坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

凡夫の付き合い

2010年04月30日 | 坊主の家計簿
元所属寺の法要に出掛ける準備中にブレーカーが落ちたのか電気が消える。薄暗い中準備してたら帯を忘れる。。。まあ、なんとかなったが。

帰宅する。ブレーカーは「消えた」のではなく「消された」事が判明。
冷静にキレる私。なので「ブレーカーを落とされたから帯を忘れたやんけ」なんぞと言い訳したいのだが、んなもん「関係ないわ」と。
あぁ、こういう時はとりあえず「ブレーカーが落とされからやな」と全てをその責任にしてしまった方が人間臭くて個人的にも好ましいのだが、なんか冷静になってまうねんなぁ。。。
そういう「失われた生身の人間の血の温かさ」を回復する為にお湯割り注入中。

島田裕巳「葬式は、要らない。」

2010年04月28日 | 坊主の家計簿
あぁ、iPhoneからは書き込み難い。。。

雑務で忙しく月末近しなんだが、寺の通信、一枚も、っちゅうか、ひと文字も出来て無い。っちゅうか、脳内は雑務で支配されていて、何を書くのかもあやふやだったんだが、先日、とある門徒のおっちゃんに報恩講の宣伝してたら「宗教は生きている人の為やろ」と云われて、夜勤の看護士の話をしてたら「ほな、坊さんもそのうち夜勤せなアカンな」などと云われて坊主名利に尽きる、っちゅうか、背中を押して貰って元気を貰って嬉しいのだが、「ほなちゃんとせなアカンのぉ」と刺激刺激。なので二重に嬉しい。これで私が夜勤坊主になっても少なくともあの門徒さんは反対せずに応援して呉れると思うし。

っちゅう事で、島田裕巳「葬式は、要らない。」を、遅かりながら読む。これも、ムッチャ元気でて、勇気を貰って、背中を押して呉れる。なぜなら、あの本は要するに「後生の一大事」であり、念仏相続の仏事を勧めてるし。なので、一連の葬儀でしっかりした事を伝えてる限りは全く問題ないどころか、あの本に影響された人が居れば居る程、念仏相続の仏事としての葬儀に参加した人は「これや!これが葬儀や!」と感じて呉れるはずやし。
なので、今でもベストセラーらしいが、もっともっと売れてもらいたい。

黒衣同盟

2010年04月19日 | 坊主の家計簿
 『黒衣同盟』で検索してたら「おお!これは、あの幻の掲示板ではないか!!!」っちゅう、昔作ってた掲示板を発見。
 え~と、削除しようにも、当時のパスワードを憶えていません。。。
 んが、タイトルは気に入っている。なんせ

【『黒衣同盟』~「腹黒さを隠そうと、一生懸命着飾る私達」~】

 っちゅうタイトルである。う~ん。。。素晴らしい。。。と、自画自賛。

 っちゅう事で、【『黒衣同盟』~「腹黒さを隠そうと、一生懸命着飾る私達」~】っちゅうテーマで一文を書きたいのだが、え~。。。パパは今日、朝から深夜まで働いていたのでヘロヘロです。結構、肉体系もあったので、体もエラい。

 なので、非常に安易に黒衣同盟のリンク。

 http://www009.upp.so-net.ne.jp/kobako/odake11.html

 ついでに今月号の寺の通信に引用した西元先生の文章

【あるとき報恩講さまに呼ばれて、広島県下のあるお寺に行かれてびっくりされるのです。お斎の御馳走が出たのでお椀を開けたら、お汁が入っておらず、お金が入っているのです。御飯茶碗にもお金が入っている。そしてそこのお寺さまの坊守の奥さまに、「これはどういうことでございますか」と尋ねられると、悲しい顔をされまして、
「先生、御存じやございませんか。ここは地区といわれている所でございます。本願寺のお坊さま方には、お斎を出しても召し上がっていただけません。でできたものは召し上がっていただけません。だから代わりにお金を包ませていただいています」
と悲しい声で話されたということです。これは明治の末のこと。今とは違います。今はそんなことはありません。明治の末のことですが、足利先生は愕然とされたわけです。
 老若男女、貴賤貧富、一切を救わずにおかんという弥陀の本願、その本願をいただく浄土真宗においてかくのごとき差別があるのか。しかもお寺さまにはお寺の格があります。足利先生はほんとうに悲しまれたのです。それでたまらなくなって、みんなが止めるのを振り切って、先生は還俗されます。そして同朋舎という印刷屋を始めた。その同朋舎のお金で布教活動をされたのです。
 全国の結成大会のときにもいろいろと世話をやかれたのです。】(西元宗助『念仏に生かされて』より)

