さんぽ道から

散歩中の雑感・モノローグを書いてみました

災害の生贄か・・・

2017-07-07 13:36:50 | be short


福岡朝倉市や大分日田市の水害は 見るに堪えないものとなってきた。

家屋やインフラの受けたダメージからすると 失われた人命は少なめ のような感じがする点が せめてもの救いだ。

自然災害ゆえの何とも言えないむなしさがこみ上げてくる。 むなしさを鎮めるには 溜飲を下げるには 大概 生贄が供せられてきた。 古代から。

古代では 災害や飢饉で多くの人が死んだことから、自然が生贄を求めているという考えから、大災害が起こる前に 適当な人身御供を捧げ 災害の発生予防を祈願したという。 太陽神に少女を生贄に差し出すところは よく映画にも出てきます。

今のところ 生贄は稲田防衛相(か) 
福岡県と大分県に大雨特別警報が発令されていた時に  1時間弱 防衛省を不在にしたと とがめられている。 他の防衛省の仕事であったことと連絡はつく状態であったことを考えると それほどまでとは思うものですが、マスコミは 誰かを吊るし上げたいのでしょう。

都議選での自民党大敗では、
THIS IS 敗因 とか THIS IS A 敗因 といって 生贄候補を上げていた。

T 豊田(暴言)議員  H 萩生田(加計学園)副長官  I 稲田(失言)防衛相  S 下村(加計学園)都連会長  I 今村(東北でよかった発言)復興相  S 菅(東京新聞記者とのバトル)官房長官  A 昭恵夫人と安倍首相 らが候補でしたが、実際は自民党の最大派閥 細田派だった模様。


そうですね。

古代と近代との違いは、
・生贄が 神だとか自然が求めるものとされていたのが 今では 大勢の人々の声なき声のように変わってきたことと

・生きた動物や人間が供物とされていたことが 世の中の著名な方 政治家などへの非難へと変わってきたこと ではないでしょうか。


非難などの矛先が謂われなきものであれば 溜飲を下げるためといえども 生贄は いいわけはありませんが、たまたま重なるものであれば、少女などの人身御供より ずっといいもので、 政治家辞任などへもつながれば、税金の無駄遣いも減るという意味で 勿怪の幸いでしょう。 世の中の進歩の一つといっていいのでしょう。
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