「カルト」の向こう側 2022年08月09日 | 坊主の家計簿 成唯識論では悟りを得ると「我愛・我執の主体であったものが、そのまま、真如を縁じ、無我の相を思量し、一切法と自他の有情が悉く皆平等に観ぜられるようになる」(太田久紀「成唯識論」の末那識)。真宗では悟りは開けないが故に「平等覚に帰命せよ」(親鸞)になる。要するに「ワシがカルトやと思うからアイツらはカルトや」という自我の思いではなく「こころもおよばれず。ことばもたえたり」(親鸞)という世界を信じ、帰命する。その功徳として、ド鬱で世間的価値観では廃人であろうとも、唯の凡人として生きて行ける。 « 認識 | トップ |
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