 明日仕事は休み(朝から晩まで忙しいが。。。)なので、もう一文

【青年のころ私は禅宗教団のなかで黒衣運動をおこそうと思いたったことがある。しかしまた考え直して、「いま始めると、市川は自分が黒衣しか着られないために、ネタミから始めたのだ、といわれるのでは効果がない。紫衣を着る資格をとってから・・・」ということになった。そして後年、紫衣の資格をとった。しかし色衣廃止の運動には着手しなかった。紫衣を着たわけではない。ただ成功の見通しがなかったからである。檀信徒がこれを支持するとも思われなかったのである。私じしん往年の情熱をうしなっていたともいえるであろう。】(市川白弦『一休』103~104頁より)

 ちなみに私も『僧侶』の資格だけ取って『僧侶の仕事』をしてなかった時代に、え~。。。つまり、専修学院を1997年に卒業して(1996年度入学でんな)直後に、当時坊主バーに集まっていた同年齢、っちゅうか、私が最年長だったのだが、『行動する若手念仏者の会』っちゅうのの最初の名前が『黒衣同盟』だった。
 んが、今は出来ない。単純な話、色衣を着なければならない仕事がある。私が預かっている寺での事ならば、ある程度私のワガママも通るが、依頼された仕事では不可能である。そして、依頼された『僧侶』としての仕事を断れる程、経済的に豊かではない。
 これがもっと若く、独身であり、子どもも居なければ突っぱねる事が出来ただろう。というか、かなり突っぱねて、突っ張って来たし。
 しかし、それが不可能になって来た。信仰よりも我が身の生活である。凡夫のおそれである。
 けど、これが他宗ならば私みたいな求道心のないヤツは「顔を洗って出直して来い」だろう。

 今年の報恩講の案内の冒頭文は

     一心正念直来
     オネガイダカラ スグキテオクレヨ
     (池山栄吉先生)

 である。

【如来、無蓋の大悲をもって三界を矜哀したもう。世に出興する所以は、道教を光闡して、群萠を拯い、恵むに真実の利をもってせんと欲してなり。】

 である。

【行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽】

 である。

 という事で、今日の自己肯定。

【法然は「すべての人は善人だ」と語り、親鸞は「すべての人間は悪人だ」と語りました。二つの言葉を比べれば、結論は正反対ですが、言おうとしていることは同じです。「すべての人間は・・・だ」、つまり二人とも現世の宗教的平等を主張しているのです。】(平雅行『親鸞とその時代』より)

 なんか、『腹黒さを隠そうと、一生懸命着飾る私達』っちゅう所で、同じであって、んな所で他人を裁かれへん。
 んが、着飾る事を当然とし、差別を当然とし、身分制を当然とし、つまり煩悩を肯定するのであらば、「それは煩悩でっせ」と言わんとアカン。

【「無慙愧」は名づけて「人」とせず、名づけて「畜生」とす。】

 でっせ。

【西元宗助先生は、御講演の中で、ある悲惨な少年事件に触れられて「このようなことが起こるとは、一人の沙門(しゃもん)として重大な責任があります。まことに申し訳ございません」とおっしゃって絶句なさった。】(http://homepage3.nifty.com/Tannisho/i-mode/ikiru_tannisyo/Atogaki.htmlより)

 煩悩具足としてのわれら。

 そして私は、明日仕事がないとはいえ、朝からムッチャバタバタと働かんとアカンのだが、もう、4時38分。。。

 ということで、歯磨きしながらネットしてたら(ただいま歯ブラシくわえ中)、

【相手の立場に立つと言っているが「その下に立つ」というのが、わかったという英語のアンダスタンドと云うことである(本田哲郎)】(http://koyama.exblog.jp/14193391/より)

 という言葉に出会って、今日の自己肯定は完膚なく終了。

変身

2010年04月16日 | 坊主の家計簿
 ニトリに行く。閉店間際、っちゅうか、完璧に閉店まで居てたのだが、ママがレジに向かうとレジの人が娘を見て「無茶苦茶カワイイですね」と。パパ、上機嫌。しかしながら、本日ニトリに行った理由を考えると、パパ、途端に不機嫌&暴力大魔王に変身する。

先生、そりゃムチャです!

