世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

痛飲

2019年03月08日 | 100の力
気の置けない友が来てくれた。



それでまたまた痛飲。



友はいいもんだ。




今日は早朝から佐賀へ。

お泊り。


結果はまた明日。



3月7日(木)のつぶやき

2019年03月08日 | ライフスタイル

10年前に逆戻り?

2019年03月07日 | 100の力
すっかりやる気をなくしていた。


宿泊業という天職に巡り合って40年。

カフェや雑貨などにも携わってきたが、

その根幹には常に宿泊業という業種があった。


そして、そこにも「タビスト」としての宿命を感じていた。




そして、

その原点ともいうべき「タビスト魂」を貫くために

すべてを投げ打って(半ば自暴自棄に)、

旅そのもの(放浪)に自分の人生の最終章を賭けようとしていた。



これまでの人生の中で

ターニングポイントと思われる時期が何度かあった。

(それは、だいたい後から振り返ってわかるものだが)



2008年9月、リーマンショックが起きた。

その不況に乗じて2009年9月、民主党政権が誕生した。

そして、モラトリアム(返済猶予)が発動され(同年11月)、

ボクもその恩恵に授かった。


時間と金銭的余裕ができたため、

ボクは、客足の遠のいた阿蘇を離れ、

ベトナムや熊本市内の中心街、

そして福岡市内へとビジネスを展開していった。


ところが皮肉にも、

2016年4月、熊本大地震が起きた。

そして、

この時もモラトリアムの恩恵に授かってなんとか窮地を凌いだ。

(人生に二度モラトリアムを経験することはまずあり得ない)



2008年から2018年の10年間は

ボクにとってまさに激動の10年であった。


そして、昨年2018年、

ボクはある重大な決心をした。


家とすべての事業を手放し、

残りの人生を「世界放浪の旅」に出る、と。


一か八か、

無謀な選択だったのかもしれない。

(うすうす気づいていたが)



そこに、突如として急ブレーキがかかった。


ボクは、

時計の針が反対回りをはじめ、

リーマンショック前に引き戻されるような衝撃を覚えた。


この10年の歳月は時代を大きく変えた。


SNSの普及とともに、

スマホが当たり前の社会になり、

AIやロボットの時代になりつつある。


奇しくも2008年から日本の人口は減り始め、

同時に、急激な高齢化の波が押し寄せてきた。


この流れはまだこれから30年は続くだろうし、

激しさを増し、

津波のような勢いとなって襲い掛かってくる。

この荒波(激流)に飲み込まれたものは間違いなく淘汰される。



そして、なによりも

ボクが10才年を取ったことになる。


そのぶん、体力は確かに衰えたかもしれない。

(特に肉体的持続力)


ただ、「氣力」と「智力」は確実に増した。

その「氣力」と「智力」をもってして、

体力の衰えはカバーして余りある。


そして、

「瞑想」という最強の技術を手に入れて

”スーパーサイヤ人”になった。


加えて、

ブログ(8年間毎日書き続ける)という武器を手にれ、

3冊目の出版まで漕ぎつけた。


老いて衰えるばかりか、

むしろ進化している。

(『老人進化論』の元になる)



そして、

こうして10年前の原点に戻って

再出発を誓った。

宿泊、喫茶、雑貨販売の3本態勢に。

(より進化した形態で)


消えかかっていた(事業欲という)情熱に再び火が付いた。


もちろんそれは、

予期もしなかった力(Unexpected Energy)が働いたからだった。


それは、

砂漠を彷徨い続けて

やっと見つけたオアシスのようなものだった。


あるいは、

人間の姿をした「サムシング・グレイスSomething Grace(グレイトGrateではない)」なのかもしれない。


思いがけず、

人生の終盤に向けて人生が大きく変わろうとしている。


もちろん、自分一人だけではない。

その「Something Grace」とともに。







弥勒菩薩の微笑み

2019年03月06日 | 100の力
安らぎを覚える。


生まれて初めて

本当の幸せの意味を知った。


      (半跏趺坐で瞑想する筆者)


幸せとは、


「心の安らぎ」なのです。

そしてそれを強く感じた。


そこには、悩み、苦しみというものが一切なくなる。

嫉妬も、怒りも憎しみも。


そして、

柔らかな微笑みの中に

慈悲の表れと、

高尚な心の境地を感じるのです。


それは、楽観性と

受け入れ難いこともすべて受け入れることが出来る包容的な精神を表している。


そこに、

弥勒菩薩の姿を見たような気がした。




弥勒とは、慈しみであり、

菩薩とは、悟りを開く(如来になる)ための修行仏のことである。



「いまだ修行中の身ならばこそ、

慈しみをもって菩薩とならんとす」




【補足】


如来:

