坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

悪人が正義に酔うな

2011年07月31日 | 坊主の家計簿
 今日は御仕事バタバタと。夕方4時過ぎにようやくお昼御飯。ガソリンもなかったので給油がてらに行きつけの地域最安値の御近所ガソリンスタンドへ行ったついでに、その近くに新しく出来た『焼飯の美味しいラーメン屋』に行く。ミナミにあった頃によく行ってた店だったので。
 え~。。。新規オープンとはいえ、社員教育をしっかりしろ。なんや、あの焼飯は。平均点はクリアしているが、お前の所、もっと美味しかったのと違うのか。だからメニューにも『大阪で一番』なんぞと書いとるねんやろ。
 と、焼飯大盛り500円でお腹一杯。
 帰宅して、少し寝る→起きれない。娘がどういうわけか正露丸をもって起こしに来てくれて、ようやく起きる。

 夜から学習会。明日から「夏休み!」なので学習会後に飲みに行こうか迷う。飲みに行くのなら自転車なんだが、自転車で出かける準備をしている途中で気力がなえる。「あの距離を自転車か。。。」と、疲れた中年丸出し。学習会会場までは約9キロ。そこからミナミまでは6キロぐらいかな?うちからミナミは12キロぐらいか?元気なら何の問題もないのだが、少々お疲れモードなのでとっとと断念。
 車で行って、自動販売機で頭が割れそうに甘いアイスココアを買って学習会。疲れているので頭が割れそうに甘いアイスココアなのだ。コーヒー苦手だし。

 ツイッターではニュース情報や、仏教系、葬儀社関係を中心を中心に情報を仕入れていたのだが、震災以降は震災関連の情報や、原発関係の情報も、いわゆる『推進派』、いわゆる『反対派』の意見も仕入れている。
 え~。。。反原発の一部、まあ、私は『反原発カルト』よ揶揄しているが、ますます過激になって来とるのぉ。。。
 少し前は『工作員』の話題だった。その工作員が、「あいつは工作員ではないか?」まで来ている。その論拠も笑えるのだが、まあ、当事者にとっては笑い話ではないのだろうが。
 別件だが、やはり原発関連の何かの話の時にやはり工作員呼ばわりされた人がいた。どちらかというと「原発停めた方が危ない」の意見の人だったかな?タマタマ全く別の所で勝手に呟いていたのだが、返信があって少しやり取りしてたら「あそこで工作員呼ばわりされているものです」なんぞと。そら、勝手に疑われたらうっとうしいわな。だいたい、世の中には色んな意見の持ち主が居ているわけであって、今現時点でも脱原発派は確か7割程度だったはず。
 いわゆる『原発推進派』だって、まあ、単純は話、原発以外の要因も含めて考えると「原発の方が安全だ」になったりするのだろう。脱原発での公害で年間3000人以上の死亡者が増えるという意見もあるわけなんだし。火力での電気代増もある。現状、原発があり、原発事故が起ったコストも含めて「原発を停めると発電コストが増える」と。一からの建設の話じゃないわけなんだし。そういう意見もある。失業者増の話もある。それらは意見が違うだけの話であって、違う意見をいう人を「工作員」とするのは、え~。。。(笑)病院に行って来い。治療は早めにして貰え(笑)
 その発想の単純さというか、幼稚さというか、世の中には『他者』という存在がいる事を忘却している。しかし、大切な情報源なのでブロックされると困るので反論せずにブツブツと。

 今日の学習会では何故か幽霊話にもなった。得意ジャンルである。一時期幽霊現象研究家を目指して一ヶ月で辞めたぐらいには勉強したし。
 幽霊ではないのだが、関連しての話で学習会の教授が昔からよく言われる事例だが、「暗闇の縄がヘビに見える」というので説明してはった。ヘビに対する恐怖心があれば暗闇の縄がヘビに見えてしまう。

 これが人間関係になり、悪いパターンが魔女狩りだったり、アカ狩りだったりするのだろう。「あいつは魔女ではないか?」とか。
 日本でも四国には『犬神憑き』というのがある。よく調べると新興金持ちに対する偏見も含まれる。「あいつは何であんな発想が出来るのだ?犬神でも憑いているのではないか?」と、周囲から見なされる。村社会の中で『周囲から犬神憑きと見なされる』というのは村八分的存在になってしまう。まあ、『きらう』『排除する』大義名分を犬神憑きにしたのだろう。解り易い話である。見なされた家族はたまったものではないだろうが。

 つい最近でならばオウム真理教に対する『集団ヒステリー状態』もあったし、警察による過激派や共産党の監視とか。
 
 で、今は一部の反原発による『工作員』(笑)
 ちなみに私は警察によるネットの監視はやっていると思う。そら、共産党幹部だったっけ?どこかを盗聴してた事件もあったわけだし。
 治安維持が警察の仕事である。盗聴は行き過ぎだが、誰もが見れるネットでの情報を治安維持の目的から監視するのも警察の仕事だろう。
 「福島原発事故で人類滅亡を防ぐ為には福島原発に小型核ミサイルを射ち込むしかない!」は、しっかり監視しとけ(笑)やられたら周囲が迷惑じゃ。
 東アジア反日武装戦線にしても真面目なのだ。ホッピー元気か!元気やったらコメント頂戴(笑)
 あ、オウムにしても真面目で純粋なのだ。彼らなりの正義だったのだ。ただ、それが周囲には迷惑だっただけの話。
 ある意味、大東亜共栄圏と同じ。あれだって『解放』という大義名分。

 今日、たまたま発見した知人僧侶(http://twitter.com/#!/vowsbar/status/96149567006978048)もなんだが、どんどん過激さを増している反原発の一部の人達。我見(偏見)しかなく、かつ、正義でベロンベロンなので自分が何をやっているのか解っていないのだろう。同調する先輩僧侶も居たし。
 ったく。
 悪人が正義に酔うな。

 あ、「酔うな」で思い出した。明日、娘と一緒に朝からお出かけしたいし、呑んでいる場合と違うわ。

働く人々

2011年07月30日 | 坊主の家計簿
 急に入った少し離れた所での通夜依頼があったので出かける。帰宅すると娘が大泣きの大荒れ。何やらドアに指を挟んだらしい。ママが『緊急子ども医療相談室』(?)か、なんか知らんがそういう所に電話相談するぐらいなのでかなり痛かったのだろう。
 
 何やら海江田大臣も号泣したらしい。

 http://www.youtube.com/user/ANNnewsCH#p/u/3/WKmtQUcqkew

 そら、泣きたくもなるわな。与謝野大臣の事もあるし、「俺ってなんやねん」やろ。辞めたいのは辞めたいのだろうが、大臣としての責任=仕事があるわけだし、それを投げ出すわけにはいかないし。「じっと我慢の子であった」状態だったのだろうが、つい、我慢出来なくなったのだろう。

 で、片や菅直人総理。
 つーか、昨日の報道ステーション

 http://www.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/210728055.html

 での報道は一体なんやってん。番組内ではそのままスルーしたが(笑)
 結局は

【政府エネ会議:首相「政府方針」アピール…中間整理】
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110730k0000m020127000c.html

 で、

【「今後、原発に依存しない社会を目指し、計画的、段階的に原発への依存度を抑えていく。このことを政府としても進めていく」。】(上記リンクより)

 という事らしい。

 たまたま見つけた記事だが

【野中広務氏、首相に番組で苦言 「1人で動きすぎる」】
http://www.asahi.com/politics/update/0729/TKY201107290472.html

 というのがあった。その中で野中氏は

【野中氏はその直後に「組織を束ねる行動ができない」と首相の資質を疑問視。】

 と。
 『「歴代総理を見てきたが、菅さんほど一生懸命働いている総理は記憶にない」』かどうかは知らないが、私も菅直人総理大臣をやり手の総理大臣だと思うし、『組織を束ねる行動ができない』というのも野中氏と同意見。
 菅直人総理が、この野中氏の記事を読んだかどうか知らないが、結果的に無難で確実な「原発無くして行きまっせ」路線を歩むのか。まあ、『総理大臣』は独裁者ではないので、急な変革をしようとして潰れてしまったら元も子もないのだが、海江田大臣を号泣させる一因になったであろう経産省を敵視したデーターを作ったのならば、もう少しやって貰いたかったのだが、『海江田号泣事件』も一因だったのかな?完全に悪者になるし。海江田大臣に質問していた自民党議員も海江田大臣に同情的だったし。
 ちなみに『海江田号泣事件』の最大の要因は睡眠不足も含めた過労&ストレスだと思ったりするのだが。ゆっくり風呂に入っとるのか?毎日は銭湯代が勿体ないから無理でも、風呂にはゆっくり入った方がエエぞ。つーか、自宅の風呂も広そうか。つーか、銭湯代ぐらいあるか。つーか、大臣は銭湯に行くのか?
 「大臣、エエもの持ってまんなぁ」とか、銭湯で見知らぬオヤジから話しかけられたりしてたらオモロイのだが。
 銭湯は『入れ墨禁止』のサウナに行けないヤクザも来てるし、隣で体を洗っている時に石鹸の泡が飛んで「あ、すんません」とお互いに言葉を交わしている所を写真に撮られて『海江田大臣。ヤクザと裸の付き合い』なんぞと週刊誌ネタになったりするのも楽しいかも知れんぞ。
 後から入って来た小沢一郎が「海江田君、来てたのかね」なんぞとニコニコしながら寄って来て、「ところで君は菅君とは上手い事やっているのかね」なんぞと声をかけたら、奥から菅直人の神経質そうな咳払いが聞こえたり。サウナの中では岡田幹事長と枝野官房長官が「先に出た方が負けだ」と『男』を競ってたり。湯船の中で鳩山前総理は鼻歌歌いつつゆっくり浸かってはったり。エエ感じやおまへんかい。

 WAHAHA本舗の柴田は国会中継を見ると泣くらしい。「この人達はこんなにも真剣に国の事を考えてくれている」と。

 こちらも忘れずに。

 http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110728t15014.htm

脱原発は現実問題である。 

2011年07月29日 | 坊主の家計簿
 朝、何故かママと娘がいる。「あれ?保育園は?」と聞くと、「バイト休みやから休ませた」との事。
 急遽予定変更。あ、一応予定していた本日の作業は『寺のfacebookページ作り』だったのだが、別に急がない。全く急がないので予定をとっとと変えて、御参り終わったら泉州にある野菜の直売所へお買い物ドライブ。
 初めて行く所だったのだが、期待が大きかった分だけ少し残念。なので帰り道はルートを変えて、以前に行った事のある道の駅と、別の野菜直売所へ。諸々買えて、それなりに満足。
 娘も私との外出は久々だったので楽しそうだった。「パパ」と手を出して来たのでしっかりと手をつないだり、パパも楽しい。
 帰宅する。帰りの車の中で寝た娘を起こさない様にそのまま布団に。パパもそのまま夕寝する。起きてもはしゃいでた娘とよく遊んだ一日。

 散々はしゃいでた娘が寝て、報道ステーションを見てたら、何やら明日菅直人総理大臣が記者会見をするらしい。内容は「原発を全て停めても来年夏のピーク時に足りないのは9%であり、その9%も揚水発電、自家発電、節電で賄える」という事を発表するらしい。
 「マジかよ」である。もし、本当ならビックニュースである。しかも「菅直人総理大臣の記者会見」という事は、政府が発表する事と同じみたいなもんだろう。そうそうイイ加減な事は言えないはずである。政府は『官僚』というプロ集団を従えているので、官僚の裏付けがあっての発表ならば、「なに、脱原発の電力不足なんてちょろいもんだぜ」である。ビックニュースである。
 早速ツイッターに書き込みをして、「そういえば『国家戦略室』などの言葉があったなぁ。。。」と。「賄える」という言葉に飛びついてしまったのだが、『国家戦略室』でツイッター検索すると、あ、ツイッターの検索はあくまでも時系列で出て来る。

【2011年7月27日9時0分  経産省に不信感、不足電力を独自試算 菅内閣の戦略室】
 http://www.asahi.com/politics/update/0726/TKY201107260789.html

 どうやら、これが基本になっているみたいだ。で




【2011年7月28日0時0分  海江田氏「信用されてない」 電力需給情報の公開指示に

 公明党の稲津久氏の質問に対する答弁。海江田氏は、国家戦略室の文書について「『持っている資料をすべて公表すべきだ』と真っ先に書いてあった。『電力供給の状況を理解するため、必要な情報をすべて開示すること』と」と内容を紹介した。

 そのうえで海江田氏は「どなたが出した指示かはわからないが、私がこれまでやってきたことはほとんど無駄だなという思いがした」と、首相への不満をもらした。】
 http://www.asahi.com/politics/update/0727/TKY201107270840.html




 になる。
 まあ、総理&国家戦略室は経産省を『敵』と認識していると考えればいいのだろうか?「経産省は推進派だ!」と総理&国家戦略室は認識していると考えればいいのだろうか?