2010年04月15日 | 坊主の家計簿
 朝、出かけようとしたら、寒い。。。一瞬「気のせいか?」とも思ったんだが、気のせいでも寒いもんは寒い。なので、「寒い、寒い」と御仕事。お参り先での雑談でも、やはり「寒い」と感じられる人が多く、「なんや、やっぱし寒かったんや」と、自分の感覚を世間に売り渡している私を発見。。。

 ん?寒かったのだが、なんか「ビールが飲みてぇ。。。」っちゅう事で、銭湯に行って、帰りにコンビニに寄って500mlの発泡酒を購入。「ああ、久々のビール(発泡酒なんだが。。。)は美味い、と。ビール(発泡酒)を飲むと、次はお湯割りである。冷えたお腹を優しく暖めてあげなければならない。一杯では当然暖まらない。二杯、三杯と暖めている最中である。ん?っちゅうか、今何杯目やろ?まあ、ええわ。

 NHKで『先生、そりゃムチャです!~吉田松陰 人生体当たり~』(http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/42.html)っちゅう番組をやってた。

 そうなのである。『先生』はムチャなのである。
 私の先生、っちゅうても複数人居てるのだが、とある先生の寺の通信を読んでたら、「先生、そりゃムチャです!」と(笑)まあ、それが故に『先生』なんだが、え~。。。ムチャしはるわ、ホンマ。「もっと娑婆の現実をでんな、娑婆はそんな事ではあきまへんで。。。」なんぞと思ってしまうのだが、この場合の『娑婆』とは当然、私が幻想で作り上げた『娑婆』であって、つまり、「面倒だから」とか、「んな事、出来まへんで」なんぞの『娑婆』でしかないわけなんだが、『ただ念仏』の先生はひたすら『ただ念仏』であるわけであって、それが故に『先生』なんだが、やはり「先生、そりゃムチャです!」と(笑)
 
 だいたい、先生は厳しい。優しいのだが、『教え』には厳しい。例えば竹中先生ならば

【寮ガ燃エタ。燃エル縁ガ熟シテ燃エタ。コンナニアザヤカニ燃エルトハ誰モ考エテハナカッタダロウ。燃エルモノガ燃エタノダカラ、燃エルコトソノコトハソレデヨイノダガ、燃エテモラッテハ困ル問題ガコチラニイッパイアッタカラヤヤコシイ。「寮ガ燃エタ」ソノ現実ハキビシイ。イロンナヒトガイロンナコトヲイイ、イロンナコトヲ考エ、イロンナ動キヲシタ。マサニ「火宅無常ノ世界」ノ現前デアル。「タトヒ大千世界ニミテラン火ヲモスギユキテ仏ノ御名ヲキクヒトハ」トアルガ、コノ現前ノ境遇ガ仏ノ御名ヲ聞ク場トナッタカドウカ。ホントニヒトガ問ワレテイルノダト思ウ。トテモ大キイ体験ダッタ。】(竹中智秀『願生』十九号より。いわゆる『「願生」あとがき事件』で問題になった文章)

 と、「先生、そりゃムチャです!」である。
 んが、だから『先生』なんだが。。。

民族VS国家

2010年04月13日 | 坊主の家計簿
 昨夜、ようやく「よっしゃ、今日は酒飲みつつネット遊びじゃ」っちゅう感じになれたので、ネットを開こうとしたら、何のトラブルか知らんが、ネットが開かん。。。なので、iPhoneでネットチェックして不貞腐れて寝る。
 なので、実に「3日も!!!」酒を飲まなかった。これは奇跡的出来事である。私が記憶している範囲では大谷派の教師修練っちゅう、「本山に一週間籠る」っちゅう時以来ではないだろうか?っちゅう事は10数年振りの快挙、1996年以来の快挙である。
 「これは祝杯をあげねばならぬ」
 と、飲みに行こうとしたんだが、まあ、ママと娘が居てるので断念して、部屋で一人飲んでいるわけなんだが、え~。。。

 最近、お疲れモードでして、どうもイカン。数日前も自転車で45分ぐらいの距離の所にある役所に行ったら、自転車をこいでいるだけで「もう、辞めよかな」と。まあ、ダラダラ走っても1時間ちょいぐらいの距離だったのだが、「天気もエエしサイクリング♪」と走り出したのはエエのだが、「ああ、電車にしとけば良かった」と。今の年齢でこんな事では娘が大きくなった時に一緒に讃岐うどんサイクリングが出来ないではないか。まあ、車で行きゃ、エエのだろうが。

