最近は、古い雑誌をながめていることが多くなってきたが、ついに昭和初期の本にまで手を出してしまった。
これがなかなか面白くて、正月休みか出張のときにでもじっくり読んでみることにしようと思う。
飛ばし飛ばしにながめてみたが、現在の山野草雑誌の内容とあまり変わらない記述が多いことに驚かされる。
たとえば、「コマクサは山から採ってくるよりもタネから育てたほうがよい。タネを播けば翌年に咲く。」とか、
「山草會の陳列會には大型の採集品は奨励しない、実生品を望む」とか、
「競技花を決定するときに稀品のレブンアツモリを除いた」というような植物保護の考え方がかなり広まっていたやうだ。
一方、高山では
「白馬、燕、上高地、鎗、穂高、黒部、剱等は近頃では缶詰の空や、チョコレートの箱、フィルムの外皮で道しるべが出来ている様になったので、、、」
とまあ、こんな様子のやうだ。
つづいて
「最も今日では、高山植物保護という名称によって、採収を禁ぜられて居る、、、」
昭和初期の山野草愛好家がどんな様子だったのかを知っても、特にどうということもないが、最近の雑誌を買って読むよりも面白いことはたしかである。
それにしても約160ページのほぼ全文に振り仮名(ルビ)が付いているとは思わなかった。
おかげで、この当時も白馬岳を「しろうま」と「はくば」の両方の読みがあることを知った。
さらに、帝国大学教授工藤博士の文章のなかで「北海道大雪山」には「ほくかいだうおほゆきやま」という振り仮名がついていた。