坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

如来の家

2008年03月29日 | 坊主の家計簿
 3月29日

 雑費  発泡酒           198円
 
 合計                198円
 3月累計           100347円

 素晴らしい!
 映画『サッド・ヴァケイション』は素晴らしいぞ!
 
 まずオープニングにいきなりヘロヘロ・ジョニーサンダースの名曲『SAD VACATION』が流れる。これだけでやられた。
 続いて宮崎あおいちゃんの変わらぬ眉間にシワを寄せた演技も素晴らしかった。ついでにきっと実生活でも仲がエエのであろう浅野忠信とオダギリジョーもエエ感じやった。
 これだけでも充分に素晴らしい作品であるのだが、作品はもっと素晴らしい!宮崎あおいちゃんよりも、ジョニーサンダースよりも素晴らしい!
 新作なので内容は書かないが、これぞ『如来の家』というヤツやで。『山本周五郎作品のエエ部分を全部集めて現代に焼き直したらこんな作品になりました。』っちゅう感じでっせ。
 ついでに映画のエンディングはアイラーである。 アルバート・アイラーである。オープニングがヘロヘロ・ジョニーサンダースの最ヘロヘロ時代の名曲『SAD VACATION』で、ラストがアイラーである。これだけでも観る価値はおまっせ。

 如来の家。
 ついでに作品中の北九州の家族は多分真宗門徒。まあ、たまたまだったのだろうが、あれぞ真宗門徒の家族像。阿弥陀如来を中心とする家族像でっせ。縁ある他者を決して見放さない家族像でっせ。
 『如来の家』だから当然『家長』は阿弥陀如来でしかない。阿弥陀如来を中心とする家族が真宗門徒である。
 当然、そういう寺というか、家族も多々ある事も体験して知っている。やっぱりあれでっせ、あれ。あれが真宗門徒でっせ。
 出来る出来ないの話ちゃいまっせ。それこそ個人の限界の話であって、出来る出来ないの話ちゃいまっせ。出来る出来ないでなく、何を中心とするのか?の話でっせ。
 
 これは寺の話やけど、「寺を開いたらやっかいな人が来る」と某長老。「でも、楽しいですよ」とこれ又某長老。
 映画の中ではヤヤコシイ事だらけ。でも、引き受け、見放さない。

 「私は見放される事がなくて当たり前だ」とは娑婆の理屈。そんな人なんぞいやしない。人間社会のルールだけでも『たまたま』だし、ルールを越えた世界では無茶苦茶でんがな。誰一人残らずに。
 毎日、毎日、「私が、私が」と、自己中心にしか生きてない。それしかないやんけ。
 選び、キライ、見捨てる生活だけでんがな。ワガママし放題。他人なんぞどうなっても構わない。全くどうでもエエ、しかないやんけ。
 それでも、決して見放さない存在。人。働き。
 エエ感じや。

 今日は、坊主バーのあと片付けだったんだが、明日も仕事だし、マシになって来たとはいえギックリ腰。よってサボったのだが、昨日、つまり、閉店の日にある友人の夢を見た。
 「お前とオレも最初は他人やったよな」と云われた。
 電車の中、つまり多くの他人がいる中での会話。
 坊主バーで知り合った人から今晩メールがあった。「閉店したんですか?」と。返信したら、返事。「あのバーでは色々な事を教えて貰った」と。
 それは別に全てのバー、いや『場』に共通するもの。
 『場』があるから出会う事が出来る。
 『場』があるから憎しみ合ったりする事も出来る。憎しみ合う者を場から排除したら憎しみ合う事も出来ない。

 坊主バーのチラシは『広大会』という、実家に御参りに来ている先輩から貰った本の表紙のイラストを使った。

【安養浄土の荘厳は 唯仏与仏の知見なり 究竟せること虚空にして 広大にして辺際なし】(親鸞)
 っちゅうか、浄土論、論註の歴史。『親鸞』という流罪後の名告りの歴史。

 閉店間際の坊主バーは私にとっては『どうでもエエ場』だったのだが、大切にして居られた方も居てたんだなぁ。。。と、メールで改めて感じた。
 自分が関わったにも関わらず、粗末にしていたなぁ。。。と。