坊主の家計簿

♪こらえちゃいけないんだ You
 思いを伝えてよ 何も始まらないからね

非常に残念な発想

2011年04月30日 | 坊主の家計簿
 寺の通信完成。
 明日は学習会で外出だし、え~。。。他にもやらんとアカン事があってでんなぁ。。。明日の仕事はヒマなので今晩(深夜なんだが)に作らんとどうしようもなかったので、一気に制作。

 で、ホッコリしつつ、上がったテンションのクールダウン。

 橋下知事の脱原発の続き。


【「非常に残念な発想」 橋下府知事「脱原発を」 立地市町が反発
 
 大阪府の橋下徹知事が記者会見で、関西に電力を供給する原発の新設中止などに取り組むとした発言に対し、県内の原発立地市町から28日、反発の声が相次いで上がった。

 敦賀市の河瀬一治市長は「福井県内の原発から、関西で使用する電気の6割弱を送っている。(県内で発電した)電気を使っていて、そういう発想にしかならないのは非常に残念」と話した。美浜町の山口治太郎町長は「報道で見る限り」としながらも、「福島第一原発の事故が起き、一番心配しているのは原発のある自治体。(原発から)一番離れた電力消費地の知事が『何を言うとんのや』という思いだ」と批判した。】(http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/fukui/news/20110428-OYT8T01217.htm?from=tw

 
 昼間に見つけた記事なんだが、この記事に関して、原発の町に対して「やっぱり金か」なんぞという人が居てて、ブチキレる。んが、少々忙しいのでコメントを返す事は出来なかったのだが。

 この美浜町の町長のコメント

【「福島第一原発の事故が起き、一番心配しているのは原発のある自治体。(原発から)一番離れた電力消費地の知事が『何を言うとんのや』という思いだ」と批判した。】

 というのは、もっともだ。

 これは以前に大谷派でも有名な反原発僧侶、まあ、反原発だけでなく色んな運動に取り組んでいる先輩僧侶から聞いた言葉なんだが、その先輩が

「ほら、寿司屋に行って板前さんが魚を殺してたら「板前さん、殺生だけ」なんていうやん」

 等と、原発に全く関係のない話なんだが、言っておられた。穢れの話かな?被差別の話に関してやったかも知れん。の現場でんな。
 なんか、その話を思い出す。
 今まで散々、まあ、橋下知事以前の話でもあるのだが、それでも、『穢れ』を他所に押し付けておいて、流れが変わったら、気分が変わったら、「原発、なんとかなりまへんか?」っちゅうのはなぁ。。。

 当然、なんとかしたいのだ。しかし、そこには歴史がある。人の生活がある。その人の生活の犠牲の上でグリコの看板を灯しておきながらの発言には気をつけた方がエエと思うのだが。
 
 これは八ッ場ダムの前原と同じミスだ。八ッ場ダムの人達だって苦渋の選択の中での決断だったのだ。それを「え~。。。政権が代わりまして、うちの公約ですので」なんぞというので生身の人間の感情が納得出来るわけがない。理屈じゃないのだ。正義じゃないのだ。いや、この場合の『正義』を疑うべきなのだ。
 この場合の『正義』は机上の論理である。生身の生活者の論理を無視しての正義である。それを『正義』と呼ぶ事が間違っている。

 まあ、橋下知事が本気で脱原発路線を歩むとは1ミリも思っていないが、だからこそ、尚更である。

【「福島第一原発の事故が起き、一番心配しているのは原発のある自治体。(原発から)一番離れた電力消費地の知事が『何を言うとんのや』という思いだ」と批判した。】

 である。
 
 これは当然、美浜町だけでなく、福島第一原発や、その他の原発周辺の市町村にも言える事だろう。
 反原発、脱原発をいうのは簡単である。その市町村内ならば話は別だろうが、美浜でなく大阪でなら簡単である。福島でなく、東京でなら簡単である。
 だが、苦渋の選択でもって判断した方々に対する尊敬なくして、何が反原発なんか?何が脱原発なのか?

 ホンマかどうか知らんが、原発で暖められた水を使っての温水プールがあると聞く。そして、その水の安全性を示す為に地元の子ども達を温水プールに入れたりするという話も聞く。当然、ホンマかどうかは知らない。運動家だって政治で嘘をつく。いや、人間だから利害でもって嘘を付く。
 だが、その温水プールには私は入った事がないし、大阪の小中学校で入ったという話も聞かない。原発の地元の市町村の話なんだろう。

 原発の安全性が机上の論理ならば、橋下知事の脱原発も机上の論理である。

 ちゃうやろ。生活者の苦悩やろ。今回の原発事故でビビったのならば、正直に「怖いねん」と言えばイイのではないのか?だったら、その「怖さ」でもって連帯出来るのではないのか?「ごめんね、今まで散々怖さを押し付けてて」なんぞと。
 それでないと、風俗に行ったオッサンが「君はこんな仕事をしていて恥ずかしいと思わないのか?あなたの親はどう思っているのか?」なんぞと言うのと同じやろ。「何を言うとんのや」である。

 仕事は欲しいし。他に仕事がなければ危険な仕事だってする。その仕事が『正しい』だとか『間違っている』だとかの前に、仕事が欲しい。それが生活者ではないのか?
 その生活者の苦悩を無視して来続けたにも関わらず、都合が悪くなれば切る。福島第一原発に関してならば、地元の人達に対して「原発の恩恵を散々受けて来たくせに」や、地元の自治体の長に対して「お前も原発推進派やったんと違うのか」なんぞと。あるいは、某国会議員の子どもが東京電力に働いているだけで叩いたり。共犯関係でなおかつ、手を汚す仕事をさせて来たのは誰なのだ?



流行

2011年04月29日 | 坊主の家計簿
 今日も鼻血が。。。んが、さっきまでコタツで寝てたので、少しだけお酒を頂きつつ、ネットで遊んで、寝よ。

 今日は、初『お香屋』。そろそろ寺にあった焼香用のお香が無くなりつつあり、『お香は堺』という事で、自転車に乗って、堺にあるお香を売ってる店に。っちゅうか、むっちゃ、デカイ。タマに見かける『コーヒの線香』も売ってる店で、まあ、『店』というよりも『メーカー』か。
 ショールームがあって、そこに行って店員さんに挨拶。素人丸出しで、持って行ったお香を出して「これと同じの下さい」。戸惑う店員さん(笑)
 結局、「寺院ではこの辺がよく売れてますよ」という辺りの一番高いのと、それの6分の1の価格のを購入。1グラムでどれだけの量なのか解らず、財布に5万円を突っ込んで行ったのだが、予想よりは遥かに安かった。小さい寺なんだが、寺以外の法事でもお香を持って行くので、結構使ったりするのだが、まあ、2年ぐらいは持つかな?後は、価格差の違いで今後の購入を考えよ。

 さて、橋下知事の脱原発である。

 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110428k0000m010090000c.html
 http://www.j-cast.com/2011/04/28094577.html

 昨日知って大笑いしてたのだが、え~。。。多分、大阪府民の大半は信じていません(笑)個人的には1ミリも信じていません。なぜなら『橋下知事だから』だ(笑)
 橋下知事の参謀は大前研一。もんじゅの設計に関わった大前研一。新自由主義バリバリの大前研一。アメリカバリバリの大前研一が、脱原発路線?「はあ?」である。だいたい、関西空港から梅田北ヤードにリニアモーターカーを走らせる構想の持ち主が脱原発、「はあ?」である。どうせなら、ビルゲイツの新型原発を関西空港に誘致する構想とかの方がエエのと違うか?橋下知事ならば。南港埋め立て地とか。
 なので、全く期待しない。
 期待はしないが、面白い。何が面白いって、橋下知事って広告屋としての才能はスンゲーある。それは当然、大前研一なんぞの参謀や、他のスタッフも含めての『橋下知事』なんだが、その橋下知事が「脱原発は当面票になる」と踏んだわけでんな。これは面白いし、デカイ。
 大阪は統一地方選で橋下知事派が圧勝した。ほぼ、橋下クーデター状態であったりもする。かつ、今度の大阪市長選挙では民主党・平松市長との対戦が待っている。平松市長は強い。その強敵に対しての人気取りでの脱原発表明。まあ、橋下知事は当選したとしても『大阪都構想』なんだし、とっとと辞めて国会議員になるのだろうけど、世の中の流れを読む広告屋としての能力に長けている橋下知事が脱原発路線を表明したのは、非常に面白い。今後、名古屋&愛知のあの人達もこの流れに乗りそうな気もする。そういう面では石原都知事の方が、まだ政治家としては信頼に足りるかも知れん。まあ、都民だったとして絶対に投票しないが。

 今の(あえて)『脱原発ブーム』を見ていると、アル・ゴアの『危険な話』、ちがうわ、『不都合な真実』を思い出したりする。
 「シロクマが危ない!」と、CO2削減の大ブーム。え~。。。なにやら今回の原発事故で吹っ飛んだのかも知れんが。『不都合な真実』が不都合な真実になったのかも知れんが。

 こういうあり方を『時衆』なんぞと呼んだりしたのだろう、仏教では。
 流行や、時代の中で右往左往しながら生きている。

 戦争中の人達を、当時の軍人も含めて、戦後にそだった私みたいな人間は「なんで戦争なんかしたん?おかしいやん」なんぞと批判したりする。戦争はおかしい。でも、今のありようを見ていると「当時もこんな感じやってんやろなぁ。。。」なんぞと思ったりする。
 当然、筋金入りの『エコ』や『脱原発』『反原発』の人にとっては別なんだろうが、戦時中の話でなら、筋金入りの戦争肯定主義者は「断固として決戦あるのみ」だったのだろうが、多くは時代の流れの流行。
 
 流行だから、流行遅れの人を「目覚めない人」なんぞの呼び方で言ったりする。まあ、孫正義とか、山本太郎はさしずめ『ファッションリーダー』みたいなものか。ならば、もっと解り易く「ダッサー!」と言えば良いのに。
 「え~、知らないの?今は脱原発が流行っているのよ。これからは再生可能な自然エネルギーなのよ。いつまでも原発に頼るのはダッサー」なんぞと。
 特に原発事故は生命の危険が入るので、その過激さが心配。原発推進派に対して「非国民」なんぞの言葉が心配される。

 違うのだ。その時代時代の流行の価値観に縛られて生きているのだ。だから脱原発路線を歩めない人は『流行遅れ』なだけなのだ。で、誰が流行遅れの人を裁く事が出来る。「悪いヤツら」や、「逮捕しろ」なんぞと裁く事が出来る。んなもんは、ワガママでしかない。違いを認められないだけの話である。
 違いを認められない世の中は優しくない。そんな世の中なんぞ、真っ平御免である。
 それが『脱原発』『反原発』であろうとも。
 個を無視する、違いを敵対化するありようは真っ平御免である。それは国家のやり方である。強者のあり方である。

御遠忌参拝

2011年04月28日 | 坊主の家計簿
 う~ん。。。さっきツイッターを見てたら気になる情報。

 http://news4vip.livedoor.biz/archives/51782368.html

 なにやら、福島第一原発の作業員募集のハローハークの求人。時給1万なんだが、月給40万。拘束時間が8~17時だが、実働2時間か。3食付きで住込み。月給40万は魅力なんだが、寺を捨てて長期間行くわけにも行かず、ド短期ならば割が合わん。福島までの交通費が結構かかるし、移動時間もかかる。ちょっと割が合わんなぁ。。。当初の情報の日当40万なら即決なんだが。

 あ、ハローワークの求人はこっちね。

 https://www.hellowork.go.jp/servicef/B01050.do?screenId=B01050&action=commonDetailInfo&kyujinNumber1=12010&kyujinNumber2=07932811&kyushokuUmuHidden=2&kyushokuNumber1Hidden=&kyushokuNumber2Hidden=

 一応、色々といじってみたり、厚生労働省のホームページから飛んで見たりしたので、多分、本当の求人だと思う。

 で、関連して思ったのだが、どうやら、日本はこの原発事故をホンマに民間だけでやるつもりやねんや。まあ、チェルノブイリはソ連やったし、ソ連は社会主義国やったから、国が突入部隊を募集したけど、東京電力は一応(?)民間企業やし、やはり、民間募集だけで行くのだ。
 従軍慰安婦って、こんな感じやったんかなぁ。「国(軍)は関与していない」なんぞと。

 確かに、この原発事故の突入部隊の人達も民間募集である。かつ、人材派遣業。派遣先が東電直なのか、下請けなのか、出入り業者なのかは知らない。でも、やる事って、おい。
 この場合に派遣された労働者が健康被害を受けた場合の補償&責任は第一義に東電なんだろう。しかしながら、原発を推進して来たのは日本政府であって、だから原子力保安員とか、なんじゃかんじゃと出てくるわけであって。すると、この場合、派遣された労働者に健康被害が生じた時に国&東電に賠償請求をした時に「国に責任はない。あれは人材派遣会社や派遣先の企業の責任だ」なんぞと言えたりするのかな?っと。
 なんか、従軍慰安婦問題を思い出したりしてしまうわけだ。

 と、まあ、そのまま従軍慰安婦問題と今回の原発事故での関連について書き進めたい気もするのだが、ふっふっふっふ。。。詳しくない、っちゅうねんな。ネットで調べて書くにも、「今日はお疲れ~。鼻血も出たよ~♪」だったりするので、辞め。
 まあ、自分で点検するならば、戦前の出来事と、今の出来事とは比較出来ないから立証にはならない。今がそうだからといって、それが過去の出来事もそうだったとは言えない。言えないのだが、「なんか似てねえか?」と。

 という事で、本日の日記。

 今日は仕事が終わって、午後から本山での御遠忌個人参拝。なんとか法話が始まる時間には間に合って、法話を聞く。疲れていたので少し寝る。でも、聞く。でも、半分寝てる(笑)
 半分の目的は買い出しだったので、法話が終わって、坊さん達出仕→読経始まる→「一緒にナンマンダブしたし、私忙しい」という事で、「おお!やっぱし本山の読経はスンゲー!」と感動しつつ、時間がないので他を回る。
 読経が終了辺りに法要の座に戻る。さっき座った場所と違う所。「お?ひょっとして?」と、本願寺派の友人、っちゅうか、うちの寺の永代経の講師を発見。思いっきり白衣まで着ての間衣&輪袈裟姿で、大谷派の声明集を手に持って一緒に読経してやがった(笑)しかも『大谷派声明集・下巻』まで持ってやがって、「それ、俺、持ってない」である。だって、一応住職の私なんだが、多分、一生、使う事はないぞ。使うとしても、絶対に出来んぞ。でも、やってやがった(笑)もう、これだから(笑)まあ、だから10才ぐらい年下なんだが、「こいつには絶対かなわん」という事で『先生』として永代経の講師として来て頂いているのだが。

 買い出し忙しい私は、買い出しの続きをしようと思っていたのだが、「まあ、せっかくですし」という事で『カフェあいあう』っちゅう、無料喫茶コーナーへ。雨が降ってたし、休憩したい人で一杯かな?と思ってたんだが、以外とヒマ。個人的意見で言うと、無料は入り難い。本山の外になるし。100円ぐらい取った方が入り易いかも知れん。んが、まあ、近所の喫茶店との兼ね合いや営業許可なんぞの関連で料金を取る事が出来ないのだろうが。
 入店すると、「まあ、オッシャレぇ♪」である。安普請だが、センスが良いので非常にカッコ良い喫茶スペースになってた。誰が中心になって店舗デザインをしたのか知らないが、センスがエエ。御遠忌だけでなく、報恩講の定番にして貰えれば有り難い。
 で、入店。いきなり、え~。。。実名出してエエのかな?やめとこ。教師修練の時に人権担当の先生、かなり好きな先生が普通に居てはった(笑)接客してくれて色々と話してくれた人が某有名先生の連れ合いだった(笑)

 『カフェあいあう』には3人で行った。本願寺派友人永代経講師先生と、これまた偶然に会った講師先生の友人と。
 買い出し忙し私は先に出たかったのだが、結局面白くて閉店まで。
 話題は主に講師先生の友人。なんせシンガポール人らしい。まあ、『シンガポール人』という言葉があるのかどうか知らないが、国籍がシンガポール。中学の時に仏教に出会って、それからなんじゃかんじゃの縁で今は本願寺派の僧侶。現役の龍谷大学の大学院生らしい。興味津々の私は「なんで?なんで?」と『なんじゃかんじゃ』の部分を聞き出す。んが、寝不足で頭がボケててイマイチ頭に入って来なかったのだが。
 何やら稲垣瑞雄(久雄)という方の御縁だったらしい。で、もっぱら話題は稲垣瑞雄という方と、その父である稲垣瑞劔という方と、稲垣瑞雄という方の台湾人の御弟子さんの話。友人講師先生もよく知っている人らしく、稲垣瑞雄という方を中心に念仏の輪が広がって行っている事実に触れて非常に感動しておられた。ちんぷんかんぷんの私も、その方々の話しをしながら『御信心』という今の大谷派では滅多に聞かれなくなった事を熱心に語っている2人を見つつ(2人ともソファーの向かい側)「なんじゃ、こいつらわ」と感動しつつ、買い出し以外の理由で逃げたくなったりもしたのだが。
 いや、やっぱし、スンゲーわ。2人とも、仏教に対して、真宗に対して、念仏に対して、信心に対しての取り組み方が半端やない。言い方を変えるならば、昔の侍が立ち会った時に「あ、負け」と瞬時に判断して「参りました」と逃げ出したくなる気分。
 近い感じは現役の母校・専修学院生に対しても感じたりするのだが、なんちゅうんですか?『求道精神』、もう、法蔵菩薩が道を求めている姿がありありと感じれるみたいな。