 何やら海江田大臣は次期総理候補でもあるらしい。鳩山&小沢と近い関係にあるらしい。

【2011年7月27日23時58分  自民・安倍元首相、民主・鳩山前首相に「菅おろし」打診 鳩山氏「任せてください」】
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00204224.html

【2011年7月29日0時6分  小沢氏「首相辞めないなら決断を」 不信任案検討示唆】
http://www.asahi.com/politics/update/0728/TKY201107280765.html

 である。
 総理は

【2011年7月26日11時1分  首相「総選挙、ダブル選でいい」 早期解散に慎重姿勢】
http://www.asahi.com/politics/update/0726/TKY201107260184.html

 らしいが、同じ記事に

【ただ、首相は野党の抵抗などで重要法案が否決されたり、不成立となったりした場合の解散には含みを残してきている。最近も解散について「一切考えていない」と述べる一方、「憲法には総理の役割や権限が書かれている。そのことまで否定するつもりはない」などと答弁している。】

 ともある。これは。。。

 海江田大臣って、どうするねんやろ?当然、経産省の官僚からも



 


 

 なんだろう。
 面目丸つぶれどころか、信頼されてなく、かつ、ほぼ敵視されている状態である。
 まあ、明日の総理がどういう会見をするのかは、あくまでも報道ステーションからの情報でしかないわけなんだが、注目せざるを得ない。
 海江田大臣の辞め方方法によっては、そのまま解散せざるを得なくなるかも知れないし。まあ、海江田大臣が辞任するかどうかは解らないが。

 ふと、リーダーシップという事について考えたりする。私にはこれが天才的にない。全くない。自分で何かをやりたい時もリーダーシップがある人に「こういう事をしませんか?」である。そんな人間が住職になっているのだが、幸いな事に真宗教団は同朋教団なので、寺における私のリーダーシップは要らない。

 カリスマ性について最初に思い当たるのが10代後半からの友人である。事実、大学に入ってもブイブイいわしてて、そいつの後輩に対してそいつの悪口を喋ってたらマジ切れされそうになったし(笑)まあ、「かかってこんかい」なんだが(笑)
 その友人は『元学校解放のカリスマ』であって、まあ、藤井誠二なんぞに比べると落ちるのだろうが、それでもカリスマであった事には違いない。非常に絵になるやつで、テレビ撮影なんぞの時も「お前はなんでそんな事が言えるねん」だったり、テレビ的に絵になるシーンを自然に演出出来るヤツだった。『演出』ではなく、元々そういうヤツなんだろうが。なので、一緒にテレビに写ってても、私の方がよく働いていても、もう、影が薄い、薄い(笑)
 同時に非常に気の良いヤツで、仲間が多かった。大学でも1つの勢力を作っていたし、今も変わらんみたいである。
 ちなみに坊主バーを始めたのは彼と2人である。やはり彼のカリスマ性と顔の広さはどうしても欲しかった。事実、彼の顔の広さで坊主バーは(私たちの居た時代は)成功して、彼の顔の広さでマスコミも紹介して貰えた。
 目立つヤツだったし、人懐っこい笑顔や、まあ、元々『人間が好き』なんだろう。なので他人と親しくなるのが天性のものとして兼ね備えていたし。今は、それがイヤなのかも知れないが(笑)
 そういえば、母校に沖縄の有名運動家が在学中のはずなんだが、確か、私も集会で何度か会ったはずだが、私の事は忘れているだろうが、彼の事は憶えているだろう。なんせ、その集会の主催者に10年ぐらい前かな?久しぶりに会った時に私の事はすっかり忘れていたが、彼の事は「おお!○○君と一緒に居ったんか」だったし(笑)恐らく金城実も私と会った回数の方が遥かに多いが、私の事は忘れて、彼の事は憶えているだろう。け!(笑)

 あ、何を言いたいのかというと、菅直人がやりたい事には賛同出来るのだが、「菅直人に出来るのか?」という事である。
 脱原発を進めて行くなかで経産省の協力は必要になって来るだろう。しかしながら、「総理は私たちを敵視している」というのはどうよ。他の省庁もそうなのかも知れないし、まあ、官僚を総理の部下とするならば、部下の信頼を得られないリーダーってどうよ。
 何やら構造的には『菅直人&国家戦略室』VS『政府&与党』みたいな構造になってないか?
 それで脱原発って、出来るのかなぁ。。。素朴な疑問なんだが。

 「総理のやりたい事と私のやりたい事は同じである。だが、総理のやり方には反対だ」
 という人は多いと思ったりするのだが。

 『国民』という定義は好きではないが、まあ、現状の有権者は国民限定だから『国民』なんだが、国民の大多数は最早『原発要らない派』である。国民の代表である政治家は国民の意向を無視出来るわけもなく、菅直人が原発解散をした所で脱原発が争点になるとも思えなかったりする。
 当然、一部の議員は「日本のエネルギー問題や、今後の地球環境の事を考えると原発しかない。女川原発が大丈夫だった様に、安全な原発を作れば大丈夫なのだ」の原発推進派のままなのだろうが、自民党内部でも、まあ、河野太郎居るし、小池百合子だって、自民党のホームページ(機関紙「自由民主」2470号掲載)で『超原発』を訴えている。

 http://www.jimin.jp/activity/colum/112005.html

 そんな時代なのだ。
 みんなの党だって脱原発である。
 方法論の話になって来る。その時に、国家戦略室が出した、どうやら経産省が出したデーターではないデーターに対する批判、計算の甘さを突かれた時にどうするのだろうか?
 自家発電に関しても、具体的に「現在どこにも電力を回していませんし、依頼さえあればこれだけのコストはかかりますが、これだけは供給出来ます」という確約を取れた具体的な数字を出して来れるのか、とか、「来年の夏までにこれだけの火力発電を増設出来る」とかがないと危ないぞ。
 揚水発電だって水力だって水がなければどうしようもない。それこそ大津波ではないが『千年に一度』の干ばつも想定してでんな。原発で問題になった事を「脱原発の場合はスルー」というのは、ちょっとなぁ。。。もしくは、「こういう危険性もあります」とハッキリ明確に打ち出すべきではないのか?
 先日書いた脱原発での死亡者増加の事も含めて。

 なんか、今日の報道ステーションの話では『揚水発電』『自家発電(埋蔵電力)』『節電』と、今まで脱原発の人達が言って来た事と、まあ、変わらんのではないのか?
 それらに対する批判がある。埋蔵電力(自家発電)に関しては、先日の朝まで生テレビで原発推進派の人が「私は個別に確認しました」とか言っていたが。で、「向うが出せないと言っているのに、どうするんですか?」みたいな感じで鼻でせせら笑っていたが。

 タイトルを『脱原発は現実問題である』に決定。
 脱原発路線で同じならば、後は具体案である。その具体案の中で粗探ししたらボロボロ出て来る様なデーターが根拠ならば潰されるに決まっている。単にもう一度斉藤和義が『ずっとウソだった』を歌うだけの話である。あ、今度は脱原発に関して。
 そんな面白くない話はない。ならば、問題性、危険性もハッキリと打ち出すべきだ。「このデーターの問題点と危険性はこういう所にあります」と。信頼を失っている菅直人ならば尚更の事だ。無理矢理押し切って、それこそ来年の夏に電力が国家戦略室のデーター通りに行かなければ、斉藤和義が『ずっとウソだった』を歌うだけの話である。総理&国家戦略室に対しての。

 どうも、「国民はその場させしのげばなんとかなる」と馬鹿にされている気がする。高速道路の無料化って、税収アップの話ではなかったのか?それなのに何故、高速道路の無料化路線を「金がない」で辞めるのだ?
 また、本当は原発推進派なんだが、「今は脱原発を言っておかないと当選しないし。どうせ国民は電力不足の現実に立った時に、電気代が増えた時に原発を容認する」だとか。まあ、妄想だが。

 ナチスのパウル・ヨーゼフ・ゲッペルスは『嘘も100回言えば本当になる』と言ったらしいが、んなもん、その場しのぎや。「原発は安全だ」みたいなもんや。それを脱原発でも使う必要はない。
 が、それをやってしまうのも、人間の弱さか。寝よ。

宗祖が待ってる故郷

2011年07月28日 | 坊主の家計簿
 録画していたドキュメンタリー2本。

 1本目はMBSの『映像’11 大阪・宮城・福島~故郷を離れた家族たち 』

 http://www.mbs.jp/eizou/

 3月11日の大災害(原発事故含む)で故郷を離れた家族の物語。
 福島から来た家族も、宮城から来た家族の共に堺市。堺市って、うちから大和川を越えたらすぐ。
 特に宮城から来た家族が住んでいる所は、多分、むっちゃ近い。家族の子どもが転校で通い出した小学校までならば直線距離で2キロない。まあ、橋の都合でグルっと回らなければならないのだが、まあ、近い。電車で隣の駅だし。
 ここの子どもが震災のストレス、生活環境の急変のストレスで唇が割れていた。ちなみに福島から来た中学生の女の子の唇も同じように割れていた。キツかってんやろなぁ。。。

 福島・浪江町から来た家族は地震の被害はあったが、それでも家は無事で(中はぐちゃぐちゃだが)、福島原発事故からの避難。故郷に荷物を取りに帰る許可が出て、放射能から身を守る為の白装束をコーナンで買って来たみたいだ。見慣れたコーナン(ホームセンター)の袋から取り出してはったし。思わず「コーナンでそんなもん売ってたんけ!」と驚く。今度見に行こ。
 一時帰宅の時に、そこのお母さんが「帰りたくない」と言い出して、お婆ちゃん(実母っぽい)から叩かれていた。60ぐらいだと思うのだが、そら、やってられへんわな。3時間だけの滞在時間で、思い出が詰まった家から、故郷から、また離れなければならない。「もう二度と帰れないかも知れない」と。

 宮城・女川町からの家族は、子どもの元気がなくなったので、こちらも故郷に一旦帰る事に。帰ると言っても家は津波でない。土台ごとない。なので泊まるのは車の中。
 親が役所で手続きしている間に、子どもは本来であれば長女が今年の春から通うはずだった小学校で遊ぶ。小学校の休憩時間になったら、長女の友達が「○○ちゃん!」と言いながら駆け寄って来る。え~。。。冷血な私でさえ泣いてしまった。


 2本目はNHKの『源淳子が村にやって来た~女人禁制に生きる人たち』
 え~。。。ウソです。
 ETV特集の『鯨の町に生きる』

 http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0724.html

 少し前に放送してた『クジラと生きる』の再編集バージョン。
 以前の放送の時に書いたブログ

http://blog.goo.ne.jp/erovows/s/%A5%AF%A5%B8%A5%E9%A4%C8%C0%B8%A4%AD%A4%EB

 40分増えた今回の再編集バージョンでは、『三好さん』やったかな?その人が以前に鯨漁を辞めた事や、鯨を殺した日には写経をする事なども取り上げられていた。鯨を殺す時に鯨と目が合うらしい。それがたまらんらしい。だから「写経せずにはおれない」らしい。
 また、これも前回ではカットされていたのかな?「コーブの映画から教えられた」みたいな事を言ってはった。「あいつら(反捕鯨団体の人達)から教えられた」と。確か、放映では2人の方からそういう言葉があった。自分達が鯨を殺す場所を隠している事に対して。
 「死は荘厳なものだ」みたいな感じか。「何故隠さなければならないのだ?」という内部の批判に対しての言葉。殺しているシーンがYouTube等でアップされた事に対して。
 『殺す事』を問題視して「辞めさせよう」とする側は、殺すシーンを公開する事によって問題性を証明したいのだろうが、同じく『殺す事』を問題視しながらでも「それで生きていく」という側にとって、「鯨を殺す場面は決して動画投稿サイトでアップされる性質のものではない」みたいな感じなのだろう。今回の放映でもなかったし。つまり、言葉は悪いが「見せ物にしていい場面ではない」と。「もっと厳格で荘厳であるべきだ」と。

 
 3つの故郷。

 大地震と津波で家を失った家族の故郷。
 大地震と津波から生じた原発事故の影響で家はあるけど帰れない家族の故郷。
 反捕鯨団体の人達が町にやって来て今まで自分達が普通にしていた事を妨害される人達の故郷。

 今日、ツイッターでは「あるある話」で盛り上がってはった。『僧侶あるある』も面白かったのだが、それぞれの地域の『あるある話』が面白かった。眞鍋かをりも故郷・愛媛のあるある話にタルトネタで書き込んではった。懐かしいねんやろな、と思った。

 先に『源淳子が村にやって来た~女人禁制に生きる人たち』と書いたが、天川村の洞川に生きる人達の物語も撮影してもエエのでは?と思う。両者側からの視点でもって。
 一方的な視点であれば、当然、片側が悪になる。『悪』という言葉が適確でなければ『時代遅れ』であっても、『解放されなければならない人々』であっても何でもエエ。片側が間違っている話になってしまう。でも、それを逆の視点から撮影したならば、また違った視点が出て来る。当然だ、そこに生きている人が事実としているのだから。何かの思想、視点でもって「おかしい!」であっても、それは何かの視点でしか過ぎない。女人禁制も偏見ならば、『女性解放理論』も偏見にしか過ぎない。あくまでも、『自分側からの視点』にしか過ぎない。それぞれが、それぞれに偏見を持ちつつ生きざるを得ない、というのが事実ではないのか?それとも、なんだ、『女性解放の人達』は悟りでも開いたのか?女性解放『だけ』が真実なのか?そこに『事実、生きている人』を無視して。

 寺社会には女性差別が多い。特に真宗は『肉食妻帯』で寺に女性が居ているのが当然だったので、問題が明らかになり易い状況なのかも知れん。
 
【釈迦は慈父、弥陀は悲母なり。】(親鸞聖人『唯信鈔文意』より)

 だって、親鸞の個人的信仰体験の表現なんだろうが、ステレオタイプの偏見である。
 私は親鸞聖人が偏見を捨て去る事が出来たとは到底思えない。その逆で「私には偏見しかない」という事を証らかにした人ではなかったのではないかと。それが故に『宗祖』であったのでは、と。

中道政治

2011年07月27日 | 坊主の家計簿
 facebook作業日記。
 目が疲れた。。。しかしながら「ややこしいのぉ。。。」と闘い続けた戦士には休息が必要である。ので、呑んでます。
 
 何やらfacebookには『facebookページ』というのがあるらしく、これがホームページ的使い方が出来るらしい。また、それ用のアプリなんぞも沢山あるらしい。とりあえず実験を兼ねて、諸々作ったりする。これで寺のホームページを作ればエエわけやね。

 facebookの細かい個人情報登録なんぞもする。宗教や政治なんぞもあったりする。これらを全て正直に書き込むと見事なまでの思想調査が出来たりする。本名出し、住所出し、電話番号出し、宗教出し、政治思想出しなんぞとやって行けば、facebookはもの凄い個人情報を集約する。国家以上である。仮に世界中の人達全てがfacebookの会員になったならば、facebookは全世界の人の宗教や政治思想までも把握した国家以上のものになる。スゲー、というか、ある意味、怖い。

 んが、まあ、「あなたの宗教はなんですか?」は、別に私的には問題はない(笑)ちゃんと『宗教』の所に『ラスタファリズム』と書いておいたし。。。え~。。。ウソですが。

 政治思想。ここは空白でも良かったのだが、とりあえず『共産党』にしようかと思ったのだが、イマイチだったので少し考える。せっかくなので中道にしておいた。
 中道政治。すなわち『エエ格好しい』である。

 「お前の思想は何やねん!」
 「私はロッカーなので引き蘢ってます」

 というやつである。ん?
 
