坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

2013年05月30日 | 坊主の家計簿
「歩いた道が暖まるような生き方をしなさい」やったっけ?ある先生とさっきまで呑んでて、教えて頂いた言葉やけど、非常に残念な事に、私、酔うてまふ。

でも、嬉しかった。
先輩が先に歩いて暖めて頂いた道だから、私も歩める。

現実逃避中

2013年05月27日 | 坊主の家計簿
現実逃避中。

【安保闘争の教訓を学び、更に民主主義運動を発展させよう/
学問の自由と学園の自治に対する政治権力の介入を阻止しよう/
若き可能性と主体性の追求のために 】
(1960年東京大学 ・駒場祭テーマ)

http://www.mudainodocument.com/archives/54499972.html

 安保云々は別にして、橋下市長が桜宮高校に対して行った政治権力の介入&それを支持した大多数のマスコミにむかつく。

【堕落への誘い】(1989年京都大学11月祭テーマ)
【狂うは一時の恥、狂わぬは一生の恥】(1997年京都大学11月祭テーマ)

辺りもエエなぁ。西部講堂・吉田寮がある京大の学生らしい。

【白い乳房の上の11月祭】(1987年京都大学11月祭テーマ)

も好きやけど、自治会の女子から「男目線の幻想をテーマにすんな!自己批判しろ!」みたいな議論はなかったのか?

 さ、仕事。

報恩講準備終了

2013年05月25日 | 坊主の家計簿
報恩講準備終了。つか、3時(笑)アイロン、結構時間かかった。

お堂の準備は出来た。明日も少しあるけど。

報恩講。宗祖親鸞聖人の報恩講。

「あなたにとってロックとはなんですか?」は、じゃがたら。
「あなたにとって宗祖とは?」か。

機とは「はずみ」という意味らしい。平野修先生『民衆の中の親鸞』に書いてあった。どこかに貼り付けた気もするが、ええわ。

「はずみ」を生きている。「はずみ」しか生きれない。たまたま予定通りに行く事もあるけど、小学生の頃の予定では今頃プロレスラーになっている予定だったんだが…。何故か住職になったりしている。

その後は北海道で牧場暮らしだとか、ミナミでマスターだとか、色んな予定があったはずなんだか、何故か不思議な事に。

『敵』という存在は不思議なもので、自分の中から消し去ろうとしても、まあ、生きている。存在している。だから鬱陶しいわけなんだが、その人が存在している、その人から問われるパワー。「何故、認められないのか?」

中年になってから「たまたま」という言葉が好きになって来た。

ある先生が、というか、運動家だが、まあ、真宗仏教の先生。宅間事件当時に話をしていたら

「宅間さんに謝らないといけない。『あなたの所に、こんなに辛い犯罪を犯してしまうようなものが行ってしまったんですね。申し訳ございません』と謝らないといけない」と。

御想像通りの変人です。筋金入りのド念佛の人です。わけ、わかりません。でも、その世界の方が好き。

たまたま。私の人生はこれからどうなって行くのだろうか?
幸い、という言葉が適格かどうかには少し首を傾げてしまう所もあるけど、でも、『世間で生きやすい』という部分では、幸いに大した犯罪もしていない。日々、多くの『生き物を殺した死骸』を食べているが、これは世間的には罪にならない。宗教的には別だが。

今までも、きっとこれからも数多くの人達を傷つけて行くだろうが、それが社会から散々避難される事があっても、それも「たまたま」。

乙武氏がTwitterで「つい」店名を出してしまった事があった。注意深くみてない。Twitterで流れて来たのを少しみた程度。
障害者解放運動の論理からするなら、店側が間違っている。健常者しか来れない様な店作り。身体障害者が行く事に一報を入れないといけないというのは、断りを入れないといけないというのは差別である。でも、少し見ただけの、乙武氏の問題は、店側が忙しくイライラしていた、という事情もある。乙武氏も断られた事に対して感情的になって、つい、店名を出してしまった。

そんな「たまたま」がやって来て、その度に「はずみ」があって生きている。
だから「私は決して『ああいう風な人にはならない』」とは言えない。言いたくない。言う資格がない。

でも、その事を平気で言ってしまう人も居ている。当たり前だ。それがその人の人生だっただけだから。イイも悪いも関係ない。それがその人の人生だったから。でも、きっと、今の私よりも生きる事が苦しいと思う。自分の可能性を押し殺しているのだから。「あんな風になりたくない」は、「こういう私でないと認められない」と。
だから、安楽坊は後鳥羽上皇に「私を殺さないで下さい。念佛を弾圧する人は地獄に堕ちてしまいます」みたいな事を言ったのではなかろうか。当時の治安維持の為でもあったのだろうが、怒りと怨みの感情もあっただろう。『他者』という存在を認める事が出来なかった人に対しての念佛相続。

私の人生はこれからどう転がって行くのだろうか?一応、本堂を建て替えして、次の住職にバトンタッチしてから死んで行く予定なんだが、そんなものも予定でしか過ぎない。自分の人生が自分で解る予知能力などもっていない。

でも、恩師たちから頂いた「転がり続けて行く力」「どんな自分でも引き受けていける力」あ、当然、不平不満、愚痴三昧だが、でも、「そこから始める力」。

鳥が鳴き出した(笑)
寝ます。

ファイト!

2013年05月13日 | 坊主の家計簿
 再放送なのだろうか?『おもしろ言葉ゲーム 春のOMOJAN祭り2013』と云うのをやっていた。麻雀卓の様なテーブル上に裏向きで置かれた言葉の牌状の物を麻雀の様にジャラジャラしながら、それぞれが決められた枚数(12枚?)を取って行く。その中から親(?)が一枚基本になる言葉を置く。例えば『大阪で生まれた』という言葉。その言葉に対して、それぞれが手持の言葉の牌的な物を当てはめて、面白い言葉にしていく。一番ハマったのは、その『大阪で生まれた』という言葉に対して『ら』という言葉の牌。『大阪で生まれたら』

 ある先輩が昔、といっても数年前の法話で宗祖親鸞聖人の物語的な法話。報恩講だったので。
 親鸞が六角堂に籠った辺りでの話だったか、何なのかイマイチ憶えて居なかったりするが、『女犯』が象徴する様な煩悩、あるいは悟りを開けない「という様な事を親鸞の問題にするだけではなく、自分に置き換えてみればどうでしょうか?」云々の話の直後に「何でこんな俺やねん!」と叫ばれた。
 具体的な言葉や叫ばれたのかどうかも『事実』とは違うかも知れないが、私には「何でこんな俺やねん!」と叫ばれた声が残っている。