 2人と別れた後に買い出し再開。あと、法衣と、数珠と、ろうそく。それぞれ別の店。なのでバタバタと。

 本山前で、某先輩発見。挨拶してたら後ろに濃ゆいメンバーが。『カフェあいあう』に居てた人よりも濃ゆいメンバーが。革命の相談でもしてたのかな(笑)

 急いで買い出ししたので、少しだけ時間が余る。んが、晩御飯を食べるまでの時間的余裕はない。なので仏教書専門店に。
 ミーハーは私は、早速、さっき教えて貰ったばかりの稲垣瑞雄という方の本を探す。『稲垣瑞雄』では無かったのだが、稲垣姓の本があってペラペラめくるとどうやら稲垣瑞雄という方の俗名『稲垣久雄』名義の本らしかったのでゲット。

 いざ、高倉へ。

 中村馨先生の話は疲れ果ててて後半少し寝てしまう。でも、中村先生の娘さんが自死した事の経験を通じて歎異抄第五条の、ん?大谷派は『章』やったっけ『条』やったっけ?まあ、ええわ、の、『まず有縁を度すべきなり』という言葉が、娘さんの自死の体験から「その有縁は私自身だった」と。最後辺りの展開は残念ながら寝てしまったのでどういう展開になったのか解らないが、なんか印象的。録音しているので、聞き直そう。

 蓑輪先生の話は、前回の『被災者支援の集い 法話の夕べ』で聞いた時よりも、一層、被災者支援の話だった。御自身の父親が福井の大地震で多くの人達を「たすけとぐる」事が出来なくて、その事から夜中に突然起き上がって喚く様な事が、今回の大災害でも起こっている、と。親鸞と弥勒菩薩の関連などをテーマに話しておられた『気がする』。すんまへん、ヘロヘロでした。

 帰りに京都駅近くの第一旭でラーメン食べて、ケチなので京阪電車まで歩いて、帰宅したら23時過ぎ。シャワーを浴びて、疲れたのでお酒を飲んでの今現在。

 本山での御遠忌。
 柱にモニターが一杯。モニターで説明を見れるし、また、一般参拝席は後ろだったり端の方だったりするので「見れる」という事については有り難かったが、なんか、「ちょっとなぁ。。。」とも思ったりする。モニターが気になるのだ。で、モニターを見てしまう。遠くの方から「覗き込もう」という姿勢が無くなる。それが少し残念だったのだが、これは思いっきり私個人の問題だったりするのだが。
 あと、後ろの方だったので聞こえなかっただけなのかも知れないが、また、今日の法要の式次第の影響だったのかも知れないが、満堂に満ち溢れんばかりの念仏の声が聞こえなかった様な気がする。「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」という本山の御影堂に響き渡る地鳴りの様な声が。まあ、なんて事をいうのなら、読経途中で買い出し等に出かけたりするなよな、という話だったりするのだが。
 まあ、親鸞展には行けなかったし、法然展にも行けなかった。なので、また別の日に行く予定だし、本山で今日は荷物の都合で買い出し出来なかったものも多くあったので、ヒマを見つけて来よ。これまた、友人永代経講師先生の影響なんだが、きゃつは、大谷派の御遠忌だけでも何回も来ているらしい。っちゅうか、昨日も今日も明日も参拝だし(笑)

 本山での御遠忌。
 すれ違って「あ!」と気付いた時には過ぎ去ってしまったけど、大阪で私が僧侶になるずっと前から、っちゅうか、大谷派に関わりだした当初から、それ程親しくないけど、それでも私個人としてはお世話になっている人も居た。
 これまた偶然会った元所属寺の住職も居たし、友人永代経講師先生も居た。
 今日の私の格好は、ヨットパーカーの上にスエット生地のジャケット。買い出し用の大きなリック。数珠は持って行ったけど、まあ、観光客と同じ格好。「お前はバックパッカーか!」という格好。
 でも、声をかけ合って挨拶出来たりしたりする人達も居た。また、一緒に「なんまんだぶ」と念仏申す人が居た。
 仲間に入れたんだ、と。

 ある恩師が「道があったんだ」と言っておられた。
 法話をしていた先生方だけでなく、友人講師先生や、その友人に対して気合い負けをした私なんだが、でも、仲間に入れたんだと。道があったんだ、と。ミーハーで紹介して頂いた本を買う機縁を与えて下さったのだ、と。
 
 友人講師先生が「結局は人」みたいな事を言っておられた。真宗の教えだって、やはり、私には『生きている人』を通じてしか学ぶ事が出来ない。私にとっては眩し過ぎるぐらいの友人講師先生でも同じだったんだと、これまた、人。

 そんな事を感じた、感じれた、本山の御遠忌参拝。

あなたは、あなたで在ればいい(渡辺尚子)

2011年04月27日 | 坊主の家計簿
 お腹が痛い。。。
 今日のお昼御飯はママのスパゲティー。何度かボロクソに言ったせいか、最近ママの料理が明らかに美味しくなって来ている。確かに味は主観だが、主観以前の味もある。ようするに「お前、作る気ないやろ」という料理である。私はこれをエサと呼んでいる。
 家庭料理と外食とは違う。外食はどうしても味が濃くなりがちだし、また、原価が違う。「人様から金を取って商売としてやっていく」のが外食なので、やはり見た目も大事になって来る。パセリなんぞの「殆ど食べて貰えないけど、色合いとして大事」みたいなものも必要となってくる場合が多いが、家庭料理は安くて栄養バランスがしっかりしていて、かつ「そこそこ美味しい」というのが理想だったりする。無茶苦茶美味しいなんぞは必要ない。見た目も、まあ、うちには幼い子どもが居てるので大事になって来るのだろうが、私個人はあまり気にしない。「盛りつけは上に盛り上げる様に」なんぞを求めない。半熟のプレーンオムレツも求めない。アルデンテのスパゲティーも求めない。ただ、そこそこ美味しければいいのだ。
 料理が下手なら、レシピを見ればイイ。ネットでタダで落ちている時代である。最初はスタンダードに真似る所から始めて、応用をかましていけばイイ。高い材料を辞めて行けばエエだけの話だったりする。また、冷蔵庫の余り物を工夫して使って行けばイイ。味付けや熱の量を「どうでもエエやんけ」にならなければエサにはならない。エサは「どうでもええやんけ」の料理である。愛がない。愛情のない料理屋は潰れるし、家庭料理で限られた時間、限られた材料費、限られた調理器具であっても愛情さえあれば「食べて貰いたい」だったり、あるいは「これが私の仕事なのだ」という自覚させあれば、まあ、エサにはならない。
 という事で、メキメキ腕を上げつつあるママの昼ご飯のスパゲティー。仕事が終わる時間の都合で「先に作って置いといて」だったのだが、え~。。。量、多すぎ。多すぎだったのだが、食べると美味しかったので、残さず全部食べてしまったのだが、お腹が(笑)ちなみに頂き物の味付け海苔が大量にあって「これでなんか作って食べんと」と言うと、晩御飯には海苔の佃煮になって出て来た。結構、美味。無くなったら次は『味付け海苔のタ食べるラー油』をリクエストしよ。なに、細かく切った味付け海苔に、熱した唐辛子入り胡麻油(好みでサラダ油混ぜても可)をかけて保存しとけばエエだけの話だ。塩分が足りなければ後から足せばエエだけの話やし。

 という事で、お腹が痛い。
 というか、昨日もお腹が痛かったわけなんだし、日曜深夜に激辛担々麺なんぞを食べるから問題であってでんなぁ。。。

 録画していた紳助の駆け込み寺を観る。大阪では4月5日の昼間に放送していて、録画したまま放ったらかしになっていたので、今夜観る。
 「A・高収入で浮気性の彼と、B・貧乏だけど誠実な彼、結婚するならどっちが良いでしょうか?」なんぞの質問。番組では5人のい僧侶がAかBどちらかの意見を述べさせられていたのだが、ありゃ、どっちでもエエやろ、んなもんは。だって、迷っている段階でどっちでも良い。どっちでも良いから迷っているわけであって、だったらどっちでも良い。そんなものに正解はない。ただ、どちらを選ぶにしても必ず「やっぱり向うを選べば良かった」と思う事だけは確かであって、必ず不幸を歎くんだろう。そんな人生を「これが私の人生なんだ」という問題だと思ったりする。
 基本は私が近くの札幌ラーメン屋で「味噌にしようなかぁ。。。塩バターにしようかなぁ。。。あ、醤油もエエなぁ。。。」と迷っているのと同じ。何を食べてもその時の気分次第で「お!やっぱり味噌にして正解やった」にもなるし、気分次第で「やっぱり塩バターにすれば良かった。。。」にもなる。そうやって、気分次第で自分の人生や、周囲を切り裁いて生きているのが紛れもない私であって、その私は他には居ない、誰も代わってくれないし、誰にも代わって貰いたくもない、みたいなもんでっしゃろ、と、激辛担々麺&食べ過ぎ等のせいなのか。お腹が痛い私は思ったりする。当然、「あの時に食べなければ。。。」なんぞとも『思える』わけでんな。私の人生なので。

 で、紳助の駆け込み寺を、飛ばし飛ばしながら観る。最後辺りで「生きているのが辛い」という人生相談。こういうのにも正解はない。相手次第。また、色んな宗派の坊さんが出てたのでそれぞれの宗派によって考え方に違いもあるだろう。
 しかしながら、テレビという公共放送で「言ってはならない事」なんぞもあったりするのだが。それが放送コードに引っかからなくとも、少なくともテレビでは聞きたくない言葉があったりするのだと思ったりするのだが。
 水無昭善という真言系の僧侶が居ている。『真言系』と記したのは、ウキペディア情報によると怪しいみたいなので。だいたい『真言宗』という宗派名がどういう意味を現しているのかは私には解らないし。なので無難に『真言系』と。
 で、その水無昭善氏が、「生きるのが辛い」という悩みに対して「五体満足で生まれて」等と返していた。録画はとっとと消してしまったのでネット検索。

【「五体満足満足で生まれてきたなら、這いつくばってでも生きてみなさいよ!!」】(http://blog.livedoor.jp/vvkurumivv/archives/51345224.html

【五体満足で生まれてきたなら、五体満足で這いずり回ってから、生きている意味を考えて欲しい。】(http://ameblo.jp/career-change-support/entry-10821942558.html

 『五体満足』という言葉をこういう表現方法で使う必要があるのか?

 『差別用語』という定義はない。文部省が「五体満足は差別用語です」なんぞと説明している本を読んだ事はない。それ以外の所が『人権辞典』なんぞを出していても、まあ、それはその団体での認識。
 テレビ局や、マスコミ関係者にも放送禁止用語の一覧なんぞがあるのだろうが、その中に『五体満足』という言葉が入っているのかどうかは知らない。まあ、大阪なら毎日放送(TBS系)には『五体満足』が差別用語や放送禁止用語であるという認識はないのだろう。だから放送したのだろう。また、水無昭善氏にもないのだろう。ないから、五体満足という言葉を使わずとも、単に「生まれて来たなら」でも意図は伝わると思うのだが、あえて『五体満足』という言葉を使うという事は、まあ、その言葉が差別用語であるという認識はないのだろう。
 え~。。。乙武洋匡氏の『五体不満足』という本は結構売れたと思うのだが、まあ、私は読んでないのだが、話題にはなったと思うのだが。。。

 放射能汚染。「チェルノブイリでは奇形児が」とかの情報を見かけるが、放射能汚染の暴力は問題だが、「放射能汚染で障害を持って生まれて来る」だの、「奇形児が生まれて来る」だの、「五体満足で生まれて来ない」だのという、差別発言の汚染はどうなっているのだ?
 なんだ?五体満足で無い事がそんなにイケナイ事なのか?だったら、乙武洋匡氏は「居てはいけない人」「生まれて来てはいけない人」なのか?
 『障害者』という言葉も微妙だが、まあ、「今の世の中では生き難い人」なんだろうが、生き難い環境を作り出している側の責任を問わずして、『五体満足』などという言葉を平気で使ってしまうのは、一体なんなのだ?

『3.11』

2011年04月26日 | 坊主の家計簿
 辺見庸がNHKこころの時間に出てたので、観る。あ、早起きでなく録画してたのをさっき観る。石巻出身の辺見庸は遺族。かなりキツそう。ふと思ったのだが、辺見庸の個人ドキュメント映画で『3.11』を撮影してもイイかも。20年仕事、というか、辺見庸が死ぬまでの撮影。なんか、ふと思う。

 『3.11』と辺見庸は語っていたが、それぞれの『3.11』。大阪に住んでて、かつ、熟睡していて地震の揺れを全く感じない、余震も感じない私にとっての『3.11』と辺見庸の『3.11』とは全く違う。石巻出身で、自分が通っていた小学校が焼け焦げた辺見庸とは全く違う。親戚や友人が亡くなられたかも知れない辺見庸とは全く違う。

 金曜日、22日に娘&ママの家族3人でアンパンマン・ミュージアムに行って来た。前日の木曜日に行く予定をしていたのだが、仕事も入ったし、前夜まで娘が高熱で「こりゃ無理」という事で、金曜日に出かけた。
 娘、昼寝時間を早める為に朝早く起きた娘はパパの作戦通りに車の中で爆睡。丁度、桑名・長島のインターを降りた辺りで眼を覚ます。眼を覚まして、少しすると「ここはどこ?」のアンパンマンの国。オモチャ屋よりも遥かに多くのアンパンマンが居てるので戸惑う娘。でも、食事して、徐々にテンション上がって来て、楽しそう。楽しそうな娘を見ているのはパパも楽しいのだが、眠い。どこかのベンチで寝転んで昼寝でもしようと思ったのだが、結構狭いのよね、アンパンマン・ミュージアム。遊園地並みの広さがあると勝手に想像していたので、ちょっと残念。あ、昼寝の部分だけね。
 結局、13時前に入って17時前までゆっくりと遊ぶ。
 ちなみにアンパンマン丼が貰えるうどん屋は結構美味しいし、値段も無難。アンパンマン丼の子どもうどんは800円やったかな?少し高いのだが、まあ、アンパンマン丼代。きつねうどんが530円やったか?讃岐直送の麺らしく、まあ、無難に美味い。
 駐車料金は1000円なんだが、すぐ近くにあるアウトレットモールで一店舗で3000円以上の買い物をすると駐車料金1000円が戻って来る。名古屋名物・有名店のフードコートがあり、『矢場とん』のわらじカツが1700円ぐらいだったし、少し贅沢な晩御飯を食べれば駐車料金が戻って来るし、福助のアウトレットで足袋を買ってもエエかも知れん。
 行きは高速をひたすら走ったので、帰りはゆっくりと。せっかく桑名まで来たんだ。長島まで来たんだ。んが、晩御飯を食べるとすっかり夜。久々の長島をゆっくり巡りたかったのだが、また次回。亀山まで下道で「お!鈴鹿サーキットまですぐやぞ!」なんぞと1人興奮のパパ。18才の時に半年間、ホンダの鈴鹿工場で期間工員で働いて居たし。工場の近くの道、確か、一度意味なく歩いた道を24年振りにママと娘とアンパンマン帰り。

 長島は、長良川河口堰がある。20才過ぎかな?一度だけ行った事がある。また、長島は『長島一向一揆』の場所。約2万の真宗門徒が信長の軍隊に焼き殺された所。ただ、戦争だったので信長の軍隊も殺している事を忘れてはならない。「信長に2万人も殺された!」だけではない。そうやって信長だけを悪人にする事が真宗なのか?信長を敵にして、敵の軍隊を殺した事を忘却して、自分達だけが犠牲者面する事が真宗なのか?

