坊主の家計簿

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 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

品格差是正反対法案

2008年03月07日 | 坊主の家計簿
 3月7日

 食類  唐揚げ弁当(昨日)    525円
     白身フライ(昨日)     60円
     無添加ワイン       438円
 雑費  タバコ(昨日)      300円
     タバコ2         600円

 合計              1923円
 3月累計           19681円

 無添加ワインは『食類』なのだろうか。。。酒は食類なのだろうか。。。娯楽なのだろうか。。。雑費なのだろうか。。。
 まあ、エエわ。別にたいした問題ではない。

 今日は御仕事終わって夕寝するタイミングを逸したので無添加ワイン。いや、普段夕寝してるので、夕寝せえへんと睡眠時間の関係で頭が変に興奮してやなぁ。。。それを押さえるにはダウン系の酒、つまり日本酒とかワインとかが宜しおまんねんで。
 何?「相変わらず変な生活しとるのぉ。。。」やと、やかましいボケ。

 品格の差。
 について書こうと思てたのに。。。昨日、「よっしゃ、これからはブログのタイトルを先に決めてからブログを書くぜ!」と寝る前に誓ったのに。。無添加ワインは脳味噌直撃やのぉ。。。

 決められた人生を決められたマンマで生きて行ける人は品格が高いのだろう。
 「こういう風にしなさい」と誰かから云われた事、例えば幼児期に親からだったり、或いは大人になっても周囲から。世間的な価値観での品格。
 当然、これは複雑である。例えばロック社会では品格が高くても、世間的価値観では品格が低い事も多々ある。というか、そのまんまだと思うのだが。。。日本では山口富士夫、遠藤ミチロウ。。。う~ん。。。どうしようもないのぉ。。。
 そういう複雑な世間的価値観での品格。固定観念。
 当然、差が出る。
 ミチロウは天才だが、誰もが天才であるわけもなく、多くはミチロウに憧れつつも、ミチロウになんかなれるわけがない。なれるわけがないのだが、ではロックを辞めるというのとは話が別だ。ミチロウだって、富士夫だって、商業バリバリのメジャーロックシーンではマイナーだろうし。2人ともソロで小さなライヴハウスにでも行くし。そりゃ、ロックが好きなんだろう。ロッケンロールに出会った人が辞めれるわけがない。「転がる石に苔は付かない」が止まるわけがない。だから辞めない。辞めれない。
 
 んじゃ、人は?世間で生きてる人は?
 格差はある。何かの尺度でもって。でも、本当はそんな尺度なんてありゃしない。尺度がないにも関わらず当たり前の如く比較してしまう。比較して「どうせ俺は。。。」になる。

 品格とは当然人工的なもの。それぞれの価値判断。それぞれの社会での幻想にしか過ぎない。
 格差。経済格差。貧困は問題だし、搾取は地獄への道。
 でもやな、一体誰が経済格差で下の人間が不幸と決めつける事が出来るねん。
 同じく、『人間の品格』でも。誰が一体、何の権利でもって人を決めつける事が出来るねん。
 
 品格。違う言い方では『らしい』。『人間らしい生活』。

 親「○○ちゃん、見てごらん。あの人って不幸でしょ」

 本人が告発するのでなく、周囲から「あなたは不幸だ」とか、「あなたは人間らしくない」とか誰が決めつけるねん。それは一体何の権利があって、誰の許しがあって決めつけてるねん。少なくとも俺は許してないぞ。
 そういう人間を私は「品格のない人間」と云う。と、『思う』のが大きな間違い。それは「やられたらやりかえせ」の論理である。新たな差別の再生産である。

 例えば私は世間的でいう上品な人達、例えばPTAの人達が苦手である。夜回り先生とか、高遠菜穂子が好きな人達が非常に苦手で下品で下品で仕方がないと思ってしまうわけだが、それは所詮『私の思い』でしか過ぎない。私は私の思いでもって人を裁いているわけであって、それは私が苦手な人達と同じである。
 同じなのだ。全く変わらずに同じである。私に世間的権力がないから目立っての排除が出来ないだけの話であって、私は排除しているわけだし。私には私の品格があり、それでもって人を排除して、同時に私の中の品格の差をつけている。同じなのだ。
 
 だから、私はおかしい。
 品格は『品定め』である。価格である。品格の高い者は高価であり、品格の低い者は安価である。
 私は私の価値観の中でより高価な者になろうとしている。より高価な『品』になろうとしている。そうしてその場その場で一喜一憂している。
 それは愚かである。
 品格と関係なく、いや、『品格』という言葉が示している通りに、それぞれが関係して存在している。故にそれぞれの価値判断でもっての『品格』である。『品格』の前提に『存在』があるのだ。
 ただ、『存在』だけでは差別化が出来ない。『個』が証らかにならない、と思い込んでいる。だから、『個』を品格に求める。
 『存在』に求めるのではなく。

 『存在』といっても固定化された存在などない。変化する存在。生まれて死ぬ存在。

 品格のある死は英霊。