 そういや、先日昼飯食ってたらクイズ番組で『拾う』という漢字の読み方をやってた。クイズの正解は『ひろう』だったのだが、私は今まで41年間の人生の中でこの『拾う』という漢字を『ひろう』と読んだ事がない。『ひらう』である。ちなみにこのパソコンだって『ひらう』と打ち込めば『拾う』と出て来るのだが、どうやらこれは標準的な読み方ではないらしい。『デジタル大辞泉』っちゅうやつでも『ひろう』等と書いてある。
 っちゅう事は、もし漢字の読み方テストで『ひらう』と書けば間違いにされてしまったりするのだろうか?
 これは最早独立しかない。言葉は大切である。『ひらう』と『ひろう』では意味が違う。細やかなその土地で育まれて来た言葉の文化を『標準』なんぞで殺されてはたまったものではない。やはり独立である。。。

 っちゅう事で、井上ひさしが死んだらしい。井上ひさしは極右である。なんせ東北独立の吉里吉里人である。週刊金曜日の創立メンバーだった、等で誤摩化されてはいけない。週刊金曜日には同じく極右の本多勝一も居る。こういう極右が左翼の中に潜り込んでいる。。。
 ん?
 井上ひさしって、吉里吉里人しか読んだ事がないのだが、『左翼的』なんぞと見られるのは『対国家』だからだろう。そりゃ、方言札なんぞをやられたらたまったもんではない。河内のおっさんから「アホ」「ボケ」「カス」「殺すぞ」なんぞの言葉を取り上げたら喋る言葉が無くなるのではないのか?
 もしくは泉州人に対して「だんじりは野蛮な祭りだから禁止しないといけない」なんぞとヌカしたら大変である。
 もしくは真宗門徒から念仏を取り上げれば大変な事になる。。。のか?(笑)

 大阪で生まれ育ったから、東北で生まれ育ったから、といって、その土地の言葉を話さなければならない筋合いもない。大阪で『拾う』を「ひろう」というヤツが居ても構わん。「ちょっと、そこのもんひろって」と言われても別に態度が生意気や偉そうでなければ構わない。「ひろって、ちゃうわ!ひらって、じゃ!」等と言い方が生意気や偉そうでなければそのままひらってやるであろう。その時に「標準語では『ひろって』と言うのよ」なんぞと言われた日には「アホ!ボケ!カス!殺すぞ!」である。

 言葉を奪い、名前を奪われたらたまったものではない。

【うちの息子は『チョン・ファンニョン』っていいよるんですよ。『チョン・ファンニョン』。あの、今、ちょっと『チョン・ファンニョン』、言い難いでしょ。で、何度も聞かれるからね、息子がもう面倒臭がってね、『てい・あきとし』なんですよ。日本語で読むとね。で、「日本語読みでいいです。『てい・あきとし』でいいです」って言ったら、さすが沖縄ですね。「そんなヤマトの名前捨てろ!」って云ったんですよ。「そんなヤマト口の名前捨てろ。『チョン』という立派な朝鮮語読みがあるのに。僕は練習する。」】(2009年6月3日・ユ・ヨンジャ氏の公開講座より)

 私は民族派なんだろう。それが『右翼』というジャンルに分けられるのならば右翼なのかも知れんが、んなもん、知った事ではない。民族派だかなんだか知らんが、民族を愛する気持ちは朝鮮民族にも、アイヌ民族にも、琉球民族にも、東北の方々にも、そして我々関西阪神帝国にもある。
 民族を大事にするとは、結局『個』を大事にする事ではないのか?
 日本文化、当然、統一された『日本文化』なんぞはありゃしない。それぞれの土地で養われた文化であり、言葉である。その土地で生まれ育った方々が大切にして来られた『生活』である。人生そのものである。ならば、その文化に従わない人々の『個』を認める事が、自らの文化を大切にする事ではないのか?何かひとつの『正解』の文化だけが正しくて、他の文化が間違っている、つまり、ある標準の文化と違った文化、標準に従わない文化が、自分の生活文化だった時に、自分の文化、自分(たち)だけの文化を、それに従わない人達に強制する事は、結局、自分達の文化を圧迫し、殺そうとする人達の論理と同じではないのか?
 ならば、民族派だからこそ、朝鮮民族の文化、琉球、アイヌ、その他多くの地域の生活文化を尊重し、認めるしか道はないのではないのか?
 
