坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

どうかしてるぜ!

2010年05月28日 | 坊主の家計簿
ツイッターで呟きはじめました。多分、erovowsで検索したら出て来ると思います。

バタバタも終わり、今日は銭湯でマッタリと。マッタリし過ぎて、帰宅したらアメトークが始まってた。今日は「相方どうかしてるぜ芸人」。やはりジャリズム山下のワキ汗は凄い。あと、格闘技のやり過ぎかどうかしらんが体格が芸人としたら「どうかしてるぜ!」っちゅう感じやな。

なにやら、結局、辺野古らしい。前々から云われていたが、鳩山総理が期待もたしたので、現地では「無理」らしい。鳩山総理が期待させなくとも厳しい状況だったのが、期待させたので「無理」らしい。そりゃそうだ。救世主が途中で裏切ったわけなんだし、全く「どうかしてるぜ!」である。
人間は余程理路整然としている人は別にして、多くは生身の感情を持っている。鳩山総理は苦の真只中に居ている人達に期待を持たせて裏切った。これが客商売なら二度と客は来ない。信頼出来る人かどうか解らなくても、苦の真只中に居ている人達にとっては「その人」しか居なかったのだから。「助けて呉れるって言うたやん。」「救うって言うたやん。」である。こんな状況で辺野古は無理やろ。「仕方がない」と様々な状況で判断なされた方々も「舐めとるのか」と。

ただ、まあ、実際はここから始まるのかもしれない。

当然ながら、日米安保は対等ではない。それを見事にみせつけたのが今回の話なんだし、大阪の橋下知事は大阪に米軍基地を持って来てもエエと考えているらしいし。
なにやらテニアン市長が日本に来てたらしく、「テニアンに普天間基地がやってくれば沖縄もテニアンも日本の人達もみんな幸福になる」みたいな事を云ってたらしいが、その事が余り報道されない事や、鳩山総理も全国の知事を集めて日米安保の負担を求めている事から考えるに、「やっぱり憲法改憲ですかい。」と。日本が「自衛隊」でなく、「平和ボケ」でなく、「戦争が出来る普通の国」になれば、まあ、沖縄にあんなに米軍は居らんように「危機管理上」は居らんらしいし、まあ、少なくとも多くの「民意(票)」は無くすやろうし。

軍事の立場の人達は軍事の立場からの意見を叫ぶ。
真宗門徒は別に平和ボケではない。「煩悩を抱えた生身の人間だから縁さえあれば千人でも殺してしまう。」という人間観に立っている。だから、兵隊も武器も持てないのではないのか?
また、一向一揆という戦争の歴史を持っている。決して「専守防衛」とは言えない歴史を持っている。戦国大名の要請で出兵して戦争している。先の戦争での戦争協力だけではない。最強の信長軍と戦える「兵力」を持っていたのが真宗門徒の歴史である。「信長に長島で何万人殺された」ではなく、「長島で信長軍に所属していた人達を殺してしまった。」という視点が大事なのではないのか。「やられた側に立つ」のならば罪が、罪悪が、慙愧がないじゃないか。「信長=悪」「一向一揆=善」なら、そんなもんは真宗でもなんでもなく「自由主義真宗史観」ではないのか。全く「どうかしてるぜ!」

ん?とにかく、真宗門徒の先輩達は様々な大義名分、「ロシアの脅威」の代わりに「信長の脅威」だったり、様々な大義名分で戦争をし、人を殺した。そういう歴史を持っているが故に、縁さえあれば千人でも殺してしまう哀しい存在であるが故に「どうかしてるぜ!」という声から問われ続けるしかない。

呟き

2010年05月23日 | 坊主の家計簿
ツイッター、なんぞというもんに入ってみた。まだ、使い方が余り解らんのだが、とりあえずこれで総理大臣とか、ダライ・ラマとかの呟きが読めるようになった。
んでもって、ツイッターで知った情報。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/topic/232745.html

