坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

ビューティフルネーム

2011年01月31日 | 坊主の家計簿
 無茶苦茶寒い。って、北国の人に怒られそうな気もするが、北国と違って暖房設備がエエ加減やし、今だって電気ストーブのみ。さっきまではコタツのみ。まあ、だから寒いのだろうが。あまりに寒いのでダウンジャケットを着込んだりしています。

 昼間も寒かった。。。
 今日は第五日曜日。『第五日曜日』なんぞ滅多にないので、第五日曜日指定の御参りはない。「平日忙しいから日曜日に御参り頼みます」っちゅう所も今日はなし。法事もなし。なのでヒマ。ヒマなので泉州の漁港の朝市に出かけようと思ったんだが、なんせ『朝市』なので12時までしかやっていない。え~。。。無理。別の和歌山野菜直売所に行こうかとも思ったんだが、寒いし、峠道が凍ってたらイヤやし、外に出て寒いのもイヤなので却下。月末なので夜中に寺の通信を作ろうと思い、昼ご飯を食べて娘と昼寝。
 
 だが、寒い。娘を抱っこしてても寒い。寒いので布団をいっぱい。娘は暑いので泣く。泣いて起きる。パパ、「ゴメン、ゴメン」と布団を外して娘には毛布しかかからないようにして寝る。んなもん、寝てたら崩れる。娘、暑いので泣く。
 以上、パパの昼寝失敗。

 買い物に出かけてたママが帰って来て、もう一度寝ようとしたのだが、少し寝たので寝れなかった。ので、視神経疲れてるし、寺の通信は明日に。明日は休みやし♪まあ、書く事もだいたい決まっているし、まあ、なんとかなるやろ。っちゅうか、なんとかするし。

 なので、ダラダラとした一日。深夜になってようやくパソコンを立ち上げてワインなんぞを飲み始める。寝酒でんな。

 なんかサッカーの日本代表チームが優勝(?)したらしく、ニュースバラエティー番組はその話題が多かった。昨晩、私も「チラッと」だけ観たのだが、それほど興味があるわけもなく、録画してたもんを観てたわけなんだが。
 何やら決勝ゴールを決めた兄ちゃんは帰化した在日コリアン4世らしい。李さんらしい。え~。。。むっちゃカッチョエエゴールやったなぁ。。。素人目線では「おお!」やで。玄人目線では知らんが。ボレーシュートっちゅうのか?むっちゃカッチョ良かった。
 李忠成っちゅう兄ちゃんらしい。wikipediaによると通名は大山忠成らしい。韓国名はイ・チュンソン(이충성)らしい。名前が3つもある。

 ちなみに私も名前が3つある。結婚してヨメはんの名字になったのと、法名との3つ。なので、メールには3つ書いてある。新しい姓は、仲人の元所属寺住職が呼ぶのと、役所ぐらいであって、他はほぼ旧姓。飲み屋マスター時代は名刺に法名しか書いてなかったので、法名の「学生(がくしょう)さん」と呼んでくれる人もタマにいたりする。あ、ハンドルネームの『エロ坊主』もタマに(笑)

 先週の土曜日深夜まで飲んでた方。え~。。。結構酔っぱらってたので何を話したのかイマイチ憶えていないのだが、法名にこだわりを持たれた方だった。名字で呼ぶと、「法名で呼んで下さい」と。なんか、その事が忘れられず刺激になっている。

 名前。娘の名前は恵里である。

 http://blog.goo.ne.jp/erovows/e/f65c7f666bccec967f6b2c4356d94abd

 今の所は「恵里ちゃん」。縮まって「恵里タン」だったりもする。
 娘が今後大きくなって、「エリーと呼んで」なんぞと毛唐被れの発言をしだしたりするのかも知れんが、今の所は知らん。

 名前は、関係性を教えてくれる。仲人の元所属寺住職が旧姓で呼ぶのは「仲人としてどないやねん」やろうし。まあ、タマに旧姓で呼んだりもするが、一応訓練しているみたいでもある。

 私自身がなんと呼ばれたいのかというと、結構、こだわりがなかったりもする。え~。。。面倒なのだ。旧姓で呼び易ければ旧姓でもエエし、新しい方で良ければそれでもエエ。まあ、新しい姓は、同時に『住職』だったり、寺の名前もひっついて来たので、殆ど呼ばれる事がなかったりもするのだが、名字はどっちでもエエ。特にこだわりはない。
 法名。自分で付けた法名。大切な法名。私がどういう風に生きて行きたいのかを名告った法名。
 そうか、やっぱし、法名で呼ばれるのが一番嬉しいか。

 寺の通信では法名メインで、俗名(新しい姓での名前)が()内のサブ。けど、名刺は逆。俗名がメイン。
 大量に作ったから勿体ないけど、丁度、諸々世話になっている親しい先輩が共同作業所で働いてて、牛乳パックで作った(ミキサーで作るあれね)名刺を100枚3000円やったかな?まあ、通常名刺価格で売って頂けるらしいので、法名メインで作ろう。

 昨晩の試合で決勝ゴールを決めた李忠成(り ただなり)っちゅう兄ちゃんが、なんと呼ばれたいのかは知らん。
 知らんが、「この名前で呼んでくれ」と本人が言っているにも関わらず、それを無視するのは失礼、無礼千万やろ。

 ちなみに、先週土曜日のイノシシ鍋パーティーには、法名にこだわるメインゲストの他に、本名にこだわる在日コリアンの2人が来て居られた。
 『法名』と、『在日コリアンの本名』。『在日コリアンの本名』は『俗名』なんだが、共に、解放の為の名告り。

 私はそれ程『呼び名』にこだわっていない。なんとなく「法名で呼ばれるのが一番嬉しいかな?」程度である。
 法名で呼ばれる事にこだわる先週のメインゲストと、本名にこだわる在日コリアンとの対談が聞きたくなった。それぞれの生い立ちと歴史。
 
 法名。寺での俗名の歴史があったりもする。「○○姓を名乗る者」やったかな?姓を受け継いで来て閉鎖的になった歴史。その姓を名乗らなくてはアカンかった歴史。っちゅうか、今でもそういう寺が多いのかも知れんが。その中での法名。

 在日コリアン。通名を名乗らざるを得なかった歴史。その中での本名。


 私の法名は『釋学生』。名前が『学(まなぶ)』なので、生き難かった、「生きている」という事だけで大変で『死にたい症候群』だった私が、生きる。学が生きる。仏教の教えで私が私として生きる。→釋学生。
 そういう私が仏教で『生きる事を学ぶ』→釋学生。
 『「勉強だけしている、ゆゆしき学生(学者)になんか、なりたくない!」(っちゅうか、今となっては成れない事が明白なのだが、当時の気分は)』→釋学生。
 ということで、釋学生。

 得度式からしばらく経って、当時の専修学院の院長先生だった竹中先生が「忘れそうになったら頭を撫でて得度した時の事を思い出しなさい」と。得度の時は剃髪。今も丸坊主だけど、剃髪はしてないし。


 

故郷を離れる

2011年01月30日 | 坊主の家計簿
 学習会。の前に仮眠。起きたら真っ暗(笑)え~。。。何時間寝とるねん。まあ、まだ体調万全ではないか。下痢は止まってんけど。

 遅れまくりの学習会。終わったのが23時30分過ぎ。当然シラフ。車だし、っちゅうか、飲まない学習会だし。

 帰り道、「そういえば福山がラジオやってたな」とラジオを探す。関西では朝日放送。オールナイト日本だったのね。
 何やら「AKBのヘビーローテーションが素晴らしい」とかなんとか。で、福山がヘビーローテーションを歌う。練習の為に「聞いてみよう」との事。
 お腹が空いたのでコンビニへ。コンビニをウロウロして出て来て車に乗ったら、またヘビーローテーションが流れてた。何やら練習の為にもう一度聞いたらしい。で、福山がヘビーローテーションを歌い出した所で帰宅する。別にファンではないのでそのままラジオを切る。
 春夏秋冬も歌ってた。そういえばシオンの曲もカバーしてるし、一緒に歌ってたりもする。
 福山雅治って、かなりの人気もんだと思うのだが、それでも深夜ラジオを続けているのね。で、結構、面白い。多分、仕事のギャラ的には安いと思うのだが、多分、好きなんだろう。そう考えると結構エエやつかも知れん。顔が良くて声も良くて、歌も芝居も上手くて、結構エエやつ。小西真奈美たんと噂があって、何やら「今年中に結婚するらしい」と芸能レポーター。羨ましい限りである。

 帰宅して、速攻シャワー浴びて、残ってたお粥を食べて、コンビニで買って来た焼き鳥を食べる。「そろそろ大丈夫やろう」と焼酎の薄いお湯割も飲む。
 録画してたバラエティー番組を見て、「どうしようかな?」と。仮眠を3時間もしたので全く眠くない。けど、寒いのでコタツからは出たくない。なので、昼間に「これは面白そう」と途中から録画だけしてた

『田舎のコンビ ニ~一軒の商店から見た過疎の4年間』(http://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20101106105.htm

 を観る。素晴らしかった。
 録画した途中からの冒頭での言葉のやりとりを聞いて、「これって能登違うん?」と。聞き覚えのあるイントネーション。オカンの実家が能登なので、そこで散々聞いたイントネーションと言葉の使い回し方。穴水の方らしい。ますますオカンの実家に近い。懐かしいぁ~、と。

 番組内容はタイトルそのまんま。田舎のコンビニ、『コンビニ』といっても大手のローソンだとかではなく、『○○商店』とかの、まあ、『よろずや』。そのコンビニに集まる人、コンビニをやってはる人と、コンビニに来る客との出会い。まあ、田舎の事だし、きっと遠縁だったりもする場合もあるのだろうし、そうでなくても関わりは深いのだろう。客を家まで送ったり、病院まで送ったり。客の事を親身になって心配したり。村の風景。
 
 過疎の村。そのコンビニがある所も、人が死ぬたびに、どんどんと空き家になって行く。田んぼもどんどんと耕す人が居なくなって、荒れ地に。

 過疎の村にも当然寺はあるだろう。過疎になって、どんどんと寺を一緒に支える人達の数が減って行く。

 私のところはぎりぎり大阪市内。『ぎりぎり大阪市内』なので、畑や田んぼがなくなって、マンションが建って行く。調べた事はないが、人口は増えて来ているのだろう。

 私は福山雅治ではなく、過疎の村の住職でもなく、大きな寺の住職でもない。
 私は私でしかない。
 福山に対して「うらやましい」と思う比較の心を通して、夢を、幻想を、幻を追い求めて現実の『私』という存在を苦しめている私に出会う。