 辺見庸は変わらずカッコ付けの照れ屋の不良だった。ロックの臭いがプンプンしてた。元々好きだったのだが、10年ぐらい前だろうか?應典院という大阪のデカイ寺に来た時に講演を聞いて増々好きになった。大学院卒やったか、現役学生だったのか解らないが、真面目そうな良い子の兄ちゃんの話を隣で聞いてて「ムカムカしてケリを入れたくなった」なんぞと言ってた辺見庸。こころの時代でもディレクターか誰かに対して報道関係に対しての怒りを語ってた。
 個。全体主義に対する個。不良の文学者・辺見庸は個が無視される流れを、『3.11』前は商業主義、『3.11』後は優しさで語って居られた。

 吉本隆明『「反核」異論』。なんか、昼間にiPhoneで遊んでいるうちに引っかかった。「辺見庸が今回の事に対してどう考えているのか?」と土曜深夜に気になって、で、吉本隆明である。ちなみに有名どころのツイッターでは糸井重里が一番バランスが取れている気が、当然、個人的に感じたりする。

 関連してというか、なんというか。私も42才の真宗寺院の住職なんだが、「こりゃ、戦争を煽った坊さんを他人事に出来んのぉ」と体感している。真面目だった当時の『高僧』という言い方は真宗ではしないが、まあ、有名な僧侶が、『教学者』と呼ばれる坊さんでさえ戦争を煽ったりしたのだが、それは時代に敏感であった、それだけ関係存在を生きてられて居られた、という事なんだろうが、今も変わらんと思ったりもする。身近な方々の死や、迫り来る危険。そういう中で真面目であり、優しいが故に、ではないのか?

 あ、吉本隆明『「反核」異論』
 10代後半から20代前半にかけてその辺の本を読みまくったので、恐らくその中に入っているんだろうが、当然、憶えていない。図書館で借りたのか、自分で買ったのかも憶えていない。自分で買ったとしても、引越過多なので当然売り払っている。
 なので、ネットで検索引用。

【平穏な日常生活のなかで脳卒中の後遺症に苦しむ人も、老衰による自然死も、「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者の後遺症や、その死とまったく同等であり、「世界の反核運動に立ちあがった民衆」も、そんなものにいっこう立ちあがらずに平穏な日常生活をその日その日なんとなくすごしている民衆も同等である、と。「反核運動に立ちあがった民衆に挑戦」するのが不当ならば、そんなものにいっこう立ちあがらないその日ぐらしの民衆に「挑戦」するのも不当なのだ。】

 この吉本隆明の不良性は好きだなぁ。

 田中好子さんが亡くなられた。
 先週木曜日に私は葬儀の仕事をしていた。

 『3.11』は国難であるらしい。辺見庸が同じ表現だったか違う表現だったかでボロクソに言って居たが。
 『国難』という言葉で個が奪われる。死が奪われる。生が奪われる。
 一人一人の生活者の苦悩、亡くなられた一人一人は、震災だろうが、老衰だろうが、癌だろうが、事故死だろうが、自殺だろうが、同じである。
 だが『犠牲者』と呼んでしまう。亡くなられた方や、遺族にとっては犠牲者も何もないのではないのか?大切な一人一人の命である。何か、その『犠牲者』という言葉、『震災の犠牲者』という言葉でもって、死をオブラートで包んでしまう様な危険性を感じる。

 数万人の犠牲者。国難。

 だが、『日本』を離れれば、スマトラ沖地震の『犠牲者』は桁が違う。
 ただ、今回「ただちに健康に害のない」という言葉と同じく「警察に届けられた」という言葉もある。最終的な『犠牲者』は解らない。解らないが、『犠牲者』の『数字』でもって国難、あるいは問題の大きさを語るのであれば、個が埋没してしまう。個に絞り込むが故に、「あ、」っと。ここにも、ここにも、ここにも、ここにも、こんなところにも、尊い人生を終えられた方が居ているのだ、と。

 吉本隆明が糸井重里と『ほぼ日刊イトイ新聞』で対談している情報を昼間にゲットしてチェックしておいた記事を読み直す。

 (http://www.1101.com/truth/2011-04-24.html

【私的なことを捨て、公に奉仕すべきだという、それを結局やられちゃった、ぼくらの戦後のいちばんの後悔はそれです。】(吉本)

【要するに、簡単に言えば、個人個人が自分が当面してる、いちばん大切なことを、いちばん大切として生きなさい、という、それだけのことですよ。
 公にどんなことがあろうと、なんだろうと、自分にとっていちばん大切だと思えることをやる、それだけです。】(吉本)

【やっと生身の人間が憧れられる存在になったかもしれない。これは悪いことばっかりじゃないぞと思います。立派な人って、まずいないわけです。
 これはテレビで見たんですが、被災地の避難場所にいて、孫にあげるための入学祝いが波に流されちゃったおばあさんが、孫に向かって「ごめんね」「必ず買ってあげるからね」って言ってました。その気持ちというのは、いわゆる「すごい人」には言えないことでしょう。あれを見本にできるということをみんなが思えるようになったというのは、すごい財産だと思うんです。】(糸井)

 糸井重里は上記対談でも親鸞に触れているが、ツイッターでも

【信号待ちをしている交差点。男、女、子ども、老人、あの問題に賛成の人、反対の人、よからぬことを考える人、ねぼけている人、軽薄な人、がんこな人、いじわるな人‥‥こうしたぜんぶを、まるごと救えなきゃダメなんだ、と、たぶん親鸞は思ったわけで。】

 等と書かれておられる。

 私自身がそうだから、つまり私の問題なので書くが、やはり、『3.11』や、原発事故に気を取られる。でも、さっき娘が泣いた。娘が泣いたのは別に『3.11』でも原発事故でもない。

 「え~。。。パパ、早く寝ろ。」なんだが、そんな事すらも言えない方が亡くなられた『3.11』
 
 大災害に囚われ『個』を忘却していた。
 津波での大災害の様子に囚われ過ぎていた。

 こころの時代での辺見庸の最後の詩が素晴らしかった。一人一人に対する言葉の大切さ。録画を見直してアップしたいのだが、パパは寝ます。

小さなわすれな草

2011年04月22日 | 坊主の家計簿
 葬儀が終わって控え室で着替えていたら、どこかで聞いた様な音楽。「あ、尾崎や」尾崎豊の曲名知らない曲がピアノだけバージョンのインストで流されていた。最後のお別れのBGM。
 斎場での勤行も終わっての休憩中に、なんとなく憶えていた歌詞『尾崎 忘れな草』で検索する。タイトルが『Forget-me-not』だと解ったので検索して歌詞発見。

  ♪君が教えてくれた 花の名前は
   街にうもれそうな 小さなわすれな草

 ついでに「合ってるかな?」と、YouTubeで調べる。
 合っていたので、そのまま還骨・初七日法要での法話で喋る。今回依頼葬儀は通夜でなく還骨・初七日法要後の法話なので。

 しっかし、家に帰らずに出先のiPhoneから「あれ、この曲なんやったっけ?」が歌詞まで調べられる、っちゅうのは、スンゲーのぉ。。。電気様様である。
 当然、iPhoneの電気だけでない。インターネット全体でどれだけの電力消費量なのか知らないし、かつ、iPhoneを作ったり、パソコン、ネットの維持なんぞ諸々の合計電力がどんなもんか知らないが、まあ、結構な量なんだろう。だいたい、携帯電話にしても、パソコンにしても、勿体ないけど『消耗品』になっている。ん?『消耗品』とはおかしいかな?でも、数年で買い替える人が多いのだろうし。作るのにも電力、リサイクルにも電力、捨てるにも電力である。

 で、20年前からパソコンもネットも携帯電話もあったのだろうが、今ほど普及してなかったわけであって、消費電力を抑えるのであれば、まあ、「私が生まれた時にはパソコンも携帯電話もなかった」という話になってしまう。そんな事を生業にしている人が電力削減を路線を歩むわけもなく、孫正義、再生可能な自然エネルギーである。

 http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110420/biz11042017470029-n1.htm

 ツイッターでなんか様子がおかしかったので、ソフトバンクの株を買おうかどうか迷っている中で、この発表である。「わちゃ!これで株価、ムッチャ上がるで」と、株を買う事を即断出来なかった私を「投機に向いてない」と昨夜思っていたのだが、今日、ソフトバンクの株価が上がっていない事を見て「やっぱり投機に向いてない」と。まあ、30数万(ソフトバンクの現在の株価)出して買った株が「あ、数日前より2万上がってる」とかでストレス感じるような人間なので、やっぱし投機には向いてないのぉ。。。
 と、いいつつ、やはり、気になる。

 だいたい、ソーラー発電が原発の代わりにはならない。ならないのだが、ソーラーとか風力、潮力なんぞならば『スマートグリッド』『スーパーグリッド』なんぞの謎のものが必要となって来る『みたい』だし、『みたい』とするぐらいにワケ解らんのだが、まあ、そういう事らしい。安定せえへんし。で、まあ、『スマートグリッド』『スーパーグリッド』なんぞの関連する電線整備に『光の道』をセットしたりなのかな?

 『少欲知足』の仏教徒。「少ない欲望で満足しなはれや」の仏教徒なんだが、私は仏教徒の中でも『真宗門徒』という、

 ♪わかっちゃいるけど辞められない

 の、真宗門徒なので、この生活を辞めれるとはナカナカ思えなかったりする。まあ、無かったら無かったなりでやって行かんとアカンのだが、これが、まあ(笑)
 やはり、今の生活に慣れている。慣れ切っている。
 欲望は煩悩であり、煩悩を肯定したら煩悩は煩悩でなくなる。なので、この大量の電力が必要な生活を『豊かな生活』と呼ぶ事には反対なんだが、今はその『豊かな生活』が当り前になって居たりする。

 タバコを禁煙出来る人はエライと純粋に思う。けど、医者から「あんた、タバコを吸い続けたら死にまっせ」ならば禁煙せざるを得ない。
 お酒が大好きな私も、酒の飲み過ぎで体調不良で、休肝日を作っている。

 当り前が当り前でなくなれば、辞めざるを得なくなる。

 原発の代わりになる安定したエネルギーって、まあ、メタンハイブレードぐらいなんだろう。
 ソーラーや、風力、潮力、地熱で原発の代わりになるとは私は思えん。そういう説もあるが、私には思えん。地熱はなんとかなりそうかな?日本は火山大国だし。
 その場合の危険性は知らん。メタンハイブレードの危険性も知らん。解らん。原発だって机上の論理では安全なのだ。

 今回の原発事故が実は原発の安全性を証明する事になるかも解らん。今回の原発事故でより一層の『安全な原発』が造られる事になるかも知れないし。「福島原発での事故を無駄にしてはならない。より一層の安全性を持った原発管理の方法」になるのかも知れないし。
 放射能被害も『安全デモ』通りになるかも解らん。
 解らんのだ。んなもんは。
 解らんのだが、今現在、原発事故を不安に感じておられる方が、実際に存在している。
 また、「ここから先は入っちゃダメ」に今日からなった。
 また、震災で行方不明の人を捜索出来ない事故になった。
 その事は事実である。

 だったら、もう、エエのと違うん?
 
 生身の人間は、不安だからパニックを起こしてしまうのだ。パニックを起こしているのだ。
 当然、パニックを起こしている人は「弱い人」である。『武士道とは死ぬ事と見つけたり』になれない人である。侍に、軍人になれない人である。

 不安を煽る事でより一層のストレスを感じさせると、同じ被曝量でも発ガン率は上昇する。また、その他の発ガン率も上昇する。その危険性があるので、不安を煽る事は好きではない。また、それが私の仕事だとは思わない。不安を煽る人が、っちゅうか、「原発事故で北半球が壊滅する」という意見もある。その意見を封じ込める国家の情報管理には徹底して反対する。

 たまたまコメント欄に一休禅師のアニメでの言葉が紹介されていたから関連して思うのだが

 「慌てない慌てない。一休み、一休み。」

 である。

 だが、実際に慌てふためいて、パニックになっている人も居ている。それが「反原発派の陰謀だ!」であっても、っちゅうか、陰謀でなくとも、政府発表で不安に感じて居られる方々が多く居ている。
 で、この不安は、どれだけ安全な原発を造ろうとも、きっと止む事はない。

 弱い人が多く居てるのだ。
 パニックを起こしてしまう人が居てるのだ。

 ♪時々僕は無理に君を 僕の形に
  はめてしまいそうになるけれど
  二人が育む 愛の名前は
  街にうもれそうな 小さなわすれな草


 

放射能汚染

2011年04月20日 | 坊主の家計簿
 せっせっせーの酔い酔い酔い♪
 という事で、学習会で外出だったので、久々(?)の外酒。外酒は内酒と比べて「帰らんとアカン」っちゅうのもあるし、飲酒量に比べて酔い度が低い。んが、当然、酔っているので、せっせっせーの酔い酔い酔い♪という事で。

 なんぞと書きつつ、仕上げの発泡酒、っちゅうか、AEONのトップバリューの激安バーリアルを飲もう。この1缶を飲んで寝よう。その間に諸々。
 
 飲酒の緊張感というのは元水商売の私にとっては仕事だったりする。酔うには酔うのだが、酔っぱらった後でも帳簿を付けなければならず、店の後片付けをしなければならず、ベロンベロンに酔えなかったりする。ベロンベロンに酔えないのだが、当然、シラフではない。

 昨日の夜&今日の昼過ぎワイドショーのトップニュースの事件(?)を観つつ、その事件とは直接関係がないのかも知れないが、なんか、今年は交通事故なんぞが増えそうな気がしている。
 大震災&原発事故。大震災も朝方の秋田の地震もそうなんだろうけど、もう、「プレート、引っ張られてまっせ」だったりする。&、やはり原発。

 ネットでもテレビでも、え~。。。この順番は私が情報に触れている時間を現しているのだろうが、まあ、色んな所で原発事故の話題。
 放射能。え~。。。意味不明。何やら、放射能、っちゅうのは、別に原発や原爆以外にも存在しているらしいのだが、よく解らん。私にはよく解らん。何やら、まあ、『御用学者』なんぞのレッテルを貼られたりするのだろうが、放射能と接する機会が多い人は別にして、やはり謎のものである。謎の恐れがある。
 これはヤクザだろうが、怪しい人だろうが、危険な人だろうが、なんだって同じなのかも知れない。実体を知っている人にとっては「いや、同じ人間でっせ。」なんだろうが、それ以外の恐怖心もあったりする。

 昨夜観た『映画 告白』では、エイズだった。エイズの血液が一つのキーワードになっていて、『エイズに感染した』と周囲から見なされているイジメられっ子が、イジメっ子にキスしたり、あるいは血液を塗ったりして、イジメから解放されるシーンなんぞがあったりした。私はエイズに関して詳しくないので、きっとエイズの血を塗られたりすると「うぎゃ!」になってしまうタイプなんだろう。
 でも、専門家なんぞは違ったりするのだろう。

 放射能というのも意味不明である。学者の中でも意見が別れている。私は『御用学者』だろうが、それ以外の説だろうが、話半分にしか聞いていない=直接的には『どうでもエエ』状態なんだが、放射能に慣れ親しんでいない、意味不明の事だけは確かであったりする。いや~、よう解らん。

 ただ、放射能でパニックを起こしている人は放射能に心を奪われている、というのは解る。どんだけ話題になっているのか?っちゅう話なんだが、これまもまあ、ネットが主な情報源だからなのかも知れないが。でも、まあ、そんな人が居てる事は確かである。『鼻血=放射能汚染』という事を真面目に心配して居られる方々も居ているわけなんだし。

 放射能汚染というのは「ただちに健康に害があるわけではない」。え~。。。今年の流行語大賞なのかな(笑)
 「ただちに」ってなんやねん?なんだが、まあ、実際に「ただちに」ではない。福島原発の最前線で居られる方は、「ただちに」に危険性がバンバンあるかも知れないが。

 で、その「ただちに」がやはり、学説が別れているわけであって、これまた、私には解らない。解らないし、別に専門家でもないし、放射能学者でもない。

 私の仕事は『坊さん』っちゅう呑気な仕事、え~。。。あえて『呑気な仕事』なんぞと言ったりするが、まあ、呑気な仕事である。「放射能は危険だ!」とか、「最悪の場合北半球が死滅する!」の人からすれば、呑気な仕事である。あ、当然、放射能被害の危険性を情報発信している坊さんも多く居ている。本山からも『いのちを奪う原発』なんぞも出ている。それも大事な仕事。でも、私はよう解らん。知らんし、詳しくない。まして、私は大阪在住なので、福島第一原発の放射能汚染からは結構、遠い。個人的に「北半球が壊滅する」なんぞは信じていない。あ、信じる人は信じればイイ。それだけの話だ。昨日も書いたが私は福島第一原発周辺が無法地帯になれば、私が独身であれば定住したい様な不謹慎な人間だ。確か、今は知らんがチェルノブイリの危険地帯にもややこしい連中が住みだしたらしい話を読んで、胸がときめくような不謹慎なヤツである。無法地帯、素晴らしい。。。という不謹慎なヤツである。

 あ、まあ、私は放射能汚染がどれだけ体に悪いのかは知らん。どれだけの数値になれば危険なのかは知らん。
 知らんが、その事で、まあ、私と同じく『知らん人』も含めて、あるいは、政府発表を信じない人も含めて、多くの人が放射能汚染で不安になっている事は知っている。鼻血しかり。

 え~。。。「せっせっせーの酔い酔い酔い♪」なので、ソースを拾って来るのが面倒なので、非常に、無茶苦茶、テキトーな話なんだが、喪の仕事をするかしないかによって事故率が変わる学説がある。それは『死』を引きずるかどうかの話。事故率が増えるという学者、まあ、これも仏教系の人達から多く講演で呼ばれているので『仏教系御用学者』なんぞと今日では呼ばれるのかも知れないが、某学者先生の説では、それを「祟り」と呼んで来たのではないですか?なんぞと。

 ここ数日、っちゅうか、まあ、私も原発の事が頭から離れなかったりする。大阪で住んでいる私一個人の話なんだが、それでも、やはり、睡眠時間は明らかに減っている。妙な興奮状態にあったりする。
 だから、交通事故率は高くなるのでは?と思ったりする。

 それも放射能汚染だろう。その『被曝』を最小限にする事も大事ではないのか?