 45歳になりました。四捨五入すると50だし、50を四捨五入すると100歳だったりするのですが、自分の誕生日に関しての興味をすっかり無くしていたりするので、どうでもイイったらどうでもイイのだが、まあ、45年間生きて来た上での『私』。

 誕生日でもあった5月の10日は、同じ専修学院出身で最近親しくさせて頂いている方の定例法話の前座法話。自己紹介的な事から話して居られたのだが、40歳の誕生部に起った衝撃的な出来事が縁になって仏教を学ぼうとした云々の話が印象的だった。
 定例法話は調紀氏。『真宗』という機関紙ではよく名前をお見かけする方だが、法話的なものを聞かせて頂くのは初めて。永年同朋会運動に関わって来られた先輩。テキスト『宗祖親鸞聖人』だったはずだが、宗祖が得度した事を「世のならい」としてテキスト『宗祖親鸞聖人』に書かれている話が一番心に残っていたりする。
 定例法話終了後、前座法話を終られた方と一緒に飲みながらガヤガヤと。2人でワイン1500ml、ざっとワイン2本か。短時間の割によく飲んだ。

 夜は、これまた最近親しくさせて頂いている、これまた同じ専修学院出身の方の送別会(?)
 実家(自坊)に還られるらしい。
 サラリーマン家庭の次男坊に生まれた私は「実家に還らなければならない」「寺を継がなければならない」云々の話を実感出来ない。でも、母校、大谷専修学院での同級生、同窓生の殆どはそういう生い立ちの方々。だから、話だけはよく聞かせて頂いたが、当然実感は出来ない。
 でも、親しかった同級生と一緒に酒を飲んだりしていると、「やってられるか!!!」と叫ぶヤツも居たりした。その「やってられるか!!!」は、「何でこんな俺やねん!」という私の叫びと、叫ぶ内容が違うだけで、同じなのかも知れない。というか、同じだろう。
 ただ、今の私は「重みが違う」と言いたい。
 送別会(?)の方は、確か29だったかな?自分の年齢を気にしなくなったのと同時に他人の年齢も「この人はだいたい何歳ぐらい」と、前後5歳ぐらいのズレで判断していたりするので。前座法話の方は「私より5歳未満の年上」とか、送別会(?)の方は「だいたい30歳前後」とか、かなりエエ加減。仮に29歳だったとすると、29年間の人生があり、専修学院を卒業なさってから数年間「実家(自坊)に還らなかった事情」があったりする。私にそんな事情はない。何歳の時からか知らないけれど、そういう『事情』を抱えた人生って、私よりも「大人だなぁ…」と思う。

 何かの映画か小説か、何の話なのか一切忘れたが、何かで

「彼女は他人(ひと)よりも早く大人にならざるを得なかった」

 という言葉があった。
 
 私の45歳の人生の中で、私なりの苦悩があり、苦労があり、それと他人の人生を比較する事なんか馬鹿げているし、意味ないし、私の人生に対して無礼だけど、でも、思う。私よりも、送別会の方の方が遥かに大人だ。重みがある。

 当然、別に真宗教団の世襲を肯定しようとする話ではない。その事に対する批判は『青草』という専修学院の同窓生学習会の機関紙に書かせて頂いたし、基本は何も変わらない。安っぽい『御縁』という言葉で「吉田さん(旧姓です)はどういった御縁で大谷派に」云々、「在家(寺生まれではない)出身の人に仏教が解るんですかね?」云々の言葉に対して、当時と違って『吐き気』はしないが、老いと共に、そういう言葉の裏にある「悲しみ」に共感出来る様になっただけだろう。
 それと同時に、これは『在家出身』、当然、今は江戸時代でないので、『寺族』『在家』という身分制度の言葉も関係ないが、あえていう。『在家出身』だからあえていう。寺で生まれ育ったという事で、自分の人生を限定された人は、今日では親鸞がいう『悪人』ではないのか?と。思い通りに生きる事を『生まれ育ち』で限定された『悪人』ではないのか?本願念仏の出会う事の出来る宗教的天才の要素があるのではないのか?と。

 「なんでこんな俺やねん!」

 と、自分の生い立ちを怨まざるを得ない真宗仏教での宗教的天才ではないのか?

 当然、人による。それぞれの人生がある。それぞれの人生であるが、送別会(?)の人の話を聞いていて、そう感じた。

 他宗派は知らないし、他の真宗教団も知らないけど、『真宗同朋会運動を勧めて行く教団としての大谷派』なら、「愚痴を言い合える関係」「愚痴を言いに行く事が出来る寺(場)」「愚痴を言える僧侶」が大事だと思う。まあ、飲み屋でも同じだろうが。そういう意味で「家庭の事情で実家(自坊)に還らなければならない」=『苦(思い通りにならない)』という事を心のどこかでスッキリと決断出来ないもの、迷いがあるとするならば、それは掛け替えの無い財産ではないのか?その迷いがあるが故に、余り好きな言葉ではないが、「優しく」なれるのではないのか?共に苦しみ、共に迷う事が出来るのではないのか?
迷いが無くなったら凡夫ではない。御念仏なんぞ要らん。御本尊も要らん。救いも要らん。当然、寺なんか居るわけない。


ファイト!

植木等 「スーダラ節」

2013年05月10日 | 坊主の家計簿
【そして、私もまた、六二年の生涯において、女をつくったために前妻に逃げ出され、後妻けい子と結婚したあとにもまた女をつくるというような、罪悪深重・煩悩熾盛の男なのであります(そのため、七人の子どもには、とっても悲しい思いをさせています)。】(現代書館・フォービギナーズ 遠藤誠『歎異抄』より)

【本願ぼこりといましめらるるひとびとも、煩悩不浄、具足せられてこそそうろうげなれ。それは願にほこらるるにあらずや。いかなる悪を、本願ぼこりという、いかなる悪か、ほこらぬにてそうろうべきぞや。かえりて、こころおさなきことか。】(歎異抄13章より)



植木等 「スーダラ節」

犯人探し

2013年05月10日 | 坊主の家計簿
身近な人が自殺したりすると、犯人探しが始まる。自分だったり、或いは「あいつが殺した
!」云々。

でも、それは「自殺という人生を選んだ」人を無視している。
でも、そこでの犯人探しは無駄な作業ではなく、「その人の人生を認められなかった」という慚愧。
だから、今の関係、自分に対して、或いは身近な人に対して、無条件絶対肯定が自殺の連鎖を留める事ではないのか?