 「若い頃にムチャしなければ良かった」と反省する最近。でも、あれだけムチャしてたから、今の私があったりもする。

 正月辺りやったかな?あ、1月9日ね。1月9日のブログで紹介した

 【あなたたち2人の子どもに生まれて幸せです。今度生まれて来た時も2人の間に生まれて来たい】(某、売れてないのに子どもがいてる芸人)

 という言葉。

 「今度生まれ変わったら、もっと違った人生の方がイイ」が、輪廻。輪廻転生。「別のカーストに生まれたい」等々。「バラモンに生まれたい」等々。

【ああ、弘誓の強縁、多生にも値いがたく、真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かえってまた曠劫を径歴せん。誠なるかなや、摂取不捨の真言、超世希有の正法、聞思して遅慮することなかれ。ここに愚禿釈の親鸞、慶ばしいかな、西蕃・月支の聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うことを得たり。】(宗祖親鸞聖人)

 今に遇う。

ふいんき

2011年01月29日 | 坊主の家計簿
 日月火水木、そして金。素晴らしい。。。今日で6日も飲んでないぞ、酒。これだけ飲んでないのは29才の時の『教師修練』という本山缶詰の時以来のはずなので、13年振りか。干支一回り以上やんけ。記念に祝杯でもあげたいのだが、残念ながら「飲む気にならん」。一応、さっき銭湯に行った帰りのスーパーで安ワインを買って来たのだが、やっぱし飲む気にならん。まあ、体が受け付けてくれへんやろうけど。

 え~。。。倒れてました。仕事はしてたんだが、それだけ。日々の仕事をこなすだけ。あ、座椅子が壊れて、壊れた座椅子に座ってたら背筋を痛めて「こりゃアカン」と買いに行った事はあったか。坊さん組織・新年会も「すいません。。。風邪でして。。。」と休む。風邪ではないのだが、まあ、無難やし。風邪ではなく、単に倒れてただけ。

 『倒れてた』といえば、今日、遠距離自転車に乗る時にカラー軍手はスカスカで冷たいので、雨にも風にも強い手袋をはめる。「ん?」と。なんかボロボロ。確か土曜の晩にはめた時はボロボロでなかったので、「クソ、猫のせいか?」「娘か?」等と疑ったのだが、よく考えてみると、土曜日、飲み過ぎて帰りに自転車で転けたんやった(笑)ああ、他人のせいにしてしまう煩悩は変わらず元気だぜ。自分を全く疑えへんかったもんなぁ~、スンゲーな、俺。

 で、土曜日。イノシシを持ってやって来られる先輩住職さんをゲストに飲む。メインゲストはイノシシかも知れんが、集まった多くの人達は先輩住職よりもイノシシだったのだろうが、え~。。。私もだったりするのだが、なんか結局深夜まで初対面の先輩住職と飲む。酒量はそんなに大した事はなかったのだが、眠くなって途中で帰ったのだが、帰りに転ける、転ける。危ないので自転車を押して帰る。ムッチャ時間もかかったし、寒い、っちゅうねん。

 20代の頃は毎日の様に深夜までムチャ遊びをしても平気だったのだが、段々と「次の日しんどい」「2日しんどい」と増えて行き、今回は昨日の木曜日に「少しは大丈夫か?」になり、今日、金曜日に完全復帰なので6日かかったのか?「オッサンやな」を通り越えて「ジジイやな」やな。

 しかし、6日酒を飲まないと、ずっと違和感があった右の腰と肩の間ぐらいの所、飲み過ぎると違和感どころか「つ、つる~!」状態になる所、まあ、個人的なもんだろうが、私の飲み過ぎサイン、連日の飲み過ぎた時の危険信号がすっきりしてエエ感じである。

 今日は「復活!」という事で、まあ、月末までにやってしまわない事もあったので朝からパソコンを立ち上げる。メール、おいスパムメール、どれだけ来とるねん。一週間ほったらかしやったし、しゃーない、のだが、うっとうしいのぉ。。。

 「うっとうしい」といえば、何やら寺関係の情報誌の見本が送られて来た。これがスンゲーぞ。雑誌はまあ、無難な作り。無難な作りなので当然購読もしない。購読料、結構高いし。特に関心のある情報もない。関心のある情報もないので雑誌自体には何ら関心を持たなかったのだが、同封されていた雑誌のチラシに興味をそそられる。え~。。。似た様なチラシは「健康食品」だとか、「霊感商法」だとか、なんじゃ、え~。。。「優越感とエリート意識を満足させる脅迫文」とでも言えばエエのかな?そんな内容。
 まあ、そのチラシに書いてある事からすると、私は「利益追求だけを目指し、社会貢献をする気がなく、現状の教団・寺に対する危機感がない」事になるのかな(笑)いや~、別にエエのだが、単に「シロートが偉そうな口をきくな!」と言いたくなるのだが。まあ、「シロート」は失礼かな?でも、外野やろ。うちの寺からすりゃ、私からすりゃ、外野だ。寺は個別のもんであって、個別の寺を『じゅっぱひとからげ』で判断すな、っちゅうねん。「頑張れ仏教!」はあ、仏教はずっと地味に流れとるわ。単に派手好みのテメーに合わんだけの話やろうがい。

 そういや、『じゅっぱひとからげ』やねんね。ずっと「じゅっぱひとからけ」だと思ってた。
 
 この間、なんやったかな?何かの言葉を布団中iPhoneで調べてたら、まあ、その言葉は忘れたからエエわ。『雰囲気』は『ふんいき』やねんね。『ふいんき』やないねんね。けど、産まれてから42年のこのかた、「ふんいき」という言葉を使った事はないぞ。っちゅうか、多分、「いや~、マスター、この店、初めて寄せてもらったけど、エエふんいきやなぁ~」って言ったら、「ケチつけるねんやったら帰って」ではないのか?大阪では。キタは知らんぞ。キタは知らんがミナミでは。『ふんいき』って『糞域』みたいやん。
 まあ、それもエエ。けど、なんかの言葉を調べてたら「『ふんいき』を『ふいんき』と読み間違っている人が居てて、中には文句を言っている人が居て変」みたいな事が書いてあった。テメー、各地の言葉はどないなるっちゅうねん、こら。この場合の「こら」は、北陸では「だら」になるのか?それぞれは、それぞれや、っちゅうねん。それを『標準語』なんぞの判断だけで人を見下してケツさらすとは、いったいどういう了見の狭さじゃ。

 だいたい、『日本』は「にほん」「にっぽん」であって、「どっちでもエエ」らしい。素晴らしい。。。このエエ加減さが日本の素晴らしい所ではないのか?国の名前やぞ。国の名前が「にほん」でも「にっぽん」でも「どっちでもエエ」っちゅうのは、素晴らしいではないか。このテキトーさ、エエ加減さが島国、寄せ集め、混血だらけの「にほん」「にっぽん」のお気に入りのふいんき。

約20の個を焼き食べる

2011年01月22日 | 坊主の家計簿
 牡蠣ツアー。

 加古川バイパスと、姫路バイパスってスゲー。無料の高速道路やんけ、あれって。なので、高速料金1500円で相生まで、早い、早い。

 気になる牡蠣スポットを3つ回って、もう1カ所ついでに「お!ここや!」とチェックして。結局日生まで行って、日生の『五味の市』で牡蠣三昧。平日の昼過ぎだったからなのかも知れんが、2000円分の牡蠣を買ったら、オマケで10個ぐらい付けてくれた。それをバーベキューコーナーで焼いて食べる。別途料金1000円(6名まで可能らしい)。合計3000円で焼き牡蠣を2人で「もうエエわ」っちゅうぐらい食べる。娘はあたった場合に怖いので牡蠣ではなく、他のもん。っちゅうか、牡蠣には全く興味を示さず、火の近くにも寄らん。
 当初の予定では「バーベキューは止めとこ」やったんだが、本命の店が満杯だったし、同じ所にある日生の有名丼屋も満杯。なので「まあ、いっぺんバーベキューでもしましょか?」だったのだが、結局、これが正解やったな。90分間場所を借りれるし、汚し放題やし。娘は牡蠣に一切興味を持たず、自分が選んだ『タコのお好み焼き風天ぷら』や、焼き穴子(デッカイのが3匹1200円。残る2匹は明日のおかず)や、ママが作ったおにぎりなんぞをワシワシと。パパとママは大量(多分40個ぐらい)の牡蠣を焼いて食べる事に懸命。まあ、「残ったら持って帰ろ」とクーラーボックス持参だったのだが、結局、全部喰ってもうた。

 やっぱし、産地で食べる牡蠣は気分的なもんもあるんかも知れんが、美味い。その前に満杯だった坂越の『海の駅』では牡蠣を引き上げて「ガラガラ」いわしながら洗ってはったし。もう、牡蠣、牡蠣、牡蠣、である。
 カラ付きの牡蠣を炭火の上に乗っけて、適当な頃合いになったら牡蠣ナイフでカラを開けて、貝柱を切って、喰う。醤油をほんの少し。美味かった。。。結構大きな牡蠣やったし、余りにおっきな牡蠣は「デカイの苦手」でママに依頼したのだが、美味かったぞ。人生の中で一日であれだけ大量の牡蠣を食べたのは初である。

 初といえば、娘、初の車酔い。相生から日生まで国道を使わずに海岸線を走ったのだが、途中、絶景のエエドライブコース。但し、多少の上下左右。娘、相生で買って車の中で食べてたイチゴを吐く。車中にイチゴの匂い、娘ゲロイチゴの匂いで一杯。「ゴメンね、ゴメンね」といいつつ、ママ、少し嬉しそう。真剣に心配しているのだが、何やら三半規管が出来つつある事に、三半規管が出来つつあるから車酔いを出来た事に、少し嬉しそう。私も、そう聞くと嬉しかったりするのだが、それ以前に「なんじゃい、それ」であったりする。

 阿弥陀如来の事を「親さま」と呼んだりする場合もあるらしいが、「親さま」はどういう風に育つと嬉しかったりするのだろうか?なんぞと、瞬間思ったりする。まあ、南無阿弥陀仏と念仏申すように育ってくれたのが嬉しかったりするのだろうが。

