坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

美味しんぼ鼻血2

2014年04月30日 | 坊主の家計簿
【立命館大の安斎育郎名誉教授(放射線防護学)の話 放射線影響学的には一度に1シーベルト以上を浴びなければ健康被害はないとされるが、心理的ストレスが免疫機能に影響を与えて鼻血や倦怠感につながることはある。福島の人たちは将来への不安感が強く、このような表現は心の重荷になるのでは。偏見や差別的感情を起こさない配慮が必要だ。】(漫画「美味しんぼ」:原発取材後の鼻血の描写で物議 - 毎日新聞 http://mainichi.jp/select/news/20140429k0000e040156000c.html )

すげぇ、福島民友だけでなく全国紙でも報道されてたんか。
さすがにもう鼻血=被曝の人は少ないとは思うが、当時はかなり居たからなぁ~。
鼻血はストレスでも花粉等の他、鼻毛ハサミで鼻の中を切っても出ます。昨日、温泉で大変やってんから。

正義に生きている信念の人

2014年04月30日 | 坊主の家計簿
【謗法、法を謗るとはどういう意味かというと、私は、自己絶対化だと思うのです。確かなものは自分しかいない、絶対的な自己信頼です。したがって、それに刃向かうもの、批判を加えるようなものは、すなわち自分にとって都合の悪いものは、その存在を認めない、これが謗法です。
 具体的にいいますと、自分は正義に生きているのだという信念の人をいうのです。】
(和田稠先生『除かれたもの』より)

 まあ、自己絶対化から離れる事は出来なくても、「ん?」と「迷う」事って大切だと思う。
 「マスゴミが!」なんぞと威勢良く言い切り、多くの議論を無視して引き蘢る中で「ん?」と。そういうのって、大事だと思ったりする。

 あ、月末なので寺の通信を作ってるんですが、昨日、一昨日飲み過ぎたにも関わらず「ゴールデンウィークでヒマなのは今日ぐらいだもんね♪」と、一日中遊んでたので、無理かも知れない…。

美味しんぼ鼻血1

2014年04月28日 | 坊主の家計簿
@jyunichidesita: 今週の「美味しんぼ」、福島から帰ってきた山岡さんが原因不明の鼻血を出し、海原雄山も出たと話をして、最後に井戸川さんが出てきてこの有様でした。
これは流石に福島県民として抗議の意を示したい。僕はこの三年間、鼻血なんか出たこと無いですが。
http://t.co/Dx2EMfFSue

あなたが人を殺す可能性について

2014年04月21日 | 坊主の家計簿
【あなたは、自分のような普通の人間には関係のない話だと思うのかも知れません。

しかし中国大陸で罪のない人を突き殺した人々は皆、普通の人間でした。当時の日本では出征を拒否して収監される人や戦場で敵軍に降伏する人が非常識な人間で、お国のためにと命を投げ出す人や上官のどんな命令にも全面的に従う人が常識的な人でした。そういった人達はきっと自分を普通の人間だと思っていたことでしょう。あなたがもし普通の人なら、状況さえ揃えば、あなたも人を殺すかもしれません。】
http://www.huffingtonpost.jp/futoimegane/homicide_b_5181408.html

念仏の人

2014年04月18日 | 坊主の家計簿
【私は学生時代、京都大学仏教青年会の委員をしておりました。みんなよく仏法を喜んでおりました。しかし、その当時、京大の学生といったら、生意気ですから、先生を呼んで試験しておりました。講演に招く形で、「今度、あの先生をテストしてやろう」というようなことをしていたのです。そんなことをしますから、先生方はみなカンカンに怒って、講義が済んだら帰ってしまわれました。それを見て、「あの先生、怒ったな。あかんな」と言うわけです。若い学生といいますのは、「はい」と、聞く真似をしておりますが、ちゃんと先生を試験しております。今でもそうです。
 あるとき、
「西元くん、同朋舎という印刷屋の足利浄円という人、これは本物という噂があるから、いっぺん呼んでテストしようじゃないか」
ということになり、私が交渉役になり、お願いしました。京都大学の楽友会館で先生のお話を承りました。聞いたあとで座談会をいたします。この座談会がわれわれの目的なのです。それで座談会になったら、すぐ始めるのです。
「先生、ほんとうに御信心おありですか」と、こう問う。先生は、突然のことでしばし黙っておられました。するとまた、
「先生、ないんですか」
と言う。そしたら先生、ほんとうにまじめなお顔をされまして、恥ずかしそうに、
「なにもございません」
そして、こう言われた途端に「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」とお念仏を申された。みなアッと息を飲むのです。
「なにもございません。おかげさまで、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
そして、わたしの顔をじっと御覧になるのです。そのときは、ほんとうに汗がでました。あとでみな「あれは本物やったな」と言いました。若い人々は、ほんとうにはなにも知らないのですが、直感的に感ずるのです。】(西元宗助『念仏に生かされて』より)

