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釣り、カメラ、アマチュア無線、アウトドア、DIY、何でも思いっきり、明日の楽しさを求めて今日を生きる徒然日記

日中国交35周年

2007-09-29 | その他
9月29日、日中国交35周年を迎えた。
振り返って35年前の事を想い起こしながら美酒を頂いている。

35年前の8月、当時の田中角栄総理が中国へ行く時に「衛星中継装置」持って行く。それに必要なノンブレーク電源を作って欲しいと言う注文が突然飛び込んで来た。衛星中継装置は当時日本電気が一手引き受けで作っていたのだが、各国から事前に受注していた製作途中の材料をかき集めれば何とか間に合うというので決定したらしい。ところが当時中国は電源事情が極めて悪く、頻繁に停電があったが、その頃の衛星中継装置は人工衛星を捕捉するのに48時間掛かるので一旦停電すると48時間は中継が止まってしまう。その為に絶対に停電しない電源が必要だと言う事で、その電源の話が舞い込んだ時に、社長が「名誉な話だ」と後先考えずに引き受けてしまったのだった。

特殊な装置で、設計から完成までに少なくとも3ヶ月掛かるのが普通だが、それを約1ヶ月で作れと言う話だった。設計は私の仕事だが、絶句する様な短納期なのだ。団子をこねる様な簡単な話ではないのだ。引き受けてしまったのだから仕方が無い。何はともあれ、文句を言っている間に時間が過ぎてしまう。即座に打ち合わせに入り、普段設計だけで1ヶ月掛かるところだが、設計をしながら物を手配して、死にものぐるいで分刻みの仕事をせざるを得なかった。当時の事だからエアコンも満足では無い環境で徹夜を何日やったか覚えて居ない、何とか大きな部分の設計を済ませ部品の発注も手加工品が多いので職人さんに事前にお願いして設計書を持ち込んだら直ぐに加工して頂ける様に手を打ったり、最後は自社工場の職人の手で、これも連続徹夜で何とか9月の上旬に品物を納める事が出来た。

田中首相は直前に訪中した米国のニクソン大統領が衛星中継で世界に配信したのを見て「わしも持って行く」と言う事になったらしい。首相に就任と同時に訪中を決め、衛星中継を目玉にしたと言う物だった。

この衛星中継装置は、中国にプレゼントして来たそうだ。その後どの位中国で働いたのかは不明だが、故障などの話しは一度も無かったので私の作った装置も任務をまっとうした事だろう。
今は「その後どうしたかなぁ」とその行く末だ。勿論この様な装置は通常長くて20年くらいが寿命だから今は廃棄されている事は間違いないだろう。

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2 コメント

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なんだかすごいお話ですね (koji)
2007-09-29 08:49:50
“山羊さん”設計の“ノンブレーク電源”が日中国交正常化に貢献なさったのですね。なんだかすごいおはなしです。歴史の重大な舞台裏でこのようなご苦労があるなどというのは、こうして話していただかなければ、わたし達には知る由もありません。
もちろん、わたしには“山羊さん”のご苦労がどれほどのものだったか想像も及びませんが、中国との国交に携わるものですから、その重圧も大変なものだったでしょう。そのご苦労が今こうして美酒を傾けておられる結果を生み出したのですから、素晴らしいことです。
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"koji"さん (山羊)
2007-09-29 14:06:05
当時は、無我夢中でやった仕事でした。同時に土浦市にある発電機メーカーも小型発電機を特急納期で作った事が、後日NECで完成を祝う祝典の席で利かされました。この二つが間に合って初めて完成し、全て直前に航空機で運ばれて準備が整った段階で田中首相が訪中したと言うお膳立てでした。間に合ってホッとしたのが感想です。
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