「CLUB(クラブ)阿弥陀BAR(バー)」

らしい。
なにやら、本願寺派の札幌別院での「750回大遠忌法要」の記念イベント・前夜祭らしい。
んで、これは先輩に教えて貰った情報

http://www.kaiyodo.co.jp/shinran/index.html

海洋堂の親鸞フィギュア。

いや~、時代はスゲーぜ。
記念イベントとはいえ、伝統教団の公式イベントで坊主バーをやり、天下の海洋堂が親鸞フィギュアである。そのうちに東西本願寺の門首・門主がツイッターを始めるかも知れんのぉ。なんせ、総理大臣も、ダライ・ラマもやってるわけだし。批判があっても、「ダライ・ラマがやってるじゃないか!」と(笑)
ええ、なあ。「これから御朝事。まだ酒が残っている。そういう、ありのままの姿で御朝事を勤めて来ます。南無阿弥陀仏。」とか、呟いて欲しのぉ。


新米のミス

2010年05月22日 | 坊主の家計簿
四連ちゃん終了。当然、へなちょこ。なんせ、プチ病み上がりの状態で「どれも外せん」っちゅう予定だったので、しゃ~ない。
今日は親しい方々にメールでの報恩講案内。え。。。少し前まで「報恩講どころちゃうわい!」っちゅう感じだったので、案内しなければいけない方々に案内を渡せてなかったりしていたようである。


最近、「殺処分」という怖ろしい言葉を良く聞く。だが、その殺処分で一番痛みを感じているのは、殺処分しなければならない方々である。だって、私は殺処分される牛や豚の名前を知らない。名前を付けて「食」の為の付き合い、必ず「死」を媒介する付き合いであっても、名前を付けて育てていく関係を持たれている方々は、「殺処分」という言葉が、言葉だけでなく生活の中におこった事実として、苦の現実としてあるのであろう。

しかし、民主党は不馴れである。それぞれの議員は議員としてベテランであっても、組織として不馴れ過ぎる。新米である。しかしながら、ベテラン自民党でだけでなく、「新米を育てて行こう」っちゅうのが前回の選挙結果だと思うのだが。米軍基地の問題も口蹄疫の問題も新米バリバリ。「なにをやっとるねん。」という言葉だけで収まりきらず、生活が脅かされる方々が多くおられる。新米、担った重さを感じんかい、と、新米住職の私に対する事を思いながら、思う。

集団でなく、個人としての関係

2010年05月18日 | 坊主の家計簿
今日から珍しく4連続外出。初日の今日はさっさと帰って来る予定だったのだが、んなもんは予定にしか過ぎない。気分が変われば「せっかく外出してんし♪」となるかも知れん。その為にテレビの録画予約を昨日セコセコと。あ~、ハードディスク録画は便利である。
なんだが、容量もあるし、まあ、追加して行けばエエだけの話なんだが、私はケチなのでバンバン消して行くのだが、これまたケチなので「これは資料的価値がある。」と判断した番組は永久保存にしているのだが、今晩も永久保存番組みっけ。

22時から「カンブリア宮殿」やったかな?まあ、村上龍司会の経済番組があって予約しておいたのだが、結局さっさと帰って来たので放送時間に観る。
素晴らしい。。。今日放送のカンブリア宮殿は法話に使えるぞ。っちゅうか、あの社長、え~。。。会社の名前も社長の名前も忘れたし、iPhoneで調べるのは面倒だし、隣の部屋でママと娘が寝てるので録画も観ないが、あの外食チェーンの社長の経営方針、喋っている事が法話みたいだった。
とにかく、「集団でなく個人」らしい。なので、その会社の60人ぐらいの入社式では社長が一人一人に向けた言葉入りの入社書(?)を読上げ、手渡す。なにやら、「60人」という集団でなく、集団に埋もれさすのではなく、「一人」なんだと。だから、一人一人に対して、結構丁寧な言葉を贈る。
すると社員は活き活きする。当たり前だ。一人の人間として真っ向むきあってくれるわけだし、個人として尊重して呉れるのだから。そりゃ、居場所を個人として与えられたら活き活きしまっせ。