 という文章を思い出すような出来事があった。

 ある学習会後の座談会での出来事。ある参加者が講師の先生に対して「むかつく」から始まる質問をした。質問内容は朝からリンゴ数切れしか食べてなくエネルギーが切れていたのでイマイチ憶えていない。だが、その参加者が私の隣に座っていた事や、その後の場の雰囲気が一変したので、そこからは何となく憶えている。講師の先生は戸惑いながら、動揺しながら、質問に応えておられた。途中、話されながら合掌しておられた。合掌しておられたのか、たまたま胸元で両手を合わされていたのかは解らないが、私には合掌して居られるように見えた。そして、愚者になられた。

【私は浄土に往く、浄土が何処かにあって往くというのではない。浄土を思想的に考えたり、観照的に捉えたりして、そこへ往くというのでは毛頭ない。私が浄土へ往くという理由は簡単だ。私は今夜、念仏して浄土に往く人を見て来たんだ。この眼ではっきり見て来たんだ。ただそれだけ。それでもう充分。私はこの人を信じる。だから、私も浄土に往く、とこういうことなんだ、さあ、君はどうするか? 君も私と一緒に往くか? どうするか? ……しかし、それは君自身の決定にすべき問題だ。とにかく私は浄土に往く】(信國淳「出会い」より)

 浄土往生なされた。凡夫になられた。
 そして、参加者の質問に丁寧に応えるだけでなく、「質問」というよりは「批判」に対して、本当に有難そうに応えられておられた。
 
 「自分の課題」とは優等生の『真宗よゐこ』が真宗ステレオタイプで使う言葉。ステレオタイプなので、その言葉自体が発言者自身のこれまた真宗ステレオタイプでよく使う「自分の言葉」になっていない場合が多い。
 でも、その講師の先生は、見事だった。自分の課題、というか、自分自身を取り戻すか。凡夫として、一人(いちにん)として、ただのひととして。故に、どんな批判でも引き受け、ちゃんと、「その人の言葉」として向き合う事ができ、尊敬出来る。いや、ええもんを見せていただいた。

 え?私?無理に決まってるやろ(笑)多分、瞬時にキレるだろうし、その時に疲れていたら、無視か。後になって色々と思い返すかも知れないけど。

 母校・大谷専修学院時代に恩師が「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」と食事中だったか、なんの時だったかイマイチ憶えていないが(頭悪くてすまんの)、「先生、どうしたんですか?」と聞いたら、「やってられるか!」と(笑)色々とストレスが満腹だったらしい(笑)
 でも、そうやって、念仏申しながら、「ブラザーシステム」

【こうして我々のブラザー・システムは、教える者と教えられる者という、教えにおける人間の二者対立的な関係を絶対にゆるすことのない、仏の人間教育そのものに相応しようとするシステムであります。】(信国淳『呼応の教育』より)

というややこしい教育方針であるが故に、いわゆる「先生面」出来ない中で朝から晩まで私(たち)と共同生活をやってくれていたわけであって。そんな事も思い出す。

 念仏は念仏なので、本物も偽物も、スゲエもクソもないのだが、私の価値判断には当然ある。故に、いや、久々に本物のスゲエ念仏者の出会った。

ジャッキー・ロビンソン

2014年04月17日 | 坊主の家計簿
こんな人が居てたとは…。

映画を観てゴルゴダの丘を思い出した。つか、十字架か。

マー君が100億円貰えたりしたのも、この人が居てたからか。多分、過激な差別反対の人からすると文句が沢山あるのだろうけど。

【“ジャッキー”ジャック・ルーズベルト・ロビンソン(Jack Roosevelt "Jackie" Robinson, 1919年1月31日 - 1972年10月24日)は、アメリカ合衆国のプロ野球選手(内野手)。
1890年頃以降、有色人種排除の方針が確立されていたMLBで、アフリカ系アメリカ人選手としてデビューし活躍。有色人種のメジャーリーグ参加の道を開いた。】

【リッキーは「君はこれまで誰もやっていなかった困難な戦いを始めなければならない。その戦いに勝つには、君は偉大なプレーヤーであるばかりか、立派な紳士でなければならない。仕返しをしない勇気を持つんだ」とロビンソンに言い、右の頬を殴った。ロビンソンは「頬はもう一つあります。ご存じですか」と答えた】
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジャッキー・ロビンソン

丁章『サラムの在りか』

2014年04月14日 | 坊主の家計簿
丁章『サラムの在りか』
http://sp.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/32229922

サイン入りをいただいたので、もう一冊購入したのを誰かに押し付けに。
丁章さんは望月廣三さんという念仏者に出会われ文学の道を歩み始めた。その様子を『煩悩の救い』という文章に書かれているのだが、これが素晴らしい。あまりに素晴らしいので、全部アップしたいけど、電車の中やし、無理。