 帰宅する。明日の本堂での法事の為に、仏華を少し買い足して、少しだけ追加する。
 その作業が終わって、本日、終了。後は寝る前に本堂で念仏申すだけ。

 デスノートを録画して見る。

 デスノートでは名前を書かないと殺せないらしい。通りすがりの殺人で名前も知らない人を殺す場合もあったりするのだろう。でも、自分が殺した後には名前を知る。

 牡蠣の焼き具合は難しい。あ、ちなみに『牡蠣爆弾』だが、ありゃ、爆発する方向を気にしてりゃ、大した被害はない。牡蠣が開く方向は決まっているのだし、牡蠣爆弾の方向性も決まっている。横側からも熱い牡蠣スープが爆発して飛び散る事もあるが、まあ、そんなに被害はない。開かない方向は大丈夫。なので、人の居る方向を気にして牡蠣を並べて行けば、そんなに大した事はないぞ。
 で、焼き加減。同じ様に焼いたつもりであっても、同じ時に並べた牡蠣であっても、まあ、炭火の都合もあるのだろうが、「おお!これは完璧ではないか!」と、まあ、牡蠣を開いたら、貝柱が勝手に離れてくれたり、あるいは、それ程面倒なく離れてくれる。牡蠣だって、『個々』である。「なんでやねん、同じように焼いたのに、なんでキレイに焼けてくれへんねん」とは、アホである。個を無視した思考回路である。で、私は『個を無視した思考回路』なので、「なんでやねん!」と(笑)

 焼く、違う、でも、約20の牡蠣を焼く。焼いて頂く。



  朝焼け小焼けだ大漁だ
  オオバいわしの大漁だ

  浜は祭りのようだけど
  海の中では何万の
  いわしの弔いするだろう
 (金子みすゞ『大漁』)



 個。名前も知らないが、個。名前はなくとも、個。

矛盾から発車オーライ♪

2011年01月21日 | 坊主の家計簿
 娘の昼寝ベッドとして約3時間。。。
 最初はママベッドだったんがだ、家事があるママに代わってパパベッド。パパはトイレが近いのでママベッドへ。ママもトイレに行きたくなったのでパパベッドへ。最後のパパベッドが結構長く、っちゅうか、ママベッドは毎度の事なんだが、久々のパパベッド。

 なんだが、今日はやらんとアカン事も多々あって、少々バタバタする。娘ベッドになっている途中に瞬間『落ちた』ので、娘が起きてから「んじゃ、パパ寝る」と仮眠しようと思ったんだが、無理だった。
 その代わりに娘&ママが風呂に入っている間に、また落ちる。30分ぐらいかな?もう少し仮眠してたかな?
 仮眠するつもりはなかったんだが、落ちてしまったものは仕方がない。仮眠復帰後に、バタバタとして、現在に至る。え~。。。只今1時44分でんな。パソコンが頑張って作業してはる。

 只今頑張ってくれているiMac作業は、iPodの同期作業。今日、勢いで「そやそや、車に突っ込んでるiPodに娘用の曲を入れとかんとアカン」っちゅう事で、仮眠してその他の作業してついた勢いでもってiPod作業。ちなみに、パソコン作業は終わったらしい。御苦労さまでした。
 で、数年前に買ったiPodのデーターは、ほぼ今のiMacに引っ越し出来ているのだが、引っ越し作業が終わった後に録音した講義があってでんな、そのままやったらデーターが消えてしまうので、っちゅうか、色々とやり方があるんやろけど、まあ、以前使ってたiBookもあるし。なので、iBookに繋いでデーターを突っ込んで、んでもってからiMacと同期作業。
 面倒なんだが、まあ、しゃーない。講義録音は大切やし。

 しかし、こう書くと「結構、エエ、パパしてるやん♪」と思ってしまうのだが、え~。。。だったらママと、娘と一緒の時間に寝たれよな。。。

 そういえば、先日飲んでた先輩達の中に門限があるパパが居た。っちゅうか、小さい子どもが居てる先輩パパは結構「ゴメン、子どもを風呂に入れなアカンから帰るわ」という人も多く、そういうパパからすると落第パパだったりする。
 っちゅうか、このパパ、つまり私は、一応は帰る。ミナミ最安値のカプセルホテルの値段プラス電車代と、タクシー代を比べると殆ど一緒か、タクシー代の方が安い場合の方が多いし。かつ、今は冬なので「寒いよ~。。。」と贅沢に電車でミナミに行ったりしてるけど、基本、自転車やし。なので、次の日の仕事を考えつつ飲んでいる。なので、次の日が休みだったりすると、深酒で道端で寝て朝帰りとかでんな。。。(笑)いや~。。。



  わたしの まちがひだつた
  わたしのまちがひだつた
  こうして 草にすわれば それがわかる
 (八木重吉『草にすわる』)


 世の生業(なりわい)。まあ、真宗では『真宗宗歌』として親しまれている言葉。
 
 世の生業と、仏の世界は違う。だから、間違っている。私は間違っている。
 これを使い分けてしまうと、納得してしまう。エゴは自己保身である。だから、必ずいいわけを立てる。立ててしまう。

 ジャージー・アッパー・カットの曲で

 ♪自己矛盾のバランス崩壊
  それが戦争
  忘れちゃならない

 っちゅうのが、あったはずだが、間違っているのは、間違っているのだ。
 そんな所に『義』はない。『義』はあくまでもエゴの所にはない。言い訳した、自己矛盾を恐れて言い訳した所に『義』はない。

 でも、世の生業。
 間違った世の生業にいそしむ私に、「こっちだよ」と、満月のように。

 っちゅうか、今日は満月だったのか?別に満月じゃなくとも構わない。明日、月夜が観れるとも限らないし、観れなくってもいい。
 ただ、今日の月は、真ん丸で暖かかった。



 ♪世界はとっても広いから
  夢は大きい方がいい
  夢に向かって 発車オーライ

  晴れ 晴れ 晴れ
  晴れ 晴れ 晴れ
  きっと晴れる 明日も会える

  晴れ 晴れ 晴れ
  晴れ 晴れ 晴れ
  きっと晴れる 明日も会える

  トンネルの向こうは
  青空いっぱい
  両手を広げて 世界が待っている
 (『おかあさんといっしょ』の最後の曲)

矛盾から

2011年01月20日 | 坊主の家計簿
 池上さんの解りやすいニュース解説番組を見ていて初めて知ったのだが、何やら官房長官は東京から出たらアカンらしい。ついでに警視庁の一番エライ人も東京から出たらアカンらしい。また、各警察の一番エライ人もその都道府県から出たらアカンらしい。
 大変である。

 寺の住職もその住職が住んでいる都道府県から出たらアカンらしい。。。っちゅう事はないな。寺の事情にもよるんやろうけど、スタッフ(役僧)や、前住職&次期住職なんぞが居ったら海外旅行にだって行っている人も居てるし。
 うちは居てないので、海外旅行は無理。沖縄も無理。北海道も無理かな?一応、鉄道も走ってるし、まあ、なんとかなるか。飛行機だけやと、飛行機がアカンとどうしようもないし。急な葬儀、というか、葬儀はいつも急なので、電話があって、遅くとも24時間以内に確実に戻れる所でないと。
 
 お、これは娘が大きくなった時に「パパ、私も沖縄に行きたいよ。沖縄に行って知花昌一の民宿に泊まりたいよ」とせがまれた時に、「娘よ、よく聞け。パパは住職なんだ。パパが住職だから私たちはここに住まわせて頂いているのだ。にも関わらず、急な葬儀等の依頼に対応出来ない所に行く事は、家賃を払わない事と同じ事なんだよ」等と言い逃れが出来るではないか。決して「ツアーの方が安く、ツアーでは知花昌一の民宿(まだやってるのか?)に泊まる事が出来ない=金がない」という本心を見せずにカッコ付けれるではないか。

 という事で、車で数時間の所にカキ食べに行って来ます。

 冬だ!カキだ!

 である。
 っちゅうても、カニもそれ程好んで食べないのと同じく、カキもそれ程好んで食べるわけでもない。生ガキ食べれないし。酢ガキも食べれない。カキフライも「兄ちゃん、しっかり火を通してや」やし。でも、まあ、食べると美味いのは美味い。個人的には麻婆豆腐に入れて喰ったりするのがエエ。鍋もエエ。けど、カキフライをソフトクリームに突っ込むって、どうよ。
 
 http://r.tabelog.com/okayama/A3305/A330501/33002163/dtlrvwlst/807750/

 んが、まあ、タルタルソースで食べるねんから、まあ、それなりだったりするのだろう。

 今日は、御近所のお寺さんに某デッカイ配布物を配達。うちの区の仏教会から「皆さんに配って下さいね♪」との依頼。昨日、仕事が終わって帰って来たら届いていたのだが、昨日は仕事終わったのが遅かったので「しんどいから明日」という事で、今日配布。うちの軽自動車にパンパンに詰め込んで配達。全部は無理だったし、『ほん近く』の村中にある所は車が厳しいので自転車で。
 夕方の早めの時間。寺の在宅率100%。スンゲー!と思わず感動する。
 連絡なしの、ピンポ~ン♪である。「○○仏教会の○○寺ですが」で、「○○寺の住職にならせて頂きました○○と申します」と、初対面の人には挨拶しつつ。で、在宅率100%である。
 うちは、なかなか。。。パパ仕事等で外出、ママも買いもん等の用事で外出だったり、プチ旅行に出ている時もあったりする。

 「娘よ。だから、うちはなかなか旅行に出る事も難しいのだ。解っておくれ。。。(泣)」

 というのも、娘に対するイイワケとしてエエかも知れん。

 夕方の晩御飯準備(買いもん)等で忙しい時間だった事もあり、いくつかのお寺では住職がインターホン&直接出てきはった。その中のいくつかの寺では作務衣を含めた「お坊さんらしいカッコ」をしてはった。まあ、色々な宗派やし。これも純粋に「スンゲー!」と思ったりする。私なんぞ、今は作務衣を持ってないし、冬の基本はヨットパーカー&スエットである。その辺の中年の兄ちゃんである。『おっさん』ではない。『おっさん』はパーカーを着ない。はずである。。。

 別に今日、刺激を受けたわけではないのだが、作務衣を買わんとアカン。これは、どうなるか解らん「依頼されるかも知れない仕事」で必要なので。なので、楽天で適当なものを探して買お。