そういや、ニュースの都合で冒頭からは観れなかったんだが、最初の方でユニクロの社長が「サラリーマンの時代は終わった。これからは個人事業主の時代である」とかなんとか云ってた。まあ、社員は個人事業主の感覚で働かなければならない、みたいな感じなんだろうし、会社もそういうシステムでないとイケナイ、っちゅう事なんだろう。給料システムだけがサラリーマンなら「見事な搾取方法よのぉ。。。」なんだが、まあ、社員にとっても「集団」でなく「個人」として接して呉れた方がエエやろ。人間なんだし。
だから、活き活きして仕事をして、「お客さん」を「集団」として見るのでなく、「一人の人間」として接していた接客態度が素晴らしかった。なんせ「外食チェーン店」である。にも関わらず、まるで「町内の店」である。近所のオバハンがやってる店である。飲み屋である。マニュアル用語でなく、個人対個人が、店側と客という関係で出会っているだけである。集団としての店の人間、集団としての客でなく、個人対個人である。

なんか、そういう「個人」としての関係が、「個人としての感動」をよんで行くんだな、と。

今日、出かける前に郵送での報恩講案内を簡単な挨拶文と一緒に送ったんだが、まあ、その前に名簿を作っていたので、思い出しながらの発送作業ではあったが、挨拶文は共通だし、印刷ラベルだし、受け取った人は間違いなく「集団」に対して送られて来たとしか思えないだろう。報恩講の案内なのに。。。これはミスやな。ごめんなさい、やな。

そういや、その社長さんの法話、っちゅうか、確か入社試験の説明会だったと思うが、社長さん自身の失敗談として、「他人からどう思われるか?ばかりを気にして、自分の判断がなかった」みたいな事を云ってはった。また、そういう自分の判断だったのだろうが、言いたい事はよくわかる。他人や世間に判断を任している自分の判断でなく、つまり「自己責任」の問題であり、主人公の問題である。「誰の人生、生きとるねん。」っちゅう事である。「あなたの人生は自分で決めてイイのだ」っちゅう事であり、「あなたはあなたに成ればいい。あなたはあなたで在ればいい。」(渡辺尚子)っちゅう事である。そりゃ、入社試験に一万人も集まるわ。

ごはんリレー

2010年05月15日 | 坊主の家計簿
ノブナガのごはんリレーがさっき終った。っちゅうても関西だけか?
小泉エリちゃんは娘と同じ名前であるし、っちゅうか、番組が面白かったので観れる時は観てたのだか、ついに終りか。。。

やっぱり寂しい。

関西ローカルなのかよう知らんがサキちゃんのサイコロblog旅にしても、水曜どうでしょうにしても、ごはんリレーにしても、出鱈目を引き受けざるを得ない番組だから観てしまう。思い通りに行かない現実に照らし合わせて観てしまう。その中で笑ったり泣いたりして、色んな出会いと別れがある。

今日の放送の最後を観ながら少し泣く。いや~、あれも葬儀やな。番組に関わった人達からのエリちゃんに対する花束と言葉。関西での放送は遅れてるので行けなかったが、終了記念のイベントもあったらしい。きっと参加出来た人達での間で素敵な葬儀が行なわれたのだろう。

タイが大変である。報道を観てる限りでは、デモっちゅうよりも内戦に近い気がするのだが。
タイで出家した、故藤川和尚を思い出す。藤川和尚は、亡くなった人に対するお経はない、とか言ってたが、んなもん真宗にもないわ。別にタイだけやない。故人をどう見るかの問題であって、多分、真宗が一番の葬式仏教と云われたりするんやろうけど、んなもんはない。

ごはんリレーは、人生を見せてくれた。学ばせて、教えてくれた。

様々な縁によって、様々な人生がある。誰にその人生を否定、差別する資格があるのだろうか?