大仏空『異端の系譜』より

2013年05月06日 | 坊主の家計簿
【目に一丁字もない、悪人として生きて行かなければならない、商人とは人をだますことでしかないし、生活の場を得るために隣人を蹴落とさなければならない人々は、悪人正機の教えで救はれた。
 昔から金持ちケンカせずと云うが、下層民は絶えず争はねばならない。必死で毎日を斗かって行かねばならない。
 徳政一揆(幕府や大名の命令で一切の貸借関係を破棄できる徳政を要求した一揆)が数多くボッ発し、それが土一揆から国一揆に発展し、阿弥陀如来の絵の裏に一同が血判をして結束し、理も非もかえり見ず悪人になり切って、徳政をもとめる民衆には悪人こそ正しいのだと云うことが行動を通して斗い獲った思想だった。南無阿弥陀佛と書いたむしろ旗は命を棄てて活路を求める悪人集団の団結のしるしだった。
 善とか道徳とか秩序だとか正義だとか、そう云うものは皆、権力者のゴマかしの言葉、弾圧の口実でしかなかった。
 文禄五年、マカオに居たイエズス会のD・ペドロ司教は、日本奴隷の購入を禁じなければならない程、イエズス会宣教師たちは日本人少年たちを奴隷として海外へ主として東南アジアに連れ出した、と云うことは売った親が居たと云うことだ。
 我が子を売らなければ生きて行けなかった親たち、女房を売り質に入れた記録も残って居る、これらの民衆が徳政を求めて、南無阿弥陀佛のむしろ旗を立てたのだ、我が子を売るより泥棒の方がはるかに良い、人殺しもするだろう一揆の方がはるかに良い。
 悪人たちには盗まれる一銭の金も一枚の着物もないし、一椀の飯もない、殺されるべき明日の命もないとなれば、盗まれるべきものを持ち殺される命を持って居る方は、悪人たちから、それを奪って暮らして来たのだ。
 無量寿経五悪段に書かれて居る様に、人はお互いに侵し合い、奪い合って生きて居るのだから、そしてこの醜いまゝの人間で救はれると云うのだ、それが真実の人間なのだ】
(大仏空『異端の系譜』より
http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/itann/itan11.html )

社会福祉

2013年05月06日 | 坊主の家計簿
【独裁者は例外なく、笑顔で子供達と一緒の写真を撮りたがる。老人の手を引きたがり、車イスを押したがる。それは人気とりなどではなく、治安対策なのだ。つまりお気の毒な人を民衆の前にサラして「ああ気の毒な人がいるなあ」と優越感を与え不満を解消させる。
 これが社会福祉と呼ばれるものなのだ。】(大仏空)

http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/kaihourironn2.6.html

 強烈やな。

実習ネタ

2013年05月05日 | 南無阿弥陀仏の結婚式
 映画『さようならCP』を観ながら昔の職場を思い出す。ちなみに昔の職場は『ポッポ』というパン屋さん。某先輩の名前を検索していら出てきた

『共同体運動・コミューン運動』
http://www.arsvi.com/d/c23.htm

にも出てきます。リバティー大阪にもパネルがあったりします。

 立岩 真也『共同連のやろうとしていることはなぜ難しいのか、をすこし含む広告』
http://www.arsvi.com/ts/2004020.htm

 にも紹介されていますが、『障害者』と『健常者』の給与が以前は同じでした。私が入る時に、あまりにも低賃金すぎて「こら、あかん。人が来んわ」という事で、確か『障害者』の給与を1~2万(忘れた)減らして、その分を『健常者』に廻す事でようやく私がやって来たと。まあ、私は単に専修学院後の就職先でタマタマ見つけただけだったのだが。
 『障害者』には行政から障害年金が出るので、私よりも月の収入が多く、私が『障害者』に缶ジュースを奢ろうとした時に「あんたより金持ちに奢ってどうするねん(笑)」という様な所(笑)そういや、今の寺から住職として受け取っている年収って、当時よりも少なかったりして…。代表役員(私)、住職(私を低賃金でコキ使い過ぎやな。まあ、「家賃タダやねんし、経費で本買えるから我慢せえ!」と。

 引越の多い私は物持ちが悪く、昨夜も「あれ?あのオイルライターどこに行ったかなぁ…」と、何となくエジプトっぽい18ぐらいの時にフリマで買ったライターを探したけど見つからなかった。まあ、無難に捨てたのだろう。本も服もCD等も大量に捨てまくり。
 でも、何点か宝物があって、その中の一つが、『ポッポ』時代に代表から貰った給料袋。ただし、一枚だけ。

 代表もCP(脳性麻痺)だった、と思う。「思う」と書いたのは病名(?)を聞いた事がないし。ただ、私からすると不自由な手で『吉田さん』と書いた給料袋が捨てられない。大切な宝物。

 教学研修院での法話実習のネタは『幽霊→迷信が迷信でなく本当だったら→焚焼仙経帰楽邦』から大きく路線変更して、『青い芝→焚焼仙経帰楽邦』に。結局『焚焼仙経帰楽邦』だったりするのだが(笑)その他、『三上寛・ピストル魔の少年→張偉→焚焼仙経帰楽邦』、左派向けに『美しい日本→焚焼仙経帰楽邦』と、各種の焚焼仙経帰楽邦(笑)


 ポッポの代表と青い芝について喋った事はあったっけ?仕事も、プライベートも、坊さんとしての活動もクソ忙しかった時期なので忘れたが。

 青い芝には茨城県かすみがうら市上志筑の閑居山願成寺住職・大仏空(おさらぎ・あきら)氏という天台宗僧侶が関わっていた。あの辺りは原始親鸞教団の地域だからだろうか?歎異抄を読まれてたらしく、青い芝の中心メンバーと共に学んでおられたらしい。




