エルダーBP

登山 写真撮影等多趣味ですが最近は卓球で登山のためのトレーニングして 山岳写真撮影に励んでいます。

NHK歴史館、鉄砲伝来の巻

2013-11-15 | 日記
鉄砲は西洋で発明され、種子島へ伝わったと思いがちですが、そうでは有りません。
中国で1288年当時の青銅製の銃身が発掘されたことで、モンゴル支配下の中国が火槍から銃へ装備を変えたことが明らかになり、さらにこれまで銃は西欧発明と考えられてきたが、銃はモンゴル帝国を通じて、ヨーロッパへ伝わったとされる。
昨日見た映像で日本で最初に銃身を作った時の再現を見せていましたが、大変興味が湧きました、鉄の板を巻いて丸く筒状にしていましたが、これでは割れ易いので鉄をリボン状にし巻きつけるものでした。
しかし重要な内径を決めるそ芯に何をつかったかは不明でした。
また昨日は話題になりませんでしたが、銃身の底に付ける、ネジを日本人は見たことがなく、作成するのに大変苦労したと聞いたことがあります。

次は鉄砲に必要な火薬の話、中国には硝石があったようです。
中国の唐代(618年 - 907年)に書かれた「真元妙道要路」には硝石・硫黄・炭を混ぜると燃焼や爆発を起こしやすいことが記述されており、既にこの頃には黒色火薬が発明されていた可能性がある。
日本では多分当時、倭寇貿易で中国から硝石を輸入していたと思いますが、江戸時代に入り鎖国がなされると、国内で硝石を供給せざるを得なくなる。
軍事用の火薬使用は激減したが、狩猟用として鉄砲が農山村に普及したため、一定の火薬の需要が存在したのである。
そこで以下面白い、奇抜な方法で硝石の調達がなされた。
汲み取り便所の壁から床下の土中に染み出した窒素に富む糞尿などから生じたアンモニアに亜硝酸菌と硝酸菌が作用するため、古い民家の床下の土壌には硝酸カリウムが蓄積している。
これを原料とすることで硝石を生産した。
床下土を用いた硝石の製造は江戸時代を通じて主流の方法であったらしい。
私の火薬歴、危険で時効成立した話!!?
多分多くの子供が遊んだと思いますが、当時セルロイドの下敷きなどを切り刻み鉛筆のキャップに入れ、それを加熱すると、爆発的に燃焼し飛ばしました。
私はそれに味をしめ、硝酸を購入し硝化綿を作ったことがあります。
これもセルロイド同様良く燃えました。
また薬局で硝酸カリウムを購入(子供にも販売した・・・)これを砂糖と混合する白い火薬も作りましたが幸い怪我をせずこの遊びを終わることが出来ました。
硝酸カリウムが酸化剤になり爆発的に燃えるのです!クワバラ~


最新の画像もっと見る

コメントを投稿