ただおなじことなり

2011年04月19日 | 坊主の家計簿
 夜になってようやく娘の熱が下がる。この『突発性発疹』という病は医師の見立通りに月曜日に熱が下がって、下痢&発疹が2日ぐらい続くらしい。
 明日、休みなので飲みにでも行こうかと思ったんだが、まあ、さすがに(笑)明日は学習会なんだが、娘の具合次第やな。

 なので、DVD2本見る。

 1本目は『告白』
 2本目は『ジョニー・マッド・ドッグ』

 『告白』は親子愛の映画。まあ、サスペンスもんで、主人公の松たか子もエエ芝居してはったのだが、橋本愛とかいう娘さんがキラキラしてはった。
 私も子どもが殺されたら、きっとああいう風になるのだろうが、っちゅうか、あそこまで頭が良くないので、きっと単純に片っ端から殺しまくる、止めるやつも殺す、なんぞの状況になるのだろう。考えるだに。

 『ジョニー・マッド・ドッグ』働き者の子どもの話。但し、働き先は戦場で人を殺す事。

 で、眼が疲れています。

 娘とママが寝るまでは、主にツイッター。
 週刊金曜日の呟きで

【今発売している特集「原発文化人の罪」に対して、読者のみなさんから、この人物もとりあげてくれというメールや、ハガキなどを多くの反響をいただいています。ありがとうございます。しかしながら「罪を憎んで、人を憎まず」でいきましょう。(編集長)】(http://twitter.com/syukan_kinyobi

 なんぞと書いてあって、「おい、だったら名前を表紙にするな」と苦笑する。けど、まあ、やってもうたもんはしゃーないし、上記コメントからは「もう二度としません」みたいなニュアンスもあるので、まあ、エエ。どうせ買えへんし。

 同じツイッターを眺めて、ついでに諸々調べてたら、

【いやいや。ソフトバンクとして、電力事業そのものに乗り出すことは考えていませんよ。
 あくまでも、インターネット上のビジネス(サービス)に軸足を置いていますので、 たとえばスマートグリッド(通信の技術を使って電力の需要と供給を効率化させようと いう考え方)のようなものであれば、なにかできるかもしれませんが。 】(孫正義http://unkar.org/r/bizplus/1263555542より)

 らしい。
 また、今年の4月16日号の週刊ダイヤモンドでは『特集 電力喪失』で

【電力供給の歴史と現状認識、世界各国との比較もあり、非常に分かりやすい. 一番気に入った記事は第3章のスマートコミュニティ後進国・日本。今まで電力が安定していたがゆえに進まなかったスマートグリッドが一気に普及する可能性があるということ.節電に効果があるのは間違いないと思う.】(http://booklog.jp/users/yos173/archives/B004UBC7P6より)

 らしい。

 え~。。。孫正義が狙っているのはこれなのか?かなりのビックビジネスらしいし。
 ソフトバンクの株価は緩やかな上昇だし、『スマートグリッド』という謎のもんは、脱原発の自然エネルギーなり、もしくは新型原発なんぞと合わせて使うとエエ感じでもあるみたいだし。電気の配線は『光の道』にとってもメリットがあるだろうし、これなのかな?で、株価、上がるかな?

 と、まあ、変わらずゼニ金の話なんだが。
 
 で、



【原発被災世帯に100万円から75万円仮払補償

 東京電力は福島第一原発事故により避難生活を余儀なくされている被災者に対し、避難による損害への充当を前提として仮払補償金を速やかに支払うと15日、発表した。

 今回、対象となる被災者は原発事故により避難区域(第一原発から20km圏内、第二原発から10km圏内)や屋内退避が指示された地域(第一原発から20km以上30km圏内)などに住んでいる人たちで、1世帯あたり100万円。単身世帯については75万円を支払う。また、計画的避難区域の住民らについてもその対象として対応していく意向。

 東京電力は該当する市町村と調整を行い、避難所などで説明を行うとともに申請書類を配布。準備が整い次第、仮払補償金の支払いを開始したいとしている。また、今月中に補償専用相談窓口として「福島原子力補償相談室」を開設する。

 枝野幸男官房長官はゴールデンウイーク前にも被災者の手元に現金が届くことを期待している。】(http://www.zaikei.co.jp/article/20110418/70882.html


 という事らしい。
 ちょっと、少なくないか?
 一世帯といっても大家族から2人まであるわけなんだし、また、単身者であっても75万円。
 実質、家が残っていても諸々の生活用品が持ち出せない状況なんだし、単身者75万であっても「あんた、これでこれからしばらく生活してなはれ」なら、定職がそのままあったのなら75万でなんとかなるかも知れないが、6ヶ月から9ヶ月ぐらいは戻れない状況で、仕事もなく、着の身着のままでの75万。ちょっとキツいぞ。新たな収入がなく、目減りして行く生活費、っちゅうのはキツいぞ。これが10倍だったら精神的余裕も出てくるだろうが、貯金額がそれぞれどれくらいあるのか知らないが、ゼロの場合ならば、本当に、これで当面やって行かないといけない。生活保護とセットならば、純粋に新生活の準備金にはなるのだろうが、ちょっとキツいぞ。被曝の危険性も不安に感じられているだろうし、それプラスの生活の不安があって、75万から100万を生活費として切り崩して行くのはキツいぞ。当然、「無いよりはマシ」なんだろうが、もうちょっと出したれよな。10倍の仮払は多すぎても、5倍なら1年間の生活費にはなる。半年なり9ヶ月なんぞと発表されている期間の生活費にはなる。それぐらいは、まず仮払いで補償すべきだろう。

 最終的な補償は、まあ、きっと裁判になるだろう。

 20キロ圏内の捜索が始まったのはつい最近。少し前に見たクローズアップ現代では浪江町の担当者が激怒して捜索出来ない事に激怒して居られたが、当り前だ。
 また、今年のお盆はどうなるのだ?お盆に墓参りに行きたくとも行けない。あえて、震災と別けるが、原発被害だけに特化するが、その裁判で直接的な被曝だけでなく、精神的な『被曝の恐れ』や、身内を探す事が原発事故で封じ込められた精神的苦痛や、故郷を離れざるを得ない事、墓参りに行けない事、なんぞの精神的苦痛に対する判決がどうなるのか、裁判官がどこまで原発の被害を認めるのかにも注目したい。
 また、首都圏での原発に対するストレスの被害。「水は赤ちゃんに飲ませないで下さい」を筆頭とする精神的被害に対する賠償にも注目したい。
 原発事故の被害に対して、どこまで裁判所が判断を下すのかを注目したい。
「いや、あんたら被曝してないやん。数値は国から発表してましたやん。で、安全、って言ってましたやん。不安になるのはあんたらの勝手でんがな。そんな弱さまで電力会社や国の責任にされたらかなわんなぁ。。。」
 でなく、原発事故の精神的苦痛から来るストレスも評価されないと。
 これが評価されると、次は『事故を起こした際の不安から来るストレス』で勝てる可能性も出てくるのだろうし。

 昔、っちゅうか、20才の時に、非常にうっとうしい反原発運動家のネエちゃんが居てて、無茶苦茶うっとうしい、『反原発カルト』みたいなネエちゃんで、そのネエちゃんが「原発に対する恐れは子どもが出来んと解らん」なんぞと個人的経験を全体に拡大しやがったから増々うっとうしさが増したのだが、いや、やっぱり、乳幼児を持つ父親として弱っちい娘を持つと、その時のネエちゃんの気持ちが今になって多少解る気がする。それは私自身は福島原発周辺が無法地帯になったならば、私が単身者ならば「そこに住みてぇ!」という不謹慎なヤツなんだが、娘を連れてはよう行かん。刺激溢れる街は大好きだけど、そこに娘を連れてよう行かん。
 けど、今回の原発事故の被害がどこまで広がるのかは知らん。誰にも解らない。解らないのだが、現状で不安に脅かされている人が原発魔女狩りに賛同するのだろう。これが身体的な被曝になれば尚更の事。
 けど、暴力の連鎖には賛同出来ない。
 「あいつは原発を推進した」の魔女狩りには賛同出来ない。
 また、魔女狩りの魔女狩りの魔女狩りの。。。と延々と続く連鎖にも賛同出来ない。

【また、「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるものも、野やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがらも、あきないをもし、田畠をつくりてすぐるひとも、ただおなじことなり」と。「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」とこそ、聖人はおおせそうらいしに、当時は後世者ぶりしてよからんものばかり念仏もうすべきように、あるいは道場にはりぶみをして、なむなむのことしたらんものをば、道場へいるべからず、なんどということ、ひとえに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。】(歎異抄より)

 の中に、今は『東京電力』を入れるべきだ。

大人は汚い2『原発事故とビジネスチャンス』

2011年04月18日 | 坊主の家計簿
 深夜になり、寝酒のネットタイム。パソコンスイッチONで、ネットを立ち上げる。
 以前のプロバイザーがniftyだったので、いまだに『面倒』という理由でniftyのメールも使っている。月額コストが250円ぐらいだったかな?一年にすると一回ミナミに飲みに行ける金額になるので、そろそろ契約解除せなアカンな。で、niftyのサイトを立ち上げたら、トップ画面の注目ニュースに『性経験ない女子大生が風俗業』というのがあった。「え?早い」と思った。まだ避難所に居れると思うし、だから、まだ早い。でも、そういう人も生活の為に出てくるのかも知れない。東北には昔から、悲しいけど『よくあった』話なのかも知れないけど、でも、まだ早い。ドキドキしながらクイックすると違う話だったので、なんか「ほっと」するのだが、まあ。

 今日は御仕事バタバタと。でも、空き時間の休憩時間も結構あったので、昨日、寝る前に知った週刊金曜日の『魔女狩り』についての情報を集める。面倒というか、イヤというか、まあ、見るのもイヤなので、ネット検索で『週刊金曜日』を調べて、週刊金曜日の表紙を見ればイイ。「え?これって本当に週刊金曜日なの?」という表紙が眼に入る。『電力会社が利用した文化人』の名前が出てくる。
 繰り返しになるが、週刊金曜日である。週刊金曜日というのは人権を大事にする雑誌だと思っていたし、創刊からしばらくは購入していた。金が無くて辞めたが。
 名前を出す必要性を感じない。全く感じない。ツイッターでは「名前を晒されて当然ではないか?」などという意見もあったが、多くは名前を晒した事に対して批判的であり、一安心。あんなもんは魔女狩り以外のなにものでもない。だいたい、原子力で作られた電力で生活しているのは誰なのだ?原子力の恩恵を得ているのは誰なのだ?「いや、私は反対している」はあ?気でも狂っているのか?それこそ、「この国から出て行きやがれ!」の話だ。共犯ではないのか?悪いのは原子力を推進して来た人達や、そこから金銭的な恩恵を得た事がある人だけなのか?恩恵なら、それこそ「私は原子力に反対なので電気は使いません」の人であっても、原子力の電力で作られた製品や、原子力の電力で生活している人との一切の交わりを絶ってからぬかせ、んなもんは。
 「悪いのは、こいつらだ!」で、自分達は「罪のない被害者」というのは吐き気がする。しかも、それを週刊金曜日がやりやがった。テメー等の人権意識って、どんな事になっているんだ?どんな脳味噌しとるねん。
 
 週刊金曜日に関わっている人と、定期購読をしている人の名簿と顔写真をアップして「こいつ等は魔女狩りをする悪魔です。悪魔なので殺すしかありません」なんぞという運動でもすれば気が付くのか?こっちが悪魔になるからやらんが。

【「俺の体は悪魔になった・・・だが人間の心は失わなかった! きさまらは人間の体を持ちながら悪魔に! 悪魔になったんだぞ! これが! これが! 俺が身を捨てて守ろうとした人間の正体か! 地獄へ落ちろ 人間ども!」】

 なんぞというセリフが漫画『デビルマン』にあるらしいが、こっちまで悪魔になる必要はない。

 原子力に関わっている人を悪魔にする→その人達を悪魔にする→その人達を悪魔にする。以下延々と続く連鎖をする必要はない。ただ、アホらしく、哀しいだけの話であり、もっと哀しいのは、悪魔狩りをしている人達が、その事を「当り前だ」としている事。これは女性解放運動で大峰山に無理矢理登って、現地の女性を「洗脳されている」みたいな言い方をする人権侵害の連鎖と全く変わらん。
 正義は怖いのだ、危ないのだ。

 まあ、週刊金曜日は昨年度約7000万円の赤字らしく、で、魔女狩り号は売れまくっているらしい。まあ、悪魔に魂を売り渡して金儲けせざるを得ない状況にあるのかも知れないし、まあ、私も同じである。
 ただ、筑紫が生きてりゃ、こんな事にはならなかったと、暴力の連鎖を問題にしていた筑紫が生きてりゃ、記者クラブマスコミ、というか、テレビキャスターでもあった筑紫が生きてりゃ、こんな事にはならなかったと。ちと、残念。残念なんだが、死んだもんはしやーない。生きてないし、生きていたとしても止められたかどうかは知らないし、一緒になって魔女狩りをやっていたのかも知れない。

 当然、私も『週刊金曜日の罪を告発する』と魔女狩りをやっているわけだ。そういう部分では週刊金曜日と同じである。

 週刊金曜日は経営難なんだろう。今も広告収入を得てないのかな?最近は知らん。
 
 ネット上では、この電力関係の広告収入があるから「大手マスコミは原発批判を出来ない」なんぞとあったが、もんじゅだろうが、過去の原発事故の時のニュースはどうだったのだ?それこそ筑紫のニュース23とかはどうだったのだ?憶えていないが、やらなかった事はあり得んだろう、んなもんわ。テレビにしても新聞にしても。それこそチェルノブイリの時のマスコミ報道はどうだったのだ?当時の新聞や、原発事故の新聞記事を丁寧に調べて、今回の『御用学者』だとか『記者クラブマスコミは原子力に批判出来ない』という事を照らし合わせて、『原発事故に於けるパニックの一例』として大学の卒業論文ぐらい書けるのではないか?