【このような強烈な自己主張は今までの障害者運動にも生活態度にもみられなかったことである。このような運動のバックボーンをなすものに、青い芝の行動綱領とも言うべき四原則がある。それを次に示そう。
 一 われらは自らがCP者であることを自覚する。
 われらは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。
 一 われらは強烈な自己主張を行なう。
 われらがCP者であることを自覚したとき、そこに起こるのは自らを守ろうとする意思である。われらは強烈な自己主張こそそれを成し得る唯一の路であると信じ、且つ行動する。
 一 われらは愛と正義を否定する。
 われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。
 一 われらは問題解決の路を選ばない。
 われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。 
 われらは、次々と問題提起を行なうことのみ我らの行い得る運動であると信じ、且つ行動する。
 この思想は突如として障害者運動の中に現われ、今やそれが運動の中核になろうとしているが、この考えは一体どこから出てきたのであろうか。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるに世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいわんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるに似たれども……」
 これは、鎌倉時代にかかれた歎異抄の一節である。歎異抄は浄土真宗の開祖である親鸞上人の教えを弟子が書き記したものであるが、その真髄は悪人正機、つまり「悪人こそまず救われるべきである」というのである。親鸞のいう悪人――うみかはにあみをひき、つりをして世をわたるものも、野やまにしゝをかり、とりをとりていのちをつぐともがら――は自分が悪人だということを知っており、なおかつ悪業をしなければ生きていけない悲しみを知っている。それに対して善人は「善行」(心身も修行を行い勉学にいそしみ他人に施しなどをすること)ができる、いわば恵まれた人達なのである。親鸞は当時修行勉学する機会に恵まれた人達だけが救われるとする旧宗派を捨て、庶民―その時代の底辺をなす人々―の中で生きた人といえよう。
 現代において、人は無意識のうちに善い行ないをすれば善いことがあり、幸せになれると思い、善い行ないとは究極のところよく働くことだと率直に信じこんでいる。

「一生懸命働き、世界の役に立ち、金を残し、自分の家を建て、良い家庭を築く、このようなことが善人の手本であり幸せの見本とされているけれど、このようなことができない人達はどうなるのかね。それは『不幸な人』すなわち悪とされる。しかし歎異抄の『悪人』という言葉を障害者という言葉に置き換えてごらん」
 これはマハラバ村(サンスクリットで大きな叫びの意)のリーダーであった大仏空師の言葉であり、私と大仏氏、歎異抄との出会いでもあった。父から常々働くことは人間としての資格なのだといい聞かされ、現実の自分と比べ肩身の狭い思いをしながら、それに反芻する論理的拠り所を知らなかった私にとって、この言葉は衝撃であった。そもそもマハラバ村とは昭和三九年茨城県石岡市郊外、小高い山の中腹に立つ閑居山願成寺という古寺を中心に作られた脳性マヒ者の共同体であり、この寺の住職が大仏師であった。
 「人は誰でも罪深いものである。知らず知らずのうちに人に迷惑をかけている。いや迷惑をかけ犯罪を犯さなければ生きていけないのが人間である。それを償おうとすればまた一つ二つと悪いことをしてしまう。そんな罪深い自分に気がついた時に『助けてくれ』と叫ばなければならないだろう。その叫びを親鸞は念仏といったのだ。そして念仏を叫ばなければいられなくなった時、必ず阿弥陀様が救って下さるというのだ。障害者は被差別者であり、すぐ被害者づらをするが、同時に自分も加害者であることに少しも気づこうとはしない。つまり、皆もっと自己を凝視し、そこから自己を主張する必要がある。そうでないと自分達を差別しているものが何であるのかがわからずに過ぎてしまう」
「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会に背を向けていこうではないか」
 このような話を数年間にわたって大仏師より聞かされ、また討論してきたのである。とはいっても有難い法話を聞き、経典の勉強などにいそしんだというのではない。障害者特有の社会性のなさ、お互いのエゴのぶつけ合い、社会で差別され、こずき回されてきた故の人間不信と妙な甘え、家に閉じ込められていたが為の気のきかなさ、男女関係のもつれ等が渦巻き、それは壮烈なまでの人間ドラマであった。だからこそ歎異抄の世界を地で行ったといえよう。】
(横塚晃一『ある障害者運動の目指すもの』。ただし、生活書院『母よ!殺すな』2010年1月10日・第二版第一刷109頁~114頁より)

 
 特に私は上記引用文にある横塚晃一氏の『所留耳底(みみのそこにとどまるところ』である大仏空氏の言葉

【「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会に背を向けていこうではないか」】

 に注目したい。
 この「背を向けていこうではないか」という言葉は『健全者社会に迎合しない』という風に読めばいいのか?勉強不足&酔っぱらい。

 大仏空氏は天台宗の僧侶であるが故に(?)天台本覚思想が背景にある。

『「おのれの地獄を見きわめよ」―CP(脳性マヒ)者とともに生きて』
http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore6.3.html


に『三十四箇事書』の


【草木はただ草木にして、生界・仏界の徳なしと。一向にただ非常にして、有情にあらずと。故に、これを破す。一家の意は、草木非情といえども、非情ながら有情の徳を施す。非情を改めて有情と云ふにはあらず。故に成仏と云えば、人々、非情を転じて有情に成ると思ふ。全くしからず。ただ非情ながら、しかも有情なえり。よくよく、これを思うべし。】(日本思想体系9『天台本覚論』167頁より)

を原文で引用し

【つまり、「非情は非情のままでけっこうなんだ。草木が人間のように成仏することができない。悪いものは悪いままでけっこうなんだ。悪いということで、すでにいいことなんだ。とくに、いいことになるなんて思う必要がない」。それが、ここに述べられている。「草木国土悉皆成仏」を下手に理解すると、皆一つになってしまう。だから、脳性マヒなら脳性マヒで、それですでにいいのだという考え方なんです。脳性マヒ者が「健全者」に近づいてよくなるなんて考える必要がないというわけです。脳性マヒは脳性マヒで、健全者は健全者で、それでいいわけです。別々でいて、それで一律なんだという考え方がないと、「草木国土悉皆成仏」がまちがって理解されるが、この考え方は、比叡山にちゃんとあったんです。】
(http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore6.3.html)

と。

 そろそろ寝ないといけないし、酔いも深まって来た(文字が打てない…)ので、まとめに入るが、本覚思想は一部の真面目なインテリ仏教徒に非情に評判が悪く、それこそ「本覚思想は仏教ではない!」という意見もあったりするが、しかし、『青い芝』という活き活きとした念佛者の叫びの根拠に天台本覚思想があった事実を真面目なインテリ仏教徒はどう考えるのか?