悟りをひらいた仏様

(阿弥陀如来・大日如来・薬師如来・釈迦如来)


菩薩:

如来になるための修行中の仏様

(観世音菩薩=観音さま・千手観音菩薩・文殊菩薩・地蔵菩薩ほか)


明王:

如来が化身した姿で悪人を従わせるため怖い顔をしている。

(不動明王・愛染明王ほか)





氣力と智力

2019年03月05日 | 100の力
若いうちは体力にものを言わせて

好奇心の赴くまま

何でもかんでも我武者羅にやったものだ。


今もって好奇心は衰えていない。


あれもこれもやってみたい。

どこもそこも行ってみたい。




人生は、

体力(健康) x 時間 x 資金(お金)

でほぼ決まるが、

そんな単純なものではない。


ここに、

精神(心)、氣力、人間関係、愛そして智慧(工夫力)が絡んでくる。



一般に、

体力は落ちても、

経験上知恵がつく。


失敗経験があると、

慎重になるのはいいが、

臆病風に吹かれ、

コンサバ(保守的)になって

守りに入っては意味がない。


攻撃は最大の防御。

人生は、

攻めて攻めて攻めまくるのだ。


何事も挑戦することを忘れてはならない。



ところが、

あらゆる面で、

年を取れば衰えると思っている人がほとんどだ。

(それは、パラノイアに過ぎないのだが)


できないことを、

何かにつけ年のせいにして、

無理やり自分を納得させる。


無いもの、失ったものを数えるより、

今あるもの(残っているもの)に意識を向けたほうがいい。



今ボクには、

氣力と時間だけは一番ある。


そして、数多くの経験によって、

智慧が付いた。

物心両面で。


それは体力をカバーして余りある。


物事を効率よく、無駄なくできる。


言い方を変えれば、

手を抜くことを心得ている。


老練、老獪術なるものを纏って、

あらゆる局面を乗り切ることができる。



これから先、

レジェンドとして生き残るには

老練且つ老獪であらねばならない。

(ただし、狡猾であってはいけない)


サバイバルの世の中、

清濁併せ飲み、

甘いも酸いも噛み分けた、

ずるい、要領のいい生き方こそが生き残る術となる。





虚脱感

2019年03月04日 | 100の力
幸せな日々を過ごした後は、

決まって空虚な気持ちに襲われる。




これも試練だ。

そう言い聞かせる。


耐えることを知らなければ。

待つことを知らなければ。


虚しさが愛を増幅させる。


苦しいときは苦しめばいい。

避けたり逃げたりしてはいけない。

むしろ真正面から向き合うのだ。


そして、

「苦しさを楽しむ」術を知る。



なぜ苦しみ悩むのか。

それが次へのステップの踏み絵となるから。


これを乗り越えた先に

光明が見える。


抗うことなく

受け入れる。



そもそも、人生というのは、

この世に生を受けた時から苦の連続なのです。


苦があるからして、

楽しみや幸せが感じられる。


つまり、

苦と楽(幸せ)は表裏一体なのです。


苦しみの中に喜びや楽しみ、幸せ見出せ(感じれ)ば、

むしろ苦しみそのものが喜びに変わる。


必ずしも「苦あれば楽あり」とはならないが、

「苦中楽あり」とは言える。


幸せや楽しみをいくら外に求めても

それは一時のもので、

本来内にあるもの。


そして、探したり、作ったりするものでもなく、

感じるもの。




寂しさを感じれば感じるほど、

空しさを覚えれば覚えるほど、

次の喜びもひとしお増すのです。



【補足】


苦は生きるために必要なものです。


苦は永遠であり、

満たされるのは、一時。


常に満腹状態であれば、

食べ物のありがたみは分からない。


常に満たされていれば、

幸せさえ当たり前になるでしょう。


何かに不満を覚え、

それを埋めようとするところに

動きが現れる。


それが生きている証となるのです。



















中九州一周の旅

2019年03月03日 | 100の力
友人の車で

熊本・大分の旅に。





日田のひな祭り、

耶馬渓、

宇佐神宮、




      (夫婦石)

安心院、

湯布院と、

丸一日をかけドライブをした。




夜は、深夜までホームパーティ。






昨日もまた、

幸せで楽しい一日でした。





ずっと運転をしてくれた友人の感謝。

ありがとう!