない人がいるかも知れないし、マスクを作ったり、私みたいに手拭いを巻く事を出来ない人や、マスクを買う事をしない人も居る為。優秀な人には想像もつかないような人も居る。


1・09 <中国で新型コロナウイルス確認と報道>
1・16 <国内初の感染者判明>
2・06 記事・布マスクの型紙がツイッターで話題に。投稿女性は「作る選択肢も提示したかった」
2・下旬 4・04記事・箕輪町の障碍者事業所が布マスクつくり開始 2月中旬に店頭からマスク姿消したのを見て
2・下旬 3・29記事・長野市の農産物直売所が農家の手作りマスク多めに並べ始めるがすぐなくなりそうに
2・20ごろ 2・27記事・松本市内の手芸店で手作りマスク材料売れ始める。ネットでの作り方紹介が影響
2・26 下諏訪町の手芸店は開店直後からマスク材料購入希望者でにぎわう。無地のガーゼとゴムが品切れ
3・05 感染症本部対策会合 生活安定緊急措置法適用で転売行為禁止へ 布マスク2000万枚を国が購入し保育所、介護・障碍者施設へ 10日に閣議決定 首相強調
3・11 <WHOが世界的大流行=パンデミックを表明>
3・11 厚労省、医療機関、保育所、介護施設へのマスク優先配布3月中にも始めると発表 3500万枚で161億円 政府の緊急対策第2弾 保育所、介護施設、学童保育へは布製マスク2000万枚配布、少なくとも1人1枚
3・13 <新型コロナウイルス特別措置法が成立>
3・16 ツイートより 厚労省がユースビオとベトナム産抗菌布マスク材料350万枚調達契約 シマトレーディングと350万枚輸入契約 3月末まで
3・17 中一女子が布マスク寄付
3・20 朝日新聞に泉大津布マスクの記事(私)
3・24 <東京五輪延期発表>
3・24 シャープがマスク生産開始 2月のマスク増産設備投資補助金を活用
3・28 首相記者会見 4月中めどに全小中学校に布マスク1100万枚 4月中には1億枚を超える布マスクが生産できる
4・01 首相、対策本部会合で布マスクを1住所2枚ずつ全世帯に配布すると。医療機関へのマスクは3月の1500万枚に続き来週にも1500万枚
4・02 朝日新聞《布マスクは有効? WHOは「どんな状況でも勧めない」》という見出しの記事(私)
4・03 日本医師会長、布マスクに「ウイルス防止の役割はあまりない」「安心をつくる効果」 
4・初旬 米国のCDCがマスク着用勧告 飛沫感染の恐れ判明を重視 市民には布マスク勧める 谷口清州・国立病院機構三重病院臨床研究部長「少しでもよい可能性があるならやろうということでは」。鼻から顎の下までカバーし、顔との間に隙間がないように着けないと効果が不十分なことは知ってほしい(4・26記事)
4・06 108兆円の緊急経済対策 医療機関へのマスク配布953億円、幼稚園、介護施設などへのマスク配布792億円 布マスク配布、全住所2枚、小中高特別支援学校高等専修学校の生徒教職員にも2枚ずつ アビガン備蓄
4・07 小池百合子、手作りマスク(私)
4・08 <緊急事態宣言発令>
4・11 超簡単靴下マスクがツイッターで話題(私)
4・14 衆院本会議 首相「CDCなどでも有用性評価されている」 布マスクについて
4・15 官房長官会見 17日から東京で布マスク配布開始。先立って医療機関、小中高、介護施設に配布してきた。 5月中には配布終えたい
4・16 <緊急事態宣言、全国に拡大>
4・16 記事・長野県内、相次いで布マスク製造参入 売上確保狙いも
4・18 朝日新聞に《布マスクの効果は?ウイルスの侵入防げずとも「つけない選択肢はない」》という記事(私)

検事総長の前職

2020年05月15日 | 坊主の家計簿
これが検察官僚。過去50年全24人の検事総長の内、安原美穗氏以外23人の前職は東京高検検事長。
黒川氏のライバルだと噂されている林眞琴名古屋高検検事長が検事総長になれば異例中の異例。
検察庁法改正と、黒川氏の定年延長問題は切り離して考えるべき。