 まあ、煩い中道って、エエ格好しいやんな。あ、『エエ格好しい』はバリバリの大阪弁か。標準語では「格好つけ」とかになるのかな?別名「大人ぶるクソ野郎」か。
 最初は政治思想の所に『えらばず、きわらず、みすてず』と書いたのだが、今日は実験しつつの作業だったので、政治思想の所に『えらばず、きわらず、みすてず』と書いてもリンクが出てこない。まあ、そのうちに『えらばず、きわらず、みすてず』のfacebookページを作ればエエのだが、今日はそこまで出来ないし。実験、実験。
 
 でも、まあ、最近、極端をきらう様になって来たのは確かである。別に最近だけでもないか。ここ10年ぐらいかな?もっとか。

 今日も、昼間のワイドショーを御飯食べつつ少しだけ見てたのだが、何やら今年は節電の夏であり、お惣菜がよく売れているらしい。しかも揚げ物系が。理由は簡単で「暑いから」。
 パパ、少しキレる。「アホかこら!働いている中での料理作りなら解るが、『暑いから』いうて台所に立つのがイヤなら専業主婦(主夫)なんぞ辞めてしまえ!」と。番組では35℃ぐらいでネを上げてやがった。まあ、あの人は赤ちゃんを背中におんぶしながらだったので、より大変だろうし、かつ、赤ちゃんも危ないのだが。
 それでも、専業主婦(主夫)が「暑いから料理を作るのがイヤ」なら、労働者としてどうなのだ?「暑いからこの仕事イヤ」なら、「帰れ!お前に働く資格はない。顔を洗って出直して来い!」ではないのか?だいたい、フライヤーの前で一日中働いてみやがれ。それが労働者ではないのか。
 「家事を労働として認めろ!」ならば、労働者としてちゃんと働け。
 んが、まあ、私は『素麺でも一度に茹でて冷凍しといたらエエやん派』だったりするのだが、かなりアマアマだったりするのだが、当然、こんな発言があったらキレる。んが、うちのママはパートに行っているので、その条件には当てはまらないのだが。
 
 と、まあ、女性解放の人が聞いたら激怒しそうな事ぐらいは平気で行ったりする。つーか、やはり女人禁制の山を支えている人達を無視しての解放論理は絶対にオカシイと確信している。

 また、私は「原発は辞めようぜ」なんだが、最近『反原発カルト』とレッテルを貼っている人達の動きには「アホか」である。
 今日も昼飯食べつつのワイドショーの中で「今年はセミが少ない」とやっていた。気象の関係らしい。
 しかしながら、そのセミが少ない事を「放射性物質のせいだ!」なんぞと梅雨明け前後ぐらいからやっていた。え~。。。今の段階ではまだ放射性物質は地表にあるのではないのか?だから「ひまわりなんぞ植えても『キレイ』という以外に意味がないですよ」ではないのか?セミの幼虫は地中に居てるのやろ。数年後ならともかく、今年ってなんやねん。
 また、『御用学者』とかなんとか。御用学者に対する言葉って「アカ」ぐらいしか思いつかないのだが。「あんなアカのいう事なんて放っといたらエエねん」なんぞと。何を言っても「あいつはアカやから」とか。んなもんやろ。
 今は圧倒的に脱原発路線の流れである。しかも、一部ではかなり過激化している。原発に反対する人を「あいつはアカやから」レベルに悪化している部分も見受けられる。そういう人に対しては当然、「アホか」である。

 あ、脱原発過激派にとって、不都合な真実。

【原発ゼロにすると大気汚染の増加で何人ぐらい死ぬのか?】
 http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51842863.html

 まあ、反原発過激派にとっては意味のない説である。
 
【しかし電力会社は新しい火力発電所をどんどん作っているわけではなく、老朽化して使っていなかった火力発電所をどんどん復活させることにより、電力不足をしのいでいます。経産省も環境アセスメントの免除など、環境基準を大幅に緩めて、老朽化した火力発電所の稼働や増設を助けています[3]。実際のところ、放出される大気汚染物質はこれよりかなり多くなるでしょう。おそらく3000人以上の死者が毎年出る程度ですね。】(上記リンクより)

 らしい。
 これが「原発を停めても電力は大丈夫だ!」の裏側である。
 再生可能エネルギーが原発の分まで賄える、つまり再生可能エネルギーのリスク計算をキチンとして、再生可能エネルギーの中で原発や火力に変わり得る安定したエネルギーである地熱発電や、あるいは、「トータルでペイね」のバイオ系を使った発電なんぞと、火力発電で賄える様になるまでどれだけの時間がかかるのか知らないが、現状では毎年3000人以上らしい。

 「そんな話はウソだ!原発推進派の御用学者か、工作員だ!」
 
 という意見や、あるいは

 「今回の原発事故でどれだけの人が死亡すると思っているのだ!」
 
 でも構わないが、まあ、批判になっているのか、どうかは知らない。
 現状では原発事故で放射能で亡くなられた方は居てないらしい。不確定な怪しい情報もあったが、まあ、解らない。将来に渡っては、国がどこまで本気でやるかだろう。
 何やら

【生涯被曝100ミリシーベルトを答申へ 食品安全委】
 http://www.asahi.com/national/update/0726/TKY201107260158.html?ref=goo

 らしいが、んなもん、放射能に弱い人も強い人も居てるやんけ。個別の健康管理の徹底しかないやろ。目安は目安なんだろうが、同時に福島県民だけでなく、日本に住んでいる全ての人を対象にすべきではないのか?そして、誰一人として犠牲者を出さない。放射能由来でなくとも甲状腺ガンや白血病なんぞの発病率も低下させ、ますます長寿国になるとか。え~。。。健康保険料が高くなるのだろうが。

 あ、話が。

 日本は『原発がある様な国』である。

【原発ゼロにすると大気汚染の増加で何人ぐらい死ぬのか?】

 という記事を読みつつ思ったのだが、では、「原発を廃止する様な国になったら、自殺者はどれだけ減るのだろうか?」と、ふと思った。
 思っただけなので当然データーはない。facebookで忙しい。
 
 まあ、原発を廃止する動機にもよるのだろうが、また、原発を廃止してどういう国を目指そうとしているのか?という問題でもあるのだが、「無理やって」と。「テキトーな事しか出来ひん、失敗ばっかりしている私らに、原発を管理するのは無理やって」なんぞと。
 イタリアで原発廃止した時のジョークで「あれだけ勤勉な日本人が原発を管理出来なかったのだから、私たちに出来るはずがない」というのがあった。
 エエ感じである。
 「日本高度成長期を推進して来た人達が無理やった事を、私たちに出来るはずがない」とか(笑)

 原発って管理と緊張のシンボルではないかと。失敗や間違いが許されないシンボルではないかと。そういう『原発』を許して来た社会ではなかったのかと。
 原発廃止により毎年3000人以上の犠牲者増加らしいが、単に「原子力発電を辞めます」だけでなく、思想そのものが問われているのでは?なんぞと思ったりする。

 当然、
 「なんで私の大切な人が放射能の影響で死ななければならないの?原発を推進して来たのは誰?」
 でも、あるいは
 「なんで私の大切な人が公害の影響で死ななければならないの?原発を停めたのは誰?」
 であっても、キチンと向き合わなければならない。
 どんな大義の為であっても、その影響で人が亡くなるのだから、「仕方がない」とは言ってはいけない。

ヤツらの仕業

2011年07月25日 | 坊主の家計簿
 寺のホームページをMacのiWebというソフトを使って、MobileMeというこれまたMacのやつで公開しているのだが、このMobileMeという有料サービスが来年6月やったけな?に無くなるらしい。何やら「新しいOSを入れて貰ったらそのまま使えますよ、無料になりますよ」なんだが、ホームページはアカンみたい。他所に移行する方法が書いてあったのだが、え~。。。頭が痛いっす。iWebというソフトはMobileMeを使うと非常に簡単にホームページが出来上がり、アップ出来る。それを他の所でやるとなると、頭が痛いし、探さないといけないし。
 それ以前の問題として、ホームページは全然いじっていない。ほぼ、忘れ去られた存在になっている。最後の更新が2010年9月だったりする。これは使わんぞ。
 という事で、ブログスタイルにするか、どうしようか考えていたのだが、無難にfacebook。なんせタダである。かつ、利用者がこれから爆発的に増えるとは思えないのだが、「少しは増えるやろ」だったりするし、利用者が増えればfacebookの使い方に慣れる人が増えたら操作も簡単に出来るのだろうし、無料なのでfacebookに決定。まあ、ホームページを一から作るより簡単であり、ソフトも不要みたいやし。

 しっかし、Macって、無茶な商売しやがるなぁ。。。「ホームページのサービス辞めますから、移行して下さい」って、おい。
 そういえば、今のインテルMacでは以前のソフトは使えない、という無茶もやっている。んなもん、Macが使い易いし、安定しているから使っているようなものの、「アホか!ボケ!」の話でっせ。

 という事で、今日はfacebookの登録をしたり、諸々の設定。だいたい「facebookってなに?」の状態だったので、イチイチ時間がかかる。ついでにツイッターの設定も変更。え~。。。日本語版つーか、日本語表示出来たのね。英語なんぞ全く解らんから、カンでクイックしたりしていたのが、これからは日本語での案内で非常にスムーズである。

 ん?というか、寺のホームページにするならば、寺の名前で登録すべきか。え~。。。今度。
 
 と、書いた辺りで「facebookって会員以外でも見れるんだっけ?」という非常に素朴な疑問にブチ当たる。
 検索したら大丈夫みたいなのね。

 え~。。。今日は、普段使わない部分の脳味噌を使ってヘロヘロでございます。。。これもヤツらの仕業か…

 
 という事で、実はさっき少しハマってしまったもの。

【語尾に奴らの仕業かを付けると誰でも簡単に中二病】
 http://twitter.com/#!/search?q=%23語尾に奴らの仕業かを付けると誰でも簡単に中二病

 である。
 素晴らしい。。。今の日本のネット内一部の状況にピッタリではないか。
 だいたい、「フジテレビの役員に東電の元社長がいるから、フジテレビは原発に反対出来ない!」って、おい(笑)
 一流企業の役員がどうなっているのか知らないが、日本郵政の元社長だった西川善文氏は、『三井住友銀行元頭取。三井住友フィナンシャルグループ元代表取締役社長』だったりするのだが。「だから郵政民営化がナカナカ先に進んでいない!」とも言えるのだろうが(笑)ゆうちょ銀行が三井住友銀行に対して有利な取引とかしたのか?
 どうせなら、「産業経済を社名にしている所に原発の批判が出来るわけがない」とかの方が解り易いと思ったりするのだが。

 だいたいこの『ヤツらの仕業』って、まあ、『ヤツら』が居て『仲間』が居ているわけだ。「原発推進派の仕業」であっても。そこには個人がない。個人不在の議論である。つーか、『議論』というよりも、レッテルの貼り合いなんだろうが。
 また「ヤツらの仕業」の「ヤツら」は敵なんだろう。敵と味方。敵が原発推進派ならば、反対派が味方。「菅直人はヤツらの仕業で総理大臣を引きずり下ろされようとしている」とか。

 そういう中で、この【語尾に奴らの仕業かを付けると誰でも簡単に中二病】は非常に楽しい。
 あ、

【「中二病」 とは、中学2年生 (14歳前後の思春期) の頃に、つい背伸びしてやってしまう 痛い行動や考え方、または年齢を重ねているにも関わらず、そういうことをいつまでもやってしまう人が罹っている 「病気」 のことです。】(http://www.paradisearmy.com/doujin/pasok_tyuunibyou.htmより)

 らしい。

【具体的には 「中学2年生の頃 (の男子) にありがちなこと」 のような内容となりますが、「中学生レベルの幼稚な考え、屁理屈で世の中を見ている」 とか、「大人になったつもりで同級生などを見下したり、自意識が過剰となる」「自意識が過剰となって自分を特別視するようになったり、自分に妙なキャラを作ったり設定を設けたりする」「異常なほどの正義感に燃えたり、逆に妙にワルぶったり」「狭い視野なのに社会の全てを見通した気になって批判したり、厭世的になり無気力・世捨て状態となること」 といった意味もあります。】(上記リンクより)

 らしい。

 まあ、この『中二病』という言葉自体が非常に『中二病的』なんだが(笑)偏見ですし。
 けど、多くの中学校2年生男子には悪いが、また、「俺が中二の頃はそんな事はなかった。勝手に決めつけるな!」という方々には大変申し訳ないのだが、偏見であり、偏見は差別の根源である、とした上で、この【語尾に奴らの仕業かを付けると誰でも簡単に中二病】は楽しい。
 何が楽しいかって、これは「今でも普通にやってる事じゃん!」だったりする。ほれ、何かあった時に「ヤツらの仕業か」とか思ったりしません?家の前に空き缶が捨ててあったりしたら、御近所で仲が悪い一家を思い出して「ヤツらの仕業か」と思ったりしません(笑)何の証拠もなく。
 だから、楽しい。遊びで「ヤツらの仕業か…」とやってたら、「これって、俺の心の中、そのままやんけ」とか。
 