 パニックといえば、孫正義である。ネット上でパニックを煽っている1人である。上杉隆氏と並んで孫正義がパニックを煽っている。その他の人も居てるが、まあ、この2人か。
 ただ、上杉隆は元からのライフワークである記者クラブの閉鎖性の告発している&小沢政権樹立の為の仕事なんだろうし、同時に本人の仕事の問題がある。フリーのライターなんぞ過激な事を書いて注目されて金になる(売れる)部分も多々あるのだろうし。まあ、勝谷みたいなもんなんだろう。

 で、孫正義である。
 この日本一の金持ちが考えている事がイマイチ解らん。まあ、そこまで調べていないのだが、個人的に「ソフトバンクの株を買うか、どうか?」というのもある。
 孫正義は坂本龍馬が好きらしい。ツイッターで龍馬伝の時に吠えてたし。坂本龍馬が好きな孫正義ならば、この大災害の動乱をビジネスチャンスにしないわけがない。言い方を変えると、ビジネスでもって自己実現や、社会貢献をしないわけがない。単なる金持ちの道楽ではなく、ビジネスチャンスにしてこその孫正義だと思う。
 被災地の復興にも膨大な金がかかる=ビジネスチャンスでもあるが、原発事故もそうである。
 あ、原発は停止しても膨大な金がかかる。福島第一原発だけに関していえば、以前よりも遥かに高額の金がかかる。ただ、これは今までの利権があるから入り込む事は出来ないだろう。ビジネスチャンスには成り得ないだろう。
 ただ、現状の原子力発電の危険性はビジネスチャンスである。

 ネットも、携帯も、電力がなければどうしようもない。かつ、20年前には多くの人がやってなかった。要するに、これもまあ諸説あるが、電力不足で「昔の生活に戻ればエエだけやん」ならば、ソフトバンクは潰れる。大きな会社が潰れると多くの人が路頭に迷う。大企業の社長としてそんな事は出来ないだろう。
 ならば代わりのエネルギーが必要になる。今更、京都議定書や、その後の鳩山総理の「CO2、バリバリ減らしまっせ」を無視して火力発電をバンバン使うわけにも行かない。それこそ「すんまへん。CO2の被害って嘘でしてん」なんぞと言えるわけがない。現状ある原発に代わり得る安定供給出来るエネルギーが求められているわけなんだから、これはビックなビジネスチャンスである。
 それが、ビルゲイツの新型原発なのか、メタンハイブレードなのかは解らん。燃料電池なのか、安定供給には成り得ないので原発の代わりに成り得ないが金にはなる自然エネルギーなのかは解らないが、ビジネスチャンスである。その為には、現状の原発の危険性を煽り立てる事は立派な仕事である。
 う~ん。。。株、どうしようかなぁ。。。

 
 週刊金曜日は広告収入がない分だけ、刺激を売り物にする、つまり、有料メルマガみたいな方針になったのかも知れない。発行部数の変化は知らないが、右傾化して来ている中で週刊金曜日の発行部数が上昇しているとは思えないし。

 ちなみにソフトバンクの広告費がナンボか知らんが、あれだけのテレビCMを打っているのだから、広告費も膨大な額なんだろう。あるいは、楽天がTBSを狙った様に、ソフトバンクがどこかのテレビ局を狙うかも知れない。
 すると、テレビで『週刊金曜日』という番組が出来るかも知れない(笑)

 まあ、今は白戸家の人達が光の道でなく、脱原発キャンペーンでもやる事を期待するのだが。
 この影響はデカイぞ。白戸家の皆様が「あなたは今後のエネルギーに対して『A案 現状の原発を廃止して新しいエネルギー』『B案 現状のまま原発に頼る』ソフトバンクはA案です」なんぞとやればデカイぞ。白戸家の皆さんが反原発のデモに参加するよりもデカイぞ。

 
 今日から放映開始の『(新)JIN-仁』。
 過去に戻る事は出来ないが、未来を創造する事は出来る。
 過去に現状の原発に反対する『日本一の大金持ち』は居なかったが、今は、日本一の大金持ちが現状の原発に対して反対であるらしい。これはデカイ。
 テレビドラマ『JIN-仁』の主人公のスポンサーはヤマサ醤油らしいが、現状の原発に反対しているのが日本一の大金持ちである。これをどういうビジネスチャンス、それこそ、『坂本龍馬はグラバーの手先だった』という説があるぐらいに、まあ、武器商人の援助があったからこそ出来た明治維新という側面もあるわけであって、現状の原発に、今後の新しい原発に対して孫正義がどういう考えをしているのか知らないし、また、現状の原発に反対している孫正義だからこそ「この新しい原発は絶対に安全です」なんぞとやりだすのか知らないが、そんなもんは後の話であって、孫正義のビジネスチャンスだろうが、今後の新しい原発をビジネスチャンスにしているのかどうかなんぞはひとまず置いといて、現状の原発を停める為に日本一の大金持ちの影響はデカイ。

 
 あ、ちなみに癌とストレスの関係もささやかれているので、原発事故の最悪の危険性を真に受ける事で生じるストレスでの発ガン率も研究論文の対象になるのでは?なんぞと思ったりする。

大人は汚い

2011年04月17日 | 坊主の家計簿
 昨日の午後、「バイトの面接に行って来るわ」と出かけていったママから電話。何やら娘が保育園で高熱出して寝ているらしく、自転車では無理やから車で迎えに来い、との事。「お前に命令される筋合いはない!」なんだが、え~。。。言い方もソフトだったし、なんせ娘の事なので車で保育園に。
 迎えに行くと娘は起きてたのだが、顔が真っ赤。「ぅ。パパに内緒でママと2人でお酒飲んでたんだな?」なんぞという事はなく、熱で顔が真っ赤。ついでにグッタリ。
 帰宅して、昼飯まだだった私はお腹も空いた事だし、ママの自転車が保育園に置きっぱなしなので、自転車と取りに行くついでというか、まあ、自転車を取りに行くのと昼飯食べに行くのと、ついでに帰りにお買い物でもして来ようと出かける。
 保育園までは歩くと20分以上かかる。なんせ近所の保育園がダメだったので、少し遠方の保育園。小雨の中、てくてく歩いていると駅前のツタヤがレンタル100円セール中。会員カードを昨年夏に紛失してから新しいカードを作ってなかったのだが、丁度運転免許を持っていたので新しいカードを作って、諸々物色して5本借りる。
 そのまま保育園に向かってテクテクと。狙っていたソバ屋の昼間の営業時間が終わってしまったけど、その近くにあったソバ屋で無茶苦茶遅い昼食。そこそこの味でそこそこの値段。町内にあるとそこそこ利用しそうなそこそこソバ屋。ミニカツ丼もそこそこだったし、昆布ソバもそこそこ。値段も600円とそこそこ。「町内の人にだけ愛されてまっせ」みたいな感じでエエ感じ。少し遠方なのでわざわざ行く程の味ではないし、特に求めたい味でもない。ホンマ、そこそこ。
 保育園到着。ママの自転車は電動アシスト付きのやつ。娘用の椅子が前についてあって、風防、っちゅか、雨除けもある。娘用に娘椅子の所にカエルのキャラもついている。丸坊主の中年が乗るには少々危険な、警察から職務質問されても文句言えないような少々危険な組み合わせである。かつ、前に娘椅子がついてあるので、大股開いてでないと自転車をこげない。中学生の粋った兄ちゃんみたいな感じで大股開いて乗らないと乗れない。思わず気分は中学生の粋った兄ちゃんになってしまったのだが、乗っている自転車が自転車なので、危険度がより一層増えた。あの状態ならベンツに乗ったヤクザと接触して、中から降りて来たチンピラが「何しとるんじゃ!」と突っかかられても、後から出て来たヤクザは「辞めとけ。こいつ危ない」と言われるぐらいの危険具合ではなかろうか。小雨も降っていたし「ゲロゲロ」と言いながら舌を出してピョンピョン飛び跳ねると、きっと逃げて行くぐらいの危険具合だっただろう。

 そういえば、ツイッターでは書いたのだが、先日、え~。。。とりあえず地震があって、原発に危険も盛り上がって来たぐらいの時に、道に座ってブツブツ言っている人が居た。何をブツブツ言ってたのか知らないが「世界は終わりや!」と言いながら走って追いかけて来た。こっちは自転車だったので焦って逃げたのだが、いや~、怖かった。怖かったのだが、後で考えると、ゆっくり話を聞いてみても良かったのではないかと思ったりもするのだが、え~。。。純粋に怖かった(笑)

 さて、世界は終わりらしい。何やら娘の高熱の原因は医師の判断曰く『突発性発疹』と云うらしいが、あの医師は『御用医者』だ。きっと母校の医大には原子力産業から研究費名目で高額の寄附がされており、放射能が原因の高熱である事を公に出来ないのだ。。。(笑)っちゅうか、こういう事を真面目に考えておられる方も居てるから、世の中は楽しい。

 で、世界は終わりらしい。何やら北半球が放射能汚染で大変な事になるらしい。それこそ東京電力に対して「頭に北半球!!!」と小林よしのり『おぼっちゃまくん』のギャグのイラストを持って東京電力前でデモ行進しなければならないんだろうが、そんな気はない。

 で、世界は終わりらしい。その意識の少ない私は昨夜、娘とママが寝た後に『2012』という映画と『ハルマゲドン』という映画を観る。終末論映画を連続して夜中に2本も観ると、結構、来るぞ。
 
 『2012』は、映像がスゲー。それだけ。あ、唯一、人類滅亡、っちゅうか、選ばれたエリート集団が種を残す為に箱船に乗り込むのだが、その中で、死して行く人達(厳密には見殺して行く人達)が『生きていた証』として一冊の本を取り上げる。無名の作家の無名の小説。でも、その本を読んだ人が箱船に乗っていて、「その人は死んだが(映画的には生き残ったりする)それでも、その小説を読んだ私は生き残っている。」なんぞというセリフだけが「お!」だったのだが、後は別にどうでもエエ。タイタニックだろうが、なんだろうが、ハリウッドなのか?よくある映画の、よくあるパターン。ただ、映像は素晴らしかった。

 『ハルマゲドン』はフランスか何かの映画なのかな?とりあえず金がない。もう、冒頭の映像の安っぽさに笑ってしまう程。なんせ、空撮する予算がなかったのかなんなのか知らないが、街の様子を撮影するシーンがプラモデルだった(笑)「ウルトラマンか!」である。最近のウルトラマンは観てないから知らないが、ひょっとすると最近のウルトラマンの方が、余程金をかけているのかも知れない。
 ただ、ラストシーンの緊張感は『2012』より上。おススメ映画ではないのでネタバレするが、ラストシーンで2人の学者、人類滅亡の発端になる研究、まあ、最近の御時世でいうのならば、原発理論を作った2人の学者の意見対立が起こる。2人は親友。主人公は『危ないから即時停めるべきだ派』であり、主人公の親友は『停めると地球は破滅してしまう派』である。危機は迫って来ている。そういう状況の中で主人公は決断を迫られる。主人公の周囲は「あんなヤツのいう事を信じるのか?」である。『あんなやつ』と呼ばれた親友を唯一信じているのが主人公だったのだが、最終決断を迫られた時に、主人公は親友の意見ではなく、自分や自分の周囲の意見を取り入れて人類滅亡、っちゅうか、地球爆発、映画、そのまま終わり。
 ネットで調べると、もう、無茶苦茶評判が悪い映画なんだが、まあ、聖書を愛読している文化圏の人にとっては深い意味があったりするのかも知れない。

 「原発は危ない!」って、そら、危ないやろ。危険やろ。
 「いっしょにすんな!」という話もあるのだろうが、私的には同じなので一緒にするが、『危険な人』だって危ない。「あんな危険な人を町内に置いとくわけには行かない」というのと、今回の原発事故となんか重なる。
 もっというと、北朝鮮。「北朝鮮は危ない!」って、そら危ないのかも知れんが、その危なさはどんなもんやねん。「中国は危ない!」でも。「だから憲法を改正しなければならない!」とか。不安に突き動かされた「危険だ!」は災害を拡大して行く。

 原発事故の危険具合や、また、今ある原発の危険具合もそれぞれなんだろう。今日のツイッターの話題では何やら浜岡原発に関わっていた人が浜岡原発の危険性をアピールしてはったらしいが、危険なのは危険なんだろう。だから、即時停止すればイイ。ただ、停止しても、原発が危険な事に代わりはない。東海大地震が直撃すれば停止した状態の浜岡原発でも危ない。今回のフクシマでも静止棒は入ったのではなかったっけ?入っても危ないし、だいたい使用済みの燃料棒はどうなってるねん(笑)あの、要塞みたいな建物が吹っ飛ぶぐらいの爆発力でプールにあった燃料棒は無事だったのか?設計図のイラストだと結構上の方に安置してあったと思うのだが、あのプールは大丈夫なのか?まあ、よう知らんが。
 まあ、停止した原発は、多少の危険は回避出来るのだろうし、それは大事なので、即刻停止すべきだ。
 だが、停止したからといって「これで安心」というわけではない。

 即刻なのか、見た時には見れなかったから、削除されたのかどうなのか知らないが、テロに似た計画もあったぞ。素人に原発が停めれるのか?原発に突入して原発が停めれるとは思えん。
 これはとある恩師が語っていた事なんだが、「伝統教団の解体は原発と同じでプロの手によってでないと解体出来ない」と。そりゃ、そうだ。個人的意見を付け加えるのならば、日本は原発行政をやって来たわけだ。
 日本に原発はなかった。当り前の事なんだが。でも、今は原発が出来ている。無いものを作るには、様々な努力が居る。当然、政治、選挙も入る。原発受け入れ反対派と、原発受け入れ賛成派の選挙。で、日本の原発行政。正しいだの間違っているだの関係なく、現状として原発はあり、原発に関わる利権や、票もあり、それで選ばれた議員や市長なんぞが居ている。「原発はあってはイケナイものだ!」なんだが、だったら、原発を推進して来た人と同じぐらいの努力と根気が必要だと思ったりするのだが。
 
 利権でいうと大阪では『利権』なんぞというものがある。利権は確かに問題だったのだろうが、その風評被害で解放同盟=悪の組織みたいな感じで書かれているものもある。当然、全面肯定もしない。解放同盟だって生身の人間がやっている組織だ。だからと云って、日本の人権運動をリードして来たのは解放同盟でもあった。まあ、別に人権運動だけじゃなく、脱原発の運動でもなんだろうが。原発ジプシーは人権問題だし。

 「原発は、こうこう、こういう理由でもって安全なのです」という事が、『安全デマ』ならば、危険を煽り立てるのも同じくデマである。
 近所の『危険人物』が暴れだした時に「私はずっと危ないと言って来たやんか!」としても、そんなものはタマタマでしかなく、その人が言っている事の全てが『正しい』というわけでもない。

 政府や『御用学者』、記者クラブマスコミが言っている事を信じられないからといって、その逆の意見、例えば反原発運動家や、記者クラブ以外のマスコミ、ネットでの情報が正しいわけでもない。それは正しさの証明にはならない。
 政府や『御用学者』、記者クラブマスコミを伝統教団に言い換えると、その反対の『いわゆる新興宗教』の教えが決して正しいわけではない。それは正しさの証明にはならない。
 ただ、いわゆる『カルト』と呼ばれる教団の中で「他の教えは悪魔の教えだ。だから信じたらイケナイ」みたいな事をいう教団もあるらしい。洗脳の手法で情報のシャットアウトもあるわけなんだし。

 自己責任。ああ、この言葉を出すだけでアレルギーを感じる人が多く居ているのだろうが、だったら尚更使う自己責任。
 どうも、政府や『御用学者』や記者クラブマスコミに対する批判の中で、「今まで信じて来たのに」というのも感じる意見が多々ある。『公』として流す情報の批判でなく、「今まで信じて来たのに」である。
 その反動が「世界はフリーメーソンに支配されていたのだ」なんぞと。ん?これは冗談が過ぎるので辞めとこ。
 「政府に騙された!」は政府に依存していたわけだ。だからといってその反対の意見が正しいわけでもない。それに依存するなら、また「騙された!」である。そういう「騙された!」の連続なのかも知れないが、自分の人生のケツを拭くのは自分でしかなく、騙されようがなんだろうが、「これが私の人生だった」と、まあ、『安全デマ』で放射能で死のうが、『煽りデマ』でストレスから来る病気で死のうが、最終的にケツを拭くのは自己責任なんだろうし、どんな情報を信じようが好き勝手。ただ、他の情報、あえて『宗教』と呼ぶが、信仰は自由である。何を信じようが、自由である。

 なにやら、『御用学者』だけでなく、『御用市民』なんぞの言葉も出来たらしい。

 映画『2012』にも出て来たし『ハルマゲドン』にも出て来てたかな?こういう状況には宗教が流行る。その宗教は『宗教』の顔をしてなくとも、現状、流行っている。『宗教』という名前で呼ぶ方が理解し易い事がおこっている。
 江頭はちょっと置いといて、

 http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/sech-20110411-20110411_00024/1.htm

 http://tv.jp.msn.com/columns/column.aspx?articleid=559309

 どちらも、異教徒にとっては理解不明の幻想なんだが。。。ジャンヌダルクって(笑)

 ツイッターにも書いたが、今後、山本太郎が芸能界から干されたならば、それは原発反対を表明したからではなく、芸能界に対する偏見を生み出したからだと思うのだが。。。まあ、芸能界は『汚い世界』なので、きっとそれを金にして売り出そうとするだろうが。


 

安全デマ

2011年04月15日 | 坊主の家計簿
 久々の徒歩で行ける公民館での葬儀。久々だったのだが、まあ、勝手知ったる、といっても何度かしか使っていないのだが、私の控え室でもある広間は、遺族控え室でもある。控え室に入って袈裟の準備をしたりなんじゃかんじゃと。これは最初に居た寺の住職さんから「控え室に入ったら真っ先に袈裟の準備をしろ」と。まあ、挨拶やらなんじゃかんじゃで時間も取られるし。なので、袈裟の準備をしたりなんじゃかんじゃの準備。
 遺族の親戚に当たるのかどうか知らないが数名の人達が「トイレに行きたい」と。式場に使う所にもトイレがあるのだが、満員らしい。で、遺族に対する説明が始まるらしい。「ここにもありますよ」と、トイレ案内。広間の横にもあるのだが、まあ、解らん場所にある。「あら、おじゅさんにトイレを案内して貰ったわ」と喜ばれて嬉しい私。

