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世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

永平寺で座禅修行

2017年11月14日 | 100の力
久しぶりの本格的座禅を永平寺で行った。



永平寺は、

ご存じ道元が、

約750年前に設立した曹洞宗の大本山です。




ボクは、もう一つの総本山である石川県の総持寺で修行を受けた。

もうかれこれ40年ほど前のことである。


さらに、横浜に住んでいるころは、

臨済宗の大本山である鎌倉・円覚寺にも足しげく通ったものだ。


ちなみに、

「公案」と呼ばれる禅問答に取り組むのが臨済宗の座禅で、

「頭を空っぽにする」のが曹洞宗の座禅。

徹底的に空白になっていくことを目指した禅。

徹底的に頭を空っぽにして、

空白にすることで見えてくる「真理」にたどり着こうとする手法。

(ボクは、どちらかと言えば曹洞宗が好き)


という訳で、

ボクの座禅歴は優に半世紀に及ぶ。

始めたのは、高校生の時、

空手部で禅寺を訪れことがきっかけだった。


それ以来、

泊まれるお寺を探しては全国行脚をした。

そうした修行経験が、

今、「瞑想」として活きている。


座禅やヨガは瞑想の一種といえる。

そして禅は、文字通り禅宗という宗教である。



瞑想そのものは

宗教をはるかに凌駕して、

全ての宗教、非宗教に関係なく行われている。


      天井絵が圧巻


すなわち、

瞑想と座禅の大きな違いは、

宗教か非宗教かにあるといってもいいだろう。

それに、

座禅(禅宗)は達磨や釈迦(2500年ほど前)に始まるが、

瞑想はそれ以前、はるか5000年前から行われている。


昨日は、

午前中から夕方まで紅葉を見ながら、

ドップリ永平寺で座禅をして過ごした。


       法堂にて




       仏殿にて

禅堂でみっちり1時間

僧侶の指導の元、

座禅を行った。


      禅堂における座禅風景は撮影NG


「只管打坐(しかんだざ)」

ただひたすらに坐り抜くこと。

道元の教えである。


禅堂に坐ることだけでなく、

行住坐臥(歩き・止まり・坐り・臥す)のすべてが坐禅である。

すなわち、日常生活そのものが坐禅なのだ。

食べるのも坐禅、眠るのも坐禅、歩くのも座禅。


これは、瞑想に通じる。

いついかなる時も、瞑想状態にいることができる。


     ちょっと一息紅葉を愛でる


永平寺の最後は写経で〆た。




実に充実した北陸の旅の一日であった。



【追記】

世界を知り、改めて日本(の良さ)を知る。

ある意味、「温故知新」とも言えるだろう。