 証拠がないまま決めつけているのだから、結局信じられなくなる。これこそがヤツらの仕業なのだ(笑)

 まあ、証拠もなく「ヤツらの仕業」と決めつけるのは、安心を得る為の防御反応なのかも知れない。誰がやったか解らないのは不安だし。また、『ヤツら』なのだから、個別を無視しているのだから簡単である。しかし、精神的にはどうなのだ?一時の安心は得られるかも知れないが、妄想は妄想でしかない。妄想は事実ではない。キチンとした事実がはっきりした時に初めて事実になる。それまでは妄想にしか過ぎない。どれだけの読みであっても、決して妄想は事実ではない。
 しかしながら妄想はしてしまう。

【また妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。臨終の時までは、一向に妄念の凡夫にてあるべきとこころえて】(念仏法語より)

 という事が大事なのではないのか?少なくとも私にとっては事実だし。
 まあ、『妄念』と『妄想』は少し違うが。

 今晩も禁煙が。。。酒も抜こうと思っていたのに。。。これもやはりヤツらの仕業か。。。(笑)

ロックの定義

2011年07月25日 | 坊主の家計簿
 一昨日より喉の調子悪し。咳き込むし、かなりうっとうしい。坊さんにとって声は商売道具でもあるので、声が出難いのはマイナス点である(個人意見)。やはり朗々とした声での宗教音楽、音楽療法としての声明は私にとっては大事な事。つーか、私の『僧侶』としての売りの最大セールスポイントですし。
 一昨日からの喉の調子悪さだったのだが、一昨日は夏バテ状態でもあり、声がかなりピンチだったのだが、夕方からの外出帰りに「まだ酔いが足らん」と飲みに行ってしまって、終電。。。まあ、翌日(昨日)は一昨日より声は出てたが、その分、咳き込む。今日はバリバリ声は出てたが、咳き込む。咳き込むのは『僧侶』としてマイナスであり。。。(以下同文)

 今朝からプチ禁煙。つーか、元々、飲みに行かない限り、あるいは葬儀の前とかでない限り、そんなにタバコは吸わない。何もなければ1日5本程度である。もっと少ない日もある。なんせ「朝の一服」も殆どしないし。
 しかしながら、禁煙である。『禁煙=ストレスが貯まる』である。という事で、今日もツイッターで主に遊ぶ。
 
 ツイッターは純粋ストレス発散の場である。ブログもストレス発散であるが、ツイッターで遊んでいる時は殆どシラフ状態なのでかなり暴力的になる。先日もある友人からツイッターで書いて居る事に対して「何もそこまで言わんでも」なんぞと指摘されたのだが、え~。。。暴力的です。
 純粋ストレス発散の場なので、何か面白いネタを探す。そして面白いネタは色々落ちているので、今日も、主にそれで遊ぶ。

 先日も書いた『制服向上委員会』の事に関して、所属事務所の代表がインタビューに答えたらしい。

 http://exdroid.jp/d/17812/

 謝罪文を出したはずなのだが、上記記事では、その謝罪文を否定する様なイメージを受けた。

 関連してのツイッターまとめ

 http://togetter.com/li/165305

 まあ、色々と突っ込みどころ満載なので、諸々遊んでいた。
 ん?「遊んで」という言葉は失礼だ。批判していた。
 禁煙のストレスもあって、久々に「俺ってアラシ?」みたいな感じも受けつつ、批判。
 
 同世代なのかよく知らないが、割としっかりした人とさっきまでやり取りをしていたのだが、寝はったみたいですね。当り前か(笑)
 諸々書きつつ、かつ、上記リンク記事を読みつつ、『ロックの定義』って何なんだろうか?と、ふと疑問に思う。

 といっても、私にとって「あいつはロックやのぉ。。。」と、「あいつはパンクやのぉ。。。」というボーダーは曖昧だったりするのだが。
 例えば、先日久しぶりに再会したパンク兄ちゃんは『いのちの祭』という、オモクソ反原発の反文明の集会(屋外ライブイベントか?)に行った時に、川でシャンプーを使いながら髪の毛を洗ってリーゼントを決めていたらしい。これは「おお!パンクや!」と同時に「おお!ロックや!」とも感じる。
 中島らもは確か自分の生き方について「ひねくれ者」みたいな事を書いていた。つまり、今ならば世の中の多くが反原発・脱原発に流れている。そういう状況の中で『ひねくれ者』としては「原発賛成!」であると(笑)まあ、世の中の価値観が1つになって行く様なムードに対する反抗なんだろう。なので、『反抗』がロックであるならば、今は「原発賛成!」の方がよりロックである(笑)

 今日は11時からの法事。毎度の事ながら「何を喋ろう」である。丁度、着替えたり、焼香の準備をしている時に「時代やな」みたいな言葉が聞こえたので、何も考えてなかった私は地デジ化で喋る。何やら12時からアナログ放送が見れなくなるらしいし。丁度今月の寺通信に書いた世間用語としての『流行(りゅうこう)』と、仏教用語としての『流行(るぎょう)』について喋りつつ。
 けど、失敗やったな。『法話』としては上手い事行ったのかも知れんが、少し場を弁えてなかった。一周忌で喋る事ではなかったな。あえて言葉を使い分けるが、『僧侶』としては良かったのかも知れんが、『葬式坊主』としては失格やな。寄り添う法話ではなかった。「顔見て喋れ」という事からは遠く離れていたな。

 あ、『ロックの定義』
 有名なロック評論家や、ロックミュージシャンから「お前はロックだ」と評価されたから「ロックだ」という段階で最早ロックではない。んなもん、「俺はロックやってまっせ」だけなのではないのか?もっと言うならば、そんな言葉も要らない。ロックを生きているだけの話だ。

 『僧侶』という言葉は私的には職業としての言葉なので、生き方としての念仏者、仏弟子としての定義。条件としての称名念仏。「ただ、南無阿弥陀仏」であったりする。しかしながら、私的には、今日の法事に参加して居られた人達全てが念仏者であり、仏弟子である、という確信の認識。疑いは失礼の私の修行不足である。
 「みんな、本当は南無阿弥陀仏と念仏申したいんや!」と、実はキライな先生に教えて頂いたので。え~。。。○○先生、演歌っぽい(笑)私は○○先生の、えーい面倒だ。延塚先生の演歌っぽい所がキライである。授業サボって法話を聞きに行ったが(笑)
 え。。。純粋に趣味の問題です。私の限界です。

 しっかし、『定義』って面白い。ホンマに「誰が決めるねん?」という話である。「誰に決める権限があるねん?」であり、「誰に奪う権限があるねん?」である。
 人間の定義しかり。

 最近、某機関誌を読んでたら、原発事故に関して「悪人を作ってしか生きて行けない私たち」みたいな文章があった。誰が書いたのか知らない(載ってても忘れてます)のだが、「おお!」である。あまり勉強しない私にとっては久々の「おお!」である。

 昨夜、録画していた『朝まで生テレビ』を観ていた。ああいう分け方もどうかと思うのだが、まあ、テレビ的演出手法なんだろうが、『原発推進派』と『原発反対派』に別れての討論。
 結構、面白かった。特に、『今まで与党だった原発推進派の人達』の意見が非常に参考になった。やはり、今回の原発事故に対して『より多くの』という言葉を付け足すが、責任を感じて居られるのは、いわゆる推進派の人達である。自分達がやって来たことであり、かつ、これからも出来れば進めたい事だからなんだろう。
 先に『与党だった』と書いたが、やはり与党の責任なんだろう。そういう意味では、反原発、脱原発の論客は、これから与党になって行く事になるのだが、イマイチ、弱かった印象を受ける。

 「天皇制に反対する人は中共の工作員である」とは笑い話の妄想にしか過ぎない。
 同じく、え~。。。今日の私もそういう風に見られていたのかも知れないが、「脱原発路線に対して批判する人は、電力会社や推進派の工作員である」というのも笑い話の妄想にしか過ぎない。

 え~。。。椅子に座ろうと思ったらケツから転けた。。。

 戦争中には戦争中の正義が絶対であり、戦後は別の正義。原発行政の中での正義もあり、その神話が崩壊したら、別の正義が。
 そういう中での原発労働者の問題。
 先日の朝生の中でも『推進派』の席に座っていた医師でさえ、今の福島原発での労働者に対する扱いは「国家による犯罪である」と。
 正義が変われば価値観が変わる。その価値観の中で「あんなヤツなんて」というのが、最末端の原発労働者の実体ではないのか?

 あ、泥酔でふ。明日、御参りはないので。
 
 時代の流行(りゅうこう)の正義だったり、定義は仮のものではないのか?しかしながら、そういう『仮』のものを『真』であると思い込んでしまう色眼鏡をかけてしまっているのが実体ではないのか?

【ぼくの家庭の平安、ぼくの村の平安、その平安のどれにでも誰かがいつも泣いている。そんな涙を犠牲にしながらようやく成り立つような平安なんて一体何だろう。(中略)
 形ばかりの中身のない自分勝手な平安は本当は決して求めてはならないものであるに違いない。それなのに私たちはいつもそんな形ばかりの平安を求めてしまう。そんな私たちをまさしく問いただしてくるものは、悲しいけれども唯一「幼な児の涙」という被抑圧的な被支配的な被差別的な現実である。】(尾畑文正『親鸞への旅』より)

 多分、尾畑先生とは意見が違って来るのかも知れないが、私は、『反原発』『脱原発』という時代の流れの中で敵視される人達に思いを馳せる。
 「戦略的にまだ早い」でも構わない。「それは反動に繋がる」でも構わない。私の課題でしかないし。

 最近、娘に対してよく怒る。「それはアカンって。」なんぞと。成長の証であり、元気の証であるのだが、「アカン!」と怒る事が増えて来た。「○○して!」なんぞとも。
 所詮、ワガママでしかない。「早く寝な、明日しんどいって」なんぞと言ってしまうが、「早く寝ろ」という私の都合である。大好きな、大切な娘に対してもワガママを押し付けているのが私の生活実体である。

 あ、早く寝ないとイケナイのは私の方やな。

修学旅行は福島原発へ

2011年07月22日 | 坊主の家計簿
 ちょい、休肝日なしの無防備状態での日々が続いていたので酒を抜く→ブログも休みのとっとと布団に潜り込む2日間。今日は、明日夜外出なので少し飲んで置かないと「3日間抜いたし」と飲み歩く事必須。明後日忙しいし、それは危険である。なので、少しだけ飲みながらブログ日記。

 今日は京都まで。法衣類のクリーニング。前住職の法衣類が装束タンスにあって、整理してない状態のも多々あり、え~。。。そのままでは使えません。つーか、元々持っていた法衣類がかなりあって、前住職のは使わないと思うのだが、そのままグチャグチャの状態はイヤなので、クリーニング。
 古くて生地とかがダメなのはママに渡す。寺で使わなくともママにとっては遺品だろうし、私の関与する範囲ではないし。それでも結構な枚数があって、京都でクリーニング。郵送でも良かったらしいのだが、郵送費とガソリン代を考えるとガソリン代の方が安いし、その場で向うの人と対応出来るし。やっぱり顔を見ての方が安心。引き取りにも行くので、結構値引いて貰ったが、それでも枚数もかなりだし、金額も結構。まあ、今年最大のお金がかかる寺の手入れ。

 帰り道、野菜の直売所に寄る。生バジルが安く売っていて、なかなか嬉しい。

 大阪にも放射性物質が来ているという事は、今日買った野菜だって放射性物質の影響を全く受けていないとは思えない。大阪より西の地域、四国なり、中国地方なり、九州なりの野菜は知らないが、放射性物質の影響はなにかしら受けていてもおかしくはない。ただ、数値の問題なんだろう。

 さっきまで銭湯に行ってた。帰り道のコンビニ前で若い兄ちゃん達がタムロって居た。別に興味はなかったのだが、何やら「原発は危険や」みたいな声が聞こえた。御近所大学生なのかな?解らんが。
 小雨が降って来て、傘を持ってなかったので、タオルを頭から被って自転車。子どもの頃に「放射能の雨に濡れたら頭が禿げる」と言ってた事を思い出す。核実験とかは知らなかった(はず)なんだが、何故か「放射能の雨」と日常会話で喋っていた。そういう時代だったのかも知れないし、うちの御近所だけだったのかも知れない。

 銭湯に行く前にニュースを見てたら、何やら関西電力の原発停止の影響で夏の節電が大変らしい。けど、うちはもう無理やぞ。ピーク時に家(寺か?)に居ているのは私だけだし、ピーク時に照明も冷房もつけずに扇風機で寝転がってiPhoneで遊んでいる人間にこれ以上、どうやって節電しろというのだ(笑)まあ、冷蔵庫は動いているが、なんてエコなんだ。つーか、私の生活習慣なんだが。冷房苦手だし、かつ、電気代が勿体ない。あ、葬儀とか法事の後は、法衣を乾かす為にエアコンの『衣類乾燥』をつけているが、まあ、それもピーク時は辞めよう。

 これは昨日(20日)の記事なんだが、何やら、原発停止のままでは来年の夏には電力が25%足らないらしい。

 http://sankei.jp.msn.com/life/news/110720/trd11072022540030-n1.htm

 呑気な話である。んなもん「とっとと火力発電を増設せえ!」という話である。
 今後、まあ、最低でも数年、当然、出来れば将来に渡って原発を廃炉して貰いたいのだが、まあ、最低でも数年は原発の最稼働なんぞ無理である。それが現実ではないのか?だったら、電力会社や政府は『危機管理』という言葉が正しいのかどうかは知らないが、火力発電の発電量を上げて行くしかない。古い火力発電所が大気汚染や安全面で問題があるのならば、尚更火力発電を増設していくしかない。
 まあ、「電力が足りません」という情報を流しておくと民間の自家発電量が増えて、その分、電力会社の消費量が減るわけなんだし、トータルでの発電量が増えるから好都合なのかも知れないが、電力を『供給する側』の責任として、来年までに出来る限りの努力をするのがプロではないのか?それともなんや?「原発を停めても電力は足りている」に電力会社も便乗するのか(笑)
 プロならプロとしての仕事をせえ。供給責任を果たせ。