 徒歩圏内の、かつ、こういう括りはどうかと思うのだが『寺の門徒さん』所の葬儀でもあるので、多少は気が楽。やはり他から依頼される葬儀は、「依頼して来た人の顔を潰したらアカン」という緊張感が加味される。その分だけしんどい。

 とはいえ、やはり葬儀は緊張するものであって、終わるとお疲れモード。
 なのでツイッターをツラツラ眺める。って、何時もと同じか。。。っちゅうか、今晩は娘と遊んでた時間が多かったので、何時もより少なかったか。
 
 何やら、鼻血らしい。東京で放射能の影響で鼻血を出している方が出て来ているという情報があった。

 私は鼻血をよく出す。
 このブログでも、さっきブログ内検索で『鼻血』と打ち込むと、結構出て来た。主に疲れている時に出てたので、しかも、結構大量に出たりするのでブログにも書いたりしていたのだろう。
 また、先日も鼻血が出たりしたんだが、その数日後やったかな?に、テレビをボケーっと見てたら「肝臓が弱ってても鼻血が出ます」と医師。「ひぇ~」である。肝臓が弱る覚えは沢山ある。無茶苦茶多くある。最近、加齢のせいか体が弱って来ていて、さすがに365日毎日飲める状態ではなくなって来て、ようやく休肝日なんぞも作るようになったのだが、若い頃から飲み屋をやったり、っちゅうか、飲み屋のマスターじゃなくとも酒は放っといても大量に飲んでいたのだが、まあ、ここは無難に肝臓労働の水商売のせいにしたい所なんだが、まあ、大量飲酒を心がけていたので、『肝臓=鼻血』の心当たりは多々ある。ネットで調べてみると、その他、白血球が少ない(私も15年ぐらい前の検査では少なかった)とか、ストレスとか、まあ、色んな原因があるらしい。

 で、『放射能=鼻血』である。
 この情報の信憑性はよく解らない。よく解らないので一概に『デマ』とは言えない。デマとは言えないが、ストレスでも鼻血は出る。それこそ、『ストレス 鼻血』と検索すると幾らでも出てくる。

 東京都民はストレス満タンであろう。

 今日もたまたまツイッターを眺めていたら宗教学者の上田紀行氏(http://twitter.com/uedanoriyuki)がこんな事を呟いていた。
 無断引用。

【久しぶりのオーケストラコンサート。冒頭の追悼のバッハのG線上のアリアに思わず落涙。地震以来、美や華やぎとは無縁だった。震災の動向をTV、新聞、雑誌、ウェブで追う日々。毎週毎週、新聞への執筆が続き、常に震災のことを考えていた。ボディーブローのようにパンチが効いていたのだと実感した。】

【言論に関わるものとして、こういう状況だからこそ、逃げずに発信を自分に課してきた。しかし、対象から距離を取って知的に書くスタイルではなくて、共感から入っていくタイプなので、知らぬうちに状況と共振してしまっていたのだと思う。】

【そして、地震の日から繰り返された津波の映像も無意識に蓄積して、ボディーブローになっていることに気づく。これは決してぼくだけのことではないだろう。心身のどこかに少なからず変調をきたしている人も多いはず。】

 上田紀行氏がどこに住んでいるのか知らないが、確か幼い子どもを批難(疎開?)させたとツイッターで書かれていたので首都圏かも知れない。

 首都圏は、大阪からすると立派な被災地である。余震が続き、原発の問題に対する危機感が大阪とは全く違う。大阪で「水道水を赤ちゃんに飲ませないで下さい」などという政府発表などない。余震も、余程敏感な人でないと感じれない。
 ましてや、関東大震災に対する危機感が増々増えて来た。

 ついでだが、「政府の対応が遅い。阪神大震災の時には。。。」などという意味不明の方が居てるが、阪神大震災とは規模が全く違う。また、原発事故も無かった。『原発事故』『大震災』のどれ一つとっても政府は大変だろう。その中でもなんじゃかんじゃと他の事もやらねばならないのだろうし。そら、大変だろう。
 これまたついでだが、「日本の原発推進して来た政府に抗議すべし!」って、おい。確かに民主党内部にも自民党議員は多くいるが、基本、『自民党政府』だろう。

 またまたついでなんだが、今の管内閣は優しい内閣だな。その優しさが被害を大きくする。菅直人って市民運動上がりの総理らしいが、故に、妙なヒューマニズム意識もあるのだろうし、また「チェルノブイリの様に大きな被害を出したくない」などという政治生命の問題も当然あるであろう。
 だが、チェルノブイリは南京事件みたいなもので、実際の死亡者の情報が多々ある。で、きっと菅直人はどちらかというと最悪な数字を支持したい側の出なのかも知れないが、チェルノブイリの時にテレビなんぞを使って大量の労働者を動員したから『あれだけの被害で済んだ』のかも知れない。
 原発ジプシーは被爆労働である。10キロ圏内の『まだ救助出来た人も居てたはず』にも関わらず救助出来ない状況の根本の福島原発での被爆労働者を、それこそ誰から何を言われるか、「これは徴兵ではないのか!」「特攻隊を募集しているのではないのか!」と言われるかも知れないが、高額の日当で被爆量補償と、今後の健康補償、万が一の遺族補償をしっかりとして労働者を政府斡旋で募集すれば良かったんだ。というか、今からでも。石棺作るのも、汚染水を処理するにしても大量の労働者が必要だろう。その労働者が少数であればあるほど、一人当たりの被爆量は増えるわけであって、健康被害の重傷化や、死亡リスクも高まって来る。そうではなく、多くの労働者で被爆を分配すればいいじゃないか。リスクを分散すればいいじゃないか。少数の労働者で被爆量を計算しつつ処理していける問題だとは思えない。全くの犠牲なくして処理出来る問題だとは思えない。ならば、健康被害が拡散しようが、死亡リスクを下げるべきではないのか。技師としての仕事は素人に無理だが、単純作業ならば誰にでも出来るのではないのか?無料はイヤだが、日当次第では、どうせ、1日で、というか、数時間でかなりの被爆量になるのだろうから、1日だけの作業ならば、日当次第で行きまっせ。
 と、まあ、「テメー、金が欲しいだけじゃないか!」なんだが、はい。放射能以外にも健康被害が多々出る状況で安い給料で働いてたりしてたもので、はい。

 あ、鼻血。
 「放射能の影響で鼻血が出る」という情報というか、逆から考えた方がエエのか。「鼻血が出たのは放射能の影響である」というのは、流行ると思う。流行らない事を願うのだが、まあ、流行るかも知れない。
 上田氏の言葉を借りるならば『ボディーブロー』をくらい続けて、ストレス満タンである。今まで鼻血が出なかった人も鼻血が出るかも知れない。そういう時に「鼻血が出たのは放射能のせいだ」になると、というか、これも『放射能汚染の恐怖』という放射能汚染なんだろうが、それで病院に行くと、元々医療崩壊している所に、大震災があり、もっと医療崩壊しているであろう所に、「放射能で鼻血が」と来ると、他の病人が困る事態になる可能性が出てくる。

 なので、私は今年の流行語大賞にノミネートさせるであろう『安全デマ』を流す事にする。
 東京都民の『今現在』の鼻血の原因は放射能ではなく、SDN48 の『愛、チュセヨ』のテレビCMの影響である、と。

 

四苦八苦

2011年04月13日 | 坊主の家計簿
 すっかりうっかりしていたのだが、最早4月半ばであり、来月末に寺の報恩講だったりする。
 え~と、案内が。。。昨年は寺の通信で報恩講の告知&宣伝をしたのだが、今月号は思いっきり『震災特集』になってしまったので、え~と。。。
 一番急ぎの来て頂く寺院への案内を作る。

 葬儀が入った、え~と。。。久しぶりに、こういう括りもどうかと思うのだが『寺の門徒さん』の葬儀が入ったので、その準備もする。通夜は明日なのだが、明日は明日の仕事&塔婆(?)を書いたり、位牌を書いたりしないといけないので、その他の準備をする。
 
 昨日は寝るのが遅かった。いつも遅いのだが、そんな私が『遅い』と書くので『無茶苦茶遅かった』わけでんな。っちゅうか、「もう、朝やんけ、おい!」である。
 単に寝ようと思って最後にツイッターを見てたら「レベル7?チェルノブイリ?」という事で、情報収集。
 ちなみにこれは想定内である。今年の流行語大賞には『想定内』と『定説です』がもう一度入りそうな気がするのだが、まあ、想定内である。
 ネットには色々と情報が錯綜しているので、もんじゅがアウトになって北半球壊滅ぐらいまでは想定内である。

 あ、ついでに。
 不安を煽る意味でなく『想定内』にして頂く為に次の情報を。っちゅうか、最早有名か。

 http://www.taro.org/2011/03/post-966.php

 上記リンクは、最近「てめ~、この機に乗じて政界再編&総理の座を狙っているやろ」と勝手に妄想している河野太郎氏。

 このもんじゅ事故の情報は早く『東海アマ管理人』(http://twitter.com/tokaiama)のツイッター情報で、それこそ、震災直後ぐらいから流していた、っちゅうか、きっと東海アマ管理人はもっと前から流していたのだろうが、私が知ったのは震災直後だったので。ここの情報はエエぞ。とりあえず危機を煽っている(本人にとっては当然、真面目な学説)ので、色々な覚悟が出来て素晴らしい。

 で、

【6月にさやごと引き抜きが試みられることになります。
 (中略)
 ちなみにこのスリーブは、抜くことを想定しておらず、これまで抜いたこともありません。構造上は、抜くことは可能です。もし抜けなければ、上記の記事にあるように、ふたを壊さなくてはならないかもしれません。】(http://www.taro.org/2011/03/post-966.phpより)


 という事らしい。
 この件に関してはツイッター上で冷静な意見、それこそ『御用学者』なんぞとレッテルを貼られるかも知れない人でさえ、「もんじゅの方が危ない」「6月かな」だったりする。
 ほらほら、怖くなって来たでしょ(笑)あ、知ってた?

 だからと言って何かを出来るわけもない。「もんじゅは危ないから即時停止せよ!」って、停止しとるし。

 で、レベル7のチェルノブイリである。なんせチェルノブイリである。

【『第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。』
 『この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ。』】

 なんぞとヨハネの黙示録にも書かれたチェルノブイリである。あ、当時は話題になったのだが、今は知らない人も多いか。っちゅうか、当時もムーの愛読者とか精神世界系(私はこっち)の人の中ぐらいしか話題にならなかったかな?
 チェルノブイリは『苦よもぎ』と言うらしいぞ。詳しい事は知らん。そっちの方が楽しいから(笑)

 という事で、『チェルノブイリ級』という事で、これはプチ・パニックになるのでは?と、っちゅうか、最早プチ・パニックになっているのでは?なんぞと思ったのだが、それ程でもなかったみたい。ある意味、想定内だったのだろう。あと、「慣れた」「疲れた」辺りか。

 今日、諸々ニュースを見ていて一番怖かったニュースは

【先月11日の巨大地震のあと、北日本から東日本の広い範囲で強い揺れとなる地震が相次いでいることについて、専門家は「巨大地震で北日本から東日本にかけての陸の岩盤が太平洋側へ大きく動いたため、内陸の断層がずれ動きやすくなっている」と指摘しています。
 (中略)
 加藤教授は「余震活動は今後数か月から1年程度は続く可能性がある。一時的に余震の回数が少なくなっても、その後再び余震が活発になるおそれもある】(http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110412/k10015272281000.htmlより)

 である。え~。。。別のニュースでは「引っ張られている」という表現をしてはったが、「引っ張られているから亀裂(断層)がある所は避けやすい」と紙で喩えてはったが、え~。。。
 
 まあ、ネット上では流されていた情報なんだが、テレビに出てくる学者先生から言われるとでんな。。。日本列島、大丈夫か?なんぞと思ってしまう。

 しかし、まあ、

【同局長は「原子炉の損傷程度はレベル5を超えていない」と指摘。今回の評価変更には「政府がこれ以上批判されるのを避けようとする政治的思惑が働いている」と述べた。】(http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011041300031より)

 という情報もあって、それこそ「覚悟しとけよ!」っちゅう事なのかも知れない。

 非常に不思議な事なのだが、人間は震災以外に、放射能以外にも死ぬのだ。あ、別に不思議ではないか。

 逃げれる人は逃げればイイし、外出を避けれる人は避けた方が無難なのかも知れない。マスクをするのも効果的なのかも知れない。まあ、花粉が隙間から入って来るのと同じなのだろうが、多少は防げるのだろうが。

 でも、なんだ、ほれ、昔から東北で大震災もあっただろうし、津波もあっただろうし、当時の疫病の死者数は凄かった、当然、東北だけでなく日本全国。なかった所はないのだろうが、日本の多くの所は。京都でも鎌倉でも。
 それでも人間は生活しなければならなく、実際に生活して来ておられて、私たちはその末裔だったりする。結構、タフだったのね。御先祖様達は。

 テレビを見てると災害時のパニックについて研究してはる学者さんなんぞも居られたりする。災害時のパニックって、デビルマンぐらいしか思いつかない私とは違って、きっと色んなケースを研究してはるのだろう。で、きっと情報管理の部分から、今回もエエ仕事を影でして居られたのかも知れない。解らんし。妄想だし。

 デビルマンでは、みきちゃんが暴徒化した住民に惨殺される。一番エロかったみきちゃんなので涙無くては見られないシーンである。。。ん?

 ネット上ではプチ魔女狩りが始まっているが、あ、私も「どんなひどい国なんだろう。。。」と、高円寺デモ(http://www.47news.jp/CN/201104/CN2011041001000587.html)でも国内のマスコミ報道にされなかったというデマの決まり文句みたいな感じで述べられている「どんなひどい国なんだろう。。。」という言葉を使って遊んだりしているので、変わらんのだが、ネット以外では確か、うろ覚えだが『福島原発に突っ込んだ車があった』のと『東京電力に石を投げた人がいた』ぐらいかな?あ、落書きもあったらしい。
 一応、ソース。

 http://rocketnews24.com/?p=84551
 http://www.asahi.com/national/update/0402/TKY201104010561.html

 まあ、それぐらいなものだったりする。

 そういえば、先日の高円寺でのデモには『渋さ知らズ』も出てたらしい。鈴木邦男も参加してたらしいし、ソウルフラワーにゲスト参加してた大熊亘もチンドンで参加してたらしい。むっちゃ、行きたかったイベントやんけ。祭やんけ。大阪でそんなメンバーが参加する無料の祭やったら酒もって、それこそ得意技の『端からはお茶とか水を飲んでいるとしか見えない酒』まあ、ペットボトルに酒を入れるだけなのだが、それを持って飲みながらの祭でっせ。

 あ、高円寺デモの中心人物の1人らしい平野悠氏が今日のツイッターで

【今,管さんを攻撃してどうするんだ。日本人同士の足を引っ張るな!】
【小沢がやれるとも思えんし、ましてや東電利権にまみれた自民党なんか出来るか!】
【批判罵倒するのは簡単だけど、責任は自民党長期政権を支えたは国民全体だと思う 。私も原発の危険性はいろいろ何回か書いたけど、全く読者から相手にされなかった。怒っている奴は自分の足下を見ろよ。反原発運動をしている人を馬鹿にしていたじゃないか?管は必死だよ。】
http://twitter.com/yu_hiranoより)

 などと書いて居られた。
 まあ、当然の如く、必死なんだろう。管総理大臣も。


 今日のトップニュースは『レベル7』だったのだろうが、このニュースも。

【脳死判定:「そっと見守って」小児の臓器提供
(中略)
 臓器移植患者団体連絡会の見目政隆幹事も「賛成、反対などいろいろな意見がある中で、家族が苦渋の思いで決断されたと思う。15歳未満の最初の事例で、いろいろ騒がれるだろうが、その意思が尊重されるようそっと見守ってほしい」と、家族の心情を思いやった。】(http://mainichi.jp/select/science/news/20110412k0000e040069000c.htmlより)

 臓器移植は反対なんだが、今はこの手術が成功する事を、それこそ『そっと見守り』祈りたい。


 とある社会学者がツイッターで確か「私は今の政権を『この非常時に政権を担っているという一点で支持します」みたいな事を書かれて居られた。
 
 代わりのない、限りある命を大切に。

【当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さもありぬべきようにみなひとおもえり。これまことに道理ぞかし。このゆえに、阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」とおおせられたり。かかる時はいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうえには、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは、かようにやすくたすけまします、御ありがたさ、御うれしさを、もうす御礼のこころなり。これをすなわち仏恩報謝の念仏とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。】(蓮如上人)