1970年3月31日〜竹内壽平(前職・東京高検検事長)
1973年2月2日〜大沢一郎(前職・東京高検検事長)
1975年1月25日〜布施健(前職・東京高検検事長)
1977年3月22日〜神谷尚男(前職・東京高検検事長)
1979年4月17日〜辻辰三郎(前職・東京高検検事長)
1981年7月23日〜安原美穗(前職・法務事務次官)
1983年12月2日〜江幡修三(前職・東京高検検事長)
1985年12月19日〜伊藤栄樹(前職・東京高検検事長)
1988年3月24日〜前田宏(前職・東京高検検事長)
1990年5月10日〜筧栄一(前職・東京高検検事長)
1992年5月27日〜岡村泰孝(前職・東京高検検事長)
1993年12月13日〜吉永祐介(前職・東京高検検事長)
1996年1月16日〜土肥孝治(前職・東京高検検事長)
1998年6月23日〜北島敬介(前職・東京高検検事長)
2001年7月2日〜原田明夫(前職・東京高検検事長)
2004年6月25日〜松尾邦弘(前職・東京高検検事長)
2006年6月30日〜但木敬一(前職・東京高検検事長)
2008年7月1日〜樋渡利秋(前職・東京高検検事長)
2010年6月17日〜大林宏(前職・東京高検検事長)
2010年12月27日〜笠間治雄(前職・東京高検検事長)
2012年7月20日〜小津博司(前職・東京高検検事長)
2014年7月18日〜大野恒太郎(前職・東京高検検事長)
2016年9月5日〜西川克行(前職・東京高検検事長)
2018年7月25日〜稲田伸夫(前職・東京高検検事長)

官邸の番犬?

2020年05月14日 | 坊主の家計簿
所謂「アベノマスク」取扱会社の一つであるユースビオ社長がTBSと評論家の岸氏に対して謝罪と損害賠償を求めたらしい。
災害時には情報が爆発するからデマも流れるし、不安から魔女狩りも行われる。

黒川東京高検検事長という人がいる。検察庁No.2であり、一部からは「官邸の番犬」などと酷い事を言われている。当然、証拠は全て妄想にしか過ぎない。しかし、妄想であっても悪い印象という事実は残る。検察No.2であり、トップになるのかどうかは不明だが、天下りの是非は別として影響が出て来る事も予想される。

公務員に対する名誉毀損などは「事実」であれば対象にはならないが、事実で無ければ対象になる。「官邸の番犬」などを事実だと証明出来るわけもなく、単なる犯罪行為。

個としての主体

2020年05月10日 | 坊主の家計簿
平野修先生が好きだったりする。直接の面識はない。私が僧侶になった(大谷専修学院に入学)したのは1996年であり、前年に亡くなられていた。

専修学院では様々な自主学習会があり、その中の一つに「平野修先生の教えに学ぶ会」というのがあり、そこで使われていたのは金沢教区?ガキ連中との夏合宿で平野先生が話されていた講義録だった。ガキ相手だったので、当然「南無阿弥陀佛」も出て来なかったはず。仏教用語も出て来なかったはず。本などは、ほぼ全て岩手に置いて来たから手元にないけど、確か、出て来なかった。でも、講義内容は、小難しい「鬼神からの解放」で説かれている事と、ほぼ同じだった。

個としての主体。
私にとっての念佛は、当然、南無阿弥陀佛だが、その場、その場での言語化は違う。故に、今日は、「自我を中心とする娑婆世間から奪われていた自己を取り戻す」として。まあ、それが「鬼神からの解放」なんだが。

「ひとりだちについて」だったかな?持っているだけで数年分あったはずだけど、忘れた。そんな、平野修先生とガキとの対話集。確か、金沢の六道会が発行していたはず。

反権力という病い?なんか、そんなタイトルの本があったような記憶がある。当然、読んでいない。ただ、思想の健全性を感じただけ。

「悟ってしまう」という事の怖さを仏教は問題視して来た。悟ってしまうが故に、他を見下す。そんな事すらも問題視して来た。故に、相互血みどろ徹底批判という場への信頼がある。端的に言うと、「意見が違うだけ」という事。

当然、生身の人間であるが故に、意見の相違だけではなく、感情的になってしまう場合も多々ある。でも、そういう個。

誕生日

2020年05月10日 | 坊主の家計簿
悪夢から覚めると「ああ、夢で良かった」になるのだろうが、起きている事の絶望感が物凄い私には悪夢などない。

誕生日。昨日も東北時代の夢を見て、起きてからの落ち込みが酷い。頭痛はここ最近ずっとであり、テレビドラマですら観る事が困難になって来ていたりする。ゲームも漫画も辛くなって来ていて、TwitterもFacebookも辛い。でも、寝る前に布団の中で自分を振り返る時間が怖くて仕方がないから、寝落ちするまで何かをして時間を潰している。気が散漫になって、長続きなど全く出来ない。

アパホテルが6月30日まで税込2500円で宿泊出来るキャンペーンをやっているらしい。ちょうど、大牟田市にある「年金横丁」という所に行ってみたいという欲求が少し前に出て来たけど、まだ緊急事態宣言中。他府県への越境は無視したとしても、道中の飲食店が閉まっていたら旅の喜びも半減する。