 だいたい、『本覚思想』といっても、私(たち)凡夫にはハードルが高いのではないのか?流転する縁起的存在の自他を「そのまま」引き受ける事がどれ程難しい事かぐらいは、多少、自分の人生について悩んだ事がある人には実感出来るのではないのか?『苦』の語源は『思い通りにならない』ではなかったのか?『一切皆苦』はどこに消えた。
 また、今日もまだ残る障害者差別=優生思想の現状はどう考えるのだ?「役に立つ」「役に立たない」、「都合がイイ」「都合が悪い」、老少善悪を問わないのが真宗であるが、それは老少善悪を「えらび・きらい・みすてる」現実があるからである。

 あ、焚焼仙経帰楽邦。



【菩提流支との出会いによる曇鸞の回心の物語はあまりにも有名であるが、『続高僧伝』には、この「梵焼仙経帰楽邦」といわれるできごとが何であったのかを簡潔に述べる記事がある。曇鸞の臨終を述べるくだりである。むしろこの記述の方が重要であると思う。

 魏の興和四年を以って、疾に因って平遥の山寺に卒す。春秋六十有七。

 魏の興和四年(五四二)に、老齢のためであろうか、曇鸞は病気になって、平遥(現在の山西省)の山寺で亡くなった。六十七歳であった、という淡々とした記述である。深い感動を覚える記事である。
 曇鸞はかつて病気になった時、「命は惟れ危脆にして、其の常を定めず」と、生死するいのちのはかなさに愕然として、不老長寿の法を求めた。外道に迷ったのである。その曇鸞が念仏に帰して、年をとえい、病気になって、そして一老人として死んだ。あれほど健康で長生きをすることを求めていた曇鸞が、平々凡々としたひとりの人間としての生涯を終えていった。生死するいのちのままに、生かされ、そしていのちを終えた。
 真宗には現世利益がないといわれるが、そういうことはない。与えられたいのちを尊び、そのいのちを完結していく。苦労の多い人生であっても、それを自分の人生としてまっとうする。そのような真実の人生を見いだすこと以外に、どこに現世利益があろうか。仏教が説く最大の利益は真実に生きる道が見つかったということである。
 曇鸞は外道に迷ったことを通して仏教に目覚めた。仏陀釈尊が八十年の生涯をもって示したように、曇鸞も六十七年の生死するいのちを完結していった。老い、病み、死すという、平凡であるけれども地に足のついた、人の一生を示して、それがそのまま真実に生きる道であることを教えた。曇鸞はみずからの生涯をもって、念仏往生の道の何であるかを教え示したといえる。】
(狐野秀存先生『釈尊から親鸞へ』七祖の伝統 107頁~108頁より)


 
 曇鸞を『障害者』と置き換えてみると、『健全者』に憧れ『健全者』になろうとしていた曇鸞が念仏に帰依し、平々凡々とした一人の『障害者=人間』として立ち上がり、人生を全うする事が出来た。
 それを私に置き換えると、若い頃は悪魔に魂を売ってでも有名になりたかった。世間的な名誉が欲しかった。「ありのままの私」が大キライだった。でも、そういう私に対して、無条件に尊敬し、引き受けてくれる方々が信仰して居られる本願念仏の教えを私も学ぶ事によって、今も「生きている」事が出来ている、という奇跡がある。


 ポッポのパン屋時代に、ポッポが属している障害者団体のイベントにヘルパーとして参加した。基本はあくまでも「障害者による障害者の為のイベント」。ヘルパーの私や、本を売りに来てた月刊地域闘争の人はオマケ(笑)
 そのイベントで、若い頃に青い芝に触れた方が、「あんたら自分が障害者やということを忘れたらあかんで。忘れそうになったら鏡をみたらエエ。どっからどうみても障害者やろ」と。
 その時の感動は今にして思えば

『あなたは、あなたに成ればいい~あなたはあなたで在ればいい』(渡辺尚子)

と、いう言葉だったのだろう。

 

 『青い芝と原始親鸞教団』についても書きたい気分だが、寝る。

 あと、
多分、これを15分の法話原稿に仕立て上げて話すにはかなり無理がある、というか、火曜日にレジメ的なものを提出して、その後も諸々勉強して、かつ、深めて、言葉にして、引用その他を端折りまくって、15分ぐらいにしよ。
 基本は自己紹介です(笑)

映画『さようならCP』を観て

2013年05月05日 | 坊主の家計簿
 映画『さようならCP』を観ながら昔の職場を思い出す。ちなみに昔の職場は『ポッポ』というパン屋さん。某先輩の名前を検索していら出てきた

『共同体運動・コミューン運動』
http://www.arsvi.com/d/c23.htm

にも出てきます。リバティー大阪にもパネルがあったりします。

 立岩 真也『共同連のやろうとしていることはなぜ難しいのか、をすこし含む広告』
http://www.arsvi.com/ts/2004020.htm

 にも紹介されていますが、『障害者』と『健常者』の給与が以前は同じでした。私が入る時に、あまりにも低賃金すぎて「こら、あかん。人が来んわ」という事で、確か『障害者』の給与を1~2万(忘れた)減らして、その分を『健常者』に廻す事でようやく私がやって来たと。まあ、私は単に専修学院後の就職先でタマタマ見つけただけだったのだが。
 『障害者』には行政から障害年金が出るので、私よりも月の収入が多く、私が『障害者』に缶ジュースを奢ろうとした時に「あんたより金持ちに奢ってどうするねん(笑)」という様な所(笑)そういや、今の寺から住職として受け取っている年収って、当時よりも少なかったりして…。代表役員(私)、住職(私を低賃金でコキ使い過ぎやな。まあ、「家賃タダやねんし、経費で本買えるから我慢せえ!」と。

 引越の多い私は物持ちが悪く、昨夜も「あれ?あのオイルライターどこに行ったかなぁ…」と、何となくエジプトっぽい18ぐらいの時にフリマで買ったライターを探したけど見つからなかった。まあ、無難に捨てたのだろう。本も服もCD等も大量に捨てまくり。
 でも、何点か宝物があって、その中の一つが、『ポッポ』時代に代表から貰った給料袋。ただし、一枚だけ。

 代表もCP(脳性麻痺)だった、と思う。「思う」と書いたのは病名(?)を聞いた事がないし。ただ、私からすると不自由な手で『吉田さん』と書いた給料袋が捨てられない。大切な宝物。

