山野草を楽しむ

育てて楽しむ山野草

イメージ広がるピアノ版「田園」

2005-06-02 | クラシック音楽
■Beethoven作曲/LISZT編曲
■ 交響曲第6番「田園」
■CYPRIEN KATSARIS(ピアノ独奏版)

第3番も、第7番も聞いてみたんだけれど、カツァリスの一連のシリーズでは、この曲が一番好きだ。
パソコンに向かっているときでも、往復の車の中でもときどき楽しんでいる。

「第1楽章 田舎に着いたときの爽快な気分」
冒頭の出だしがとても軽やかで、スタッカートが気持ちいい。
田舎に着いて、さあこれから散歩に出かけようという感じがする。
この楽章の全体を通じて、音の流れが私にちょうどいいテンポで流れていくせいか、とても自然な感じで聞くことができる。
聞くというより音に浸るという感覚に近いかもしれない。

「第2楽章 小川のほとり」
LISTの楽譜は見ていないのだけれど、この楽章には、こんなにたくさんのトリルがあったんだろうか、と思うほど印象的に感じた。
演奏者のカツァリスはリストの楽譜にさらに音を加えているようなので、演奏者のアイデアかもしれない。
そして弦や管のトリルに比べると、ピアノで演奏されるトリルは、とてもキラキラしていているように聞こえる。
ひょっとすると、小川の水面に反射する光をイメージしたのだろうか?
今までこんな感じは持たなかったが、このピアノ版を聴いていると、いろんなことが想像される。

オーケストラで聞くと、いろんな音が鳴っている。
楽器もたくさんあるので当然なことだ。
これに対してピアノ1台で聴くと、色が少なくて寂しくないかというと、全く正反対である。
単純なほど、聞き手はイメージが膨らむのだろう。

何も音楽に限ったことではない。
カラーよりも白黒写真のほうが訴える力が強いこともある。
カラフルでにぎやかなヨーロッパの庭園よりも、竜安寺の石の庭の方が無限に広く、深く感じることだってあるのだから