弱さに帰る脱原発運動

2011年04月12日 | 坊主の家計簿
 昨日は選挙。
 仕事が終わって、昼飯喰って、少し寝ようかなとコタツで横になる。投票は20時まで大丈夫だし。
 ママが選挙に行くというので、「行ってらっしゃい♪」したら、娘ににらまれる。泣きわめいたりするのでなく、もの凄く怒って睨む。ひぇ~、「ゴメン、ゴメン。パパも一緒に行く」と選挙に出かける、っちゅうか、娘とママと3人で出かける。「ハイ!」と手を出して来るので娘と手をつないで近くの小学校の投票所へ。桜もエエ感じ。

 今回は「二大政党制なんてクソ喰らえ!」なんだが、基本路線は変わっていないのだが、日本で原発を辞める絶好の好機なので民主党へ。ただ、府議会は民主党議員が居なかったので無理だったが。
 なんせ、『日本の総理大臣』という座にありながら


【首相、福島原発は「廃炉」 原発増設計画は「白紙で見直す」

 菅直人首相は31日、共産党の志位和夫委員長との会談で、東京電力福島第1原子力発電所について「廃炉にしないといけない」と述べた。また、平成42年までに原発を現状より14基以上増やすとした政府のエネルギー基本計画について「白紙で見直すことを検討する」と述べた。志位氏が記者会見で明らかにした。】(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110331/plc11033115150020-n1.htm)

 と、まあ、志位氏との会合の中なんだが、それでも言った菅直人総理を支持する、と一点でのみ、その一点だけでも価値があると、民主党へ。結局、惨敗だったが。
 気に入らん事も多々あるが、絶好の好機。

 日本が戦争に負けて「もう、戦争なんかエエっちゅうねん。軍隊なんかエエっちゅうねん」と、憲法9条も含む現在の憲法が1946年(昭和21年)11月3日に公布されて、1950年(昭和25年)8月10日には警察予備隊が出来ている。改憲の動きも多くある。そんなものなのだ。ただ、まあ、福島原発は当面放射能を出し続けるようだから、つまり福島原発という祟り神が生きている間はなんとかなるのかも知れないが、「のど元過ぎれば熱さ忘れる」という自分勝手なものだし。今がチャンスなのだ。
 
 で、「他の総理だって言ったかも知れない」なら、それは仮定になる。仮定にかけるよりも、今の段階で「白紙で見直す」と言った総理に期待するしかない。

 とは云え、民主惨敗。
 大阪では橋下知事率いる大阪維新の会が大躍進。まあ、これはこれで楽しいかも知れない。

 ずっと以前の話になるのだが、電車の切符が自動販売機になりだした辺りの時に切符を買えなくなった人が居てたらしい。それまでは「難波まで大人一枚」だったのだが、自分で買わなければならなくなった。当然、駅員に言えば売ってくれるのだろうが、そこにハードルが出来た。文字の読めない人には。

 私はまだ若く、増して大阪市民に復活したのは最近である。かつ、引っ越しばかりしていたので住所が変わる事など、多少の面倒はあるが、慣れっこである。

 大阪市○○区と書いていたのが、大阪都○○区になる。その○○区も、現行の区の名前ではなくなる可能性が高い。これは市町村の合併でもあった事なんだろうが、めんどいぞ。
 
 確かに合理的なんだろう。合理的なんだが、その合理的でない所に人は生活してたわけであってでんな。「二重行政、そらアカン。税金の無駄使いや」なんだろうが、その『税金の無駄使い』で生活して居られた方々も居てでんなぁ。。。

 そろそろ43才になったりする。いわゆる『汚れた大人』だ(笑)
 大人になると保守になる。保守になるのは、色んな人に会ったから。色んな立場の色んな人にあったから過激にはなれない。過激には付いて来れない人も多々いるのだ。急激な変化に付いて行けない人が多々いるのだ。

 それこそ、今、大災害で仮設住宅が出来始めている。でも、阪神大震災の時は『町内』の関係も無視しての仮設住宅が多々出来て、「寂しいよぉ。。。」である。ただでさえ、地震で環境が激変した中で、人間関係まで大きく変わるのは、かなりキツい。
 当然、阪神大震災当時の私には、まだ若かりし私には解らない。変わらず旅暮らし状態だったし。阪神大震災の時の部屋はミナミのカプセルホテルだったし。環境が変わるのは慣れっこ。「何を弱音を吐いとるねん」である。でも、まあ、自分の体力気力も落ちて来たし、かつ、色んな人達に年齢と共に出会って来ると、「何を弱音を吐いとるねん」とは言えなくなる。無理な人が多々居てるのだ。タフでない人が居てるのだ。

 何やら、東京電力に関しての魔女狩りが始まりつつある。社員や、原発の宣伝をしていた人などに関する魔女狩り。
 
 魔女狩りをするのは弱さである。『鬼畜米英』と呼ぶ弱さと同じである。オウム事件の時にマンションに「オウムはマンションから出て行け!」なんぞと書かれた大きな垂れ幕を京都・山科で見かけたが、ああいう弱さである。

【じつは視聴者にはオウムは凶悪な集団、あるいは洗脳された集団であってほしい、自分とは違う存在であってほしいという思いがある。】(森達也http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/5d7be736ee4fe2045f5408e5b9e8c82cより)

 である。

 まあ、自分の事はよく解らんが、とにかく多くの人が取り乱しているのは確かである。で、取り乱して当然である。プチ・パニックになって当然である。それは弱さだ。

 人は死ぬのだ。でも、その覚悟を決める事が出来ないから、水や食料を買い占めたりする。

 なんか、この大災害を通じて、より一層の保守化、排他的な保守化でなく、弱さを見つめるが故に排除し難くなる保守化を学びたい。

 ちなみに「うちの村に危機的な状況を起こしやがって!」と、排除してたのが、過激に排除していたのが、今は、東京電力の人達や、原発推進していた人達だったりするのではないかと。地域の中で原発反対派が住み難い状況があったのならば、それをやり返す必要がどこにあるのか?と。政治思想でなく、別の見方からの思想では。

【40年間、耐用年数を10年過ぎてまで酷使され、ろくな手当てもされず、安全管理も手抜きされ、あげくに地震と津波で機能不全に陥った原発に対して、日本中がまるで「原子怪獣」に向けるような嫌悪と恐怖のまなざしを向けている。
 それでは原発が気の毒だ、と橋口さんは言った。
 誰かが「40年間働いてくれて、ありがとう」と言わなければ、原発だって浮かばれない、と。】(内田樹http://blog.tatsuru.com/2011/04/08_1108.phpより)

 なんか、こういう視点が大事だと思ったりする。

 原発は強さと優秀さの象徴である。
 ならば、弱さに帰る脱原発運動が大切なのでは?と。

【私の専修学院での学びは、凡夫という言葉を中心に始まりました。しかし学院は生活学習の場ですから、そこで繰り広げられる私の意識生活は、その凡夫の身を裏切る自尊心との格闘でもありました。それは今日も、今も、続いています。そうした事実と思いのぶつかる日々の生活の中で、それでもここに身を置いていることの支えとしている言葉があります。それは信國先生が大病を患われた晩年のころだったのではないかと思いますが、授業で法然上人の『一枚起請文』(真宗聖典九六二頁)を取り上げられて
 「ここに『一文不知の愚どんの身になして』とあるでしょう。この『なして』という日本語は、意思をあらわす言葉です。意思して、愚鈍の身になるのです。」
 と、強い口調でおっしゃいました。「意思して、なる」。いつのまにか、如来回向とか、本願他力という教学用語を自分勝手にとりこんで、仏法を自動起床装置であるかのように錯覚する腑抜けた信仰理解にまどろんでいる私どもに、「目覚めよ」と命じる一言でした。
 凡夫とは、意思して凡夫にならなければ、自分が凡夫の身を生きていることに気付けないものです。その凡夫への意思を私どもに喚び起こす強い力が、如来の本願です。】(狐野秀存『共に是れ凡夫ならくのみ』より)

人災

2011年04月08日 | 坊主の家計簿
 大きな余震。というか、余震にしては大き過ぎる地震。単独でも大騒ぎの地震なんだが。マグネチュードでは阪神大震災よりも大きい。けど、直下型の阪神大震災とは別のタイプの地震。復興に向けての状況下で、主に精神的なダメージが心配。

 何やら女川原発の電源が危なかったらしいのだが、これは復活したらしい。六ヶ所再処理工場の電源が予備電源になったらしいのだが、六ヶ所村辺りの震度は4。
 震度4で潰れる原発関連施設、っちゅうか、震度4で潰れるのならばラーメン屋でも営業許可が出ないのだが、まあ、青森が停電しているらしいのでその影響なんだろう。
 しかしながら、ハルマゲドンの人は「恐れてたことが起こった!」なんぞと大騒ぎしていたのだが、え~。。。かつ、とっくに東京から遠方に逃げている人が「恐れてたことが起こった!」なんぞと。いや、予備電源のニュースよりも先に震度のニュースが先だった気がするのだが、え。。。

 災害時の二次災害は人災。福島原発の事故後の処理には「なんだかなぁ。。。」なんだが。原発は被爆労働なので、被爆量を少なくする為には作業する人間の数を増やさなければならない。当然、『プロ』でないと出来ない作業も多くあるだろうが、素人が、「現場仕事なら多少経験した事があるで」と、まあ、安全靴を履いた事がある程度の人間、まあ、私もなんだが、私みたいな人間をバンバン導入して、それこそソ連がチェルノブイリの時にテレビで労働者を募集したらしいが、被爆量の補償と、将来の補償、万が一死亡した時の補償さえあれば、ネットで流れてた情報の「日当40万」ならば行くのだが。そういう金で動く人間を大量動員して、初期の作業員を増やすべきだったと思う。大量動員すればそれだけ個々の労働者の被爆量は減るわけだし、その分、イヤな言葉だが、コストは安くなる。

 あ、で、人災。
 風評被害も人災。何やら千葉の魚も値段がつかなかったとか。

 http://news24.jp/articles/2011/04/07/07180330.html

 福島、茨城、千葉と来ている。これがどこまで広がるのか?いや、国内だけでなく海外ならば「日本の魚はダメ」なんぞと。

 巨大な口コミであるインターネット。
 何やら、総務省がネット上のデマの取り締まりを始めるとかなんとか。




【総務省は、本日、電気通信事業者関係団体に対し、東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語について、各団体所属の電気通信事業者等が表現の自由に配慮しつつ適切に対応するよう、周知及び必要な措置を講じることを要請しました。

 本日、「被災地等における安全・安心の確保対策ワーキングチーム」において、「被災地等における安全・安心の確保対策」が決定されました。
 同対策においては、東日本大震災後、地震等に関する不確かな情報等、国民の不安をいたずらにあおる流言飛語が、電子掲示板への書き込み等により流布している状況に鑑み、インターネット上の流言飛語について関係省庁が連携し、サイト管理者等に対して、法令や公序良俗に反する情報の自主的な削除を含め、適切な対応をとることを要請し、正確な情報が利用者に提供されるよう努めることとされています。
 同対策を踏まえ、総務省では、社団法人電気通信事業者協会、社団法人テレコムサービス協会、社団法人日本インターネットプロバイダー協会及び社団法人日本ケーブルテレビ連盟に対して、東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語について、各団体所属の電気通信事業者等が表現の自由に配慮しつつ適切に対応するよう、周知及び必要な措置を講じることを要請しました。】(http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/01kiban08_01000023.html




 これは、その前、4月1日に警察庁も始めている。



【ネットのデマ、警察庁がチェック強化 悪質なら摘発も

「被災地で強盗や性犯罪が多発している」といったデマが飛び交っている問題で、警察庁は1日、3月31日までに把握したネット上のデマ24件の削除をサイト管理者に依頼したことを明らかにした。同庁は17日から民間業者に委託してネットチェックを強化しており、特に悪質なものは摘発を検討するとしている。

 警察庁によると、震災後、岩手、宮城、福島の3県の被災地では、強盗、強制わいせつといった被害の届け出は一件もないという。阪神大震災や中越沖地震などの発生直後は犯罪全般が減少しており、今回も同様の傾向にあるという。】(http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104010389.html



 ネット上は『どでかい口コミ』なので、そりゃ、デマも多い。
 そして面白い事に『安全デマ』というのもある。テレビで流れる情報は『安全デマ』らしい(笑)何やら、『御用学者』が流す、安全デマらしい。
 まあ、原子力に疎い私からすると、「単なる学説の違い、意見の違いだけなんと違うん?」なんだが、安全デマらしい。

 そういえば、今日の地震報道でNHKを見てたら仙台の映像で謎の光があった。

 http://rocketnews24.com/?p=86586

 大地震の時の発光現象(プラズマ?)も阪神大震災の時にも多く報告されているので、私は瞬時にプラズマかと思ったのだが、送電線かも知れない。
 だが、きっと「あれこそ、地震兵器HAARPを捉えた決定的映像だ!」等と騒いでいる人達も居ているはずである。というか、居て貰いたい。その方が楽しいではないか。大した害もない。害があるとするならば、そういう自由な発想を取り締まる事が一番の害である。

 『安全デマ』だの『御用学者』なんぞという人の中で過激な人は、今日の総務省の事で「弾圧される」なんぞと盛り上がっている。そら、盛り上がるだろう。なんせ弾圧されたら「私がやっている事は政府にとって都合の悪い事」=「政府は私を弾圧して真実を隠そうとしている」と盛り上がれるのだから。そら、楽しい。
 似た様なのでは、何やら反原発のデモがドイツでは報道されて日本では報道されていない事を「陰謀だ!」等という方々も居てたが、え~。。。テメーら、デモに参加した事ないやろ(笑)新聞やテレビで報道されるデモなんぞ、滅多にないぞ。かつ、今は、大災害&原発事故、相撲の八百長問題もあり、それこそ沢尻エリカネタすら報道されない状況下で反原発デモのニュース価値は少ない。まあ、この10日に東京の高円寺やったかな?

 http://getnews.jp/archives/109688

 http://410nonuke.tumblr.com/

 東京の高円寺でデモが開催されるが、数万人集めれば報道されるかな?そんなもんだろう。
 あ、日本一の大金持ちの孫正義氏がすっかり反原発の人になったが、白戸家のお父さんと孫正義氏がデモの先導してたら芸能ネタにはなる。大阪ガスのCMもやっている白戸家の娘(上戸彩)が先導車に乗って「シュプレヒコール!原発は要らない!」なんぞとアジるともっと芸能ネタになる。芸能ネタとしてデモが取り上げられる可能性も出てくる。また、上戸彩の影響力は強い。あ、ソフトバンクはスマップも居てるのか?何やら嵐に『ジャニーズ人気ナンバーワン』の座を奪われたらしいスマップが反原発デモに参加すれば、影響はデカイ。逆にいうと、デモは決起集会としての意味はあるが、周囲の対する影響力はそれ程ない。逆効果になる場合も多々ある。デモなんぞ「やりたいからやる」もんだ。
 しかしながら、デモが報道されないのは「陰謀である」なんぞと。え~。。。要するに「なんでこんなに素晴らしい事をやっているのに注目されないの!」なんだろう。それは世の中には『他者』という存在が居ているからであって、でんなぁ。。。

 まあ、高円寺というと「ロックの街」としか印象がないし、行った事もないのだが、参加出来る人で共感出来る人は参加すると間違いなく楽しい。それだけは確かだな。

 今日の最大震度6強の地震でもって、増々不安が広がる。精神的に辛くなる。
 精神的に辛くなると排他的になる。他を許せる余裕が少なくなる。この辺が非常に生身の人間らしく好ましいのだが、でも、「ちょっと落着け」でもある。

 喧嘩だろうが、戦争だろうが、クールでないと勝てない。興奮すれば興奮する程冷静になれるのが軍人である。研ぎすまされた感性が相手の弱点を端的に見切るのが軍人である。あ、別に軍人である必要はないのだが(笑)
 でも、まあ、あ、デモ。反原発のデモを上手に「反政府」に誘導している人も居ている。
 今の政府は民主党である。かつ、菅直人という市民運動上がりであり、限界があるにしても、



【首相、福島原発は「廃炉」 原発増設計画は「白紙で見直す」

 菅直人首相は31日、共産党の志位和夫委員長との会談で、東京電力福島第1原子力発電所について「廃炉にしないといけない」と述べた。また、平成42年までに原発を現状より14基以上増やすとした政府のエネルギー基本計画について「白紙で見直すことを検討する」と述べた。志位氏が記者会見で明らかにした。】(http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110331/plc11033115150020-n1.htm



 と、明言した総理大臣である。
 また、政府内にピースボート、今は知らんが、以前はそれこそ『運動家養成カルト』なんぞと言われたピースボートの辻元清美や、湯浅誠なんぞが政府内に居ている管内閣である。
 その菅直人を追い落とす様な動きを反原発運動の流れに取り込もうとしている、冷静に仕事をしてはる方も居られる。エエ仕事してはりまっせ(笑)

 統一地方選挙である。ここで民主党が大敗すれば民主党内部での総理の立場が悪くなる。また、小沢氏待望論も復活している。菅総理のクビを切って、小沢氏&自民での連立政権もあり得る。あるいは、自民党の復活。

 二大政党制なんぞ真っ平御免なんだが、それでも菅直人は、日本の原発のあり方について、アメリカに楯突いた。他の報道で隠れてしまって小さなニュースだったが、『日本の総理大臣』という席に居ながら、アメリカに楯突いて「白紙に戻す」と明言した。当然、総理大臣という席に居ているのだから限界はある。限界はあるのだが、「白紙に戻す」と明言した。
 そんな総理大臣を反原発の名の下に追い落とす必要性があるのだろうか?

