坊主の家計簿

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『水銀公害の原点は奈良の大仏』

2013年03月05日 | 坊主の家計簿
『水銀公害の原点は奈良の大仏』という仮説がある。

【水銀中毒といえば九州の水俣が思い浮ぶ。水俣の場合は、魚を媒介にした有機水銀の経口摂取が引き起こした中毒だ。これに対し、平城京の水銀中毒は無機水銀を蒸気の形で大量吸入したことによって起きる障害である。

 中毒症状は「たたり」

日本化学会編「化学防災指針」によると蒸気水銀は気管支炎や肺炎を引き起こし、腎細尿管障害、むくみ、場合によって尿毒症も発生し、全身のだるさ、手のふるえ、運動失調などをひき起す。こうした症状を医学的知識のない当時の人々は「たたり」と信じ、行政府は風土病と判断したのではないか。このことが中国長安をモデルに壮大な構想でつくられた平城京がわずか74年間で歴史を閉じ、長岡京へ遷都(784年)せざるを得なかった理由ではないか。底流には天智系と天武系の葛藤があり水銀中毒が遷都の引き金になった。】
(大学等環境安全協議会名誉会員 白須賀公平)
http://bigai.world.coocan.jp/msand/powder/daibutu.html



という衝撃的な説があるらしい。
調べてみると名古屋大学准教授が出した本にも紹介されている。
(図解入門よくわかる最新元素の基本と仕組み: 全113元素を完全網羅、徹底解説・著者: 山口潤一郎)
http://j.mp/ZkiusT

奈良の大仏と水銀中毒の話は昔に『漫画・日本の歴史』みたいなので読んだ記憶があるのだが、



【751年,大仏殿の建造も終っている状況では,殿内は水銀蒸気が充満し, 作業者にとって非常に危険な状態だったのであろう。

大仏の鋳造は749年に完成し,その後に金メッキが行なわれ752年, 孝謙天皇の天平勝宝4年に大仏開眼供養会が行なわれた,大仏の金メッキは, この開眼供養の後になされたが,アマルガムによる金メッキが行なわれはじめたときから, 塗金の仕事をする人々にフシギな病気がはやりだした。この不思議な病気の原因は, まさに水銀中毒であった。

蒸発する水銀をすうことが中毒であると真相をつきとめた大仏師国中公麻呂は, 東大寺の良弁僧上とともに今日の毒ガスマスクを工夫して,病気の発生を予防したとのことである。 科学技術の進歩は公害が付きもので,これを克服していかなければ人類の進歩はない。 すでに8世紀における大仏建造で,水銀アマルガム鍍金の公害が発生したが, 人類の恵知はこれを克服している。】
(東京都鍍金工業組合・めっきの歴史)
http://www.tmk.or.jp/history_06.html



と、作業員に限定されたこれの事か。
信憑性は不明。
ただ、現代の水銀排出量

http://www.env.go.jp/chemi/tmms/seminar/jyoyaku/mat01.pdf

から考えて奈良の大仏に使用された50トンという水銀の量はかなり多く、かつ、工業が発達していない時代である。安全対策、環境対策も今とは全く違うだろうし。

ただ、よく調べていないだけなのかも知れないが、白須賀公平氏の仮説を受けての研究があるのかな?それとも仮説で終っているのだろうか?

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1 コメント

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大仏の水銀は2.4t (通行人)
2015-03-17 11:48:35
>から考えて奈良の大仏に使用された50トンという水銀の量はかなり多く、

50トンも使ってません。
水銀は2.4tです。
http://www.sony.jp/battery/knowledge/suigin.html
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