無鉄砲

2010年05月14日 | 坊主の家計簿
なんか昨夜から、今日は14日、という事に脳みそがなってて、朝起きて14日の最初のお参り先に行く。。。うぅぅん、ボケとるのぉ。。。

帰宅する。食欲がイヤシイ程出て来て、コッテリしたラーメンが食べたい、と、大阪コッテリの聖地【無鉄砲ラーメン】の食べログを読む。何やら日本一のコッテリかも知れんらしい。散々悩んで断念。何やらお腹に来る人も多い程のスペシャルコッテリらしく、42になった今、健康な状態でも危ないかも知れないのに、まだお腹が本調子でない状態で食べる事は危険過ぎる。本調子になったら行こ。早めに食べとかな、調子関係なく食べられない体になってしまうかも知れんし。

最近、老眼の気配あり。今日はお参り先のオバちゃん達とそういう、老、について愚痴りあっていたのだが、なんせオバちゃん達は老の先輩であるから愚痴も多い。う~ん、勉強になるわい。
ちなみに、どうしようもない事なんぞ愚痴るしかない。だって、どうしようもないねんし。それが現実やねんし。煩悩でっせ、煩悩。

結局、何も食べずに寝る。あぁ、来週には行くぞ無鉄砲。

夜、北海道の恩師から送って頂いた行者にんにくを使って最近流行らしい【食べる辣油】を作る。
iPhoneアプリでレシピの勉強をして、適当に作る。
一応、参考までに今日のレシピ。

行者にんにくを適当に刻む。
フライパンに輪切りトウガラシを大量に入れ、ゴマ油とキャノーラ油も大量に入れて弱火。
油がふつふつしだして来たら胡麻を適当に投入して、行者にんにくを入れて火を消す。
七味トウガラシとおろし生姜を入れて、醤油、砂糖、塩、中華ダシの素で味付けして出来上がり。

何やらザーサイとか乾燥海老とか、スライスアーモンド、スライスにんにく、タマネギ、じゃこ、なんぞを入れても美味しいらしいが、今回は行者にんにくの保存食作りが目的なので。
味見がてらに少し食べたら、激ウマの激辛。
っちゅうか、市販されているのも、他のも食べた事がないのだが、食べたら食べたで比較する煩悩が出て来るのやろな。

誰にも代わって貰えない、たった一度の人生の今。辛い(からいでなく、つらい)時はそりゃ大量飲酒して路上でひっくり返って、立ち上がれずに泣いたり、そのまま寝てまうような激しい煩悩に出会う事もあるわい。それがないのは、そういう人生だけの話。縁の問題。まあ、

♪わかっちゃあいるけどやめられない

っちゅう事。
辛い時は、辛い、っちゅうねん。

大阪たこ焼き

2010年05月13日 | 坊主の家計簿
ママが結婚祝いか出産祝いかに貰った、たこ焼き焼き機が我が家にはある。なんか、きのう、よっしゃあれを使って明日はたこ焼きや、と勢いで言う。なので、今日はパパの手作りたこ焼き。多分、30年振りぐらいに作ったのだかなんとかなった。味をかえて三種類。どれも、それなりには美味しかった。まあ、たこ焼き、っちゅうスタイルの料理やし、全体の味のバランスさえなんとかなりゃ、なんとかなる。粉の水分バランスは血肉DNAに入っとる。

先日飲みに行って、余りに酷く酔ってしまったので、帰宅してついでにメールで、
今度行ったら加川良の女の証を聴かせてね、等という、ワケの解らんメールを送る。返信で、なにやらその店には女の証があるみたいであり、すると、サーカスにはピエロ、があるかも知れんし、悲しい日々、もあるかも知れん。古いブルースのレコード、もあるかも知れんし、R309、もあるかも知れん。UAとアジコはないらしいから持って行こ。

っと、見事な大阪。


雨の日は裸足で帰る故郷への路、やったかな?そんな詩があったはずだが、裸足で帰れるのが故郷。

でも、故郷に帰れるには、一旗挙げて靴を履いて、なんぞの気持ちもある。煩悩がある。
裸足で帰れないから、先にあげた、情けない歌を好む。
だから、情け深い歌。一緒やんけ、と情け深い歌。

イオンの『お坊さん紹介』

2010年05月12日 | 坊主の家計簿
 イオンがお坊さんの紹介を始めたらしい。

 http://www.aeonretail.jp/aeonlife/expense/option/buddhistpriest.html

 ただし【「イオンのお葬式」をご利用の方に限ります】との事らしいので、まあ、要するに『イオンのお葬式』に関わっている葬儀社から紹介して貰える『布施』の値段を明記して、より一層『葬儀料金の明確化』を押し進めたのか?
 