 教学研修院での法話実習のネタは『幽霊→迷信が迷信でなく本当だったら→焚焼仙経帰楽邦』から大きく路線変更して、『青い芝→焚焼仙経帰楽邦』に。結局『焚焼仙経帰楽邦』だったりするのだが(笑)その他、『三上寛・ピストル魔の少年→張偉→焚焼仙経帰楽邦』、左派向けに『美しい日本→焚焼仙経帰楽邦』と、各種の焚焼仙経帰楽邦(笑)


 ポッポの代表と青い芝について喋った事はあったっけ?仕事も、プライベートも、坊さんとしての活動もクソ忙しかった時期なので忘れたが。

 青い芝には茨城県かすみがうら市上志筑の閑居山願成寺住職・大仏空(おさらぎ・あきら)氏という天台宗僧侶が関わっていた。あの辺りは原始親鸞教団の地域だからだろうか?歎異抄を読まれてたらしく、青い芝の中心メンバーと共に学んでおられたらしい。




【このような強烈な自己主張は今までの障害者運動にも生活態度にもみられなかったことである。このような運動のバックボーンをなすものに、青い芝の行動綱領とも言うべき四原則がある。それを次に示そう。
 一 われらは自らがCP者であることを自覚する。
 われらは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。
 一 われらは強烈な自己主張を行なう。
 われらがCP者であることを自覚したとき、そこに起こるのは自らを守ろうとする意思である。われらは強烈な自己主張こそそれを成し得る唯一の路であると信じ、且つ行動する。
 一 われらは愛と正義を否定する。
 われらは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。
 一 われらは問題解決の路を選ばない。
 われらは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって知ってきた。 
 われらは、次々と問題提起を行なうことのみ我らの行い得る運動であると信じ、且つ行動する。
 この思想は突如として障害者運動の中に現われ、今やそれが運動の中核になろうとしているが、この考えは一体どこから出てきたのであろうか。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるに世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、いかにいわんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるに似たれども……」
 これは、鎌倉時代にかかれた歎異抄の一節である。歎異抄は浄土真宗の開祖である親鸞上人の教えを弟子が書き記したものであるが、その真髄は悪人正機、つまり「悪人こそまず救われるべきである」というのである。親鸞のいう悪人――うみかはにあみをひき、つりをして世をわたるものも、野やまにしゝをかり、とりをとりていのちをつぐともがら――は自分が悪人だということを知っており、なおかつ悪業をしなければ生きていけない悲しみを知っている。それに対して善人は「善行」(心身も修行を行い勉学にいそしみ他人に施しなどをすること)ができる、いわば恵まれた人達なのである。親鸞は当時修行勉学する機会に恵まれた人達だけが救われるとする旧宗派を捨て、庶民―その時代の底辺をなす人々―の中で生きた人といえよう。
 現代において、人は無意識のうちに善い行ないをすれば善いことがあり、幸せになれると思い、善い行ないとは究極のところよく働くことだと率直に信じこんでいる。

「一生懸命働き、世界の役に立ち、金を残し、自分の家を建て、良い家庭を築く、このようなことが善人の手本であり幸せの見本とされているけれど、このようなことができない人達はどうなるのかね。それは『不幸な人』すなわち悪とされる。しかし歎異抄の『悪人』という言葉を障害者という言葉に置き換えてごらん」
 これはマハラバ村(サンスクリットで大きな叫びの意)のリーダーであった大仏空師の言葉であり、私と大仏氏、歎異抄との出会いでもあった。父から常々働くことは人間としての資格なのだといい聞かされ、現実の自分と比べ肩身の狭い思いをしながら、それに反芻する論理的拠り所を知らなかった私にとって、この言葉は衝撃であった。そもそもマハラバ村とは昭和三九年茨城県石岡市郊外、小高い山の中腹に立つ閑居山願成寺という古寺を中心に作られた脳性マヒ者の共同体であり、この寺の住職が大仏師であった。
 「人は誰でも罪深いものである。知らず知らずのうちに人に迷惑をかけている。いや迷惑をかけ犯罪を犯さなければ生きていけないのが人間である。それを償おうとすればまた一つ二つと悪いことをしてしまう。そんな罪深い自分に気がついた時に『助けてくれ』と叫ばなければならないだろう。その叫びを親鸞は念仏といったのだ。そして念仏を叫ばなければいられなくなった時、必ず阿弥陀様が救って下さるというのだ。障害者は被差別者であり、すぐ被害者づらをするが、同時に自分も加害者であることに少しも気づこうとはしない。つまり、皆もっと自己を凝視し、そこから自己を主張する必要がある。そうでないと自分達を差別しているものが何であるのかがわからずに過ぎてしまう」
「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会に背を向けていこうではないか」
 このような話を数年間にわたって大仏師より聞かされ、また討論してきたのである。とはいっても有難い法話を聞き、経典の勉強などにいそしんだというのではない。障害者特有の社会性のなさ、お互いのエゴのぶつけ合い、社会で差別され、こずき回されてきた故の人間不信と妙な甘え、家に閉じ込められていたが為の気のきかなさ、男女関係のもつれ等が渦巻き、それは壮烈なまでの人間ドラマであった。だからこそ歎異抄の世界を地で行ったといえよう。】
(横塚晃一『ある障害者運動の目指すもの』。ただし、生活書院『母よ!殺すな』2010年1月10日・第二版第一刷109頁~114頁より)

 
 特に私は上記引用文にある横塚晃一氏の『所留耳底(みみのそこにとどまるところ』である大仏空氏の言葉

【「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは『健全者』への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会に背を向けていこうではないか」】

 に注目したい。
 この「背を向けていこうではないか」という言葉は『健全者社会に迎合しない』という風に読めばいいのか?勉強不足&酔っぱらい。

 大仏空氏は天台宗の僧侶であるが故に(?)天台本覚思想が背景にある。

『「おのれの地獄を見きわめよ」―CP(脳性マヒ)者とともに生きて』
http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore6.3.html


に『三十四箇事書』の


【草木はただ草木にして、生界・仏界の徳なしと。一向にただ非常にして、有情にあらずと。故に、これを破す。一家の意は、草木非情といえども、非情ながら有情の徳を施す。非情を改めて有情と云ふにはあらず。故に成仏と云えば、人々、非情を転じて有情に成ると思ふ。全くしからず。ただ非情ながら、しかも有情なえり。よくよく、これを思うべし。】(日本思想体系9『天台本覚論』167頁より)