 買ったら買ったで、まあ、タマには着るだろう。
 『作務衣を買うと蕎麦を打ちたくなる』という格言があるらしいが、ひょっとすると「趣味はなんですか?」と聞かれた時に「蕎麦を打つ事ぐらいですかね」とこたえると、なんとなく詐欺師っぽくってエエかも知れん。なんせ、作務衣&丸坊主で蕎麦打ちである。怪しさ満点ではないか。「いや~、毎日が修行ですよ」なんぞとこたえてでんな。

 私は、カニより、カキより、蕎麦より、ラーメンが好き。一番の好物なので、作務衣でラーメン作りもエエかも知れん。「ラーメンにはこの南部小麦が一番なんですよ」なんぞとウンチクを垂れたりしつつ、自家製麺&スープも自分で作って。う~ん。。。面倒やなぁ。。。

 とある先生から聞いた某先生の話。某先生は正月に浄土三部経を読むらしい。普段忙しいので、ゆっくりと浄土三部経を読む機会がないらしい。多分、いわゆる『読経』で読むのではないと思う。ひょっとしたら漢文でかなりの早さで読んでても意味が入って来るのかも知れないが、多分、書斎でゆっくりと読まれるのだろう。正月休みを利用して。そういう人が『先生』と呼ばれるのだろう。

 といっても、私も住職という役目(立場)だったりする。なんだが、正月休みに一冊の本も読んでない。っちゅうか、最近、一冊の本を読み切った事がなかったりする。先日、プレゼントで頂いた本、つまり「読む機会を与えて下さった本」の、先輩が書かれた所を読んだのが、今年、初である。あ、寺の通信を作るのに、さっと、眼を通した事はあったが。

【我々は寺の住職というわけですが、その住職は正覚阿弥陀法王の善力住持というところからくるわけです。すなわち住持職です。よく大衆を住持することのできる者のことで、これは阿弥陀如来のことです。だから、我々が住職を名告るとか呼ばれるとかいうことは実は値しないものが、その名を名告りその名で呼ばれるということで、そこには深い懺悔があることです。】(竹中智秀先生『いのちの願いに聞く七章』142ページより)

 昨日、ママが録画してた『パコと魔法の絵本』http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD12785/story.htmlを観る。


  罪障功徳の体となる
  こおりとみずのごとくにて
  こおりおおきにみずおおし
  さわりおおきに徳おおし
 (宗祖親鸞聖人)

 
 という言葉を思い出す。

 私は『小生意気』なので、イイワケ上手。誤摩化す。
 「俺なりにやってるやん」
 「色々と事情があるねん」
 等々。
 特に「俺なりにやってるやん」がクセもの。誇り、プライドが、頭を下げさせない。

 「私はあの子のこころに残りたいだけなのだ」
 というセリフが美しかった。

 毎日、記憶をなくす少女。どこまで行ってもキリがない。キリがないから「無理」じゃなく、キリが無くてもやる。「私はあの子のこころに残りたいだけなのだ」と。

 死ぬいのちを、今、生きる。

如来さまよりのプレゼント

2011年01月15日 | 坊主の家計簿
 何やら佐山サトルがブイブイいわしとるみたいである。「みたいである」とは、チャンネル権をすっかり娘に奪われて、テレビが殆ど見れなくなってしまっているから。

 娘、『私の娘だから』なのか、『子ども(乳児だが)』なのか、『人間だから』なのか、『娘だから』なのか知らないが、とにかくワガママである。もう、パパ・ソファーにどっかり腰を下ろして「ばあ」である。「『いないいないばあ』を見せろ」である。リモコン奪って、違うもんを見てたら消すし(笑)なので、貴重な情報源であるワイドショーが殆ど見れない。沢尻エリカが復縁したとか、ミヤネ屋からケーキ貰ったぐらいしか知らない。って、まあ、結構見てるのか。

 で、伊達直人である。なんだが、え~。。。余り興味がないので、かつ、ワイドショーからの情報不足なので、余り知らないのだが、え~。。。「足長おじさん」ってなかったっけ?あれと何が違うねんやろ?よく解らん。
 ちなみに伊達直人も色々とプレゼントしているらしいが、佐山サトルが日本のプロレス界、格闘技界に残したプレゼントはものスンゲーぞ。「佐山サトルが居なかったら大晦日に格闘技番組をやる事はなかった」と言っても過言ではないやろ。
 だから、伊達直人以外に色んな名前が出ているらしいが、敬意を表して『佐山サトル』とかでもエエし、マニアックにタイガーマスクを作った『新間寿』とかでもエエやろ(笑)

 しっかし、この『伊達直人騒動』が、『実写版タイガーマスク』の映画のキャンペーンやったら面白いのぉ~。

 っちゅう事で、私にも新間寿からのプレゼントが届く。ん?違う「如来さまよりのプレゼント」か。

 『「三悪趣」からの解放』(念仏者九条の会編)
 http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1103025142/subno/1

 である。

 
  曠劫多生のあいだにも
  出離の強縁しらざりき
  本師源空いまさずは
  このたびむなしくすぎなまし
  (宗祖親鸞聖人)


 若干、昨日の続きというか、明日の法話準備でもあったりするのだが。
 まあ、「如来さまよりのプレゼント」で、『「三悪趣」からの解放』を頂く。先程、感想メールを書いたので、本の感想は後日。全部、読んでないし。

 『「三悪趣」からの解放』は如来さまよりのプレゼント。

 あ、寝な。

袖振り合うも多生の縁

2011年01月14日 | 坊主の家計簿
 寒い。なんじゃ、この寒さわ。手が、手が。去年までなら石油ファンヒーターを持ち出して来たんだが、ファンヒーター、娘対策でゲージに固定されとる。一々外すの面倒やし、隣の部屋から熱気を送るのは不経済なので、足元電気ストーブで頑張ろう。

 ニュー眼鏡。なんか、右目だけレンズが少し強くなったんだが、パソコン画面もよりクッキリ見える。まあ、それだけレンズに細かい傷なんぞが付いてたわけか。もう、二度とティッシュやハンカチでレンズは拭かんぞ。ダイソーで眼鏡拭き&眼鏡専用洗剤も買って来たし。手入れ、手入れ、と。
 
 買ったのは難波にあるJINS、っちゅう眼鏡屋さん。4980円やったかな?『私は、軽い男です』っちゅうコピーのやつ。確かに軽く、付けている事を忘れるぐらいに締め付け感も少なく、ホンマに付けている事を忘れて、っちゅうか、まあ、買った初日にそのままコタツで寝てしまったわけなんだが。寒かったし、酔っぱらってたし。

 眼鏡を買った一昨日は税務署へ。宗教法人が個人に対して払っている給与を申告せんとアカン。ただ、「これって、どうやって書くねん。。。」と、激しい腹痛。いや、マジで胃に来た。書類を開ける事に明らかに脳味噌も拒否。ひたすら、「もう、ヤダよぉ。。。」と。
 前代表役員のママに振ろうと一瞬考えたし、ママも「ほな、私が行こか?」なんぞと行って来たのだが、慣れんとアカンわけやし、覚悟を決めてイザ出陣。根性のない私は、税務署近くの自動販売機前で「糖分、糖分」とホットココアを飲んでタバコを一服。う~ん。。。見事なヘタレっぷりである。
 
 税務署到着。受付で送られて来た書類を出して正直に「どう書いていいのか解りません」と告白する。受付職員、「そうしたら、しばらく待って下さい」と、しばらく待つ。行った日は最終日だったので混んでいる。最終日に行ったのは何の事はない、忘れてたから。「おや、そういえば税務署から何か送られて来てたのぉ」と開封したのが連休中(笑)厳密には2日前。なので、待つ事は覚悟してるし、iPhoneもある。ゲームしたり、ツイッターしたりしてたら、「大変お待たせしました」と。40分ぐらい待ってたみたいだ。iPhoneは偉大だ。
 担当の『先生』、ここはやはり『先生』と呼ばせて頂こう。担当の先生も劣等生の私に丁寧に教えてくれる。なんせ、半年前に前期の申告に来たのだが、年間を通してのは初めてだし、半年前の事はすっかり忘れているし(笑)劣等生、劣等生。で、先生も「大変お待たせしました」と恐縮気味。生徒の私は「何を、何を」ともっと恐縮。
 で、教えて頂きつつ、記入する。
 ちなみに税額はゼロだ(笑)ビンボーだぜ、私♪
 まあ、坊守(ママ)の分の給与もあるし、娘とママが扶養家族になるので税額ゼロ。貯金は法人で。結局、法人から給与を頂いているわけなんだし、『収入がない=法人収入がない』になるので、法人に貯金してても同じ事だし。本堂建て替えんとアカンわけやし、その前に手をバンバン入れんとアカンわけなので、個人所得なんぞは二の次、三の次だ。まあ、市・府民税は少しかかるらしいが、それは私の範疇ではなく、ママの仕事。

 終わったら17時頃。とりあえずお腹が空いたので近所にある210円ラーメンを食べて、御近所眼鏡市場へ。ここでレンズ交換をしようか、新しいフレーム込みにするか悩みつつ、結局断念。地下鉄で難波に出て、難波パークスにあるJINSへ。
 眼鏡を一周見渡して「え~。。。仕事以外やな」と。仕事で使う眼鏡は眼鏡市場でレンズ交換して貰う事を決定。で、予備眼鏡、っちゅうか、『遊びに行く時用眼鏡』を4980円で購入。

 「欲しがりません勝つまでは」(国民決意の標語)

 という言葉も思い立ったのだが、予備の眼鏡がないとやっぱし不安やし。で、購入。シックなつや消し黒のフレームで、眼鏡を耳に引っ掛ける所(名前なんちゅうねん)の部分の裏だけが、これまたシックなつや消しの赤。なんとなく「お、カッコエエやんけ」で買ってしまったのだが、仕事に使うにはちょっと(笑)「坊さんルックの時はシックでないとアカン」と、私のこだわり。

 眼鏡完成が20時前。そのまま帰って晩御飯を食べるとママがチト大変である。という大義名分でもって、飲みに行く。
 ミナミ最強最安のホルモン屋『岩崎塾』でホルモン&ビール。大瓶2本と、ホルモン500グラムと、もやしナムルで2200円ぐらい。
 最近、すっかり酒に弱くなったので、大瓶2本も飲むと、結構酔う。酔っぱらった頭で「そや、新年の挨拶しとかな」と、行きつけバー巡り。っちゅうても2店だけなんだが。