「詰んだ…」と、フト思う。

ダラダラ流していた「監査法人」というテレビドラマで主人公が子どもをオンブするシーンが時折出て来ていた。そして、「あんな時代もあったのに…」と落ち込む。頭痛で余裕がない脳がより悲鳴を上げる。一人暮らしの部屋を見て、発狂しそうになる。

今日は紙タバコ。タバコを吸う事も辛くなって来ていたから20日程度かな?辞めていたけど、吸いたくなったから吸う。そして、部屋がまた一気に臭くなる。

「なんで生きなアカンねん」とも思う。でも、「死にたいからといって自殺出来るほど器用に出来ていないんだよ!」と。

一生を熱狂出来るような宗教や思想は、元々冷めている私には無理。左派系で運動していた時も違和感バリバリだったし、宗教耐性が出来た後に大谷派に入ったから「竹中先生って凄いね」という人たちに対して「でも、竹中先生ってカツラやで」とデマを流す程度には冷めている。恋愛?ええ、恋愛バカでした。「何もかも捨てて」的な事もありました。でも、何処かでやっぱり冷めていましたし、その結果が今の私なのかも知れません。

特定の教団云々は別として、南無阿弥陀佛という概念と出会えて良かったと思います。それは、ある人にとってはゴルゴタの丘のイエスなのかも知れません。
もう、何も面白くないです。色々な事に対する興味も薄らいで来ましたし、興味も持つ事も辛かったりします。というか、ずっと頭痛で辛いですし、気分的な落ち込みも加わって来ています。故に「詰んだ…」とも思います。
でも、生きています。どうしようもなくとも生きています。

きっと、PTAのオバハンみたいな人たちが私の様な状態の人に憐みをかけるのかも知れません。でも、憐みをかけられる筋合いは一切ありません。
私は生きています。どんな形であっても生きています。それだけが事実です。

コロナ禍という不安

2020年05月10日 | 坊主の家計簿
視覚障害者用の点字ブロックは約40メートル分で30万~50万円程度の費用で設置出来るらしいが、「税金の無駄使いだ!」という意見は聞いた事がない。ただ、相模原殺傷事件の犯人の様に福祉に関わる税金投入を好ましく思っていない人たちも居るかも知れない。

アベノマスクの全世帯配布は、点字ブロックと同じように国民の大半には不要である。だが、いまだに「布マスクに意味がない」程度の感染症知識しかない人たちや、それ以前に「何故わざわざマスクをしないといけないのか?」や、三密もクソもない人たちに対して「マスクあげるから着けてくれ」という意味では非常に有効である。当然、それでも無視する人はいるだろうが、政府として無視する事は出来ない。

室井佑月と米山元新潟県知事との結婚が発表された。米山氏は最近も「ユニクロのカシミヤセーターを洗濯機で洗ったら縮んだ」的な事をアベノマスクで行い炎上したような人であり、室井佑月は知っての通りの人である。
福島第一原発事故以降、一部左派の在特会化が進んでいる。論理も事実もクソもない。ただ、叩きたいだけであり、その対象が違うだけの話である。当然、以前からあったのだろうが、ある種の民意を得て、拡がりを見せている。故にデマも平気で拡散する。

平田オリザ叩きという現象もある。当然、気になった人は仕方がないのだろうが、私はNHKの原文もツイッターも見た上では「言い掛かり」の側面が強いと思う。当然、差別心は本人が自覚して居なくても受け取った側が問題だと思えば告発すれば良いと思うが、チト冷静さを失っていると勝手に思う。

何故、冷静さを失うのか?って、それも含めたコロナ禍だと思う。思考が短略的になってしまう。「ネトウヨ」「ブサヨ」と言っても様々な人たちが居ており、一括りに出来るわけがない。ただ、その集団に入る事によって居場所を確保したいという不安感から来る現象もあるのかも知れないが、江川紹子など両方認定された人も居たりもする。

「片肺不全、不安に立つしかない」とは、大谷派では超ビッグネームの安田理深先生が亡くなられた後に発見されたメモ。
コロナ禍という不安。それは様々な角度からの不安だったりするのだろうが、まずは「私は不安なのだ」と認める事がとても大切だと思う。故に、短略的になったり、誰か何かを叩いてスッキリしたい存在なんだ、と。

叩くなら、それを理解した上で、純粋にストレス発散として叩けば良い。ツイッターでの私なんぞ、どれだけブロックされているか。まあ、いきなり「バカなの?」とツイートすればブロックされて当然だわな。ストレス発散に正義もクソもあるワケがない。