 ちなみに私は『国王不礼』『神祇不拝』の真宗門徒という民族なんだが、当然、天皇に対して礼はしないし、強制されたら断固反対する民族派だが、天皇を侮らないし、一人の人間として他の人達と同じく尊敬している。また、ぞれぞれの土地の『天津神』『国津神』に対して信仰は持たないが、信仰している方々が居ているので、土足で踏みにじったり、あるいは、その神社の祭りの邪魔はしない。信仰が別なので、当然、協力もしないし、強制されたり、あるいは特定の宗教団体が共同体である国家と結びついたりしたら断固反対するが。

 先日、実家に帰って再確認したのだが、うちの実家は自覚的でないにしろ真宗門徒である。つまり私は『真宗門徒の家庭に生まれ育った真宗門徒』である。
 娘も真宗門徒の家庭に生まれたし、育っているのだが、今後どうなるのかは不明である。不明ではあるが、娘がキリスト教の信仰を持つのならば『キリスト教VS真宗仏教』の宗教論争をしたいし、娘が創価学会に入ったのならば『題目VS念仏』の宗教論争をしたい。
 「どっちが勝っている」のではなく、違うのだ。違うのであれば、終わる事のない、つまり「正解」のない論争を娘と続けて行きたい。まあ、せっかく『親子』っちゅう人間関係の御縁を頂いたわけやし。

青空

2010年04月09日 | 坊主の家計簿
 ♪誠実さのかけらもなく
  笑っているヤツがいるよ
 (ブルーハーツ『青空』より)

 という言葉を聞いた時に、

 「誠実さのかけらもなく、笑っているやつ」

 が、私であり、

 「誠実さのかけらもなく、笑っているヤツがいるよ」

 等と差別してしまうのも私である。

 青空って、そんな所にあると思う。

バブル青田と『たちあがれ日本』

2010年04月08日 | 坊主の家計簿
 所用があったので珍しく実家に帰る。御近所風景が変わってて、パパ、道に迷いそうになる。
 丁度、昼時だったので、実家でメシを食う。んが、なぜか近所の寿司屋の寿司桶。まあ、子どもの頃によく遊んだ兄ちゃんの所やし、別にエエ、っちゅうたらエエのだが、これは『お持てなしの心』としては失格である。うちの御近所名物は『焼きそば』であり、『星月』という店の焼きそばは、恐らく日本一である。わざわざ遠方から食べに来る人が居てるくらいの名店がすぐ近くにありながら、なぜ大して美味くもない寿司を食べなければいけないのか。んが、まあ、他にオカンの手料理もあったのでエエ、っちゅうたらエエのだが。単純にオカンの鮭オニギリで良かったんだが。今度帰る時は注文しとこ。
 
 で、もって、所用も済んだし、メシも食った。帰ろうとすると「正信偈を詠んでいけ」と。渋ったのだが、勤行開始。過去に実家で正信偈を勤行した5人の先輩をちょい思い出しつつ、勤行、勤行。
 
 勤行も済んで帰ろうとすると、滅多に帰って来ない息子に期待するのは辞めたのか、ママと娘だけでも来い、と。そういや、昨年末はママと娘だけだったし。ママ曰く「一番孫の顔を見たい時期やろ!」と。まあ、確かに、初孫の顔を見るオカンの表情はなんとも云えん感じやし。しかも、滅多に来ない孫の為にベビー布団まで購入してやがったし。やはり初孫はかわゆいのだろう。

 せっかくなので、梅干しをゲットして帰宅。京都に行くはずだったのだが、結構エエ時間になってもうたし、ダルいので帰宅。

 帰宅してテレビを見てたら、『 ifの歴史書~もしものヒストリー~』っちゅう番組をやってた。

 もしも織田信長が本能寺で殺されていなければ、モンゴルに渡ってチンギスハーンになっていただろう。
 もしも坂本龍馬が近江屋で殺されていなければ、モンゴルに渡ってチンギスハーンになっていただろう。
 もしもバブルが崩壊しなかったら、青田典子はモンゴルに渡ってチンギスハーンになっていただろう。

 という様な話だったと思う。疲れて寝ながら見てたので、若干放送内容と違うかも知れんが。。。

 番組を見ながら思ったのだが、もしも青島幸男が死んでなければ与謝野馨となって新党『たちあがれ日本』を平沼氏と作っていたのではないかと。。。いや、顔、似てまんな。青島幸男がもっと老けてたらあんな顔になっていたのではないかと。

 しっかし、『たちあがれ日本』には、なんぜ安倍晋三氏が参加しないのだろうか?与謝野氏、平沼氏を繋ぐ、っちゅうか、与謝野氏、平沼氏が安倍氏を立てて新党をやった方が、票は取れるのではないのか?&保守勢力→憲法改正、っちゅうか、『たちあがれ日本』だけでなく、『たちあがれ美しい国日本』の方がエエのではないのか?