 終電で帰宅して、「腹が減った」と、ワケ解らん脳味噌で松屋で『豆腐チゲ定食』やったかな?んなもんを食べる。
 帰宅して、「寒い、寒い」とコタツに入って、録画してたテレビを見てたら、朝6時やった。。。いや~(笑)

 昨日は、二日酔いは無かったのだが、テレビをつけたままコタツで寝たのでヘロヘロ&フラフラ。「役に立ちません!」なんだが、なんじゃかんじゃと外出もして、終了。

 で、今日。ちょっとした依頼で諸々の仕事。

 最近、酒に弱くなった、疲れやすくなった、とはいえ、42才。何年生きれるか知らんので、私にとって何時が『晩年』なのかは解らない。
 今、死んだら、私は、私の人生に、『私』という環境に「ありがとう」と行って死んで行ける。でも、これは『今』だから。

 目の前に、学生時代同級生だった人からの年賀状がある。卒業してずっと年賀状を貰ってたんだが、こっちは返事も出さないし、引っ越しを繰り返してたら、そのうちに途切れた。でも、たまに、1年に一回ぐらい会う事があった友達。会うと速攻、以前の関係に戻れる友達。
 去年は出さなかって、今年は出した。で、返事の年賀状。今は京都なんだが、実家の住所が書いてある。まあ、正月は実家に帰っているのだろうし。

 これも『今』。

 晩年。人によって『晩年』なんぞ違うだろうが、晩年、誰からも年賀状が来ず、っちゅうか、「誰も連絡する人がいない」時に、私は自分の人生に「ありがとう」と言えるのだろうか?
 
 先に書いたように『元同業者』だったりするのだが、ミナミで飲みに行くと名前を呼んでくれる所も数件ある。不義理して、滅多に行かない店も数件ある。数年振りに行っても名前を呼んでくれたりする。
 仕事。住職。住職歴2年足らず。この寺に来て2年足らず。1日毎に親しくなって来ている。それも『今』。今の『状況』。

 「そんなありもしない状況を考えてもしゃーないやん」なんだが、私の事を誰も知らない状況で私は、私の人生に「ありがとう」と言えるのだろうか?
 
 それでも「ありがとう」と言わなければならない、それが事実、私にとって掛け替えのない、たった一度の人生なんだから、「ありがとう」なんだろうけど、「有り難い」「有ること難し」なんだろうけど。

 『晩年』と書いたのは、今日の気分なんだが。

 阿弥陀経が説かれたのは『孤独の園』。

 学生時代に「声をかけなさい」と、当時の院長先生に言われた。
 「飲み屋に行くと、名前を呼んでくれて、声をかけてくれるでしょう」と。居場所。関係性。「だから、みんな、飲み屋に行きたがるのでしょ?」と。

 「私だけはあなたの事を決して見捨てない」と、先生から教えて頂いた『働き』。

 『娑婆』で会う最後が私だったかも知れない。
 「いや、向うが忙しそうだったから」
 「だったら、追っかければ?」

 『袖振り合うも多生の縁』って、こういう字を書くんだ。『多生』って、『多少』と思ってた。



【道で人と袖を触れあうようなちょっとしたことでも、前世からの因縁によるものだ。袖すり合うも多生の縁。
◆「多生」は、仏語で、何度も生まれ変わること。「他生の縁」とも書くが、「多少の縁」と書くのは誤り。】(http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/13286810956300/

 
 ちょっとした依頼で今日行った仕事。御縁。

容疑者Xの人間交差点

2011年01月11日 | 坊主の家計簿
 たまに、というか、結構あるのだが、睡眠時間調整を失敗すると私は止まる。
 今日だったら、出来れば帰って来て少し仮眠したかったのだが、仕損なったので、止まる。
 『止まる』とは、本当に止まるのだ。
 体が動かない。かと行って寝る事も出来ない。風呂に入る事、シャワーを浴びる事さえも困難になる。
 コタツで止まってる最中に「ああ、うつ病って、こんな感じなのかな?」と思ったりする。

 今日は、気に入ったテレビもなく、映画。録画していた映画を観る。
 一本目は『少年メリケンサック』。宮凬あおいチャンの魅力満載の映画だった。
 二本目は何回目かの『容疑者Xの献身』。何回目なんだろうか?でも、なんとなく、この止まっている状態で観たかったので、深夜、ネットでの買い物を済ませた後に観る。

 娘は今日は御機嫌ナナメ。何時もより泣き、何時もより甘えたモード。

 観なかったけど、今日は『スポーツ人間交差点』という番組をやっていたらしい。
 漫画の『人間交差点』は大好きな漫画。
 何のストーリーか忘れたが、公園のベンチで犯人が子どもの手を握るシーンがあった。暖かい手。

 娘とママが一緒に遊んだり、ママが娘と一緒に食事してたりするのを見てると「奇跡」と思ったりする。娘とママが今も隣の部屋で寝てたりする事も。

 『有り難い』=『有る事難し』。

 『容疑者Xの献身』。何回目なのだろうか?確か、以前に観た時の感想もこのブログに書いて居るはずなんだが、別に調べる事も今はない。そういう必要性を今は感じない。
 
 『容疑者X』が、首を吊ろうとしているシーンに隣人の『光』からのチャイム。あのシーンは日本映画界に残る名シーンだと思ったりする。

 『孤独』。孤独だから、暖かい。『我、今帰する所なく孤独 にして同伴なし』(往生要集より)

 だから、暖かい。

 『容疑者Xの献身』のラストシーン。「おらぁ、踏んだだ!」やったっけ。遠藤周作『沈黙』でのキチジローの名言。
 自己犠牲、すべての罪を背負ってゴルゴダの丘に登ったイエス。

 検索しても、酔っぱらってるし、ちゃんと検索出来ないので、あやふや。シモンペテロは「知らない」と行った。イエスの事を鶏が鳴く前に三度知らないと言った。イエスの予言通りに。

 『容疑者X』にかばわれた人は「私がやった」と言った。「私も一緒に罪に服します」と言った。

【阿弥陀如来が全責任を負うてくださるということは、それは、自分が全責任者であることに帰着する。】(曽我量深『異るを嘆く』より)

 『容疑者X』は、そこで泣いた「なんで?」と泣いた。庇おうとしてた人と一緒に泣いた。
 「なんで?」と言葉では出た。それは『容疑者X』の自我なんだろうが、一緒に泣いた。
 2人は一生涯、ずっと一緒の罪を背負って行くのだろう。あ、庇おうとしていた娘と3人で。

 「僕に友達は居てない」と言った、孤独な『容疑者X』に家族が出来た。



裏話

2011年01月10日 | 坊主の家計簿
 御参り先でユニクロの話をする。帰宅して「そういや、靴下買わんとアカンかってんや」とユニクロへ。そろそろ限界に近づいているのが多い。
 最近の靴下は丈夫なので穴が開いたりする事はなくなった、ん?単に私が激しい運動をしていないからだけなのかも知れんが、まあ、ビジネス使用(?)の薄い靴下ではなく、ユニクロで売っている厚めの靴下は丈夫である。んが、ゴムの部分がそろそろ。「びよ~ん」と、はみ出たり。
 なので、4足で980円やったかな?12足買う。黒ばっかりの同じ靴下。同じ日に買った同じ靴下なので、洗濯で混ざっても問題なし。「どれも一緒だぜ、組み合わせ自由だぜ!」なんぞと。

 靴下の買い物は簡単なんだが、メガネである。いや、プラスチックのレンズって、弱いですやん。っちゅうか、使い方に問題があるのだろうが。。。だから細かい傷がいっぱい付いて来たし、年末に学習会会場にある薪ストーブの世話をしてたら、薪ストーブから熱気が「ぶわあー」と出て来て、メガネが。。。プラスチックレンズは熱にも弱いらしい。厳密には『プラスチックレンズのコーティング』らしいが。
 
 なので、メガネの勉強を先日してた。え~。。。ガラスレンズの方が私には合っているかも知れん。っちゅうか、熱に強い&頑丈なコーティングのレンズもあるらしく、近日中に作りに行こ。
 何やらJINSというメガネ屋が安くてエエらしい。難波にもあるみたいやし、ここでガラスレンズのを作って、んでもって、御近所眼鏡市場で熱に強い&頑丈コーティングにレンズ交換と。一応『予備用』の眼鏡もあった方がエエし、今持っている予備用は、度数が。。。あの眼鏡ではもう車には乗れんぞ。

 お通夜から帰って来て、晩御飯。今日はフライ。一応ハンバーグもあったのだが、何やら娘&ママは、ん?この場合は『ママ&娘』か。オタクのママはイベントでもあったのだろう、南港に午前中からお出かけ。帰りにコロッケを買い食いしたらしく、イワシのフライも安かったらしく、イワシ大好きの私はイワシフライをメインに。ハンバーグは明日食べよ。
 晩御飯を食べている間に娘とママはお風呂。風呂から上がって来た娘が、〆の茶漬け(厳密には白湯漬け)を食べてたら、「パパ!」とダイブ。茶漬けひっくり返る→娘泣く。え~。。。熱湯では無かったので火傷は全然大丈夫だったのだが、娘、ショックで泣く。

 落着いた娘を抱っこしながら娘は録画してあった子ども番組。パパはiPhoneでネット。
 最近親しくなった方より電話。何やら仕事先を替えられるらしい。私も『寺での仕事先』を替わった経験があるので、諸々情報交換。

 私は勝手にいわゆる『葬式寺』と呼ばれる寺の事を『セリエA』と呼んでいる。別に『メジャーリーグ』でもエエのだろうが。。。
 それは一応、経験上の事である。っちゅうか、単純に最初に働いた寺の住職の声明が余りにも見事だったから。多分、声明の先生が聞いたら怒り出しそうな声明なんだが、見事である。冗談抜きであの声明を聞くのに20万は安い。あ、15万やったかな?そのくらい見事な声明で、大真面目な話、声明を聞いて感動をしたのはあの住職だけやし。だってホーミーでっせ。ホーミーみたいな、っちゅうか、ホーミーなんだろうが、ホーミーで声明やられてみなはれ。そりゃ、感動でっせ。音楽として見事。芸術として見事。宗教儀式として見事。なので、声明に関してはムチャクチャ影響を受けている。まあ、足元にも及ばないが。。。