 それにしても『イオン』である。イオンなので、私は昨日のテレビワイドショーで知ったし、
 
 毎日新聞(http://mainichi.jp/select/biz/prtimes_release/archive/2010/05/10/000000001.000002268.html

 読売新聞(http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100510-OYT1T00866.htm

 でも取り上げられたらしいので、この影響はデカイ。
 なんせ、『全国共通』『各宗派共通』の価格設定である。
 紹介されている金額は、大阪での浄土真宗の布施『相場』よりも高い。が、東京での浄土真宗の布施『相場』よりも安いかも知れんし、他宗なら「そんな布施の相場を提示されたら。。。」という事も起こって来るのではないか?だって、「え?うちの父ちゃんの葬儀で坊さんに払った布施より遥かに安いやんけ」等と。

 一応『僧侶』なので「布施は布施行と言いまして。。。」等と言わないといけないのだろうが、なので、「布施は本来『布施行』という行である。」と一応言っておくが、まあ、壊滅してる現実がまたあきらかにされた。『布施行』をする『側』に、布施行も喜捨もなく、やはり一連の葬儀の中で「支払わなければならない代金」だったりするのだろう。だから、「○○宗では」という事でなく、全宗派共通価格なんだろう。

 また、読売の方の記事や、昨日のワイドショーでも紹介されていた言葉だが、「菩提寺が遠いから紹介して欲しい」と。
 これも現実的な話でかなりある。だが、これも「なら、菩提寺の住職さんに相談して近くの寺を紹介して貰う」という関係が崩壊している現実がある事を証明している。『菩提寺』という言葉は好きではないが、長年の付き合いのある寺の住職、例えば、私が預かっている寺の門徒さんから相談されたら、私はその地域を管轄している所(教務所)の電話番号を紹介するが。それがなくとも、「あ、うち東本願寺やから、東本願寺の電話してうちの近所の寺を紹介して貰お」という関係も崩壊している現実がある事も証明している。

 イオンの『お坊さん紹介』では主立った宗派は紹介しているらしい。つまり、「各宗派の伝統的な儀式」がまだ守られている。

 直葬がものすごい勢いで増えているらしい。イオンでは直葬での僧侶派遣も紹介しているが、多くの直葬の場合はそれもないだろう。

 先日、これは東京での話らしいのだが、「葬儀に数珠を持って行ったら、だれもしてなくて恥ずかしくなってポケットにしまった」という話を聞いた。
 数珠も『形だけ』なのかも知れん。
 読経も『形だけ』なのかも知れん。
 宗派にこだわるのも、『布施』という『代金』も形だけなのかも知れん。

 でも、この『形だけ』が守られている現実があっても、『形だけ』はある。まだ、機会はある。その『形』を通しての機会はある。習俗であっても『形』はある。その形がなくなってしまったらどうなるのだろう。
 きっと、違う形の道もある。だが、残されている形がある。残して頂いている形がある。「葬式やし、坊さん呼ばんとアカン」というのが、形だけなのかも知らんが、あるいは、僧侶を呼ばなくとも「葬式やし、お経のテープを流そ」であっても、形はある。習俗であっても、残して頂いた機会がある。問われているのは、その機会をどうするのか?という事。

 イオンが葬儀ビジネスを始めたのならば、大手宅配業者や、大手タクシー会社が直葬業界に参入してもおかしくはない。どの業界も生き残りに必死である。ならば、そういう話が出て来てもおかしくはない。
 形にこだわるのではなく、『気持ち』が大切なのであれば、特定の宗派、宗教にこだわらずに直葬をしてその後にお別れ会をする形が増えて来てもおかしくはない。「私は無宗教ですし、特定の宗教方法でのいわゆる『お葬式』はいたしません」という人は間違いなく増え続けている。