 実家の仏壇(お内仏)の前には『いのち』っちゅう大谷派の青少年団体が出している勤行本(っちゅうか、青少年向けの聖典)が置いてあった。実家にお参りしてた坊さんが置いて行ってあったものである。
 歴史に「もしも」はないのだが、もしも実家に来てた坊さんが『いのち』っちゅう本を置いて行くような人でなければ、女性解放バリバリの市民運動バリバリの人でなければ私は坊さんにならずにモンゴルに渡ってチンギスハーンになっていただろう。。。
 また、安倍晋三氏もあの時にあういう形で総理大臣を辞めなければモンゴルに渡ってチンギスハーンになっていただろう。。。
 だが、歴史は動かす事が出来ない。事実としての歴史があったからこそ、今の私が存在しているわけなんだし。
 「ああ、ホンマはモンゴルに渡ってチンギスハーンになりたかったのに」なんぞといっても、何も始まらないし、御先祖に対して失礼ではないのか。本当にチンギスハーンに成りたかったら、今からモンゴルに渡ればいいだけの話である。っちゅうか、今から渡ってもチンギスハーンには成れないが。。。
 んが、この『ありのまま』を引き受ける事が出来ない煩悩があるが故に念仏申す事が出来たりする。事実を事実として引き受ける事が出来れば、念仏なんぞ不要である。なので、『もしも』って、非常に人間的、生身の人間的らしいではないか。

 もしも仏教の歴史の中に無量寿経がなければ、「もしも」と言ってしまうような、事実を事実として引き受ける事が出来ない私は仏教に対して『関心』はあったかも知れんが、んが、自分が僧侶になろうと思わずに、モンゴルに渡ってジンギスカン屋をやっていたかも知れない。。。

 『もしも』が『過去から未来へ』、じゃなく、『今の私』を中心にすると

 もしも織田信長が本能寺で殺されていなければ、今の私は存在せず
 もしも坂本龍馬が近江屋で殺されていなければ、今の私は存在せず
 もしも青田典子に「ジーザス」という一発ギャグがなければ、今の私は存在していない。

 すると、青田典子の一発ギャグは私にとって掛け替えのない事実になる。
 だが、『事実を引き受ける』という事と、無批判になるという事は別である。そこには未来がない。

 日本は戦争で多くの人達を殺したという事実があるが故に、憲法9条という未来に向けた目標がある。

 
 ♪夢は夢じゃないから
  ゼッタイに ゼッタイに ゼッタイに
  夢なら叶う
  そう信じてイケばいい
  あきらめないのが条件
  (バブル青田『ジーザス』より)

 

愚人節

2010年04月02日 | 坊主の家計簿
 昨日、ど疲れモードで爆睡。んでもって、珍しく昼間からパソコンを立ち上げてメールチェック等をする。
 仏華をやらんとアカンのだが、昨日お風呂に入ってなくって(今日は休みだった)、「銭湯に行ってさっぱりしてからやるぜ!」っちゅう感じなんだが、銭湯が開く時間にはもう少しあったりする。なので非常に珍しく昼間の書き込み。

 昨日、4月1日はエイプリルフールだった。なんとなく公認された習俗としての「嘘をついてもエエ日」である。ど疲れた頭で考えていたのだが、「んじゃ、嘘をついていない日なんぞあるのか?」と。
 そうなのである。これが『エイプリルフール・コード』である。エイプリルフールとは、嘘をつかなければ生きて行く事が出来ない悲しい業を持ってしまっている人間に対して、「だから、裁くな」と。そういう事を確認する為の習俗である。
 これは、イエスの弟子であるシモン・ペテロの誕生日が4月1日だった事が由来である。シモン・ペテロとは新約聖書の福音書に出て来るイエスの弟子である。

【人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた。】(ルカ22ー55~62)

 のペテロである。そのペテロの誕生日が4月1日だった事がエイプリルフールの由来であり、つまり、エイプリルフールとは「ペテロは私であった」という自覚の日なのである。
 そして、全く奇遇な事に、この4月1日(旧暦)は宗祖親鸞聖人の誕生日でもある。

   浄土真宗に帰すれども
   真実の心はありがたし
   虚仮不実のわが身にて
   清浄の心もさらになし

 と、いう親鸞聖人の誕生日でもある。

 私たちは信仰ですら他を裁く道具にしてしまう。「私こそが正しい信仰の持ち主である」と。しかし、宗祖親鸞聖人は「真実の心はありがたし」であり、「虚仮不実のわが身にて」であり、「清浄の心もさらになし」である。決してエイプリルフールの日だけ嘘をついているわけではなく、エイプリルフール以外の日は「嘘をついていない」わけでもない。にも関わらず、「あいつは嘘つき」だのと、他を裁いてしまう。自分の事はそっちのけで他を裁いてしまう。
 エイプリルフールとは、そういう愚かな、馬鹿な私(たち)に対して「事実としての我が身に目覚めよ!」という日なのである。