 御参り先は広範囲。え~。。。車で走りまくり。
 っちゅうても、範囲は狭い方らしい。何やら1日で300キロ走る人達も居てるらしい。1日300キロって、あーた(笑)トラックの運転手並みでんがな。

 御参り先にウトロ(http://www007.upp.so-net.ne.jp/aohyon/frame.html)があった。

 で、さっきメールチェックしたら、某メルマガ情報で明日(今日)1月10日午後6時20分頃より朝日放送『NEWSゆう+』でウトロ特集を8分間やるらしい。

 今年の大河ドラマは『江~姫たちの戦国~』。本日、初回。
 去年の大河ドラマは幕末もん。西郷隆盛や、「後藤さま」なんぞも出て来た。今回は当然の如く秀吉も出て来た。征韓論。朝鮮出兵。

 ウトロの在日コリアンの人達は大河ドラマをどういう気持で思っているのだろうか?などと、ふと思う。

反日の葬儀

2011年01月09日 | 坊主の家計簿
 葬儀が入ったので、夜の外出予定を辞めて、準備、準備。
 この準備が半日仕事である。しかし、「はんにち」と打ってそのまま漢字変換すると『反日』と出てしまうのは(笑)

 せっかくなので『反日の葬儀』。

 先日、月参りについての相談があった。まあ、「忙しいから、日にちをまとめたい」という相談。そこは元々一ヶ月に3回だったらしい。それが『2つ』と『ひとつ』の合計2回の月参り。
 実家のオカンが仕事をしながら坊さんが来るのを待ってたのを知っているので、まあ、「坊さんを迎える大変さ」は、なんとなくだが、それぞれの家の環境、事情にもよるのだろうが、まあ、大変な事は知っている。「坊さん来るから掃除しなアカン」とかである。華を買ったり、饅頭買ったり。それが月に2回でも忙しい家庭にとっては大変だ。
 話はついでに「切り上げ」の話に。「50回忌で切り上げて永代経にすればエエんですよね」と。え~。。。「通信をちゃんと読んでくれ!」なんだが、まあ(笑)
 
 先輩から聞いた話なんだが、新潟県の一部の地域では中陰の御参りはしないらしい。別に「面倒」だとかではなく、真宗は『即得往生』がその理由らしい。
 満中陰までは確かインドで出来た考え方であって、3回忌までは中国やったかな?深夜なのでいちいち調べるのが面倒なので。その後は日本で展開。
 なので、基本、私の意見としては「気が済むまでやったら宜しいですやん」である。親鸞聖人なんぞ七百五十回御遠忌でっせ。三回忌で切り上げたかったら、三回忌でもエエし、葬儀だけで良ければ、それでも良し。「葬儀なんぞ要らん」なら、それでも良し。困るのは私の経済の問題。経済の問題でいうのならば、50回忌までやって頂いて、その後は寺で永代経をやって頂けるのが、そりゃ、エエ(笑)

 今日は午後からの法事もあった。法事が終わって、その他のちょっとした用事を済ませて帰宅したのが夕方4時半頃。遅めの昼ご飯を食べに出かけて、散髪。帰宅したのが5時半頃。娘がリビング(?)でテレビを観てた。夕方の子ども番組。ママは台所で夕食準備中。私は部屋着に着替えて、娘と一緒にテレビを観る。え~。。。厳密にはウソである。テレビを見てるのは娘だけであって、私はiPhoneでネット。娘の『パパ・ソファー』になりながらiPhoneでネット。
 少し気になった事を検索してたらなんか最終的には細木数子氏の事についてになった。特に関連はないのだが、調べる事が調べられて、「ん?」と思った事を追っかけて行ったら細木数子氏。

 http://www.bunshun.co.jp/bikkuri85/rank06_01.htm

 上記リンクの文藝春秋の記事を読みつつ、「激動の人生をおくって来はってんなぁ。。。」と。
 
 細木数子氏に対する私の評価は決まっている。「あれは細木教ですよ」と。テレビに出て有名人だし、当然、多くの人達が細木教の影響を受けて居られる。墓の相談を受ける時なんぞは特に。仏壇の時の相談でも、過去帳の時の相談でも影響を受けて居られる方々が結構居られる。

 これはやりたいのだが、出来ていない事なんだが、真宗門徒の過去帳の『28日』の所には『弘長二年十一月二十八日 愚禿釈親鸞』と書けばすっきりすると思ったりするのだが。『家』の枠を超えるには。あ、釈尊も忘れずに。なんせ、『釈』の法名なんだし。「大師の本は釈迦より尊きなし」(釈道安)なんだし。

 「先祖供養をせんと祟られる」なんぞは脅迫以外のなにものでもない。
 また、その供養の仕方なんぞは、「それぞれ」にしか過ぎない。
 
 葬儀のやり方も「それぞれ」だと思う。だって、キリスト教の葬儀と、真宗の葬儀は全然違うだろうし、真宗と他宗派の葬儀も違うだろうし。他宗派みたいに「引導を渡す」事は真宗ではないわけやし。

 あ、『反日の葬儀』やった。

 「日本文化」というが、結構、漠然としている。
 『日本人』と限定した上であっても、『アイヌ』『琉球』『朝鮮』『中国』『台湾』なんぞと文化も抱えた上であり、かつ、『ヤマト』といっても、んなもん、『近畿』『畿内』なんぞの言葉があるように、結構限定されている。『夷』なんぞの言葉もある。いや、「あった」に成りつつあるのだろうが。

 『成りつつある』とは単純な話で、幻想としての『日本文化』が、つまり「日本人っちゅうのは、こういうもんや」みたいなもんがある。帰属意識、孤独になりたくない、なんぞの事なのかも知れないが。
 でも、その中で奪われて行くのは『個』。

 去年、在日コリアンの方の葬儀をやらせて頂いた。名字から察して「ひょっとして」と思ってたのだが、お墓に行って墓の横に書いてあった文字で確認。
 当然、私に依頼があったので、私は真宗大谷派の儀式をした。向うの方がどう受けとったのかは全く解らないが、私にとっては『浄土』である。浄土なので国境はない。それぞれの文化を尊重する儀式である。

 え~。。。言葉遊びで『反日の葬儀』なんぞと書いてしまったが、別に『反日』ではないわな。
 ただ、「日本を越える」のが、あるいは「日本文化に収まり切らない」のが『反日』である事はない。
 日本で生まれ育った在日コリアンの人達が、自分達の文化を大切にする事が、「反日」であるわけがない。

 『反日』の反対用語は『親日』なんだろうか?その『親日』は、なんとなくの日本文化に従わなければならないのだろうか?なんとなくの日本文化に従わないと『反日』であるのならば、そんなのは『和の国』でもなんでもない。

 今日の法事。いつもの如く何を話そうか全く決めてなかったので、なんとなく昨日紹介した『アメトーク』の

【あなたたち2人の子どもに生まれて幸せです。今度生まれて来た時も2人の間に生まれて来たい】(某、売れてないのに子どもがいてる芸人)

 の言葉を紹介しつつ。

 「ありがとう」と言って死んで行ける人生、やったかな?まあ、別に死ぬ間際にのたうち回って、「イヤや!死ぬのはイヤや!」なんぞと、あるいは、一休さんの様に「死にとうない」と死んで行っても別にエエと思ったりするのだが、それでも、人生の中で一度は

【あなたたち2人の子どもに生まれて幸せです。今度生まれて来た時も2人の間に生まれて来たい】(某、売れてないのに子どもがいてる芸人)

 と。
 まあ、両親の顔を知らない人も居てるだろうから、この言葉に限定する必要もないのだろうが、「私は生まれて来て良かった」と、どっかで言えんと。「有り難う」「有り難い」。「有る事難し」だと。
 そんな時に両親も含めた『御先祖』を筆頭とする『お陰様』に対する感謝への気持が芽生えたりする。
 
 当然、煩悩を抱えているから、なにか都合の悪いことがあれば、「クソ!なんで俺はこんなんやねん」なんぞと(笑)周囲を恨み、先祖を恨み、自分を恨んだりしてしまったりするのだろうが(笑)

 でも、そういう時に便利な儀式。お盆の墓参りだったり、法事だったり、月参りだったり、あるいは誰かの葬儀だったりの仏事。そういう伝統もあったりする。
 
 ヒマな寺の住職としては、葬儀は『仕事』として純粋に有り難い。
 同時に、葬儀という仏事で、改めて『個』の大切さを感じさせて頂けるので、『個』から始まる広がり(縁)を感じさせて頂けるので、本当に有り難い。
 多分、今日、葬儀の準備をしてなければ、細木数子氏の事をボロクソに書いてたはずである(笑)

どんな時も

2011年01月08日 | 坊主の家計簿
 寒い。昨日より寒いぞ。
 ん?っちゅうか、昨日は、遊びに行ってたので、また感覚が違ったりするのだろうが、まあ、とりあえず寒い一日であった。なので、コタツに潜り込む一日。
 仕事が終わって「寒い、寒い」と、コタツに潜り込む→寝る。起きる。晩御飯を食べる。娘&ママ寝る、パパ、コタツに潜り込んで寝てしまった。。。

 起きたのは0時過ぎ(笑)途中から見れなかったアメトークを観て、シャワー浴びて、ネットに向かおうとしたのだが、なんとなく再放送でやってた『ガリレオ』(録画)を観る。面白い、実に面白い。
 2話と3話。途中から寝る為に苦手な日本酒を飲んだしつつ(今も飲んでいます)観る。3話には広末涼子も出てました。柴咲コウと広末の2人を見つつ、「お!結構芝居上手いやん」と、芝居を殆どした事がない故に完璧『上から目線』で見たりしつつ、「しかーし!蒼井優ちゃんと上野樹里には負けるぞ、お前等」なんぞと暴君エロ坊主君は思ったりする。