 数珠も無くなり、仏壇(お内仏)もなくなり、仏式の葬儀も法事もなくなる。
 見捨てられる。

 私が見捨てる側ならともかく、私は見捨てられる側である。
 見捨てる側はきっと新しい道が見つかったのだろう。だから見捨てて行く。無宗教式の葬儀が増え、直葬が増える。それは「『見捨てる側』に問題がある」というから、ますます見捨てられる。

【葬儀や法事を執行する我々僧侶の後ろで参詣されている多くの方々がいる。日頃聞法を重ね、生活の中で勤行する習慣のない人には、読誦される経文や声明の音を聴いても意味不明で、そこに感動もなく価値を見出せずに、苦痛な時間を強いていることになる。それこそ大変なエネルギーの損失を放置してきたのである
 新たな教化伝道の手法を論じる中で、仏事にたまたま参加される幾多の人々の莫大なエネルギーを、なんとか宗教的エネルギー源に転じる、思い切った儀式の転換が迫られているのではないか。伝統儀式はこれまで以上に大切に受け継ぎつつも、時と場所と参加者のニーズに即した新たな儀式を、次々に創生していく環境作りが大切】(南御堂2010年5月号『塵光』より)

 という言葉が真宗大谷派難波別院から出ている『南御堂』に載っていたが、こういう言葉を発する『働き』が感動を生み出して行くのだと思う。

住職、疲れた。

2010年05月08日 | 坊主の家計簿
【6】 「不得外現賢善精進之相」(散善義)といふは、あらはに、かしこきすがた、善人のかたちをあらはすことなかれ、精進なるすがたをしめすことなかれとなり。そのゆゑは「内懐虚仮」なればなり。「内」はうちといふ、こころのうちに煩悩を具せるゆゑに虚なり、仮なり。「虚」はむなしくして実ならぬなり、「仮」はかりにして真ならぬなり。このこころは上にあらはせり。この信心はまことの浄土のたねとなり、みとなるべしと、いつはらず、へつらはず、実報土のたねとなる信心なり。しかればわれらは善人にもあらず、賢人にもあらず。賢人といふは、かしこくよきひとなり。精進なるこころもなし、懈怠のこころのみにして、うちはむなしく、いつはり、かざり、へつらふこころのみつねにして、まことなるこころなき身なりとしるべしとなり。「斟酌すべし」(唯信鈔)といふは、ことのありさまにしたがうて、はからふべしといふことばなり。

ザリガニ

2010年05月08日 | 坊主の家計簿
なんか、体力気力共に見事にヘタっていて、凡夫の付き合いも出来ずに申し訳ない。あぁ、コメント欄でケンカできりゃエエのだが、見事にヘタる。
悪い事に食欲が余りない。完全にないわけではないのだが、気が付くと夕方までなにも食べてなかったりする。酒も飲み始めると、危ない。よく転ぶ。只今、右手薬指とケツが負傷中。

俺って、ウツ?
なんぞと思いつつ、日々を過ごす。だって、怒りが。怒りには体力気力が必要やねんな。

とはいえ、日々の生活はなんとかなっているわけやから、まあ、なんとかなってるんやろう。

数日前に飲みに行った。別に飲みに行くつもりでは半分はなかったのだが、夕方までメシ食ってなかったので、なんとなく街の方へ。新規オープンのラーメン屋さんが300円だったので食べて、そのまま帰ろうかとも思ったんだが、なんかホルモンうどんの店でホルモンスープを飲みながら泡盛を飲む。
かなり酔う。帰りに以前に一度行った店に寄ってその店の半ば関係者なのかよく知らんが、先輩に電話したら近所に居てたらしく、すぐに行くわ、とのこと。友人先輩を待ってる間に同じ店で飲んでた?おっさんから店で飼っているザリガニの説明を受ける。何やらザリガニは共食いするそうな。

来てくれた友人先輩もありがたかったけど、ザリガニのおっさんもありがたかった。

閉店らしい店を出て、もう一軒だけ、というか、もう一杯だけ付き合って貰う。限界だったので先に帰ったんだが、帰り道でまた転ぶ。