望月廣三さんには同じ教団だけど会った事はないけど、お酒を飲んだ望月さんが

【「おまえは善人だからダメなんだ! もっと悪人になれ!」と、その場の一人一人にからんでゆく光景は圧巻ですらあり、この私もさんざんやられたものである。】

という事から、泥酔するまで一度飲んでみたいもんだ。

男の早死

2014年04月13日 | 坊主の家計簿
他人の夢の話など、面白くない話の筆頭なんだが、夕寝の夢の話。

私は芸人だった。売れない芸人なんだが、売れる為の努力をしようとしない。だから、他の仕事で喰い繋いでいる。先輩や芸人仲間から「もっとしっかりせえ!」と怒られる。

そんな所で眼が覚める。

芸人だった夢を見ていたせいか、「私は何をしたいのだろうか?」と。一端の僧侶だったり、なんじゃかんじゃ。売れてる芸人ならぬ、売れてる僧侶か。

でも、それが自分を苦しめて来た。流転輪廻する自己を、自我で裁く。「なんでこんな私なんだろう…」と切り裁く。

凡夫(ただびと)になりたい。何かになりたいというのであれば、私は凡夫(ただびと)になりたい。いや、ただびとである事を切り裁く事から逃れたい。
生きたい。どんな私であっても、生きたい。

最近、物忘れが酷くて、かつ、物覚えも悪い。今日は久々にゆっくり寝たけど、睡眠時間はストレスの「今日を取り戻せ!まだ、満足しちゃいねえよ!」で短い。

理想が高いというか、なんというか。そうやって、自殺したり、緩やかな自殺的に若死にしたりする友人たちが多くいた。たまたま生き残っているだけ。
だから、「何になりたい?」って、「凡夫(ただびと)になりたい」。
ナンマンダブツって念仏申して、ただびとの世界、真の海でプカプカと漂いたい。悲しみの涙が流れついた海で、誰も裁く事のない世界に生きたい。砂漠を涙で海にしたい。


http://whats.be/839

坂口安吾『衆生開眼』

2014年04月10日 | 坊主の家計簿
【一般にジャーナリズムに対し、個人の力で、どうにもならない魔法の力があるような迷信がある。清水幾太郎によると、二三の大新聞と、NHKが共謀すれば、思うがままに世論を作り出すことができるそうだ。だが民衆は、清水の考えるほど、新聞からダマサレ放題になるような、衆愚ではないのである。究極において、民衆はダマされない。】(坂口安吾『衆生開眼』より)
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45920_36899.html

これは昭和26年が初出らしい。

「安全神話に騙されていたんだ!」と原発事故の時に言っていた謎の人たちがいるが、まあ、昔も今も「騙された事にして自分の責任にしたくない人」は居るのだろう。

「はだしのゲン」回収

2014年04月10日 | 坊主の家計簿
【千代松市長は取材に対し、「漫画の内容ではなく、差別的な表現が問題だと思った。泉佐野は市全体として人権教育に力を入れており、教委には、漫画を読んだ子への個別指導が必要ではないかと伝えた」と話した。
 一方、泉佐野市立校長会は1月23日、「特定の価値観や思想に基づき、読むことさえできなくするのは子どもたちへの著しい人権侵害だ」として、回収指示の撤回と漫画の返却を求める要望書を教育長に提出していた。】
(「はだしのゲン」回収 泉佐野の市立小中の図書室 )
http://t.asahi.com/e9oa


【山梨学院大法科大学院の梓沢和幸教授(弁護士)は「誰かの考えや表現が気に入らないと発言の場を奪うのは、公権力が最もやってはいけない行為」と指摘。根拠は集会、言論など「一切の表現の自由」を保障した憲法21条だ。梓沢教授は「意見には常に対立する勢力がある。それを恐れて講演会を中止すれば自由は失われる」とする。】
(上野さん講演会問題:山梨市の「騒動」その本質は…)
http://mainichi.jp/select/news/20140403k0000m040081000c.html

門真市がヘイトスピーチ締め出し方針

2014年04月10日 | 坊主の家計簿
 門真市がヘイトスピーチ締め出し方針
 http://cracjpn.tumblr.com/post/82192063915/news


 しばき隊などの、いわゆる「カウンター」は市民同士の喧嘩だと思っている。まあ、名前も「しばき隊」ですし(笑)
 喧嘩は対等だけど、行政が在特会などの特定団体の規制に動くのは喧嘩とは呼べない。

『数年前までの左派的言論の場であれば、こうした不快な言論を国家権力によって排除しようという人たちが現れた時には、必ずどこかの弁護士が言ったとされる「あなたの意見に私は全力で反対する。しかしあなたがそれを言う権利は全力で守る」という言葉が、テンプレのように流れてきたものである。』(赤木智弘)
http://blogos.com/article/59551/

 ヒゲ戸田…。自分の首を絞めてないか?