を原文で引用し

【つまり、「非情は非情のままでけっこうなんだ。草木が人間のように成仏することができない。悪いものは悪いままでけっこうなんだ。悪いということで、すでにいいことなんだ。とくに、いいことになるなんて思う必要がない」。それが、ここに述べられている。「草木国土悉皆成仏」を下手に理解すると、皆一つになってしまう。だから、脳性マヒなら脳性マヒで、それですでにいいのだという考え方なんです。脳性マヒ者が「健全者」に近づいてよくなるなんて考える必要がないというわけです。脳性マヒは脳性マヒで、健全者は健全者で、それでいいわけです。別々でいて、それで一律なんだという考え方がないと、「草木国土悉皆成仏」がまちがって理解されるが、この考え方は、比叡山にちゃんとあったんです。】
(http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore6.3.html)

と。

 そろそろ寝ないといけないし、酔いも深まって来た(文字が打てない…)ので、まとめに入るが、本覚思想は一部の真面目なインテリ仏教徒に非情に評判が悪く、それこそ「本覚思想は仏教ではない!」という意見もあったりするが、しかし、『青い芝』という活き活きとした念佛者の叫びの根拠に天台本覚思想があった事実を真面目なインテリ仏教徒はどう考えるのか?

 だいたい、『本覚思想』といっても、私(たち)凡夫にはハードルが高いのではないのか?流転する縁起的存在の自他を「そのまま」引き受ける事がどれ程難しい事かぐらいは、多少、自分の人生について悩んだ事がある人には実感出来るのではないのか?『苦』の語源は『思い通りにならない』ではなかったのか?『一切皆苦』はどこに消えた。
 また、今日もまだ残る障害者差別=優生思想の現状はどう考えるのだ?「役に立つ」「役に立たない」、「都合がイイ」「都合が悪い」、老少善悪を問わないのが真宗であるが、それは老少善悪を「えらび・きらい・みすてる」現実があるからである。

 あ、焚焼仙経帰楽邦。



【菩提流支との出会いによる曇鸞の回心の物語はあまりにも有名であるが、『続高僧伝』には、この「梵焼仙経帰楽邦」といわれるできごとが何であったのかを簡潔に述べる記事がある。曇鸞の臨終を述べるくだりである。むしろこの記述の方が重要であると思う。

 魏の興和四年を以って、疾に因って平遥の山寺に卒す。春秋六十有七。

 魏の興和四年(五四二)に、老齢のためであろうか、曇鸞は病気になって、平遥(現在の山西省)の山寺で亡くなった。六十七歳であった、という淡々とした記述である。深い感動を覚える記事である。
 曇鸞はかつて病気になった時、「命は惟れ危脆にして、其の常を定めず」と、生死するいのちのはかなさに愕然として、不老長寿の法を求めた。外道に迷ったのである。その曇鸞が念仏に帰して、年をとえい、病気になって、そして一老人として死んだ。あれほど健康で長生きをすることを求めていた曇鸞が、平々凡々としたひとりの人間としての生涯を終えていった。生死するいのちのままに、生かされ、そしていのちを終えた。
 真宗には現世利益がないといわれるが、そういうことはない。与えられたいのちを尊び、そのいのちを完結していく。苦労の多い人生であっても、それを自分の人生としてまっとうする。そのような真実の人生を見いだすこと以外に、どこに現世利益があろうか。仏教が説く最大の利益は真実に生きる道が見つかったということである。
 曇鸞は外道に迷ったことを通して仏教に目覚めた。仏陀釈尊が八十年の生涯をもって示したように、曇鸞も六十七年の生死するいのちを完結していった。老い、病み、死すという、平凡であるけれども地に足のついた、人の一生を示して、それがそのまま真実に生きる道であることを教えた。曇鸞はみずからの生涯をもって、念仏往生の道の何であるかを教え示したといえる。】
(狐野秀存先生『釈尊から親鸞へ』七祖の伝統 107頁~108頁より)


 
 曇鸞を『障害者』と置き換えてみると、『健全者』に憧れ『健全者』になろうとしていた曇鸞が念仏に帰依し、平々凡々とした一人の『障害者=人間』として立ち上がり、人生を全うする事が出来た。
 それを私に置き換えると、若い頃は悪魔に魂を売ってでも有名になりたかった。世間的な名誉が欲しかった。「ありのままの私」が大キライだった。でも、そういう私に対して、無条件に尊敬し、引き受けてくれる方々が信仰して居られる本願念仏の教えを私も学ぶ事によって、今も「生きている」事が出来ている、という奇跡がある。


 ポッポのパン屋時代に、ポッポが属している障害者団体のイベントにヘルパーとして参加した。基本はあくまでも「障害者による障害者の為のイベント」。ヘルパーの私や、本を売りに来てた月刊地域闘争の人はオマケ(笑)
 そのイベントで、若い頃に青い芝に触れた方が、「あんたら自分が障害者やということを忘れたらあかんで。忘れそうになったら鏡をみたらエエ。どっからどうみても障害者やろ」と。
 その時の感動は今にして思えば

『あなたは、あなたに成ればいい~あなたはあなたで在ればいい』(渡辺尚子)

と、いう言葉だったのだろう。

 

 『青い芝と原始親鸞教団』についても書きたい気分だが、寝る。

 あと、
多分、これを15分の法話原稿に仕立て上げて話すにはかなり無理がある、というか、火曜日にレジメ的なものを提出して、その後も諸々勉強して、かつ、深めて、言葉にして、引用その他を端折りまくって、15分ぐらいにしよ。
 基本は自己紹介です(笑)

命の選別

2013年05月03日 | 坊主の家計簿
【そもそも人間の命を尊厳のある状態と尊厳のない状態に分けて考えること自体が障害者差別につながるものであり、それを「尊厳のある死を」などと他人に死を強要するように考える事自体が正に命の選別にほかなりません。】
http://www.arsvi.com/2010/1202a.htm