 【私の専修学院での学びは、凡夫という言葉を中心に始まりました。しかし学院は生活学習の場ですから、そこで繰り広げられる私の意識生活は、その凡夫の身を裏切る自尊心との格闘でもありました。それは今日も、今も、続いています。そうした事実と思いのぶつかる日々の生活の中で、それでもここに身を置いていることの支えとしている言葉があります。それは信國先生が大病を患われた晩年のころだったのではないかと思いますが、授業で法然上人の『一枚起請文』(真宗聖典九六二頁)を取り上げられて
 「ここに『一文不知の愚どんの身になして』とあるでしょう。この『なして』という日本語は、意思をあらわす言葉です。意思して、愚鈍の身になるのです。」
 と、強い口調でおっしゃいました。「意思して、なる」。いつのまにか、如来回向とか、本願他力という教学用語を自分勝手にとりこんで、仏法を自動起床装置であるかのように錯覚する腑抜けた信仰理解にまどろんでいる私どもに、「目覚めよ」と命じる一言でした。
 凡夫とは、意思して凡夫にならなければ、自分が凡夫の身を生きていることに気付けないものです。その凡夫への意思を私どもに喚び起こす強い力が、如来の本願です。】(狐野秀存『共に是れ凡夫ならくのみ』より)

 で、ある。
 そして、これが『エイプリルフール・コード』であって、このコードを解き明かした人に対する特典として

 1 ふれあい温泉矢田→天美で串カツビール
 2 清水湯→ミナミ
 3 御近所銭湯→御近所焼き肉

 の特典が与えられている。
 
 え~。。。今日は4月2日ですが、若干の嘘が混じってます。。。
 
 ちなみに『エイプリルフール』は漢語で『愚人節』なんぞというらしい。これは(恐らく)本当みたいである。

 銭湯もオープンしたし、行って来よ。んが、独身ちゃうし、串カツビールも、ミナミも、御近所焼き肉も却下やなぁ。。。シクシク。。。せっかく晴れて来たのに。。。

ペンション自給自足

2010年04月01日 | 坊主の家計簿
 ママと娘と家族3人で丹後半島にあるペンション自給自足(http://www2.nkansai.ne.jp/hotel/jikyujisok/)に行って来ました。
 名前、すごくない?いや、『じゃらん』で『カニ』で検索してたら見つかったんやけど、名前を聞いて「これしかないな」と。ヤギも居てるし。っちゅうか、他にも諸々候補があったんだが、なんせ他の宿にはヤギが居ない。娘にはまだ意見を聞く事が出来ないのでママと2人で諸々探して意見交換をしてたんがだ、他の宿にはヤギが居ない。カニは食べれてもヤギが居なければペンション自給自足に勝つ事が出来なかったので、ペンション自給自足に決定。

 ペンション自給自足にはヤギの他にパワフルな女将さんがいる。
 
 http://www.agr-k.or.jp/lives/people/html/22_teshigawara.html

 この女将さんの話を聞くのも目的の1つだったのだが、着いた日は仕事が終わって高速ぶっ飛ばして行ったので、パパ、お疲れモード。&、メシ、多い。あと、カニ、食べるの大変。
 「カニを食べると無口になる」とはよく言われるが、だって、ほじるので神経使うし、量も多いし。ちなみにカニは、刺身&茹でがあって、テーブルにある炭火で焼くカニが大量にあって、カニ鍋もある。なので、『食べる』という作業だけでも結構大変だったりする。それプラス、むっちゃ美味な玄米おこわや、総菜なんぞがあって、山菜&蕎麦の天ぷらがあって、大阪でなら週に3日の昼間にしか営業せずに少ない一人前で1000円取ってて商売出来そうなグレードの高い手打ち蕎麦が出て来る。しかも「ここのある果物も食べてエエよ」とか、食べられへん、っちゅうねん。
 ちなみに『カニ』はカニであったので「やった!カニや!」ぐらいなもんだったのだが、蕎麦が抜群だったし、デザートに出て来たヤギのアイスクリームが絶品だった。
 