 原発コストの再計算を政府が指示したとかの記事があったはずだが、これか

 http://www.asahi.com/politics/jiji/JJT201107200152.html

 まあ、総理の脱原発路線にあわせて、地域対策費等の費用を原発だけに加算するとか、また、火力発電ならばCO2の対策にかかる費用も計算して、公平に数字を出して貰いたいものだ。
 
 ついでだが、どうせ、これから議論になるのだろうから、先に書いておくが、大地震でも女川原発は大丈夫だった。これは絶対に使われる。要するに「安全な原発だってあるのだ」なんぞと。
 原発を廃止して火力にすると電気代が上がるのだろう。原発にかかっていたコストはほぼ消えないわけなんだし。『廃炉』といってもコストはかかる。
 「電力不足やコストの上昇で日本経済がダメになる」と予想される方々も居られる。
 安全基準内や、タマに流通する基準値以上に汚染された食べ物を食べないといけないわけだし、経済もダメになる事も含めて腹を括らんとアカンのと違うのかな?
 それでないとストレステストを通過した原発を「安全な原発」として認識してしまうのではないのか?「女川原発は未曾有の大災害でも大丈夫だったでしょ?」と。
 欲望に弱くない?私たちって(笑)

 ♪解っちゃいるけど、辞められない

 じゃない(笑)

 今、脱原発や、反原発は流行中である。『流行』という言葉が適確かどうか解らないが、まあ、流行していると言わざるを得ない。

 何やら、『制服向上委員会』とかいうアイドルグループはフジロックに出れないという事がネットの一部では盛り上がって問題になっている。
 つーか、ツイッターネタや、2ちゃんねるネタだけでなく、毎日新聞(ネット版でしか知りません)でも取り上げられた。

 http://mainichi.jp/select/biz/it/hatena/archive/articles/201107/5118.html

 元ネタ。

 http://blog.oricon.co.jp/ski-official/archive/4028/0


 ロック界の大物裏方情報

 http://twitter.com/yu_hirano/status/93655540290437120


 有名ロック系音楽評論家情報

 http://twitter.com/yukawareiko/status/93904876656013313


 便乗する意味不明の武田邦彦

 http://takedanet.com/2011/07/post_078a.html

 
 何やら、制服向上委員会は頭脳警察のパンタと関係があるらしい。パンタといえば、フジロックに行きたがるような人にとっては山口冨士夫、遠藤ミチロウと並ぶカリスマだと思うのだが。みんなジジイだし。
 しかもパンタ(頭脳警察)は思いっきり政治的である。なので、贔屓目に見たいのだが、なんかなぁ。。。

 勝手な妄想だが、制服向上委員会がフジロックに出るのは初めてなんだろう。で、制服向上委員会がフジロックに出れる唯一考えられる事は、8月15日に発売されるらしい『ダッ!ダッ!脱・原発の歌』があったからではないのか?

 今年のフジロックではアトミックカフェをやるらしい。

 http://fesplus.tumblr.com/post/6574026172/frf

 制服向上委員会が出れるとするならば、その枠しかないのではないのか?で、スタッフの中で「制服向上委員会というパンタさんが関係しているグループが脱原発の歌をやっているらしいですよ」「それ、オモロイかも知れんな。一度、当たってみて」みたいな話があったのでは?と。舞い上がる制服向上委員会。しかしながら、制服向上委員会はアイドルグループ(らしい)であり、『一曲だけ』である。「これは無理違うか?」となった所で断りの連絡をしたが、なんせロック関係者、シャレで「スポンサーの大手企業の反対で出れなくなってしまった」と冗談で言ったのを真に受けてそのままブログにアップした辺りが真相ではないのか?と。まあ、純粋に売名行為も狙っていたのかも知れんが。ロックだし(笑)

 個人的には、このまま制服向上委員会にフジロックに出て貰いたい。ただし、パンタがメインボーカルで。
 還暦を迎えたパンタが女子高生の格好で制服向上委員会を従えて悪たれ小僧を歌うとか良いではないか。当然、脱原発の歌も。
 何やら、制服向上委員会は、地味に反原発活動をやっているらしい。っちゅうか、パンタやし(笑)パンタなんぞ真っ赤っかではないのか?ソウルフラワーと共に。ロバートワイアットとかも呼んででんな、ん?これはチト違うか。
 フジロックからの公式見解もなく、制服向上委員会からの追加コメントもない。まあ、調整中なのかな?

 山本太郎の「原発に反対したから仕事干されました」発言にしても、本人が言っているだけの話である。事務所は否定している。あくまでも本人が言っているだけの話である。制服向上委員会も同じである。現状では。でも、両者とも原発に反対する意見を公表し、地味に運動もやっている事だけは確かである。「それだけでも良いのでは?」と思うのだが、なんせ『芸能人』という仕事である。それが生活の糧である。売れてナンボの世界である。マスコミはショッキングなネタで注目を集めて生活の糧にしている。企業の広告も『ショッキング』かどうかは別にして注目を集めてナンボの世界でもある。個人的歴史でいうと『坊主バー』なんぞもそうだ。目立って、生活しなければならない現実がある。んなもんだ。
 私は両者の「干された」を全く信用していないのだが、生活臭が漂う話である。好みの『人間交差点』的な話であったりもする。
 まあ、両者が言っている事を鵜呑みにするのはどうかと思うが。武田邦彦の様に。

 アトミック・カフェである。
 チェルノブイリ以降に親しく聞いた言葉であるが、すっかり忘れていた言葉でもある。

 先日、旧友との再開の時に『いのちの祭』の話をしてた。私が知ったのは六ヶ所村の時。六ヶ所村でやる事から解る様に、もろ反原発、つーか、「自然に還れ!」みたいなイベントだったらしい。親しい人達が行ったり、出たりしてたのだが、私は仕事で行けません。いつもの事です。

 アトミック・カフェにしても、いのちの祭にしても『過去のもの』になって居た。
 原発問題は『過去のもの』になっていた。
 今程ではないが、結構盛り上がったはずなんだが。個人的な感触では。でも、過去の事になっていた。

 喉元過ぎれば熱さ忘れてしまうのが私たちの正体ではないのか?

 福島原発事故。実は、日々起る交通事故等もそうなんだが、非常にショッキングな出来事であったが故に記憶に刻み込み易い。『理性』であるとか、『知恵』であるとか、そういう事がショッキングに暴かれたのが福島原発事故ではないのか?そんなもんが頼りにならないという事をショッキングに示してくれた出来事ではなかったのか?

 欲望は欲望である。煩悩は煩悩である。んな事を認めてしまったら、問題にならない。問われる事がない。そして、忘却してしまう。『必ず』とつけるが、忘却してしまう。
 なら、誓うしかないのでは?と思ったりする。

 

  わたしの まちがいだった
  わたしのまちがいだった
  こうして 草にすわれば それがわかる
  (八木重吉『草にすわる』)

ライフワーク

2011年07月19日 | 坊主の家計簿
 御近所バーで南国ライブ(?)
 ん?正式な名称知らんなぁ。。。つーか、店の前に貼ってたなぁ。。。ほぼ毎日通る店なんだが、別に必要な情報させ仕入れればどうでもエエので見てなかったなぁ。。。
 友人を最寄りの地下鉄駅まで迎えに行って、入店。あれ?知った顔が。。。声をすぐにかけようと思ったのだが、間違っていたら失礼だし、こういう時は少しお酒を入れてから声をかけると「すいません。酔っぱらってて間違ってしまいましたわ」と言い訳が出来る。なので、ビールを注文して少し飲んでから声をかける。
 ビンゴである。なんせ、ほぼ20年振りの再開である。かつ、向うは一級障害者になった以外は外見が全然変わって居てなかったのだが、こっちは『ウエスト10センチ以上。体重15キロ以上』大きくなり、かつ、髪型も丸坊主になったので、そら、一見して解るわけもない。何やら今日私が行った目的の人と友人らしく、「え?そうやったんですかい」と、これまた「大阪は広いのやら、狭いのやら」である。ちなみに旧友と知り合ったのは松下電器で人材派遣工場バイトをしていた19ぐらいの時だったし。当時から数年は一緒に遊んでいたのだが、それからはご無沙汰状態だったので。変わらずのパンク兄ちゃんで、なんか嬉しかった。
 
 という事で、パンクである。
 もし、仮に今、シドビシャスが生きていたら、福島原発に密かに忍び込んで倒れかけの4号機の前で「俺達の振動で倒してしまえ!」なんぞとやっているはずである。
 あるいは、汚染水で泳いでいるはずである。泳ぎながらマイウェイを歌っているはずである。それがパンクの中でも自虐系の宿命である。。。のか?まあ、よく解らんが、やりそうである。なので、え~。。。警備してはるのは自衛隊なのかな?別にテロリストではないが、世の中には廃墟マニアなんぞも居ているわけなんだし、きっと命知らずの面々が密かに侵入してノイズをやったり、シドビシャスバージョンのマイウェイを歌ってYouTubeにアップする危険性もあるので警戒した方がエエと思うぞ。まあ、別に害がないから、本人の被曝以外に害はないから「放っといて死ね」でもエエのかも知らんが。

 そういえば、「原発にミサイルぶち込まれたらどうするねん」なんぞの意見がある。戦争って、政治や、っちゅうねん。多分、あり得るとするならば、「地球の害虫である人間を駆除すべきである」みたいな宗教カルト団体ぐらいだろう。あ、「ローリングストーンズを日本に呼べ」というのもあったか。まあ、映画の中の話なんだが。
 戦争は外交の延長なので、原発にミサイルを打ち込むような暴挙が出来るのはアメリカぐらいではないのか?もしくは、アメリカが許可した国とか。
 だいたい、リビアの反政府勢力を『正式な外交交渉の相手』として認めるって、こら、どういう事やねん。日本もらしいが。女子サッカーの裏で何をしとるねん。

 という事で、魁皇である。魁皇が千代の富士の記録を破って、大相撲の最多勝記録を作ったらしい。
 『らしい』である。なんせ、「なでしこジャパン!」の裏に見事に隠れてしまった。菅直人の「原発に頼るの、そろそろ辞めようや」もあって、魁皇の輝ける記録が隠れてしまった。当然報道はされているが、それこそ反原発デモに参加した人達の中に「このデモが何故報道されないのだ!」と怒っていた以上の反感が大相撲ファンにあったのかも知れない。え~。。。別に、私、大相撲ファン違いますし、また、それ程興味ないので調べてもいない。あ、女子サッカーも。
 
 ただ、女子サッカーでは、澤とかいう選手の元彼が『FBIの捜査官』という情報があって、これは個人的にウケた。いや、ホンマかどうか知らんが、ほぼ、ジョークに近い、ネタ的な世界やし。

 魁皇の大相撲に輝ける最多勝記録は女子サッカーに『報道』ではかき消された感じであるが、女子サッカーだって無名なスポーツである。
 ダウンタウンの浜田がやってた、ジャンクスポーツやったけな?個人的にはそれぐらいでしか知らない。また、今回のワールドカップの試合中継も準決勝からだったのか?準決勝や、決勝の視聴率は知らないが、深夜早朝の中ではかなりの視聴率をたたき出しているのかも知れないが。

 恐らく、今日、御近所バーでやってた数組の出演者の中から、マスコミで大騒ぎになる程のスターは生まれないと思う。CDが何百万枚売れました、ダウンロードが何百万件です、とかのスターは。
 けど、好きだからやっているのだと思う。


 ♪金も無い コネも無い 体は病弱で 頭も悪い
  おけらだって生きている あめんぼだって生きている
 (アンジー『すべての若き糞溜野郎ども』より)

 

邪見

2011年07月18日 | 坊主の家計簿
 昨日のお出かけ予定は

 1 晩御飯までに帰る
 2 娘が起きている間に帰る

 だったのだが、あえなく突破で、娘との約束ブッチ。

 出かけていた先は立正佼成会大阪普門館という所。別に「これからは日蓮やで!」というわけではなく、支縁のまちネットワーク主催『東日本大震災復興祈念集会』に参加する為。
 
 http://keishin.way-nifty.com/jp/files/shien0716.pdf
 
 支縁のまちネットワークの共同代表の一人が親しい先輩でもある事だし、娘の熱も37℃代に下がったので、仕事終わって速攻で出かける。けど、13時からなので遅刻なんだが。
 
 参加しようと思った動機の1つには松浦悟郎神父がパネルディスカッションに参加されるという事もあった。以前から注目していた神父である。

 http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/diocese/osaka.htm
 http://www7.atwiki.jp/prkorea/pages/16.html

 10年ぐらい前になるだろうか?友人より「今、玉造教会で不法入国で強制帰国させられようとしているフィリピン人を守ってるねん。手伝いに来てくれ」と電話があって、「仕事じゃ!」という一言で終わったのだが、確か、あれも松浦神父だったかな?
 まあ、大阪の色んな集会で名前を見てたし、友人のクリスチャンからも噂を聞いたりして、興味津々で一度会いたかった人。

 昨日のパネルディスカッションでも、阪神大震災の時に元から公園に居たホームレスに対しての避難して来た人による排除行為に対しても、「『良い人』『悪い人』でなく、ただ単に『困っている人』」やったかな?そんな『視点』で喋って居られるのを見て、「おお!」と、宗教は違えども非常に素朴に感動した。

 ちなみに昨日の東日本大震災復興祈念集会であるが、約500人入れるホールが、ほぼ満杯。後ろの方の席は空席が目立っていたが、8割ぐらいの入りかな?ざっと350人~400人ぐらいの参加者か。
 関わっている団体がバラバラなので参加者もバラバラ。会場である立正佼成会の人達が多かったかな?

