坊主の家計簿

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真宗ヒューマニズム私論

2022年06月03日 | 坊主の家計簿
漠然としたヒューマニズムを「助け合う事が(真の)人間だ」というイデオロギーと仮定するならば「助ける者」は素晴らしく、「助けられる者」は「(真の)人間ではない」事になる。故に「海外で著名な活躍をされた中村さんのような素晴らしい人が殺されるなんて…」となる。その価値観は当然、悪逆非道の人たちを産み出し、私のような障害者は「(真の)人間」では無くなる。

佛教は諸法縁起であり、関係存在から離れる事など絶対に不可能、という論理に立つ。つまり、何も出来ない障害者、悪逆非道の人だろうが存在しているという事実だけは確かであり、それは概念としての「人間」、ヒューマニズムなり何かのイデオロギーを持つ人間像からは遠く離れていようが全く無関係に存在している事実がある。それを「人間」と呼びたくないのならば全く問題ない。狭苦しい人間観など真っ平御免であり、息が詰まる。

時代社会の価値観に縛られてしか生活出来ない。マザーテレサは素晴らしく、ヒトラーは悪逆非道という価値観が、恐らく今の日本列島に住む大半の人たちの価値観なのだろう。欧米列強に虐げられているアラブの人たちを救う活動をしていた重信房子や岡本幸三も彼らにとってのヒューマニズムであるが故に「素晴らしい」と称える人たちも多く居る。それら「素晴らしい」と思ってしまう事、その発想こそが実は差別を生み出している、地獄を再生産し続けている事にしかならない、と思う人は極々僅かだろう。「何を言っている。彼がいるから弱者が助けられているのではないか?」との反論があるだろうが、その前提にあるのは、善の因を作れば善の結果が生まれる、という発想。そんな事、ただの人間に分かるはずなどあり得ない。ただ、眼前の人を助けたい、その事が善とか悪とか全くどうでも良く「私が助けたい」「私が楽になるから助けたい」「愚かで結構」とは残念ながら凡夫には不可能。必ず時代社会に縛られた価値観、或いは信仰上での誇りにしてしまい慢心する。人助けで人を差別する。それが凡夫。心の闇、本当の姿を慢心で覆い隠す、それも集団で覆い隠す。念佛という求道は、その闇を「そのまま観よ」と。その闇こそが、一切衆生と平等に出会う唯一の手立て。差別の極地は戦争であり、己の欲望の為に相手を殺し支配する。何も変わらん、私と何も変わらん。という私の真宗ヒューマニズム。

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