 なので、食べるのに忙しく(結局2時間半かかった)、女将さんの話をゆっくり伺う事が出来なかった。

 んが、翌朝(っちゅうか、今朝なんだが)は昨日の続き?の雑炊を食べて、土鍋で炊いたらしい御飯も「これって、むっちゃ美味そうやんけ」っちゅう事で、通常の朝食メニューと土鍋御飯(?)を食べて(ちなみに梅干しが絶品だった)、ヤギのミルクで焼いたパンをママレード(ママは梅ジャムも)とで食べて、これまた絶品だった、ついつい土産にまで勝ってしまった、思わず「今年の中元はこれにしよか」っちゅうぐらいのシソジュースを飲む。まあ、スンゲー量なんだが、昨夜と違ってカニがない。カニがないので女将さんの話を『じっくり』とまでは行けないが、それでも結構伺う事が出来た。いや~、商売、っちゅうか、客商売が上手い人である。リピーターが多いのも納得。次は『カニ抜き』で行きたいぐらいである。
 別にカニが不味かったわけではなく、美味かったのだが、カニはカニである。晩飯に食べるねんから、鮮度の問題ならば大阪で食ってもエエわけである。別に『カニグルメ』違うし。っちゅうか、騒ぐ程、カニが好きなわけでもない。ただ、ヤギも居てるし、あの蕎麦だけでも食べに行く価値があるような蕎麦だったし、ヤギアイスとシソジュースと梅干しを食べにだけでも行きたくなる魅力があるし、魅力ある女将さんが居てる。エエ感じのペンションだった。

 ついでに只今の丹後半島情報だが、え~。。。山には雪が積もってます。よって、ペンション自給自足からスイス村に抜ける道が雪で通れません。四駆なら知らんが、っちゅうか、四駆でも「どこからどこまでが道やねん」っちゅうのが解らんぐらいに雪が積もってて、通行出来ません。
 なので、海岸沿いを走って丹後半島を一周する。娘の初海は琴引浜。鳴き砂をキュキュ言わせながら歩く。娘、海が気に入ったのか初めてだったので珍しかったのか、波を見ながら興味津々。なんだが、寒いし、小雨だったので速攻引き上げる。
 琴引浜は以前にナホトカ号っちゅうタンカーがぶっ壊れて重油をだだ漏れした時に琴引浜も被害を受けて音が鳴らなくなった。でも、今は鳴る。自然に治ったのでなく、人が治した。
 人間の力っちゅうのは、石油タンカーを作り出す事も出来たり、重油で汚染された砂浜を治す力もある。石油タンカーを作った人達も『一人一人の力』であり、砂浜を治したのも『一人一人の力』である。「私は石油タンカーを作ってんぞ」という人も居てたら、「私は琴引浜の砂をキレイにした」っちゅう人も居てる。
 ペンション自給自足の女将みたいな人も居てる。


    ぼくが ここに いるとき
    ほかの どんなものも
    ぼくに かさなって
    ここに いることは できない
 
    もしも ゾウが ここに いるならば
    そのゾウだけ
    マメが いるならば
    その一つぶの マメだけ
    しか ここに いることは できない
    
    ああ このちきゅうの うえでは
    こんなに だいじに
    まもられているのだ
    どんなものが どんなところに
    いるときにも
   
    その「いること」こそが
    なににも まして
    すばらしいこと として
   (まどみちお『ぼくが ここに』)

 
 ペンション自給自足の女将の教育方針は『勉強よりも生きる力』という事らしい。まあ、「勉強だけ出来ても生きる力が弱ければ仕方がない」っちゅう事なんだろう。登校拒否状態の人達との交流も多くあったらしいし。
 また、ペンション自給自足は、『ペンション』なので、純粋に自給自足の生活をしているわけでもない。物々交換もしているらしいし。ペンションなので現金収入だってある。つまり『ひとりよがり』の仙人暮らしではない。ただ、強烈な『個』がある。生き物としての強烈な『個』がある。
 その『個』は、

【「一般的な野菜は大阪でも作れるもの。こんな地理的に不利な山奥で、よそと一緒のものと作っても競争できない」】(http://www.agr-k.or.jp/lives/people/html/22_teshigawara.htmlより)

 であり、それは

【農薬や化学肥料を使って「自然の循環を壊す農業はしたくない。山間部は山間部なりの農業があるはず」】(http://www.agr-k.or.jp/lives/people/html/22_teshigawara.htmlより)

 という自立と連帯に結びつく。
 なので、この『自給自足』とは、『商品化されモノ化された人間の奪われた個の回復』ではないかと。
 
 今度はカニ抜きで行こ。