 松浦神父の発言だったか、他の人の発言だったが忘れたが、パネルディスカッションの中で、「『宗教者』として関わるのでなく、まずは一人の人間として関わり、その中で『宗教者』としての社会的役割を担う」だったかな?そういう発言があった。
 私は「宗教者として」とか、あるいは「僧侶として」なんぞの言葉が大キライだったのだが、この発言は解りやすい。「私、調理師やねん」「ほな、あんたは料理作ってえや」とか、そんな感じがエエ感じである。「宗教者だから何かをしなければならない」「坊主だから何かをしなければならない」でなく、一人の人間として、それぞれ仕事であったり、得意ジャンルであったり、そういう事で関わればエエのでは?と。

 交流会にも参加させて貰った。
 交流会の中盤ぐらいに「共同代表の僧侶仲間」という事で、「自己紹介と何か一言」という事だったので、最早ベロンベロンに近づきつつある中で自己紹介。「何か一言」は、「支縁というが、縁は道理なので切れない。切る為には意識して切らないと無理である。」みたいな事を喋ったはずである。

 ホームレスの人達に対する批判で「好き勝手に生きて来てんから、仕方がないやろ」なんぞというのがある。そういう風に何か理由を立てなければならない。これは松浦神父の視点「『良い人』『悪い人』でなく、ただ単に『困っている人』」ではない。何かの理由を立てて「あの人は悪い人だから仕方がない」等と。
 死刑制度に関しても同じである。その人が何をやって来たとか、そんな事を素っ飛ばして見れば「殺されようとしている人」でしかない。そんな視点からの批判が「宗教者として」「僧侶として」の役割だと思ったりするのだが。
 しかしながら、その、例えば『批判』だったり、行動だったりするのも、その人次第である。
 「宗教者として○○すべきである」とか「僧侶として○○すべきである」というのは、私にとっては『宗教者として失格』であり『僧侶として失格』である。出来ない人を無視しての条件立てはおかしい。

 交流会では増々泥酔状態になり、葬式仏教を研究している大学生(?)に「童貞なん?」と言って、隣に居てた友人女性に思いっきり頭を叩かれる(笑)
 でも、彼の葬式仏教の研究方針が面白かった。「葬式仏教はなぜ悪く言われるのか?」みたいな視点を持って居られた。何をきっかけに葬式仏教を研究し出したのか知らないが、「葬式仏教って、最初は悪く言われてなかったのに、何故、悪く言われる様になったのか?」と言っていたのが印象的である。
 そこには、最初からの答えありきの研究ではなく、純粋に学問として研究しようという意思がある。最初から「葬式仏教は悪い」ではなく、研究している中で得られた事を、そのまま受けとって行く視点というのは素晴らしい。

 我見、あるいは邪見。悟ってなんか居ないので、当然、それらの偏見でしか物事を見る事が出来ない。漠然とではあっても、何かしらの『答え的なもの』は握りしめている。そんなものだと思うし、そういう自分を見つめないと、自分に対しても失礼だし、周囲に対しても迷惑である。

 何やら某女優が、先日放送の報道ステーションを見て騒いでいて、同じく騒いでいる人がいている。当然、これは報道ステーションの番組で煽っているからであるのだが。

 http://twitter.com/MATSUDA_MIYUKI/status/92185313618825216

 報道ステーションでの番組の作り方も、某女優のツイートもそうなんだが、当然の社長のインタビューで、何故そういう発想が出来るのかが不思議である。一言でいうと「ケチ臭いのぉ」である。
 節電して、かつ、電力供給のメドが立って来たから「西の人達の電力が足らなければ融通する事も考えてまっせ」みたいなもんだろう。
 もっと解りやすく例えるならば、貧乏長屋でみんな困っている中で少し余裕が出来た家庭のオバちゃんが「あんたの所、大変やし、これ、使って」とお金を渡すようなものではないのか?「前にウチも助けて貰ったし、困った時はお互い様やで」等と。それに対して、その家のオヤジが「他所に渡す金があるねんやったら、俺に寄越さんかえ!酒買って来んかい!」ではないのか?
 また、今年の熱中症の件数は多いらしいが、熱中症は毎年の事である。それを「原発が必要だと思わせる為に節電を煽って熱中症が出ている」というのは、最初から答えが決まっているのだ。最初から『節電は原発が必要だと思わす為』と信じ込んでいるのだ。

 ちなみに、先の報道ステーションに対する東電側からのコメント

 http://www.tepco.co.jp/cc/kanren/11071402-j.html

 最初から答えが決まっている人には何の意味もない情報なんだろうが。

 反体制とか反権力とか、なんでもエエのだろうが、「政府は信じられない!」「東電は信じられない!」で、「ずっとウソだった」で「騙されてきた」でもエエが、反体制、反権力、反原発、脱原発側の論者の意見が正しいというわけではない。
 そんなものは、伝統仏教が信じられないからといって、伝統仏教を批判する教団に妄信的になるのと同じである。
 伝統仏教なら信じて、いわゆる『新興宗教』に対する偏見は論外。修行せえ。

子どもの健康

2011年07月16日 | 坊主の家計簿
 昨日は38℃だった娘の体温が今朝は38度5分で、昼過ぎには39度6分。
 え~。。。今日のお出かけ予定は却下という事で、娘と過ごす。

 え~。。。寝ます。


 と、書き終えて、歯磨きしながらツイッターを見てたら、気になる情報発見。

【放射能で広がる異変~子どもたちに何が起きているか】
 http://fpaj.jp/news/archives/4743

 第一の感想は、チャンネル桜を初めて見た時の衝撃を思い出した。いや、ネット時代だし、ケーブルテレビや、諸々のチャンネルで多くの思想が報じられているのだろうが、ほぼそれらを見ない私にとっては衝撃である。
 え~。。。「番組に寄せられた症状では」を基本にして、「3分の1の方が」なんぞとやっているが、鼻血も、倦怠感も、喉の違和感も、下痢も、放射能だけが原因なのか?「下痢と鼻血が揃えば内部被曝」みたいな事もやっていたが、私にとってはその両方が同時に起る事は福島原発事故前から頻繁にあったのだが。その後もあったし(笑)
 まあ、番組的にそれらの症状を「放射能の影響」としたい点は解る。が、ちょっとなぁ。。。
 
 もの凄くシンプルに考えるべきだと思うのだが。「様々な要因の中に放射能の影響も考えられるようになった」と。
 ノロウイルスが流行してれば、下痢の時にノロウイルスの疑うだろう。んなもんであって、様々な要因の中に放射能の影響も考えなければならなくなった、『だけ』の話である。
 まあ、番組的には「放射能の影響で、こんなに多くの症状が」なんぞとやった方が面白いのだろう。実際に私のそれ程多くないツイッター情報網にも引っかかったわけなんだし。そこそこ話題になったわけだ。メディア的には大成功なんだろう。

 最初に書いたけど、昨日から娘の発熱。今日はかなりの高熱。もう、抱っこすると熱い熱い。
 娘に熱が出ると、仕事には行くが、それ以外の外出は控えるようにしている。ママだけの負担になるし、それ以前に心配だ。
 娘も「パパ!」なんぞと寄って来る。やっぱり、高熱だしてしんどいと寂しく不安になったりするのかも知れない。今日も21時30分頃にママと一緒に寝たはずの娘がすぐにリビングにアイスノンを持ってやって来た。「パパ、一緒に寝よ」である。なのでパパは娘が寝付くまで隣で「寝るふり」をしつつ、トントンと。
 
 まあ、親子関係にも色々なので、一概に『親』というのは言えないのだが、番組内で福島で健康の相談を受けている方々のシーンがあった。まあ、放射能の影響での健康相談なんだろう。
 あの場に行った親は全員、福島から出るべきである。まあ、福島の地理がイマイチ解らんので福島県内にも安全な場所があればそこでも良いのだろうが、まあ、恐らく『福島』という言葉が一人歩きしている現在、多分、あの親達はネットなんぞでも情報収集をしているだろうし、まあ、福島からは出た方が良い。
 理由は単純で「親が不安ならば、逃げた方が子どもにとってもいい」という事だけ。健康被害に関しては知らないし、まあ、まだ誰も解っていないのだろう。番組内に出て来てた『チェルノブイリのかけはし』だったかな?のオバちゃんも「神経質になり過ぎてもいい」みたいな事を言っていたが、まあ、番組内で話している内容の半分ぐらいは「そりゃ、違うやろ」なんだが、「神経質になり過ぎてもいい」には賛成である。というか、きっと多くの親は、子どもに対して「神経質になり過ぎ」だと思うのだが。別に放射能だけでなく。

 原発事故以降、かなり放射能に対しての情報を、まあ、『危険デマ』『安全デマ』両方含めて散々得たので、ある意味慣れた。で、私なりに出た結論は「危険なのは放射能だけではない」という当り前の事である。「放射能も危険である」だけの話だ。放射性物質が検出されない、まあ、最近は『セシウム牛』なんぞと呼ばれているが、『セシウム牛』と『狂牛病の牛』ではどちらが危険なのだ?病死牛肉でも良い。基準内の放射性物質に汚染された野菜と、基準の何千倍もの農薬に汚染された野菜とではどちらが安全なのだ?「放射能だけ」ならば、他が目に入らなくなる。「ない方がいい」のは、放射性物質だけではない。農薬だって「ない方がいい」のだ。
 遺伝子組み換え食品の人間への害がどうなっているのか知らないが、不安ならば「ない方がいい」に決まっている。インスタント食品は「食べない方がいい」に決まっている。その中に今回、つーか、実は前からだったのだろうが、放射性物質が加わっただけの話である。
 食品や、環境への影響の中に放射性物質が加わっただけの話である。しかも、かなり不安が起るものであるし、実際に不安でパニック状態になって居られる方々の情報も見る。

 私は娘の前ではタバコは吸わない。娘と一緒に居ている部屋では吸わない。単純に体に悪いし。娘にタバコの煙を吸わせたくない。放射能だって同じである。

 39℃6分の熱を出しつつも、娘は簡単には寝てくれない。しんどいのはしんどいのだろうが、やはり『遊びたい』という気持ちもあるのだろう、少しはしゃいだりもする。パパは心配なので、「早く寝なさい」とか「横になっとけ」なんぞと言ったりするのだが、まあ、自分の事を考えると(笑)
 
 『健康』だけでは人間は生きれない。
 この原発事故は『健康ブーム』の中で起った。だから、かなり、『必要以上』、あ、『神経質になり過ぎる状態』が放っておいてもありそうな気がする。
 放射能だけでなく、環境が悪い所で生活している人は多くいる。それこそ、危険な場所で生活している人は多くいる。公害問題は別に福島原発事故が初めてではない。では、その人達が『逃げる事が出来た』『逃げる事が出来ている』のかというと、そうとも言えない。
 まあ、「一緒にするな!」という話もあるのだろうが、普天間基地の周囲に住んでいる人も多く居ている。事故からの生命の不安もあるだろう。

 結局、どういう人生を生きたいのか?という事でしかない。高い放射線があっても故郷に住みたいのか、それとも、別な所で住みたいのか。
 
 「放射性物質が不安だから、比較的安全な所で新しい生活を始めたい」だとか、「子どもだけでも預けたい」とかなら、まあ、東電とは別会社なんだろうけど、これから再生可能エネルギーというコストがかかる事業を国家プロジェクトとしてやって行くのならば、電力会社関連での新たな雇用も増えるのだろうし、それらの会社に優先して就職出来る制度を作ったり、電力会社が社員に対して里親を斡旋するなり、電力会社の保養所を解放するとか、諸々考えられる。
 
 「放射能の影響は心配だけど、私たちは住み慣れたここで生活していきます」

 どっちでもエエのんと違うん?

 「子どもの健康を犠牲にして」などとネットでよく見かけるが、では、親と離れる生活も子どもの『健康』に悪いのではないのか?

 なんにしても、どの選択をしても、その人生を生きていかないといけない事だけは確かである。

 あ、娘が泣いた。

非核四原則

2011年07月15日 | 坊主の家計簿
 母校のスクーリングにも行かず、大阪での学習会にも行かず、部屋で倒れる。

 居住空間は分けているのだが、猫が3匹居て、どういう飼い方をしているのか知らんがノミが部屋に。とりあえず「洗うか保健所か山」とママに指示を出したのでなんとかなると思うのだが、こっちで繁殖している分はこっちでなんとかせなアカン。
 この寺に来てから毎年刺されていて、てっきりダニのせいだと思っていたのだが、今年、リビングの敷物を「ダニが湧いて痒くなるから辞め」と、どけたらノミがピョンピョンと。もう、かなり刺されていて痒いったらありゃしない。ノミに刺されると痒いぞ。劇痒いぞ。掻きむしって血が出るのなんぞ当り前だぞ。何やら『皮膚科の薬』が一番らしく、皮膚科に行って領収書を請求書にする予定なんだが、まずはノミ退治。昨日も結構も帰宅するとピョンピョンと跳ねていて、セロテープに貼り付けて、そのまま密封して殺す作業を1時間ぐらい。昨日のブログを書きつつも、タマに周囲をチェックしてセロテープ。
 今日も、帰宅してセロテープ。娘が刺されたらシャレにならんし。っちゅうか、何カ所か刺されているみたいなので、「テメー!」である。

 法衣を入れるカバンが日曜日に壊れたのでネットで探してた。もう10数年使っていたのでファスナーがやられた。1年近くだましだまし使って来たのだが、完全に壊れたので、ネットで調べた近くのカバン修理の店に電話で聞いてみた所、「ファスナーの修理は1メートルまで18500円(やったかな?)です」との事。え~。。。大型のカバンの周囲3面がファスナーなので1メートルどころではない。なのでとっとと諦める。
 同じのを買っても良かったのだが、せっかくなので諸々探す。

 http://www.ryuzoizushi.com/houi02.html

 これ、素晴らしいぞ。昨日着いてて、今日箱から出したのだが、「え?これが13650円?」というくらいにしっかりしているし、カッチョエエ。法衣だけでなく、単なるトランクとしてもエエ感じであるし、13650円は安いと思う。それぐらいに気に入った。

 今日は法事もあって、ノミ退治や、新しいカバンや、その他諸々、諸々してたら「あら、もうこんな時間。でも、少しだけ寝よ」で、そのまま倒れる。目覚まし鳴っても「無理」。娘が帰って来て、「パパや!」という声で起きて、出かけようかとも思ったのだが、「このまま娘と一緒に居ろ」と。
 つーか、起きて速攻、ノミ退治をしてたのだが。

 ちなみに、数日以内には、ノミ除けハーブ、つーか、単なる『ペニーロイヤルミント』というハーブティーが届くはずである。これをティーパックに入れて置いとけばノミがキライな匂いらしく、ノミが逃げ出すらしい。なので、少しは楽かな?