 昨日は、『北近江リゾート』(http://www.kitaoumi.com/index.php)っちゅう所へ。滋賀県北部、長浜より北。ん?一応今は長浜市らしいが。期待通りに結構雪も降ってたし、かつ、かなり『乳児連れ』にはエエ所だった。食事は、何やら北近江リゾート名物らしい『海老フライ』が食べ放題のバイキングを利用したのだが、まあ、『海老フライ食べ放題』なんぞといっても、そんなに食べれるわけもなく、結局家族3人で2匹だけだったのだが。。。あ、名物『海老フライ』は美味い。普通に近所の洋食屋で2匹入ってライスとスープがついて980円ぐらいだったら話題になるぐらいの美味さだと思う。んが、そんなに喰えんぞ(笑)
 1500円(ちなみにいつまでやっているのか知らんが平日キャンペーンで風呂代セットで2000円だった)のバイキングとしては結構美味しい部類に入ると思うし、しかーし、もっと良かったのは『幼児連れ専門コーナー』があった事。もう、騒ぎ放題(笑)
 娘は1才半。汚すし、煩い。
 私は元水商売なので店全体の事を『職業クセ』で考えてしまう。ちなみに滋賀県北部『高月駅』周辺にも葬儀会館はあったぞ(笑)どこに行っても葬儀会館と火葬場(斎場)をチェックしてしまう哀しさ(笑)
 あ、まあ、単純に「ここは幼児連れの人の為のコーナーです」なんぞと、明確に書かれていると、元水商売の私も安心して、気兼ねなく汚せる(笑)まあ、テーブルの上や、椅子なんぞは拭いて帰るが。
 やっぱし、イヤやし。「金払ってるねんから別にエエやろ」というのは横柄やし。
 「幼児が食事の時に汚すのは当り前やし」は、当然「当り前」なんだが、だったら、『親』として、簡単でエエから掃除せえよな。

 ん?日本酒が。
 まあ、食事もゆっくり出来た。っちゅうか、外食の割にゆっくりし過ぎて90分ぐらいは居った。娘連れの外食であんなにゆっくり出来たのは、非常に有り難い。

 お風呂、っちゅうか、ロビーも含めた施設もかなり良かった。『幼児部屋』というのもあって、娘も歓んで遊んでたし、『幼児部屋』があるせいか、こういう日帰り温泉施設には結構行っている方だと思ったりするのだが、子ども連れが多かった。
 とりあえず、今の所の『乳児連れ最強温泉リゾート』である。

 最強といえば、猪木が入院してたらしい。今日個人的トップニュースである。前原がアメリカ幕府に行って「こんなにもお偉い方々に御会い出来るなんて。。。」等と感動していたニュース、「え~と、日本って、独立国やったよな。。。」「何が松下政経塾じゃ!吉田松陰は泣いとるぞ、こら!」っちゅうニュースよりも猪木の手術入院である。え~。。。プロレスファンです、すいません。。。

【「元気ですか~!! 元気があれば何でもできる! 元気があれば胆石も出来る! 暴れまくった胆石との時間無制限一本勝負の闘いに勝ってきました。この胆石を二億円ベルトの飾りにしようと思っています」】(http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/headlines/20110107-00000017-spnavi-fight.htmlより)

 らしい。
 だが、誰しもが猪木の様な最強になれるわけもない。

 今日のアメトークの最初は家電芸人だった。その中でゲストから「何が良いテレビなんですか?」みたいな質問が家電芸人にあった。
 家電芸人はプロである。「それって、何が幸福なのか?と一緒ですやん」と。つまり、その人にとっての『良いテレビ』なんぞは、「何を求めているのか?」によって違う。「私は何を求めているのだろうか?」という事が、『良いテレビ』『悪いテレビ』の判断基準である。まずは求めている事をはっきりさせないとイケナイ。
 で、その『問いをハッキリさせる』という事が、『お客様の満足度』とイコールなのだろう。

 誰しも猪木の様に最強になれるわけもない。借金まみれで「元気ですか!」と言える強さを持ち得る人はエエのだが、持ち得ない人も居る。

 アメトークの最後のコーナーは、毎度の江頭のコーナーなんだが、その前のコーナーでは『売れてないのに子供いる芸人』だった。
 え~。。。『ヒマな寺なのに子どもいる住職』です。なので身につまされながら観る。
 コーナーの最後に『子どもからパパへのメッセージ』やったかな?妄想として、「子どもからこんな事を言われたい」という事をそれぞれの芸人が喋って行く。

 「あなたたち2人の子どもに生まれて幸せです。今度生まれて来た時も2人の間に生まれて来たい」

 やったかな?そんな事を妄想している芸人が居てた。
 その芸人さんも誰かから生まれた。まあ、人生観だ。芸人として売れてなくて、お金もなく、生活も苦しい。でも、「生まれて来て良かった」と、その芸人さんは『子ども』の口を借りて言ってたわけだ。

 最寄りの高月駅から北近江リゾートまでは2キロちょい。行きは少し待ってバス。一人200円。青春18切符があったので、400円の出費。帰りは北近江名物である『サラダパン』(http://tsuruyapan.cart.fc2.com/ca1/1/p-r-s/)が買いたかったので、ちょっと歩く。ついでに駅までお散歩。それは私的には楽しかったのだが、パパ的には途中で寝てしまった娘の為にさっさと駅までタクシーで帰りたかった気持もある。まあ、ワンメーター。飲み屋で頼むビール1本。ましてや、先日、3000円近いタクシーの一人で乗って帰って来たわけだし。
 でも、「せっかくの雪国を散歩したい」という気持があったにせよ、タクシー代をケチって駅まで歩く。

 今後も、まあ、『ヒマな寺なのに子どもいる住職』である。きっと、次に『北近江リゾート』に行くのは、青春18切符が売り出される時期なんだろうし。「パパ、だらしなくてゴメンね」である。

 幸いな事に、『ヒマな寺なのに子どもいる住職』の割に、結構葬儀に行かせて頂く。

 ふと机の横を見るとブットンくんが「過去から私に。私から未来へ」などと呟いている。『真宗大谷派大阪教区』から送られて来た封筒だ。

 「あなたたち2人の子どもに生まれて幸せです。今度生まれて来た時も2人の間に生まれて来たい」とは、某『売れてないのに子供いる芸人』の言葉だが、それは御先祖に対する感謝の気持、感謝なんだろう。
 
 え~。。。娘がぐずりました。終了。

雨ふるふるさとははだしであるく(山頭火)

2011年01月06日 | 坊主の家計簿
 最近、飲みに行くと次の日は見事に役立たずでございまして。。。
 仕事だけは気合いでするのだが、仕事が終わって「別に今日でなくてもエエや!」という事は全く出来ない。

 という事で、3日は飲みに。
 
 あ、飲みに行く前に釜ヶ崎『ふるさとの家』で映画鑑賞。
 2日は結構遅くまで飲んでた。っちゅうか、飲み始めたのが『真夜中』だったので、夏ならばすっかり夜が明けている時間まで飲んでた。まあ、量は知れているが。そのせいか、新今宮の駅で降りて何故か足は『喜望の家』へ。。。途中で気づいたんだが、まあ、正月ボケという事にしときましょう。

 映画『恨を解いて、浄土を生きる』(監督:西山正啓/2010年/85分/カラー)を観る。女子大生がいっぱい出て来るぞ。

 映画終了。『恨を解いて、浄土を生きる』一本で脳味噌いっぱいいっぱいだったので次の映画をキャンセルして近所のホルモン&焼き鳥の店に飲みに行く途中でヘンリー松山発見。ライブ前らしい。

 休憩終了。『一幕一場・沖縄人類館』を観る。金城馨の話を聞く。
 話終了。越冬闘争をやってる目の前の三角公園に行くとヘンリーライヴ、終わりかけ。。。悲しい。。。

 ヘンリーライヴ終了。金城馨の質疑応答に戻る。
 質疑応答終了。ミナミへ。

 久しぶりのミナミ。お正月なので新年の挨拶。一件目は、「むっちゃ、久しぶりっす」と、まあ、それ程久しぶりではないのかも知れんが、一時期のペースから考えるとめっきりペースが落ちたドグラマグラへ。

 フラッシャー君(http://rokkenrow.blogspot.com/2011/01/flasher-on-dogra-magra.html)の作者もやって来たので『娘が起きている間に帰ろう計画』を断念する。

 終電間際。「え~い、12月はお小遣いが結構残ったしタクシーで帰っちゃえ!」と、ひとり2件目プカプカへ。
 2時前、ピンチ、帰る。

 で、昨日(4日)は二日酔いは全くなかったんだが、結構長時間飲んでたので、体がダルいダルい。見事にコタツ虫になってました。

 そして、本日。

 明日、休みですねん。いや~、ヒマな寺の住職って、金はないけど、時間だけはあってですねぇ~♪

 当初の予定は赤穂にある『坂越』っちゅう所にカキツアー。青春18切符が2回分余ってますし。
 エエ店あったので、ついでに御紹介。

 海の駅 くいどうらく

 鎌倉水産

 鎌倉水産なんぞ、殻付のカキ1キロで850円(プラス炭代250円?)でっせ。娘にカキはまだ危険らしいのだが、他のもん(ホタテとか)を焼けばエエわけやし、っちゅうか、海の駅にある『くいどうらく』でメシを喰おう&海見物&坂越の町見物の予定だったんだが、明日、曇ったり雨なのね。小雪がちらついたり。

 しかーし、それは温暖な瀬戸内海の話であって、北国は結構雪が降るらしい。ん?『降る』という漢字でエエのか?
 『雪が古』。。。「雪って、血の味がするね」って、赤錆みたいな雪のイメージ。「空から赤茶けた雪が古」
 『雪が振る』。。。「雪を振る」やな、きっと。
 『雪が布留』。。。どこかの地名か?天理のどっかの地名らしいな。
 という事で、明日は北国では結構雪が降るらしい。なので、滅多に雪を見る事の機会が少ない、積もった雪なんぞ1年に一回あるかないか、あってもすぐに解けて『古』になってしまう大阪市民としては、急遽昨日一日中コタツiPhoneで調べた計画を却下して、北国温泉&雪ツアーに変更。

 まあ、諸々の事情で娘の風呂担当はママなので、「幼児連れでゆっくり風呂に入れるか!」状態なので、まあ、ママにゆっくりと風呂に入って貰うという事で。

 ああ、私はなんという心優しいパパなのでしょうか。。。って、ほな、普段から『心優しいパパ』をせえよな。夜中にタクシーとか自転車で帰って来たり、道で寝て朝方に帰って来るな、っちゅうねん。

