坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

優しい人。優れた人。

2008年03月19日 | 坊主の家計簿
 3月19日

 外食  イカ天蕎麦         295円
 食類  らうめん5         278円
     チキンラーメン5      278円
     おにぎり           30円
     野菜ミックス        100円
     かまぼこ           98円
     湯葉            200円
 
 合計               1477円
 3月累計            71615円

 彼岸法要スタート。今日は夜だけなのだが。
 彼岸法要前に夕方からの御参り。雨の中をチャリチャリと。うわ!風キツぅ、傘バオ!でっせ。少し前に買ったばかりの少し大きめの傘があえなく壊れる。骨まで折れやがった。しゃーないので、傘を交換して御参り先へGO。今度はユニクロ・グラスファイバー傘。2本で1000円なり。丈夫、丈夫。っちゅうか、まあ、大きめの傘やったし風を受ける量がちゃうわな。

 昼の部の御参りが終わってテレビを見てたら、畠山被告に無期懲役の判決が出たとの事。
 http://www.asahi.com/national/update/0319/TKY200803190063.html
 見てたテレビが悪いのか何なのか解らんが、コメンテーターなり、『テレビ局が選んだ街の声』なりではどうやら無期判決では不満のようだ。
 ようするに「殺せ!」と云う事なんだろう。みんなそろって、その番組では「殺せ!」と。無期で不満というのはそういう事なんだろう。殺せ!殺せ!死ね!殺せ!って、劣悪なネット掲示板か。無期判決で不満なら「殺せ!」と言葉で云え。解りやすいから。

 理由があれば人を殺しても構わない精神風土。
 理由=大義名分。聖戦だろうが、なんだろうが。解放でもなんでも。「殺せ!」「殺せ!」の大連呼。
 なんじゃい、これは。

 当然、テレビコメンテーターや、『テレビ局が選んだ街の声』以外の声もあるだろう。私みたいに「無期でよかったね」という声もあるだろう。っちゅうか、ある。テレビが何を伝えようが私は「殺せ!」とは言わない。別に個人的恨みがあるわけでもないし。
 「被害者感情を考えた事があるのか?」
 って、私は被害者でもないし、悪いが、優しくない。非常にクールな人間であって、別に「お前には人間の血が通っていない」のならそれでも構わないが、っちゅうか、「殺せ!」と連呼するような人間の血は要らん。
 テレビの人達も別に個人的恨みがある人など、ほぼ居ないはずである。被害者の人は、ほぼ居ないはずである。
 にも関わらず、「殺せ!」と。
 
 優しさを感じる。「お前は被害者の気持ちを考えた事があるのか?」って、悪いが他人でしょうが。私が被害者でもなければ、恐らくそう云う人達も被害者遺族ではない人が殆どのはず。にも関わらず優しい人になろうとする。人の気持ちを感じる事が出来る優しい人になろうとする。被害者の気持ちに寄り添い、共に泣き、共に怒る優しい人になろうとする。そういう事が出来る優しい人なんだと思う。
 きっと、学校時代から「イジメを許せない人」達だったのだろう。弱者の味方だったのだろう。だから、一緒になって「殺せ!」と。
 そんな時に、「じゃあ、虐めた側にも事情があったのでは?」とかいう声、虐めた側にも立とうとする事は優しくない事なんだろう。

 差別(煩悩)は無くならない。無くなる方法はたった一つで、差別(煩悩)を見なければいい。隠せばイイ。当たり前の事にすればイイ。
 差別(煩悩)は当たり前の事であり、当たり前の事だから見なければイイ。
 「やられたらやりかえせ!」が当然なら、それは差別(煩悩)ではない。当たり前の事である。差別(煩悩)でもなんでもない。なんでもないから問題にならない。なり得る事があり得ない。当たり前だ。差別(煩悩)でなく、当たり前の事なんだから。

 よゐこ。
 よゐこは差別(煩悩)がキライな優しい人。きっと差別(煩悩)は無くなると。
 私は差別(煩悩)はなくならないと思う。少なくとも私から差別(煩悩)がなくなる事は死ぬまであり得ない。はず。まだ死んでないから確かめようがないが。でも、まあ、ないだろう。

 よゐこ。優しい人。弱者の側に立つ正義の味方。
 「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
 の真面目な社会人。ちゃんと学校の先生のいいつけを聞いて「弱い人達の味方になりなさい」の
 「殺せ!」「殺せ!」の大連呼。

 問題にならない差別(煩悩)は存在しない。何故なら問題にならないから。問題になって始めて、「ああ、差別(煩悩)だったんだなぁ。。。」と気づく事が出来るのだろうが、問題にならない、あるいは時代社会の中で主流なら問題になっても言い逃れが出来る。

 被害者側に立つ、優しいよゐこ。決して問題児ではない。社会が求めた『よゐこ』。
 優しい人。優れた人。だから、「殺せ!」と云える。