 と、書きつつ、また5匹殺す。何匹居るねん。何やら『ノミほいほい』というのもあったり、手作りのノミ退治装置もあるのだが、娘がまだ小さいので「ちょっと無理かなぁ。。。」である。まあ、ハーブでもダメならまた考えよ。

 テレビニュースを見てたら、何やら昨日の菅直人まだ総理大臣の「原発を辞めて行きまひょ」発言の

【今夏と年末については「必要な電力供給は可能との報告が耳に入っており、そう遠くない時期に計画を示す」とした。】
 (http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110714k0000m010080000c.html

 の部分の発言が「原発なしでも電力供給は可能」としている報道があったのだが、どうなのだ?毎日の記事では

【来年以降は「天然ガス活用なども含めて計画を立てていきたい」と述べるにとどめた。】

 なので、「ああ、原発も含めた電力供給の話やねんな」と思っていたのだが。

 今年の夏に原発なしで電力供給出来るのなら、数字とデーターを示して欲しい。

 昨日もやったが、『2003年夏には東電の全ての原発が停まっていた』というのはデマなのだ。4月中旬から5月初旬の20日程度だけである。その後8月までに4機稼働、8月末までに6機稼働である。(http://www.tepco.co.jp/cc/direct/030908-j.html)だが、6機である、計画的にやれば東電管轄内では6機で済んだ実績があるのだ。「全て」は嘘だが、6機で行けた実績はあるのだ。まあ、6機目は8月31日というレトリックがあるのだが(笑)
 その後の火力発電所の事情は知らない。古いタイプの火力発電所は環境問題なんぞの観点から動かしたくないのだろうが、新しい火力発電所も出来ているらしい。何やらガスタービン発電をアメリカから輸入したり、タイからも借りるらしい。
 それらの数字を含めて、また、埋蔵電力の180万キロワットを含めた数字で具体的に「原発を全廃するとどれだけ足りなくなるのか?」という数字を出して、「現状では何機減らす事が出来ます」なんぞと。50と60の2つの地域割の中で、それぞれに『危険だと思われる優先順位』から廃止して行けばいい。

 揚水発電が原発全廃になったらどうなるのか知らないが、まあ、火力やその他の発電でやるのかも知れないが、水力発電も含めて水がなければどうしようもない。火力発電所だってメンテも必要だろうし、そういう具体的な数字が必要なのではないのか。デマや神話でなく。
 また、節電は最初から数字に含めるべきではない。節電は最終の非常電力として考えるべきではないのか。最初から節電ありきの計画はアカンやろ。

 しっかし、どうもまだ『2003年夏には東電の全ての原発が停まっていた』デマが流通している。ひつこく書いてしまうぐらいに流通していてて、かつ、それが「え?そんな事あったっけ?」だったりの人にとっては、そのまま鵜呑みしてしまう。鵜呑みしてしまうと、例えば、坊さん相手の講演会で『2003年夏には東電の全ての原発が停まっていた』という話をすると、その話を信じた坊さんが、そのまま門徒さんに伝えてしまうかも知れない。まあ、「あ~。。。坊さんってやっぱり仏教の事しか知らんねんな」なんだろうが。
 また「2003年夏には東電の全ての原発が停まっていたが電力供給出来た。この事から考えるに節電を訴えるのは原発が必要だと思わす為だ」なんぞというカ妄想をデマを元に展開するのはどうよ。アジるだけなら構わんが、具体的ではない。具体的に脱原発を進めて行こうとするならば、具体的なデーターが必要ではないのか?

 今の総理が菅直人でなく、他の総理でもこういう脱原発路線を進めて行こうとしていたかも知れないが、まあ、前の総理だって「普天間移設先を沖縄県外へ」だったが。結局それが出来なくて総理を辞めざるを得なかったが、実行するには具体案が必要だと思う。で、それでないと、前の総理みたいに辞任せざるを得なくなる、つーか、菅直人はもうすぐ辞める『らしい』が、辞めた後、次の選挙で民主党が単独過半数を取れなければ『終わり』だし。また、自民党政権に戻って、「脱原発って何?あ、菅直人さんが仰った事ですか。あれは彼が個人的に言った事でして、何の意味もありませんよ」になったら、クソ面白くない。

 菅直人は、何やら8月6日に脱原発宣言をして、一気に解散総選挙をするなんぞとマスコミが煽っていたが、解散総選挙でなく、非核三原則に「核エネルギーをつくらない」というのをプラスして非核四原則を国是とすれば良いのではないのか?総理の談話→閣議決定→国会決議で。ノーベル平和賞を貰えるかどうかは知らんが(笑)
 で、電力供給量の実際のデーターを元にして、次々と廃止して行けばいい。それしかないやろ。原発も爆発するかも知れんが、下手すると脱原発も爆発するぞ。戦争で負けて5年後に警察予備隊が出来た国やぞ。今や『九条の会』なんぞを作らないといけない時代やぞ。

 戦争を体験した方々の多くは「戦争だけは絶対にしたらアカン」という。
 私は戦争は体験した事がないが、原発事故は体験した。外出だけでなく、窓を開ければ内部被曝する環境である。これからどれだけの健康被害が出て来るのか解らないが、肉体的な健康被害がなくとも、多くの人達が不安に陥り、集団ヒステリー状態になり、ストレスでパンパンになっている事は確かである。ストレスが原因で自殺率も上げれば、ガンも増える。それは確かではないのか?日常の生活ストレス、例えば、「部屋にノミが湧いた!」だとかのストレスの他に、原発事故にストレスである。また、今現在稼働中の原発に対するストレスである。

 娘は多分、大震災も津波も、原発事故も憶えていないだろう。大震災や津波は天災だが、原発事故は人災である。「間違いは絶対に起らない」という、徹底した管理社会の象徴が原発だ。
 「間違いは絶対に起らない」というのは、間違いなのだ。それだけは「間違いない」(古過ぎるか)

 今日は行けなかったが、昨日は行った年に一度の母校のスクーリング。
 とある大先輩が母校の事を『信国一家』と言った。何やら以前によくそんな言葉を使っていたらしい。すると、今の院長先生は、信国一家の5代目組長か。あ、院長か。
 まあ、『信国一家』という言い方はともかく、実家みたいなもんだ。実家に年に一度へ里帰りの気分。前の院長だった竹中先生も、「何かあったらいつでもここに帰って来なさい」みたいな事を言ってはったし。

 母校から20キロ圏内って、八幡とか宇治辺りになるのかな?
 昨日は車で行った。国道一号線を走ってて、八幡で検問があって、八幡から先に行くには許可がいる。白装束の防護服に着替えて、管理された中で、限られた数時間しか滞在出来ない。故郷に帰るのに。

 私が『菅直人まだ総理大臣』なんぞと書くのは、不信任案前の総会での鳩山前総理の発言に対して黙認していた事実があるから、『まだ』と書いて居るが、この大災害&原発事故の中、だれが総理でも同じようなもんでっせ。菅下しは改元の代わりの『ケガレを清める』みたいなもんだろう。
 菅直人まだ総理の人気取りだろうが、延命策だろうが、んなもんはどうでもよく、原発を確実に停めてくれたらエエだけの話や。
 その為に8月6日広島で『非核四原則』を演説するのもエエと思うが。

身勝手

2011年07月14日 | 坊主の家計簿
 母校のスクーリング。眠かったのだが、帰りの事を考えると「車で行った方がエエや」と車で行く。高速乗らないし、ガソリン代の方が安いし。明日はスペシャルゲスト(?)なので、まあ、ゲスト(?)の講義時間には行けないのだが、明日も行こ。

 帰りの車の中でAMラジオを聴いていたら、何やら菅直人まだ総理大臣が

【菅首相:「脱原発」を明言…「将来なくてもいい社会実現」】
 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110714k0000m010080000c.html

 との事らしい。ラジオで聴いたのと、この情報ぐらいしか知らないのだが、まあ、無難な路線ではないかと思う。

 明日のゲストは、え~。。。知らなかったのだが、母校の先輩だった某反原発運動をやってはる方。名前はよく聞くし、つーか、ネットで知り合った方の所に御参りに来ている(ちなみに総代らしい)坊主だし、元カノが冬の能登半島女一人旅に行った時に立ち寄った居酒屋で「大阪から来てんやったら坊主バーって知ってるか?」と言って来た坊主でもある。なので直接会った事はないが、何か親しみを憶える方でもあるのだが、え~。。。先輩だとは知らなかった。。。しかも、以外と若いのね。
 何を話すのか知らないが、つーか、聞けないが、論破してやる(笑)

 え~。。。嘘です。論破出来る程、原発に詳しくないです。ただ、昨日も上げた情報なんぞで、反原発の人達が信じている数字に関しての批判がある。その批判に答える形の数字がないとイケナイのでは?と、素朴に思う。だって、まあ、ほぼ『論破』に近いぐらいに潰されている。「原発が停まっても大丈夫だった」に関しては完璧に論破している。
 ただ、まあ、誰しもそんなにヒマではなく、それぞれが見た数字(データー)を信じているのかも知れない。非常に残念ながら、『推進派』と『反対派』の公の議論の場、え~。。。私でも見れる議論の場が『朝まで生テレビ』ぐらいしかないのが残念である。で、「原発停めても大丈夫よ」の議論に関しては、高須クリニック、違うわ、飯田哲也氏ですら「供給者責任」という事になると沈黙せざるを得なかった。逆にその辺が飯田哲也氏を「こいつはエエ人やなぁ」と感じさせる要因でもあるのだが。「それはあなた達に都合の良いデーターでしかなく、あなた達は御用学者でしょ。そんなデーターは信じられません」みたいな事を朝ナマでは言わなかった飯田哲也氏はエエ感じである。さすがは脱原発に責任を持っておられる方である。だから、まあ、飯田哲也氏なんぞには、批判された意見を元に、もう一度精査して頂いて、具体案を示して行かなければ脱原発なんぞ出来っこない。神話では無理なのだ。神話でやるのなら、それこそ脱原発が神話になる。「出来っこないって」になる。「出来っこない」の証明でとして、反原発の人が出したデーターが如何に拙いか、ムチャであるかを出して、その証明にされる。それはアカン。確実な数字とデーターを出して、批判に耐えうる、感情論だけでなく、議論としての批判に耐えうるデーターを出して行かないといけない。
 今日の菅直人まだ総理がどういう事を言ったのかはよく知らないが、上記リンクの記事では「来年以降は天然ガス」とある。ならば、それこそ、「原発分を当面天然ガスの火力発電で担います」と、国策的に大増産する体制を整えるとかでんな。日本で不要になれば、どこかの国に売れば良いのだし。まあ、そんなに上手い事行くかどうかは知らんが。

 で、今日の帰り道、ラジオを聞きつつ再び考えていた「原発は安全である、という事に騙されていた」という事。いや、誰か知らんが、ラジオで「私たちは騙されていた」なんぞと言ってはってでんな。ホンマか?と。

 確かに電力会社や、電力行政が「原発は安全です。」なんぞと言って来たのは確かだが、その為に膨大な予算を使って、え~。。。私は伊方原発と、え~。。。柏崎も行ったかな?でも、まあ、伊方原発の『伊方ビジターズハウス』で見た「ほら、原発って、こんなに安全なのですよ!」の、建屋のコンクリの分厚さが印象深いのだが、膨大な予算を使って「原発は安全です」のショールームを作ったり、あるいはテレビコマーシャルをやっていたのは知っている。
 つまり、「安全です」と、まあ、言葉は適確ではないかも知れないが、「安全です」と、『騙そうという人』は居ても、騙された人はどれだけ居るのだ?