 という事で、明日は『娘に積もった雪の上を歩かせようツアー』である。

 
 さて、久しぶりの釜ヶ崎である。え~。。。何ヶ月かは行ってないはずである。
 数年、あ、もっとか、10年以上ぶりの『ふるさとの家』。映画鑑賞はどっかのシスターの後ろの席。んが、段々と混んで来たので、席を詰める。
 臭い。臭いぞ。私のダウンジャケットのフードの臭いを増幅させた臭いが充満する。いや~、屋外・釜ヶ崎でなく、屋内・釜ヶ崎やし。っちゅうか、これは『釜ヶ崎』っちゅう町、全体に対しては偏見か。んが、『釜ヶ崎』自体が、今ある地名と違うし、ある種の専門用語になっとるし。そういう意味ではエエのやろうけど、でも、やっぱし訂正(文章はそのまま残す)して、『ふるさとの家』やからやな。

 本田神父が居てた。『得道の人』である(専門用語、すんまそん)
 まあ、人間なんぞ、評価は様々であって、本田神父に関する評価も様々なんだろうが、本田神父は上智の卒論が親鸞だった事もあり、心の狭い、カルト意識(教派意識)の高い「大谷派バンザイ!」の私であっても「ああ、念仏者の先輩だ」と思える方なので、何かやはり背筋が伸びる。

 明日は、大阪市内でも雪が降るかも知れないらしい。『予報』だし。
 私は温泉で『娘に積もった雪の上を歩かせようツアー』。本田神父達は、恐らく、この寒さで亡くなられるかも知れない方々に対する警戒を深めるのだろう。大谷派先輩の川浪さんとかも。

 お正月。坊さんの年賀状は『年賀状らしくない』のが非常に多い。
 その中でも今年の最たるものは「私は仏法興隆の為に出来る事はなんでもすると誓います」と、まあ、新年の挨拶、新たに誓う言葉なのだろうが、これが最たるものであった。もう、強烈で、強烈で、姿勢を問われまくりの年賀状である。

 しかし、私は、明日休みなので、焼酎のお湯割のお代わりを作って来るのだ。
 で、一口飲む。酔いが進む。

 こういう『問われた時』に私は「ああ、このままやったらアカン」なんぞと当然の如く感じたりする。
 で、同時に、私はその人達の仲間入りをしようとして、様々な縁でもって私と同じく仲間に入れない、様々な縁でもってして「仲間に入ろうとしない人」と見下す。差別する。
 「俺はこういう人達の仲間入りをしようとしているんだぜ!」である。で、「あんた等とは違う」である。

 『ふるさとの家』には、3分の1ぐらいかな?『臭くない人』が居てた。そういう風に人間を別けてしまう、差別してしまうのが、紛れもない私である。
 臭せえ、差別臭せえ私。

 年末、M-1のパンクブーブーのネタではないが、そんな事を「思ってただけ」の『ふるさとの家』

私にとっての生涯

2011年01月03日 | 坊主の家計簿
 正月休みは3日までである。つまり明日である。
 明日は遊びに行きたい、なので今日、意地でも寺の通信を仕上げなければならない。

 10時から正月の修正会法要。法話も終わって最後に日本酒で乾杯である。え~。。。日本酒、むっちゃ弱いっす。。。なので、微妙に酔う。
 
 お昼御飯。法要で使ったお餅をママに焼いて貰って、先日ひこにゃん見物の土産で買って来た『とり味噌鍋の素』にホルモン嫌いなママに無理を言って入れて貰った『セミ・モツ鍋』(ママと娘用に他の肉も入ってるのでセミ)にお餅を入れて食べて、寝る。

 「復活」と、起きたのは17時ぐらいだったか?結構寝た。ダラダラとテレビを見つつ、晩御飯を食べて、またダラダラとテレビを見る。
 
 「アカン、アカン、こんな事してる場合やない」と、深夜から通信作り。

 え~。。。出来んぞ。全く出来んぞ。出来んが、「やらんとアカン」と、今日の昼間にやってた『魔法のレストラン』に出てた何やら有名バームクーヘンのオバはんを思い出し、パワーを貰って作る。何やら、在日コリアンのオバはんらしく、貧乏だったり差別されたりして、かなり気合いが入ってたオバはんであった。バームクーヘンを買う事はないだろうが、勝手に支持するぞ、オバはん。

 で、なんとか完成。

 今年は『宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌』なので、宗祖の生涯を基本に。本山から出ている『宗祖親鸞聖人』を引用しつつ書いていたのだが、書いている途中で『私にとっての宗祖親鸞聖人の御生涯』という言葉が出て来たので、それをタイトルにして、若干書き直して、個人的タイトルが決まれば一気、一気(笑)まあ、正月ボケなので難産(?)だったが。

 で、夏ならばとっくに夜明け時間に完成。


 ダラダラとテレビを見てる中で、最後に見たのが、『相棒』という刑事もんの正月特番。録画してたやつ。
 今回はひょっとすると永久保存版になるかも知れん。。。

 娘が最近「ママ」「パパ」「バッバ」という言葉を言うようになった。ちなみに「バッバ」とは『婆』ではなく、「いないいないばー」である。娘がテレビのリモコンを持って「バッバ」と言うと、私は録画しているNHKの『いないいないばあっ!』(http://www.nhk.or.jp/kids/program/inaiinai.html)を娘の為に準備しなければならない。チャンネル権は娘にあるのだ。
 
 法要が終わって11時30分ぐらいだったかな?帰られる皆さんを送るのに、娘も送る。微妙に違う方向を向きながら「バ!」と言いつつ手を振る。

 今日見た『相棒』の正月特番では、子どもを交通事故で失った親の話。子どもが大きくなっていき、交通事故で死ぬまでのシーンで最早泣きそうだった。交通事故で子どもを亡くした後に、無気力状態でアル中状態のシーンには、共感しまくった。

 あ、法要残りの日本酒飲んで、意味不明状態に。。。

『われら』の帰省

2011年01月02日 | 坊主の家計簿
 正月である。元旦である。そして、法要前日だったりする。。。
 ああ、僕の正月(笑)

 法要前日なので元旦だろうが関係なく、諸々の準備。といっても、まあ、そんなに大した事はなかったりするのだが。
 なので、一応の準備が終わって、コタツに入って先輩から頂いた御節の御重なんぞをつまみつつ日本酒を飲んだりして、酔っぱらった。いや~、御節料理は絶好の酒のアテやのぉ。

 ちなみに、30日は家族プチ旅行で彦根にひこにゃん見学。娘、ひこにゃんはイマイチらしい。。。
 31日は、非常に珍しく夕方から日本酒を飲み出してダウン。。。いや、日本酒苦手でんねん。酔っぱらいまんねん。。。まあ、なので、さっさと娘とママとさっさと寝ようと思ったのだが、先にコタツでダウンして寝てしまって、結局深夜(朝方)まで『朝まで生テレビ』とかを見ながらダラダラと飲み続ける。
 で、本日の元旦である。

 元旦の私の脳味噌はの基本は「明日、法要で何を喋ろ」である。え~。。。基本は来年は宗祖親鸞聖人の七百五十回御遠忌である。法然上人生誕八百年である。なので喋りたい事がいっぱいあったりする。しかも、報恩應&永代経の法要は講師の先生に任せているので、まあ、寺での法要で喋るにあたって唯一の機会だったりする。
 で、酔っぱらった頭で出た結論は「出たとこ勝負」だったりする(笑)いや、当日の感じで喋る事を決めよ。基本、『挨拶程度』なので、15分ぐらいやろうし。

 んが、まあ、正月だし、やっぱし『光寿無量』かな?年末の寺報に書いた絡みもあるし、A級戦犯について喋ろうかと思ったりする。あ、『A級戦犯』というよりも、まあ、花山信勝についてなのかも知れんが。知花昌一氏が念仏者になった事についても喋りたいし、喋りたい事=伝えたい事は一杯あったりする。
 1時間喋ってエエのなら、頂いた年賀状の文章を紹介して行くだけで1時間ぐらいかかったりするのだが。まあ、解説しつつで。

 基本『新年』は幻想にしか過ぎない。なので「新年明けましておめでとうございます」も幻想の妄想でしかない。
 だが、

 【また妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。】(念仏法語より)

 である。

 恐らく、誰も『新年』と『旧年』という事で、「それは去年の話やんけ」という、プチ恩赦を行う人も少なくなって来ているのだと思う。結構、ええ加減な知恵として結構気に入ってたりするのだが、除夜の鐘で煩悩を見つめ、初詣で清め祓って「新年、明けましておめでとうございます」で、「それは去年の話やんけ」というプチ恩赦は、まあ、殆どないやろう。
 んが、まあ、別に『新年』はともかくとして、煩悩を見つめる作業は大事なわけであって、真宗門徒の私は毎日が『ゆく年くる年』であって頂きたいなぁ~、と思いつつ、それとは全く違った毎日を送っていたりする。

 【また妄念はもとより凡夫の地体なり。妄念の外に別の心もなきなり。】(念仏法語より)

 だから、初詣に行かなくとも、「思い通りになってくれ」である。それが煩悩である。煩悩を『祓い清める』のでなく、煩悩を煩悩として「私は問題ある人間なのだ」と。

 めでたい。極めてハッピーな、愚か者のお正月。

【私の専修学院での学びは、凡夫という言葉を中心に始まりました。しかし学院は生活学習の場ですから、そこで繰り広げられる私の意識生活は、その凡夫の身を裏切る自尊心との格闘でもありました。それは今日も、今も、続いています。そうした事実と思いのぶつかる日々の生活の中で、それでもここに身を置いていることの支えとしている言葉があります。それは信國先生が大病を患われた晩年のころだったのではないかと思いますが、授業で法然上人の『一枚起請文』(真宗聖典九六二頁)を取り上げられて
 「ここに『一文不知の愚どんの身になして』とあるでしょう。この『なして』という日本語は、意思をあらわす言葉です。意思して、愚鈍の身になるのです。」
 と、強い口調でおっしゃいました。「意思して、なる」。いつのまにか、如来回向とか、本願他力という教学用語を自分勝手にとりこんで、仏法を自動起床装置であるかのように錯覚する腑抜けた信仰理解にまどろんでいる私どもに、「目覚めよ」と命じる一言でした。
 凡夫とは、意思して凡夫にならなければ、自分が凡夫の身を生きていることに気付けないものです。その凡夫への意思を私どもに喚び起こす強い力が、如来の本願です。】(狐野秀存『共に是れ凡夫ならくのみ』より)