「おのれの地獄を見きわめよ」より

2013年05月03日 | 坊主の家計簿
【 ―とすると、大仏さんの発想が、かなり強烈に投影したということですか。
大仏 それは、ぼくの発想じゃなくて、ここ(横塚晃一著『母よ!殺すな』すずさわ書店)に書いてありますことを読みますと、<このような強烈な自己主張は今までの障害者運動にも生活態度にもみられなかったことである。このような運動のバックボーンをなすものに、青い芝の行動綱領とも言うべき四原則がある。それを次に示そう。
 一 我らは自らがCP者であることを自覚する。
 我らは、現代社会にあって「本来あってはならない存在」とされつつある自らの位置を認識し、
そこに一切の運動の原点をおかなければならないと信じ、且つ行動する。
 一 我らは強烈な自己主張を行なう。
 我らがCP者であることを自覚したとき、そこに起こるのは自らを守ろうとする意思である。
 我らは強烈な自己主張こそそれを成し得る唯一の路であると信じ、且つ行動する。
 一 我らは愛と正義を否定する。
 我らは愛と正義の持つエゴイズムを鋭く告発し、それを否定する事によって生じる人間凝視に
伴う相互理解こそ真の福祉であると信じ、且つ行動する。
 一 我らは問題解決の路を選ばない。
 我らは安易に問題の解決を図ろうとすることがいかに危険な妥協への出発であるか、身をもって
知ってきた。 
 我らは、次々と問題提起を行なうことのみ我らの行い得る運動であると信じ、且つ行動する。
 この思想は突如として障害者運動の中に現われ、今やそれが運動の中核になろうとしているが、この考えは一体どこから出てきたのであろうか。
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。しかるに世のひとつねにいはく、悪人なを往生す、
いかにいわんや善人をやと。この条、一旦そのいはれあるに似たれども……」
 これは、鎌倉時代にかかれた歎異抄の一節である。歎異抄は浄土真宗の開祖である親鸞上人の教えを弟子が書き記したものであるが、その真髄は悪人正機、つまり「悪人こそまず救われるべきである」というのである。親鸞のいう悪人――うみかはにあみをひき、つりをして世をわたるものも、野やまにしゝをかり、とりをとりていのちをつぐともがら――は自分が悪人だということを知っており、なおかつ悪業をしなければ生きていけない悲しみを知っている。それに対して善人は「善行」(心身も修行を行い勉学にいそしみ他人に施しなどをすること)ができる、いわば恵まれた人達なのである。親鸞は当時修行勉学する機会に恵まれた人達だけが救われるとする旧宗派を捨て、庶民―その時代の底辺をなす人々―の中で生きた人といえよう。
 現代において、人は無意識のうちに善い行ないをすれば善いことがあり、幸せになれると思い、善い行ないとは究極のところよく働くことだと率直に信じこんでいる。「一生懸命働き、世界の役
に立ち、金を残し、自分の家を建て、良い家庭を築く、このようなことが善人の手本であり幸せの
見本とされているけれど、このようなことができない人達はどうなるのかね。それは"不幸な人〟すなわち悪とされる。しかし歎異抄の"悪人〟という言葉を障害者という言葉に置き換えてごらん」。
これはマハラバ村(サンスクリットで大きな叫びの意)のリーダーであった大仏空師の言葉であり、
私と大仏氏、歎異抄との出会いでもあった。父から常々働くことは人間としての資格なのだといい聞かされ、現実の自分と比べ肩身の狭い思いをしながら、それに反芻する論理的拠り所を知らなかった私にとって、この言葉は衝撃であった。そもそもマハラバ村とは昭和三九年茨城県石岡市郊外、小高い山の中腹に立つ閑居山願成寺という古寺を中心に作られた脳性マヒ者の共同体であり、この寺の住職が大仏師であった。
 「人は誰でも罪深いものである。知らず知らずのうちに人に迷惑をかけている。いや迷惑をかけ
犯罪を犯さなければ生きていけないのが人間である。それを償おうとすればまた一つ二つと悪いこと
をしてしまう。そんな罪深い自分に気がついた時に『助けてくれ』と叫ばなければならないだろう。
その叫びを親鸞は念仏といったのだ。そして念仏を叫ばなければいられなくなった時、必ず阿弥陀様
が救って下さるというのだ。障害者は被差別者であり、すぐ被害者づらをするが、同時に自分も加害
者であることに少しも気づこうとはしない。つまり、皆もっと自己を凝視し、そこから自己を主張す
る必要がある。そうでないと自分達を差別しているものが何であるのかがわからずに過ぎてしまう」>
「障害者は被差別者であり……」からがポイントなんです。
<「障害者は一般社会へ溶け込もうという気持ちが強い。それは"健全者〟への憧れということだ、君達が考える程この社会も、健全者といわれるものもそんなに素晴らしいものではない。それが証拠に現に障害者を差別し、弾き出しているではないか。健全者の社会へ入ろうという姿勢をとればとるほど、差別され、弾きだされるのだ。だから今の社会を問い返し、変えていく為に敢えていまの社会
に背を向けていこうではないか」。このような話を数年間にわたって大仏師より聞かされ、また討論してきたのである。とはいっても有難い法話を聞き、経典の勉強などにいそしんだというのではない。
障害者特有の社会性のなさ、お互いのエゴのぶつけ合い、社会で差別され、こずき回されてきた故の
人間不信と妙な甘え、家に閉じ込められていたが為の気のきかなさ、男女関係のもつれ等が渦巻き、それは壮烈なまでの人間ドラマであった。だからこそ歎異抄の世界を地で行ったといえよう>】

http://homepage2.nifty.com/maharababunnko/kaihourironn/onore2.2.html

一歩千金

2013年05月03日 | 坊主の家計簿
一歩千金

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1218559657

 アメトーークの『将棋たのしい芸人』で初めて知った言葉。
 まあ、「歩だって役に立つかもしれへんから粗末にしたらアカンで」と。

【自分(たち)に都合のよいように他人(たち)を思い描き、そして扱い、そのことによってその他人(たち)に迷惑をかけるのはよくないことだ、このことはわかっておこう。】(立岩真也『人間の条件~そんなものはない』より)

 「子どもは純粋だ!」
 「障害者は天使だ!」

 云々。

 内的世界でそういう事を問われたという事はとても大切だろうが、それを『一般』に当てはめてしまうと、純粋でない子どもは子どもでなくなる。「子どもらしくない」になる。障害者、まあ、主に知的障害だろうが、思い描く理想像をを作り出してしまう。

 「女らしく」「男らしく」と同じ。

 役に立つ、立たないかは、エゴの世界。煩悩の世界。
 故に、私(たち)は、まず自他をそういう眼(色眼鏡)でしか見つめる事が出来て居ないし、同時にそういう眼(色眼鏡)でしか見られていない。

【「悲しいね」って言えるかどうか。「南無阿弥陀佛』って言えるかどうか。】(鍵主先生)


 最近の私の煩悩は『悲』で他者を差別しています。煩悩って、スゲー…。