2011年3月11日(2日目)
たいした仕事でもなかったので、会社から作業服&リュックひとつで飛行機に乗ってやってきていた。
千歳空港ターミナルでお土産買って、リュックが一杯になった。
会社へ電話し、新潟空港まで迎えを頼み、午後の予定を確認する。
11:00 ほぼ定刻通り 千歳空港離陸、今日も窓際とれたので下界を見ながら飛行。五稜郭がよく見える。青森から十和田湖あたりもよく見える。
雲が多くなってきたころに機内アナウンス。
「新潟空港が除雪作業のため上空で待機します。除雪が完了しない場合は目的地変更になります。」
アラマア、昨日と同じだよ。
昨日と違ったことは、雪雲の中で機体が揺れながらの待機であったことと、その時間が15分ほどだったことで、結局
「当機は目的地を東京国際空港に変更します」という速やかなアナウンスが流れた。
近くの席では、一人旅のご婦人が客室乗務員に新潟への帰り方を尋ねていた。
12:15(地震発生2時間30分前)予定通りなら新潟空港へ着陸しているはずなのだが、羽田へ向かい大きく旋回しスピードあげる。
新潟~羽田間の航空路は中越地震後に一時運行されたが、さてどこを飛んでるのだろうか?
北アルプスとか富士山とか見えるかなとキョロキョロする。
下界をながめていて気付いたところは、どうやら筑波山らしい風景だった。
その後、千葉の精油所上空を通過、話題のスカイツリーやらゲートブリッジをながめ観光気分となる。
13:45(地震発生1時間前)羽田まで来てしまったことを会社にメール、航空会社から新潟までの新幹線料金として現金11,000もらう。
次の東京発新潟行きは14:10頃ということだったので昼食食べずにモノレールで浜松町に向かったが、どうやらこれには間に合いそうもないので次の15:10発に乗ることにした。
14:35頃(地震発生10分前)東京駅八重洲地下街の食堂に入る。
14:43頃(地震発生3分前)ようやく昼食、ミニ天丼とミニうどんのセットメニュー食べ始める。
14:46 地震発生 揺れは大きい。
揺れてる時間が長いので、おそらくこの揺れでは新幹線は動かない、今日は帰れないなと思い、揺れてる最中に会社へ電話。(隣りで食べていた女の子はテーブルの下にもぐっている)
電話では、新潟でも今まさに大きく揺れている最中とのことで、会社のTVが仙台震度7とか出てることを聞いた。
揺れがおさまり、離れた席のおじさん数人は昼食再開。となりの女の子はすぐに出て行った。
その後、長時間携帯は通じなかった。
東京駅から御徒町にある東京事務所へ向けて歩く。(事務所と言ってもマンションの1室で、ほかに2人しかいない)
山手線沿いに歩き、神田あたりのドラッグストアでペットボトルのお茶とカロリーメイトを購入、秋葉原駅周辺はかなりの混雑。
アメ横前にある東京事務所の入っているビルはエレベーターが止まり水も出ない様子。
とりあえず、近くのカプセルホテルに行くと、フロント前はかなりの混雑だったが、無事に受付完了。ほどなくして満員御礼となった。
携帯は通じないが事務所の固定電話で本社と自宅に連絡できた。
ニョーボは「何で東京にいるの?」と、当然の質問をするわけで、、、
まあ、こんな事情というわけだ。
2011年3月12日(出張3日目) 新幹線が再開する16時過ぎまで、事務所に待機。
つい先日まで2週間も出張していた日立のことを思い出し、もしもあそこで地震にあったらと想像すると、ここ東京の方がましと考える。
コンビニの食品はスッカラカンだったが、さすがアメ横周辺、食堂はけっこう平常通り営業中だった。
20:00過ぎ 自宅に帰宅する。