 警察庁や、総務省の動きは特高警察である。もう、自治労とか解放同盟だとかが支持母体の民主党の悪いクセなんだろうが、内ゲバが好きな伝統なのかも知れないので、決して認めてはならない、容認してはならない動きなんだが、「白紙撤回」の菅総理を追い落とすまでの必要性を私は感じない。
 それも人災だ。
 特高警察への動きも人災だが、民主党を大敗させるのも人災である。

 そういえば、斉藤和義の『ずっとウソだったんだぜ!』という原発を批判した曲がYouTubeにアップされて、それが速攻で削除されて「ヤバいから削除された!」なんぞと盛り上がっている人達もいるが、え~。。。尖閣諸島の流出ビデオ、完全に削除出来たっけ(笑)まあ、ここは『おっちゃん』として「ふっふっふっふ。。。もう少し社会勉強をしたまえ」と偉そうに、うっとうしいオッサンに。

 うっとうしいオッサンは、元々斉藤和義のファンでもないので、興味なく『ずっとウソだったんだぜ!』は聴いていない。まあ、資料として聴く事はあるだろうが、今は聴いていない。

 その代わりにオッサンは、オッサンの青春期のバイブル『完全自殺マニュアル』の前書きを紹介。ネットに落ちてたし。



【80年代が終わりそーなころ、”世界の終わりブーム”っていうのがあった。。「危険な話」が広まって、いちばん人気のあったバンドがチェルノブイリの歌を歌って、子どものウワサはどれも死の匂いがして、前世少女たちがハルマゲドンにそなえて仲間を探しはじめた。
 僕たちは「デカいのがくるぞ!」「明日世界が終わるかもしれない!」ってワクワクした。
 だけど世界は終わらなかった。原発はいつまでたっても爆発しないし、前面核戦争の夢もどこかに行ってしまった。アンポトウソウで学生が味わったみたいに、傍観しているだけの80年代の革命家は勝手に挫折感を味わった。
 これでやっとわかった。もう”デカイ一発”はこない。22世紀はちゃんとくる(もちろん21世紀はくる。ハルマゲドンなんてないんだから)。世界は絶対に終わらない。】(鶴見済『完全自殺マニュアル』より。前書き全文は(http://www.geocities.co.jp/Beautycare/7574/newpage4.htm

ヤメ検に阿弥陀ビーム

2011年04月06日 | 坊主の家計簿
 最近、『ヤメ検』に興味がある。『ヤメ検』とは検事を辞めて弁護士になった人の事を言うらしい。
 興味が出たのは、元検事にも関わらず。いわゆる『裏社会』顧問弁護士をしておられた方の事を知った事。
 まあ、前々から『知って』は居たのだろうが、関心がなかった。たまたま関心が出て来たのだろう。

 検事というのは裏社会を取り締まる側である。で、その検事を辞めて裏社会の顧問弁護士へ。
 「お前の思想はなんやねん」なんだが、事実としてその人がどうだったのかは知らないが、それまで想像していたのとは違う尺度から考える事が出来た。
 思想として『裏社会を取り締まる』のではなく、たまたま『裏社会を取り締まる仕事だった』だけなのかも知れない。

 少し前に、死んだ友人の三回忌に行った時に、20才を過ぎた友人の息子に会う。来年、大学を卒業するらしく、周囲のおっちゃん、オバちゃん達は就職の心配をする。まあ、んな事いうても、おっちゃんもオバちゃん達も20の時には何をしてたもんやら。
 何やら友人息子は彼女が出来て、その彼女から「就職出来ひんかったら別れる」等と冗談なのかどうか知らんが言われているらしい。友人息子は20才のクセに(失敬)結婚を考えているらしい。「家庭を持ちたい」と友人息子。
 まあ、確かに、友人息子のオヤジと友人が離婚したのは友人息子が、え~。。。何才やったかな?確か一度復縁したはずだし、でも、まあ、友人息子がバリバリガキの時。それ以降、友人の男関係は結構派手だったが、再婚はしてないし。ずっと母子家庭。仲良しこよしの母子家庭だった。で、友人息子が18才、高校卒業を直前にして母親(友人)が死んだ。部屋でコタツで寝てて、そのまま死にやがった。
 だからなのかどうかは知らないが、「家庭を持ちたい」と。
 決して「革命をしたい」「芝居をしたい」「音楽をしたい」「絵を書きたい」「映画を作りたい」でなく、「家庭を持ちたい」と。

 ノンポリ。死語か。ポリシーがない。
 ポリシーが無い事はない。別の尺度で生きているだけの話だ。

 ツイッターで変わらず遊んでいる。
 『原発推進派』『原発反対派』の両意見。だが、まあ、さすがに福島で原発事故が起こった以降は『原発反対派』が増えて来たように思えるのだが、でも、やはり多くは『推進派』でも『反対派』でもないような気がする。ただ、時代の流れで反対派の意見が強くなり、それに対する推進派の意見。時流的には反対派が優勢か。っちゅうか、私の情報ソースが偏っているのだろうが。

 ここで一句。ん?一つの詩を紹介。
 来日中止になったティクナットハンの詩。




  明日、私が出発すると言わないでください。
  今日まだ、到着しているのだから。

  深く見てください。私は毎秒、到着している。
  そして、春の樹の蕾となる。

  羽がひよわで、新しい巣でさえずりはじめた小鳥となる。
  花のなかにいる青虫となる。
  石にひそんでいる宝石となる。

  私はまだ到着している。笑い、泣き、恐れ、望むために。
  私の心臓の鼓動は、すべての生きものの、出生と死にほかならない。

  私は川のみずもで変態する蜻蛉。
  私は春になって、蜻蛉を食べる頃にやって来る鳥。

  私は澄んだ池で幸せに泳いでいる蛙。
  そして私は、静かに近づき、その蛙を飲み込む小蛇。

  私はウガンダの子供、痩せこけて、脚が篠のように細い。
  そして、私は武器商人。ウガンダに死の武器を売っている。

  私は十二歳の少女。小舟に乗った難民。
  海賊に犯されたあと、大海に身を投げる。
  そして、私は海賊。心はまだ、見ること、愛することができない。

  私は党の中央委員。大きな権力を手にしている。
  そして、私は人民にたいして、「血の債務」を払わなければならない者。
  強制労働収容所でゆっくりと死の道を辿っている。

  私の喜びは、春のよう。暖かく、生命の歩みのすべてが、花を開かせる。
  私の苦しみは、涙の川のよう。あふれて、四海を満たす。

  すべての、ほんとうの名前で呼んでください。
  そうすれば、私の泣き叫びと笑いが、すべて、同時に開ける。
  そうすれば、私の喜びと苦しみが一体であることがわかる。
 
  すべての、ほんとうの名前で呼んでください。
  私が目覚め、
  心の扉、慈悲の扉が、開け放しになるために。

 (ティク・ナット・ハン『ほんとうの名前で呼んでください』 但し、中公文庫『仏の教え ビーイングピース』棚橋一晃訳より)



 この詩には、この詩を紹介する前にティクナットハン師が書かれている文章がある。

【ある日、私たちは、小さな舟の上で、タイの海賊に強姦された、若い娘についての手紙を受けとりました。彼女は、わずか十二歳でしたが、海に飛び込んで溺れ死にました。
 はじめてこのようなことを知ると、まず、あなたは、海賊にたいして怒りを覚えます。当然、娘の側に立ちます。
 さらに深く考えるにしたがって、違った見方をします。娘の側に立てば、ものごとは容易です。銃を取って、海賊を撃つばかりです。
 しかし、私たちには、それはできません。
 もし、彼のように、海賊の村に生まれ、同じ境遇で育てられたなら、私が今海賊になっていることを、瞑想によって、私は洞察しました。私が海賊になった可能性は、非常に大きいのです。そう簡単には、彼を非難することができません。】(ティクナットハン『ビーイングピース』(中公文庫91ページより)

 反原発の人達は、それこそ『鬼畜政府東電』である。
 ティクナットハン師の文章でいうのならば、娘の側に立ち、海賊に怒りを覚える。
 しかしながら、ティクナットハン師は、ベトナム戦争の時に南北どちら側にも立たなかった仏教徒の1人であるティクナットハン師は

【もし、彼のように、海賊の村に生まれ、同じ境遇で育てられたなら、私が今海賊になっていることを、瞑想によって、私は洞察しました。私が海賊になった可能性は、非常に大きいのです。そう簡単には、彼を非難することができません。】

 と書かれて居られる。

 今回の大災害は地震&津波だけでなく原発事故というのがあった。何やら「まだチェルノブイリより被害が少ない」らしいが、3500万人という人口を抱えた首都圏からも近い。あくまでも数字上の話だが、余震、これは阪神大震災で体感したが、余震は怖い。震度ではない、余震が始まった瞬間にフラッシュバックしてしまうのだ。恐怖体験がよみがえる。これもまあ、個人差色々なのだろうが。でも、余震が続いている中での原発事故。放射能ダダ漏れ。
 何やら『スピッツ』とかいうバンド(?)の兄ちゃんが急性ストレス障害で倒れたらしいが、んなもん、「やってられるか!」やろ。余震だけでも辛い中に、『プラス』して、の原発事故。
 チェルノブイリが単なる原発事故。今回と『トータルの心理的不安』ならば、んなもん、チェルノブイリ以上やろ。
 そういう中でも『テレビで映っているから』という解りやすい理由なんだが、「ビビっている場合ではない。私たちにはやらなければならない事がある」と、緊張。後のフォロー(ケア)が必要。そんなに強くないぞ、生身の人間は。

 まあ、首都圏だけでなく、多くの方々、普段から睡眠時間の短い私も、より一層の睡眠不足の被害。
 そういう状況の中での反原発派の原発推進派に対する攻撃。
 『攻撃』と書いたが、もう、見事な悪態。普段ならば冷静な人であっても、見事なまでの『鬼畜政府東電』。
 でも、だからといって『鬼畜政府東電』の人達も共に生きている。

【もし、彼のように、海賊の村に生まれ、同じ境遇で育てられたなら、私が今海賊になっていることを、瞑想によって、私は洞察しました。私が海賊になった可能性は、非常に大きいのです。そう簡単には、彼を非難することができません。】

 である。
 政府の人も、当然の人も、『鬼畜政府東電』の人も、共に生きている。そして私も平気で「カス」だの「アホ」だのと感情に任せて書き込んだりしている。私の場合は『鬼畜政府東電』の人達に対して「カス」だの「アホ」だのと書き込んだりしてしまっている。

 先に『普段』と書いたが、『普段』も幻想である。『普段』という幻想がある。『非常時』という言葉がささやかれるが、本来、『普段』も『非常時』もない。

 全然話は変わるが、今日のツイッター情報で

 『被災地で祈る僧侶』http://www.47news.jp/photo/170726.php

 というのが、話題になっていた。

 「おお、商売上手やのぉ。。。」である。
 ひんしゅくを買うだろうが、正直な感想である。
 この僧侶が何宗なのか知らないが、この僧侶は絵になる。絵になっている。その半分はカメラマンの力なんだろうが、だが、絵になる。何にしても凄い才能である。

 先日、私と同じく商売人の僧侶と話してて、某、私にとっては後輩でもある同じ教団の僧侶の話になった。「上手いのぉ。。。」である。非常に上手い。それは狙ってやっているのか、どうかは知らない。だが、スケベ心がないはずもない。生身の人間なんだから。
 「そんな事はない、私は純粋にやっているだけなのだ」というのは、あるいは、「彼は純粋にやっているだけなのだ」というのは、煩悩を、薄汚い心を見つめるか、どうかだけの話だと思う。スケベ心ぐらいあるやろ、そりゃ。
 それが『エエ』『悪い』の話ではない。そんなもんなのだ。そして、そんなもんの中で『何に向かって生きようとしているのか?』が問われているだけの話なのだ。
 で、某、私にとっての後輩僧侶のやっている仕事を私は認めるし、また、何宗か知らんが、写真の僧侶の仕事も認める。かつ、上手い。非常に上手い。

 そういや、数日前にようやく週刊ポストの『美人尼僧のグラビア』を見る。え。。。名前忘れた。白木澤琴さんやったけな?大学院を出ているらしいし、今後の大谷派のバリバリホープだろう。で、震災、大丈夫やったのかな?よう知らんが。
 で、『美人尼僧』。関西では今日の昼間にやってたのだが、少し親しい先輩の川村さんが出てたテレビもあった。他に同じ教団では

 ♪お坊さんに憧れてお寺に入ったの

 の、君代さん。
 個人的には君代さんが一番『美人尼僧』だと思うのだが、まあ、エエわ。

 週刊ポストの『美人尼僧グラビア』言葉付き。それぞれがぞれぞれのメッセージ。本願寺派の坊さんの「阿弥陀ビーム」がツボだったのだが、それぞれがそれぞれのメッセージ。

 『美人尼僧』は絵になる。絵になるが故に、週刊ポストの白黒だがグラビアに取り上げられる。そして、それぞれの確かな仏教ビーム(?)を伝える事が出来る。
 それは今日の『被災地で祈る僧侶』の写真も同じ。
 批判としては「今、祈りをしている場合か?」等もあるのだろうが、んなもん、それぞれがやりたい事をやればエエだけの話である。それぞれに仏教を伝えて行けばエエだけの話である。
 そして、絵になる方が『商売上手』である。売れると伝わるのだ。

 「いや、売れる事を目的にしていない」のならば、大谷派ならば、まあ、大谷派のホームページは見難い事で悪評が高いが、ホームページをする必要もないし、先日終わったが『親鸞の道』などというテレビ番組を作る必要もない。
 他宗はよく知らんが、西本願寺での蓮如上人500回忌イベントを仕切った広告代理店のオッサンと直接会った事もある。
 伝えたいのだろうが。

 禅宗でも道元禅師の映画もあった。
 真言でも弘法大師の映画もあった。

 伝いたいし、より多くの人に見て、それぞれのメッセージを伝いたいはずである。

 商売。なにか『NPO』だとか『宗教法人』に比べると『俗』なのかも知れんが、大切な事。

 それぞれがぞれぞれの生活現場で生きている。『僧侶』だろうが、『商売人』だろうが、『裏社会のヤメ検』だろうが、東京電力の人だろうが、政府の人だろうが、『御用学者』と一部で呼ばれる人だろうが。
 それぞれに『阿弥陀ビーム』が届いて、それぞれから阿弥陀ビームが発せられている。

 原発というのは、「わけの解らんもの」だ。もう、書くだけでイヤになる言葉なんだが、『死亡コスト』は安いらしい。また、今回の事故も含めて『経済的コスト』も将来に渡って考えるに安いらしい。公害や、事故で死ぬのは別に原発だけではない。ただ、原発は『白い巨塔』なのだ。



  何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
  動物園の四坪半のぬかるみの中では、
  足が大股過ぎるぢゃないか。
  頚があんまり長過ぎるぢゃないか。
  雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢゃないか。
  腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
  駝鳥の眼は遠くばかりを見てゐるぢゃないか。
  身も世もないように燃えてゐるぢゃないか。
  瑠璃色の風が今にも吹いてくるのを待ちかまへてゐるぢゃないか。
  あの小さな素朴な顔が無辺大の夢で逆まいてゐるぢゃないか。
  これはもう駝鳥ぢゃないぢゃないか。
  人間よ、
  もう止せ、こんな事は。
 (高村光太郎『ぼろぼろな駝鳥』)



 将来的に原発に慣れるのかなんぞ知ったこっちゃねぇ。もう、文明、人間のエゴ、理想、能力を追い求めるのが『間違っていた』と、今、感じてるのが原発やろ。

 と、まあ、本日理想の私ならばプカプカに行って漫画さんに「知ってるか?福島原発よりも、もんじゅの方が危ないねんで」と言い垂れつつ飲んで、その後にコニーアイランドで萌え萌えしながら「おっちゃんが若い頃に六ヶ所村で『いのちの祭』っちゅうのがあってな、それに山口富士夫とか、ランブルフィッシュとか出ててんで、行ってないけど」なんぞの、おっちゃん自慢話をした後に、酔いが足らなければ「鉄人~」と行くつもりだったのだが、娘が発熱したので、パパ、酔っぱらいながら自宅待機中です。

 ん?何を書いててんやったっけ?
 まあ、エエわ、歯磨きして寝よ。