 個人的感覚でいうと、まあ、全てが『個人的感覚』なんだが、「原発は危険だが、今の所はそれ程大きな事故もないし、原発作業員の人達の問題もあるが、まあ、エエか?」みたいな感じではなかったのか?
 だいたい、危険だから、原発は大都会から離れた所にあるのでは?関西ならば若狭湾である。電力は送電ロスがあり、近い方がエエ。まあ、土地代の問題もあるのだろうが、基本は「危険だから」ではないのか?それを「知らなかった」とは、少し違うのでは?と。まあ、本当に知らなかった、本当に電力会社や電力行政の神話を信じて居た方もいてるかも知らないが、私は信じてなかったし、まあ、「なんとかく、大した問題がなかったし」である。もっと言うならば、「私に危機を感じさせるような出来事はなかった」というべきか。

 似た様な事で、自衛隊の問題がある。自衛隊は軍隊である。「侵略する能力はない」かも知れないが、軍事に詳しくないので、「侵略する能力」つまり、戦闘機がどういう武器を搭載しているかとかの問題に詳しくないのだが、でも、素人考えで「んな事云うても、米軍の空母に乗って、米軍の護衛ぐらいは出来るのと違うんけ」と。戦車しかり。
 また、後方支援も軍隊である。前線だけが軍隊ではない。
 これも、同じく「なんとなく」であったりする。「いや、別に今の所、自衛隊は前線でミサイル射ったりしてないしなぁ。。。」みたいなもんである。なので、仮に自衛隊が米軍と共に戦闘行為を始めたとして、「え?自衛隊って、軍隊やったのか?騙されていたのか?」にはならないが、まあ、「なんとなく」だったりする。
 毎日の生活があって、政治問題などよりも家庭問題でいっぱいいっぱいになって居て、「原発は危ないが、まあ、今の所は大丈夫やねんし」みたいなもん。

 タバコの害はタバコ箱にも書いてある。また、肺がんの上昇率も当然知っている。なので、タバコを吸って肺がんや、肺気腫になった時に「俺は騙されていたんや」にはならないが、でも、タバコを吸っていたりする。それは、私がまだ、徹底的にタバコで辛い思い、まあ、肺気腫になるとか、肺がんになるとかしていないから。危険を承知でも吸っていたりするのだろうが、私は自信を持って断言するが、私が肺気腫になったり、肺がんになったりしたら、私は必ず後悔する。まあ、二日酔いで慣れたものですし(笑)

 あ、話が。
 「原発は安全だ!という言葉に騙されていた!」という人に中に、本当に、まあ、ある種「学校の先生のいう事は間違いありません」なんぞという優等生的な人がいて、本当に「騙された!」という人も居てるかも知れないが、結構多くの人は、「危険だと解っていたが、その責任を自分が取りたくないので『騙されていた』という事にしとこ」と無意識にしてしまっているのではないのか?と思ってしまう。
 無意識に罪から逃げたくなる。誰かのせいにしたくなる。

 母校では

【あたかも牢獄を逃れるごとく
 人はみな自己の前を逃れんとすれども
 世に一つの大いなる奇跡あり
 我は感ず 『いのちみな生きらるべし』】
  (リルケ)

 という言葉を教えて頂いたが、最初にこの言葉に出会った時は

【『いのちみな生きらるべし』】

 ばかりに関心が行き、感動していた。
 でも、今は、その前の言葉

【あたかも牢獄を逃れるごとく
 人はみな自己の前を逃れんとすれども】

 という言葉に関心が行く。自己責任から逃げ出そうとしている私を指摘して下さる言葉である。

 まあ、本当に「騙されていた」という人に対しては失礼なんだが、「本当に騙されていたのか?」と。単に自分自身から逃げ出そうとしているだけではないのか?と。

 当然、『騙した側』の責任はある。「原発は安全です」とキャンペーンをして来た責任はある。だが、漠然とであろうが「原発は危険である」と知りつつ、イザ事故が起ると「騙されていた」とは、少し身勝手である。

 で、身勝手な存在が私(たち)ではないのか?
 どこまで行っても自己中心で、身勝手で、その時の気分次第でしか生きれない存在が私(たち)ではないのか?

 「原発は安全である」と言って来た人達だって、「安全なら東京に作れや」は無理である。身勝手である。
 
 原発事故が起る前まではCO2が大問題だったにも関わらず、今は原発である。「原発さえなんとかなれば」である。
 CO2をバンバン排出しているのが目の仇だったのが、今は原発が目の仇である。
 原発を海外に売り込みに行ってた総理大臣が脱原発である。そういう存在ではないのか?

 「菅総理は原発を海外に売り込みに行っていた」という批判もあるが、では、福島原発事故が起る前までの原発に対する意識はどうだったのだ?
 そういうものではないのか?身勝手な存在ではないのか?

 という事で、身勝手な私は「明日は昼頃に法事やし、娘と二日連続遊ばないのも『親としてどうよ』」だったのが、今日、明日のゲスト(?)が宿泊する事を知って、突然変更(笑)

 つーか、このブログでも、最近でこそ原発について書いて居るが、伊方原発に行った時の感想は、まあ、後日の旅行記になったのだが、これだ

 http://blog.goo.ne.jp/erovows/s/%B0%CB%CA%FD%B8%B6%C8%AF

 柏崎に行った時はラーメンの話しか書いていない。

 http://blog.goo.ne.jp/erovows/e/5cfd210fcfe385899b66b87efc832bd3

 記憶を辿る、それこそ『記憶をたどらなければ』柏崎にあった「原発安全でっせ」の所を思い出せない。確か、『そばよし』からもう少し海側に行った所にあったはず。んな程度。

 今回の原発事故に関しても、最初は大災害だったし、まあ、原発が危ないという情報は掴んだので、ママに「今日はわかめの味噌汁にしよ」と言った程度である。

 筋金入りの反原発運動家ではない私は、その時の気分や、危機感でしか、まあ、身勝手なものである。自己関心は身勝手である。

 そんな『身勝手』な所で、どんな大義名分を並び立てようが、身勝手な所で『同じ』なのでは?
 
 「あいつ等とは違う!」ではなく、何処で『同じ』と言えるのか?という問題なのでは?

 と、まあ、これは当然、差別が大好きで、それこそ自分を優位に立たす、「俺はお前とは違うんだよ」と、優位に立とうとし、「悪いのはあいつや」と、必ずやってしまう、私の課題なので、そういう視点で考えてしまう。
 当然、身勝手である。

世迷い言

2011年07月13日 | 坊主の家計簿
 ワイドショーでも埋蔵電力の事をやっていた。まあ、そら、その『埋蔵電力』とやらでなんとかなったら、節電せんでもエエわけやし、こんな都合のエエ話はない。「苦労せんと原発を辞めれるんやったら」なんだろう。どうでもエエけど、テレビ局のスタジオの温度設定って何度なんかな?28℃なのか?まあ、スーツ着たりしている人も居てるし、照明もあるし、え~。。。28℃っちゅう事はなさそうやの(笑)

 確かに埋蔵電力はある。それも新聞や雑誌等のマスコミや、反原発の人達も言っていない埋蔵電力があるのだ。しかも、その発電量は膨大である。
 どこにあるかというと、車だ。車のエンジンをかけてアイドリング状態で、電線引っ張って来い(笑)まあ、電圧の問題とか知らんが、なんとかする方法もあるやろ(笑)
 ただ、まあ、この場合の発電コストと環境破壊の影響は無視である。あくまでも『発電量』だけの問題である。。。っちゅうか、冗談話に追い打ちをかけても仕方がないのだが。

 埋蔵電力については昨日書いたので書かない。ただ、送電分離っちゅうのはアリやな。っちゅうか、東京電力に対しては借金のカタに押さえたらエエのんと違うか?政府が東電に貸す金の中から「この分は送電線を全部買います」なんぞと。その後は競売にかけるなり、期間で貸すなり、そのまま国営化なり、何か考えてもエエねんやろうし。

 また、原発2機分やったかな?埋蔵電力で賄えるのは。2機分でもデカイのと違うか?ただ、その使える180万キロワットがどういう電力なのかは精査しているのかどうかは知らんが。公害問題は放射能だけと違うぞ。

 という事で、神話の崩壊

 その1『2003年に東京電力の原発が全部停まっても電力不足にはならなかったじゃないか!だから、電力不足は原発が必要だと思わせる陰謀なのだ!』
 
【東京電力は2003年原発停止をどう凌いだのか】
 @短期間であった
 @電力需要が少ない時期であった
 @計画的であった
 @火力発電所が健在であった
 http://d.hatena.ne.jp/fut573/touch/20110406/1302100183

 らしい。


 その2『原発がなくとも電力不足にはならない。だから、電力不足は原発が必要だと思わせる陰謀なのだ!』

【「原発なしで電力は賄える」は本当か】
 http://eco.nikkeibp.co.jp/article/report/20110704/106784/

 これは、上記リンクに比べると切れ味が悪い。

 まあ、『電力不足は原発が必要だと思わせる陰謀なのだ!』というのは、典型的な陰謀論だと思うのだが、なんせ、反原発の人が大好きな広瀬隆氏が陰謀論の大家だから仕方がないのかな?

 しかし、まあ、どういう批判文章を出そうが、「それは御用学者の出した数字である」とか、「推進派の工作員だ」とかなら意味はないのか(笑)

 原発安全神話が『世迷い言』なら、『原発なくても電力は足りている神話』も世迷い言ではないのか?

 体調悪いので、とっとと寝ます。

嘘つき

2011年07月12日 | 坊主の家計簿
 今日の昼ご飯は近くのカウンターだけの定食屋でトルコライス。何やら『大人のお子様ランチ』なんぞと呼ばれている、焼き飯の上にトンカツ乗っかりデミグラスソースがかかってある。オマケ(?)にスパゲティー。
 余りに忙しそうで聞くのを辞めたのだが、何故かいつもいるオッチャンが居ない。オバちゃんがパートらしき人と2人であくせく働いて居た。っちゅうか、無理(笑)単なる定食屋でなく、表は弁当屋になっていて、客席側に出るには一度表に出ないと行けない。なので、先客の食べた食器がそのままカウンターに置いてある。オバちゃんに差し出そうにも、それどころではない忙しさ。まあ、私の後にやって来た学生の注文を取る時に、少し落ち着いたのか学生が差し出す食器をカウンター越しに受けとってはった。
 でも、オッチャン、どうしてんやろ。夏バテかな?結構エエ歳のはずやし、少し心配。

 昼のワイドショーで菅直人まだ総理大臣が、埋蔵電力に関しての発言をしたとかというのをやっていた。

 http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E2E5E2E0858DE2E5E2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

 まあ、批判に一番適確なのは、このソースかな?

 【自家発電企業に売電余力なし】
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn201107110015.html

 おまけ。煽る側のマスコミ記事

 http://gendai.net/articles/view/syakai/131442

 ワイドショーを見つつ、思わず笑う。え~。。。世の中、そんなに甘くありまへんで(笑)

 何やら

【首相は10日ほど前から自家発電に急に強い関心を示し、4日には経産省の松永和夫次官ら幹部を呼んだ。分厚い資料を抱えて「全国から届け出があった6000万キロワットのうち、使えるのは180万キロワットしかありません」と説明した松永次官】(http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E2E5E2E0858DE2E5E2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2より)

 らしい。まあ、そんなものではないのか?それに対しての総理のコメントが

【首相は「そんな話には納得できない。もう一度ちゃんと調べてこい」と追い返した。翌5日には国家戦略室の官僚にも精査を命じた。】(http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E2E5E2E0858DE2E5E2E5E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2より)

 である。

 え~。。。大丈夫なのか?菅直人まだ総理は。「そんな話には納得できない」って、あーた、何を信じてまんねん。何やらイタリアの反原発の人から聞いたらしいのだが、そら、反原発の運動家は、『運動家』としての政治的活動をするわけなんだから、そら、なんだって言いまっせ。けど、それが実際に『使える』のかどうかまでは調べていないのが実情なんだろう。
 背後にある考え方は『電力会社を信じていない』という事なんだろう。それこそ、「原発が必要だと思わせる為にニセの数字を出している」なんぞと。だから、一部の反原発運動家と一緒になって「埋蔵電力で賄えるはずだ!」なのかも知れないが、そんなに世の中甘くありまへん。

 端的な言葉が、

【日本は資本主義の世の中です。金の力は大きいです。その事から考えると、埋蔵電力なんて幻です。
 何故なら、まともにビジネスをしている人間には自明の事ですが、無駄な設備は無駄に金を使い儲けを減らすだけだからです。】(http://nobu-bookshelf.cocolog-nifty.com/random/2011/07/post-ea60.htmlより)

 か。この言葉には説得力がある。
 まあ、それだけ必死なのは解るが、上記の日経の記事にもあるが

【「埋蔵電力」に意欲を示す首相が代表を務める民主党は「『埋蔵金』などを活用して約16.8兆円の財源を捻出できる」と公約したが、実現には程遠かった。】

 ではなかったのか?

 何やら

【松本前復興相が入院 「休養のため」と民主党関係者】
 (http://www.asahi.com/politics/update/0712/TKY201107110567.html

 らしいが、菅直人まだ総理大臣も、お遍路に行く前にさっさと入院した方がエエのではないか?

 別にファンじゃないので聴いていない斉藤和義の『ずっと嘘だった』。

 http://www.greendesign.biz/saito_zutto_us/

 歌詞の中に『俺たちを騙して』とあるが、それが嘘ではないのか?本当は危険だと思いつつも、危険を原発周辺住民に押し付けつつ生活して来たのではないのか?東海村臨界事故は1999年。十数年前だ。かなりの大ニュースだったはずなんだが。
 単に「嘘をつかれて騙されていた」と、被害者の側に立ちたいだけではないのか?悪い側に立ちたくないだけの話ではないのか?

 嘘をつくのは電力会社や政府だけではない。人間だから嘘をつくのではないのか?
 ほれ、落語とかのつかみで「私は嘘がキライでして。だから、生まれてから一回も嘘をついた事がありません」で笑いを取れるのはなんでや?

【人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった。すると、ある女中が、彼が火のそばにすわっているのを見、彼を見つめて、「この人もイエスと一緒にいました」と言った。ペテロはそれを打ち消して、「わたしはその人を知らない」と言った。しばらくして、ほかの人がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。約一時間たってから、またほかの者が言い張った、「たしかにこの人もイエスと一緒だった。この人もガリラヤ人なのだから」。ペテロは言った、「あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。主は振りむいてペテロを見つめられた。そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した。そして外へ出て、激しく泣いた。】(ルカ22ー55~62)